『ノア 約束の舟』を吉祥寺オデヲンで見ました。
(1)予告編を見て興味を持ったので映画館に行ってみました。
本作(注1)のはじめの方では、アダムからノアまでの系譜が辿られた後(注2)、成人したノアに対して父のレメクが「アダムの子孫のお前が仕事を引き継ぐのだ」と言って蛇の皮を手渡そうとしているところに、トバル・カイン(レイ・ウィンストン)率いるカインの末裔の集団が襲いかかります(注3)。
ノアは岩陰に隠れて助かりますが、父のレメクは殺されてしまいます(蛇の皮はトバル・カインに奪われます)。
場面は変わって、ノア(ラッセル・クロウ)は家族と暮らしています。
天幕の家に妻のナーマ(ジェニファー・コネリー)と三男のヤフェト(レオ・キャロル)がいて、ノアは長男のセム(ダグラス・ブース)と次男のハム(ローガン・ラーマン)を外に連れ出して様々なことを教えます。
そんな時に、ノアは、夢を見ます。
先ずはエデンの園の様子。
次いで、ノアが家の外に出てみると、地面が血でぬかるんでいて、雫が垂れると花が咲いたりしますが、突然、大洪水に襲われて水中に。ノアの周りじゅうは死体だらけ。
驚いてノアは飛び起き星空を眺めます。
妻が「神のお告げ?」と尋ねると、ノアは「そう思う」と答え、さらにナーマが「お救いくださるの?」と訊くと、ノアは「神は世を滅ぼす」と応じます。
神のお告げの真意を聞き出すために、ノアの一家は、赤い山に住む祖父のメトシェラ(アンソニー・ホプキンス)に会いに出かけます。
途中で、廃墟となった村のガレキの中に、女の子・イラ(エマ・ワトソン)が瀕死の重傷で倒れているのを見かけます(注4)。
その時、その村を襲ったカインの末裔たちが戻ってきたので、ノアたちはイラも連れて逃げます。
そこに番人(ウォッチャー)と呼ばれる堕天使が現れ(注5)、彼らをメトシェラに案内してくれます。
さあ、ノアとメトシェラとはどんな話をするのでしょうか(注6)、いったい「ノアの箱舟」とはどんなものなのでしょうか(注7)、そして………?
本作は、旧約聖書の創世記にあるノアの箱舟の話を実写化したもので、巨大な箱舟とか、それに乗り込む沢山のつがいの動物たち、さらには大洪水の光景といったものが大層うまく映像化されて、中々の迫力です。とはいえ、よりリアルな人間的な話にしようとノアの家族の構成を創世記とかなり異なるものにした点などは、逆にそれほど説得力を持たないようにも思いました(注8)。
(2)皆さんが指摘していることながら、念の為に述べておきます。
旧約聖書の創世記では、ノアは500歳になって、3人の息子を生み(5章32節)、また神の啓示を受け(6章13節)、洪水が起きた時は600歳だったとされています(7章6節)。
こうしたノアの年齢にどこだわる必要性は乏しいとはいえ(注9)、少なくともその家族構成については、創世記と本作とでは随分と違っています。
すなわち、創世記においては、「ノアと、ノアの子セム、ハム、ヤフェトと、ノアの妻と、その子らの三人の妻とは共に箱舟にはいった」(7章13節)とされているのに対し(全部で8人になります)、本作では、ノア、ノアの妻ナーマ、セム、セムの妻イラ、ハム、ヤフェトの6人に過ぎません。
さらに、創世記では、「神はノアとその子らとを祝福して彼らに言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」(9章1節)と述べられているところ、本作では、ノアは「人類は終わるのだ。セムとイラはナームと私を埋葬し、ハムがセムとイラを、ヤフェトがハムを埋葬する。ヤフェトが最後の人間となる。そして、ヤフェトも塵となるだろう。こうしてパラダイスがやってくるが、そこには人間はいない」と言うのです(注10)。
これでは、創世記が述べていることとは随分と違ってきてしまいます。
本作のノアは、この世の穢れの原因はすべて人間にあり、彼らがいなくなりさえすれば、この世は元のパラダイスに戻るだろうという究極のエコロジー哲学を展開しているようです(注11)。
これに対して、創世記では、8人のノアの一族からその後の人間たちが生まれ出たとされていて〔「この三人(セム、ハム、ヤフェト)はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである」9章18節〕、神はそれを祝福しているのです。
もちろん、本作においても、実際には、ノアは自分の言ったことを実行せずに、結局は創世記と同じような事態がもたらされます(注12)。
だとしたら、どうして創世記の設定をわざわざ変えてしまったのでしょうか?
とはいえ、創世記のとおりに映画化したのでは、随分と盛り上がりに欠けた平板な作品になってしまったかもしれません。ハムの設定を変えることによって、この話が随分と人間的でドラマティックなものとなりましたが、それと同時に、創世記に描かれた神話という性格がかなり失われてしまったのでは、と思っています。
(3)渡まち子氏は、「聖書的解釈はさておき、一滴の水からみるみる花が芽生え、森ができ、川が大地を潤す奇跡の映像美と、大洪水のスペクタクルの迫力には間違いなく圧倒される」として65点をつけています。
前田有一氏は、「「ノア 約束の舟」はどんな映画かというと、この監督らしい突き放したクールな視点による、ノアの大洪水伝説の新解釈、である。パニックやアクションなど娯楽要素もかなり強い。いや、厳密には新解釈というよりも、どこか非現実的な寓話にすぎないあの話を現実に持ってくると、じつはこんな風になるんですよと、そういうことをやっている」として70点をつけています。
相木悟氏は、「額面通りの教義的な側面はあるものの、一大スペクタクル、アクション、ヒューマンドラマと見どころの詰まった娯楽作であった」と述べています。
(注1)原題は「NOAH」。監督は、『レスラー』や『ブラック・スワン』などのダーレン・アロノフスキー。
(注2)アダムとイヴ→カインとアベルとセト→カインはアベルを殺し、その子孫が文明を築きますが、同時に悪をまき散らしました。また、セトの子孫がノア。
(注3)トバル・カインらは、レメクらがいる原野の地中からZoha(Zoharに関係するのでしょうか)を掘り出して、我らの土地だと叫びます。
(注4)ナームは、イラがもう子供が作れない体だとノアに告げます。
(注5)番人は、「我らを助けたのは、お前の祖父だけだ」、「お前の中に、アダムの面影を見る。アダムは、我々が助けようとした人間だ」、「我々は人間を助けようとしたために、神に罰せられた」などと語ります。
(注6)メトシェラは、「父のエノクから、人間がこのままの所業を続けるのなら、神はこの世を絶滅させる」「逃れるすべはない」「神は火によってこの世を破壊する」などとノアに語ります。
それに対して、ノアは、「自分が見たのは水であり、火はすべてを壊滅してしまうが、水は浄化する。穢れたものとそうでないものとを分ける。神はすべてを破壊するものの、再生のきっかけは残してくれる」と言います。
するとメトシェラは、「エデンの園で得たこの種が必要になろう」と言って、種をノアに手渡します。
(注7)創世記に「箱舟の長さは300キュビト、幅は50キュビト、高さは30キュビト」とあるのを踏まえて(6章15節)、本作では「長方形の箱」型にしたようです(劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」にある監督談話より)。
(注8)最近では、ラッセル・クロウは『スリーデイズ』、レイ・ウィンストンは『ヒューゴの不思議な発明』、アンソニー・ホプキンスは『ヒッチコック』で、それぞれ見ています。
(注9)映画に映しだされるノアを500歳だとみなせばいいのですから。
(注)ノアがイラをセムの妻として受け入れたのも、イラが子供を産めない体だと思い込んでいたからでしょうし、ハムの相手のナエルをノアが見捨てたのも、子供を作ってほしくなかったからでしょう。
でもそんなことなら、箱舟に乗るのはノアだけにすれば、ノアが理解した神のお告げはたちどころに達成できるでしょう(ノア自身も乗船しなければ、達成できるでしょうが。やはり、箱舟に乗り込んでいる動物を世話したりする者が必要なのかもしれません)。
(注11)本作において、ノアがセムとイラの間に出来た双子の女の子を殺してくれれば(あるいは、ノアの祖父メトシェラがイラの傷を治してしまわなければ)、イスラエルとハマスとの戦争も、ウクライナでの戦闘やシリア、イラクでの戦争もなかったのになと思ったことでした。でも、その場合には、こうした伝承自体が残らなかったでしょうが。
(注12)ハムは旅に出てしまい、ヤフェットは幼いままですが、子供を産めない傷を負ったとされたイラも、メトシェラが手を当てることによりその傷が癒えて双子の子供を産むのですから。
それに、ノアにしたって子供が出来ないこともないかもしれません〔創世記によれば、メトシェラは「レメクを生んだ後、782年生きて、男子と女子を生んだ」(5章26節)のですから〕。
★★★☆☆☆
象のロケット:ノア 約束の舟
(1)予告編を見て興味を持ったので映画館に行ってみました。
本作(注1)のはじめの方では、アダムからノアまでの系譜が辿られた後(注2)、成人したノアに対して父のレメクが「アダムの子孫のお前が仕事を引き継ぐのだ」と言って蛇の皮を手渡そうとしているところに、トバル・カイン(レイ・ウィンストン)率いるカインの末裔の集団が襲いかかります(注3)。
ノアは岩陰に隠れて助かりますが、父のレメクは殺されてしまいます(蛇の皮はトバル・カインに奪われます)。
場面は変わって、ノア(ラッセル・クロウ)は家族と暮らしています。
天幕の家に妻のナーマ(ジェニファー・コネリー)と三男のヤフェト(レオ・キャロル)がいて、ノアは長男のセム(ダグラス・ブース)と次男のハム(ローガン・ラーマン)を外に連れ出して様々なことを教えます。
そんな時に、ノアは、夢を見ます。
先ずはエデンの園の様子。
次いで、ノアが家の外に出てみると、地面が血でぬかるんでいて、雫が垂れると花が咲いたりしますが、突然、大洪水に襲われて水中に。ノアの周りじゅうは死体だらけ。
驚いてノアは飛び起き星空を眺めます。
妻が「神のお告げ?」と尋ねると、ノアは「そう思う」と答え、さらにナーマが「お救いくださるの?」と訊くと、ノアは「神は世を滅ぼす」と応じます。
神のお告げの真意を聞き出すために、ノアの一家は、赤い山に住む祖父のメトシェラ(アンソニー・ホプキンス)に会いに出かけます。
途中で、廃墟となった村のガレキの中に、女の子・イラ(エマ・ワトソン)が瀕死の重傷で倒れているのを見かけます(注4)。
その時、その村を襲ったカインの末裔たちが戻ってきたので、ノアたちはイラも連れて逃げます。
そこに番人(ウォッチャー)と呼ばれる堕天使が現れ(注5)、彼らをメトシェラに案内してくれます。
さあ、ノアとメトシェラとはどんな話をするのでしょうか(注6)、いったい「ノアの箱舟」とはどんなものなのでしょうか(注7)、そして………?
本作は、旧約聖書の創世記にあるノアの箱舟の話を実写化したもので、巨大な箱舟とか、それに乗り込む沢山のつがいの動物たち、さらには大洪水の光景といったものが大層うまく映像化されて、中々の迫力です。とはいえ、よりリアルな人間的な話にしようとノアの家族の構成を創世記とかなり異なるものにした点などは、逆にそれほど説得力を持たないようにも思いました(注8)。
(2)皆さんが指摘していることながら、念の為に述べておきます。
旧約聖書の創世記では、ノアは500歳になって、3人の息子を生み(5章32節)、また神の啓示を受け(6章13節)、洪水が起きた時は600歳だったとされています(7章6節)。
こうしたノアの年齢にどこだわる必要性は乏しいとはいえ(注9)、少なくともその家族構成については、創世記と本作とでは随分と違っています。
すなわち、創世記においては、「ノアと、ノアの子セム、ハム、ヤフェトと、ノアの妻と、その子らの三人の妻とは共に箱舟にはいった」(7章13節)とされているのに対し(全部で8人になります)、本作では、ノア、ノアの妻ナーマ、セム、セムの妻イラ、ハム、ヤフェトの6人に過ぎません。
さらに、創世記では、「神はノアとその子らとを祝福して彼らに言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」(9章1節)と述べられているところ、本作では、ノアは「人類は終わるのだ。セムとイラはナームと私を埋葬し、ハムがセムとイラを、ヤフェトがハムを埋葬する。ヤフェトが最後の人間となる。そして、ヤフェトも塵となるだろう。こうしてパラダイスがやってくるが、そこには人間はいない」と言うのです(注10)。
これでは、創世記が述べていることとは随分と違ってきてしまいます。
本作のノアは、この世の穢れの原因はすべて人間にあり、彼らがいなくなりさえすれば、この世は元のパラダイスに戻るだろうという究極のエコロジー哲学を展開しているようです(注11)。
これに対して、創世記では、8人のノアの一族からその後の人間たちが生まれ出たとされていて〔「この三人(セム、ハム、ヤフェト)はノアの子らで、全地の民は彼らから出て、広がったのである」9章18節〕、神はそれを祝福しているのです。
もちろん、本作においても、実際には、ノアは自分の言ったことを実行せずに、結局は創世記と同じような事態がもたらされます(注12)。
だとしたら、どうして創世記の設定をわざわざ変えてしまったのでしょうか?
とはいえ、創世記のとおりに映画化したのでは、随分と盛り上がりに欠けた平板な作品になってしまったかもしれません。ハムの設定を変えることによって、この話が随分と人間的でドラマティックなものとなりましたが、それと同時に、創世記に描かれた神話という性格がかなり失われてしまったのでは、と思っています。
(3)渡まち子氏は、「聖書的解釈はさておき、一滴の水からみるみる花が芽生え、森ができ、川が大地を潤す奇跡の映像美と、大洪水のスペクタクルの迫力には間違いなく圧倒される」として65点をつけています。
前田有一氏は、「「ノア 約束の舟」はどんな映画かというと、この監督らしい突き放したクールな視点による、ノアの大洪水伝説の新解釈、である。パニックやアクションなど娯楽要素もかなり強い。いや、厳密には新解釈というよりも、どこか非現実的な寓話にすぎないあの話を現実に持ってくると、じつはこんな風になるんですよと、そういうことをやっている」として70点をつけています。
相木悟氏は、「額面通りの教義的な側面はあるものの、一大スペクタクル、アクション、ヒューマンドラマと見どころの詰まった娯楽作であった」と述べています。
(注1)原題は「NOAH」。監督は、『レスラー』や『ブラック・スワン』などのダーレン・アロノフスキー。
(注2)アダムとイヴ→カインとアベルとセト→カインはアベルを殺し、その子孫が文明を築きますが、同時に悪をまき散らしました。また、セトの子孫がノア。
(注3)トバル・カインらは、レメクらがいる原野の地中からZoha(Zoharに関係するのでしょうか)を掘り出して、我らの土地だと叫びます。
(注4)ナームは、イラがもう子供が作れない体だとノアに告げます。
(注5)番人は、「我らを助けたのは、お前の祖父だけだ」、「お前の中に、アダムの面影を見る。アダムは、我々が助けようとした人間だ」、「我々は人間を助けようとしたために、神に罰せられた」などと語ります。
(注6)メトシェラは、「父のエノクから、人間がこのままの所業を続けるのなら、神はこの世を絶滅させる」「逃れるすべはない」「神は火によってこの世を破壊する」などとノアに語ります。
それに対して、ノアは、「自分が見たのは水であり、火はすべてを壊滅してしまうが、水は浄化する。穢れたものとそうでないものとを分ける。神はすべてを破壊するものの、再生のきっかけは残してくれる」と言います。
するとメトシェラは、「エデンの園で得たこの種が必要になろう」と言って、種をノアに手渡します。
(注7)創世記に「箱舟の長さは300キュビト、幅は50キュビト、高さは30キュビト」とあるのを踏まえて(6章15節)、本作では「長方形の箱」型にしたようです(劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」にある監督談話より)。
(注8)最近では、ラッセル・クロウは『スリーデイズ』、レイ・ウィンストンは『ヒューゴの不思議な発明』、アンソニー・ホプキンスは『ヒッチコック』で、それぞれ見ています。
(注9)映画に映しだされるノアを500歳だとみなせばいいのですから。
(注)ノアがイラをセムの妻として受け入れたのも、イラが子供を産めない体だと思い込んでいたからでしょうし、ハムの相手のナエルをノアが見捨てたのも、子供を作ってほしくなかったからでしょう。
でもそんなことなら、箱舟に乗るのはノアだけにすれば、ノアが理解した神のお告げはたちどころに達成できるでしょう(ノア自身も乗船しなければ、達成できるでしょうが。やはり、箱舟に乗り込んでいる動物を世話したりする者が必要なのかもしれません)。
(注11)本作において、ノアがセムとイラの間に出来た双子の女の子を殺してくれれば(あるいは、ノアの祖父メトシェラがイラの傷を治してしまわなければ)、イスラエルとハマスとの戦争も、ウクライナでの戦闘やシリア、イラクでの戦争もなかったのになと思ったことでした。でも、その場合には、こうした伝承自体が残らなかったでしょうが。
(注12)ハムは旅に出てしまい、ヤフェットは幼いままですが、子供を産めない傷を負ったとされたイラも、メトシェラが手を当てることによりその傷が癒えて双子の子供を産むのですから。
それに、ノアにしたって子供が出来ないこともないかもしれません〔創世記によれば、メトシェラは「レメクを生んだ後、782年生きて、男子と女子を生んだ」(5章26節)のですから〕。
★★★☆☆☆
象のロケット:ノア 約束の舟