さよなら北陸本線【その2・今庄燧ヶ城址】

2024年03月24日 11時31分33秒 | 鉄道関係
【その1】の続きです。

燧ヶ城址に登り、麓で買っておいた缶コーヒーで一服。
望遠レンズを取り出して、今庄宿を行く列車を撮影します。

最初にやって来たのは、上り敦賀行きの普通列車。


湯尾トンネルを抜けた列車がスピードを落とし、ゆっくりと今庄駅構内に滑り込みます。


停車時間も束の間、いまは保線車両の基地となっているSL時代の設備を横目に敦賀を目指します。
新会社に移る521系は新たなカラーリングが施されるようで、419系時代から続く青帯もこの区間ではいずれ見納めになるものと思われます(JRに残留する編成はそのままだと思いますが)。

続行して上り「しらさぎ」が通過します。




街道と線路の距離感はこの通り。
中央の近代建築は旧昭和会館(今庄地区公民館今庄分館)。1930年に今庄の篤志家・田中和吉によって建てられた地域のシンボルです。

さらに続いて上り「サンダーバード」が湯尾トンネルから顔を出します。


壁のように立ちはだかる越前の山々を抜け、一路関西へ。

今回の越前行もあって、最近、福井ゆかりの作家・水上勉の文章を読み返していたのですが、『日本紀行』(1975年)の「越前大滝」について述べた文章のなかに、以下の一節がありました。

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 味真野は、謡曲「花筐」にも出てくるのどかな山里である。ここから月尾谷をこえて、上池田の村を訪れると、もう岐阜県境に近い。山また山の奥に、ぽっかり穴があいたような谷間がある。福井市を流れる足羽川の上流だから、越路の山の奥の院だろう。

  み雪ふるこしの大山すぎゆきて
   いづれの日にかわが里をみん

 万葉の歌だが、都をはなれて、北辺の地に赴任していった昔の官吏が、敦賀の北に壁のように立ちはだかる南条の山々をみて、流恨の嘆きを託したものと思われる。味真野は、大山を越前側へ越えたとば口に近い。

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「味真野」とは、現在の越前市、北陸新幹線の新駅・越前たけふ駅にも近い地区ですから、まさしくこの山が立ちはだかる方向に当たります。
交通の便では随分と便利になった関西と嶺北の行き来ですが、実際にこうして「こしの大山」を前にすると、昔日の人々が感じていた「隔絶」が偲ばれます。

下り方面は普通列車がやって来たかと思えば、今庄駅に長く停車しています。
列車運行情報を見ると「サンダーバード」が後ろから接近中。退避のための停車でした。


最長の12両編成が通過します。
経営分離後の旅客列車は最長でも4両編成でしょうか。願わくばここで寝台特急を撮ってみたかったですね。

大阪寄り3両は旧塗装の編成でした。


リニューアルが開始されて9年近く。
見納めになると思われた旧塗装の編成は(付属編成のみですが)意外にも敦賀延伸まで生き残ることになりました。
右側に見えるトンネル坑口は旧線時代のもの。単線かつ非電化時代なので現在線と比較すると小ぶりですが、現在は道路に転用されています。

最後に「サンダーバード」を退避した普通列車を撮影して下山します。
経営分離後はこうした退避もなくなりますから、普通列車でも相当なスピードアップとなるようです。


旧昭和会館周辺をクローズアップ。


今庄宿を後にして。
【その1】でも触れた「矩折」がよく分かります。

駅前に下りてきました。


駅名標は「JR」部分に目張りがされ、新会社への移行準備がされています。
もっとも、これは駅の外側、駐車場を向いていますから、列車内の乗客が直接見ることはない面。
奥の駅名標は車内から見える面で、妙に綺麗ですが、これは丸ごと剥がすと下から3セク仕様の駅名標が出てくるのでしょう。今回の越前行では、こうした措置をこの先至るところで目にすることとなりました。

【その3】へ続く

さよなら北陸本線【その1・今庄】

2024年03月23日 19時15分26秒 | 鉄道関係
3月16日のダイヤ改正に伴い、北陸新幹線が敦賀まで延伸。
それに伴う並行在来線の経営分離はもはや新幹線開業時の恒例行事ですが、いよいよ「北陸本線」は米原から敦賀までとなり、大幅に区間が短縮されます。
京都からは比較的近いこともあり、今までにも「サンダーバード」で何度も通ったエリアですが、やはり最後にもう一度、ということで、嶺北地域の「北陸本線」を訪ねてきました。

3月7日(木)の出来事です。

行きは「サンダーバード3号」で北上しようと思っていたところ、春休みのせいか窓側がほぼ満席。
仕方なく4分後の新幹線で米原へ行き「しらさぎ51号」に乗り換えるルートを選びました。これでも目的地には同じ普通列車に接続することになります。


「しらさぎ51号」は米原始発。15分ほど前に入線してきました。


ダイヤ改正後も米原には来ますが、全便が敦賀止まりとなり、金沢行きは見納め。
名古屋発着は引き続き残りますが、米原を起終点とする便は「超」がつくほどの短距離特急となってしまいます。とは言え、この区間は特急を除けば新快速という名の各駅停車があるだけ、時間帯によっては近江塩津で乗り換えが必要ですから、特急の存続は当然と言えましょう。


新幹線との乗継割引と、北陸本線の自由席特急券の組み合わせもダイヤ改正で見納めとなります。
さらに背面テーブルには全車指定席化を告げる案内も貼られており、この敦賀開業が在来線特急にとっても大きな変化であることを示しています。


車内に入って驚いたのは、座席の枕カバーが以前の布製から合成皮革素材(?)に変更されていたこと。
一昨年頃からJR九州で導入され、西日本でも北近畿系統の特急では既に見られるようですが、このたび北陸特急においても導入されたようです。
短距離化に合わせて交換の手間とコストを削減したのかもしれませんが、どうも安っぽい印象は拭えません。

当初は空いていた車内でしたが、名古屋方面からの新幹線が着くと窓側の座席は8割方埋まり、新幹線連絡特急らしい様相に。
ノートPCを開けるビジネスマンや、大きな荷物を抱えた帰省客にインバウンドの外国人観光客など、意外にも乗り納めのファンの姿は少なめです。それでも特急の区間短縮は新幹線開業が近付くにつれて多くの人の知るところとなったのか、一見ファンではなさそうな人も「金沢」表示をスマホのカメラに収める姿も散見されました。

走り出した列車は湖北を一路嶺南へ、途中長浜で小休止を挟みながら、余呉湖のほとりを軽やかに駆けていきます。
トンネルを抜けると近江塩津、湖西線の高架を走る普通列車を一瞥すると、またトンネルを抜け、もうすぐ本格稼働を迎える新幹線基地を横目に敦賀駅に滑りこみました。所要時間にしてわずか30分程度、新幹線開業後はここが終点となるわけですが、乗り換えによる時間短縮を便利と捉えるか、手間がかかると捉えるか、目的地によっても評価が変わるところでしょう。


カラフルな特急の乗車位置案内を見ると、北陸に来たことを実感します。
新幹線開業後の特急列車は高架下の専用ホームに収まりますから、これらの表示も新幹線開業に合わせて撤去されるのでしょう。

敦賀では、向かい側のホームに停車中の普通列車に乗り換えました。
あまりにガラ空きなので拍子抜けしていたら、発車の少し前に、先ほど近江塩津で見かけた普通列車が到着。多くの乗客が我先にとダッシュで乗り換え(18きっぷシーズンの風物詩でしょうが、見苦しいことこの上ありません)、通勤電車のような混雑となりました。あと少しで18きっぷでは特例を除いて北陸本線の敦賀から先には乗れなくなりますから、私と同じように「乗り納め」の向きが多いのでしょう。


混雑も少しの辛抱、ふた駅目の今庄で下車しました。
米原や敦賀は多少温暖であったのが、北陸トンネルを抜けるとやはり肌寒く、嶺北に来たことを実感します。


そんな今庄と言えば、時折列車もストップする豪雪地帯。それに備えてか「JR」マークを掲げた除雪車が待機していました。
これもあと少しでロゴを消されるのか……と思っていたら、帰りにはなんと解体作業が始まっていました。おそらく除雪気動車(キヤ143)に置き換えられるのでしょうね。


跨線橋を上ると、新幹線開業を告げるポスターがお出迎え。


前回訪問時は確か10年ほど前、当時は委託の窓口が営業していました。
「サンダーバード」の手書きの指定席券を発行してもらった覚えがあります。


出入口には発車標(?)が掲げられています。
かつては到着列車ごとに駅員さんが並べ替えていたのかもしれません。北海道あたりでは今でも現役ですね。

駅舎全景。


窓口こそ無人になりましたが、観光案内所が併設されていて、人の気配はあります。
待合室も暖房完備、お手洗いも綺麗になっていて、新幹線開業でやって来る観光客を迎える準備は万全のように見えました。

今庄はかつて北国街道の宿場として栄えた町で、いまも街並みにその面影を残しています。


駅から少し歩くと、素晴らしい分岐に出会えました。
右が歩いてきた道(駅からの道)、左が旧北国街道です。北国街道のこの見通しの悪さは「矩折(かねおり)」と呼ばれ、宿場を整備する際に防御も兼ねて考えられたそう。




街道筋のほうでは、約1kmにわたって宿場の街並みが広がります。
列車は1時間おきですから、その間に歩くのにちょうどよい規模の街並みです。今でも現役の商家もあり、火災の延焼を防ぐ「うだつ」が目立つのが特徴。
そのなかでも、古い街並みを生かしながら新陳代謝が起こっているようで、空き家を活用したお店が今まさに開業の準備中でした。こちらのお店のようです。

時がゆっくりと 築90年の古民家利用のコーヒー専門店 今庄宿に完成


そのお店の向かいにあるのが、新羅神社。


その名の通り、新羅からの渡来民がこの地を開発したようで(このページが詳しいです)、新羅→今城(いまき・いまじょう)→今庄という地名の変遷は納得させられるところがあります。この後訪れた武生でも「叔羅(しくら)」という場所を通り過ぎましたから、この越前が古くから渡来民と関わりながら発展してきたことは間違いないでしょう。

神社にお参りを済ませてから、


愛宕山を登ります。
「源平古戦場」の石碑が示す通り、木曽義仲と平家の戦いの折に燧ヶ城(ひうちがじょう)が築城され、その後一向一揆勢が織田信長に敗れるまで山城として存在していたそうです。山じたいは標高267mとそれほど高くありませんが、由来が由来だけに傾斜がきつく、なかなか良い運動になりました。


いかにも城址らしい石垣の並びを抜けると、


頂上に着きました。




今庄宿が一望できる燧ヶ城址から、本日の撮影を始めます。

【その2】へ続く

早春の伯備線を撮る【その3・方谷】

2024年03月03日 11時49分52秒 | 鉄道関係
【その2】の続きです。

美袋駅を出た列車は、隣の備中広瀬駅までの間に総社市と高梁市の境を跨ぎます。
当初、美袋の撮影地から備中広瀬まで何とか線路の対岸を歩けないものかと調べていたのですが、撮影地からは山道を延々と迂回するか、線路沿いの国道(歩道なし、交通量多)を歩くしか方法はなさそうで、断念しました。
列車は備中高梁で「やくも13号」に追い越され、次の木野山で「やくも16号」と行き違い。その次の方谷で下車。


こちらは以前友人と訪れたことがあるのですが、それも高校時代ですから、実に10数年ぶり。
岡山で待ち合わせて急行「つやま」を撮り、伯備線で北上。ここ方谷と布原に寄り道をし、最終の芸備線を備後落合で乗り継いで三次に宿泊。翌朝は三江線で江津に出て山陰方面へ……という行程でした。今はもう芸備線の最終は備後落合での接続がなく、三江線も廃止されていますから、辿ることが不可能になってしまいました。
当時の伯備線は、381系の「ゆったり」改造前で、「スーパーやくも」が「やくも」に統一されたことで「緑やくも」が増殖中。普通列車は115系ばかりで、213系も未更新車。貨物列車にもコキ71が繋がれていた頃です。

ホーム端の地下通路を通って、駅舎へ向かいます。


前回訪問時とほとんど変わらない佇まいで迎えてくれました。


目立つ変化は、ICカード処理機が設けられたくらい。
駅名標もそのままですが、かつてはホームに置かれていたものでしょうか。


窓口も塞がれず、現役当時の雰囲気のまま。
前回訪問時は簡易委託駅で、窓口の方とお話した覚えがあります。今ならきっと何かしらの切符を購入していたことでしょう。


駅舎を出たところに、駅名の由来となった山田方谷生誕地の案内板がありました。
近年は山田方谷を大河ドラマの主人公に推す動きもあるようで、もし実現すれば、幕末期を最初から最後まで、ときに中枢にも関わりながら見届けた人物ですから、題材としてはおもしろそうです。


振り返って、駅舎全景。
伯備線内では美袋駅と並ぶ素晴らしい木造駅舎です。ちょうど西日が柔らかく当たる絶好のタイミング。


特徴的な車寄せのコンクリート柱。
これも郷土の偉人の名を由来とする駅の「威厳」でしょうか。開業が昭和3(1928)年ですから、それこそ山田方谷(1877年没)をリアルタイムで知る人もこの駅舎の開業に立ち会ったのでしょう。その感慨やいかに。


ちなみに、駅舎内は入れるようになっていました(時間・日時限定)。
出札をしていた当時の設備はありませんが、天井の高さや出札・荷物窓口高さなど、往時の雰囲気は十分味わえます。


駅舎を出てすぐ横にある、山田方谷の「長瀬塾」跡を示す石碑。
ちょうど現在の駅が塾跡となるようで、かの河合継之助もここを訪れたことがあるのだとか。


駅前の風景。
商店があり、前回訪問時はここでパンを買った覚えがあります。現在では閉業されているようで、せっかくなので自販機で飲み物を買いました。

さて、駅舎を一通り見たところで、撮影地に向かいます。

例によって対岸の国道には歩道がないので、駅横から旧道というか廃道を歩きます。
普段はほとんど通行がないのか、足元は石がゴロゴロ、枯れ草も茂ったままで、夏場だと虫が鬱陶しいかもしれません。


道中で見つけた「岡山県」の境界杭。
「県」が「縣」ではないですが、字体がなんとなく古そうです。

前回訪問時はこの辺りから河原に降りて撮影していましたが、今回はそのまま10分ほど歩いて南下。
しばらくすると、川沿いの小さな集落に辿り着きました。


国道からは橋を介して繋がっています。
橋の上から方谷駅方面を見ると、もうすぐ影が線路に掛かりそう。ここからは時間との勝負です。


撮り方を色々と考えているうちに「やくも15号」が通過。
偶然にも? 車両と欄干の色が揃っています。


後追い。
美袋の撮影地もそうでしたが、山と川に挟まれたわずかな平場を列車が走る、これぞ思い描いていた伯備線的情景です。
機会があれば「サンライズ」も撮ってみたいですが、Wet上でほとんど作例を見ないあたり、早朝は日が当たらないのでしょう。

この時間帯の「やくも」は方谷で交換しますから、急いで橋を渡ります。


「緑やくも」で運用される「やくも18号」です。
先ほどの川沿いと迷っていたのですが、天気が良かったので線路際で。4連がカーブにちょうど収まりました。


ロゴマークもバッチリ再現されています。
「スーパー」なき後、「ゆったり」で統一されるまで、ノーマルの「やくも」といえばこの色。
出雲市→米子で走っていた「通勤ライナー」ではロザが開放されていて、わざわざ乗りに行ったこともありました。

駅に戻って、列車を待ちます。


やって来たのは、またもや213系。
先ほど乗車した列車の折り返しです。

岡山行きなのでこのまま乗っていてもよかったのですが、今度は備中高梁で途中下車。


市の中心駅かつ特急停車駅らしく以前は窓口も営業していましたが、いまは券売機に置き換えられ、改札窓口も閉鎖。
周辺の無人駅の巡回サポートをするようになったので、実質的な無人駅となってしまいました。
この日は備中川面駅に駅員さんの姿が見えたので、巡回していることは確かなのでしょう。それにしても、と思うところはありますが、


駅を出るとすぐに高梁市図書館・蔦屋書店・観光案内所が併設されていて、こちらには人気があります。
蔦屋書店にはスタバがあるので、ここで小休憩。実は昼食を逃していたので、助かりました。

帰りの列車を調べたり、写真を整理したりして、「やくも20号」で高梁を後にします。


朝に撮影した「スーパーやくも」塗装がやって来ました。


ここまで沿線撮影ばかりでしたから、たまには駅でじっくり撮りたかったのです。
車体に大きく書かれた「SUPER YAKUMO」の愛称は、憧れのスーパー特急の証。工夫を凝らしたロゴマークばかりの現在にあって、シンプルな文字列が却って新鮮に映ります。

今回選んだのは、先頭車の11番列。


配管の関係で窓際のA・D席はなく、1人掛けの座席となっています。
高梁からはチケットレスで500円、短距離の乗車なので今回はここを選んでみました。
通路側なので外の景色はあまり楽しめませんが、一日歩き回ったので寝てしまい、気付くと岡山到着を告げる鉄道唱歌チャイムが。


降りてから、じっくりと撮影します。
愛称幕の「スーパー」がスピード感あふれる字体でカッコいいですね。
カラーリングも国鉄色から大きく変化しましたが、「ヒゲ」がアレンジされて取り込まれているのが好みです。


側面のLED行先表示は、現役当時にはなかった組み合わせ。


パノラマグリーン車側。
サロ譲りの大窓が特徴的です。もうこうした改造車もなかなか出てこないのでしょうね。


「スーパー雷鳥」「スーパーくろしお」など、西日本のスーパー特急でおなじみだったパノラマグリーン車も、この「やくも」が最後となってしまいました。
増解結における汎用性の観点からか、このところの新型車両は貫通型ばかりで、前面展望はむしろ普通列車のほうがよく見渡せます。代わりに(?)273系ではフルフラットにできるグループ席が設けられるようで、そちらも楽しみですね。


4月からの273系投入に伴い、このパノラマグリーン車はいち早く引退するようで、直接目にするのはこれがおそらく最後の機会。
最後に「スーパーやくも」として撮影することができて、ひとまず悔いはありません。381系じたいはもうしばらく残るようで、いつかの再会に期待です。

早春の伯備線を撮る【その2・美袋】

2024年02月17日 14時50分53秒 | 鉄道関係
【その1】の続きです。

豪渓から227系に乗車し、ふた駅目。
今度は美袋(みなぎ)で下車しました。




最新鋭の電車(2023年製)から降り立ったのは、大正14(1925)年築の木造駅舎。
ちょっとしたタイムスリップ気分です。どうしても車両の面ばかりが注目される「国鐵岡山」ですが、駅舎群においても古いものが多く、因美線などは上手く観光資源に活用されている印象があります。
この美袋駅舎も登録有形文化財に指定されており、丸ポストが良い名脇役。ここで「やくも8号」で上ってくる国鉄色との組み合わせを狙っていたのですが……


通過……!?
上り列車はホーム向こうの1番線を通過することをすっかり失念していました。
朝の4号撮り逃しに続くミスですが、それでもこの国鉄色の存在感は流石です。115系の湘南色でも撮ってみたいですね。

さて、駅での撮影はここまで。
徒歩移動を始めます。


駅前の「美袋交通」車庫。
2021年までは路線バスも運行していたようです。
現在は備北バスが駅近くを走っており、撮影地までの道中で乗ってみたかったのですが、時間が合わず断念。

気温も高くなってきたので、ウォーキング気分で備中広瀬駅方面に向かいます。
道中、築堤に梅が咲いていたので「やくも7号」を一枚。


バックは冬枯れの山。
季節は冬から春へ、381系も引退の足音が近付いてきます(ゆったりカラーはしばらく残るんでしたね)。


115系の普通列車も撮っておきます。
この辺りには撮影地が点在しているのですが、光線がどうにもイマイチなので遠目から。
鉄道模型のレイアウト製作の参考になりそうな風景にたくさん出会いました。

やがて集落を外れ、国道に出ると、大きな橋が見えてきました。


水内橋(みのちばし)です。
この橋を渡って撮影地へと向かいます。


親柱によると、昭和13(1938)年の架橋とのこと。
昭和9(1934)年に発生した室戸台風からの復興事業で架けられたそうです。


「カンチレバートラス」と呼ばれる形状の、堂々たる佇まい。
以前は黄色で塗られていたようです。昨年訪れた川面の田井橋(昭和12年架橋)もそうでしたが、台風後の同じ時期に架けられた複数の橋がいまも現役であるところに、「災害に負けない立派な橋を架ける」という当時の人々の気概を感じます。

橋を渡り、線路と国道を対岸に見ながら北上します。
途中、河川敷にキャンプ場があり、遊具越しに「やくも10号」を。


上下線が別のようで、上り線はやや下を走っているようです。

さらに北上すると、神社の先に貨車(ワム?)を改造した倉庫を見かけました。


両側に窓を開け、中央の開き戸をシャッターに改造したタイプ。
中の荷物は真新しいので、いまも現役で使われているようです。番号の類は読み取れませんでした。

貨車倉庫は対岸にも。


こちらはほぼ無改造と思われます。
かつては伯備線の貨物列車に繋がれて陰陽を往来したのでしょうか。

しばらく進むと綺麗に撮影できそうな一帯に辿り着きました。
ちょうど国鉄色の9号が折り返してくる頃。


「やくも9号」が、高梁川に姿を映しながら北上していきます。
この「伯備線らしさ」を撮るのが今回の目的でした。


それにしても、美しいものです。
冬枯れの風景が一瞬でパッと明るくなります。

213系の普通列車もやって来ました。


伯備線を走るようになって早20年余り。
瀬戸大橋を渡っていた頃よりも長い時間が経ちましたが、カラーリングはそのまま。水辺の風景によく似合っています。

少し美袋駅寄りに戻ります。


今度の普通列車は115系。
黄色の存在感は抜群です。227系の投入によって今後数を減らすことは間違いなく、381系と合わせて撮りたい被写体。
この日はD-24編成が廃車回送されたようです。


同じポイントで「やくも12号」を。
この辺りは上下の特急が総社付近と方谷付近で離合し、さらにその間を縫うように普通列車がやって来るので、まったく退屈しませんでした。

12号を見送ったところで、川沿いでの撮影はここまで。
再び水内橋を渡り、美袋駅近くに戻ります。


次に乗る列車まで少し時間があるので、上り線のトンネル前に来ました。


213系のトンネル飛び出し構図です。
東日本や東海では数を減らしつつある「この顔」ですが、ここ岡山ではしばらく見られそうです。四国と九州も当面安泰でしょうか。

列車の時間が近付いてきたので、より駅に近いポイントへ。


車体を傾けて「やくも14号」が通過します。
この踏切脇に喫茶店があって気になったのですが、残念ながら定休日でした。


振り子を戻しつつ(?)美袋駅を通過していきます。
確かにこの構造だと中線(2番線)は高速で通過できませんね。主に退避に使用されているようです。

駅に戻ると、程なくして普通列車がやって来ました。
今日は213系によく当たります。


さらに北上します。

【その3】へ続く

早春の伯備線を撮る【その1・豪渓】

2024年02月14日 20時02分27秒 | 鉄道関係
1月は行く、2月は逃げる……とあって、今年最初の更新です。

2月13日(火)、代休がとれたので10ヶ月ぶりに伯備線を訪れました。
行きは京都から始発の新幹線。ちょうど1時間で到着した岡山は通勤ラッシュのど真ん中で、やって来た山陽線の列車は大混雑。それでも岡山を境に乗客が入れ替わるせいか、岡山以西は比較的空いており、前回と同様に2駅目の庭瀬で下車しました。
ここで「スーパー」な「やくも4号」を撮影する予定でしたが、行程の都合上、ここでは撮れないことが判明したのは降りてから。
隣の中庄でなら撮れていたようです。


仕方なく、貨物列車を一枚。
かつては中線があったであろうスペースや、木造の跨線橋など、往時の「幹線の小駅」的雰囲気を色濃く残しています。


後続の列車で移動します。
伯備線に直通する列車は少ないので、ここで移動しておかないと伯備線内で折り返しの5号が撮れません。
「やくも4号」とは移動中にすれ違い。悔しい!

倉敷で一気に乗客が減り、総社でさらに減り、その次の豪渓(ごうけい)で下車。




伯備線ではよく見かけるタイプの、コンクリート造の無人の駅舎。
駅前にはタクシー会社があり、景勝地「豪渓」への二次交通を担っているようです。

駅から総社寄りに少し歩き、撮影地へと向かいます。


ここは上下線が離れており、カーブを曲がってくる下り列車を撮ることができます。
当然、381系であれば振り子を効かせて通過するわけですから、これは期待できそう。


30分ほどして「スーパー」の「やくも5号」が通過します。
ようやくパノラマ先頭をカーブ区間で撮ることができました。逆光は承知のうえですが、このカラーリングは光の中でこそ似合う気がします。

ここで予定していたのはこの1本のみ。
駅に戻ります。


柱の紫のカラーリングは「スーパーやくも」の登場に合わせたものでしょうか。
現在は路線ごとのアルファベット記号とラインカラーが設定されていますが(伯備線は緑色)、こういう構造物は塗り替えられず各地で意外としぶとく残っています。

穏やかな平日の朝。
誰もいないので京都で買った朝食のサンドイッチをここで食べましたが、そうこうしていると、列車の時間ではないのに接近放送。


そういえば、伯備線では貨物列車が現役でした。
381系の完全引退後は、この機関車もより注目されるようになるのでしょう。山陽筋に比べると短編成の貨物列車は、何とも模型的です。

さて、後続の普通列車で北上します。
何が来るかと待っていたら、昨年登場したばかりの227系。


昨年登場したばかりの227系「Urara」がやって来ました。
じわじわと勢力を拡大しつつあるこの顔。今回岡山に投入されたことで、新潟県(糸魚川)から山口県(下関)までがこの顔で結ばれたようで、まるで令和の湘南フェイス的存在と言えるのかもしれません。

【その2】に続きます。

紀勢本線でキハ85系を撮る

2023年06月04日 02時02分05秒 | 鉄道関係
今年は6月を待たずに早めの梅雨入り。
梅雨入り前にどこかへ行きたいな……ということで、5月20日(土)は、伊勢・紀伊方面に出かけてきました。

東海管内の紀勢線方面は実は京都から直線距離だとそれほど離れていませんが(おおむね100km圏内)、鉄路だと少々迂回を強いられます。
とは言え、朝から寝ながら行けるのはやはり楽なもので、行きは京阪・近鉄経由を選択。


丹波橋から鳥羽行き特急に乗車します。
このために近鉄の株主優待券を金券ショップで調達しておいたのですが、4月からの運賃改定の影響を受けて2100円まで値上がりしていました。以前は高くても1800円程度だったと記憶していますが、この5月6月なら2日間有効のフリー切符(3000円、要前日購入)で往復した方が良いでしょう。

乗車したビスタEXは二階部分は行楽客が占めていましたが、平屋は単身客が中心でいたって静か、西大寺を待たずに寝てしまい、起きたのは中川。
程なくして松阪で下車し、10分の乗り換え時間で駅弁とこの先使用する「青空フリーパス」を慌ただしく購入。JRのホームに入場し直して「南紀1号」に乗車します。


「ひだ」が3月にHC85系に統一されてからは唯一のキハ85系での定期運用列車ということで、久々の乗車です。
5両編成の車内はほぼ満席。観光客8割に我々鉄ヲタが2割くらいで、週末の行楽列車といった様相です。この「南紀1号」は名古屋8:02発ということで、東京からの新幹線と、松阪からは京都・大阪からの近鉄特急に接続していることもあり、各地から南紀方面へのアクセスにはちょうど良いという点もあるのでしょう。


貫通路から愛称表示を見られる車両も少なくなりました。

列車は多気から紀勢線に入り、ここで伊勢方面からの乗客が加わりほぼ満席に。


三瀬谷でハイキング客のまとまった下車があった後、やがて臨時停車の梅ヶ谷に到着しました。
これは同日開催予定「だった」、「さわやかウォーキング」に伴うものですが、前日の雨によってコース不良のためウォーキングが中止(駅や車内の放送でもしきりにアナウンスされていました)。しかし、「南紀1号」の臨時停車とその他の臨時列車の類は運転されるということで、当初の予定通り扉が開くということになりました。


「南紀」が梅ヶ谷に停車している決定的瞬間です!(笑)
梅ヶ谷に限ったことではありませんが、紀勢本線の駅はホームの低い駅が多く、このように係員さんが乗降の補助をしていました。

本来であれば多くの行楽客が降り立ったはずの梅ヶ谷駅ですが、


物好きな数人の鉄ヲタだけが山間の駅に取り残され、「南紀1号」は紀伊勝浦を目指して荷坂峠を下っていきました。


駅掲出の時刻表。ご丁寧にも今日だけの臨時列車が追加されています。
この後は下り列車が連続してやって来ますが、ウォーキングが中止となったことで乗降はあるのかは微妙なところ。
また、松阪方面に戻る上り列車は昼過ぎまでなく、無計画に訪れると途方に暮れることになります。

というわけで時間はたっぷりあるので、大内山方面に国道42号線(熊野街道)をぶらり散歩します。


ちょうど三重交通の熊野古道ラインが通過して行きました。
新型エルガでも背面の広告枠が健在なのがおもしろいですね。京都では見ないタイプなので新鮮です。


駅を出てすぐのところ、背景の山々が良い感じだったので「南紀4号」はここで。
「南紀1号」とは紀伊長島で交換してやって来ます。最小の2両編成でしたが、これではわかりませんね。

引き続き大内山方面に歩くと、撮影者の姿がちらほらと見えてきました。


後続の普通列車。
この橋梁も様々な撮り方があるようですが、いわゆるスイートスポットは埋まっていたのでサイドから。


場所を変えて、臨時特急「Hello! NANKI NEWウォーキング号」を。
前述の通りウォーキングが中止となりましたが、それでも外から見る限りはほぼ満席。記念乗車証の配布や、紀伊長島駅でHC85系と並べての展示は実施されるようなので、ウォーキング目当ての乗客はハナから少なかったということでしょう。


続いてやって来た、多気発紀伊長島行きの臨時快速。
むしろ純粋なウォーキング客は追加料金のかからないこちらに乗っていたのではないでしょうか。しかし中止となってはせっかくのロングシート車も持て余し気味、4連で数人の乗車といったところでした。

さて、キハ85系の「ウォーキング号」は紀伊長島で乗客を降ろした後、展示までの間、定期列車をやり過ごすためにいったん大内山に折り返し回送されます。
短時間で効率よく撮れるということで、先ほどの鉄橋回りには数人の撮影者が待ち構えていました。


回送列車がゆっくりと通過して行きます。
知らなければ高山本線と言ってもバレないかもしれません。

一通りの撮影を終え、徒歩で大内山駅へ向かいます。
比較的駅間距離の長い紀勢本線ですが、この梅ヶ谷~大内山間の営業キロは3km弱で線路沿いに道路が並行し、徒歩移動にもやさしい距離です。


大内山で折り返し待機中のキハ85系4連。
この移動中にHC85の回送が紀伊長島へ下ったようですが、踏切と列車の音が聞こえただけで、タイミングが悪く遭遇できませんでした。


駅前は追っかけの車で一杯で、しばし撮影会状態。


キハ85系がこのような小駅に停車する機会ももうないのかもしれません。

ここでは回送列車が「南紀3号」を退避。
ということで、ホームを挟んでキハ85同士の追い越しが見られます。


正午を迎えた大内山駅を、ダブルヘッダーの「南紀3号」が回送を待たせて通過します。
キハ85系同士の交換はまだ各所で見られますが、追い越しはあまり聞いたことがありません。
また、非貫通型先頭車は京都丹後鉄道に譲渡されたので今後も活躍が期待されますが、この貫通型先頭車は保存されるかどうかも現時点では決まっておらず、今日はこの貫通顔を重点的に撮ると決めていました。


まだしばらく停まっていたので、駅の反対側に回り込んでみます。


発車準備が整い、ゆっくりと折り返し紀伊長島へ向かう回送列車。

キハ85が駅を去った途端、あれだけ居た撮影者はあっという間に居なくなり、


再び元の静かな大内山駅に戻りました。

昼食の時間です。
付近に商店はないので松阪で調達しておいた「モー太郎弁当」を開けます。


全国に牛肉系駅弁は多々ありますが、冷めると脂が固まって味が落ちてしまうのが難点。しかし、この松阪駅弁は工夫を重ねられているのか冷めても美味しいのが特徴で、あっという間に平らげてしまいました。また、どういうわけか(?)オルゴールが内蔵されていて、開封すると「ふるさと」のメロディーが流れるのですが、それがまたこの小駅にはとても似合っていました。

しばらくすると、多気行きの臨時快速が通過。


行きに撮った列車の折り返しです。
紀勢本線ではキハ25の4連も多客時を除けば貴重ですから、撮っておいて損ではありません。

ここからはしばらく列車がないので、駅周辺を散策します。


駅前に二軒の元商店。
かつてはこのお店で土産物を求めて列車に乗り込む、という光景が展開されていたのでしょう。


少し駅から歩けば、こちらは現役と思しき旅館。
ここが熊野古道であることを実感させられます。熊野古道はいままで断片的に歩いたことはありますが、せいぜい撮影や駅巡りのついでに1~2駅間くらいを歩いたくらいで、いずれ参拝を目的としてじっくりと歩いてみたいものです。


42号線を少し歩くと「大内山ミルク村」に着きました。
工場や牧場は駅の裏手にありますが、販売店は国道に面したこちらにあります。




ソフトクリームと、ご当地大内山牛乳を。
撮影の暑さでバテ気味だったので助かりました。自販機は松阪駅ホーム上にもありますが、やはりビンの方が雰囲気が出ます。ビンの牛乳、ひょっとすると初めて飲んだかもしれません。

さて、大内山からは三重交通バスに乗車します。
今回は「青空フリーパス」使用ですが、下り列車はまだしばらく来ません。どうせなら並行しているバスで紀伊長島に先回りしようと思った次第です。


というわけで、大内山バス停です。
「停留所控室」とありますが、元は店舗などが入居していたのでしょうか。いまは窓も塞がれ立ち入りはできず、入り口前にベンチがあるので雨風はしのげますが、蜘蛛の巣が張っていて近寄りにくい雰囲気です。


2018年に廃止された「南紀特急」の看板が未だに残っています。
入れ替わりに登場したのが、これから乗車する松阪熊野線(熊野古道ライン)。本数こそ少ないものの(1日3往復)、路線バスとしては奈良交通の八木新宮特急に次いで日本で2番目の走行距離を誇ります。


待つことしばし、予定時刻を10分ほど過ぎてやって来ました。
これも長距離路線の宿命でしょうか。特急列車の盛況に対してこちらの乗客はゼロ、来た道を通り過ぎ荷坂峠を目指します。


トンネルを抜けると、


眼下に熊野灘が広がります。ここが伊勢国と紀伊国を隔てる荷坂峠、古くは難所であったのも頷けます。この区間にはもう一つ峠があり、それがウォーキングで予定されていた熊野古道ツヅラト峠ですが、こちらもツヅラト(つづら折れ)ですから厳しい道のりに変わりはありません。また、鉄道では梅ヶ谷と紀伊長島の間は実に200m近い高低差があり、オメガカーブで高度を稼ぎながら結んでいます。鉄道は帰路の楽しみにとっておきましょう。

やがて紀北町の市街地に差し掛かり、その端に位置する新長島橋で下車。
赤羽川の河口に架かる鉄橋でキハ85系の回送を狙います。先ほど大内山から紀伊長島に向かったキハ85は、展示を終えるといったん船津まで南下してからまた折り返し回送されるようで、最後にもう一枚沿線撮影を。


遠くには熊野灘。
この日は朝から山ばかりでしたが、最後の最後にようやく海が見えました。

帰りの列車に乗るため紀伊長島駅まで歩きます。


ようやく辿り着いた紀伊長島駅。乗り換えでホームに降り立ったことはありますが、駅舎を眺めるのはこれが初めて。
つい先ほどまでキハ85とHC85を並べての展示会が行われていたこともあり、駅にはまだ賑わいが残っていました。


帰りに乗るのは、「Hello! NEW NANKIウォーキング号」。
よく考えれば「NEW」を謳いながらも旧型のキハ85を使用しているのが妙なところですが、たまたま数日前に窓側の切符が取れたので乗車します。JR線上でキハ85系に乗るのは自分にとってはこれが最後かもしれません。




幕は「臨時」ですが、その実は南紀81/82号のスジを紀伊長島発着に短縮しただけで、停車駅も全く同じ。今月運転予定の「ありがとうキハ85系南紀号」も同じスジのようですが、途中駅での乗降はできないようですね。

車内は定期列車とは異なり今度は鉄ヲタが8割といったところで、走り始めた列車は、荷坂峠を力強く登っていきます。
地形の険しさを外から見たからこそ、今まさに坂を登っているという実感がするもので、これはHC85系でも体感してみたいところ。トンネルを抜けると行きに降りた梅ヶ谷駅を通過し、大内山でHC85の回送を追い越し、紀勢本線を一路北上していきますが、乗り心地の良さについウトウト……


目が覚めると伊勢鉄道線内を走行していました。
山間部から3セクの高規格路線、近鉄と競合する都市部と変化に富む車窓が「南紀」の魅力でしょう。途中での下車はほとんどなく、反対に四日市、桑名からも多少の乗車があり、キハ85系の集客力を見せつけられます。

紀伊長島から約2時間半、終点の名古屋に着きました。


幕はすぐに回送表示となりましたが、さすがに多くの人だかり。
今回は沿線でたくさん撮影ができたので、駅での撮影は程々に、家族へのお土産を買ってから今度は「ひだ17号」に乗り換えます。


初めましてのHC85系です。
7月からは「NEW NANKI」にもなるわけで、このあたりでそろそろ乗車をと思い、今回は岐阜まで。
形式こそ電車と同じ「モハ」が与えられていますが、床下から響くエンジン音はやはり気動車そのもの。しかし車内はいたって静かで、走り始めたときも同様。キハ85系が大柄で力強さを感じさせるのに対し、HC85系はスマートできびきびとした走りで、座席の硬さは否めませんが、巷で言われている通り車内はN700系を在来線用に仕立て上げたような印象で、「ワイドビュー」の愛称こそ外れたものの、側面窓も十分大きく眺望は良好。新時代を走るキハ85系の後継に相応しく、これが10連を組んで飛騨路に挑む姿を見てみたくなりました。そんなことを思いながらあっという間に岐阜に到着、あとは米原行きの特別快速と新幹線を乗り継いでいつも通りの帰洛。

新旧の特急型気動車を乗り比べたわけですが、京都丹後鉄道で再デビュー予定のキハ85系も楽しみですし、HC85系の「大阪ひだ」にも早いところ乗車してみたいものです。つまるところ、好きな車両(列車)はどこに行っても好きですし、その後継もやはり好きなのです。(笑)

初夏の伯備線を撮る

2023年04月27日 00時20分22秒 | 鉄道関係
4月も下旬に差し掛かり、新年度も徐々に落ち着きつつあります。
好天に恵まれた22日(土)に伯備線沿線を訪れました。

行きは京都から新幹線。
この日は早朝に名古屋と岐阜羽島の間で線路内立ち入りがあったようで、東海道新幹線は7時頃から順次運転見合わせとのことでしたが、乗車した「ひかり531号」は定刻通りだった(京都7:20発)ところをみると、不通区間をギリギリのところで潜り抜けてきたようです。観光需要の戻りからか京都からの乗車も降車も多く、指定席は満席とのアナウンスが流れていましたが、自由席は2号車まで移動すると空席がちらほらあり、山陽区間に入ると窓側にも空席が見受けられました。

ちょうど1時間ほどで岡山に到着し、山陽本線に乗り換えます。


在来線ホームでは115系が未だゴロゴロしています。
京都では113系が昨年度末でついに引退してしまいましたが、ここ岡山でも227系の投入が決まっており、この当たり前の光景も徐々に貴重となっていくことでしょう。

やって来た三原行きに乗って庭瀬で下車。撮影地を目指して歩きます。


踏切が鳴ったので構えてみると、213系の6連がやって来ました。
今は115系や117系の陰に隠れていますが、いずれ最後の国鉄型として注目されることになるのでしょうか。

庭瀬駅での下車は実は10数年ぶり。
前回は学生時代、駅から北に歩いて犬養木堂記念館を訪れましたが、今回は線路沿いを西に歩いて足守川の鉄橋を目指します。


後方の木々がやや気になりますが、緩やかな勾配が良い感じのポイントです。
練習の電車が115系というのも今や贅沢。末期色とも揶揄されるカラーですが、10年も経って見慣れると風景に合う色に見えてくるから不思議です。


待つこと10数分、「スーパーやくも」塗装に復刻された「やくも5号」が築堤を駆け上がってきました。
撮りたかったパノラマ型グリーン車が先頭。紫を基調としたカラーリングが懐かしくもカッコいいです。


ロゴマークもバッチリ復活。「スーパー」廃止後、「ゆったり」にリニューアルされるまでの間は「SUPER」が消されていた覚えがあります。
国鉄色のヒゲをアレンジした(?)前頭部回りの塗装もいま見るとなかなか似合っていますね。幼少期に図鑑で見た記憶、家族旅行で乗せてもらった記憶が鮮やかに蘇りました。

庭瀬からは伯備線直通の電車に乗り換え、備中川面へ。


こちらは昨年8月以来の下車でしたが、今度は駅から北側、方谷駅方面に向けて歩きます。


10分ほど歩き、踏切を渡ると、よく作例を見かける鉄橋が見えてきました。
この日は国鉄色が走らないせいか、一日を通して沿線での撮影者はほとんど見かけず。ここも先客が1名いらしただけで、後方で構えさせていただきました。


「やくも10号」が車体を傾けながら鉄橋を渡っていきます。
新緑に映えるゆったりやくもカラー。かつて幅広く見られた、西日本の国鉄型特急に施された前面バーコード塗装もこの381系を残すのみとなりました。

さらに歩いて別の撮影地を探します。


途中、立派な道路橋を渡りました。
たもとの案内板によると、昭和12年に架けられた田井橋というトラス橋で、近代化土木遺産に指定されているようです。

橋を渡って神社のそばを通るとS字カーブが見えてきました。前回訪問の際、車窓から気になっていたポイントです。


祠の脇を213系の普通列車が走っていきます。
黄色の115系を期待していたのですが、これはこれでケーブル類が目立たないので良いかも?


踏切からS字カーブに差し掛かる「やくも9号」を。
検査時以外は国鉄色が充当される列車です。意外と障害物が多く、あまり満足していません。


振り返って、方谷で交換してきた「やくも12号」を正面から。


後追い。線路際には祠があり、これも絵になります。
朝の新幹線運転見合わせの影響を引きずって「やくも」は上下列車とも5分ほどの遅れがありましたが、やや早歩きで駅に戻り、後続の普通列車(定刻)に乗って新見へ。
さらに県境越えの普通列車に揺られ、鳥取県の上菅に降り立ちました。


伯備線でも高所に位置するためか、ちょうど八重桜が満開でした。






上菅駅は無人駅ではあるものの、「上菅よりどころStation」と命名され、待合室やトイレなどが地域の方によって清潔に保たれていました。
木造駅舎も幾つか残る伯備線ですが、こうした一見無機質な駅舎にも人の温もりが感じられます。

この界隈も幾つか撮影ポイントが点在していますが、今回は駅から黒坂駅方面に歩き、山道からの俯瞰を狙いました。


着いてしばらくすると普通列車が通過して行きました。
G編成の黄色2連が田園風景に映えます。福知山でも2連の113系が少数残存していますが、岡山でもやはりこのG編成あたりが最後まで残るのでしょうか。




遠くまで見渡すと、このような感じです。


続いて「やくも13号」。
曜日指定の臨時列車ゆえかこちらは4両編成。なんとも模型的で可愛らしいです。


「やくも20号」はスーパーやくも塗装。
朝、庭瀬で撮影した編成が出雲市で折り返してきました。国鉄色もそうですが、このカラーもどんな風景にも馴染みます。

30分ほどの滞在で効率よく3本が撮れたので、上菅駅に戻ります。
途中で集落の人とすれ違ったので軽くご挨拶。「どこから?」と尋ねられたので京都からと答え来意を告げると、「ご苦労様、気をつけてね」と声を掛けていただき、非常に心が温まる思いがしました。直前にこういうニュース(樹木の無断伐採、ごみの放置、路上駐車が後を絶たず… 「撮り鉄」のマナー違反どう防ぐ 自治体など対策へ)を見ていただけに多少の歩きづらさもあったのですが、こうして好意的に接していただいたことで今回非常に思い出深い土地となりました。こういう関係性をいつまでも大切にしていきたいものです。

再訪を誓いながら、帰りの列車に乗り込みます。


やって来た生山行きはキハ121の2連。伯備線で2往復のみの気動車列車です。


生山からは接続する「やくも22号」に乗車し一気に南下。
381系を撮って381系に乗って帰るというのも考えてみれば贅沢なものです。自然振り子に身を任せるといつの間にか睡魔に襲われ、目が覚めると複線区間を爆走していました。
岡山まで乗りたいところですが、乗継割引がなくなったので生山から100km以内に収まる倉敷までの乗車とし、普通列車に乗り換えて岡山へ。岡山で家族へのお土産を大量に購入し(ここが重要です)、姫路まで新幹線、姫路でえきそばを啜ってから乗継割引の効く「スーパーはくと14号」で帰洛しました。

久々の撮影メインの遠出でしたが、当然一回で満足するはずはなく、取りこぼしや課題も多く見つかりました。
これからますます新緑の眩しくなる伯備線沿線、さて次はいつ訪れましょうか。

キハ85からHC85へ

2023年03月19日 23時58分38秒 | 鉄道関係
前回記事の続きになりますが。

3/16(木)
やはり最後は乗ってお別れを……と思い、退勤後に草津まで。


草津から京都までキハ85系の「ひだ36号」に乗車しました。
朝、ダメ元で指定席を照会してみると僅かに空きがあったので思わず確保してしまいました。完全に勢いですが、琵琶湖線が遅れていたので草津に着いたのは発車10分前。


幾人かの同業者と共に乗車しましたが、自由席はやはり満席に近く、指定席は実際に乗ってみると空席がちらほら見受けられました。

実は10年ほど前に滋賀県で勤務していた時期があり、わざわざ「ひだ」に乗って帰ったことが数回ありました。






当時は2号車が自由席、回数券の設定もあり、席は選び放題でガラガラでした。


そんなことを思い起こしながら、キハ85系は相変わらずの安定した走りであっという間に京都へ。
ファンの多さも目立ちましたが、指定席車はいたって静かで、たまたま乗り合わせたと思しき観光客や帰宅客の姿もちらほら。「東山トンネルを抜け、鴨川の鉄橋を渡りますと、まもなく京都です」の放送も何もかもいつも通りで、明日で終わりという実感がまるでありませんでした(翌17日の最終運行ではさよなら放送があったようです)。20数年間、ハイデッカーにワイドビューな非日常はじゅうぶんに日常に溶け込んでいたということでしょう。

ダイヤ改正当日の18日(土)は雨のため在宅。
19日(日)の早朝は、久々に花山を訪れました。


HC85系に置き換わった「ひだ25号」が東山トンネルを抜けて山科築堤を駆けて行きます。






春の柔らかな陽光に照らされる新型特急。音は静かになりましたが、エンジン音はしっかり山の上まで聞こえました。
これから様々お世話になることでしょう。早く乗車してみたいものです。

まもなく見納め、キハ85系「ひだ36号」

2023年03月14日 23時18分30秒 | 鉄道関係
気付けば3月、ダイヤ改正直前です。
巷のトピックは何と言っても定期運用を退くキハ85系「ひだ」のようで、私自身も秋の飛騨路には何度か通いましたが、最近のフィーバーぶりからは少し距離を置いていました。私生活の慌ただしさもあり、このまま静かで落ち着いていた記憶のままお別れを……と思っていたのですが、やはりそうはいくはずもなく、退勤時に寄り道して「ひだ36号」を撮影してきました。
七条河原町で一人暮らしをしていた時はよく散歩がてら撮りに行ったのですが、最近は全くです。


流し撮り自体も久々で、何とかそれとわかる画にはなりましたが……


青くライトアップされた京都タワーとの組み合わせは、これが最後でしょうか。
あと数日、無事に走りきってくれることを願います。

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沿線撮影にはなかなか出向くことができていませんが、先日は鉄道博物館を訪れました。


お目当てはもちろんこの並び。
平日でもそこそこの人出で、両形式の人気の高さが窺えました。今でも岐阜県内では日常的に見られる光景なのかもしれませんが、線路上からの眺めはホーム上からの目線とはまた違った印象。模型のグレードアップ用に床下回りをじっくり撮影できました。


色々な憶測を呼んでいたキハ85系の2両はこの後、京都丹後鉄道へ譲渡されました。
運用形態が気になるところですが、新天地での活躍に期待です。


もちろん、新しい「ひだ」としてこれから毎日やって来るHC85系も楽しみです。
大阪編成は基本2両となってしまうのは少々寂しいところですが、短編成で複々線を走行する姿や、長編成で飛騨路を行く姿など、折に触れて記録していきたいものです。

紅葉の高山本線を撮る

2021年11月15日 22時56分28秒 | 鉄道関係
毎年恒例となっていますが。
11/3(水・祝)と11/14(日)の2日間に分けて、紅葉の高山本線を撮り歩いてきました。

・11/3(水・祝)
昨年は富山に前泊して南下したのですが、今年は最終の「ひだ」で高山に前泊。
翌朝、さらに北上しました。


坂上→角川 ひだ6号
18きっぷのポスターにも選ばれた撮影地から一枚。
昨年は晴れで撃沈したのですが、今年は日が差さないうちに通過してくれました。


坂上→角川 普通列車
ひだ6号の通過後に晴れてきたので、後続の普通列車は駅の近くから順光で。

続いて打保へと北上します。


打保 ひだ8号
高山本線唯一のスノーシェルターと共に。
長期不通時に長らくキハ48が取り残されていたのも今は昔……。


杉原→打保 普通列車
天気は再び曇り。打保駅近くには撮影地が点在していて、直前まで迷いました。


打保→杉原 ひだ8号
特急列車なので当たり前ですがけっこう飛ばしてきます。西日本のローカル線に慣れていると驚きます。(笑)

この後は上りの普通列車がなかったのでいったん猪谷まで北上し、ひだ14号で下呂まで南下。
下呂温泉に浸かって「ひだ36号」で帰洛しました。

・11/14(日)

この日も高山に前泊。
朝はいい時間の列車がなかったので、濃飛バスで「無数原」まで南下しました。


渚→飛騨小坂 ひだ6号
バス停から撮影地までは徒歩すぐ。3日はほとんど同業者に遭遇しなかったのですが、ここは有名撮影地だけあって既に数人が待ち構えていました。
まだ谷に完全に日が差す前ですが、これはこれで良い気がします。


飛騨小坂→渚 ひだ3号
同じ鉄橋で立ち位置を変えて。


渚→飛騨小坂 普通列車
「ひだ」が通過すると撮影者の多くはどこかへ立ち去ってしまい、普通列車を撮る人は少なめ。

無数原からは20分ほど歩いて小坂町の中心部へ。
以前から気になっていた小学校のイチョウを見に行きました。


飛騨小坂 ひだ5号+25号
ピークは過ぎていましたが、これは見事!


飛騨小坂 ひだ5号+25号 ひだ8号
交換するひだ8号との並び。この日は大阪・富山編成ともに最大7両編成でしたが、9両や10両だとさらに見応えがあるのでしょうね。

飛騨小坂からはひだ10号で下呂へ。
温泉は毎回違うところに浸かっているのですが、撮影で冷え切った身体が一気に温まりました。


禅昌寺→下呂 ひだ14号


下呂→禅昌寺 普通列車
行程にかなり余裕を持たせていたので、河原に降りて撮影することもできました。植生の関係か紅葉は少ないですが、お手軽ポイントとしては良いですね。

帰りはやはり「ひだ36号」。


温泉に浸かってそのまま京都まで直行してくれるのはありがたいです。
日没間近の車窓から目を凝らしながら、今度はあそこで撮れそうだな……と、次回の課題を探すのもいつものこと。

キハ85がきっかけではありますが、毎年通ううちにすっかり飛騨路の風景に魅了されてしまいました。
車両が変わってもきっと通い続けるでしょう。

最近の「ひだ36号」

2021年08月04日 18時36分41秒 | 鉄道関係
すっかりご無沙汰してしまいました。
今年はカレンダー通り夏休みに突入となり、昨年よりは穏やかに過ごせています。
まだまだ油断はできませんが。

さて、今年も日の長い時期は近場で「ひだ36号」を撮っていました。


6/19
今年は鴨川からスタート。
結構飛ばしてくるので慣れません。(笑)


7/10
ちょっと間を空けて、おなじみの陸橋から。


7/12
東山トンネルを出たところ。
一度はアップで撮っておきたい、0番代の先頭車。


7/15
複々線を行く短編成の気動車特急。
温かみのある照明が印象的でした。




7/17
厳しい構図ですが……。

今年はこれだけでした。
気付けば来年度には新型置き換えが迫り、「大阪ひだ」じたいの去就も気になるところですが、また機会を見つけて撮っていきたいと思います。

水鏡にチャレンジ(2021)

2021年05月31日 23時22分09秒 | 鉄道関係
梅雨の中休みとなった5月30日(日)。
久々に水鏡を狙って天王山界隈を訪れました。


まずは「ひだ25号」。
風が強かったと、思いのほか逆光だったので本命の側面は撃沈。
日が長くなったので36号も狙ってみたいところです。

順光を求めて、島本~山崎へ移動しました。


着いてすぐにやって来た「スーパーはくと3号」。
やや風はありますが、ステンレスが水田にギラリ! 時刻にして9時頃、周辺ではちょうど農作業が始まりました。


続行の「サンダーバード6号」。
白い車体が映えます。風も止まってくれて、この日いちばんの出来かもしれません。(笑)




「はまかぜ1号」の回送も通過。
最近は3両ばかりで寂しいですが、先代のキハ181(国鉄色)と同じく、どの風景にも馴染むカラーリングだと思います。




ノーマークだった貨物列車も立て続けにやって来ました。
EF210は更新色のほうがブルトレ牽引機のようで個人的には好感が持てます。EF66の100番代もいよいよ廃車が始まったようですね。


最後は新快速で〆。
225系も以前は当たればラッキー! 程度の存在だったのが、ここ最近は遭遇することが増えました。
反対に221系の姿をあまり見かけなくなり(この日は1時間半の間に2本見かけたのみ)、世代交代を実感したのでありました。

関西本線非電化区間の桜

2021年05月12日 22時23分34秒 | 鉄道関係
4月4日(日)の出来事です。
この日は午前中しか時間がとれなかったのですが、前回同様に18きっぷの消化で近場でお花見がてらの撮影としました。
行先は関西本線非電化区間。車両こそ平時はキハ120オンリーですが、そこは非電化路線ゆえの魅力か、季節や場所を変えて何度も訪れたくなるもので……。

少しでも時間を確保すべく、行きは奈良線の始発。
始発列車はこの時以来の乗車ですが、今回も変わらず221系の運用でした。転換クロスシートでのんびりと朝靄の山城を南下し、木津、加茂と乗り継いで笠置へ降り立ったのは7時のことでした。


乗車したキハ120-13には、亀山鉄道部30周年を記念するステッカーHMが貼り付けられていました。
同鉄道部発足後すぐにキハ120で統一されて現在に至りますが、40周年の頃も変わらず走ってそうです。(笑)


発車を跨線橋から。
下調べはしていたので予想できてはいましたが……やはりピークは過ぎてしまったようです。


ロケーションは相変わらず良いのですが、今年はほんとうに開花が早かったですね。

仕方ないので、駅の外へ出てみます。
早朝は本数も比較的多いので効率よく撮影ができます。


ごまかしごまかし、これが精一杯。
予定を早く切り上げて、次の目的地へ向かうこととしました。

ちなみに笠置駅ですが、


数年前からカフェとネイルサロンが入居しています。
カフェはよく見かけますが、ネイルサロンというのは他に例がないのでは?


委託の窓口は7時から営業。
関西本線非電化区間でもダイヤ改定からICOCA(車載型)が使用開始となったいま、先日の石生・市島両駅を擁する丹波市のように自治体の方針次第ではこうした簡易委託駅も先行きが危ぶまれます。笠置には何度も通っていながら窓口は利用したことがなかったので、今回は入場券を購入してみました。

さて、亀山行きの列車で三重県内へ駒を進めます。


佐那具で初めての下車。
道中でも良い感じの風景がたくさんあったので、また来年の課題としておきましょう。


佐那具は以前から通るたびに気になっていた駅ですが、木造の上屋と桜並木の組み合わせが良い感じです。
桜も笠置よりはいくらか咲いています。最初からこちらに来れば良かったかも。


本線華やかなりし頃を今に伝える木造駅舎が健在。
窓口が開いていたので、ここでも入場券を求めました。

次の列車までは時間があるので、駅の近くを散策してみます。


駅近くを流れる柘植川。
こちらには見事な桜並木が最後の盛りを見せていました。


色々と迷った結果、加茂行きの列車は側面から。
先ほどの柘植川の桜並木と列車を組み合わせてみたかったのですが、一緒に撮れそうで撮れず、という位置関係で断念。

帰りの列車がやって来ました。


撮影してから何となく違和感が……幌枠が斜めに傾いています。
同じ収納式の幌枠でもキハ126やキハ187でもこうなっているのは見たことがありません。密連と密自連の違い?

帰りは柘植で乗り換え、草津線経由で戻ってきました。その途上、


113系の車内に花びらが舞い込んできました。
過ぎゆく春を惜しみつつ、季節は初夏へ、これから田園の潤い、新緑の眩しさを浴びるのが楽しみです。

春の高山本線を撮る

2021年04月02日 20時46分28秒 | 鉄道関係
3月29日(月)のできごとです。
18きっぷを1年ぶりに購入したので、桜を見に行くことにしました。

とは言っても、せっかくの休み。
起きた時間で決めよう……ということで、8時半に目覚め、一通りの支度を済ませた後に京都駅へ。


ちょうど、と言うよりはこれに合わせたのですが、野洲までは新快速の「Aシート」に乗車しました。
50周年記念HMの掲出もこの年度末までだったようです。サービスは継続されるものの、一向に拡充される気配のないAシート、今後の去就が気になります。

野洲では先行の普通列車に接続するのかと思いきや、後続の新快速を待たされます。無計画に出発したのですからこればっかりは仕方ありませんが、15分遅く出発してもよかったわけですね。(笑)

米原ではおなじみの乗り換え。米原、大垣ともに狭い通路で短時間での乗り換えが文字通りネックですが、6両編成だったおかげで最後尾車まで移動すると難なく座ることができました。大垣ではみんなして乗り換えるのが厭になったので、駅ナカのドトールで時間潰し。無計画だからこういうことができてしまうわけですが、通常よりもやや時間をかけて岐阜に着きました。


着くなり「ひだ9号」が名古屋方から入線。
昨秋も高山本線を二度訪れましたが、いつ見てもカッコイイです。しかし今日撮りたいのはこのような写真ではないのです。

「ひだ9号」の後続となる普通列車に乗り、2駅前の那加で下車。


付近は住宅地が建ち並んでいますが、駅はローカル線の様相。
奥に見える桜並木を目指し、駅前の通りを鵜沼方面に歩いていきます。


歩くことしばし、新境川橋梁に着きました。
ここはちょうどJRと名鉄が並走する区間で、春は鉄橋を彩る桜並木が美しいスポットです。しかし、道路と川との間に柵も何もないので、堤防の下りすぎには要注意。

この日の撮影はJRがメインですが、名鉄が並走しているとなればやはり気になるもので……




名鉄には疎いのですが、スカーレット一色もまだまだ健在でほっとしました。

JRはおおむね2本/h、那加駅で列車交換があるので場所を変えながら撮影します。


岐阜行きの普通列車。
キハ25の2両が可愛らしく収まります。


多治見行きのキハ75。
キハ75もまだまだ新しいと思っていたら「みえ」用の初期車は登場から30年近く、この高山本線で運用される車両の多くも20年を超えているのですから驚きです。パワフルでスマートで好きな車両なのですが、置き換えの発表も近いのかもしれません。


そして「ひだ11号」。普通列車は駅が近いので減速していますが、特急は飛ばしてくるのでなかなか大変です。

ほかにもいろいろと撮りましたが、




慣れないことはするべきではないですね。

一通りの撮影を終えた後は、太多線直通の多治見行きに乗車します。
途中の美濃太田では15分ほど停車。車内でそのままウトウトしていたのですが、反対のホームを見ると、


HC85系の試運転が入ってきました。一昨年12月の落成以来頻繁に試運転を重ねているようですが、2022年度からの本格投入が決まり、早ければ来春には「ひだ」で活躍する姿が見られるかもしれません。試運転らしく車内はカーテンで閉ざされ、詳細を窺い知ることはできませんでした。

多治見に抜けてからは中央線で名古屋へ。


お昼を食べるタイミングを逸してしまったので、きしめんのスタンドに駆け込みました。
京都から18きっぷで出かけると、名古屋のきしめん、姫路のえきそばはちょうどお腹のすく距離にあるのでいつも入ってしまいます。

小腹を満たした後は東海道本線へ、大垣乗り換えを経て滋賀県内まで戻り、米原の2駅手前、近江長岡で下車。
近江長岡と言えば専用線が分岐していたはず……と思って大垣方面へ歩いていると、工場の敷地内にダルマの貨車を発見。


ワムを連ねた貨物列車はほんの10年ほど前まで東海道筋を走っていて、早朝に京都を通過するのを何度か撮影したことがありました。
そのときの個体ではないと思いますが、いまでは線路際で後輩の活躍を日夜見守っています。

しばらく歩くと新幹線の線路と川が見えてきましたが、その川を渡る鉄橋がどう見ても鉄道由来のもの。


サイクリングロードに整備された鉄橋、やはりこれが専用線跡のようです。

こちらも散策してみたいのですが、行きの車窓から気になっていた桜並木へ。


着いてさっそくやって来たのは、311系の大垣行き。
こちらも置き換えが発表されてしまいました。


続いて米原行き。今度は何の変哲もない313系かと思っていたら、東海道筋ではちょいと珍しい(?)2+2の編成。

そして、ここでのお目当て、


「ひだ36号」がやって来ました。日没との戦いでしたがみるみるうちに暗くなり、ご覧のように。


川沿いの複線電化区間はどことなく山陽本線を思わせます。
せっかく長距離を走る特急列車ですから、区間や季節を変えて様々な場所で撮っていきたいですね。しかしこの大阪直通はどうなるのでしょう。「南紀」の紀伊勝浦乗り入れともども気になる存在です。

この後は米原まで駒を進め、後は流れに任せて(?)帰洛となりました。

陽気に誘われて

2021年02月14日 01時21分37秒 | 鉄道関係
生きていました!
今年初めての更新です。
週1日の休みではなかなか落ち着くことができなかったのですが、ここにきてようやく余裕が生まれてきました。
「書く」習慣も140字の方ではイマイチ物足りなく、こちらもマイペースで続けていきたいと思います。

11日(木・祝)は陽気に誘われ、久々にカメラを片手に近場へ。近鉄丹波橋へ向かいました。
駅の近くで正面を狙って構えます。


最初にやって来たのは橿原神宮前行き普通。
近鉄の形式は複雑怪奇で疎いのですが、調べてみるとこれは8400系のようで、近鉄の普通車両と言えばこの顔というイメージです。


続いて新田辺行き。こちらは8810系のようです。
8400系よりは洗練された新しい印象ですが、登場は1981年というのですからもう40年選手なのですね。


市交車も乗り入れてきます。
地下鉄はよく乗るわりに撮る機会がないので、地上でしっかり撮っておきます。この10系も後継車の足音がようやく聞こえてきましたが、昨今の情勢からも完全引退は遠い先のことになりそうで……。

しばらくすると駅から通過メロディの音が。
丹波橋は特急を含む全列車が停車するので何事か……と思っていたら、


30000系特急の回送がゆっくりと通過していきました。
どうやらコロナ禍による運休列車を同じスジで回送しているようです。車庫に留置しておけば経費節減にもなりそうですが、前後の運用の繋がりもあって仕方ないのでしょうね。

さて、この日のお目当ては定期運用引退を控えた12200系新スナックカー。
どの列車に入っているのかな……と調べると(調べてから行けという話ですが)、奈良向きではなく京都向きでこちらに向かっていることが分かったので徒歩で南下。


最後は京都線らしい撮影地で、ということで宇治川橋梁の袂で一枚。
無骨な鉄橋と晴れ渡る青空に伝統の近鉄特急カラーが映えます。今となっては古臭さも感じる配色ですが、幼少期から京都駅でずっと目にしてきた色の車両は、京阪や阪急とは異なる有料特急の風格を湛え、一人で出かけるようになってからも気軽には乗れない、憧れの存在でした。

折り返し京都からの特急は運休対象列車ですが、先ほどの例からすればおそらく同じスジで回送されるはず。
すぐさま踵を返して丹波橋駅を目指し、今度は編成が入る場所で待ち構えました。


これは8000系だそうです。
本当によく分かりません。


市交車の新田辺行き。前照灯と行先表示がLEDに換装されています。
6連だとちょうど収まりますね。実を言うと、この日いちばんの編成写真はこの一枚でした。

続いて京都行きの普通が通過した直後、


カーブの向こうから12200系がスッと姿を現しました。
被りではあるのですが、顔が並んだのでこれはこれでヨシとしましょう。これまであまり見る機会のなかった「特急/回送」表示も新鮮です。
結果、この翌日に12200系は定期運用を退いてしまいましたが、近鉄の普通と特急と言えばこの色、という組み合わせを収めることができました。

近鉄の撮影を終え、次は徒歩でJR桃山駅へ。


例年この時期に開花する寒桜を見に来ました。
かつて桃山駅で18きっぷの常備券を販売していた頃、発売初日(2月10日)に来るといつも咲いていたので、同駅での販売が終わってからも毎年見に来ています。やはり2月10日頃というのは良い目安のようで、この日も満開とまではいきませんが十分見られる具合に咲いていました。青帯を纏った205系との組み合わせも良いですね。


桃山駅は昨年、複線化工事に伴う駅構内の改良工事で跨線橋が撤去され、大きく印象が変わりました。


(2018年の様子)
ほぼ同アングルから、3年前の様子です。
今では3番線も廃止され、2面2線のごくありふれた配線の駅となりました。


桜の回りはすっきりとしましたが、


(2018年の様子)
跨線橋の上からのアングルは見納めとなってしまいました。
国鉄時代からの古びた上屋も更新されたことが分かります。

そんな駅の移り変わりをしみじみ感じていると、メジロがやって来て花をついばみ始めました。







我々の日常が変わってはや一年、季節は再び春へ。
可憐に舞いながらも懸命に生きるメジロの姿に励まされる思いです。