湖北の煙絶えることなく

2014年07月30日 14時46分51秒 | 旅行記
日曜日は友人と「SL北びわこ号」に乗ってきました。


行きは少しひねって近江八幡から近江鉄道経由で。途中、八日市駅でとある切符を仕入れます。
前回乗った記憶がいつなのか曖昧ですが、今でも黄色の電車がトコトコ走っていて安心。最近はカラーバリエーションも増えつつあるようで、いつかは近江鉄道メインで訪問したいものです。


彦根では引退迫る220形にも遭遇。既に動いている気配はありませんでした。

米原では駅前の平和堂で昼食を済ませた後、JR線に乗り換えます。


家族連れで賑わう米原駅ホームにC56 160号機が青い12系客車を従えて堂々入線。見るのも乗るのも実に10数年ぶりです。
停車時間は僅か、何枚かを収めてから急いで乗り込みます。

さて、本日の移動はおなじみ「青春18きっぷ」を利用していますが、八日市駅で別に仕入れた切符がコチラ。


八日市から米原連絡、北陸線経由敦賀までの準常備式片道乗車券です。
硬券でのSL列車乗車を楽しもうという自己満足(?)ですが、増税後の近江鉄道の硬券は社線内が運賃変更印で対応、連絡券については新券が刷られているようで、この切符もNo.0018の若番となっていました。
「北びわこ」に乗るならば木ノ本まででも良いのですが、準片の場合は発券時に着駅以下を切り落としてしまうため、最下段の敦賀までを購入。駅員さんには収集目的と思われたらしく、入鋏するか否かを訊かれましたが、少なくとも米原までは実使用なのでハサミを入れてもらいます。駅ごとに違う切り込みの形もまた楽しみの一つです。


客車は原型の12系。綺麗に整備され、車内メロディの「ハイケンスのセレナーデ」も健在。
夏休み中の家族連れが多く、乗車率も1ボックスに1グループ程度、実にのんびりとしています。


沿線にたなびく煙。SLに乗っていることを感じさせる景色の一つですが、発車時の引き出しは極めてスムーズで乗り心地も良好でした。
鉄道のまち・米原を発ち、進行方向右手には伊吹山、左手には琵琶湖と、湖北の、そして日本の原風景が続きます。沿線には撮影者の他に夏休み中の子どもたちの姿も多く見られ、素敵な夏休みの絵日記の1ページとなったことでしょう。


米原から約45分、あっという間に木ノ本に到着。
ホームは一部嵩上げされていますが、木造の上屋が残っていて往時を偲ばせます。


反対側のホームではすっきりと編成を収めることが出来ました。


(米原駅で撮影)


「ポニー」の愛称で知られるC56ですが、離れてみるとそのスマートな軽快さが目立ち、近付いてみるとSLらしい重厚さが伝わってきます。

木ノ本から先の予定は白紙だったのですが、返却回送を撮影すべく普通列車で一駅戻り、高月で下車。


駅近くのストレートで返却回送を撮影しました。
EF65と12系客車、色は違えども綺麗に帯が連なっているところに組み合わせの美しさを感じます。

高月からは再び北上、近江塩津で乗り換えた後、新疋田で降りました。


これまで何度も通っていながら、下車するのは初めてのこと。
返却回送が上手く撮れたことに気をよくして(?)、望遠レンズを用いてしばし撮影に興じます。






車両は新しくなりましたが、長編成の特急や貨物が頻繁に行き交い、その合間を縫って普通列車が発着する様子はまさに「幹線の小駅」の雰囲気たっぷり。今の旬はやはり「トワイライト」でしょうが、来春の北陸新幹線金沢開業でサンダーバードにも小変化が見られる可能性はありますから、これらの記録もいずれ有用となりましょう。

1時間ほどの滞在の後は、敦賀に出てヨーロッパ軒で夕食。


折り返しの新快速で帰路につきました。米原回りだったので湖西線は結局乗らずじまい。
これは次回の課題としましょうか。

前期の終りとハードボイルド・キャンパスライフ

2014年07月25日 04時56分09秒 | 日記
学業も仕事も一段落し、無事に夏休みを迎えることが出来ました。
24日(木)は祇園祭後祭の山鉾巡行も49年ぶりに復活。なかでも目玉となった大船鉾の再来は、かつて祇園祭をはじめた「町衆」の力の再来でもあったように思います。本来の姿を取り戻した祇園祭ですが、来年には四条通が2車線化されるということで、また違った表情を見せてくれるでしょう。

今年も前祭の巡行で船鉾の曳き手をお手伝いさせてもらったのですが、巡行最後尾のために待たされる機会が多かったぶん、普段は立ち止まることの出来ない大通りの真ん中からの景色を楽しむことが出来ました。
特にビル群に挟まれた四条通、前方には僅かに東山が見え、その緑と対比するように山鉾が連なる様子は何度経験しても圧巻の一言。また、船鉾が通ったそばから信号の復旧作業(毎年この巡行があるために折り畳み式になっている)が速やかに始まり、非日常と日常の狭間に居ることが実感出来たのも貴重でした。

しかし、今年も参加出来たのは嬉しかったのですが、もし鉾町に生まれ育っていたら、京都のことは嫌いになって東京かどこかの大学に進学していたのでは、という疑念は拭えません。鉾町に限らず、何かしらの職人の家族や伝統芸能の家元だったとしても同じことが言えるでしょう。将来的にいずれ戻ってくる可能性は否めませんが(だったらそれでいいじゃないか、とも思う)、少なくともこの20代前半の時分ではまだ地元京都に目を向けていないと思います。
同じ京都の内側でも周縁に居たい。世俗的なイメージの所謂「京都らしい」ところのど真ん中にどっぷり浸かりたくはないのだと、自分と「京都(この定義はまだまだブレるであろう)」の一定の距離感を認識した一日でもありました。

そんな京都のことを考えるうえで、一度お会いしたかった某先生の授業を受ける機会がついに巡ってきました。
受講生は私を含めて僅かに3人。授業後恒例の食事会や突発のフィールドワークが設けられ、そこでいろいろなことをお話する機会があったのですが、共通するキーワードは「文化とは何か」、そして「京都とは何か」。
自分の過去数年間やってきたことについて考えさせられることが多かったひとときでした。

そのなかで感じたのは、誠におこがましい限りですが、「外」からやって来て「内」の目線に近付こうとしている(立場上、近付かなければならない)先生と、「内」に生まれ育って「外」の目線に近付こうとしている(これもまた、立場上近付かなければならない)自分は、ある意味で対照的な立場にあるのだということ。
私の場合は、京都に生まれ育っているからこそ、その違和感に気付けない(気付くのが鈍い)ことが多く、前々から他府県の友人に「京都のこういうところが特異だね」と言われても、正直なところ「そんなこと当たり前やないの、この人今更何を言うてはんねやろ」と内心思っていたのですが、京都人としてのスタイルは正しくても、それでは疑問は生まれない。
そのスタイルが染み付いてしまったばかりに(悪いこととは思っていないが)、歴史や地理や伝統工芸を好きになって興味知識関心を深めたとしても、何を研究すればいいのか分からない。つまり、何か疑問を持つという外の人の視点に立てず、愛しているあまり、批判的になれないのです。
たとえば、歴史学などは(私の感触では)いわゆる京都のイメージを「批判」する傾向が顕著で、学部2回生の終わりにゼミを選ぶ時、当時いらっしゃった先生に「君は京都を愛しているからね、うちには来ない方がいいよ」と言われたのは今も忘れられないことです。

ではどうすればよいのか。その時は半ば成り行きで、それまでほとんど縁のなかった文学の領域に進み、今もそこに何とか腰を据えているわけですが、それがある意味「逃げた」結果であることはつい最近まで気付く由もありませんでした。そういう言い方はよくないのですが、正直なところ、そう言わざるを得ません。
私の研究対象ではありませんが、つい最近になって恋文が発見された川端康成の『古都』なんかは、お客様目線で実に気持ちよく京都のことをきれいに描いています。その清澄さが私にとっては不気味さであることもまた事実ですが、文学作品に描かれる京都のすがた、これなら内外の目線関係なくやれそうだと、むしろ歴史や地理などの「内」を知っている分、様々な面において敏感になれるということで、一時フェードアウトしていた時もあったものの、いま再び、文学的アプローチから京都を見ていきたいとの思いを新たにしているところです。

この一年ほどで、オーソドクスな研究の手法は身につけることが出来ました。
あとは如何にして独自色を出すか。その時に大事になるのが、過去数年間で積み上げてきたもの、そして、誰もやらないようなことをやる、ちょっとひねくれた京都人らしさなのでしょう。

続・京阪13021F

2014年07月10日 12時44分00秒 | 鉄道関係
先月10日も遭遇した京阪13021Fですが、先日も乗車の機会を得ましたので改めて。
今回は出町で折り返しの合間にゆっくり撮影することが出来ました。


3000系譲りのマスク。
テールライトの配置などが当初は奇抜に思えましたが、ツリ目ライトの車両が氾濫した現在では幾らかまともに見えます。(笑)


先輩の3000系と。
並びをきれいに撮るには他の駅へ行った方が良さそうですね。


側面LED表示も鮮やかです。
機器は新しくなっても、窓配置などのコンセプト自体は6000系より続く京阪通勤車のそれを忠実に踏襲していて、どこか好感が持てます。(笑)


遅い時間だったので車内も撮影することが出来ました。
旧型の2200~2600系と比べればまさに雲泥の差。オシャレになったものです。
まだ新車独特の匂いがするわけですが、これは日が経つのを待つしかないですね。


淀屋橋へ向けて折り返し発車。
対岸の阪急電車では1300系が、北大阪急行では9000系が登場するなど、今年は関西私鉄の世代交代が目白押しの一年です。

貴船神社水まつり

2014年07月07日 23時33分39秒 | 京都
7月7日、七夕。
招待券を頂いていたので、用事を終えた午後から貴船神社の水まつりに行ってきました。実に3年ぶりとなります。


貴船はこの6月から9月の間に一年の仕事が集中しているそうで、今がまさに繁忙期。
駅から神社までをピストン運行するシャトルバスからは多くの観光客の姿が見えました。


「川床(かわどこ)」も、前日の雨で水量が増えていたものの、普段通り営業中。
ただ、市内より幾らか気温が低いので、羽織るものが必要そうですね。

さて、肝心のお茶席ですが、本席・副席ともに開始の直後に到着してしまったらしく、いずれも40分ほど待つことに。
しかし会場は料亭なので待ち時間も苦ではなく、おかげで会記(そのお茶会に用いるお道具のリスト)をじっくりと拝見することが出来ました。

そうして案内されたのは最後のお席。
お茶はもちろんのこと、七夕にちなんだお菓子やお道具を楽しむことが出来ました。
京都は春(桜が散って)から夏(山鉾巡行まで)の間に様々な季節を隠し持っていますが、この七夕もまさにそうで、こうした季節の移ろいに敏感になれることに、やはり茶道を嗜んでいて良かったと強く思うのであります。

帰りは真っ直ぐ……というわけにはいかず(笑)、せっかくなので叡電を撮影。




幸運にも「きらら」「こもれび」と、鞍馬線の二大スターを収めることが出来ました。


帰りは鞍馬からやって来た京都バス52系統に乗車。


二ノ瀬界隈の狭隘区間を味わいながらの帰宅となりました。
当初は閑散としていた車内も市原からは停留所ごとに乗客が増え、国際会館駅到着時はほぼ満席状態。時間2本といった本数からも、なかなか好調のようです。

京阪2221F

2014年07月03日 20時11分00秒 | 日記
7月に入り、祇園祭が始まりました。
ようやく身の回りの諸々が一段落して(しかしもうじき期末なのですが)、少し余裕が出てきたところです。

さて、4月から京阪電車を利用するようになって以来、バリエーション豊かな通勤車両との出会いが楽しみとなっています。
運用は敢えて調べていないので記録の面では非効率的ですが、偶然の出会いもまた良いものです。
今日は2221Fに遭遇、乗車することが出来ました。


出町柳方の先頭車2221。一見、何の変哲もない2200系ですが……


淀屋橋方の先頭車2270は2400系の顔、つまり前後で表情が異なる編成となっています。
同様の例は6000系や7000系でも見られますが、あちらは編入であるのに対し、こちらは事故復旧で扉を2400系のものに取り替えたという経緯があります。


【参考】2400系2453F
そのため、純正2400系とは栓受けの有無やヘッドマーク掛けの位置などの点で異なっています。


中間には元先頭車が挟まるなど、およそ50年にわたって京阪間を駆け抜けてきた歴史のなかで「異端」と化した同編成ですが、近年、同系列で設置が進む新型ATS(2453Fの助士席窓下の箱がそれです)は見られません。
新型13000系が増えていくにつれ、今後の去就が気になる編成でもあります。