東日本に国鉄型を追う その1

2023年07月30日 10時58分34秒 | 旅行記
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早くも一年の半分が過ぎました。
20代後半の5年間もあっという間でしたが、30代になって家庭を持ってからは思った以上に早く時が過ぎていきます。
家庭に仕事に、(身内も含めた)他者のために時間を費やすことが多くなったからでしょうか。

そんなことを思っていた6月半ばの週末、妻と子が実家に帰省。
「2日も続けて外泊できる機会はそうそうないよ」と言われ、ならばと思い立って金曜夜に阪急電車で梅田へ。コロナ禍が終わったとは思いませんが、河原町から乗った23時台の準特急の乗車率は以前のそれに戻りつつあり、小一時間の喧騒に耐えながら、阪急梅田駅の混沌を通り抜け、ようやく静かな大阪駅11番線へ。

各方面への最終列車を見送った後、いちばん最後にやって来るサンライズを待ちます。
大都市駅の長距離列車専用ホームというのはやはりどこかゆったりとした時が流れていて、駅がいくらきれいになってもこの雰囲気は残り続けるのでしょう。


この日はざっと30~40人ほどが乗車し、それぞれの区画に収まります。


今回乗車したのはソロ上段。
とにかく疲れていたのでさっと着替えを済ませ、検札を終え、いつものように京都通過を見届けて就寝。
さすがに仕事終わりだとあっという間に寝てしまい、次に目が覚めたのは熱海。カーテンを開けると朝日が差し込みますが、あと1時間あるのでもうひと眠り。


横浜到着前のおはよう放送を合図に、前夜に買っておいた缶コーヒーで目を覚まします。
横浜~東京20分少々というのが、朝の支度にはちょうどよい時間。多摩川を渡る時はいつも洗面所に立っているような。


東京に着きました。
意味もなく先頭まで歩くのはいつものことですが、既に暑い……。

いったん改札を出てICカードで入り直し(普段はICOCA使用ですが、東日本ではSuicaに持ち替えます)、山手線で有楽町へ。
乗ってきたサンライズを撮る、という初めての試みですが……


京浜東北線と被られ、このようになってしまいました。
大都会らしさは感じられますが、やはりよく写真の上がっている田町あたりまで行く必要があるのでしょう。次回の課題とします。

それから一気に三鷹へ移動。
当然ながら7時の東京駅よりも気温が上がっているので、ドトールで涼みながら今後の行程を考えます。
と言いつつ、大枠は出来上がっているので細かいところの調整なのですが。

とりあえず、


駅近くの跨線橋を2年ぶりに訪れました。
太宰治も渡ったこの跨線橋は昭和4年築。長らく地域にも親しまれてきましたが、

太宰も愛した跨線橋よグッド・バイ 三鷹の「撮り鉄」スポット JR東、解体・撤去方針決定(東京新聞Web)

解体の報に接し、2年前に渡り納めをしたところ。
しかし、今年6月時点でも現存しているようで、

太宰治ゆかり「三鷹跨線橋」の一部を移設保存へ JR東と市が覚書 撤去時期は未定(東京新聞Web)

こちらの記事によると、解体の方針は変わらないものの、撤去時期は未定で、一部が保存されるとのことです。
とは言え、そう簡単に来ることのできる場所ではありませんし、次に来たときは渡れなくなっている可能性もあることから、今回も「一応」の渡り納めとしておきます。




屋根のない古レール造の跨線橋からは上空が広く見えます。
この空の広さは、太宰が居た頃とあまり変わっていないのではないでしょうか。


電車区を見渡します。
前回もそうでしたが地域の親子連れが何組か散歩に来ていて、三鷹発着の電車に加えて中央線の快速や特急が頻繁に通過するので飽きません。
数年前に来たときは、ここから富士急行に向かう臨時快速の189系を撮った覚えがあります。

いよいよ気温が上がってきたので、三鷹駅前からバスに乗ります。
バス停2つぶんの距離ですが、この暑さではとても歩く気になれません……。


毎年恒例、禅林寺にある太宰治のお墓と、その斜め後ろにある森鴎外のお墓にお参り。
6月19日に桜桃忌、7月9日に鴎外忌があるのでこの時期にいつも訪れていますが、この時間(8時台)だと誰もいませんでした。
太宰も鴎外にも家族があり、それぞれの父親像というものが作品中で描かれていますが(忌日の名となった『桜桃』もその一つです)、それが少しずつ分かるようになってきた今日この頃。一度読んだ作品でも時間を置いて読んでみると、深く共感できるようになったりそうではなくなったり、読者の人生をより味わい深いものにしてくれます。

三鷹駅に戻ってからは新宿、埼京線経由で赤羽へ。


特急「草津・四万1号」に乗車します。
このタイプのE257系に乗るのは初めて。今春に651系(7両編成)から置き換えられて2両減ったせいか、車内は行楽客でほぼ満席。何とか通路側を確保し、高崎線を北上します。途中、大宮では「谷川岳もぐら」に使用される185系が停車しており、多くのファンがカメラを構えていました。東海道、高崎、房総、そして波動輸送と今やマルチに活躍するE257系ですが、まだまだ185系を完全に置き換えることはできないようで、しばらくは両車の併存が見られそうです。

そんな光景を横目に熊谷で下車。
駅ビルを通り抜けて新幹線の高架下を大宮方面に戻ります。ここでのお目当ては、


先ほど大宮で見送った185系の特急「谷川岳もぐら」。
今年から特急化されたということもあり、この「臨時特急」幕で走行する様子を撮っておきたかったのです。


新幹線の高架下に沿って様子はかつての「新特急」のようです(欲を言えば「リレー号」塗装であってほしかったですが)。幼少期に図鑑で見た光景が令和の今になって眼前に現れようとは思いもしませんでした。

撮影後は足早に熊谷駅に戻り、今度は新幹線に乗車。


前回、上越新幹線に乗車した際は「Max」が現役でしたが、今では当たり前にE7/W7系がやって来ます。
自由席は満席だったので、デッキで立ったまま高崎へ。在来線ホームへ移動し、先ほど撮影した「谷川岳もぐら」を迎えます。


切符が高崎からしか取れなかったというのもありますが、どれが一列車でも遅れるとこのプランは不可能だっただけに、ようやく乗車することができて一安心。


本日三度目の邂逅。


側面もしっかりと「臨時特急」表示です。
昨年までは「臨時快速」運用ばかりでしたが、コロナ禍での収入減少か、はたまたこの希少となった国鉄型の特急電車がおカネになると思われたのか、今年の使用列車からは軒並み特急に格上げされました。


列車は上越線に入って一路北へ。
ほぼ満席の車内に流れる鉄道唱歌メロディー、残雪の山々を望みながら心地よくカーブを曲がっていく様子は、やはりかつての新特急の雰囲気に近いのでしょう。不思議と落ち着く国鉄型特急車両の雰囲気に、ついウトウト……。

---9/17(日)追記--

185系臨時特急「谷川岳もぐら」鉄道唱歌チャイム


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【その2】に続きます。