カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

The MATTHEW BOOKS

2008-05-20 15:57:25 | Weblog
 何人もの方が最近しばしば日記に書いていらっしゃる話題で、知りました。。。

The MATTHEW BOOKS
http://www.matthewbooks.com/index.html
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斉藤斎藤(筆名)さんについて

2008-05-20 15:31:21 | Weblog
 興味深い記事なのでメモさせて頂きます。。。

 ***

http://www5e.biglobe.ne.jp/~kosakuok/keiji/349162488085316.html

記事タイトル:斉藤斎藤(筆名)さんについて
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投稿者:奥村晃作氏

彼が歌を始めた時の筆名は渡辺○○であった。○○は本名だが、(奥村としては)伏せておく。始めて半年くらい経った折であろうか、渡辺○○は次の歌を発表した。

あいしてる閑話休題あいしてる閑話休題やきばのけむり

奥村はこの歌を絶賛した。この折は、その意味は解けなかったけれど。
おそらく作歌一年余りを経たある時、歌人として立つ折の自分の筆名は渡辺○○ではないことに気付き、あるべき名前(筆名)斉藤斎藤を掴み取ったのである。
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読売日本交響楽団の定期演奏会

2008-05-20 12:38:01 | Weblog
 今朝は昨夜からのだいぶひどい雨と風が続いています。近所の神田川は、朝方に橋の上から覗いたとき、水嵩がかなり増えていて、濁流が渦を巻いていました。この雨風、お昼過ぎにはやむそうなのですが、土砂崩れなどの被害がないことを祈ります。
 昨夕は、雨の降りだす前にサントリーホールに出掛けて、正指揮者下野竜也氏の指揮による読売日本交響楽団の定期演奏会を聴いてきました。開場直前、ホールの前では作曲家の湯浅譲二さんらしきお姿などもお見かけしました。
 まず、音楽評論家東条碩夫氏のコンサート批評日記から引用させて頂きます。

***以下、引用部分です***

音楽評論家・東条碩夫氏のコンサート日記より
《5・19(月)下野竜也指揮 読売日本交響楽団》
http://concertdiary.blog118.fc2.com/blog-entry-209.html

 会場はサントリーホール。
 ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲、山根明季子の「ヒトガタ」、コリリアーノの「ザ・マンハイム・ロケット」「ハーメルンの笛吹き幻想曲」という作品を並べたプログラムは、定期とはいえ、いかにも大胆で、意欲的である。
 下野は曲間のトークで、「ゲテモノ担当のシモノといたしましては」と聴衆を笑わせた。アルブレヒトが去ったあと、読響の現代音楽初演路線を背負って立つ若い正指揮者、下野の奮闘を讃えたい。こういうレパートリーだと、客席に隙間が多くなるのが残念だし、心配にもなるが、読響には御大スクロヴァチェフスキや嵐のラザレフなど客寄せ万全の指揮者たちもいることだから、そのへんのバランスはなんとかなるのだろう。
 山根の作品は読響の委嘱曲。正直言って私にはさほどの感興を呼ばなかったが、異なるテンポが入り乱れる部分の曲想には、些かのスリルを覚えたのは事実だ。あとで作曲者が登場したトークで、「それぞれの時間」というキーワードを聞いて、なるほどと感心したものである。
 一方、コリリアーノの「ザ・マンハイム・ロケット」は少々漫画チックな曲で、ロケットに乗ったイメージで味わう「時空の旅・音楽史の旅」というべきか、いろいろな名曲が見え隠れ。ドタバタと上がって行ったり墜落したりするロケットだが、一瞬笑える。
 最後の「ハーメルンの笛吹き」では、王子様のような派手な衣装を着て、曲の途中から舞台に入って来た瀬尾和紀のフルート・ソロが冴え渡った。
 大詰めでは、「笛吹きのあとについて、子供たちも笛を吹き、太鼓をたたきながらどこかへ行ってしまいました・・・・」という雰囲気で瀬尾と子供たちが客席後方へ姿を消すと、舞台の照明が次第に落ち、オーケストラの演奏も暗くなって行く。さっきまで華やかな衣装の笛吹きがいた場所にも、もう誰もいない・・・・といった寂寥感がいい。
 読響は、打楽器陣を筆頭に、素晴らしい演奏をした。しかし、それにもまして冒頭に演奏された「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲における音づくりの見事さを称賛したい。曲中にその冒頭の和音が引用される「ザ・マンハイム・ロケット」への伏線となるものだが、この演奏がすこぶる良かった。羽毛のような響きの弦に、くぐもった音色の管が調和し、「柔らかく陰翳の濃いハ長調」をつくる。このユニークな音色を実現した下野と読響の呼吸はすばらしい。
 このところ、わが国の卓越したオーケストラの演奏を3つ、立て続けに聴いたことになった。そう、日本のオーケストラもこんなに見事な演奏をしているのだということを、もっと多くの人たちに知ってもらいたい!

***以上で引用終ります***

 私の席は、2階P 3列21番。と書くとよくわからないと思いますが、要はオーケストラのすぐ後ろ側、打楽器奏者のいるところのちょっと上。ふだんは背中の様子しかわからない指揮者の表情、動き、指示を、正面間近つぶさに見られる素晴らしい席でした。
 コンサート冒頭、第一曲目のワーグナー。東条さんも書かれていますが、読響「エンジン」全開の、素晴らしい演奏でした。下野さんの指揮は、まさしく下野流指揮棒ダンス(あえてこう言わせて頂きます)と呼びたくなるような、その動き、表情を見ているだけで音楽を豊かにイメージさせてくれる指揮ぶりでした。ゆたかな音を鳴らせる的確な指揮というのは、なるほどこういうものなのか、とすごく面白かったです。
 二曲目、山根さんの「ヒトガタ」。最初、チェレスタとピアノで提示される音列が、不思議で奇妙で、どこか懐かしい感覚を惹起し、そこからぐんぐんと不思議な山根さんワールドに引きずり込まれていきます。ふしぎな快感とでもいえるでしょうか。それは、絶妙な「音の間合い」による安心感ともいえるのかもしれません。私は「ヒトガタ」というタイトルと、その不思議な音空間から、陰陽道の陰陽師が携帯するという和紙の札「式札(式神)」のことを思い起こしました。。「ヒトガタ」について、プログラムに寄せられた山根さんの文章のなかに次のような一文がありましたので、引かせて頂きます。
「(前略)今回の作品は『ヒトガタ』、つまり文字通りに捉えれば人の形をした《モノ》という題材です。それは人間を形にした人形なのか、捉えきれない他者の模像なのか。それが何であるかはともかくとして、自己が作り出したこれらの様々な形に囲まれつつ考えることは、この世に生まれてきて、誰かと共感したい、ということです。時間を共有するこの空間の中で、様々な形の標本を感じ取っていただければうれしく思います。」
 山根さんの「ヒトガタ」、是非ともまた再演を聴かせて頂きたいです。
 三曲目、四曲目のコリリアーノ作品。私はこれまで、コリリアーノという作曲家の名前を聞いたことはあってもその作品をきちんと聴いたことがありませんでした。こんかいこの二曲を聴いて、こんなに面白い作品を書く人なのかとびっくりしました。

 ドーー・シーラーソオ・ドオ・ドオ・ドオ・・・・・

 今日も、四曲目の楽しいコンチェルトのおしまいの方で出てきたユニークな金管のフレーズが頭にこびりついて離れません。。。

 ドーー・シーラーソオ・ドオ・ドオ・ドオ・・・・・

 昨日のコンサート、おかげさまですごく楽しませて頂きました。有難うございました。
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