年の瀬、東北へ 1日目後半

2020年01月14日 01時12分52秒 | 旅行記
1日目前半の続きです。


雨の降る古川から再び東北新幹線に乗り換えます。仙台で多少の乗降があったせいか、通路側にはちらほら空席が見られます。周囲はいかにもな帰省客ばかりですが、この区間の普段の「入り」はどれくらいなのでしょう。近くの席のちびっ子はおそらく初めての車窓を食い入るように眺め駅名を暗唱しています。そうそうその調子(どんな調子や)と、そんなことを思っているうち、30分足らずで一ノ関に到着。また慌ただしく在来線に乗り換えます。


ここから乗るのは臨時快速「ジパング平泉1号」です。今や貴重となった485系JTの生き残りですが、登場は2012年と同シリーズのなかでは最後発。というのも、9月に乗車した「リゾートやまどり」の登場に際して、その前身となる「やまなみ」・「せせらぎ」から編成の組み替えがおこなわれた結果、「やまなみ」の先頭車2両が余剰に。これと青森の3000番代モハユニットを組み合わせて「ジパング」が誕生したという経緯があります。


言わば「余り物コンビ」で編成美という点ではイマイチですが、「やまなみ」由来の先頭車が車体を新造しているのに対し、中間車は原型の車体にやや手を加えただけであることから、485系の面影を色濃く残しているところがポイントです。12月に「きらきらうえつ」が引退した後はいよいよ東北最後の485系となりましたが、この手の列車としては珍しく自由席を有した快速列車であり、また運転日数も比較的多いのが特徴。いつか行程に組み込みたいと思っていたので、今回念願叶っての乗車となりました。




両先頭車も魅力的ではありますが、






ここまで来たならば当然(?)中間車に乗りたいところ。列車名が示すとおり平泉観光のアクセスが主な役割で、東北本線・大船渡線ともにまともな接続列車が無いことから車内は空いています。地元利用者と思しき人々も目立ち、特別ではない普段着の485系を味わいながら、列車は夕暮れの東北本線へ。


平泉で数人の観光客を乗せ、列車はモーター音を響かせながら駆けていきます。私にとってのMT54サウンドは「はしだて」「きのさき」あたりの183系が強く記憶に残っているところですが、そういえば幼少期に485系の特急「はつかり」が登場する絵本(山本忠敬『しゅっぱつ しんこう』(福音館書店、1984年))を読んでいた覚えがあります。ストーリーは確か帰省中の家族連れが「はつかり」からキハ58系の急行に乗り換え、さらにはキハ40系の普通列車に乗り換え田舎を目指す……あれはまさにこの奥州における鉄道情景を切り取ったものだったのではないでしょうか。30年近く前に読んでいた本の情景が今でも追体験できるというのはなんとも不思議ですが、思えばあの絵本が今に至る鉄道好きの原点となっただけに感慨もひとしお。絵本じたいはロングセラーで現在でも手に入るようですが、新幹線網が発達したいま、子どもたちの目にはどのように映るのでしょう。


そんな感慨に浸っているうちに眠ってしまい、目が覚めたのは終点盛岡を目前にした矢幅での10分停車。薄暮のホームにシックな装いでしばし佇む「ジパング」をパチリ。


前述の通り、編成としては凸凹ですが、こうしてみると両先頭車のドーム状の屋根が24系寝台車に見えてくるような……? 2014年に函館から大幅遅延の「北斗星」に乗った際、翌朝の盛岡で1時間近く停車し、結局は正午頃に仙台で打ち切りとなったことをふと思い出しました。

「はつかり」もとい「ジパング」は定刻通り盛岡に到着し、ここから本日最後の新幹線です。「はやぶさ」の盛岡以北は特定特急券で指定席の空席に着席可能ですが、帰省客が中心であまり周知されていないせいか、デッキに立ったままの人がちらほら見受けられました。とは言え、その旨を伝えるアナウンスもあり、空席は十分にあったので充電がてら空席に着席します。


さすがに新幹線は速く、1時間で新青森へ。やはりまとまった降車があり、来るところまで来てしまった感がありますが、ここからさらに進み、


普通列車に乗り換えて弘前へ。この日はここで宿泊します。
雪が積もっているのは盛岡と同じですが、以前訪れたときと比べるとどうにも量が少なく全国的な暖冬を実感させます。おかげで道が歩きやすいのはありがたく、スーパーに寄り道してホテルへ。


お風呂で温まった後、新青森駅で半額だった「太宰弁当」を夕食とします。太宰の好物が入っているということで即決でしたがこれがなかなか美味しく、若おい(若い昆布)で包んだおにぎりは適度な塩気がクセになりました。


旅先ということで普段しない晩酌も。(笑)
ご当地津軽りんごのシードルと、スーパーで買ったホタテの刺身、さらに青森限定の「じゃがぼーの」です。「じゃがりこ」のようなものを想像していたのですが、ホタテのバター醬油風味が美味しく、翌日お土産でもう一袋買って帰ったのでした。

2日目に続く

年の瀬、東北へ 1日目前半

2020年01月10日 02時42分10秒 | 旅行記
あけましておめでとうございます。
本年も当ブログをよろしくお願いします。

すでに日常に復して数日が経っておりますが、年末年始の休みはいつものように出かけていました。行先は数日前まで迷っていたのところ、テレビで見かけた「とある列車」に思わず釘付けとなり即決。存在じたいは以前から知っていたのですが、やはり映像で見せられると実乗の意欲も高まるというもので、その列車を核に前後の行程を簡単にプランニング。時期が時期なので当然、出発までに全ての切符を確保することはできませんでしたが、そこは何とかなるだろうと、29日夜に京都を出発したのでした。


まず目指すのは深夜の大阪です。京都からはJRに乗ってもよいのですが、たまにはと思い京阪特急のプレミアムカーに乗車します。プレミアムカー連結の特急としては最終列車ですが、車内はガラガラ。途中、丹波橋から予約ナシで乗車してきた男女がアテンアントさんから切符を求めていましたが、プレミアムカーの座席や設えにひどく感心した様子で、つくづく京阪電車はええもんを造ったなぁと思います。そういえば、来年度からは3000系の特急にも連結されるようになりますね。


街はクリスマスの余韻もすっかり消え、年の瀬の家路を急ぐ人々を乗せては降ろしを繰り返して京橋へ。環状線に乗り換えて、大阪には日付の変わった30日の0時過ぎに到着。ちょうどよい頃合いです。


駅には忘年会帰りか仕事納めか、大勢の人々が京都あるいは神戸方面の列車に続々吸い込まれていきます。深夜0時を回ってもこれだけの人が駅を歩いているという光景は長らく当たり前のものとなっていますが、10月にJR西日本が発表した「終電の繰り上げ」が実施されると、こうした駅の風景というのは近いうちに見納めとなってしまうのかもしれません。


さて、そうした人々を乗せた列車が一通り発車した後、大阪駅に最後にやって来る東行きの列車が寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」です。東京へ向かう際のアシとして随分とお馴染みの存在となりましたが、「銀河」などの東海道ブルトレにギリギリ間に合わなかった世代としては、やはり走っているうちに利用したいもので……。


今回の区画は直前に空きが出ていたシングル。大阪からの乗車ではせいぜい5時間ほどしか眠れませんが、今後の旅程を考慮して快適な方を選択します。年末ということもあり大阪駅からは30人ほどが乗車し、桂川を通過するあたりでようやく検札の車掌さんが回ってきました。徐行で京都駅を通過したのを確認してから横になる、というのがいつものパターンで、目が覚めたのは横浜到着20分前の「おはよう放送」。とは言え、横浜到着までそのままゴロゴロしているのですが。






東京には定刻通り7:08に着きました。ホームに降り立つと視線の向こうには山手線や京浜東北線が慌ただしく行き交っていますが、「サンライズ」の到着したホームだけは暫しゆっくりとした時間が流れているような気がします。それは夜行列車独特の余韻であり、さらには「サンライズ」の起点である四国や山陰で感じる時間の流れ方そのものなのでしょう。乗客を降ろすとすぐに踵を返して行く夜行バスとの決定的な違いがここにはあると思います。かつて「あけぼの」が発着した上野駅ほどの郷愁は東京駅にはありませんが、「夜行列車が到着した朝の東京駅」という、日常にあって日常とは「やや異なる」空間、そして、そうしたものを感じ取る心の余裕は、どれほど速達化が進もうとも持ち合わせていたいものです。

今回は表題の通りこれから北上するわけですが、まずはメトロ・都営を乗り継いで馬喰横山駅へ。同駅はJR馬喰町駅と連絡していますが、わざわざ遠回りの都営で訪れたのは連絡改札を通るため。


ここでICカードの処理と18きっぷの使用開始を申し出ると「元」年表記の入った日付印が押印されるのです。改札の共用や管理の関係でいわゆる「社線入鋏」をしてもらえる駅は全国に多数ありますが、月・日だけではなく年が入るのはなかなか珍しいのではないでしょうか。また、「1」とはせず「元」というのも新鮮で、当然ですが令和元年は5月から12月までの限定となることから、今回ギリギリで間に合わせることができました。


18きっぷを手に総武線で再び東京駅に戻り、今度は「快速ラビット」のグリーン車で宇都宮まで一気に北上します。空いていたので車端の平屋席に座りますが、ここは揺れる代わりに荷物を棚に上げられるのが利点。線路状態もそう悪いわけではないので、心地よい揺れがうたた寝を誘発します。
終点の宇都宮ではこの先で使用する予定の切符を調達した後、駅ナカをウロウロ。「とちおとめ」を使用したスイーツのカフェが出来ていたが気になりましたが、まだ午前10時では空腹というわけでもなく見送り。またの機会に……。

そして新幹線ホームに上がり、「つばさ」を繋いだ「やまびこ177号」に乗車します。東海道新幹線ではいよいよ車種が統一されつつあるなかで、カラフルな新幹線が走る東北筋は眺めていて退屈しません。白河の関あたりを通り過ぎると郡山・福島で一気に下車があり、いよいよ「東北」に足を踏み入れたことを実感します。

終点の仙台には11:44の到着。


乗り継ぎの時間が中途半端に空くのでここで昼食とします。駅の混雑とは対照的に構内のスタンドは空いていて、豚の生姜焼きが乗ったうどん(名前は忘れました……)をいただきます。さすがに仙台までくると寒かったので、これは温まりました。


そうして在来線ホームに降り(この日は在来線と新幹線を行ったり来たりします)、ここから乗るのは「仙石東北ライン」。東日本大震災からの復興策として誕生した路線で、東北本線・仙石線との並走区間に連絡線を設けて仙台と石巻を1時間で結ぶことを可能にした画期的なルートとなっています。同路線の専用車両であるHB-E210系は東日本管内で勢力を拡げつつある電気式気動車の一員で、発車時の滑り出しはきわめて静か、時折鳴り響くエンジン音を除けばまるで電車のよう。東北本線でいくつかの駅に停車するとやがて仙石線が並走、ゆっくりと転線して乗り入れると海沿いの単線区間を快速運転で飛ばしていきます。途中では津波被害によって内陸側に移転を余儀なくされた区間もありますが、各駅でまとまった乗降があり、日常の生活に寄り添う路線としての表情が見えました。


仙台から約1時間で石巻に着きました。仙石線なら30分は余計にかかりますから、大幅に利便性が向上したと言えるでしょう。


外はあいにくの雨模様ですが、乗り換え時間を利用してプチ散策。






駅から徒歩10分ほどの石巻市指定文化財「旧観慶丸商店」を見に行きました。1930年に石巻最初の百貨店としてオープンし、木造ながらタイル貼りのモダンな外観が特徴。現在は催事場として使用されているらしく、この日は閉まっていましたが、その威容は港町にあって堂々としたものです。おそらく往時は海運を通じてやってきた多彩な品々がここに並べられ、人々の目を楽しませたことでしょう。


急ぎ駅に戻り、今度は13:49発の石巻線に乗車します。この色のキハ110は陸羽東/西線がメインながらも運用範囲が広く、南は女川から北は酒田までの働き者。運用によっては太平洋側から日本海側まで横断する車両もあるのかもしれません。
終点の小牛田には14:30の到着、すぐの接続で14:34発の陸羽東線に乗り換え。古川まで駒を進め、7分乗り換えで「やまびこ51号」に乗車し、さらに北を目指します。この辺りは列車本数がそれほど多いわけではないのですが、気持ち悪いくらいにサクサク進みます。(笑)

1日目後半に続きます。