【春分の日のみ運行】京都バス45系統(岩倉村松→京都駅前)の続きです。
さて、45系統に乗車した後は、順番から言えば次は高野車庫から一乗寺木ノ本町経由の大原行き(過去の乗車記事を参照ください)に乗るべきなのですが、市バスと重複するルートなので今年はパス。そんなことを言ってしまえば45系統もそうなのですが、朝が早かったので何も口にしておらず、河原町丸太町近くのホテルで優雅に朝食バイキングと相成りました。時節柄、連休初日にもかかわらず宿泊客は少なめで、しっかり腹ごしらえを済ませてから市バスを乗り継いで高野橋東詰へ、歩いて高野車庫へ向かいました。
次に乗るのは、下鴨中通経由の地下鉄北山駅行き。
この路線は短いながらも街ナカの文教地区を走り(路線図ピンク色のルート)、路線図によれば終点は植物園北門前となっていますが、以前はここが「北山駅前」と名乗っていました(以前の乗車記事で触れています)。やがて数年前のダイヤ変更で市バスの停留所と名称が統一され、入れ替わりに一つ手前の「前萩町」が現在の「北山駅前」に。これは年1便のためにわざわざ、ということではなく、現在の北山駅前は本数が少ないながらも他系統(30・46系統)が経由することから、旅客案内上でも改称する必要性があったのでしょう。
(敷地外より撮影)
車庫を覗いてみると、既に先ほどの144号車が「地下鉄北山駅」表示を出して待機中。やはりこの車両が一日中走り回ることになりそうです。
そして隣には「大原」表示を出した17号車の姿が。もしやこれが95系統とその送り込みの続行便になるのか……?
そんな期待をしながら、地下鉄北山駅行きに乗車します。高野車庫バス停には既に15人程度の列。45系統で見かけた顔もちらほらと、そして時間も9時過ぎということで、やや離れたエリアからも乗りに来ることができる時間帯です。
9:30、定刻通りに144号車が出庫してきました。立客は多かったものの、後方にはわずかに空席が残っていたのは、前方の車内モニターに年1回しか表示されない停留所名を収める向きが多いのでしょう。
バスは右折して高野橋を渡り北大路通へ、途中のバス停では明らかに市バスを待つ乗客の姿もありますが、「地下鉄北山駅行きです」とアナウンスをしながら律儀に停車していきます。やがて同業者を2,3名拾ってバスは府立大学前を右折、単独区間となる下鴨中通へ。
早くもハイライトを迎えつつありますが、車内の静かな興奮とは対照的に車外はいつもの風景。
府立大学前は右折の関係から単独の標柱。
ボロボロですが、年1便であれば問題はないのでしょう。
府立大学正門前を過ぎ、その次、
今年は京都コンサートホール前で下車しました。
実際にはコンサートホールは少し離れており、京都府立京都学・歴彩館の前にあたります。私も修士論文の執筆でお世話になった府立総合資料館の後継施設にあたり、ここで京都バスの歴史を調べることもできますが、残念ながら現在は時節を反映して3月いっぱいまで閉館中。
しかし、歴彩館のTwitterアカウント(@rekisaikan)のつぶやきによれば、この下鴨中通にバスが通ったのは1981(昭和56)年とのことで、これはちょうど地下鉄が北大路まで開業した年にあたります。90年の北山延伸まではフィーダー輸送のメインルートを担っていたのでしょう。
下鴨中通を北上するバスを見送ります。沿道には撮影者の姿も見られ、このバスに対する関心の高さが窺えました。
さて、次のバスは……
やはり、一年後です。
誰かの忘れ傘は、一年後もこのままでしょうか。
次のバスまではあまり余裕がないので、来た道を北大路通まで歩いて戻り、市バスで高野車庫へと戻ります。
【春分の日のみ運行】京都バス庫系統(高野車庫→草生町→大原)へ続く
さて、45系統に乗車した後は、順番から言えば次は高野車庫から一乗寺木ノ本町経由の大原行き(過去の乗車記事を参照ください)に乗るべきなのですが、市バスと重複するルートなので今年はパス。そんなことを言ってしまえば45系統もそうなのですが、朝が早かったので何も口にしておらず、河原町丸太町近くのホテルで優雅に朝食バイキングと相成りました。時節柄、連休初日にもかかわらず宿泊客は少なめで、しっかり腹ごしらえを済ませてから市バスを乗り継いで高野橋東詰へ、歩いて高野車庫へ向かいました。
次に乗るのは、下鴨中通経由の地下鉄北山駅行き。
この路線は短いながらも街ナカの文教地区を走り(路線図ピンク色のルート)、路線図によれば終点は植物園北門前となっていますが、以前はここが「北山駅前」と名乗っていました(以前の乗車記事で触れています)。やがて数年前のダイヤ変更で市バスの停留所と名称が統一され、入れ替わりに一つ手前の「前萩町」が現在の「北山駅前」に。これは年1便のためにわざわざ、ということではなく、現在の北山駅前は本数が少ないながらも他系統(30・46系統)が経由することから、旅客案内上でも改称する必要性があったのでしょう。
(敷地外より撮影)
車庫を覗いてみると、既に先ほどの144号車が「地下鉄北山駅」表示を出して待機中。やはりこの車両が一日中走り回ることになりそうです。
そして隣には「大原」表示を出した17号車の姿が。もしやこれが95系統とその送り込みの続行便になるのか……?
そんな期待をしながら、地下鉄北山駅行きに乗車します。高野車庫バス停には既に15人程度の列。45系統で見かけた顔もちらほらと、そして時間も9時過ぎということで、やや離れたエリアからも乗りに来ることができる時間帯です。
9:30、定刻通りに144号車が出庫してきました。立客は多かったものの、後方にはわずかに空席が残っていたのは、前方の車内モニターに年1回しか表示されない停留所名を収める向きが多いのでしょう。
バスは右折して高野橋を渡り北大路通へ、途中のバス停では明らかに市バスを待つ乗客の姿もありますが、「地下鉄北山駅行きです」とアナウンスをしながら律儀に停車していきます。やがて同業者を2,3名拾ってバスは府立大学前を右折、単独区間となる下鴨中通へ。
早くもハイライトを迎えつつありますが、車内の静かな興奮とは対照的に車外はいつもの風景。
府立大学前は右折の関係から単独の標柱。
ボロボロですが、年1便であれば問題はないのでしょう。
府立大学正門前を過ぎ、その次、
今年は京都コンサートホール前で下車しました。
実際にはコンサートホールは少し離れており、京都府立京都学・歴彩館の前にあたります。私も修士論文の執筆でお世話になった府立総合資料館の後継施設にあたり、ここで京都バスの歴史を調べることもできますが、残念ながら現在は時節を反映して3月いっぱいまで閉館中。
しかし、歴彩館のTwitterアカウント(@rekisaikan)のつぶやきによれば、この下鴨中通にバスが通ったのは1981(昭和56)年とのことで、これはちょうど地下鉄が北大路まで開業した年にあたります。90年の北山延伸まではフィーダー輸送のメインルートを担っていたのでしょう。
下鴨中通を北上するバスを見送ります。沿道には撮影者の姿も見られ、このバスに対する関心の高さが窺えました。
さて、次のバスは……
やはり、一年後です。
誰かの忘れ傘は、一年後もこのままでしょうか。
次のバスまではあまり余裕がないので、来た道を北大路通まで歩いて戻り、市バスで高野車庫へと戻ります。
【春分の日のみ運行】京都バス庫系統(高野車庫→草生町→大原)へ続く
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます