役割と居場所

2010年11月30日 22時57分11秒 | 日記
上がったり下がったり上がったりで、11月も今日で終わりです。
何気なく過去の記事を見返していると、去年の今日は「オリター本登録の用紙を提出した日」でした。
そういえば来週からいよいよ最後の仕事である引き継ぎが始まります。閣僚みたいに互いの名前を書き合う…ものではないと思います、多分。


今日の2限は「京都学基礎研究」。
3人の方の発表を聞いていましたが、どれもおもしろい視点でした。
先週、自分が発表を終えた後には「それやろうと思ってた!」「自分のやってることと似てる!」という意見も受けたことも事実ですが、それでもみんな独自の方向に進んでいて、そういう意味では礎になれたのかなと思いました。
課せられた役割を果たすことは大変なものの、いちばん大事なことだと感じる今日この頃です。

5限は「京都学特別講義」。
先生から、土曜日の巡検の際に河井寛次郎記念館前で撮ってもらった集合写真が配布されました。
少人数クラスの強みなのか、この講義は本当に至れり尽くせりです。今まで受けたあらゆる京都学の講義の中でかなりのお気に入りの部類に入ります。

そんな特別講義の今日の内容は、近代京都の観光ブームの発祥について。
明治20年代の日本は、大日本帝国憲法発布を中心とした国民国家確立の時期において、地域史を日本史に位置づけることを喫緊の課題としたと言います。
例えば加賀は前田利家、甲斐なら武田信玄といったように、京都は自らを国風文化と安土桃山時代に重ねたそうです。ここに「お国自慢」が興ります。
京都では、国風文化のイメージが平安神宮に具現化され、平安遷都1100年と同じくして行われた内国博覧会では、琵琶湖疏水などの進んだ文明をアピールしました。

他にも日清・日露戦争など、この時代の京都の背景には日本全体の歴史が大きく関係しているため、一見京都学でないようで京都学である内容だったのですが、やはり近代はイメージがつきやすく(平安神宮や疎水など、残っているものが多い)、「京都」というフィールドに特化するならば、いちばん好きな時代です。(『日本』全体ならば幕末がいちばん好き)
そんな時代に帝国大学の書生にでもなってみたかったなと思いを馳せつつ、自分の興味や関心、ひいては今後の研究対象が定まりつつあるような気がした火曜日の夕刻なのでした。


写真は夏休みの撮影分より。
「ここはどこ?」的な写真ですが、蹴上の発電所です。

目には目を

2010年11月29日 20時42分19秒 | 日記
今朝は西大路三条で嵐電の「江ノ電号」に遭遇!
何かいいことがありそうな一週間の幕開けでした。
「根拠は無いけど 本気で思ってるんだ」…そういえば、粉雪の季節が近いですね。


1限英語を受けて、食堂で無意義な雑談に話を咲かせているともうお昼。
あまりにも穏やかな天気だったので、昼休みはディスカバリーを撮りに自転車で大学を抜け出しました。
妙心寺の紅葉はピークを過ぎて今まさに散り盛ん。溝に詰まった紅の葉が何とも美しい絨毯を作っていました。
当初は太秦まで撮影に行こうと思っていたのですが(こう書くと映画関係者みたいですね)、新丸太町通のイチョウ並木がこれまたきれいな黄色だったので、花園駅を見渡せる陸橋でスタンバイ。
そうして撮れたのがトップの写真です。帰りも妙心寺で少し紅葉の撮影をして、実に気持ちの良い昼休みでした。

5限は「教育方法論」。
昨今順位がどうこう言われている「学力」についての内容でした。
配布されたレジュメには学力調査による各国の順位が表になっていたのですが、国名を見ていくと、1位を誇るのはスウェーデン、少し下に我が国日本、そして…香椎?
いつから香椎が独立したんやろう、博多とか折尾に何か言われんかったんかな、と思ってよーく見ると、「香港」でした。

ウソのようなホントの話です。
字が小さいということもあったのですが、目が悪くなっているのを実感した5限でした。
中学の頃から近視気味とは言われてきたのですが、どういうわけか左目だけ視力が悪いのです。(最近では、右目も徐々に悪くなってきているらしい)
普段は裸眼での生活で何ら支障は無く、車に乗る時(結局教習以来乗っていない)や、帰宅時(夜)だけメガネをかけています。
いずれにせよ目は一生付き合っていくもの。ハタチは「目」の前、目を大切にしなければなりませんね…。


写真は花園を通過する特急「タンゴディスカバリー1号」。
カニシーズンに突入したせいか、平日でも6両運転が続いています。

ラストフォール

2010年11月28日 23時08分33秒 | 日記
先々週、お茶のお稽古にて…

「星くん、これあげるわ」
「ええっ!?(マスオ)いいんですか?ありがとうございます!」

そんなやりとりがあったのかなかったのかはご想像にお任せしますが、
幸か不幸か(?)、知恩院のライトアップ特別拝観券(800円!!)を2枚いただきました。

しかーし!一緒に行ってくれる人をそんな簡単に探せない!
1人で2回行くのは切ないな、自分も行きたいから誰かにあげるのはイヤだな…などなど、この2枚をどう使おうかずっと困っていたのですが、
最終日のきょう、ようやく一緒に行ってくれる友達が見つかったので、夕方から知恩院に行ってきました。


四条河原町南東角で集合。
まずはスイパラでおなかいっぱい食べました。ごはん系とスイーツ系を交互に食べるとたくさん食べられます。

それから鴨川を渡って、川端を北へ、白川沿いに知恩院へ…


恥ずかしながら初めての訪問です。
前は何度も通っているのですが、ライトアップ期間最終日ということで賑わっていました。

中へ入って、撮影しながら進んでいきます。










細かい説明は割愛しますが、1時間で全て見て回ることが出来ました。
ライトアップは見事なものの、紅葉は散り始めている木も多く、この土日がまさにラストチャンスという感じでした。

知恩院を出たのが19時10分、友達とは四条京阪で別れて烏丸まで歩き、地下鉄→JRと乗り継いで「龍馬伝」最終回に間に合いました。
付いてきてくれた友達に感謝です。この週末は京都にどっぷり浸かりました。

オトナの遠足 in東山

2010年11月27日 23時31分10秒 | 京都
今日は「京都学特別講義」の巡検(フィールドワーク)!
京都の中でもディープなスポットを周るということで、以前からとても楽しみにしていました。
この巡検を終えての課題は何も無いのですが(笑)、実際に現地で先生から聞いた内容と自分なりの考察をもとにこのブログでレポートしていきます。

13時に京阪の清水五条駅に集合、まずは宮川町へ。
現在でも花街として有名な宮川町ですが、実は多くの建物が「近代」和風建築。
それでも舞妓さんの歩く姿はとても似合います。今日も何人かお見かけしました。


宮川町歌舞練場を裏手から。
近くには大正期からのレストランも健在し、先ほどの近代和風建築と共に先端モダニズム溢れる土地でもあります。

次に晴明塚。
これは字の如く平安期に活躍した陰陽師・安倍晴明を祀ったものですが、古い絵図にいくつか登場するのみで、その存在は晴明神社にかき消されてほとんど知られていないのが現状です。
実は上の歌舞練場のすぐ近くにあるのですが、現在は私有地の駐車場の奥に人知れず佇む様子が確認出来ました。よって写真は撮っていません。


続いて愛宕念仏寺跡。
現在は右京区に移転した同寺が有名ですが、石碑にひっそりとその跡を残しています。

実は京都に生まれ育った私もこの辺りはほとんど歩いたことがありません。
宮川町はともかく、東山地域そのものにあまり縁が無かったせいもありますが、初めての道が多くとても新鮮でした。この感想はきょう一日に亘って抱くこととなります。


そして六道の辻。
この辺りは地名を「轆轤町」と言い、葬送地の鳥辺野へ向けて人々の遺体が通った場所。終いには鳥辺野に運ばずにここで葬ったことから、「髑髏」が転じてこう呼ばれるようになったと言われています。


小野篁でおなじみ、六道珍皇寺に入ります。
京都ではお盆の「六道さん」として有名な、現世と冥界の境となる場所です。
アポ無しだったそうですが、お寺の方に隅々まで解説していただき、特別の特別に(?)秘仏・薬師堂如来も見せていただきました。いいことありました!


予想以上にボリュームたっぷりだった六道さんを後に、一行は六波羅蜜寺を横目に五条通へ向かいます。
途中の道は高低差があり、すぐ近くには京都の大動脈・五条通が走っているという2つの意外性を持ち合わせていました。

その五条通に面して建っているのが若宮八幡宮。
ここは孝明天皇の胞衣塚があり、この授業は近代京都がテーマということで少し説明がありました。
天皇の胞衣塚が分散しているのは、陰陽道が関係しているそうです。


それから五条坂交差点を横切って、河井寛次郎記念館で休憩。
清水寺方面とは違い、こちらは観光客もまばらで落ち着いた雰囲気。
かの馬町空襲を免れた河井寛次郎のかつての邸宅で、登り窯を見学したり、工芸品を眺めたり、思い思いの時間を過ごしました。


記念館から少し南に行くと、時代に取り残されたこんな看板を発見!
恩給制度もそうですが、「京都店」の下、分かりづらいですが七条河原町「電停」と表記されているのがまたそそられます。
市電時代の数少ない語り部。やはりじっくり歩かないと、こういうのは気づきません。


引き続き歩いていると、村井たばこ工場跡を通りました。
つい昨年まで20世紀初期に建てられたレンガ造りの立派な工場が構えられていたそうですが、現在は解体済みでバリケードに覆われています。
国営であったことを示す「大蔵省敷地」の標石が最後の意地を見せるが如く残存しています。


夕暮れ時、豊国神社に辿り着きました。
大きな石垣は当時のものがそのまま残されているとのことです。
ここは国立博物館や三十三間堂が近いことで有名ですが、かつては奈良よりも大きな「京都大仏」が聳えていました。近くの店では昭和30年代まで「大仏餅」が売られていたほどランドマークとして機能していたそうです。
因みに、豊国神社前にぶつかる「正面通」はこの大仏の正面に行き当たることに由来するそうです。恥ずかしながら初めて知りました。


境内にある鐘です。訪れるのは小学5年生の時以来です。
写真では分かりませんが、家康の字をを分割し、豊臣家が栄えるという意の「国家安康 君臣豊楽」という文字が刻まれています。

豊国神社と言えば、隣接する耳塚(鼻塚)も忘れてはいけません。
ここも小5の時以来で、秀吉の朝鮮出兵に伴って建てられました。
周囲の柵に歌舞伎役者の名が刻まれているのは、演目の中に太閤記があることに関係しているそうです。


正面通を直進すると、任天堂の工場が現れました。
今でこそ数々のゲームで人気ですが、元々はここ正面通でトランプやかるたを生産する会社でした。
他、この地区を南北に貫く本町通界隈は鴨川の東側に位置していたため、明暦の大火や蛤御門の変を逃れ、現在でも元禄期の建築が見られるとのことです。

巡検も大詰め、最後は五条楽園。
メインストリートのすぐ脇にあるものの、つい先日に警察の一斉取り締まりが行われたせいか、お茶屋さんには一軒も明かりは見られませんでした。
しかしもと遊郭だった建物にはきれいなステンドグラスや装飾が見られ、片や和風、片や洋風が入り交ざった一種特異な雰囲気が流れていました。


最後は塩小路通を越え、東九条の焼肉屋さんで打ち上げ(?)的なものを。
仲間とワイワイ話しながら、ホルモンやチヂミを久々に食べました。特にタレをつけてレタスに巻く「蒸し豚」は絶品でした。

…京都駅で解散。
終わってみれば、「オトナの遠足」的要素が強かった巡検でした。
また、メインストリートを清水寺へ急ぐ観光客は多かったものの、たった一筋それるだけで全く人気が無く、自分たちが如何に世間からズレているかを実感した巡検でもありました。
しかしながら、今まで関わりの薄かった東山地域をディープなスポットに特化して巡ったことで、個人的にはとても有意義な時間を過ごすことが出来ました。また機会があれば参加したいです!

最後までご覧いただきありがとうございました。

よろしくなーい

2010年11月25日 23時12分21秒 | 日記
最近、帰ってすぐに寝てしまいます。
大体以下のような感じです。

21~22時頃帰宅

「一時的に横になる」という名目の下、本気で寝てしまう

早朝4時頃に目覚める

シャワー

5時頃に二度寝

9時半頃起床、大学へ

何ともよろしくない生活サイクルです。
おまけに、昨日は友達4人で「なんか寒いなぁ」とラウンジでカップ麺を食べてしまいました。生協に山積みにされているので、ついつい買ってしまうんですよ。カップ麺。
自転車ロングラン通学のおかげで体重(55kg)は維持出来ているのですが、食欲の秋に乗じて食べ過ぎている今日この頃です。

今日は4限に「京都学基礎講読」がありました。
週を追うごとに発表のレベルが上がっていくのを実感した1時間半でした。
そこで、果たして自分はアレで良かったのか、という疑問がこの1週間消えることは無かったのですが、
先週発表した際にクラスのみんなが書いてくれたコメントカードを見た時に、少しホッとしました。
自分では発表の出来は基礎講読<基礎研究だったので、けっこう不安だったんですね。
でも、批評の「評」の内容が多かったことを思うと、どうやらそうでもなかったようです。
おそらく冬休みには例年通りまとめのレポートを出さなければならないでしょうから、頂いたご意見は上手く活かしていこうと思います。


写真は久留里で出発を待つキハ38+キハ37+キハ30の普通列車。
初めて訪れてからそろそろ1年経つんですね。と、いうことは…。

因果応報

2010年11月23日 23時59分59秒 | 日記
今朝は輪転機を使うために、少し早めに大学に着きました。
使用許可を得るために9時ちょうどに事務室に入ったところ、
「えー、おはようございます!11月23日、祝日で稼働人員が少ないですが頑張っていきましょう!」
と、文学部事務室の1日が始まる様子を目の当たりにしました。

こちらは無事に輪転機の作業を済ませて、研究室で最後の準備。
ホッチキスでレジュメをまとめたり、あらゆる質問に備えてもう一度調べたり、発表の流れをイメトレしたり…
しかし、奥で友達と実習助手の方が関西私鉄の話をしているのが聞こえたので、借りたホッチキスを返すついでに、
「今度、阪急が淡路~桂ノンストップで6300系の特急を復活させるんですよね!」
と、準備そっちのけで(ぉい)そちらに加わりました。
「関西私鉄はこれ以上『特に急がない』特急を作るな」という話がメインで、京阪間ノンストップ・華やかなりし頃の阪急や京阪の話題で盛り上がりました。

そうこうしているうち、すぐに2限の時間がやって来て教室へ。
本日の発表者は自分ともう一人で、自分は2番目。発表内容は「花園と祝園―イメージと実際の違い―」でした。
京都では花園の他に「園」の付く地名として、真っ先に「祝園」が思い浮かんだということ、字から抱くイメージが似ていることがこのテーマを選んだ理由です。何で祝園を知っているかというと、この趣味をやっているからに他なりません。

最初は「花」と「祝」を広辞苑で引くと(実はあまりよろしくない)イメージが共通しているということを示し、まずは花園の由来について進めていきました。
「花園」という地名の付いた由来は、多くの文献やインターネットには「駅北にある法金剛院には、元々平安前期の公卿である清原夏野の邸宅で、そこに多くの花が植えられていたから」と載せられています。が、それはあくまで一説に過ぎません。
また、双ヶ丘は6世紀頃の秦氏の古墳のはずなのに、平安期の清原夏野の墓とされていることにも触れ、墓所としての花園を紹介しました。

そうすると、同じく駅北にある花園今宮神社の存在が重要となってきます。
この神社は西京極大路と双ヶ丘が接する場所にあり、疫神が入る西の入口として認識されていました。
なんでも、洛中で疫病が流行した時にはここで御霊会(怨霊を鎮める祭礼)が営まれたようで、そのような「オソレの地」としての花園イメージを提案して、「花」という字のイメージからはかけ離れていることを説明しました。

次に祝園ですが、ここは『古事記』『日本書紀』に登場する武埴安彦(たけはにやすひこ)伝承が関係していて、崇神天皇に背いた武埴安彦の軍がこの地で斬り殺され、その死体を「放(はふ)った」、或いは「溢れた」ことから「ハフリソノ」と呼ばれるようになったことが由来とされています。
また、祝園神社の「柞(ははそ)の森」が転じたという説や、古代の下級神職の「祝部(はふりべ)」が関係していること、「祝」の字には不浄を清めるという意味があることにも触れました。

このように、両地名とも「花」や「祝」といった字のイメージからは遠く、ならば共通する字である「園」から見てみよう、ということでまとめに入りました。
ここからが自分の生み出した意見なのですが、「園」は植物が群生している地を表すのではなく、「霊園」などの用例にも見られるように、墓所の集合地、死者の霊を安らかに眠らせる意味合いが強かったのではないかということを提案し、
我々は往々にして法金剛院の存在や「花」という字の固定観念で花園を見てしまいがちなものの、実はその深い歴史や「園」という字にこそマイナスイメージが眠っているのではないか、というところで締めくくりました。

明らかに持ち時間の30分には到達していなかったのですが、先生からは
「すごくおもしろい視点でした!」
「是非これはもっと研究を深めていただきたい!」
などなど、こちらが思っていた以上の反応が返ってきて逆に驚きました。
友達にも「発表良かったよ!」「ああいう見方好き!」など、かなり好評で、今回の発表が概ね成功を収めたことを確信しました。自分でも、今日の発表は聞き手をかなり引き込めたと思います。

5限が終わってからは(6限が休講になった!)、久々に大学の鉄道仲間4人と「おむらはうす」で夕食。
実はここ最近ほぼ毎日昼食がカップラーメンだったので、ちょっと奮発してハヤシオムライスの1.5倍大盛を頼んで、ヲタトークで盛り上がりました。
JR、私鉄、バス…色んなところにフィールドが飛んで、すごくおもしろかったです。

先週、いや準備期間を含めると先月辺りから続いた怒涛の発表地獄、『古都』も終わって「花園」も終わってこれで一段落。
しばらくは肩の力を抜いて、のんびりとやらせていただこうかと思います。


写真は、キハ189系営業初日の「はまかぜ3号」。(三宮センター街から撮影)
またコレに乗りたい!撮りたい!

十全たる準備

2010年11月22日 23時59分59秒 | 日記
雨の月曜日、久々のバス通学。
けっこう飛ばす運転手さんで、大学には思っていたより早く着きました。
8時台は構内まで入ってくれたり、留置中のバスをわりと至近距離で眺められたり、うちの大学はバス好きにはたまらないスポットだと思います。


今日も1限が終わってから研究室に引きこもり。
「京都学基礎研究」の発表レジュメ制作を進めました。
特に語句の意味を聞かれた場合、「回答を差し控える…」なんてことは言えませんから、ひたすら『国史大辞典』を引いて意味を調べていましたが、何でも載っていてスゴいですね!
正直1冊くらい欲しいのですが、あ行だけでも2冊くらいに亘っているので、結局は全冊揃えざるを得ない(そして分厚くて高い)システムであることを今日知りました。わぉ。

後は友達にも見てもらって、一部客観的な判断を仰ぎながら修正作業。
何でこんなにガチなんだと思われそうですが(笑)、発表でどこか不備があるとやり直しをしなければならない(そしてこの科目は単位を取得しないと卒業出来ない→2回生で取得出来なかった場合、4回生まで付きまとう)のでけっこうシビアな話です。
というわけで、先週の「~講読」以上の力を入れて自分なりの意見を生み出して、そこそこ納得いくものに仕上がりました。
この授業のメインテーマ・花園という非常に限られた範囲の中で、発表の順番が早かった(ネタが被らなかった)ことはなかなか幸運だったと思います。あとは30分話せるかどうかですね。

さて、レジュメも出来たところでふと1年前の記事を見返していたのですが、去年の今頃は色々あった!

・「京都学研究入門」のフィールドワークで祗園祭の鉾町にある町家を訪問
・中国語の授業で関口知宏さんの「中国鉄道横断の旅」を毎回観る
・英語の授業で青空教室と称して龍安寺で授業を実施
・裏千家茶道の許状引き継ぎ
・真如堂と鞍馬界隈に紅葉を見に行く

まぁ~、ソロ活動ながら、何とも充実した日々を送っていました。1年前の僕は。
11月も下旬ということで紅葉も深みを増したはずですから、また写真を撮りに市内へ繰り出していきたいところです。


写真は去年の撮影分より、落葉盛んな龍安寺駅に入線する嵐電。
気づけば源氏物語千年紀ラッピングも過去のものに。緑とクリーム色主体の嵐電にとって、黄色はとても新鮮でした。

この月の下で

2010年11月21日 23時50分31秒 | 日記
レジュメ制作ですが、未明に8割方終わらせることが出来ました。
後は大学でしか出来ない作業なので、明日1日フルに使ってやろうと思います。
ところで発表の持ち時間は過去最長(笑)の30分。そんなに話せる自信が無いので、所々で「さて皆さん!コレどう思いますか?」とか、オーディエンスに質問を投げかける工夫もしてみようと思います。
そうです、発表はライブです。ロックに生きようぜ!Hey you!!


昼に起きてからは、いい加減街へ出たくなったので、祖母宅まで小一時間ほど自転車を走らせました。
紅葉シーズン×天気の良い日曜日ということでメインストリートは渋滞の様相。この時期の京都は本当に大変です。観光に来られる場合、日中の市バスは時間が読めないので、JR・地下鉄・阪急・京阪を効果的に組み合わせた移動をオススメします。
もちろん歩道も人が多いので、細い路地を縫ったり京都御苑を突っ切ったり、数々の裏技(笑)を駆使しながら走りました。

向こうでは叔母も合流して何枚か服を買ってもらい、日が暮れてからは帰宅。
行きと同じく京都御苑を突っ切ってみましたが、門の遥か上に浮かぶ満月がとてもキレイでした。
時代祭で誇らしげに太鼓を叩いて通った道も、もちろんいまは誰もいません。また何かやってやろう!と思いを新たに、暗闇の砂利道を烏丸丸太町目指して自転車を走らせました。
また、久々に通った二条通では、神泉苑の紅葉がライトアップされていることに気づきました。紅葉は関係なしに今度じっくりと見てみたいものです。

夜は「龍馬伝」。
大政奉還ということで、そこらじゅう「ええじゃないか」で盛り上がっていましたね。今ああいう騒ぎがあれば、自分も間違いなく加わっていると思います。
そういえば、森見登美彦さんの『太陽の塔』には、四条河原町交差点で「ええじゃないか」騒ぎを起こしたというシーンがあるのを思い出しました。

さて、「龍馬を生かしておいたのは間違いだった」…と西郷が言っていましたが、やはりこのドラマは薩摩を悪役にしているようです。「篤姫」ではあれほど描かれていた小松帯刀との交流があまり描かれていなかったのも、おそらくそのためでしょう。
なので、来週の最終回は定説と言われている見廻組暗殺説を採るものの、おそらくは薩摩の指示があって…という感じになると推測されます。残念なことです。
このように「龍馬伝」は素人目に見ても史実と反している部分が多くあり(『新選組!』から続く黒船のシーンとか)、キャストは良かったのですが、個人的にはガッカリすることの多かった内容でした。
どこまでが史実か、どこからが脚色か、この辺り、なかなか難しいところです。仲間内でもけっこう議論になります。
次回はいよいよ最終回。個人的には、龍馬暗殺後に明治期まで生き延びる周辺人物がどう描かれるのか(洋装とか)が楽しみです。


写真は高知にて、龍馬伝ラッピングの2000系特急「南風」。
定期運用開始から20年。今日も四国の山奥にエンジン音を轟かせます。

好機は目の前に?

2010年11月20日 22時42分55秒 | 日記
自転車で鳥取まで行った夢を見ました。
どうやら夢の中では京都府の隣に鳥取県が位置していて、「おぉ、コレ、自転車で行けんじゃね?」みたいなノリで行って、「はまかぜ2号」(何故か未だにキハ181系)を撮ってまた京都に帰ってきた、という感じの夢でした。
今でもたま~に上牧あたりまで自転車を漕ぎますが、最近は駅から遠い撮影地でも電車で最寄り駅まで行く、といった撮影が多いです。というか、せっかく免許を持っているのだから、そろそろ車に乗らなければなりませんね。


今日は穏やかないい天気でしたね。
それで少し気温が上がったとか、今期の「かにカニはまかぜ」運転初日だとか(それで夢に出たのかな!?)色々といい感じの日だったわけですが、
火曜日にある「京都学基礎研究」の発表準備のために、昼に起きてからは夕方までずっとPCに向かう羽目になりました。
当初は9日とか16日に発表の予定だったのですが、ズレてズレて23日に。でも、一昨日発表した「京都学基礎講読」との兼ね合いを考えると、23日でちょうど良かったのかもしれません。
例によって23日も授業日です。「勤労感謝の日」で先生方も休みたいだろうに、よりによって時間割のキツい火曜日とは…!(泣

そんな感じで、今日は比較的真面目(ぉ)にやっていたのでけっこう進みました。
検証からまとめにかけての部分をどうしようか3日ほど考えていたのですが、どうにかこうにか、ある程度の方向性も見えてきたので頑張れば明日中には仮完成まで持っていけそうな気がします。
なんでも、オリジナリティーを出すのが大事だそうなので、色んな参考文献を当たっても、そこは手を抜かずにやったつもりです。

夕方からはお茶のお稽古。
土曜日のこの時間はマンツーマン状態なのでみっちり集中出来るのですが、今度のお茶会まであまりお稽古の回数が無いことを知って、若干ビビっています。
(社中から参加する人の中で点前の出来る人が少ないので、自分も必然的にお点前をすることになる!)
まぁ、落ち着いて頑張っていこうと思います。ほぼ初めて人前に出るというだけで、お点前が出来ないわけではないので…。

それはそうと、美術館や特別拝観の招待券をどっさりいただきました。
ほとんどは来年まで有効なのですが、そのうちのひとつは期日が迫っていて、おまけに「2枚」あるんですよね。
これは誰か誘わないとおもしろくないので(笑)、然るべき日程と自身の友人関係に基づいて適切にやっていこうと思います。


写真は一昨日の撮影分から、清水寺のライトアップ。
この日も賑わっていましたが、今日はもっと混んでいたのではないでしょうか。

書を捨てて街へ出たい

2010年11月19日 23時59分59秒 | 日記
11月19日、「かにかくに忌」ですね。
最近の「京都地域論」でもよく吉井勇が登場するのですが、文献を読んでいると、彼が本当に祗園の地を愛していたことが窺えます。


今日は2・4限のみ授業の楽な時間割です。
例によって空き時間は研究室と図書館を往復していて、色んな文献を当たってみました。
本を探す時は図書館のPCで色んなキーワードで検索するのですが、改めて大学図書館の蔵書の量に驚きます。閲覧室もそうですが、奥の書庫にはもっと膨大な量の本が眠っていて、今日は自治体の歴史が綴られている「自治体史」のジャンルの本(実際の名前は『~町史』など)も初めて読んでみました。
書庫の奥底って行ってみるとおもしろいんですよね。たまにしか人が入ってこなくて、こんなところで事件が起きたらどうしよう!?というぐらいのスリル感を毎回味わっています。
以下のような流れで書庫に入れるのですが、

受付で書庫に入りたい旨を申請する

学生証を預かってもらう

受付を突っ切って奥の扉へ抜ける

階段を上るor下りる

目的の文献がある書架に辿り着く

ボタンを押して書架を移動させ、目的の文献を見つける

という一連の流れは、まさにRPGそのものです。
特にボタンを押して電動書架を移動させる様子がダンジョンを攻略する様子に似ていて、あのドキドキ感がたまりません。
しかし、図書館で本を探すだけのことをこんなに楽しんでいる大学生もそうそういないでしょう。
そう、最近は、妄想とシュールなネタで人を笑わせて日々を何とか楽しんでいる状態なのです。

帰りは少し早めに、18時頃に帰ってきました。
駐輪場に停めてある自転車の前カゴに落ち葉が乗っていて、秋だなぁと実感しました。
昨日の清水さんでのライトアップはとてもきれいだったので、暇を見つけて鞍馬などにも行ってみたいなと思っています。
あー、早いこと発表を終わらせたい!


写真は梅小路公園脇を行く「スーパーはくと11号」。
まだ11月も中旬で早い話ですが、来年の干支は「卯」ですね。

11月18日を簡単に

2010年11月18日 22時32分02秒 | 日記
・「京都学基礎講読」発表
至って普通に終わりました(^^;

・清水寺
5限が終わってからバスで河原町に移動。
就職活動で来阪されていたよしピーさんと待ち合わせて、ライトアップ中の清水寺を案内させていただきました。
やっぱり久々に行くといいですね。キレイでした。が、おみくじは凶でした…。

笑いを求めて

2010年11月17日 23時11分26秒 | 日記
最近、起床時間がギリギリです。
昨日は9時40分、今日は9時30分で、2日とも出発したのが9時55分。
結局間に合っているからいいのですが(笑)、もう少し心の余裕がほしいです(・∀・)


2限の「京都地域論」は更にフィールドが下がって下木屋町。
ここは特に川端康成や谷崎潤一郎といった近代文学が関係してくるところで、例えば谷崎なら若い頃の『朱雀日記』が主な参考文献となるのですが、
ひとつの文献でこんなにたくさんのフィールドについて記されているということは、彼の滞洛中の行動範囲がそのまま知ることが出来るという点でおもしろいところです。
先週の漱石もそうでしたが、日記というものは残しておくものですね。さりげなく書かれている店の特徴などが業種を(ここでは席貸)を区別する手がかりとなったり、写真技術の発達していない時代だからこその文章での細かい描写が今となっては学びの役に立っているのだから驚きです。
ちょうど「京都学基礎講読」の方で『古都』を扱っているので、この機会に近代文学作品ももっと読んでみたいと思いました。

4限「日本文化の奔流」のゲストは文化勲章を受章された桂文珍師匠!
以前からとても楽しみにしていて、テーマは「落語的学問のすすめ」。
社会人の聴講生の方が多いのを見て、「学生さんばっかりやと思ってたら…前の方は、どないしたんですか?」というところから、とても軽やかに講義が進んでいきました。
そこで起こる笑いの中には皮肉や風刺めいたものが多く、そういうのが好きな自分としてはとてもツボにハマる内容で、終始笑いっぱなしの1時間半でした。
また、イメージの世界に言葉を投げるのが落語であり、「笑育(しょういく)」を提唱されていたことも印象に残りました。
確かに現代の教育の場には笑いが少ないと思います。それが社会の矛盾を生むことに繋がる中で、社会の矛盾を楽しめるような人間になりたいと思いました。

4限後は「京都学基礎講読」発表用レジュメの印刷。
明日の朝から事務室に行って輪転機の使用許可を受けてもいいのですが、木曜日は他専攻の「~基礎講読」が集中しているので、下手をすれば昼頃まで待たされる可能性もあるので、今日済ませておきました。(事実、前期は泣く泣く自費を出し合って印刷した)
ようやく揃ったクラスの人数分のレジュメを眺めて明日のイメージトレーニング。分量はA3の2枚、持ち時間は20分なので、今から練習して明日の本番に備えたいと思います。
それから「京都学基礎研究」の発表準備を始め、帰りにお茶のお稽古に行って帰宅。
やっぱり学業面に限ればリア充です。ふぇ~。


写真は今年8月の下木屋町近辺。
鴨川の東岸からの撮影です。う~ん、妖しくて華やか。

不条理を…生きる?

2010年11月16日 22時10分00秒 | 日記
えー、訪問者数が異常に上昇しております…。
たぶん学祭のことでしょうね。ご覧いただいてありがとうございます。
今日、友達に「ブログの星とリアルの星は全く違う」と言われたので、少しでも自然体に近づくように気をつけます。はい。
…ホントにそうなのかな?良い意味で違うのなら全然いいんだけど。


今日は時間割のキツい火曜日です。
とは言っても、3限の「人文地理学概論」は地理学専攻の先生によるリレー講義で、5限は京大の先生、6限は同志社の先生なので毎回楽しみにしています。
特に、他大学の先生は他大学で授業を受けている雰囲気になれると思います。いや、冗談じゃなくて、立命に居ながら京大と同志社の先生に教わるって、けっこう貴重なことじゃないですか?
何気に「今出川大学ベルト」(←勝手に名付けた)を網羅しています。あー、京大のカフェに行きたい!(笑

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しかしながら、今日は初っ端からすごくイヤな気分になりました。
あまり書きたくないのですが、自分の中で「この日にこういうことがあった」と後から分かるようにしておきたいだけです。

…大学の先生ってああいうものなんでしょうかね?
何かを調べてきて発表した人に「低レベル」「こんなん小学生でも出来る」と言って怒鳴り散らす。
最初から喧嘩腰で学生を見下したような対応で、机を叩いてヒステリックに怒鳴り散らすあなたにも少なからず原因があるのでは?
授業や教育の場である程度の不条理が生じることは分かっています。もちろん学生側にも非があるのは重々承知ですが、当初の約束だけは守っていただきたい。

その後の別の授業でも、30分ほど遅れて入室した学生2人に、先生が「帰れ」と言っている光景を見ました。(結局帰ってしまった)
確かに遅れた学生も悪いが、学生にも授業を受ける権利がある。
少なくとも、その学生は遅れても授業を受けようと思って来たのだろう。
善と悪って何だろう。そもそも、こういうこと、善悪で測れるの?

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写真は梅小路公園の黒猫。
猫は猫の世界で、きっと大変なんだろな。

ソウルを込めて

2010年11月15日 23時59分59秒 | 日記
11月15日、近江屋事件の日。
そして坂本龍馬の誕生日であり命日である今日は、お墓のある霊山護国神社の龍馬祭に行きたかったのですが…。
レジュメ制作に時間をとられ、結局ずっと大学に居ました。


今日の3限は「日本文化史」の中間試験。
問題は事前に提示されていたので、「仏教の日本伝来の過程と意義について」という文章を予め作っておきました。
先生曰く「落とすためではなく、勉強してもらうための試験」だそうで、授業のレジュメの他にも自分で色々と調べたことで、先生の思惑通り(?)いい勉強になったと思います。確かに、試験でもない限り勉強しそうにないテーマですから…。
調べたところによると、現代では無宗教とする人の中にも仏教は深く入り込んでいるのだそうです。うん、確かに何となく分かる。

で、少し時間が前後しますが、2限から授業の無い時間はずっと研究室でレジュメを制作していました。
やはり家よりも大学でやる方が捗ります。事実この週末はPCに向き合っていても大して進んでおらず(ぉい)、豊富な参考文献がすぐ手に入る研究室での進み具合は我ながら驚きです。
最後の1ページに辿り着くまでの流れを作るのが大変だったのですが、持論を必死にたぐり寄せて(笑)、5限の始まる前には何とか仮完成まで持ってくることが出来ました!

5限「教育方法論」を受けた後は、印刷したものの校正作業。
文章表現を統一したり、「てにをは」を直したり、特に好きではないのですが、どことなく高校時代の新聞部を彷彿とさせる作業です。
そんなこんなで、当初の予定よりは若干軌道修正することにはなりましたが、自分でもそこそこ説得力のあるレジュメに仕上がったと思います。
明日は時間がとれませんが、明後日には輪転機にかけて晴れて発表用レジュメとして完成する予定です。ふぅー。
ゆっくりもしていられず、次は「基礎研究」の方です。残された時間は1週間…。


写真は肥薩線中福良~表木山にて、特急「はやとの風」。
薩摩もれっきとした龍馬ゆかりの地。しかし「龍馬伝」ではあまり描かれていなかったのが残念です。