国境の南から太陽の西へ 6日目

2011年09月04日 23時59分59秒 | 旅行記
外は濃い霧に覆われていた。
「今朝は霧がすごいね、気を付けて」おばあさんはそう言って玄関からかがんで外を一通り眺めた後、僕を見送ってくれた。
釧路駅に着くとちょうど改札が始まったところだった。駅員は極めて事務的に青春18きっぷに日付印を入れた。快速「はなさき」の車内はこれから終着の根室へ向かうであろう同好の士が目立った。僕は自動販売機で炭酸飲料を買い、シートに腰掛けてスナック菓子を齧りながら発車を待った。

釧路5:55発→根室8:13着

根室本線の釧路と根室の間は花咲線という愛称が付けられている。牡蠣で有名な厚岸では反対列車との行き違いでしばらく停まった。乗客のほとんどは外に出て写真を撮った。ホームは相変わらず霧に覆われて幾分涼しかった。
列車が東へ向かうにつれて霧で車窓が見えなくなったので寝ることにした。一時間ほど寝ていても列車はまだ走っていた。それほど釧路と根室の間は長いのだ。


そうして列車は定刻通り根室に着いた。やはり霧は晴れなかったが、それがたまらなく幻想的で東端の街を更に印象深いものにした。霧と言えば広島県の三次も有名であるが、その濃さは根室の方が上回っていた。
僕は隣接するバスターミナルへ入り、納沙布岬へ向かうバスツアーの切符を買った。納沙布岬へは通常の路線バスも運行されているが、花咲線の始発列車で訪れた客向けに観光バスを使った予約不要のツアーが用意されている。もちろんバスガイドさんの案内もあるということで、僕は安上がりで満足出来る方を選んだ。

既に横付けされていたバスはほぼ満席となり、僕の隣にも初老の男性が座った。
「いつもは2、3人のところ、今日は20人を超える方にご乗車いただきましてありがとうございます」バスガイドさんの明るい放送が流れた。バスが走り出すと早速根室市街の案内が始まった。しかし市街はあっという間に途切れ、平坦な道の両側には原野が広がった。道内ではもうすっかり慣れ親しんだ牛や馬が自由に草を食べ、遠くに丹頂鶴の姿も見えた。僕は高校の修学旅行で丹頂鶴を見に行った時、一匹の人なつっこい丹頂鶴が僕の頭を何度もつついてきたことを思い出した。
濃霧の原野を通り抜けたバスは歯舞の集落に入っていった。海沿いには昆布の加工工場が点在する風景が見えた。
「岬めぐりのバスは走る」僕はそんな歌を思い出した。
「僕はどうして生きていこう」誰かがそう続けた気がした。そんな気がしたのだ。


40分ほど経ってバスは納沙布岬に着いた。ここでは約45分間の自由行動が設けられる。バスから降りた乗客は皆一斉に納沙布岬と書かれた碑を目指した。僕もその集団に付いていき、バスガイドさんに写真を撮ってもらった。


碑から振り返ると四島の架橋のモニュメントが目に入った。バブル期に勢いだけで建てられたアート作品のようであった。しかしその下の台に灯された炎は紛れもなく人々の思いが込められたものであった。この炎が消える日はいつになるのだろう。僕は海を見つめて途方に暮れた。


しばらく周囲を歩くと、近くの土産物店にはおそらく本土最東端と思われる自動販売機があった。「最東端サイダー」なる変わった飲料が売ってあるわけでもなく、極めて何の変哲もない普通の自動販売機だった。この自動販売機は僕がここに来るずっと前から、雨の日も風の日も明かりを灯して人々の喉を潤し、時には暖を与えてきたのだろう。売り物は同じなのに、置かれた場所だけでこんなにも違う見られ方をする。自動販売機の運命とはそんなものかもしれない。




ところで真の納沙布岬、つまり本土の最東端は碑のある場所ではなく、断崖絶壁の灯台のあるところに位置する。その方を向くと一瞬だけ陽が差した。そこまで行かなければ意味が無いと思い、僕は灯台を目指して歩いた。途中の道では黒猫を見かけた。そのぱっちりと開いた丸い目で北方領土の方を見ていたのが印象的だった。


灯台は現在無人化されている。かつては灯台守が夜通しで航行を見てきたのだろう。その先には本来日本であるはずの北方領土を見ながら、或いは本土でいちばん最初に昇る太陽を眺めながら。彼らがどのような思いを抱いてきたのかは今では知る由もない。


僕は灯台の敷地に入り、柵の手前ぎりぎりまで行ってみた。ここが一般の日本人が踏み入ることの出来る東端である。言い換えればここが本土における「太陽の西」なのかもしれない。現状ではこれ以上太陽を早く見ることは出来ないし、太陽の方へ近づくことも出来ない。
明確な国境線を前方に控えた宗谷岬とは明らかに違う気持ちだった。それがどういう気持ちだったのかは今でも分からない。ただ座礁船を揺らす風が吹き、その周りを海鳥が当てもなさそうに舞っていた。

納沙布岬を出たバスは、根室駅に戻る途中に琴平神社を通った。ここはかつてロシアとの交易で財を成した高田屋嘉兵衛が創建した神社である。






境内からは漁港が見渡すことが出来て、当日開催されていたかに祭りの威勢のいい声が聞こえていた。その様子を立って眺める嘉兵衛の銅像からは、当時未開であった蝦夷地の、そして広大な海を渡り歩いて商売をしようとした男のロマンが伝わってきた。


神社に参拝した後、建物の中に入って神輿も見ることが出来た。金一色の神輿は豪華に光り輝いて一同を驚かせた。聞くところによるとこの神輿は京都で修復されたという。こんなところで地元の話が出るとは思ってもみなかったし、僕は京都の職人の技が遠く北海道の根室にまで及んでいることをとても嬉しく感じた。


確かにこの神輿は京都の神社に置いてあっても違和感は無いかもしれない。しかし、その上部に舞う丹頂鶴は北海道の神輿であることを表す何よりの証明だ。道東根室のアイデンティティたるその姿に僕はしばし見とれ、その昔、漁村の繁栄を願って神輿を製作した根室の人々と、後年の修復に当たった京都の職人に思いを馳せた。

バスは根室駅に戻ってきた。ちょうど釧路行きの列車に接続しているが、すぐには乗らずに根室で昼食を摂ることにした。僕はバスガイドさんにお店の場所を聞き、根室名物の「エスカロップ」を食べるために駅近くの喫茶店に入った。薄暗い店内に客は僕一人だった。店のおばさんは何かの書類にハンコを押し続けていた。僕がエスカロップを注文すると、奥で息子さんとおぼしき男性が調理をし始めた。


エスカロップとは、タケノコ入りのバターライスにトンカツ、そしてソースが載った根室の名物である。いわゆるB級グルメという店では兵庫県加古川市の「かつめし」にも似たところがあるが、ご飯がバターライスとなっているのが特徴的である。きっと寒いこの地ではカロリーの高いメニューが好評なのだろう。朝からあまり食べ物を口にしていなかったので空腹にはちょうど良かったし、事実この後の7時間ほどは何も食べなくても大丈夫だった。

喫茶店を出ると雨が降ってきたので小走りで根室駅に戻り、荷物を整えて窓口で東根室駅の入場券を求めた。
実は日本最東端の駅は隣の東根室駅であるが、無人駅であるためにここ根室駅で入場券が販売されている。窓口氏は恐ろしいほど早く電卓を打ち、あっという間に硬券の入場券が手渡された。僕はそれを大切に手帳へ挟み込んで、リュックを背負って根室駅を後にした。外の雨は止んでいた。


ここからは徒歩で東根室駅を目指す。
根室駅から終端の方向へ少し進むと「根室本線終点」と書かれた看板がある。車止めがあり、滝川からはるばる続く根室本線の線路はここで終わりを告げている。僕は感慨にふけって何枚か写真を撮った。すると傍を初老の男性が通りかかった。
「ついに鉄道の終点に来たな!」彼は声をかけてくれた。
はい、と僕は自信ありげに返事をした。おそらく男性はここで写真を撮っている人を見かけるたびに声をかけているのだろう。その光景がロールプレイングゲームによくある、街の入り口で勇者に同じ言葉を掛け続ける老人を想起させ、僕はそれを思い出してしばらく心の中で笑いが止まらなかった。


根室駅の反対側に回り、住宅街を通り抜ける。家の数は多く、人や車ともそれなりにすれ違った。相変わらず霧に包まれた根室の街はとても幻想的であり、まるで夢の中を彷徨っているようだった。
しばらく進むと線路を跨ぐ橋に差し掛かったので、橋を渡らずに手前の道を右に曲がり、線路と平行する形で歩くと左手に東根室駅のホームを見ることが出来た。線路の下の道をくぐってホームに辿り着いた。根室駅からは30分もかからなかったように思う。






東根室駅は板張りホームの簡素な無人駅であった。それでも旅行者向けの看板があり、ここが日本で最も東に位置する駅であることを固く主張していた。駅は高台にあるので住宅地を見渡すことができ、僕はホームに座ってそれを眺めていた。




しばらくすると、来るはずのない釧路方面から列車の音が聞こえたのでカメラを構えた。臨時列車だろうか、そう思っていると、木々の向こうからDE15に牽かれた検測車のマヤ34が姿を現して通過していった。最東端の駅での驚くべき遭遇であった。

東根室12:26発→釧路14:49着

それから数分後、根室から来た釧路行きの列車に乗り込んだ。東根室から乗ったのはやはり僕一人だった。列車内という現実世界に戻ることが出来てホッとした反面、根室をたった4時間ほどの滞在で離れてしまったことがすごく寂しく思えた。列車は濃い霧の中を遅延することなく走り続け、僕はまた釧路までの時間を寝て過ごした。

再び戻ってきた釧路では、次の列車までに待ち時間が出来たので、駅から西に進んだ陸橋で列車を撮影することにした。歩道橋でカメラを構えていると、通りかかった地元のおばさんが声をかけてきた。
「何を撮ってるの?特急?」
「いえ、普通列車です。もう少しで来るので」
「列車が好きなんだね。何処から来たの?」
「京都から来ました」
「まぁ、こっちは寒いでしょう。気を付けてね」おばさんは僕のリュックと寝袋に少し驚いた様子で歩道橋を降りていった。


しばらくして、僕の真下を一両きりの普通列車が通過していった。
これまでにも感じたことだが、北海道の人たちは見知らぬ旅人にも何故か声をかけてくれる。僕の年齢がまだ若いということを考えても、もしかすると、北海道の(見知らぬ人への)おもてなしは京都以上のものがあるのかもしれない。

釧路15:50発→浜小清水18:23着





そうして時間を潰し、釧路からは釧網本線の網走行きに乗った。有名な釧路湿原を横目に、そして原野を横切り、やがてオホーツク海に沿う形で列車は進んでいく。後は今夜の宿を目指すのみだ。
途中の塘路や川湯温泉ではそれなりの乗降があり、知床斜里を過ぎると乗客もまばらになっていった。途中どこかの駅ではラーメン屋が併設されていた。列車から見える店内は意外にも繁盛していたが、皮肉にも列車に乗る人は皆無だった。

下車駅の到着時刻を確認していると突然電話がかかってきた。僕は慌ててデッキに出た。昨晩、釧路まで一緒だったお兄さんからだった。僕はポケットからおもむろに携帯電話を取り出して耳に当てた。
「○○くん、今日は小清水のユースホステルに泊まるんだよね?」
「はい、一応その予定ですけど」
「昨日、釧路湿原のユースホステルで知り合った、○○くんと同じ大学3回生の子が、今日そこに泊まるんだって。車で北海道を周ってるらしくて、きょう一日乗っけてもらっちゃった」
「ええ!そうなんですか?それは会うのが楽しみですね」
「じゃあ彼にも言っとくよ。すぐに仲良くなれると思う」そう言ってお兄さんは電話を切った。広大な北海道にあって僕はものすごく狭い奇妙な世界を歩いている気がした。

外は完全に暗くなり、僕は浜小清水で降りた。駅前のロータリーで立ち尽くしていると、クラクションを鳴らして駅前に一台の車がやって来た。案の定ユースホステルからの送迎だった。ペアレントさんは僕に今日の行程を聞いた後、明日の予定を尋ねてきた。
「ユースホステルの周りで、自然を満喫したいなと思っています」
「う~ん、自然の猛威なら満喫出来るかもしれませんね」ペアレントさんは冗談めかして言った。しかし確かにそうかもしれない。

僕が泊まった小清水はなことりの宿ユースホステルは濤沸湖のほとりにあり、虫や動物の声以外は何も聞こえなかった。表の芝生では飼われている羊が鳴いていた。羊を見たことで僕は村上春樹の『羊をめぐる冒険』を思い出した。確かあの物語も北海道が舞台だったはずだ。もしこの旅がその「冒険」ならば、僕は道内を駆け回った結果ようやくその羊に出会えたということなのかもしれない。羊は僕を一瞥して夜空に向かってまた鳴いた。まったく愉快な冒険だと思った。
中に入るとまず設備の案内をされ、ついでに廊下にある望遠鏡で月を見せてもらった。当日はちょうど満月を迎えており、月の表面やクレーターの一つ一つまでもが鮮明に見えた。僕はこのような形で天体観測をすることは初めてだったのでとても興奮した。
同時に夜空の星がとてもきれいだった。「とてもきれい」というありきたりな表現がもったいないほどの鮮やかさであったが、僕には現状それ以上の表現が思い浮かばなかった。とにかく世の中にはこんなにもたくさんの星が存在していることに僕は驚いた。女の子なんか星の数ほど居るというのはほんとうだった。この中からたった一人を好きになればいいのだし、たった一人が僕を好きになってくれればそれでよかった。
しかしその星々に手が伸びるかどうかは別問題であった。

部屋に入りリュックの中身を整理していると、夕食の準備が出来たと声をかけられた。
このユースホステルは全ての食材を地産地消にこだわった、一切の調味料を使わないオーガニック料理が自慢であり、今回の旅の食事ではいちばん期待をしていた。もちろん品数も多く、地元の野菜や魚介類を多用したメニューはどれも自然の美味しさをそのまま味わうことが出来た。僕は他の宿泊者の皆さんと一緒にペアレントさんの冗談を聞きながらご馳走に舌鼓を打った。
すっかりグルメツアーになりつつあるものの、既に折り返し地点を過ぎたこの旅の中でいちばん満足した食事であった。

そんな食事の途中で「彼」はやって来た。
「もしかして?」僕は声をかけた。
「あ、やっぱり!」彼は納得した表情で笑みを浮かべた。
「二人、もしかして知り合いなの?」ペアレントさんが間に入った。
「いえ、はじめまして」僕たちはよしもと新喜劇のワンシーンのように知り合った。ペアレントさんはずっこけなかった。

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