役割と居場所

2010年11月30日 22時57分11秒 | 日記
上がったり下がったり上がったりで、11月も今日で終わりです。
何気なく過去の記事を見返していると、去年の今日は「オリター本登録の用紙を提出した日」でした。
そういえば来週からいよいよ最後の仕事である引き継ぎが始まります。閣僚みたいに互いの名前を書き合う…ものではないと思います、多分。


今日の2限は「京都学基礎研究」。
3人の方の発表を聞いていましたが、どれもおもしろい視点でした。
先週、自分が発表を終えた後には「それやろうと思ってた!」「自分のやってることと似てる!」という意見も受けたことも事実ですが、それでもみんな独自の方向に進んでいて、そういう意味では礎になれたのかなと思いました。
課せられた役割を果たすことは大変なものの、いちばん大事なことだと感じる今日この頃です。

5限は「京都学特別講義」。
先生から、土曜日の巡検の際に河井寛次郎記念館前で撮ってもらった集合写真が配布されました。
少人数クラスの強みなのか、この講義は本当に至れり尽くせりです。今まで受けたあらゆる京都学の講義の中でかなりのお気に入りの部類に入ります。

そんな特別講義の今日の内容は、近代京都の観光ブームの発祥について。
明治20年代の日本は、大日本帝国憲法発布を中心とした国民国家確立の時期において、地域史を日本史に位置づけることを喫緊の課題としたと言います。
例えば加賀は前田利家、甲斐なら武田信玄といったように、京都は自らを国風文化と安土桃山時代に重ねたそうです。ここに「お国自慢」が興ります。
京都では、国風文化のイメージが平安神宮に具現化され、平安遷都1100年と同じくして行われた内国博覧会では、琵琶湖疏水などの進んだ文明をアピールしました。

他にも日清・日露戦争など、この時代の京都の背景には日本全体の歴史が大きく関係しているため、一見京都学でないようで京都学である内容だったのですが、やはり近代はイメージがつきやすく(平安神宮や疎水など、残っているものが多い)、「京都」というフィールドに特化するならば、いちばん好きな時代です。(『日本』全体ならば幕末がいちばん好き)
そんな時代に帝国大学の書生にでもなってみたかったなと思いを馳せつつ、自分の興味や関心、ひいては今後の研究対象が定まりつつあるような気がした火曜日の夕刻なのでした。


写真は夏休みの撮影分より。
「ここはどこ?」的な写真ですが、蹴上の発電所です。