浴衣で京都学

2010年07月31日 23時59分59秒 | 日記
昨日はオリターの打ち上げがあり、そのままカラオケでオール、5時半に朝帰りの後11時まで仮眠。
ちゃちゃっと支度をして、この時期恒例のオープンキャンパスに顔を出してきました。
去年はAO入試説明会で体験談を話したということもあり、今年は京都学プログラムのブースを希望したところ、担当出来ることになったのです☆

集まったのは7人。
全員がほんとうに個性的なキャラで(笑)、今日はそのうち5人(自分含む)は浴衣を着ていたので更に個性的な面々と化していました。
これは昨日の打ち合わせで「持っている人は着てこよう」と話し合った結果で、一度浴衣で大学に行ってみたかった自分にとっては良い機会となりました。
すれ違う高校生からは「あいつら何の集団やねん!?」と思われていたに違いありませんが、当の本人たちはけっこう真剣にブースの宣伝をしていました。うん、けっこう涼しい。

しかし、いきなり「京都学」と言ってもピンとこない人が多いので、何をどうして高校生たちに学びのイメージを抱いてもらうか。
簡単かつウケが良いのはクイズです。そこで「ご当地検定 京都学編」として、スライドでクイズ形式の検定を開いて答えてもらい、解説の際に「こうこうこんなことやってるんですよ~」と簡単に雰囲気を掴んでもらうことにしました。実は去年から2年連続の試みなのですが…。

そんなこんなで、ご当地検定は無事に開催出来ました。
また、今年からの新しい問題として「利き茶」を設け、4種類のお茶の中から某メーカーの某お茶を当ててもらう形式なのですが、外が暑くて喉が渇いている人にとっては良いタイミングであったと思います。この時がいちばん賑わっていたでしょうか。

終了後は道具を撤収しての反省会。
わずか1時間足らずの間に様々な反省点が挙げられ、それを生かして明日(もっと多くの人が予想される)に繋げるべく、けっこう真剣な議論となりました。
そのひとつに宣伝力不足があり、「ご当地検定 京都学編」の案内看板を1時間半かけて製作。レタリングが好きなのでけっこう凝ってしまいました。おそらく来年も使ってもらえることを願って…(笑
帰りは浴衣で街をぶらぶら。なぜか周囲の風景が普段とは少し違って見えました。


写真は太秦~花園にて、先日のリゾート天理臨。
複線化工事で誕生したポイントです。すっきり撮れますね。

雨の似合う街

2010年07月29日 23時59分59秒 | 日記
昨日までの晴れから一転して今日は雨。
おかげで気温も下がって涼しかったのですが、降ったり止んだりでよく分からない天気でした。
そして、明日からは更に暑くなるらしい…(- -;)


今日の3限は「日本史学史」の試験。
これも神話学と同じくレポート+試験で評価される科目なのですが、レポートを出したからと言って気は抜けません。
試験会場の教室に入ると、こんなに?というぐらい(笑)、普段の出席率とは裏腹に多くの受講者(と言えるのか…)が集まっていました。
しかしその半分はレポートの存在を知らない。なぜなら、先生が授業中に口頭でしか案内していないから。提出期限も最終授業日で、統一の案内が壁に掲示される普通のレポートとはちょっと性格が異なっていたから。
そんな特殊なレポートを出した数少ない人間だから、試験がちょっと悪くても単位はもらえ…というチョコレートのように甘い極めて単純な想像を巡らせつつ、試験に臨みました。

問題はそこそこ難しかったのですが、持ち込み自由だったので何とか。
30分を過ぎてもなかなか退出者が現れないことがその難しさを更に助長させていて、私が出たのは試験開始から57分を過ぎたあたり。
どうせなら最後まで居ても良かったのですが、試験を終えて一刻も早く小説を探しに行きたかったので…。
ブックセンターでは少々迷いながらも万城目学『ザ・万歩計』と東野圭吾『夜明けの街で』を買いました。1割引に加えて財布の中から以前叔母にもらった図書券が4枚も発掘されたので助かりました。万城目さんは初エッセイということで読んでみたかったのと、東野さんは去年の『パラレルワールド・ラブストーリー』同様、旅のお供に。


というわけで、僕にもいよいよ夏休み到来です。
大学から京都駅行きのバスに乗り、普通ならあっさり東海道線に乗るところを、奈良線に乗って2駅目の稲荷まで。この時期恒例、天理臨の撮影です。
少し雨が降っていたのですが、駅からしばらく歩いて撮影地探し。踏切をいくつか当たるもイマイチだったので、どうしようか…と思っていたところ、ちょっと大きなお寺を発見。
門をくぐって振り返ると奈良線の踏切が見えたので、そこで構えることにしました。

このお寺、調べてみると寶塔寺(ほうとうじ)という日蓮宗の由緒正しいお寺だそうで、その名の通り塔があるそうです。今回は雨だったので奥までは入りませんでしたが、「京都学基礎講読」の発表で伏見に関心をもったこともあり、気になるところであります。
で、肝心の写真ですが、タイミングはちょっとアレだったけど、車両の窓に張り紙が見えていて、何より雨にしっとり濡れるお寺の雰囲気を撮ることが出来たと思います。
帰ってからは深夜まで昼寝。さぁ、7月の残りをどう過ごそうか。


写真はJR藤森~稲荷にて、天理臨のキハ181系。
このモノトーンの風景に西日本カラーが似合いますね。

レポートアスリート

2010年07月27日 23時59分59秒 | 日記
今朝6時…。
徹夜で書いていた「京都文化論」のレポートがようやく終わりました!
今期のレポートは全て夜に書いていたのですが、こんなに時間のかかったレポートは初めてです。得意分野だからこそ遅くまで放置…いや、頑張って取り組みました。

それで、11時頃に起きてのんびり大学へ行く予定でしたが…
寝て起きたらまさかの13時半!ってか一晩中書いてたから肩めっちゃ痛い!
実はこのレポートは「400字詰め原稿用紙」での提出が指定されていて、プリンタで印刷した後、原稿用紙に転記しなければいけないというキワモノ。

しかーし、うちのプリンタはインクが切れていて、印刷が出来ないんですよね。
PCの画面とにらめっこしながら写してもいいのですが、どうせなら大学で印刷して広々した机で書こうと思っていたので、「まだ間に合うよな?」と言い聞かせながら自転車をかっ飛ばして大学へ。
そもそも原稿用紙を持っていなかったのですが、たまたま居合わせた友達に原稿用紙を分けてもらい(みんな同じ作業をしていた)、丁寧に6枚の原稿用紙に転記が終わりました。
そして以学館のレポート受付場所に無事提出完了。締切1時間半前のことでした。

さて、毎期のレポート提出最終日17時の締切間近に見られる名物「以学館ダッシュ」。
全学部の学生がレポートの受付場所である以学館を目指してひた走るという一大イベントで、その様子をひと目見ようとレポート提出を終えた学生が見物に集まります。似たようなものに「卒論ダッシュ」も存在しますが、どちらも学生生命(?)が懸かっているのでみんな真剣です。
学生自身が早いうちからレポートに取り組み、早いうちに提出をしておけばこのような事態にはならないのですが、これには学内のプリンタの不足も原因のひとつとして考えられ、PCを持っていない学生にとっては大きな問題でしょう。

ともあれ、この以学館ダッシュ、前々から存在自体は知っていたものの、はじめて見てきました。
17時になる15分ほど前から早歩きの人が増え、10分を切った頃には小走りの人、そして5~3分前にはゴールを目指す多数のランナー。一時は、以学館前広場に花道の如く集った多数のギャラリーから拍手も湧き起こりました。ただの野次馬かと思ったら、みんなけっこう優しいではありませんか。

感想としては、見るのはいいけど、走る身にはなりたくないなぁというのが正直なところ。
1時間半前に提出した僕は言えることはではありませんが、レポートはくれぐれも期限に余裕をもって提出したいものです。

缶詰ライター

2010年07月26日 23時59分59秒 | 日記
今日は珍しく10時台に起きました!
たまたま電話がかかってきたのでそれで起きられたのですが、ものすごく助かりました。
ここ数日、徹夜でレポート→昼過ぎまで睡眠という健康上大変よろしくない日々が続いていたので…。


昼からは暑い中大学へ。
今週はまだ普通に試験期間中なので、授業期間中のように人も多く、ほとんどの設備も機能していました。
しかしまぁ、どこのパソコンルームも人が多くて空席を探すのに一苦労。空調も良いのでレポートも捗るのだと思いますが…。
地下でみんな揃ってキーボードの音しか聞こえないというのは、やっぱり秘密組織チックで何となく好きです。

そして、どうにかこうにか2つのレポートを印刷して(大学の設備は最大限活用する!!)、事務室に提出、
図書館できょう返却期限を迎える本を2冊返却、一通りの用事を終えました。
『奄美のシャーマニズム』、なかなか面白かったです。1977年発行の本で、本の最後には何と手書き時代の貸し出し履歴が今なお残っていました。
それを見ると最後の履歴が昭和60年。それ以後はバーコード認識に移行したのかもしれませんが、自分が生まれる前から人々の手を渡り歩いてきた本を手に出来たとき、どこかロマンを感じずには居られませんでした。
この本は、30年以上も何を見てきたんだろう…。

さて、レポートは明日が統一締切日なのですが、実はあと1つ残っています。
いちばん自信があるのに最後までほったらかしなのはダメなのですが、以学館ダッシュは傍観していたいので(笑)、何としても明朝までに!


※草稿のまま公開するのを忘れていました。遅くなってすみません。

キハ40 2046

2010年07月25日 20時54分30秒 | 鉄道模型/単発ものいろいろ
前回、6月の模型進捗状況としてキハ40系列の製作中の様子をお伝えしましたが、今日はその内の1両・キハ40 2046が完成しましたので報告します。
実車は広島に新製配置され、広島色のまま03年に岡山、04年に豊岡と転属を経て活躍してましたが、現在は豊岡色に塗装変更・更新工事を受け、播但線を中心に運用されています。
模型ではKATO製品を種車に広島色・未更新時代を選び、幅広い線区での運用を再現出来るようにしました。


うちでは初の広島色車両です。西日本の自然豊かな風景になじむ色は以前からの憧れだったのですが、ようやくモノに出来ました。


製作中の様子。
加工としては、タブレット保護板の撤去、ルーバー・給水口の埋設、そして初のエンジン換装、スカート加工を行っています。


塗装は毎度同じくスプレーです。
裾の薄いグレーはGM9番、上部の黄色がGM12番、アイボリーはGM21番、帯の濃いグレーはGMカラーが見つからなかったのでMr.color32番を使用しています。
スプレー通りとはいえ、思っていた通りの広島色を出すことが出来ました。前面幕は播但線のものが欲しいところですが、とりあえず広島時代の国鉄フォント「普通」で。


他車との連結を前提とするT車のため、幌はどちらも残しています。屋根も未加工。


上のようなキハ41との赤黄編成も良いですが、団臨のアクセントとしてぶら下がっている様子も楽しいものです。

僕らの都市河川

2010年07月24日 23時48分48秒 | 日記
今日は大学に行く用事は無かったので、家でひたすら寝続けました。
ホントは午前中に起きて写真の1枚や2枚撮りに行ってみたいのですが、やっぱり家が快適です。
しかしレポートは気乗りせず(昼間は大体そうです)、この記事を書く前にようやくやり始めました。これ書いたらまた戻ります。


今日は夕方からお茶のお稽古へ。
大学の方で雷と夕立がすごいという情報をキャッチしていたのですが、何とかなるだろう!と思って出発。
雨が降っていないのに近所の川は増水していて、北部での豪雨の様子が思い浮かびました。
京都の都市河川は深く掘り下げられている川が多いので、増水した時こそが本領発揮といったところでしょうか。普段は少量の水しか流れていない川が濁流の大河と化すと、その匂いと共になかなか強烈な印象を残します。

…と、そんなことを考えていると急に夕立!
きっと雨雲が下ってきたのだと思いますが、慌てて商店街の軒先で雨宿り。
少しマシになってから再度北上、せっかくなので西高瀬川に注ぐ合流式下水道(下水の増水時、川に排水出来るようにした設備)の出口もきちんと観察しつつ目的地に向かいました。
この合流式下水道の出口、川に面してポッカリ大穴を開けていて、晴れの日でも「ゴー」という音と共に不気味な雰囲気を醸しだしているのですが、
今日はそこから明らかに色の違う下水が川の方に流れ出ていて、余計に気持ち悪さを増長させていました。
川に流しているのは間違いなく下水なので、この設備は環境の面からも改善されなければならないのですが、何故かそそられます。好きです。マニアなのかなぁ…。


写真は件の合流式下水道。
小さい頃、下に降りて(もちろん晴れの日ね)初めて見た時はめっちゃ怖かった。

憑依・脱魂・トリック…

2010年07月23日 23時44分31秒 | 日記
去年ってこんなに暑かった?
というぐらい今年は暑いです!(--)
まぁ、「体温より暑い」って去年は聞かなかったので、去年よりは確実に暑いのだと思いますが…。
というわけで、今日は「海の家に行く人」みたいなファッションで行きました。


3限の試験は「神話学」。
教室に入ると、あたかも公式テキストであるかのように講義ノートを見ている人がずらっと座っていて、なかなか面白い光景でした。
たまたま座った隣が高校3年間同じクラスだった人という以外は特に変わったこともなく(笑)、普通にスラスラと書くことが出来ました。論述式の試験にしては珍しく30分で退出。

で、この神話学、テストに加えてレポートもあるんですね。
テーマは選択式で、私が選んだのは「沖縄の神話と祭儀」。以前からそれの参考文献を探していたのですが(1冊は確保済み)、きょう図書館に行って『奄美のシャーマニズム』という、この授業を受けなかったらまず読まなかったであろう本を見つけたので借りました。
来週27日がレポートの統一締切なので、週末はこれともう1つのレポートを進めようと思います。
余談ですが、レポート提出最終日に見られる「以学館ダッシュ」がどのようなものなのか気になります。(やりたくないけど)
「大垣ダッシュ」とか「相生ダッシュ」みたいなもん???

終了後は何気なくブックセンターへ。
いつものように小説のコーナーに行くと、後期の「京都学基礎講読」テキストとして川端康成の『古都』が並んでいたので、今のうちにと買っておきました。
同作品は去年の「京都学研究入門」でも軽く触れられ、ストーリーは漠然と知っていました。個人的には『夜は短し歩けよ乙女』みたいな流行りの小説を扱った方がもっと学生の食い付きは良くなると思うのですが(笑)、専ら今の作品しか読んでいない私にとってははじめての川端文学。これはこれで楽しみです。


帰ってからはキハ40 2046(広島色)の塗装作業。
こう暑いと塗装も億劫になりがちですが、早く乾いてくれるという利点があります。
今日は塗装の順序を考えずに薄いグレー→アイボリー→濃いグレーの順に吹いて思いの外苦労したのですが、マスキングは直線が上手く出て前面も修正ゼロで済んだので嬉しい結果となりました。
しかし日没を迎えて時間切れ。広島色最大の特徴である上半分の黄色は明日以降に持ち越しです。


写真は製作中のキハ40 2046。
なんかこれで完成でも良さそうな気もする…いやいや、ちゃんと完成させます!

蝉時雨

2010年07月22日 23時59分59秒 | 日記
お知らせです。
7/14惜別、余部橋梁の旅行記が完成しました。どうぞご覧ください。
ここに来てようやく前期水曜を活用した旅行が出来ました。もう少し早く梅雨が明けていれば良かったのですが、まぁ仕方ないでしょう。
余部橋梁を堪能することはもちろん、模型で製作中/予定の車両の実車取材が出来たのは収穫でした。


今日は補講日。
3限に「日本史学史」、4限に「神話学」の補講が予定されていたのですが、後者は何故か直前に休講の連絡がありました。
事実上「神話学」の授業は14回で終わってしまったわけですが…最初から最後まで、何だか不思議な授業でした。明日試験なのにorz

というわけで、3限後は地下の秘密組織のような(笑)メディアルームに篭ること1時間半、「京都学フィールドワーク」の成果物の仕上げを済ませ、ついでに「京都地域論」のレポートも終えることが出来ました。
次々と気持ちよく終わっていくので楽しいものです。若干追われているような、これくらいの忙しさが好きというのもありますが…。

さて、明日から試験です。
現在試験2つレポート2つが残っている状態ですが、先週・今週とちょっと頑張れている(?)ので、この調子で無事に終えたいですね。
夏休みの旅の予定も少しずつ考え始めています。とりあえず方向だけは決まった!(笑


写真は浜坂にて、キハ47 10先頭の普通列車。
去年のエンジン出火事故を機にリニューアルされ、今では元気に走っています。

徐々にバトンタッチ

2010年07月21日 23時23分55秒 | 日記
梅雨明け以降暑い日が続いております。
今日も大学に行こうとして、思わずバスに乗ってしまいました。
朝しか直通のバスが無いので、一日乗車券(500円)を買う羽目に…。


今日は昼過ぎから「京都学フィールドワーク」成果物の制作。
昨日の発表で用いたレジュメに加筆・修正を加えていって、レポートという形で提出するというものです。
写真などの資料も添付したことで、いくらかはグレードアップしたと思います。と言うより、自分はほとんど修正担当で他の2人に任せてしまったところが多い…(--)
提出締切は明後日に迫っているので、頑張って良いものを創り上げたいと思います。

さて、JR西日本のHPを見てみると…
特急「はまかぜ」用新車・キハ189系の投入が11月7日からに前倒し!
車両製造がスムーズに進んでいるとのことで、予定では来春3月からと聞いていたので驚きです。カニシーズンに合わせて増結6両編成での華々しいデビューとなるのでしょうか。
キハ189系は前からちょっと気になっていたので(その割に未だ現車を見たことがない)、いずれにせよ楽しみなところです。
今までのキハ181系はしばらくは「かにカニはまかぜ」での運用が続くそうですが、今年度末で引退。「雷鳥」然り最近のJR西日本は車両を段階的に引退させていく方法が目立ちますが、この方が騒ぎになりにくくていいのかな?


写真は特急「はまかぜ」のグリーン車室内。
このまま乗らずに終わってしまうのか?それとも…。

終わり良ければ

2010年07月20日 20時08分21秒 | 日記
昨夜は20時から2時まで寝た後、課題をちょこちょことこなし、シャワーを浴びて、4時からブログをまとめて更新。
どうしても書いておきたいことは後からでも書いておく主義なので、誰も見てなくても更新。ブログで決意や思いを表明することは、ある意味、未来の自分との約束とも言えるでしょう。
でも、たまに、いとも簡単に覆されることも、ある。


今日は2限の「京都学フィールドワーク」のみ。
前々から明らかになっていたのですが、これが前期最終の授業となりました。
最後だからのほほんと椅子を温めながらの1時間半を過ごしたかった。でも!我々の発表は今日なのです。
授業の1時間前に集まって発表の準備を進め、資料を印刷し、小声で練習をし、10時30分を過ぎた頃、いざ「戦場」へ。
先週の方々がとてもハイクオリティな発表(+先生の好評価)をされていたので、それなりのものを提供せねば!という使命感の下、前の何人かの発表を聞いておりました。案の定、皆さんよく調査・研究をされておられます。

そして我々、ラストから2番目。
以前からもこのブログでお伝えしている通り、フィールドには鷹峯地域を選びました。
概要→歴史→フィールドワーク結果→観光資源紹介→今後の提案の順にレジュメを構成、古地図や写真はOHPで提示するという方法を採り、おおかた順調に発表は進んでいきました。
源光庵の「悟りの窓」はおなじみの風景なので分かりやすかったと思います。常照寺に関しては4月の「吉野太夫花供養」の際の写真を提示したのですが、明らかに反応があったように思います。先生をはじめ、花街などに興味のある人が多いようで…。
目標時間の5分を30秒ほどオーバーしたものの、ちょっと笑いも入れつつ無事に発表は終わりました。先生からの講評は、フィールドの選定や流れは良いので、レジュメの書式等を再考する必要があるとのこと。
この辺りは23日提出締切の成果物に生かしていきたいところです。とりあえず、終わって何より。
ホッとした後の太秦でのディスカバリーの撮影は、見事に失敗しました。


写真は源光庵。
どうですか?行ってみたくないですか?

多種多様の教師論

2010年07月19日 23時59分59秒 | 日記
世間は3連休だそうですが、うちの大学は普通に授業日です。
一昨日の土曜日も補講日だったので、まともな休みは実質1日。
でも絶命館だなんて思わない!


1限は英語。
最終授業ということで試験がありました。
試験勉強に時間をかけたからか、問題が簡単だったのか、思いの外あっさりとした感じでした。
終了後は英語クイズということで、時事に関わる英単語を当てるクイズがあったのですが、ほとんど勘だったにも関わらず正解が多かったことに驚きました。
2つほど紹介しますが、「短命政権」は「short-lived administration」、「所信表明演説」は「policy speech」だそうです。
普段の英語の勉強もいいですが、こういうタイムリーな英単語を覚えるのもおもしろいですね。将来役立ちそう。

5限は「教師論」。
こちらも最終授業ということで、授業内レポートがありました。
よって試験よりはラフな感じなのですが、配布された用紙を見て2題だけだと思ったら裏にもう2題!
「この授業で学んだこと」・「授業を受ける前と後での自分の『教師観』の変化」・「将来どんな教師になりたいか」・「授業の感想・要望など」の計4題でした。
どれも正解の存在しない問題ですが、毎回の授業で何かしらの感想を抱いておいて本当に良かったと思っています。忘れないうちにどんなことを書いたか挙げておきます。

「授業で学んだこと」は、どちらかというと「考えたこと」の方が多かったような気がします。
「教師論」というものは一概には言えないにも関わらず、ひとりの先生が15回全てを担当することに自分は少々疑問があったわけですが、毎回のレジュメでは先生自身の考え方の他、多くの受講生の意見が掲載されていました。
それに賛同したり、反対したり、一度は頷いたものの「でも」と脱却を図ったり、そういう過程を経て自分なりの「教師像・教師論」を生み出すことがこの授業の目的だったのではないかなと、最近になって思うようになりました。賛成・迎合・反対・衝突すべて学生の自由。ある程度先生の価値観が入ってしまうのは仕方ない。でも、それぞれがそれぞれの教師像・教師論を抱いてほしいために、先生は「自分の教師人生」というひとつの例を提示されていたのではないかと思います。

「教師観の変化」では、「授業を通じて教師の実情を聞けば聞くにつけ、教師という職に求められているものの大きさを知った」という文章をさりげなく入れておいたのですが(笑)、本当にそうなんですよね。
今まで自分は数多くの素晴らしい先生に出会ってきましたが、どの先生も教職にやり甲斐を持っておられるように見えた。でも、それは自分に見えていた部分だけで判断していたのではないか。実際は、いじめや不登校など、教職に必然的に結び付く課題の中ですごく苦悩されていたこともあったと思います。そこを全く知らずに(それも幸せだとは思う)志したから、長年現場を経験されてきた先生の授業を受ける中で、ほぼはじめて現実というものを知った。
この教師論の15回の授業は、昔から抱いていた教師の華やかなイメージを増幅させてくれたと共に、見えなかった必然的課題という部分も明らかにしてくれた授業でした。得たものは多いけど、驚くほどあっという間でした。


写真は…先週の水曜日のベストショット。

キッカケづくり

2010年07月18日 23時59分59秒 | 日記
英語の試験勉強とレポートもそこそこに、どうしても見たいものがあったので家を抜け出して大将軍八神社まで。
今年もやってきた「和太鼓ドン新人公演」を見に行ってきました。15時のいちばん暑い時に開始です。
卒業された先輩も何人か見にきていて、温かく迎えていただきました。一安心。

このブログに全くサークルの話題が挙がっていないことからも分かる通り、この2回生前期はオリター業に専念(?)していたため、サークルというものに全く関わっていませんでした。
しかし!後輩の存在は気になります。実は2人だけ話したことがあるのですが、今年は2ケタも居るらしい。そればかりでなく、他の現役メンバーと会うことで、自分が後期から復活する時のためのキッカケも作っておきたいなと思って見に行った次第です。

まず最初の印象としては…
新人さん多い!女の子もそれなりに。
自分たちの代はわずか7人だったのに対し、軽く倍は居ます。
また、去年は不足していた役回りを現役が担当していたのですが、今回はそれがほとんどなく、ほぼ新人だけで構成されていたのが印象的でした。経験者が多いというのもあるかもしれません。こりゃあ頼もしい。
失敗を失敗と感じさせないパフォーマンスも見事でした。それでも人が多くて太鼓が多いと迫力があります。さながら夏祭りのよう。
気づけば、既に卒業された先輩(去年、一緒に営業を回った先輩)と一緒に見入っていました。

終わった後はおなじみの歓談。
ここで現役2回生3人が久々に一堂に会しました。そう、去年7人居たはずがいつの間にか3人にまで減少してしまったのです。そんなに参加していないはずの自分が続けているのが不思議。でも、今でもこうして会った時は盛り上がれて良かった。
新人公演が終わったいま、ここからの1回生減少を防ぐのが先輩としての我々の役目です。なにぶんガチなサークルだから仕方ないところはあるけれど、僕も後期から復活してユルくでも何かしら取り組もうと決意を新たにしました。

戻れる場所があって良かった。
7月18日は、それを再認識した、梅雨明けの暑い1日でした。

サヨナラ雨の日

2010年07月17日 23時59分59秒 | 日記
「何かご銘は?」
「山鉾巡行です」

お茶席では、お点前が終わった後、その席で用いた茶道具をお客さんに紹介する「拝見」というのがあるのですが、
その拝見が終わった際、お客さんが亭主にその茶道具の由緒や思い(ご銘)を聞きます。
もちろん時節に因んだものを答えてもOKなので、7月17日はこれを言わないわけにはいきません。
というわけで、山鉾巡行です。梅雨も明けていい天気になりましたね。


今日のお稽古も普段通りだったわけですが、最後の方になるとマンツーマン状態になったので、先日の「京都学基礎講読」でのディスカッションのことを先生にお話しました。

「ある先生は、『京都文化を守っていく上でいちばん邪魔になるのは京都人』やと、伏見人形の例を挙げて言わはったんですけど、それは本当なんですか?」

「そんなことはあらへんよ、京都にも京都を愛する人はぎょうさんいるし、伏見人形はこの先廃れるかもしれへんけど、伏見という地域は伏見稲荷もあって栄えてるし、これからも栄え続けると思うよ」

なるほど!
そういう視点で見ることを忘れていました。
確かに伏見はいま龍馬ブームもありますし、酒蔵でも有名、伏見稲荷は年始にとても賑わいます。そして京都駅からも近い。地域全体で見れば、特に廃れてはいないわけです。

モノには流行り廃りというものがあって、伏見人形はどちらかと言えば廃れゆく。でも、その「モノ」を生んだ伏見という地域はこれからも栄え続ける。
いつか壊れるかもしれない、形のあるモノに対して、その背景にある文化や習慣は人々の間で脈々と受け継がれていくんですね。
それはまさに自分が好きな「目に見えないモノ」ですし、もしかすると今後伏見人形が見直される時が来るかもしれません。或いは、生き残りを賭けて新たな方向性が見い出される時が来るかもしれません。

授業で先生から聞いたことに加えて、お茶の先生の意見も聞くことが出来、お稽古以外にもすごく良い時間を過ごすことが出来ました。
地域全体で捉えられるのは、地域の実情を知っていたり、ある程度土地勘のある京都人ならではの視点なのかもしれません。反対に、他府県からの研究者はどうしても研究対象だけを見てしまうとも言える。
もちろん一概には言えないけど、今後何かしらの研究を進めていく上で、そういう広い視野を持つことは大事だなと思いました。


写真は山ノ内にて、嵐電。
これから暑い夏がやって来る!

宵山万華鏡

2010年07月16日 23時59分59秒 | 日記
「星、祗園祭行かない?」
「あぁ、ええよ。行こか」

とは言え去年のように上手くいくはずもなく、揃ったのは男3人である。
当初は男2人だったのだから、それでは虚しすぎるだろうと僕なりの愛をもってメンバーに加わってあげたのである。というのはもちろん嘘である。
今日このために和柄アロハシャツを着て行ったと言っても過言ではない。このまま誰かに誘われなければ、図書館の書庫の奥底で本に埋もれる夜を過ごしていたことだろう。

何はともあれ、20時まで「京都学フィールドワーク」の発表準備をみっちり済ませた後、大学から59系統に乗車!
京都市役所前で降りて、そのまま徒歩で四条河原町→四条烏丸→烏丸綾小路→西洞院綾小路→西洞院御池と周ってきました。
祗園祭の宵山と言えば四条通や烏丸通のメインストリートの様子がテレビではよく映されますが、細い道に鉾が点在している様子も風情があると思います。
男3人のことなので、出店でアレコレ食べたり浴衣姿のお姉さんの素晴らしさを語り合ったりもしていましたが、
祭に合わせて家を一般に開放している様子を見たり、真下から鉾をじっくり見上げたり、祗園祭によって地域が一体となっている雰囲気を体感したり、見るべきところはちゃんと見てきました。
京都の伝統行事に京都学を専修する男が3人で行くことも極めて正当な行いなのです。ってかこっちの方が楽しい!
人々の雑踏に埋もれながら、2010年の宵山は儚くも美しく過ぎていきました。


御池通まで出た後は、地下鉄に乗るのも面倒だったので堀川御池まで。
友達は大学方面のバスに、自分は京都駅行きのバスに乗って帰ってきました。
ふぅー、足が痛い。

或る討論の記録

2010年07月15日 23時59分59秒 | 日記
旅先からちゃんと帰ってきたところで、今日の4限は「京都学基礎講読」最終授業。
いつもと教室を変えて他クラスとの合同授業で、総括として先週に引き続きディスカッションが設けられました。
テーマは「この前期で京都学のイメージはどう変わったか」。すぐには答えにくいせいか、発言者が少なく議論もあまり進まず…

「じゃあ当てましょう、星君!テーマ以外にも何か質問があれば…」

「きっと当てられるぞ!」と思っていたらホントに当てられました。
当てられたからには何か言わなければいけないので、とりあえずは考えていた質問を…

「先生方はこれまでに『京都が嫌い』と仰っておられたことがありましたが、それは具体的にどういうところが嫌いなんですか?京都人としては、そういうことを言われると凹むところがあって…もちろん心底嫌っておられるわけではないのだと思いますが、理由と真意を教えていただきたく思います」

すると一人の先生は開口一番、

「あぁ私は心底嫌いですよ!その『凹む』というのが地方出身者には分からないんです。地方だと『田舎ですからね』と謙遜する。でも京都にはそれが無い。もう首都でもないのに今なお特権化されていることが好きじゃないんです」

心底嫌いだというのは嘘だと思います。何となく分かります。
もう一人の先生は、

「三代続けて住まないと京都人とは認められないとも言いますが、現在には公家しか繋がっていないんですよね。たとえば江戸というのは誰もがよそ者で、ちゃきちゃきの江戸っ子なんかは居ない。でも京都には排他的な京都人というのが居る。私はそこに矛盾があるということを『嫌い』という言葉で表現しました。口が悪いものですみません」

ドキッとするものがありました。
「出身地に誇りをもつ」ということは誰しもが抱ける感情ですし、いいことだと思いますが、先生方には京都であるということが少々悪い意味に捉えられたのかもしれません。
でも、実際のところ、私の中での「誇り」は良い意味8割、悪い意味2割(排他的、中華思想的な)ぐらいです。
続けて先生は、

「私は京都学プログラムに京都出身者が居ることに驚きましたよ。京都の人は京都のことをやりたがらない。京都の人は、金閣や銀閣に行ったことが無いという人も居るんじゃないですか?どうですか?京都の方々は、他府県出身者との関わりの中で何か変わりはありましたか?」

ここで私を含む京都出身者数人が答えました。「変わっていない」と答えた人も居る中で、私は、

「僕は金閣も銀閣も行ったことが無いんですが、大学に入って友達と関わっていく中で、内と外とのイメージの違いや、外から京都がどう思われてるかというイメージが分かりました。後は、京都出身である、京都でお茶をやっていると言うとみんな『いいね』『すごいね』と言ってくれて、それがすごく嬉しかったです。とにかく変わりましたね。」

と答えた途端、

「あなたのような人が居れば京都文化は守られる!」

一瞬訳が分かりませんでしたが、後々になってから言葉の真意は分かりました。
京都学を一番やるべきは京都人なのかもしれません。灯台下暗しの言葉通り、分かっているつもりでも周囲に気付かされることがこの前期でも非常に多いです。
内と外とのイメージのギャップ、打ち砕かれながらもそれらに上手く迎合・適応して学びを進めていく、それが僕なりの京都学を学ぶ上でのスタイルです。

今回は先生方それぞれの意見の他、「京都人が京都学に抱くイメージ」や「京都人が京都学にどう向き合っているか」が上手く引き出された議論でもありました。もう少し議論に参加する人が多ければ嬉しかったのですが、時間の都合上仕方ないことでしょう。
僕は保守的・排他的…それこそ「一見さんお断り」な京都人の精神が大好きで(僕自身がそうなると交友関係に支障を来すのでならないようにしているが)、他にも奠都後の京都を頑張って復興させた人々のバイタリティーや、市民レベルで受け継がれている文化という「形の無いもの」に興味があるんですよね。だからこそ茶道をやっているし、金閣や銀閣なんかのみんなが注目する歴史的建造物は正直どうでもいい。もちろんそれらも大事だけど、そういう目に見えない京都も受け継いでいきたい。これは議論では言えなかったこと。

議論の台風の目になった、と言うのは言い過ぎですが(笑)、京都出身者の意見として一石を投じることは出来たと思います。
授業で先生と討論をするという機会もあまり無いでしょうし、議論に参加出来て、有意義な時間を過ごすことが出来て、とても嬉しかったです。