カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

無題

2006-06-04 17:46:39 | Weblog
メモです。

きっこさんの日記など。

http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/

http://blog.livedoor.jp/kblogan/

http://www3.diary.ne.jp/user/338790/

***

星が生まれて消えるまで
http://blog.so-net.ne.jp/k-tantan/

                ☆

〔B級グルメの東京ラーメン! 高田馬場〕
http://www.chinatealovers.com/j-941/gurumet/gurumeter23t.htm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉松さんの日記を読んで(メモ)

2006-06-04 15:13:08 | Weblog
 吉松さんのご意見にただただ共感。

 こんなにとんでもない「文化軽視」「文化不勉強」が正々堂々と「正論」として「横行」しているとは知りませんでした。。。「日本人」であることが恥ずかしくなりました。。。日本の「文化」を司っていると自認している人たちは、「文化」の意味をあまりにも知らなさ過ぎます。。。この「不勉強ぶり」はいったいどういうことなのでしょうか。。。?

 以下、メモです。

作曲家吉松隆さんのサイト《交響曲工房》
http://homepage3.nifty.com/t-yoshimatsu/

吉松さんのブログ日記《八分音符の憂鬱》から。
http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/

2006年5月19日 (金)《芸術文化振興の憂鬱》
2006年5月26日 (金)《続・芸術文化振興の憂鬱》
2006年5月28日 (日)《また・芸術文化振興の憂鬱》
2006年5月31日 (水)《まだ・芸術文化振興の憂鬱》

(以下、吉松さんの日記から抜粋します)

 3月に録音した「星夢の舞」とCDでのカップリングを予定していた雅楽「鳥夢舞」の初演の音源を借用すべく国立劇場(日本芸術文化振興会)に出向き、まるで〈別世界の日本〉に迷い込んだような憂鬱な気分を味わう。話は簡単、自分の作品を自分の制作で自分の作品集としてCD化するために、国立劇場委嘱で9年前に初演した際の自分の作品の記録DAT音源をお借りしたい・・・というだけのこと。なのに、「規定によると」と担当の人が説明し出したところ、「1秒220円(45分ほどのこの作品で60万円!)を音源の複製料として支払ってもらうことになっている」と言う。しかも、そこには作曲者への著作権使用料も演奏者への隣接権使用料も含まれていない「ただの複製料」で、著作権に関する手続きや発生した金額はすべてそちらで処理しろ。こちらは金をもらうだけで何もしない。そして、にもかかわらず、処理が行なわれた証拠として初演した際の演奏家21人全員の捺印した承諾書を添付したうえ申請書を出せ。そのうえで「伝統芸能の普及・啓蒙に著しく寄与するかどうか」を審査しないと、曲の1/3以上は使わせない。しかもCD化されたら印税5%までふんだくると言う。(中略)「国立劇場から音源を借りる話」は、いろいろ考えた末、こちらから破談にすることにした。いくら規定だからと言っても、あまりにも作者をバカにした非常識な要求であり、とても呑むわけには行かないということがひとつ。それより何より、今回、我が子(作品)大事で誘拐犯からの身代金の支払いなどに応じてしまうと、次に同じような被害者が出た場合、「ヨシマツさんは払いましたよ」という悪しき前例になる。それは絶対に御免だ!…ということがひとつ。(中略)CD化の障害については、(国立劇場との件以外にも)まだ不愉快な話がある。実は以前、NHKが録音し放送した作品を同じようにCD化しようと企画したことがあったのだが、それも同様な経緯(高額の使用料と非現実的な事務手続き)にあってNGになったのだ。理由のひとつは著作隣接権の問題だが、それ以上に彼らがCD化に応じない理由というのが物凄い。「CDにして一般に販売されると、国民の皆さまの受信料を使ってNHKが制作したものが許可なく民放や商業放送で流れることになり、それは不適当である」と言うのだ。そんな奇妙な理屈で、かつての現代音楽バブルの時代にNHKにより録音放送された膨大な現代作品たちの音源が、今ではNHKによって録音されたという不運のために、ほとんどCD化不可能なまま死蔵され、テープの劣化と自然消失にまかされている。(中略)結局のところ、今回のケース、根は、年金問題とか少子化問題とかライヴドア問題とかと同じところにあるようです。日本という国が、近視眼的な「利益」と身もふたもない「正論」に思考を占領され、文化や子供や弱者の首を絞め出した…ということなのでしょうね。(後略)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

開高さんのアフォリズムから

2006-06-04 13:42:42 | Weblog
 開高さんのアフォリズムは一篇の詩であると思います。

 メモ。

                **


 愚者は食べ物の話をし、賢者は旅の話をする。-蒙古古諺-であるならば、私は愚かな旅人であろうか。  開高健

                ☆

 小説は形容詞から朽ちる。生物の死体が眼やはらわたから、もっとも美味な部分からまっさきに腐りはじめるように。  開高健

                ☆

 芸術はまぎれもなく自然への叛逆であるが、いかに徹底的に意識化してもどこかに一点、自然そのものの浸透をゆるしておけば、芸はさらに豊饒となる理である。  開高健
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする