京都市交通局ダイヤ改正(52系統復活)

2018年01月29日 01時44分52秒 | バス関係
些か旧聞ですが。

京都市交通局より、3月からの市バス新ダイヤの概要が発表されました。
今改正の目玉は京都バスとの共同運行となる「京大快速」の新設、そして七本松通を経由する52系統(試験運行)の「復活」でしょう。
と云うのも、京都駅と衣笠地域を結んでいた先代の52系統は20年以上前に廃止されており、以降は50系統や55系統が長らく後継を担っていました。ところが、交通局が近年積極的に取り組んでいるMM(モビリティ・マネジメント:特定の地域において、自動車への過度な依存から公共交通機関への自発的転換を促す)により、七本松通を擁する仁和学区ではバス利用の機運が高まったことから、今回の試験運行となったようです。
先代52系統は97年の廃止なので私も見たこと自体はあるかもしれませんが、どうにも記憶にありません。実は大学進学まで衣笠地域にはほとんど縁がなかった、というのが正直なところです。
しかし、かつての起終点であった等持院近くに残されていたこちらの看板でその存在を知るに至りました。


場所は、嵐電等持院駅と龍安寺駅の間にある踏切近く。


画像では電柱に被って分かりづらいですが、右の建物に長らく掲げられていました。
今出川通を白梅町まで走ってきた先代52系統はそのまま嵐電沿いに西(画像右方向)へと突き進み、踏切手前のところで北(画像手前方向)に進路を変えて等持院前へと向かっていました。しかし、それもせいぜい80年代までのことで、以降は等持院に寄らず手前の馬代通を北上するルートに変更され、立命館大学や金閣寺方面への足となっていたようです。
やがて52系統は廃止され、いつしか看板だけが生き証人となっていましたが、つい最近になって建物が取り壊され更地に、そして駐車場となってしまい、ここまでバスが来ていた痕跡はいっさい現存しません。
仮に白梅町以西のルートを復活させるにしても、ただでさえリスクの高い狭隘路線、当時よりも自転車の学生は増えたでしょうし、数年前の改正で特205系統が馬代通経由へと振り替えられたことで、再びの等持院乗り入れは現実的ではないでしょう。
けれども、七本松通からは先代52系統も経路変更で早々に姿を消していましたから、実に30数年ぶりのバス路線復活となります。系統廃止当時の97年と比べても街並みは大きく姿を変えてしまいましたが、いま再び市街地と大学を、そしてバスを待ち望んでいた地域を結ぶ路線に「52」の番号が割り当てられたことは粋な計らいと言えるでしょう。

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1 コメント

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52 等持院 (もと等持院荘住人)
2021-06-09 03:20:53
52系統の等持院行きは、忘れもしない、
私が教育実習でふるさとの卒業した中学校に戻っている間に廃止になった。1988年の6月のことだ。
確かそれ以前に国鉄バスの山城大森行きが廃止になった。杉阪、丹波福居などの国鉄バスの路線や京都交通の仏主などの路線は、後輩といっしょに乗りつぶし、バスの走行写真の撮影にも行っていたあのころ。等持院荘に引っ越す前は、西大路太子道の玉姫殿うらに住んでいた。27系統の馬塚町のターンテーブルも懐かしいね

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