誘う文学たち

2010年11月03日 23時59分59秒 | 日記
えーっと、20時頃にちょっと1時間ほど寝るはずが…
現在、朝の4時を回ったあたりです。つまり本格的に寝てしまったというわけです。
とりあえず、この日記を書いてもう一度寝ようと思います。


今日の3限は「文学と社会」。
この1ヶ月ほど北村透谷についての内容が進められてきましたが、今日は「倦(う)む」という言葉の説明がありました。
倦怠期…などに代表されるように、退屈する、嫌になるといったような意味です。これは同時に文学作品の主人公の傾向でもあり、梶井基次郎『檸檬』や三島由紀夫『金閣寺』の主人公が当てはまるそうです。
確かに、檸檬が爆発したり金閣寺を燃やしたりする行為は、少なからず世の中への鬱積や不満の表出といったところでしょうか。

また、この授業ではよく先生の名(迷)言が出るということで楽しみにしているのですが、
今日は「優れた日記は文学になります!」でした。これは北村透谷が獄中で述べた『楚囚之詩』を扱っていたことから出たのですが、これも当たっていますね。
2限の「京都地域論」で登場した谷崎潤一郎の『朱雀日記』もそうですし、ずっと遡れば『紫式部日記』なども十分該当します。その当時書いたご本人は、まさか時を超えて大学の授業で扱われるなんて予想外だったと思いますが…。
自分も文章を書くことが好きなので、優れた日記が書けるようになりたいです。

4限は「日本文化の奔流」。
この授業については初めて触れますが、リレー講義形式で毎週著名人の方が来られて講義をされるというもの。
今日は芥川賞作家の平野啓一郎さんの講義でした。今まで講義をされた方の中ではいちばん若い方で、「自分」や「アイデンティティ」というものの考え方にとても親しみを覚え、
大学生という身分故か、自分の中でもなかなか定まりにくい生き方への苦悩が少しスッキリしたというか、良いヒントが得られたような気がしました。
今まで作家の方とはその作品の中でしかお会いすることがなかったのですが、作家という職業がどのようなものか、文章を書くということはどういうことか、大変貴重なお話を聞かせていただきました。

今日は3限・4限と、文学というものについて、色々と見て聞いて考えた一日でした。
まるで平日であるかのようにしれっと書いていますが、今日って本当は祝日だったんですね。いま気づきました。


写真は今朝の「はまかぜ」回送。
初心に戻って長岡京駅。煙を上げて加速していく様子がたまりません。