『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ 』を新宿ピカデリーで見ました。
(1)全体として随分と手堅く破綻なく作られた作品(裏返せば、まとまりすぎていて、もう少し変化とか盛り上がりがあっても良いのかな、という感じですが)だなと思いました。
この映画は、相手のことを慮って行動しているつもりでも(=本当のところは愛しているのだと伝えようとしていても)、相手にとっては身勝手にしか見えない(=愛のない振る舞いにしか見えない)ことって、世の中で日常茶飯に見られ、さらには、わかっていてもなかなか自分の身勝手さを抑制しきれないものですが、そんなあれこれを物語として描いてみたものだと思われます。
特に、映画の主人公の年代の人は、働くことに生きがいを求め、そのことで家族も自分に感謝しているはずだ(黙っていても分かっている事柄だ)との思い込みが強いように思えるところです。
物語は、あと1ヶ月で定年となる滝島徹(三浦友和)が主人公。帰宅途中で気がついて、出雲旅行のパンフレットを持って家に帰り、定年後には山陰旅行でもと切り出そうとした途端に、妻の佐和子(余貴美子)から、実は看護士として病院の在宅ケアセンターで勤務することを決めてきた、と告げられてしまいます。
夫の徹にしてみれば、定年退職するのだからユックリと過ごしたいし、妻のこれまでの労苦をもねぎらおうとの優しい気持から、旅行の話を切り出そうとしたにもかかわらず、そんなことより自分の就職だと言わんばかりの妻の態度にブチ切れてしまいます。
すると、妻が家を出をしてしまい、夫は一人での生活を余儀なくされます。
丁度出産を控えた長女・麻衣(小池栄子)が時折顔を出してくれますが、むしろ母親の味方のようで(注1)、夫は長女にも怒りをぶつけてしまいます。
そんな中でも、夫の方は、新人の研修乗務を引き受けることになり、妻の方も、末期癌患者(吉行和子)(注2)の在宅介護で、連日忙しく働くようになります。
一度佐和子は家に戻るのですが、却って火に油を注ぐ結果となり、徹は彼女に「そんなに言うなら家を出て行け」とまで言ってしまいます。
そうこうするうちに、とある事件が起こり(注3)、そして……。
長年平和に連れ添ってきた夫婦仲に突如として危機が訪れる原因の大きなものは、妻の佐和子が、夫に事前の相談もなく再就職を決めてしまったことでしょう。
なにもそこまでせずとも、前もって夫によく相談した上で決めさえすれば、こんなにこじれるまでに至らなかったのではとも思われます。
ただ、佐和子にしてみれば、これまでの長年の夫の感じから、いくら事前に懇切丁寧に説明しても、自分の気持ちを理解してはもらえないと考えたに違いありません。
たぶん、夫側の理屈としては、自分が毎日きちんと出勤して勤めたからこそ給料を手にすることができ、ここでこうして暮らしていけたのであって、だから定年後はのんびりと暮らそうというのに、いったい何の問題があるのか、ということでしょう。
それに対して佐和子の方は、それでは自分はいつまでたっても夫の添え物にすぎない、自分としては後悔するような生き方をしたくないのだ、と言いたいのでしょう。
でも、そんなことを言ってみても、自分の気持ちを夫が了解するに至らずに平行線のままとなってしまい、とても事前の了解など得られないと、佐和子が考えたとしても無理はないかもしれません(注4)。
何より佐和子としては、自分は、夫が定年退職するまでは自分を抑えて我慢してきたのだから、との思いが募っていることでしょう(注5)。
あるいは、徹が「その話は終わったことだ」と言っているところからすると、再就職については、これまでにも何度か佐和子の方から切り出している話であって、そのたびに夫は聞く耳を持たなかったのではないかと推測されます。
さらには、佐和子は、癌検診で再検査という結果が出て、無論再検査は無事だったのですが、残された時間があるようでありながら実はないのではないか、なんとか早く再就職しないと自分が生きた証が得られなくなってしまう、と切羽詰まった思いに駆られたのではないか、とも思われるところです。
実際のところは、映画全体から醸し出される落ち着いた雰囲気から、いくら佐和子が、結婚指輪と離婚届を夫に渡しても、そして別の場所にマンションを借りたとしても、そして、徹が、市役所に離婚届を提出し、2人の結婚指輪を遠くに放り投げたりしても、観客の方としては、とどのつまりは元の鞘に収まるのだろうと思いながら、落ち着いて映画を見てしまうのですが。
本作は、日常的に起こりがちながらツイツイやり過ごしてしまう様々な事柄について色々考えさせてくれ、まずまずの仕上がりとなっているのではと思いました。
それでも問題点がいろいろあるように思われます。
例えば、3月の1か月間の話にしては、自然の風景が変化し過ぎでしょう(雪が降って、桜が咲き、チューリップまで咲くのですから)。とはいえ、その後の1か月位を取り込めば、チューリップも桜も咲いていそうですから、もしかしたらありうるのではと思いました(回想シーンもあることですし)。
また、退職する当日まで実際に乗車勤務するというのも、実際にありうるのかなと思われます。ですが、このサイトの記事を見ると、それに近い話はあるのかなとも思えてきます(もちろん、そこでは、定年の日とラストランとの関係は不明ですが)。
さらに、60歳の定年後に何をするかの問題が描かれているところ、おそらく、滝島徹は、今更カメラを手に取ってみても(注6)、そこに生きがいを感じられないのでしょう。とすると、定年後の嘱託期間の5年が経過した時こそ(注7)、厳しい難問に逢着することでしょう(妻の方も、病院の定年に引っ掛かる可能性があります)。
映画の中で、先輩(米倉斉加年)が「定年後が恐ろしく長いぞ」と彼に言いますが、これは真実を突いた言葉ではないかと思います。
三浦友和は、実年齢と演じる役柄の年齢が一致しているとはいえ、とても定年退職するような歳には見えません(なにしろ、『ナニワ・サリバン・ショー』の忌野清志郎の幼友達なのですから!)。これからもこうした柔和な路線と、『沈まぬ太陽』における行天専務のような敵役の路線とを幅広く演じて活躍するものと思いました。
余貴美子は、最近では、『八日目の蝉』におけるエンジェルとか『ツレがウツになりまして。』の母親役とかが印象的ですが、本作でも、最後まで自分の意思を通そうとする芯の強さを持った女性を、実に巧みに演じていると思いました。
他に注目すべき俳優としては、このところあちこちで見かける徳井優が、本作でも滝島徹の上司役として出演しています(注8)!
(2)本作は、中井貴一主演の『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(2010年)に次ぐシリーズ第2作ですが、舞台は、前作が島根県の一畑電車であったのに対して、富山県の富山地方鉄道に変わっています。
こうした地方の私鉄の場合、興味深いのは、様々の種類の車両を導入している会社が多い点でしょう。
クマネズミは1年ほど広島市で暮らしたことがあり、その際、広電で使われている車両が相当多岐にわたっているのを見て、奇異な感じを受けたことがあります(以前は、ドイツの市電などが幾つも走行していたようにも思います)。
本作の富山地方鉄道においても、東京の西武鉄道で使われている「レッドアロー号」が、2両編成で走っているのを見て驚きました(前作の一畑電車の場合の方が、東京などで使われていた車両を多く使っているようです)。
なお、映画『劔岳 点の記』において、当時の富山駅としてロケに使われた「岩峅寺(いわくらじ)駅」が、本作で何度も出てきたので驚きました(尤も、本作では、駅の外観ではなく構内風景しか映されませんが)。
(3)前田有一氏は、「どっしりと動かぬカメラ、穏やかな陰影、先を急がぬ落ち着いた演出。地味ながら日本映画のいいところを体現する演出は、ベテラン監督かと思わせるほど。と同時に、この手のドラマの弱点になりがちな退屈さとは無縁の卓越したストーリーテリング。非常に面白い人間ドラマであり、鉄道映画の楽しみも味わえるお得な逸品である」として85点もの高得点をつけています。
渡まち子氏は、「熟年層をターゲットにした地味な作品だが、共に演技派の三浦友和と余貴美子の、自然なたたずまいが味わい深い。何より、雄大な立山連峰を背景に、四季折々の田園風景の中、列車が走る様は、鉄道マニアでなくとも見惚れてしまう美しさだった」として60点をつけています。
福本次郎氏も、「峻嶮な山脈が町に迫り、単線を2両電車が走る田園、そして人々の小さな日常。平凡な人生にもひとつひとつにドラマがあり、日々の出来事にはすべて人の思いがこもっていることを思い出させてくれる作品だった」として60点をつけています。
(注1)娘は、「少しは母さんの気持ちを考えてあげたら」とか、「いつも自分は正しいといった顔をしている」と滝島に言ったりします。
(注2)その患者は、「病院でチューブに繋がれている自分の姿を思い出にして欲しくない」ということから、末期癌にもかかわらず在宅ケアに頼っています。
(注3)徹が研修生と一緒に乗車していた電車が、落雷のため送電がストップして、トンネルの入口で立ち往生してしまいます。たまたまその電車には、妻の佐和子が介護していた末期癌患者(吉行和子)が乗り合わせていて(孫の皮膚病によく効く薬草を取りに、家のベッドを抜け出していました)、具合が悪くなってしまいます。徹の連絡により妻がやってきてかいがいしく介護しますが、その仕事ぶりを見て、徹は、妻がいい加減な思いで仕事に取り組んでいるのではないことを悟らされます。
(注4)病院の在宅ケア責任者(西村和彦)によれば、佐和子が担当する患者は末期癌患者で、家族の理解がなければトテモ続けていけないとのこと。実際にも、呼び出しがいつ何時あるのか分からないために、夫の面倒をコレまでのようにはみれなくなります。そんなことをいくら丁寧に説明しても、夫の方は理解などしてくれそうもありません。
(注5)佐和子にしてみれば、看護師を辞めたのも、出産と、癌で死んだ母の介護のためであって、自分としては継続したかったのだと思い続けて来たのでしょう。
(注6)幼馴染みの女友達(仁科亜紀子)に偶然出会った際に、滝島は、彼女から、自分が以前カメラマンになりたいと言っていたことを知らされます。
(注7)滝島は、定年後は別のところで再就職しようと考えていましたが適当な口が見つからず、かといって生き甲斐とすべき趣味も持ち合わせておらず、結局、同じ職場に嘱託として居続けることになります。
(注8)徳井優は、最近では『吉祥寺の朝日奈くん』などで見かけました。
★★★☆☆
象のロケット:RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ
(1)全体として随分と手堅く破綻なく作られた作品(裏返せば、まとまりすぎていて、もう少し変化とか盛り上がりがあっても良いのかな、という感じですが)だなと思いました。
この映画は、相手のことを慮って行動しているつもりでも(=本当のところは愛しているのだと伝えようとしていても)、相手にとっては身勝手にしか見えない(=愛のない振る舞いにしか見えない)ことって、世の中で日常茶飯に見られ、さらには、わかっていてもなかなか自分の身勝手さを抑制しきれないものですが、そんなあれこれを物語として描いてみたものだと思われます。
特に、映画の主人公の年代の人は、働くことに生きがいを求め、そのことで家族も自分に感謝しているはずだ(黙っていても分かっている事柄だ)との思い込みが強いように思えるところです。
物語は、あと1ヶ月で定年となる滝島徹(三浦友和)が主人公。帰宅途中で気がついて、出雲旅行のパンフレットを持って家に帰り、定年後には山陰旅行でもと切り出そうとした途端に、妻の佐和子(余貴美子)から、実は看護士として病院の在宅ケアセンターで勤務することを決めてきた、と告げられてしまいます。
夫の徹にしてみれば、定年退職するのだからユックリと過ごしたいし、妻のこれまでの労苦をもねぎらおうとの優しい気持から、旅行の話を切り出そうとしたにもかかわらず、そんなことより自分の就職だと言わんばかりの妻の態度にブチ切れてしまいます。
すると、妻が家を出をしてしまい、夫は一人での生活を余儀なくされます。
丁度出産を控えた長女・麻衣(小池栄子)が時折顔を出してくれますが、むしろ母親の味方のようで(注1)、夫は長女にも怒りをぶつけてしまいます。
そんな中でも、夫の方は、新人の研修乗務を引き受けることになり、妻の方も、末期癌患者(吉行和子)(注2)の在宅介護で、連日忙しく働くようになります。
一度佐和子は家に戻るのですが、却って火に油を注ぐ結果となり、徹は彼女に「そんなに言うなら家を出て行け」とまで言ってしまいます。
そうこうするうちに、とある事件が起こり(注3)、そして……。
長年平和に連れ添ってきた夫婦仲に突如として危機が訪れる原因の大きなものは、妻の佐和子が、夫に事前の相談もなく再就職を決めてしまったことでしょう。
なにもそこまでせずとも、前もって夫によく相談した上で決めさえすれば、こんなにこじれるまでに至らなかったのではとも思われます。
ただ、佐和子にしてみれば、これまでの長年の夫の感じから、いくら事前に懇切丁寧に説明しても、自分の気持ちを理解してはもらえないと考えたに違いありません。
たぶん、夫側の理屈としては、自分が毎日きちんと出勤して勤めたからこそ給料を手にすることができ、ここでこうして暮らしていけたのであって、だから定年後はのんびりと暮らそうというのに、いったい何の問題があるのか、ということでしょう。
それに対して佐和子の方は、それでは自分はいつまでたっても夫の添え物にすぎない、自分としては後悔するような生き方をしたくないのだ、と言いたいのでしょう。
でも、そんなことを言ってみても、自分の気持ちを夫が了解するに至らずに平行線のままとなってしまい、とても事前の了解など得られないと、佐和子が考えたとしても無理はないかもしれません(注4)。
何より佐和子としては、自分は、夫が定年退職するまでは自分を抑えて我慢してきたのだから、との思いが募っていることでしょう(注5)。
あるいは、徹が「その話は終わったことだ」と言っているところからすると、再就職については、これまでにも何度か佐和子の方から切り出している話であって、そのたびに夫は聞く耳を持たなかったのではないかと推測されます。
さらには、佐和子は、癌検診で再検査という結果が出て、無論再検査は無事だったのですが、残された時間があるようでありながら実はないのではないか、なんとか早く再就職しないと自分が生きた証が得られなくなってしまう、と切羽詰まった思いに駆られたのではないか、とも思われるところです。
実際のところは、映画全体から醸し出される落ち着いた雰囲気から、いくら佐和子が、結婚指輪と離婚届を夫に渡しても、そして別の場所にマンションを借りたとしても、そして、徹が、市役所に離婚届を提出し、2人の結婚指輪を遠くに放り投げたりしても、観客の方としては、とどのつまりは元の鞘に収まるのだろうと思いながら、落ち着いて映画を見てしまうのですが。
本作は、日常的に起こりがちながらツイツイやり過ごしてしまう様々な事柄について色々考えさせてくれ、まずまずの仕上がりとなっているのではと思いました。
それでも問題点がいろいろあるように思われます。
例えば、3月の1か月間の話にしては、自然の風景が変化し過ぎでしょう(雪が降って、桜が咲き、チューリップまで咲くのですから)。とはいえ、その後の1か月位を取り込めば、チューリップも桜も咲いていそうですから、もしかしたらありうるのではと思いました(回想シーンもあることですし)。
また、退職する当日まで実際に乗車勤務するというのも、実際にありうるのかなと思われます。ですが、このサイトの記事を見ると、それに近い話はあるのかなとも思えてきます(もちろん、そこでは、定年の日とラストランとの関係は不明ですが)。
さらに、60歳の定年後に何をするかの問題が描かれているところ、おそらく、滝島徹は、今更カメラを手に取ってみても(注6)、そこに生きがいを感じられないのでしょう。とすると、定年後の嘱託期間の5年が経過した時こそ(注7)、厳しい難問に逢着することでしょう(妻の方も、病院の定年に引っ掛かる可能性があります)。
映画の中で、先輩(米倉斉加年)が「定年後が恐ろしく長いぞ」と彼に言いますが、これは真実を突いた言葉ではないかと思います。
三浦友和は、実年齢と演じる役柄の年齢が一致しているとはいえ、とても定年退職するような歳には見えません(なにしろ、『ナニワ・サリバン・ショー』の忌野清志郎の幼友達なのですから!)。これからもこうした柔和な路線と、『沈まぬ太陽』における行天専務のような敵役の路線とを幅広く演じて活躍するものと思いました。
余貴美子は、最近では、『八日目の蝉』におけるエンジェルとか『ツレがウツになりまして。』の母親役とかが印象的ですが、本作でも、最後まで自分の意思を通そうとする芯の強さを持った女性を、実に巧みに演じていると思いました。
他に注目すべき俳優としては、このところあちこちで見かける徳井優が、本作でも滝島徹の上司役として出演しています(注8)!
(2)本作は、中井貴一主演の『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(2010年)に次ぐシリーズ第2作ですが、舞台は、前作が島根県の一畑電車であったのに対して、富山県の富山地方鉄道に変わっています。
こうした地方の私鉄の場合、興味深いのは、様々の種類の車両を導入している会社が多い点でしょう。
クマネズミは1年ほど広島市で暮らしたことがあり、その際、広電で使われている車両が相当多岐にわたっているのを見て、奇異な感じを受けたことがあります(以前は、ドイツの市電などが幾つも走行していたようにも思います)。
本作の富山地方鉄道においても、東京の西武鉄道で使われている「レッドアロー号」が、2両編成で走っているのを見て驚きました(前作の一畑電車の場合の方が、東京などで使われていた車両を多く使っているようです)。
なお、映画『劔岳 点の記』において、当時の富山駅としてロケに使われた「岩峅寺(いわくらじ)駅」が、本作で何度も出てきたので驚きました(尤も、本作では、駅の外観ではなく構内風景しか映されませんが)。
(3)前田有一氏は、「どっしりと動かぬカメラ、穏やかな陰影、先を急がぬ落ち着いた演出。地味ながら日本映画のいいところを体現する演出は、ベテラン監督かと思わせるほど。と同時に、この手のドラマの弱点になりがちな退屈さとは無縁の卓越したストーリーテリング。非常に面白い人間ドラマであり、鉄道映画の楽しみも味わえるお得な逸品である」として85点もの高得点をつけています。
渡まち子氏は、「熟年層をターゲットにした地味な作品だが、共に演技派の三浦友和と余貴美子の、自然なたたずまいが味わい深い。何より、雄大な立山連峰を背景に、四季折々の田園風景の中、列車が走る様は、鉄道マニアでなくとも見惚れてしまう美しさだった」として60点をつけています。
福本次郎氏も、「峻嶮な山脈が町に迫り、単線を2両電車が走る田園、そして人々の小さな日常。平凡な人生にもひとつひとつにドラマがあり、日々の出来事にはすべて人の思いがこもっていることを思い出させてくれる作品だった」として60点をつけています。
(注1)娘は、「少しは母さんの気持ちを考えてあげたら」とか、「いつも自分は正しいといった顔をしている」と滝島に言ったりします。
(注2)その患者は、「病院でチューブに繋がれている自分の姿を思い出にして欲しくない」ということから、末期癌にもかかわらず在宅ケアに頼っています。
(注3)徹が研修生と一緒に乗車していた電車が、落雷のため送電がストップして、トンネルの入口で立ち往生してしまいます。たまたまその電車には、妻の佐和子が介護していた末期癌患者(吉行和子)が乗り合わせていて(孫の皮膚病によく効く薬草を取りに、家のベッドを抜け出していました)、具合が悪くなってしまいます。徹の連絡により妻がやってきてかいがいしく介護しますが、その仕事ぶりを見て、徹は、妻がいい加減な思いで仕事に取り組んでいるのではないことを悟らされます。
(注4)病院の在宅ケア責任者(西村和彦)によれば、佐和子が担当する患者は末期癌患者で、家族の理解がなければトテモ続けていけないとのこと。実際にも、呼び出しがいつ何時あるのか分からないために、夫の面倒をコレまでのようにはみれなくなります。そんなことをいくら丁寧に説明しても、夫の方は理解などしてくれそうもありません。
(注5)佐和子にしてみれば、看護師を辞めたのも、出産と、癌で死んだ母の介護のためであって、自分としては継続したかったのだと思い続けて来たのでしょう。
(注6)幼馴染みの女友達(仁科亜紀子)に偶然出会った際に、滝島は、彼女から、自分が以前カメラマンになりたいと言っていたことを知らされます。
(注7)滝島は、定年後は別のところで再就職しようと考えていましたが適当な口が見つからず、かといって生き甲斐とすべき趣味も持ち合わせておらず、結局、同じ職場に嘱託として居続けることになります。
(注8)徳井優は、最近では『吉祥寺の朝日奈くん』などで見かけました。
★★★☆☆
象のロケット:RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ