峠越え型時間割

2010年09月30日 23時00分26秒 | 日記
昨日は1限から4限まで大学、そこからお茶のお稽古に行って、また大学に残ってレポートを完成させて帰宅。すぐに寝てしまいました。
後期が始まってから何となく疲れやすいのですが、昨日はレポートから解放されたせいかぐっすり寝られたので元気を取り戻せたかと思います。
で、レポートは今日の締切3時間前に提出…ギリギリ(^^;


今日の4限は「京都学基礎講読」。
後期から先生が変わって、内容も前期は各種論文を扱っていたのに対し、今度は川端康成の『古都』を15回通して扱う授業形式にガラッと変わりました。
初回はガイダンス的に先生の講義が続いたのですが、(元はあまり興味なかったけど)聞いているとなかなかおもしろい!

文学研究の手法を用いた京都学研究の可能性から、最終的には川端康成の思う古都のイメージ、京都の本質に迫っていくというもので、
先生曰く「誰も目を付けないような魅力的な仮説、おもしろいもんを期待してます」とのことです。
こりゃあもう、「おもしろき こともなき世を おもしろく」いくしかないですね。
クジ引きでいきなり決まった個人発表の順番もなかなか良い位置だったので、みんなの様子も見つつ(笑)、おもしろいもんをつくりたいです。


帰ってからは時間割を大幅に改変しました。
前期は水曜日をまるまる休日にしていたのですが、後期はそうもいかず。
というわけで、週の前半・水曜日までの時間割を詰め詰めにして、木・金曜日を思いっきり楽にしました。(木曜はまさかの4限始まり!)
4月に決めた当初の時間割の原型がほぼ分からないくらいになりましたが、「受けなければならない授業」と「取りたい授業」の両方を上手く組み合わせられたと思います。
このへんの駆け引き(?)、実はなかなか難しいのです。


写真は徳島線貞光にて。
どこかに秋らしい写真を撮りに行きたいですね。

イメージのアレコレ

2010年09月28日 22時41分16秒 | 日記
今朝はバス通学。
大学での降車時、前にいた教授風のおじさんが「一日乗車券、10枚ください」と5000円札をさりげなく出し、
「じゅ、10枚!?」と運転手さんがビックリしていました。それしか持ち合わせが無かったのかどうなのか(でも回数券は買えるはず)、いやはやスゴい。

因みに、
A「100万!?」
B「100万!?」
C「合わせて200万!?」
とは、よしもと新喜劇のネタのひとつです。
いつか言ってやろうと思っているのですが、なかなかそういう場面に遭遇しません。(大概Bさんが不在)


2限は「京都学基礎研究」。必修の授業です。
これは3つの講座に分かれていて、2回生になる時の受講登録時に、
「卒業論文のテーマに選ばないと思う、いちばん興味のない分野を選んでください」
とのことで、いちばん興味の薄い(?)文学の講座を受けました。確かに京都学の中で文学を取り扱った授業は1回生前期以来ご無沙汰ですから、自然と遠のくのも無理はありません。

授業の大まかな内容は、花園地域について。
初回の今日は、大学からもほど近いこの地域の歴史(名称のルーツなど)から始まり、花園地域の特性についてなどの導入的な内容で、最近「文学作品の舞台を歩く」といった本がよく出されていることもあって、前期の「京都学フィールドワーク」にも似た印象だなと思いました。
また、地域の通称は文化的背景を顕在化するのに有効で、ここでは明治以前の花園に対する「イメージ」というのが、重要なポイントになってくるそうです。
確かに、よく知っている地域に、文学だけが為せる「イメージ」が構築された背景というのもすごく気になります。
これはなかなかおもしろそう!前期で培った力を生かしていきたいところです。


写真は梅小路公園の黒猫。
何かたくらんでそうな表情です。

新たなスタート

2010年09月27日 23時59分59秒 | 日記
「平成22年9月27日、2回生後期の授業が始まったけんど、星は、前期とはまるで別人のようになっとったがじゃ」

などと後年誰かに語られるような偉業をまだ僕は成し遂げてはいないのですが、今日から後期の授業が始まりました。
何かイメチェンでもして周りを驚かせようという計画も(笑)、結局新しいスニーカーをおろしただけでのスタート。
後期になっても1回生が声をかけてくれて、つくづくオリターをやってて良かったなと思いました。
うん、みんな元気そうで何より!(・∀・)


1限英語の後は、1回生前期から続く恒例の2限空きコマ。
たまたま会ったオリターのメンバーと昼食がてら延々と話していました。
免許合宿がどうだったとか、後期こそはコレがしたい!とか、お前は攘夷派か開国派かどっちやねんとか、我らこそ真の京都学派なり!とか、
詭弁を弄しながら、いかにも自分たちらしい「いつも通り」の日常が始まっていきました。

また、成績の話にもなったのですが、自分も落とした「教育相談の研究」は多くの人が落としたようです。
数少ない取れていた人ですらもC評価だったようで、これを落とすと教育実習に行けないのでみんな仲良く来年受け直すことになりそうですが、やっぱり2回生になってから色々難しくなったなぁと再認識。
自分の将来のことも、もうじっくり考えなければなりません。

それから「哲学概論」「西洋史概説」「教育方法論」と受けて、帰りは雨。
予想はしていたのですが、大学からバスに乗って京都駅まで、そこから電車に乗って帰ってきました。京都駅では久々に「ワイドビューひだ36号」が見られたのが収穫だったでしょうか。
因みに、後期の時間割は落とした単位のことを考慮して今週中にまた変更する予定なので、今日は授業の感想は書きません。


写真は坂出駅に滑り込む「いしづち1号」。
エンジン全開でいきましょー!(^0^)/

今熊野攻略 その2

2010年09月26日 23時59分59秒 | 京都
夏休みも今日で終わり。
最後にちょっと街歩きでもしよう!と思い立ったのがお昼。
ふらっと電車に乗って京都駅で降りて、歩いて「七条甘春堂」を訪ねた後、せっかくだからと今熊野地域を再訪してきました。

前の訪問は4月の3日。
実に半年ぶりの訪問となります。前回は市バス「今熊野」バス停から線路沿いに山科へと抜けましたが、
今回はそこから少し南にある、東山通の今熊野交差点から滑石街道を登っていきます。


滑石(すべりいし)とだけあって坂が続きます。急な部分もあって、うちの大学周辺といい勝負です。

今回はまっすぐ進まずに横にそれてみようということで、何となく右(南)に曲がって住宅街を抜けてみました。
すると道のアップダウンを経て、謎の橋を発見!


藤棚が設けられたコンクリート製の橋です。しかし川がありません。


上の撮影場所を、今度は橋の上から。
川はコンクリートで蓋をされていて、暗渠化されているようです。


銘板を見ると、「園通寺橋」「一の橋川」とありました。調べてみると、泉涌寺から鴨川へと流れていたようです。
川があればもっと涼しげな風情だったのだと思いますが、橋自体もこうして見るといい雰囲気です。


橋を渡ると次第に人家も少なくなり、「蜂に注意」などの看板もあって何処となく秘境ムード。どうやら高台へ登っているようです。
周囲が見渡せる空き地があったのでもしや!と思って近づくと、案の定京都タワーが見えました。ちょっと安心。
写真からも分かる通り、この周辺はなかなかアップダウンの激しい地形です。


もう少し歩くと更に森が深くなりました。
まっすぐ進むと赤い橋の道に出られるようなので、進んでみます。


赤い橋は、今熊野観音寺への入り口でした。
泉涌寺の墓地も近いらしく、この辺りまで来ると人の姿もちらほら。
近くの地図案内板によるとここから東福寺方面と稲荷方面と道が2つに分かれていたので、ここは東福寺の方へまっすぐ。


立派な門がありました。


ずっと下ってくると、再び東山通の泉涌寺道交差点に出ました。
今回探索を始めた今熊野交差点から距離にしてわずか数百メートル。ひたすらぐるーっと山の方を迂回してきたことになります。
半ば分かっていたこととはいえ、何か不思議な気分。まだまだ探索の余地はあるなと思いつつ、バスに乗って帰路につきました。

改めて夏の終わり

2010年09月25日 23時59分59秒 | 日記
いきなり気温が下がったので、何か寒い!
昨日あたりから長袖を常用しているのですが、それ+ベストでどうにか安定を保っています、管理人の星です。
やっぱり寒がりなのかな…。


今日の午前中は、少しの間入院していた父方の祖母の退院に付き添ってきました。
荷物の運搬が主な仕事で、病院からのタクシーが家に着くまでに自転車で先回りしたり、なかなか慌しかったのですが、
取得したばかりの免許証を見せて祖母と話したり、ひとまず無事に退院出来て何よりです。
やっぱり家に戻ると人は元気になるなぁというのが、目に見えて分かりました。

昼からは「よしもと新喜劇」を途中まで見て大学へ。
ここ最近、生協でお菓子と飲み物を買って表のベンチで食べて図書館のメディアルームに向かうというコースが定番化していますが、今日もそれです。
30日締切のレポート(実はまだ完成してない!!)に若干の焦りを感じたので頑張って大幅に進めました。おかげで終わりは見えてきたのですが、字数を満たすのに苦労しそうです。
気づかぬ間に隣に友達が座ってきたりで、かなり集中出来た2時間半でした。

それからお茶のお稽古!
何か由緒のある道具を飾る「飾り物」のお稽古をしていたのですが、お茶杓飾り→お茶入飾りと来て、今日はついにお茶碗飾りまで来ました。
どの道具を飾るかによって扱い方も微妙に変わってくるところがおもしろく、また注意すべきところでもあります。
来月からは、畳の端に寄っていた風炉を畳の真ん中に持ってきて(客席側を少しでも暖めるため)、更に11月からは埋め込みの炉に変わるそうで、季節の変わり目を感じずには居られないお稽古でした。
明日でいよいよ夏休みも終わり。レポートを進めます。


写真は、雨上がりの讃岐財田にて。
普通列車はよく交換待ちで停車しますが、この駅の雰囲気が好きです。

当然の帰結

2010年09月24日 23時59分59秒 | 日記
今朝帰ってきました。
9/23土佐に行くぜよ!高知弾丸ツアー前半
早速旅行記をUPしましたので、どうぞご覧ください。


「2回生前期は、今まででいちばん学業をサボった。しかし、青春はサボらなかった。これからも我は走り続ける!」
相も変わらず訳の分からんことを声高らかに語る元オリターの星氏は、その青春を謳歌した代償として3教科6単位を落とし、荒涼としたキャンパスを一人歩き回った。
しかし、この前期は、教室で講義を受けるより、もっと大事なものを得たような気がする。
そう考えないとやっていられない。


でも悪い話ばかりじゃないんです。
レポート課題でいちばん力を入れた「京都地域論」がAでした!
忘れもしない7月15日の「京都学基礎講読」で熱い討論を繰り広げた(?)先生の授業で、「京都が嫌い」という先生に少し認めてもらえたような気がして嬉しかったです。
以下レポートを一部抜粋。

~~~
-前略-

筆者はこの講義の京都文化の捉え方を、数ある選択肢のひとつとして概ね肯定する。一般的な見方とは大きく異なるにしても、これは紛れもない事実に他ならない。そして、京都を心底愛し、京都を学びの対象とする筆者にとっては、京都文化の知られざる本当の姿も知っておく必要があると、一種の使命感を持って考えたからである。

-中略-

いち京都人として、観光客には京都の本当の姿を知ってほしくないという思いが心のどこかにある。その伝統や文化は確かに余りにも薄く、近代の人間によって巧みに操作・歪曲されたものであるからだ。だからこそ、これらの認めざるを得ない真実は、京都に深く興味・関心を持ち、京都を学びの対象とする人、つまり知りたい人だけが知っておけば良いのではないだろうか。

-中略-

筆者は元来、京都文化というものはモノに左右されず、形のない掴みどころのないものであると認識している。「一見さんお断り」に代表される、外部の観光客からは決して見えない保守的・排他的イメージをもった側面や、東京奠都後・太平洋戦争後の京都を復興させた京都人のバイタリティーといった、市民レベルで脈々と受け継がれてきた精神文化を好んで興味・関心を抱いてきた。
それらも京都文化を形成してきた側面であることは間違いなく、また伝統のような嘘偽りは一切見られない。あらゆる捉え方の影響も干渉も受けることのない、裏を返せば唯一「ありのままの京都」が表れている京都文化であるとも考えられる。このような、京都人のあいだに根付いてきた、目に見えない文化こそ後世に継承されるべきではないだろうか。
この15回の講義は、京都とそこに付随する伝統・文化のイメージを再考する非常に良い機会であったと考える。モノの文化と精神の文化、両者が今後も平穏無事に受け継がれていくことを願って筆を置かせていただく。
~~~

これに限らずどのレポート課題もですが、このブログにちょこちょこと書きとめていたことが、後々になって非常に役に立ちました。
うん、やっぱり「京都~」の名が付く授業は譲れない!


写真は辻~阿波加茂にて、1000型の普通列車。
後期は「行先」を見据えて尚且つ「各駅」で色んなことを吸収したいです。

土佐に行くぜよ!高知弾丸ツアー 前半

2010年09月23日 23時59分58秒 | 旅行記
高知県を初めて訪れたのは去年の5月30日。
大河ドラマ「龍馬伝」の予習を兼ねて桂浜や坂本龍馬記念館を訪れたのですが、やはり本放送が始まるともう一度行きたくなるもので、
前回訪問出来なかった場所を中心に、ほぼ突発で(?)、でものんびりと普通列車で行ってきました。

行きはJR~阪急~ジャンボフェリーといつものコースです。


洛西口駅は、高架化工事のために梅田方面行きホームが仮線・仮ホームに切り替えられていました。向こうに見える列車のいるホームが元々のホームです。
近くのJR桂川駅が開業してもうすぐ2年を迎えようとしていますが、この辺りの風景は目まぐるしく変わっています。

十三で乗り換えて三宮へ、三宮新港からはジャンボフェリー。
ジャンボフェリーは三宮・高松の両側で駅までの送迎バスが出ていますが、三宮側だけ何故か有料なので、距離が短いこともあっていつも15分ほど歩いています。

早朝高松に着いてからは、いつものように朝5時から営業しているうどん屋さんで朝食でも…と思っていたのですが、残念ながら閉まっていました。
行きのジャンボフェリーで食べておけば良かったのですが、泣く泣くコンビニでおにぎり等を買って電車に乗りました。

高松5:44発→琴平6:54着
丸亀からはMAKOと合流。
手配してもらっていた「四国再発見早トクきっぷ」を受け取って、車掌さんに日付印を押してもらいました。
このため高松~丸亀で別に乗車券を用意していたのですが、通しで買うと540円のところ、讃岐府中で分割して買うと520円になります。


丸亀発車後の風景。
窓の向こうに雨のカーテンが出来ています。ここまでの豪雨は香川ではなかなか見られないとのこと。
先が思いやられましたが、列車は何とか定時運転で終点琴平に着きました。

琴平からは気動車です!
琴平6:58発→阿波池田7:47着


琴平発車時点ではまだ激しかった雨も、塩入、黒川と進むにつれて小雨となり、交換待ちの讃岐財田ではついに止んでくれました。

徳島県に入って阿波池田から徳島線に初乗車。
阿波池田7:53発→辻8:05着
辻駅から歩いて20分ほど、吉野川バックの有名撮影地に向かいました。
小雨が降ったり止んだりの天気でしたが、お目当てのキハ47が通過する時には止んでくれました。


徳島線では1往復しか運用のないキハ47。
天気の悪い中、得し…もとい、徳島線内で無事に写真を撮れたのは十分「得をした」と言えるでしょう。
撮っていると乗りたくなってきたので、辻駅に戻って駅併設の「ほっかほっか亭」で昼食を調達してキハ47に乗り込みました。
辻10:31発→貞光10:55着


貞光にて。
JR四国では既に廃車の始まったキハ40系列ですが、また乗れることを願って見送りました。

貞光11:07発→阿波池田11:40着
1駅先の小島で交換してくる列車に乗って阿波池田に戻りました。

さて、ここからいよいよ高知県を目指します。
阿波池田11:46発→後免13:52着
数人を乗せたキハ32の単行は、再び降りだした雨の中を軽快に進んでいきました。


阿波川口では「アンパンマントロッコ」と行き違い。
キハ32とキクハ32の交換風景、外から撮ってみたいものですね。


小歩危にて。
昨年の高知行きで駅寝をした思い出の駅です。特急との交換待ちでしばらく停車してくれたので、記念に1枚。

隣の大歩危では自分たち以外の全員が下車。
因みに大歩危駅は来月1日からの駅無人化が決定しており、ホームで列車を迎え降車客を誘導する駅員さんの姿が心なしか寂しく映りました。


誰も居なくなったので、ロングシート車ながらここでようやく辻駅で買ったお弁当にありつけました。
高知県内に入った隣駅の土佐岩原からは、数人が乗ったり降りたり。あまりにも県境がハッキリしていて驚きました。


大田口にて。
最近土讃線内で行われているホームのかさ上げ工事が完了しています。
キハ32とキハ54のトイレなし・ロングシート車も置き換えが近いのでしょうか…。

土佐山田からは一気に乗客が増えて、賑やかになった列車はすぐに後免に着きました。
ここで「土佐・龍馬であい博フリーきっぷ」を買って、土佐くろしお鉄道に乗り換えます。
後免14:03発→安芸14:56着


土佐くろしお鉄道の普通列車「やたろう2号」です。
車内には…


岩崎弥太郎と、


中岡慎太郎の写真が貼ってありました。
沿線に彼らの出身地があることから、大河ドラマ放送に合わせてタイアップしたものと思われます。

また、この列車には嬉しい設備が!


海側がオープンデッキになっています!
このため座席が中央に設置されていて、なかなかおもしろい室内レイアウトです。

線内はどこでもオープンデッキに出られるということで、安芸までのほとんどを外で過ごしました。
乗ってみた感想は「頑張ってる三セク鉄道」。
沿線に高知のベッドタウンを持っているせいか乗客や列車本数も多く、またこのような個性的で遊び心あふれる車両もあることが観光客も引きつけている要因だと思います。これからも楽しませてほしいですね。

天気も徐々に回復して、素晴らしい景色が楽しめました。


海あり、


トンネルあり(風がすごかった!)で、列車は安芸に着きました。
駅でレンタサイクル(無料!!)に乗って、一路絽目的地へ向かいます。

満月の夜、いろいろと

2010年09月21日 23時59分59秒 | 日記
今日は暑い一日でした。
明日明後日辺りに雨が降って、そこからは少し涼しくなるそうですが…。
来月は楽しみなこと色々いっぱいです!(・∀・)☆
(↑!に顔文字に☆マークなので、よっぽど楽しみなのである)


最近よく肩が凝ります。
ちょっと前までは想像もしなかったことですが、もうそういう年齢になってきたということなのか、デスクワークのやり過ぎなのか(笑)、すぐに起き上がれないというのはなかなかツラいです。
決まっていつも左肩。右手でギューっと揉んで、ようやくマシになったところで寝床を抜け出せるのであります。
あー、またどこか温泉に行きたい!

夕方からはふらっと大学へ。
またまた「京都学基礎講読」の課題をやりに行きました。
家でも出来るのですが、やはり図書館のメディアルームの方が集中は出来ます。休みの間も大学の設備を利用して高い授業料のモトを取るという魂胆もあります。
この夏休み中にはかれこれ3回ほど大学に行っていますが、一切知り合いには会いません。
みんな元気なんでしょうか…(^^;

そういう感じ(?)で、流れにノってキーボードを打ち込んでいると、
「すみません、もう閉めますんで」とスタッフの人に言われ、19:30に図書館を追い出されました。
何と、平日は22時までやっているとばかり思いきや、夏休み中の平日は19:30までなんですね!
人がせっかくやる気のある時に、もう少し開けといてくれても…と思うのですが(笑)、もうすぐ授業も始まるので、その時は時間ギリギリまで有効活用しようと思います。
あー、課題をやんなきゃいけないorz

仕方がないので、帰りは梅小路公園で猫と戯れて(最近のマイブーム)、久々に夜のディスカバリーを撮って帰りました。


写真は満月の空の下を行く「タンゴディスカバリー3号」。
連休が終わったせいか、6両編成の車内はかなり空いていました。

新たな原点

2010年09月20日 23時59分59秒 | 日記
昨夜はまた旅行のプランを色々と考えていました。
来月は普通に授業があることから(しかも11日は授業日!!)、そこまで自由度は高くありませんが、また行きたいところに行こうかなと考えています。
そう、それで切符を色々調べているんですよ。たくさんあっておもしろいです。


今日はお彼岸ということでお墓参り。8月7日にも行ったお寺です。
前回は車でしたが、一応徒歩圏内にあることから、今日は時間をかけて徒歩!
車で行くと必然的にメインストリートを通ることになるのですが、徒歩なので初めての道を探検気分で歩いてみました。時代祭の幟があったり、昔ながらの酒屋さんがあったりで下町の雰囲気。
どこかの飼い猫の歩く方へついていくと、まるでタイムスリップしたかのような路地や見知らぬ史跡が現れ、こんな近くにこんな風情のある場所があったのかとただただ驚く次第。
少し歩くと賑やかしい表通り、私有地には市電のものであろう敷石も並べられていました。

お墓の掃除をした後は、お寺の方と少しお話。
「京都学という、新しい学問をやっております」と言うとかなり反応していただけました。
もともと奈良の方だそうで、奈良と京都の違い、奈良人気質というものをほぼ初めて聞かせていただき、遷都という国にとって大きな出来事を経た二つの場所の特殊性というものが垣間見えました。
この夏は課題をやっているのみで、あまり京都で京都学に触れる機会が無かったのが残念だったのですが、精神的側面が大きく関わるひとつの地域の学問なので、今日こうして貴重なお話をうかがうことが出来て良かったです。
後期は前期で培った経験を生かし、今まで以上に邁進していかなければなりません。


2年前の夏、進路指導室。
「僕はここで為すべきことがあると思うんです。京都学に賭けてみたいんです」
全てはこれから始まった。

毎日連休

2010年09月19日 23時25分34秒 | 日記
昨日寝たのが遅かったので、今日起きたのはお昼。
免許合宿から帰ってきて以来、いつ寝ても午前中の起床を死守していたのですが、やっぱり早く寝ることも大事です。
後期も月曜は1限始まりなので…。


で、シャワーを浴びてからのんびりPCに向かって執筆を続けていたのですが、どうにも集中出来ず。
陽射しの強さが気になりつつも、思い切って外に出てみると風が心地よく、自転車に乗って大学に向かうことにしました。
車の速さを知ってから自転車に乗るのが少し億劫になっていたものの、やっぱり京都は自転車がいちばんです。
帰りに見かけた嵐電が2両編成で、ようやく今日が三連休の中日であることを認識…。

そうして、図書館のメディアルームで無事にオリター活動の総括を書き上げました。
やはりこういう記録はきちんと残しておかなければなりません。すべては来年度以降のために。


さて、「龍馬伝」はいよいよ三部が終わりました。
霧島での新婚旅行の後、龍馬が薩摩で西郷隆盛や小松帯刀と一瞬対立するシーンがありましたが、近江屋事件の薩摩藩黒幕説を少し匂わせているような気がしました。私は薩摩藩説は支持していませんが、実際まだ明らかになっていないこともあり、最終話がどう描かれるのか非常に興味深いところです。
四部はついに岩崎弥太郎が長崎に入り、大政奉還へ向けて龍馬と後藤象二郎が連携するなど一気に進展が見られそうです。今週から続く四境戦争のシーンでは、着流し姿に三味線を持って指揮を執った高杉晋作もよりクローズアップされるようで楽しみですね。


写真は余部旧橋を渡ろうとする普通列車。
気づけば鉄橋が架け替えられて、「はまかぜ」が置き換えられようとしていて、目まぐるしいものです。

切符から広がる…

2010年09月18日 23時59分59秒 | 日記
今朝は10時半に起きました。
気づけば9月も半分を過ぎ、夏休みも終わりに近づき…。
後期をスムーズに始められるように、色々と準備しなければなりません。


午前中は「京都学基礎講読」のレポート執筆。
午後からは、ほったらかしにしていた(汗)オリター活動の総括を書いていました。
そんな時にこのブログや日頃持ち歩いている手帳が役立つわけですが、「あぁ、こんなこともあったなぁ…」と、妙にしみじみ。
研修は2月から始まりましたが、これが最後のお仕事。色々と振り返っているうちに、「大学在籍中で誇れる経歴のひとつ」というのが何となく分かるような気がしました。
これは間違いなく来年に生かされる報告書なので、レポートの方と合わせてしっかり取り組もうと思います。


で、それとは関係なく(笑)チケットショップトーカイのHPを見ていたら、京都からの昼特切符の区間が、三ノ宮はもちろん明石や姫路、果ては岡山まであることを知りました!
京都~大阪などの近距離は今までよく使ってきたのですが、乗り継ぎ(それでも最低1回)が必要で、明らかに新幹線の需要の方が多いと思われる岡山まで設定されていたとは驚きです。
因みにここで買うと京都~岡山の片道が約3000円になり、少し前に考えていた、京都~三宮~(ジャンボフェリー)~高松~岡山のコースといい勝負です。所要時間は前者が当然短く、これに特急券を足せば何と気動車特急(スーパーはくと+スーパーいなば)のみで行けてしまうという素晴らしさ!
と言っても岡山にあんまり用事は無く、来月上旬は「鉄道の日記念・西日本一日乗り放題きっぷ」で十分事足りるのですが、備忘録としてここに書いておこうと思った次第です(^^;


写真は岡山繋がりで、倉敷にて特急「やくも」。
昨年末に何気なく撮ったものですが、今となっては貴重なシーン?

下鳥羽に歴史をみる

2010年09月15日 22時49分31秒 | 日記
今朝は早起き!
伏見は羽束師にあります免許試験場まで、本免許試験を受けに行ってきました。
自転車でほぼ初めての道(もはや土地勘も効かない)ばっかりだったのですが、とんでもなく遠いところにありました…。

で、もっと驚いたのが、免許試験場の建物。
すっごく古いコンクリートの建物で、長年の風雨に晒されて外観は真っ黒。
中に入ると、やけに高い天井、多数の窓口、コンクリの柱、2階へと延びる階段…この雰囲気どこかで見覚えがある。
そう、西都城駅!
両方行ったことのある人は少ないと思いますが、内部は本当にそっくりです。
おかげで共通点を見つけるために待ち時間も退屈しなかったのですが(笑)、おそらく建てられた時代も同じではないでしょうか。(西都城駅は1979年高架化)
そうして半年前に訪れた彼方の地に思いを馳せながら、本免許試験を受けたのでした。

で、こうしてここに書いているくらいなので、結果は合格でした。
試験を受け終わってからの手続きがあっという間で、写真を撮って1時間ほど空いた後、すぐに免許証が交付されました。
とりあえずこの夏の目標をまた達成出来たわけですが、ドライバーとしてはまだまだこれから。
いつか遠いところまでドライブが出来るように、まずは町内一周から頑張っていこうと思います。


免許試験場からの帰りは、せっかくなので小枝橋に寄り道。
1868年、あの戊辰戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦いの開戦の地で、ここから淀、橋本へと旧幕府軍と新政府軍が熾烈な戦いを繰り広げました。

「近くの農家小屋にこの時の銃弾の跡が残っていたけども、数年前に取り壊されてしまった」
高校の時、社会科の先生からこういう話を聞いた覚えがあります。今では名神高速が走り、小枝橋自体も北側に付け替えられてしまいましたが、鴨川のほとりに畑や古い民家が点在する様子は当時の風景を少しでも思わせるようで、
外国との戦争も忘れてはいけませんが、日本人同士での戦争はもっと悲しいことだなと思いながら帰路につきました。


写真は旅行記からの再掲ですが、日豊本線西都城駅。
途切れる高架の廃線跡、ガランとした駅構内、隣の都城駅との差が激しいです。

つまらなくなっても

2010年09月14日 21時56分43秒 | 日記
今朝は「リゾート」の廃車回送を撮るために、3時45分に家を出てずーっと北上。予想通り風が涼しく、今期初の長袖着用となりました。
撮影場所は最後まで迷っていて、花園から順に西進していった結果、太秦駅西側の歩道橋で待機。
移動中には俄か雨に遭いましたが、さながら涙雨のようで濡れたホームが印象的でした。

もともと好きだった急行「だいせん」で使用されていたこともあり、「ダイヤ情報」を手にしてからはよく追いかけていたキハ65形エーデル・リゾート。
春から順次廃車回送が進み、最後に残った4両もこれで向日町から姿を消すこととなります。
待つこと30分、ホームにも同業者が何人か見える中、リゾートは夜明け前の太秦駅をいつものように駆け抜けていきました。
通過直後から明るくなり始めた空は、優しいオレンジ色の雲が何層にも重なって、それはそれは美しいものでした。


帰ってからテレビを見ると、民主党代表選の様子が盛んに伝えられていました。
いよいよ国家の品格が問われると思っていたのですが、予想通りに菅さんが再選。
しかしながら、未だ小沢さん支持がこんなに多いのを目の当たりにして、世間と国会議員が如何にズレていたかが改めて浮き彫りになった選挙だったと思います。
小沢さんは、ここで辞めないとますます晩節を汚すことになるのではないでしょうか。

「歴史が判断してくれる」
麻生さんが辞任の時に言っていたことが、1年を経て現実のものとなりました。
代表がどうとかではなく、今やるべきことがたくさんある。この代表選でかき消された問題も多いはずなので、とりあえずひとりの総理大臣に長く続けてほしいです。
僕は今後も日本で生きていたいのです。


写真は、太秦を通過するリゾートの廃車回送。
アップダウンを越え、嵐山の奥に見えなくなるまで見送りました。