【春分の日のみ運行】京都バス庫系統(高野車庫→草生町→大原)

2020年03月24日 15時13分11秒 | バス関係
【春分の日のみ運行】京都バス庫系統(高野車庫→植物園北門前(地下鉄北山駅))の続きです。

京都コンサートホール前でバスを降りた後は、北大路通に出て市バスに乗り、再び高野車庫へ。
次に乗車する草生(くさお)町経由の大原行きは95系統の送り込みを兼ねた便で、既にバス停には長い列が形成されています。


車庫には先ほどの144号車が既に入庫のうえ「大原」表示で待機、そして予想通り17号車が出庫の準備を始め、誘導の係員氏より大原行きは2台で運行する旨が告げられます。「この辺りまで座れます!」と言われたのが私の少し前、ならば続行の17号車に乗ってみようということで、


144号車を見送り、


後続の17号車に乗車します。後ろに控えているポンチョも同じ小型ですが、定員の面で難しいのでしょう。座席数は17号車のほうが多いものの、すぐに埋まり、立客数人で出発。時節柄か全ての窓が少しずつ開いており、心地よい風を受けながら川端通を北上していきます。
この17号車、基本的には平日朝の32系統(広河原→出町柳駅前)に充当されることが多いようですが、29系統や46系統、33系統など小型車に混じって走っていることから意外と(?)乗車機会はあるものの、144号車と比べると1+2シートに補助席を有した貸切兼用車らしい豪華な設備が特徴。今回座れた運転席後ろからも前が見えやすいのは思いがけない発見でした。


前方の144号車とは少し間を開けて出発したはずが、花園橋の渋滞で追いつきました。さらに前方には、国際会館駅から来た19系統が大原を目指していくのが見えます。


八瀬駅を過ぎると、バイパス(右)には入らず旧道(左)へ。この八瀬バイパスは季節運行の10系統のみが経由しており、こちらもいずれ乗車したいところです。




旧道とバイパスが合流するといよいよ大原の里へ。先ほどの19系統をはじめ多くのバスは直進して大原を目指しますが、庫系統は野村別れで左折し、続く野村の交差点を右折。いよいよ単独区間に差し掛かります。


大原の里山を眺めつつ、運転手さんも年に一度のバス停を確認しながらゆっくりと走行していきます。運行頻度が運行頻度なので目立たないようにしているのか(?)、この区間のバス停は電柱や植え込みの陰にひっそりと立っています。


草生町を過ぎると終点大原は目前ですが、今回も独自区間での下車を試みようと思い、大原の二つ手前、寂光院道で下車。
大原と言えば東側の三千院界隈が有名で賑わっていますが、西側の寂光院と里山の風景も良いものです。


そんな寂光院最寄りの停留所に来るバスは……


やはり、一年後です。
先ほどの京都コンサートホール前などはまだ時刻表の体を成していましたが、時刻表もここまで来ると清々しいものがあります。とは言え、ラミネート加工された時刻表は綺麗な状態。定期的に手入れがされているところに愛を感じます。(笑)

さて、このまま大原観光といきたいところですが、踵を返して野村の交差点へ、鞍馬行きとなって戻ってくる95系統を待ちます。過去に2回乗車していることと、現在は55系統でほぼ同区間をカバーすることが可能なことから今年は撮影に回ることとしました。
(2014年の乗車記事はこちら、2015年の乗車記事はこちら


噂をすれば55系統が貴船からやって来て、大原へ向かっていきます。この55系統もおそらく間合い運用なのか、本数は維持されたものの、3月20日より時刻が変更されています。


しばらくして、144号車の95系統がやって来ました。数ある京都バスの免許維持路線においても、やはり番号付き路線は注目されるのか、車内は先ほど以上に黒山の人だかり。おそらく続行となる17号車も似たような状況だろう……と思って待っていたのですが、なかなか来ません。まさか1台で済む人数だったのか? いやいやそんなはずは、と思っていると、そこに現れたのは……


大型の43号車!


不測の事態に備えて急遽操車がされたのでしょうか。走行区間からすれば確かに小型である必要はありませんが、本来は朝から同じ車で回すようになっていますから、95系統の大型車充当は貴重な光景です。案の定、こちらも乗客を満載して江文峠に挑んでいきました。次の運行は一年後、来年はどのような車種が充当されるのでしょうか。

「祭」が終わった後で、いよいよ大原観光です。


95系統が去った後、野村バス停の近くにある里の駅大原でちょうど11:30から餅つき販売が始まるので、砂糖しょうゆでいただきます。やはりつきたては柔らかく、里山の景色を眺めながらはまた格別。桜の開花は市内中心部に比べるとまだ少し時間がかかりそうですが、


菜の花は咲き始めており、春の訪れを感じることができました。

続いて寂光院界隈を散策します。せっかく「寂光院道」で降りたのですから、とんぼ帰りは勿体ないと思い、


大原西陵(建礼門院陵)を訪れました。安徳天皇の母にあたる建礼門院ですが、壇ノ浦の戦いで平家一門と共に入水したところを助け出され、後に出家、この地でひっそりと平家の菩提を弔いながら過ごしていたようです。


振り返ると大原の里山が遠望できますが、こうした風景は実は当時からあまり変わっていないのかもしれません。いかにも隠棲にはふさわしい立地のように見えますが、こうした史実に加え、「京都大原三千院」の歌詞で始まるデューク・エイセスの「女ひとり」(1965年)、アンノン族の登場(1970年代)が都の周縁部たる当地の女性性を後押ししたのでしょう。

お昼を過ぎて少しずつ人も増えてきたので、大原バス停に戻ります。


待機している車両のなかには新車のエアロスターがいますが、しばらく運用には入りそうにありません。止む無く17系統(一番奥)で踵を返し、花園橋で対向の15系統に乗り換え、国際会館駅へ向かいました。

続く

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