昨年の11月4日(日)、月例の塔の横浜歌会に出掛けた折、少し早く到きすぎて会場の会議室前の椅子に腰をかけて携帯ラジオを聴いていました。ちょうどお昼前で、ダイヤルを合わせたTBSラジオから流れてきたのが、村下孝蔵氏の「初恋」でした。
「・・・放課後の校庭を走る君がいた/遠くで僕はいつでも君を探してた/浅い夢だから胸をはなれない・・・」の部分のながれるような哀愁を帯びたメロディが頭からなかなか離れません。
村下さんのこの「初恋」という曲は、本当に素晴らしい名曲だと思います。
じつは昔、村下さんがまだお元気だった頃、NHK番組「思い出のメロディ」に出られてピアノを弾きながら「初恋」を歌われたのをテレビで二回ほど見たことがありますが、当時私はポップス嫌いだったので、特につよく心を打たれたということはありませんでした。つくづく、あのときは勿体無い聴き方をしてしまったなと思います。。。
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初恋(作詞:村下孝蔵、作曲:村下孝蔵:1983年発表)
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/1084/kashi/first.html
五月雨は緑色
悲しくさせたよ 一人の午後は
恋をして淋しくて
届かぬ想いを暖めていた
好きだよと言えずに初恋は
ふりこ細工の心
放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから胸をはなれない
夕映えはあんず色
帰り道一人 口笛吹いて
名前さえ呼べなくて
とらわれた心 見つめていたよ
好きだよと言えずに初恋は
ふりこ細工の心
風に舞った花びらが
水面を乱すように
愛という字 書いてみては
ふるえてたあの頃
浅い夢だから胸をはなれない
放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから胸をはなれない
(胸をはなれない) 胸をはなれない
(今もはなれない) 今もはなれない
(胸をはなれない) 胸をはなれない
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村下さん「初恋」(YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=UuMG7NbwmMY
http://www.youtube.com/watch?v=CoOwnrB-uTo&NR=1
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村下孝蔵ホームページ(オフィシャルページ)
http://www.wakuwaku.ne.jp/kozo/indexj.html
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村下孝蔵資料館
http://homepage3.nifty.com/kozo/
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日刊スポーツの村下さんの訃報記事(アーカイブより:1999年6月25日付)
http://www.nikkansports.com/jinji/1999/seikyo990625_2.html
「村下孝蔵さん 高血圧性脳内出血のため死去」
「初恋」「踊り子」などのヒット曲で知られるシンガー・ソングライター村下孝蔵さん(むらした・こうぞう=本名同じ)が24日午前11時27分、高血圧性脳内出血のため、都内の病院で死去した。46歳。20日にコンサートリハーサル中に倒れて入院し、そのまま意識が戻らなかった。今年はデビュー20周年で、7月3日にコンサートを控えていた。
<「気分が悪い」と>
村下さんの死は突然だった。20日、東京・駒込のスタジオ「サウンド・ファクトリー」でコンサートのリハーサルをしていたところ「気分が悪い」とスタジオ内でうずくまった。スタッフらに付き添われ東京・虎の門病院に緊急入院。21日に容体が急変し、意識不明状態に陥った。そのまま意識は戻らず、この日午前11時27分、妻裕子さんら家族にみとられて息を引き取った。
村下さんは7月3日には東京・渋谷公会堂で恒例の七夕コンサートを控え、連日リハーサルに没頭していた。今年はデビュー20周年。9月には1年ぶりのシングル「同窓会」、4年ぶりのアルバムを発売する予定で、すでにレコーディングは終了していた。
中学、高校時代は水泳の選手だった。熊本・鎮西高時代は平泳ぎの選手として活躍し卒業後、実業団の新日鉄にスカウトされたほどの実力だった。1984年(昭和59年)に肝炎を患い、2年余り闘病生活を送ったこともあるが、最近は病気になったこともなかったという。
村下さんが所属するソニー・ミュージックアーティスツの関係者は「毎日散歩が趣味で、酒もたばこもやらない。人一倍健康に気を使っていた方なのに、なぜ」と困惑している。
<年内50公演予定>
村下さんはピアノ調律師を経て80年にデビュー。83年に「初恋」がヒット。美しいメロディーラインと、高音まで伸びるやさしい歌声で、男女の別れや故郷への思いなどを叙情的に歌い人気を集めた。
「自分の歌を直接聴いてもらうのが原点」という考えから、テレビなどにはほとんど出演せず、日本各地を丹念に回るコンサートを中心に活動してきた。年内に、50本にも及ぶコンサートを予定していた。「フォーク最後の生き残り」を自称していた。
<健康を笑顔で語る ラジオで最後の声>
村下さんは21~24日まで、文化放送「川中美幸 人うた心」(月~金曜午後5時30分)にゲストで出演しており、これが最後の肉声になった。番組スタッフによると、収録は今月3日に行われ「変わったこともなく、元気そうだった」という。川中とのトークでは「このごろは、ひまな時間に毎日10キロ歩いているんです。2時間かけてゆっくりと。健康とダイエットのためです。最近は、歩かなかった日は気持ちが悪いですよ」と健康について笑顔で話していた。川中への楽曲提供を約束して番組が終了した。この日、埼玉県川口市のコンサート会場で訃報(ふほう)を聞いた川中は「収録の時はあんなに元気だったのに……。もう何て言っていいのか分かりません」と言葉を詰まらせていた。
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◆村下孝蔵(むらした・こうぞう)本名同じ。1953年(昭和28年)2月28日、熊本県水俣市生まれ。73年、広島に移りピアノ調律師に。79年CBSソニーの中国地区のオーディションで優勝し、80年「月あかり」でデビュー。83年発売のシングル「初恋」が50万枚のヒット。「踊り子」(83年)などのヒット曲がある。最近では、裕木奈江らに楽曲を提供。家族は、裕子夫人と1女。
葬儀日程は以下の通り。
(後略)