またしても床下加工ネタです。
車体ほど気を遣わないのと、グレーや黒の単色塗装で済むので、部屋に引き篭りがちな冬場にもってこいです。(笑)
さて、実車は5両という少数派ながら、国鉄・JR・私鉄譲渡車と模型の世界ではマイクロエースが多彩なバリエーションを展開しているキハ37系。キハ40系列より幅を絞ったスタイリッシュな出で立ち、船舶エンジン(DMF13S)の採用など新機軸を盛り込んだことで活躍が期待されていましたが、投入対象線区の相次ぐ廃止や3セク転換などで残念ながら量産化はされないままJRに承継され、西日本の2両は主に加古川線で運用され、その後は朱色を纏い米子に転じて境線等で活躍、運用終了後は米子駅構内での長期留置を経て09年に廃車解体されています。いっぽう、東日本の3両は近年まで久留里線の主力として活躍し(2012年11月訪問時の記事はこちら)、これも廃車かと思いきやキハ30系列と共に全車が水島臨海鉄道で再出発を果たしたのは広く知られるところです。譲渡回送時の記事はこちら。
そんな数奇な運命を辿ったキハ37系ですが、製品の床下を見ているとどうもエンジンの形状が不自然です。元写真を撮り忘れたのでどうしようもありませんが(汗)、Wikipediaでキハ37の項を見ていると〈1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけて、順次機関をカミンズ製DMF14HZへ換装し、縦形(直立シリンダー形)エンジンに特有の室内床面の点検口が埋め込まれた〉とあることから、どうやら製品では東日本仕様のエンジン(DMF14HZ)が再現されているようです。つまり、製品の床下が当てはまるのは2代目久留里線色と水島臨海鉄道色のみ、ということになります。
そんな事実を知ってしまうと手元の加古川色を原型エンジンに作り変えたくなるところですが、原型のDMF13Sそのものズバリの床下は製品化されていません。10年ほど前にマスターピースなるメーカーからプラキットが製品化(床下機器含)されていたのを覚えていますが、現在ではおそらく入手不可能でしょう。また、同型のエンジンを積んだ車両としては鹿島臨海鉄道6000形(KATO)や三陸鉄道36形(TOMIX)が近年旺盛なバリエーション展開によって入手も容易ですが、両者とも実車の登場から比較的早期の製品化とあって元々の設計が古く、やはり床下機器の印象把握はイマイチです。
そうなると、現代水準での近似エンジンはキハ20系用のDMH17Cとなります。幸いにもTOMYTECから鉄コレ13弾において安価でリアルに再現されているので、余剰車からもぎ取って充当します。
画像左側、元のエンジンを取っ払って中央に配置しました。跡が穴だらけですが見えないので塞いでいません。(笑)
他の機器も配置が異なるようなのでWeb上の写真を見ながら適宜移設しています。どうやら冷房化(サブエンジン式)の前後で違いがあるようで、せっかくなので冷房化後としました。
M車については切削を繰り返してできる限り再現していきます。
他から流用できるものが少ないので、ほとんどの機器はモーターカバーからそのまま切り貼り。奥まっている機器については間引いておきました。
塗装したところ。前回の「ほのぼのSUN-IN」同様、上回りの出来が良いので床下に手を入れてやるとぐっと印象が良くなります。カプラーはTN化。
M車はこのように。エンジンもある程度は再現できたでしょうか。
車端はキハ40系用のカプラーとステップを取り付けました。トイレはこの時代ならまだ垂れ流しでしょうか。ひょっとすると冷房化(94年)と同時にタンク化されたかもしれませんが、流し管のパーツが異常に余っていたので取り付けておきました。(笑)
最後に、うちの加古川色気動車たち。キハ35はまだ紹介していなかったように思います。帯のデカールを見つけたのでKATO製品を塗り替えたものですが、ファルベの青緑1号はマイクロ製品と色味が似ています。一方、過去に製作記事で紹介したキハ20はGMの青緑1号を使用したので随分と異なる色合い。定番の色でもメーカーによって違うのだと、よい勉強になりました。ここまで来るとキハ40系列も増やしたいですね。
車体ほど気を遣わないのと、グレーや黒の単色塗装で済むので、部屋に引き篭りがちな冬場にもってこいです。(笑)
さて、実車は5両という少数派ながら、国鉄・JR・私鉄譲渡車と模型の世界ではマイクロエースが多彩なバリエーションを展開しているキハ37系。キハ40系列より幅を絞ったスタイリッシュな出で立ち、船舶エンジン(DMF13S)の採用など新機軸を盛り込んだことで活躍が期待されていましたが、投入対象線区の相次ぐ廃止や3セク転換などで残念ながら量産化はされないままJRに承継され、西日本の2両は主に加古川線で運用され、その後は朱色を纏い米子に転じて境線等で活躍、運用終了後は米子駅構内での長期留置を経て09年に廃車解体されています。いっぽう、東日本の3両は近年まで久留里線の主力として活躍し(2012年11月訪問時の記事はこちら)、これも廃車かと思いきやキハ30系列と共に全車が水島臨海鉄道で再出発を果たしたのは広く知られるところです。譲渡回送時の記事はこちら。
そんな数奇な運命を辿ったキハ37系ですが、製品の床下を見ているとどうもエンジンの形状が不自然です。元写真を撮り忘れたのでどうしようもありませんが(汗)、Wikipediaでキハ37の項を見ていると〈1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけて、順次機関をカミンズ製DMF14HZへ換装し、縦形(直立シリンダー形)エンジンに特有の室内床面の点検口が埋め込まれた〉とあることから、どうやら製品では東日本仕様のエンジン(DMF14HZ)が再現されているようです。つまり、製品の床下が当てはまるのは2代目久留里線色と水島臨海鉄道色のみ、ということになります。
そんな事実を知ってしまうと手元の加古川色を原型エンジンに作り変えたくなるところですが、原型のDMF13Sそのものズバリの床下は製品化されていません。10年ほど前にマスターピースなるメーカーからプラキットが製品化(床下機器含)されていたのを覚えていますが、現在ではおそらく入手不可能でしょう。また、同型のエンジンを積んだ車両としては鹿島臨海鉄道6000形(KATO)や三陸鉄道36形(TOMIX)が近年旺盛なバリエーション展開によって入手も容易ですが、両者とも実車の登場から比較的早期の製品化とあって元々の設計が古く、やはり床下機器の印象把握はイマイチです。
そうなると、現代水準での近似エンジンはキハ20系用のDMH17Cとなります。幸いにもTOMYTECから鉄コレ13弾において安価でリアルに再現されているので、余剰車からもぎ取って充当します。
画像左側、元のエンジンを取っ払って中央に配置しました。跡が穴だらけですが見えないので塞いでいません。(笑)
他の機器も配置が異なるようなのでWeb上の写真を見ながら適宜移設しています。どうやら冷房化(サブエンジン式)の前後で違いがあるようで、せっかくなので冷房化後としました。
M車については切削を繰り返してできる限り再現していきます。
他から流用できるものが少ないので、ほとんどの機器はモーターカバーからそのまま切り貼り。奥まっている機器については間引いておきました。
塗装したところ。前回の「ほのぼのSUN-IN」同様、上回りの出来が良いので床下に手を入れてやるとぐっと印象が良くなります。カプラーはTN化。
M車はこのように。エンジンもある程度は再現できたでしょうか。
車端はキハ40系用のカプラーとステップを取り付けました。トイレはこの時代ならまだ垂れ流しでしょうか。ひょっとすると冷房化(94年)と同時にタンク化されたかもしれませんが、流し管のパーツが異常に余っていたので取り付けておきました。(笑)
最後に、うちの加古川色気動車たち。キハ35はまだ紹介していなかったように思います。帯のデカールを見つけたのでKATO製品を塗り替えたものですが、ファルベの青緑1号はマイクロ製品と色味が似ています。一方、過去に製作記事で紹介したキハ20はGMの青緑1号を使用したので随分と異なる色合い。定番の色でもメーカーによって違うのだと、よい勉強になりました。ここまで来るとキハ40系列も増やしたいですね。