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人権擁護法案とネット言論

2005年03月10日 17時50分05秒 | 法関係
MSN が不特定多数向けのチャットサービスを停止をする理由は、書き込まれた内容が不適切であるとか犯罪に繋がる危険性などが挙げられている。管理者はこうした不適切な書き込みについて適正に管理せねばならず、それに伴って管理コストや負担が大きくなるためということのようだ。確かに、犯罪のうちチャットに起因すると思われるものは、過去にも少なからず見られていた。そうした犯罪の発端となるばかりではなく、書き込まれた内容に差別的表現や人権を損ねるような誹謗中傷などを含むような、著しく不適切な内容についても散見されることが少なくない。これは、チャットに限らず、掲示板やブログ等の記述においても同様の現象が見られる。


一方、人権を著しく侵すような言動などに対して法的規制を設けるべきであるということで、人権擁護法案が国会提出されそうだ。この法案の意味するところについて少し考えてみたい。


理想的な運用では、この法の運用者が「真の善人」であれば特別な思想・言論の弾圧や国家統制というものに繋がるということはないと思います。法そのものの理念は理解できますが、果たして「理想の運用」や「運用者が真の善人」という前提が本当に守られるのか、という点においては不安があることも事実です。何故なら、法の理念がどんなによくても、運用する人間に問題があれば正しい運用が行われず、そういう過去の例がたくさん存在するからです。これについては、今までに何度も記事に書いてきました(カテゴリー:「法関係」や「おかしいぞ」などを読んでみて下さい)。法律に基づいて、省庁が細部を決め(省令や通知・通達などですね)、それを運用し(判断も当然含まれる)、決定するという一連の過程が行政庁に出来上がってしまう。規則を決めた行政が判断も決定も行えることは、多くの矛盾や誤りを生んできたと思っている。この決定を覆すには、国民側からすれば相当大きな負担であり、容易なことではないのである。通常は行政不服審査申し立てとか行政裁判等が手段となりうるが、これを実行することは現実にはかなりの負担を覚悟せねばならないのである。


幾つかの行政手続について、不利益処分に関しては「聴聞」手続きがあったりしますが、検討するのは行政側であって、一度出された決定は、まず滅多なことでは引っ込めたりしない、というのが私の印象です。身近な例で考えると、労災認定であったり、生活保護取り消しについても、裁判に持ち込まれ敗訴するまで決して変更しようとはしないことが多いと思います。勿論、不服申し立てが正当ではないという場合もあるかと思いますが、過去の行政裁判の例についての印象は、たとえ行政側に非があったとしても、絶対に「認めようとしない」ということです。


人権委員会の人選基準が不適当とも思いませんが、行政側が恣意的に選択したりできますし、今までの行政システムだって「~委員」に選ばれる人は、それはもう優れた人達に決っていました。「おかしな」「とんでもない」人を選ぶはずがない。ところが、これがやはり曲者で、本当にそう言い切れるか、というと、これまた疑問に感じるのである。例えて言えば、中医協の委員は今までたいへん立派な人が選ばれたはずだが、収賄によって逮捕された。元社会保険庁長官ですよ。中立・公平という立場ではなくなってしまったのである。果たして、このようなことをいつも防げると言い切れるであろうか?また、会計検査院の検査官は法律に基づいて立派な人がちゃんと選ばれているはずであるが、各省庁への意見はどれ程の効力を持っているであろうか?行政庁の意向に逆らってまで、会計検査を厳しくとり行い、改善措置をとらせているだろうか?警察庁の抵抗に遭えば、警察の裏金さえ改善させられないのである。検査忌避にも全くの無力なのだ。会計検査院法も法の趣旨に基づいて正しく運用できないのである。意見書を出す前に、省庁の意向を聞かねば改善措置すらまともに通すことも出来ない。会計検査院が行政庁の「顔色を窺う」ことなく、独立した機関としての役割が本当にまっとうされていると考える人は非常に少ないと思うが。


どれほど立派で優れた人を集めようと、条文に書かれていることは、特別な保障をするものではない。結局運用する人間に大きく依存するというのが、私の実感です。従って、恣意的な適用を図れば、これを防ぐ有効な手段がない、というシステムは大きな危険性をはらんでいると言わねばなりません。マスコミ条項についての問題が報道でも取り上げられていますが、確かにこの条文だけの問題とも言えないでしょう。法務省を絶対信じないということでもありませんが、各省庁で今までの官僚達が行ってきたことを考えると、心底信頼はできませんし、万が一、法務省官僚の意向によって大きく影響されたり、関係する別な法令(省令は勿論、法令ではないが実質的に強制力を発揮する通知や通達)を都合よく作り変えられたりしたら、これを行政側にやめさせることはすぐには出来ません(違憲立法審査とか行政裁判ということになれば、結論が出るまでには甚だ長い時間を費やすことになるでしょう)。


人権擁護に否定的な主張する人はほとんどいないでしょう。しかし、システムとしての潜在的危険性があれば、これはよく議論して形を変えるとか別な法案に作り直すことも考慮すべきでしょう。


ネット上では、様々な表現や言論が可能ですが、この全てが野放しでもいいとは思っていません。言論内容について、差別・不当を判断することは難しい場合も有り得るので、司法判断を重視するべきなのかな、と思います。ただ、個人が裁判の結果が出るまで、不当な人権侵害に晒されるというのも実際的ではないように思うので、人権侵害に当たるような言論については何らかの救済策が必要かもしれません(そういう意味において、トレーサビリティの考慮がなされてくるように思います)。

ネット上の酷い差別的言論や、犯罪行為に繋がるような表現をネット利用者達が行ってきたことも事実で、こういうものを野放しに出来ず法的規制が必要と思われても仕方がない面もあるだろう。ネット上のサービスについても、制限や中止という結果となり得る。これは、何だか校則に似ているような気もする。規則の自由度が高い時に、余りに突飛な行動に出る生徒が目立ってくると、これを規制するため厳しい校則が作られてしまう。こういう行動をする人間は、自分で自分の自由を狭めることになるということに思い至らないのだろう。


以前ある小学校で、チャットの体験学習が行われたことがある。児童達は最初楽しく会話していたが(児童は全部匿名)、そこに突然現れた1人の発言によってその楽しい会話は完全に消滅したのだ。その参加者が「何くだらないことしゃべっているんだよ」みたいな発言をした為でした。そうしたら、一斉にこの発言者への非難が集中し、その会話の内容がどんどん酷い喧嘩のようになっていったそうです。同じクラスの児童しか参加していないことを皆知っているのですが、見えない一人を徹底的に叩く、という状況が作り出されました。そこで、教師は打ち切りを宣言したのですが、実はその不届きな発言者は教師自身でした。このような状況で児童達がどのように発言するのか、ということを体験させたかったのかもしれません。起こった反応は、サンスティーンの書いた現象と似ていました。


多数派の言葉の力は相当なものがある、ということでしょうか。言葉の集積によって増幅された力は、まるで共鳴です。ブログ「炎上」も似たようなイメージですね。宮崎映画の如く、まさか「サイバースペース」に「言霊」が宿っているという訳でもないでしょうが(笑)、賛同意見が多くなればなるほど個々人の理論強化が効果的に進み、概ね「バッシング」とか「コメントスクラム」状態と似たような現象が見られるのでしょう。これを防ぐには、この兆候が現れたら、当事者以外の参加者は「注意深い観察者」とか「冷静な審判」に自分の身を置くように心掛ける方がよいかもしれません。


人権擁護法案のマスコミ規制については、所謂「メディアスクラム」や人権侵害に繋がる報道から個人を保護する意味合いもあり、これも上述したような「自由だから」といって野放図に取材したり報道したりしてきたことが背景にあってもおかしくはないでしょう。自分達で律することが出来なければ、結果として規制を強化しよう、という話が出てくる訳で、メディア自身にも責任はあるように思います。各メディアが「注意深い観察者」や「冷静な審判」に、果たしてなれるか否かは、判りません。


結局のところ、不確かな前提・システムに依存する法律によって規制されるよりも、個人やメディアが倫理とか良識によって自己規制する方が望ましく、言論の自由を享受したいならば、当然これを守る義務を果たさねばなるまい。これが本当の意味での人権擁護にもつながるように思うのです。十分慎重な議論を望みますし、メディアもさまざまな側面から検討して、自らの言論の制限を招くことのないような法案を目指すべきでしょう。


注記:よくまとまっているブログを紹介しておきます。時々読みにお伺いしている高田氏のブログです。こちらも読んでみて下さい。
札幌から ニュースの現場で考えること


追記:
自民党での了承は見送られた模様です。現段階での法案の閣議決定は15日以降になりそう、という報道が出ていました。今後どのような修正作業があるか、わかりません。

さらに追記(3/11 11:30)
記事中で誤解のおそれのある記述について一部補足しましたので、次の記事を読んで下さい。
記事の訂正など・・・幾つか




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