1日目前半の続きです。
雨の降る古川から再び東北新幹線に乗り換えます。仙台で多少の乗降があったせいか、通路側にはちらほら空席が見られます。周囲はいかにもな帰省客ばかりですが、この区間の普段の「入り」はどれくらいなのでしょう。近くの席のちびっ子はおそらく初めての車窓を食い入るように眺め駅名を暗唱しています。そうそうその調子(どんな調子や)と、そんなことを思っているうち、30分足らずで一ノ関に到着。また慌ただしく在来線に乗り換えます。
ここから乗るのは臨時快速「ジパング平泉1号」です。今や貴重となった485系JTの生き残りですが、登場は2012年と同シリーズのなかでは最後発。というのも、9月に乗車した「リゾートやまどり」の登場に際して、その前身となる「やまなみ」・「せせらぎ」から編成の組み替えがおこなわれた結果、「やまなみ」の先頭車2両が余剰に。これと青森の3000番代モハユニットを組み合わせて「ジパング」が誕生したという経緯があります。
言わば「余り物コンビ」で編成美という点ではイマイチですが、「やまなみ」由来の先頭車が車体を新造しているのに対し、中間車は原型の車体にやや手を加えただけであることから、485系の面影を色濃く残しているところがポイントです。12月に「きらきらうえつ」が引退した後はいよいよ東北最後の485系となりましたが、この手の列車としては珍しく自由席を有した快速列車であり、また運転日数も比較的多いのが特徴。いつか行程に組み込みたいと思っていたので、今回念願叶っての乗車となりました。
両先頭車も魅力的ではありますが、
ここまで来たならば当然(?)中間車に乗りたいところ。列車名が示すとおり平泉観光のアクセスが主な役割で、東北本線・大船渡線ともにまともな接続列車が無いことから車内は空いています。地元利用者と思しき人々も目立ち、特別ではない普段着の485系を味わいながら、列車は夕暮れの東北本線へ。
平泉で数人の観光客を乗せ、列車はモーター音を響かせながら駆けていきます。私にとってのMT54サウンドは「はしだて」「きのさき」あたりの183系が強く記憶に残っているところですが、そういえば幼少期に485系の特急「はつかり」が登場する絵本(山本忠敬『しゅっぱつ しんこう』(福音館書店、1984年))を読んでいた覚えがあります。ストーリーは確か帰省中の家族連れが「はつかり」からキハ58系の急行に乗り換え、さらにはキハ40系の普通列車に乗り換え田舎を目指す……あれはまさにこの奥州における鉄道情景を切り取ったものだったのではないでしょうか。30年近く前に読んでいた本の情景が今でも追体験できるというのはなんとも不思議ですが、思えばあの絵本が今に至る鉄道好きの原点となっただけに感慨もひとしお。絵本じたいはロングセラーで現在でも手に入るようですが、新幹線網が発達したいま、子どもたちの目にはどのように映るのでしょう。
そんな感慨に浸っているうちに眠ってしまい、目が覚めたのは終点盛岡を目前にした矢幅での10分停車。薄暮のホームにシックな装いでしばし佇む「ジパング」をパチリ。
前述の通り、編成としては凸凹ですが、こうしてみると両先頭車のドーム状の屋根が24系寝台車に見えてくるような……? 2014年に函館から大幅遅延の「北斗星」に乗った際、翌朝の盛岡で1時間近く停車し、結局は正午頃に仙台で打ち切りとなったことをふと思い出しました。
「はつかり」もとい「ジパング」は定刻通り盛岡に到着し、ここから本日最後の新幹線です。「はやぶさ」の盛岡以北は特定特急券で指定席の空席に着席可能ですが、帰省客が中心であまり周知されていないせいか、デッキに立ったままの人がちらほら見受けられました。とは言え、その旨を伝えるアナウンスもあり、空席は十分にあったので充電がてら空席に着席します。
さすがに新幹線は速く、1時間で新青森へ。やはりまとまった降車があり、来るところまで来てしまった感がありますが、ここからさらに進み、
普通列車に乗り換えて弘前へ。この日はここで宿泊します。
雪が積もっているのは盛岡と同じですが、以前訪れたときと比べるとどうにも量が少なく全国的な暖冬を実感させます。おかげで道が歩きやすいのはありがたく、スーパーに寄り道してホテルへ。
お風呂で温まった後、新青森駅で半額だった「太宰弁当」を夕食とします。太宰の好物が入っているということで即決でしたがこれがなかなか美味しく、若おい(若い昆布)で包んだおにぎりは適度な塩気がクセになりました。
旅先ということで普段しない晩酌も。(笑)
ご当地津軽りんごのシードルと、スーパーで買ったホタテの刺身、さらに青森限定の「じゃがぼーの」です。「じゃがりこ」のようなものを想像していたのですが、ホタテのバター醬油風味が美味しく、翌日お土産でもう一袋買って帰ったのでした。
2日目に続く
雨の降る古川から再び東北新幹線に乗り換えます。仙台で多少の乗降があったせいか、通路側にはちらほら空席が見られます。周囲はいかにもな帰省客ばかりですが、この区間の普段の「入り」はどれくらいなのでしょう。近くの席のちびっ子はおそらく初めての車窓を食い入るように眺め駅名を暗唱しています。そうそうその調子(どんな調子や)と、そんなことを思っているうち、30分足らずで一ノ関に到着。また慌ただしく在来線に乗り換えます。
ここから乗るのは臨時快速「ジパング平泉1号」です。今や貴重となった485系JTの生き残りですが、登場は2012年と同シリーズのなかでは最後発。というのも、9月に乗車した「リゾートやまどり」の登場に際して、その前身となる「やまなみ」・「せせらぎ」から編成の組み替えがおこなわれた結果、「やまなみ」の先頭車2両が余剰に。これと青森の3000番代モハユニットを組み合わせて「ジパング」が誕生したという経緯があります。
言わば「余り物コンビ」で編成美という点ではイマイチですが、「やまなみ」由来の先頭車が車体を新造しているのに対し、中間車は原型の車体にやや手を加えただけであることから、485系の面影を色濃く残しているところがポイントです。12月に「きらきらうえつ」が引退した後はいよいよ東北最後の485系となりましたが、この手の列車としては珍しく自由席を有した快速列車であり、また運転日数も比較的多いのが特徴。いつか行程に組み込みたいと思っていたので、今回念願叶っての乗車となりました。
両先頭車も魅力的ではありますが、
ここまで来たならば当然(?)中間車に乗りたいところ。列車名が示すとおり平泉観光のアクセスが主な役割で、東北本線・大船渡線ともにまともな接続列車が無いことから車内は空いています。地元利用者と思しき人々も目立ち、特別ではない普段着の485系を味わいながら、列車は夕暮れの東北本線へ。
平泉で数人の観光客を乗せ、列車はモーター音を響かせながら駆けていきます。私にとってのMT54サウンドは「はしだて」「きのさき」あたりの183系が強く記憶に残っているところですが、そういえば幼少期に485系の特急「はつかり」が登場する絵本(山本忠敬『しゅっぱつ しんこう』(福音館書店、1984年))を読んでいた覚えがあります。ストーリーは確か帰省中の家族連れが「はつかり」からキハ58系の急行に乗り換え、さらにはキハ40系の普通列車に乗り換え田舎を目指す……あれはまさにこの奥州における鉄道情景を切り取ったものだったのではないでしょうか。30年近く前に読んでいた本の情景が今でも追体験できるというのはなんとも不思議ですが、思えばあの絵本が今に至る鉄道好きの原点となっただけに感慨もひとしお。絵本じたいはロングセラーで現在でも手に入るようですが、新幹線網が発達したいま、子どもたちの目にはどのように映るのでしょう。
そんな感慨に浸っているうちに眠ってしまい、目が覚めたのは終点盛岡を目前にした矢幅での10分停車。薄暮のホームにシックな装いでしばし佇む「ジパング」をパチリ。
前述の通り、編成としては凸凹ですが、こうしてみると両先頭車のドーム状の屋根が24系寝台車に見えてくるような……? 2014年に函館から大幅遅延の「北斗星」に乗った際、翌朝の盛岡で1時間近く停車し、結局は正午頃に仙台で打ち切りとなったことをふと思い出しました。
「はつかり」もとい「ジパング」は定刻通り盛岡に到着し、ここから本日最後の新幹線です。「はやぶさ」の盛岡以北は特定特急券で指定席の空席に着席可能ですが、帰省客が中心であまり周知されていないせいか、デッキに立ったままの人がちらほら見受けられました。とは言え、その旨を伝えるアナウンスもあり、空席は十分にあったので充電がてら空席に着席します。
さすがに新幹線は速く、1時間で新青森へ。やはりまとまった降車があり、来るところまで来てしまった感がありますが、ここからさらに進み、
普通列車に乗り換えて弘前へ。この日はここで宿泊します。
雪が積もっているのは盛岡と同じですが、以前訪れたときと比べるとどうにも量が少なく全国的な暖冬を実感させます。おかげで道が歩きやすいのはありがたく、スーパーに寄り道してホテルへ。
お風呂で温まった後、新青森駅で半額だった「太宰弁当」を夕食とします。太宰の好物が入っているということで即決でしたがこれがなかなか美味しく、若おい(若い昆布)で包んだおにぎりは適度な塩気がクセになりました。
旅先ということで普段しない晩酌も。(笑)
ご当地津軽りんごのシードルと、スーパーで買ったホタテの刺身、さらに青森限定の「じゃがぼーの」です。「じゃがりこ」のようなものを想像していたのですが、ホタテのバター醬油風味が美味しく、翌日お土産でもう一袋買って帰ったのでした。
2日目に続く