『俺はまだ本気出してないだけ』を渋谷のシネパレスで見ました。
(1)本作を見に今週の日曜日に映画館に行ったところ、上映およそ1時間前には満席状態で、前から2列目で見ざるを得なかったのには驚きました(邦画では久しぶりです!)。
さて、本作は青野春秋氏による同名の漫画(小学館)を原作とするもので、42歳の大黒シズオ(堤真一)が主人公。
彼は、父親・志郎(石橋蓮司)に高校生の一人娘・鈴子(橋本愛)と同居していたところ、突然勤務先の会社を辞めてしまい、そんな状態が1ヶ月ほど続いたあたりから物語は始まります。
映画の冒頭では、シズオ似のカミが現れ、「どうすんの、ヤバくない?いい加減ヤバイっしょ!」と言ったところでシズオは目が覚め、娘が「もう起きたら?」と部屋のふすまを開けると、彼は、「会社を辞めてから俺は自分を探しているんだ」と言いつつ、TVゲームをやり出します。
こんなシズオに父親・志郎は怒り心頭で、「お前、何がやりたいんだ、もう一度よく考えろ」と怒鳴りまくります。
そんなある日、夕食の場でシズオは父親と娘に対し、「とうとう見つけたよ、俺の生き方。俺、漫画家になる」と宣言します。
娘が「描ける?」と聞くと、シズオは「こう見えても器用なんだ」と応じるものの、父親の方は、「お前はバカなんだよ」と泣き出してしまいます。
こうしてシズオの漫画家としての道が踏み出されますが、でもはたして上手くいくのでしょうか、…?
スラッとして二枚目で知的な風貌であり、生真面目そうな印象を与える堤真一が、原作漫画に描かれているようなメタボのダメ中年・大黒シズオを上手く演じられるのか、と映画を見る前は危惧したものの、それはまったくの杞憂にすぎず、自分捜しというと漫画家になるのはありきたりな感じがするものの(注1)〔シズオの友人・宮田(生瀬勝久)が、同じように会社を辞めてパン屋を開くというのも(注2)、よくある話しに過ぎるでしょう!〕、まずまず面白く仕上がった映画となりました。
また、俳優陣については、堤真一のうまさは言うに及ばず、石橋蓮司の味のある演技も出色です(注3)。
(2)本作では、主人公のシズオが42歳にして脱サラして漫画家の道に進もうとしますが、そんなリスキーなことは常識的にはとてもあり得ないでしょう(注4)。特に、漫画の世界のように、ことさら若い新鮮な感覚が求められるところでは、そう思われます。
ただ、違う世界に転身を図るという点だけからすると、何も40歳を超えているからといって遅いことはないのかもしれませんし、40歳を超えたからといって才能が枯渇してしまうわけのものでもないでしょう。
何しろ、80歳という高齢でエベレスト登頂に成功した三浦雄一郎氏が、登頂を決意したのは60歳の頃なのですから(注5)。
また、本年1月には、75歳の黒田夏子氏が『abさんご』で芥川賞を受賞しました(注6)。
むろん、そんな華々しい成果を上げるに至ったのは御本人の強い意志とか普段の鍛練の賜物とかによるのでしょうが、周囲の人たちの支えも大きな要因であったに違いありません。
翻って本作のシズオの場合はどうでしょう?
もちろん、ダメ中年の彼の周りにだって、娘の鈴子とか友人の宮田や市野沢(山田孝之)、それに雑誌編集部の担当の村上(濱田岳)とかがいて、何かと面倒をみてくれます。でも、それほど強力といえそうもありません。
他方で、一緒に生活している父親の強い反対がシズオには重くのしかかってくるのではないでしょうか?
そして何より、シズオには、こんな場合に強く支えてくれるはずの妻がいないのです。
そもそも、本作では、鈴子の母親でもある別れた妻のことについては一切何の言及もされません。
実際には、鈴子が、高校生にもかかわらず母親的な役割を担っていて、父親もシズオもそれほど不自由は感じていないのでしょう。
ですが、子供にとって母親の存在は大きなものがあるはずですし、同じようにバツイチの宮田の場合は、別れた妻が子供を養育し、時折子供と会う時間を設けていることが描かれているのです。
原作漫画によれば、父親・志郎が営んでいた居酒屋に隣接していたスナックのホステス・アカリが鈴子の母ということになっています。そのアカリにシズオが一目惚れし、とうとう鈴子までもうけますが、彼女を生むとすぐにアカリは理由を言わずに家を出てしまいそれっきりになってしまったとのこと。
本作ではそんなことに全く触れられていませんが、仮にそんな経緯があるとしても、シズオの夢の中に、何らかの形で彼女が現れてきてもよさそうに思います。あれだけ、自分似のカミなどが夢に登場し、さらには17歳、22歳、32歳という各世代のシズオで構成される「自分会議」なるものも開かれるくらいなのですから(注7)!
さらには、宮田の別れた妻(水野美紀)が、宮田が脱サラしてパン屋を開業することを知った途端に戻ってきて元の鞘に収まってしまうのも、酷く唐突すぎる感じがして(注8)、本作全般について女性の描き方に物足りなさを覚えました。
(3)渡まち子氏は、「ダメすぎてそれが個性という中年男が漫画家になろうと奮闘する「俺はまだ本気出してないだけ」。彼のいいかげんさが周囲のやる気を引き起こす構図が面白い」として60点をつけています。
(注1)とりあえずは、『おのぼり物語』が思い浮かびます。
なお、最近は、漫画家の登場する映画が目立ちます。たとえば、『リアル~完全なる首長竜の日~』とか『くちづけ』。
(注2)ただ、本作のラストの方で、宮田のパン屋開業の場面が描かれているところ、宮田が「パンを焼いたことがない」と言っているところからすると、「製菓衛生師」の資格を持っていないように推測され、そんなことでは正規の開業はできないのではないでしょうか(もちろん、手伝いに来た元ヤンの市野沢が取得しているはずもないでしょう)?
尤も、原作漫画では、シズオの父親が、焼き鳥を焼いたこともないのに(=「調理師」免許なしに)居酒屋を開業していますから、この漫画の世界では開業資格などは誰からも問われないようです。
(注3)最近においては、主演の堤真一は『プリンセス トヨトミ』で、石橋蓮司は『大鹿村騒動記』などで、橋本愛は『くちづけ』で、生瀬勝久は『スープ~生まれ変わりの物語~』で、それぞれ見ています。
ほかに、本作には、山田孝之、濱田岳、指原莉乃、水野美紀、蛭子能収など多彩な俳優等が出演しています。
(注4)経済学者・池田信夫氏が、そのブログの最近の記事で、会社を「40前後で辞める」ことについて論じていて、「よほど稀少な能力があり、人脈や環境に恵まれ、やりたいことがはっきりしていないと、ノマドは失敗する。日本の社会がそれに適していないからだ」と述べています。
(注5)例えばこのサイトの記事を参照。
(注6)また、作家の加藤廣氏が『信長の棺』で作家デビューしたのは75歳(2005年)でした!
(注7)シズオは、アカリに捨てられたわけですから何も思い出したくないのでしょうが(鈴子は、自分の母親のことをシズオに何度も聞いたものの、シズオは「いつも黙りこくるだけだった」)、そうだとしても、少なくとも意識下にトラウマとなって残っていて、シズオの夢の世界に何らかの形で現れてくるものではないでしょうか?
なお、アカリのことが描かれているのは、原作漫画の第5巻の「完結編 鈴子 前編」の冒頭4ページです。
(注8)元妻は、再婚することになったと宮田に報告したにもかかわらず、子供が「お父さんは、ボクがいないとシズオみたいになっちゃう!」と言ったら、再婚相手のことなどお構いなしに、いともアッサリと戻ってきてしまうのです。
なんだか、『さよなら渓谷』において、雑誌記者の渡辺とその妻の関係が、途中経過が描かれることなく元に戻ってしまうのと類似しているのでは、という感じにさせられました。
★★★☆☆
象のロケット:俺はまだ本気出してないだけ
(1)本作を見に今週の日曜日に映画館に行ったところ、上映およそ1時間前には満席状態で、前から2列目で見ざるを得なかったのには驚きました(邦画では久しぶりです!)。
さて、本作は青野春秋氏による同名の漫画(小学館)を原作とするもので、42歳の大黒シズオ(堤真一)が主人公。
彼は、父親・志郎(石橋蓮司)に高校生の一人娘・鈴子(橋本愛)と同居していたところ、突然勤務先の会社を辞めてしまい、そんな状態が1ヶ月ほど続いたあたりから物語は始まります。
映画の冒頭では、シズオ似のカミが現れ、「どうすんの、ヤバくない?いい加減ヤバイっしょ!」と言ったところでシズオは目が覚め、娘が「もう起きたら?」と部屋のふすまを開けると、彼は、「会社を辞めてから俺は自分を探しているんだ」と言いつつ、TVゲームをやり出します。
こんなシズオに父親・志郎は怒り心頭で、「お前、何がやりたいんだ、もう一度よく考えろ」と怒鳴りまくります。
そんなある日、夕食の場でシズオは父親と娘に対し、「とうとう見つけたよ、俺の生き方。俺、漫画家になる」と宣言します。
娘が「描ける?」と聞くと、シズオは「こう見えても器用なんだ」と応じるものの、父親の方は、「お前はバカなんだよ」と泣き出してしまいます。
こうしてシズオの漫画家としての道が踏み出されますが、でもはたして上手くいくのでしょうか、…?
スラッとして二枚目で知的な風貌であり、生真面目そうな印象を与える堤真一が、原作漫画に描かれているようなメタボのダメ中年・大黒シズオを上手く演じられるのか、と映画を見る前は危惧したものの、それはまったくの杞憂にすぎず、自分捜しというと漫画家になるのはありきたりな感じがするものの(注1)〔シズオの友人・宮田(生瀬勝久)が、同じように会社を辞めてパン屋を開くというのも(注2)、よくある話しに過ぎるでしょう!〕、まずまず面白く仕上がった映画となりました。
また、俳優陣については、堤真一のうまさは言うに及ばず、石橋蓮司の味のある演技も出色です(注3)。
(2)本作では、主人公のシズオが42歳にして脱サラして漫画家の道に進もうとしますが、そんなリスキーなことは常識的にはとてもあり得ないでしょう(注4)。特に、漫画の世界のように、ことさら若い新鮮な感覚が求められるところでは、そう思われます。
ただ、違う世界に転身を図るという点だけからすると、何も40歳を超えているからといって遅いことはないのかもしれませんし、40歳を超えたからといって才能が枯渇してしまうわけのものでもないでしょう。
何しろ、80歳という高齢でエベレスト登頂に成功した三浦雄一郎氏が、登頂を決意したのは60歳の頃なのですから(注5)。
また、本年1月には、75歳の黒田夏子氏が『abさんご』で芥川賞を受賞しました(注6)。
むろん、そんな華々しい成果を上げるに至ったのは御本人の強い意志とか普段の鍛練の賜物とかによるのでしょうが、周囲の人たちの支えも大きな要因であったに違いありません。
翻って本作のシズオの場合はどうでしょう?
もちろん、ダメ中年の彼の周りにだって、娘の鈴子とか友人の宮田や市野沢(山田孝之)、それに雑誌編集部の担当の村上(濱田岳)とかがいて、何かと面倒をみてくれます。でも、それほど強力といえそうもありません。
他方で、一緒に生活している父親の強い反対がシズオには重くのしかかってくるのではないでしょうか?
そして何より、シズオには、こんな場合に強く支えてくれるはずの妻がいないのです。
そもそも、本作では、鈴子の母親でもある別れた妻のことについては一切何の言及もされません。
実際には、鈴子が、高校生にもかかわらず母親的な役割を担っていて、父親もシズオもそれほど不自由は感じていないのでしょう。
ですが、子供にとって母親の存在は大きなものがあるはずですし、同じようにバツイチの宮田の場合は、別れた妻が子供を養育し、時折子供と会う時間を設けていることが描かれているのです。
原作漫画によれば、父親・志郎が営んでいた居酒屋に隣接していたスナックのホステス・アカリが鈴子の母ということになっています。そのアカリにシズオが一目惚れし、とうとう鈴子までもうけますが、彼女を生むとすぐにアカリは理由を言わずに家を出てしまいそれっきりになってしまったとのこと。
本作ではそんなことに全く触れられていませんが、仮にそんな経緯があるとしても、シズオの夢の中に、何らかの形で彼女が現れてきてもよさそうに思います。あれだけ、自分似のカミなどが夢に登場し、さらには17歳、22歳、32歳という各世代のシズオで構成される「自分会議」なるものも開かれるくらいなのですから(注7)!
さらには、宮田の別れた妻(水野美紀)が、宮田が脱サラしてパン屋を開業することを知った途端に戻ってきて元の鞘に収まってしまうのも、酷く唐突すぎる感じがして(注8)、本作全般について女性の描き方に物足りなさを覚えました。
(3)渡まち子氏は、「ダメすぎてそれが個性という中年男が漫画家になろうと奮闘する「俺はまだ本気出してないだけ」。彼のいいかげんさが周囲のやる気を引き起こす構図が面白い」として60点をつけています。
(注1)とりあえずは、『おのぼり物語』が思い浮かびます。
なお、最近は、漫画家の登場する映画が目立ちます。たとえば、『リアル~完全なる首長竜の日~』とか『くちづけ』。
(注2)ただ、本作のラストの方で、宮田のパン屋開業の場面が描かれているところ、宮田が「パンを焼いたことがない」と言っているところからすると、「製菓衛生師」の資格を持っていないように推測され、そんなことでは正規の開業はできないのではないでしょうか(もちろん、手伝いに来た元ヤンの市野沢が取得しているはずもないでしょう)?
尤も、原作漫画では、シズオの父親が、焼き鳥を焼いたこともないのに(=「調理師」免許なしに)居酒屋を開業していますから、この漫画の世界では開業資格などは誰からも問われないようです。
(注3)最近においては、主演の堤真一は『プリンセス トヨトミ』で、石橋蓮司は『大鹿村騒動記』などで、橋本愛は『くちづけ』で、生瀬勝久は『スープ~生まれ変わりの物語~』で、それぞれ見ています。
ほかに、本作には、山田孝之、濱田岳、指原莉乃、水野美紀、蛭子能収など多彩な俳優等が出演しています。
(注4)経済学者・池田信夫氏が、そのブログの最近の記事で、会社を「40前後で辞める」ことについて論じていて、「よほど稀少な能力があり、人脈や環境に恵まれ、やりたいことがはっきりしていないと、ノマドは失敗する。日本の社会がそれに適していないからだ」と述べています。
(注5)例えばこのサイトの記事を参照。
(注6)また、作家の加藤廣氏が『信長の棺』で作家デビューしたのは75歳(2005年)でした!
(注7)シズオは、アカリに捨てられたわけですから何も思い出したくないのでしょうが(鈴子は、自分の母親のことをシズオに何度も聞いたものの、シズオは「いつも黙りこくるだけだった」)、そうだとしても、少なくとも意識下にトラウマとなって残っていて、シズオの夢の世界に何らかの形で現れてくるものではないでしょうか?
なお、アカリのことが描かれているのは、原作漫画の第5巻の「完結編 鈴子 前編」の冒頭4ページです。
(注8)元妻は、再婚することになったと宮田に報告したにもかかわらず、子供が「お父さんは、ボクがいないとシズオみたいになっちゃう!」と言ったら、再婚相手のことなどお構いなしに、いともアッサリと戻ってきてしまうのです。
なんだか、『さよなら渓谷』において、雑誌記者の渡辺とその妻の関係が、途中経過が描かれることなく元に戻ってしまうのと類似しているのでは、という感じにさせられました。
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象のロケット:俺はまだ本気出してないだけ
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