『マリアンヌ』を新宿ピカデリーで見ました。
(1)前回取り上げた『たかが世界の終わり』に出演しているマリオン・コティヤールが本作にも出演しているというので、映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、プロペラ機の音がして、原題の「ALLIED」が映し出された後、夕日が沈んだ後に、主人公のマックス(ブラッド・ピット)が、落下傘で砂漠地帯に降下します。
そして、「フランス領モロッコ 1942年」の字幕。
マックスは、落下傘を外し、砂漠の中に設けられた土の道を歩きます。
手にした双眼鏡で前方を見ると、1台の車がこちらに進んでくるのが見えます。
念のためにピストルに手を掛けながら車を待つと、その車はマックスの前で回り込んで停まります。
マックスが後部座席に乗り込むと、車はもと来た方向に走り出します。
座席に置かれていたトランクを開けると、新しいパスポートや銃、資金が用意されています。
運転手は、マックスに指輪を渡し、「あんたの“妻”の服装の色は紫で、目印はハチドリ」と告げます。
カサブランカの市街に入ると、マックスは車を乗り換え、それでクラブに乗り付け、中に入っていきます。
すぐに“妻”・マリアンヌ(マリオン・コティヤール)が見つかります。

マリアンヌは、マックスと顔が合うと笑顔を返し、抱きついてキスをし、そこにいた友人たちに「私の夫のマックス・ヴァタン」と紹介します。
友人の一人が「どのくらいここに?」と尋ねると、マックスは「6週間」と答えます。
マックスは「失礼して、妻を連れ帰ります。空白期間を埋めないといけませんので」と言って、マリアンヌを連れてクラブを出ていきます。
車の中で。
マックスが「上出来だ」と言うと、マリアンヌは「あなもよ」と応じます。
さらにマックスが「君の活躍は聞いている。パリ支局がやられたとか?」と尋ねると、マリアンヌは「今度の任務に関係しないことは話さない」と答えます。
こうして2人はホテルに入って、外見上は夫婦を演じながら、その実は諜報活動をすることになりますが、さあ、どうなることでしょうか、………?
本作は、第2次大戦中に活躍したイギリス人とフランス人のスパイをめぐるラブストーリーです。ストーリー上の難点はいくつもありますが、ブラピとコティヤールという美男と美女の恋愛物語ということで大目に見れば、なかなかきれいな映像の連続なので、楽しんで見ることができるでしょう。いうまでもなく、こうした作品に反戦を読み取る必要性など、ありはしないでしょう(注2)。戦争が悲劇を生みますが、戦争がなければ本作の美男と美女は出会うこともなかったでしょうから。
(2)本作の劇場用パンフレットの「Production Notes」では、本作の物語が“実話”にもとづいているかのような解説がなされています(注3)。
仮にそうだとしても、本作が依拠しているのはごくごく大雑把な枠組みだけであり、個別のエピソードはどれもフィクションではないかと思われます。
というのも、例えば、最初の方でマックスとマリアンヌは、駐モロッコのドイツ大使らを殺害しますが、なぜわざわざそんなことをするのかよくわかりません(注4)。それも、大使館で開催されたパーティーという衆人環視の中で実行するとは、諜報活動をする者の仕業とも思えないところです(注5)。
その後のストーリーにも、腑に落ちないところがいくつも見受けられます(注6)。
でも、本作は、スパイが活躍するアクション物というよりは、公式サイトの「Introduction」が強調するように、「マックスとマリアンヌが繰り広げる切ないラブストーリー」「「感涙」のラブストーリー」なのでしょう(注7)。

そう思ってみると、ドイツ大使殺害シーンにしても、マックスを演じるブラッド・ピットもマリアンヌに扮するマリオン・コティヤールにしても、大使主宰のパーティーに出席しているために2人が正装しているせいでもありますが、最初から最後まで実にきれいに撮れています。
また、砂嵐の砂漠に置かれた車の中で2人が結ばれるまでの様々なやりとりも、二人の様子を覗き見する関係者を欺くためでしょうが、なかなか面白いものがあります(注8)。
それに、そうした場面の背景として描かれるカサブランカの街について、本作を制作したゼメキス監督は、随分と意欲的に美しく描いているのですから(注9)。
本作の後半になっても、印象的な場面がかなりあります。
例えば、ドイツ空軍によるロンドン空襲の最中に、マリアンヌが病院の外で出産をする場面とか、撃ち落とされたドイツ空軍の爆撃機がマックスらの暮らすロンドンの住宅の直ぐ側に落下するシーンなど、なかなか見応えがあります。
こんなところから、ブラッド・ピットもマリオン・コティヤールも、本作の役柄からすると歳を取りすぎているとする評論家(注10)がいるとはいえ、クマネズミの目には、さすがの美男・美女の取り合わせだなと思え、ストーリーの難点に目をつぶれば、楽しく見ることのできる作品なのではと思ったところです。
(3)渡まち子氏は、「(ブラッド・ピットは)本作では、戦争が恋を生み、同じ戦争が愛を奪おうとする物語をダンディーかつセクシーに演じて存在感を示している」し、「国際的に活躍するオスカー女優のコティヤールの知的な美しさもまた絶品」として65点を付けています。
前田有一氏は、「「マリアンヌ」は決して長く後に残る映画作品ではないが、ストーリーが疾走しており、週末のディナーのお供ならば十分にその役を果たすだろう」として70点を付けています。
(注1)監督は、『フライト』や『ザ・ウォーク』のロバート・ゼメキス。
脚本は、『マダム・マロリーと魔法のスパイス』のスティーヴン・ナイト。
原題は「ALLIED」(とりあえずは、「枢軸国」に対する「連合国」の意味でしょうが、あるいはマックスとマリアンヌとの関係を暗示しているかもしれません)。
なお、出演者の内、最近では、ブラッド・ピットは『マネー・ショート 華麗なる大逆転』、マリオン・コティヤールは『たかが世界の終わり』で、それぞれ見ました。
(注2)本文の(3)で触れる渡まち子氏は、「サスペンス・タッチではあるが、本作は王道のメロドラマ。だがその根底にある反戦のメッセージを見逃してほしくない」と述べています。
(注3)劇場用パンフレットの該当箇所では、「彼(脚本家のスティーヴン・ナイト)は、互いの身分がばれると命の危険があることを承知の上で、恋に落ちた第二次世界大戦時の2人のスパイの話を聞いたという」、「ナイトを魅了した物語は、カナダ人のスパイと元教師のフランス人レジスタンスをめぐるものだった」と述べられています。
(注4)後から英国諜報機関の高官がマックスに話すところによれば、マリアンヌを英国諜報機関側にすんなり受け入れさせるために、危険人物視していた当該ドイツ大使をナチス側が人身御供として差し出したとのこと。
でも、そうであれば、そしてそのことを英国諜報機関側が予め知っていれば、大使殺害計画など立案しなかったでしょう(大使暗殺を計画するのは、ナチス側ではなく英国側なのです)。
また、そのことを英国諜報機関側が知らなかったとしても、当該ドイツ大使の存在は、死をもって排除しなければならないほど連合国側に酷いダメージを与えるものでなかったのではないかと推測されます(なにしろ、標的のドイツ大使は、ナチスによって反体制的と目されているくらいの人物なのですから)。
(注5)諜報機関が要人を暗殺するのであれば、今回の金正男暗殺事件のように(?!)、衆人環視の中で実行する場合でさえ、結局、真の犯人が誰であるのか捜査できないような状況にするのではないでしょうか?
本作の場合は、目撃者を全員撃ち殺したわけではありませんから、すぐに身元がバレてしまうように思えます。
それに、マリアンヌとマックスが、建物の外での爆発に呼応して、パーティー会場に置かれていた机の下に隠されていた銃器を取り出して乱射するわけながら、2人が全くの無傷で大使館を抜け出し、車に乗って逃走してしまうというのは、今時のアクション映画では見かけないほどの大雑把な描写のように思えます。
(注6)ほんの少し待てば、マリアンヌに対する嫌疑の真偽が判然とするにもかかわらず、どうしてわざわざマックスは、死の危険を犯してまでナチス占領下のフランスに調査に出向くのでしょうか、自分たちが24時間、機関の監視の下に置かれているのが明らかにもかかわらず、なぜ2人は大っぴらに脱出を図ろうとするのでしょうか、などいくつも疑問が湧いてしまいました。
(注7)「D姐(でぃーねえ)」によるこの記事の冒頭では、「昨年、アンジェリーナ・ジョリーとのまさかの離婚劇で一躍お騒がせ対象になってしまったブラッド・ピット。しかも離婚の一因と噂されたのが、共演者である仏女優マリオン・コティヤールとの不倫!とまで囁かれたのを覚えている人も多いと思いますが、その真相は別として、『マリアンヌ』こそがその問題の共演映画」と述べられています(尤も、同記事では「アテクシ的判定、シロ」とされていますが)。
(注8)例えば、マックスがモロッコにやってきた最初の夜、マックスは屋上でブランケットを敷いて寝ることになりますが(これは、任務を上首尾に遂行するために、男女の関係になるべきではないとの考えによっています)、マリアンヌが、最上階の部屋からランプを手にして「最初の夜から妻がソバにいないと疑われる」と呟きながらマックスのもとにやってきて、彼とキスをしたり、彼に「見ている人がいるから、どんどん喋って」と要求したりします。

(注9)劇場用パンフレット掲載の監督インタビューの中で、ゼメキス監督は、「モロッコの風景については、私は、『カサブランカ』(42)を讃えたいと考えていた。当時のハリウッドでは想像もつかなかったような視覚効果を駆使しているとはいえ、この映画は私たちが古典的名作ですでに知っているカサブランカの街を思い起こさせるものにしたかったんだ」、「今や私たちはVFXでなんでもできる時代にいる。1940年台のヨーロッパや北アフリカの都市を再想像することができたよ」などと述べています。
(注10)本文の(3)で触れる前田有一氏は、「この青臭いストーリーとキャラ設定には、どう考えてもブラピ(63年生まれ)はおっさんすぎるし、マリオン(75年生まれ)はおばちゃんすぎる」と述べています。
★★★☆☆☆
象のロケット:マリアンヌ
(1)前回取り上げた『たかが世界の終わり』に出演しているマリオン・コティヤールが本作にも出演しているというので、映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、プロペラ機の音がして、原題の「ALLIED」が映し出された後、夕日が沈んだ後に、主人公のマックス(ブラッド・ピット)が、落下傘で砂漠地帯に降下します。
そして、「フランス領モロッコ 1942年」の字幕。
マックスは、落下傘を外し、砂漠の中に設けられた土の道を歩きます。
手にした双眼鏡で前方を見ると、1台の車がこちらに進んでくるのが見えます。
念のためにピストルに手を掛けながら車を待つと、その車はマックスの前で回り込んで停まります。
マックスが後部座席に乗り込むと、車はもと来た方向に走り出します。
座席に置かれていたトランクを開けると、新しいパスポートや銃、資金が用意されています。
運転手は、マックスに指輪を渡し、「あんたの“妻”の服装の色は紫で、目印はハチドリ」と告げます。
カサブランカの市街に入ると、マックスは車を乗り換え、それでクラブに乗り付け、中に入っていきます。
すぐに“妻”・マリアンヌ(マリオン・コティヤール)が見つかります。

マリアンヌは、マックスと顔が合うと笑顔を返し、抱きついてキスをし、そこにいた友人たちに「私の夫のマックス・ヴァタン」と紹介します。
友人の一人が「どのくらいここに?」と尋ねると、マックスは「6週間」と答えます。
マックスは「失礼して、妻を連れ帰ります。空白期間を埋めないといけませんので」と言って、マリアンヌを連れてクラブを出ていきます。
車の中で。
マックスが「上出来だ」と言うと、マリアンヌは「あなもよ」と応じます。
さらにマックスが「君の活躍は聞いている。パリ支局がやられたとか?」と尋ねると、マリアンヌは「今度の任務に関係しないことは話さない」と答えます。
こうして2人はホテルに入って、外見上は夫婦を演じながら、その実は諜報活動をすることになりますが、さあ、どうなることでしょうか、………?
本作は、第2次大戦中に活躍したイギリス人とフランス人のスパイをめぐるラブストーリーです。ストーリー上の難点はいくつもありますが、ブラピとコティヤールという美男と美女の恋愛物語ということで大目に見れば、なかなかきれいな映像の連続なので、楽しんで見ることができるでしょう。いうまでもなく、こうした作品に反戦を読み取る必要性など、ありはしないでしょう(注2)。戦争が悲劇を生みますが、戦争がなければ本作の美男と美女は出会うこともなかったでしょうから。
(2)本作の劇場用パンフレットの「Production Notes」では、本作の物語が“実話”にもとづいているかのような解説がなされています(注3)。
仮にそうだとしても、本作が依拠しているのはごくごく大雑把な枠組みだけであり、個別のエピソードはどれもフィクションではないかと思われます。
というのも、例えば、最初の方でマックスとマリアンヌは、駐モロッコのドイツ大使らを殺害しますが、なぜわざわざそんなことをするのかよくわかりません(注4)。それも、大使館で開催されたパーティーという衆人環視の中で実行するとは、諜報活動をする者の仕業とも思えないところです(注5)。
その後のストーリーにも、腑に落ちないところがいくつも見受けられます(注6)。
でも、本作は、スパイが活躍するアクション物というよりは、公式サイトの「Introduction」が強調するように、「マックスとマリアンヌが繰り広げる切ないラブストーリー」「「感涙」のラブストーリー」なのでしょう(注7)。

そう思ってみると、ドイツ大使殺害シーンにしても、マックスを演じるブラッド・ピットもマリアンヌに扮するマリオン・コティヤールにしても、大使主宰のパーティーに出席しているために2人が正装しているせいでもありますが、最初から最後まで実にきれいに撮れています。
また、砂嵐の砂漠に置かれた車の中で2人が結ばれるまでの様々なやりとりも、二人の様子を覗き見する関係者を欺くためでしょうが、なかなか面白いものがあります(注8)。
それに、そうした場面の背景として描かれるカサブランカの街について、本作を制作したゼメキス監督は、随分と意欲的に美しく描いているのですから(注9)。
本作の後半になっても、印象的な場面がかなりあります。
例えば、ドイツ空軍によるロンドン空襲の最中に、マリアンヌが病院の外で出産をする場面とか、撃ち落とされたドイツ空軍の爆撃機がマックスらの暮らすロンドンの住宅の直ぐ側に落下するシーンなど、なかなか見応えがあります。
こんなところから、ブラッド・ピットもマリオン・コティヤールも、本作の役柄からすると歳を取りすぎているとする評論家(注10)がいるとはいえ、クマネズミの目には、さすがの美男・美女の取り合わせだなと思え、ストーリーの難点に目をつぶれば、楽しく見ることのできる作品なのではと思ったところです。
(3)渡まち子氏は、「(ブラッド・ピットは)本作では、戦争が恋を生み、同じ戦争が愛を奪おうとする物語をダンディーかつセクシーに演じて存在感を示している」し、「国際的に活躍するオスカー女優のコティヤールの知的な美しさもまた絶品」として65点を付けています。
前田有一氏は、「「マリアンヌ」は決して長く後に残る映画作品ではないが、ストーリーが疾走しており、週末のディナーのお供ならば十分にその役を果たすだろう」として70点を付けています。
(注1)監督は、『フライト』や『ザ・ウォーク』のロバート・ゼメキス。
脚本は、『マダム・マロリーと魔法のスパイス』のスティーヴン・ナイト。
原題は「ALLIED」(とりあえずは、「枢軸国」に対する「連合国」の意味でしょうが、あるいはマックスとマリアンヌとの関係を暗示しているかもしれません)。
なお、出演者の内、最近では、ブラッド・ピットは『マネー・ショート 華麗なる大逆転』、マリオン・コティヤールは『たかが世界の終わり』で、それぞれ見ました。
(注2)本文の(3)で触れる渡まち子氏は、「サスペンス・タッチではあるが、本作は王道のメロドラマ。だがその根底にある反戦のメッセージを見逃してほしくない」と述べています。
(注3)劇場用パンフレットの該当箇所では、「彼(脚本家のスティーヴン・ナイト)は、互いの身分がばれると命の危険があることを承知の上で、恋に落ちた第二次世界大戦時の2人のスパイの話を聞いたという」、「ナイトを魅了した物語は、カナダ人のスパイと元教師のフランス人レジスタンスをめぐるものだった」と述べられています。
(注4)後から英国諜報機関の高官がマックスに話すところによれば、マリアンヌを英国諜報機関側にすんなり受け入れさせるために、危険人物視していた当該ドイツ大使をナチス側が人身御供として差し出したとのこと。
でも、そうであれば、そしてそのことを英国諜報機関側が予め知っていれば、大使殺害計画など立案しなかったでしょう(大使暗殺を計画するのは、ナチス側ではなく英国側なのです)。
また、そのことを英国諜報機関側が知らなかったとしても、当該ドイツ大使の存在は、死をもって排除しなければならないほど連合国側に酷いダメージを与えるものでなかったのではないかと推測されます(なにしろ、標的のドイツ大使は、ナチスによって反体制的と目されているくらいの人物なのですから)。
(注5)諜報機関が要人を暗殺するのであれば、今回の金正男暗殺事件のように(?!)、衆人環視の中で実行する場合でさえ、結局、真の犯人が誰であるのか捜査できないような状況にするのではないでしょうか?
本作の場合は、目撃者を全員撃ち殺したわけではありませんから、すぐに身元がバレてしまうように思えます。
それに、マリアンヌとマックスが、建物の外での爆発に呼応して、パーティー会場に置かれていた机の下に隠されていた銃器を取り出して乱射するわけながら、2人が全くの無傷で大使館を抜け出し、車に乗って逃走してしまうというのは、今時のアクション映画では見かけないほどの大雑把な描写のように思えます。
(注6)ほんの少し待てば、マリアンヌに対する嫌疑の真偽が判然とするにもかかわらず、どうしてわざわざマックスは、死の危険を犯してまでナチス占領下のフランスに調査に出向くのでしょうか、自分たちが24時間、機関の監視の下に置かれているのが明らかにもかかわらず、なぜ2人は大っぴらに脱出を図ろうとするのでしょうか、などいくつも疑問が湧いてしまいました。
(注7)「D姐(でぃーねえ)」によるこの記事の冒頭では、「昨年、アンジェリーナ・ジョリーとのまさかの離婚劇で一躍お騒がせ対象になってしまったブラッド・ピット。しかも離婚の一因と噂されたのが、共演者である仏女優マリオン・コティヤールとの不倫!とまで囁かれたのを覚えている人も多いと思いますが、その真相は別として、『マリアンヌ』こそがその問題の共演映画」と述べられています(尤も、同記事では「アテクシ的判定、シロ」とされていますが)。
(注8)例えば、マックスがモロッコにやってきた最初の夜、マックスは屋上でブランケットを敷いて寝ることになりますが(これは、任務を上首尾に遂行するために、男女の関係になるべきではないとの考えによっています)、マリアンヌが、最上階の部屋からランプを手にして「最初の夜から妻がソバにいないと疑われる」と呟きながらマックスのもとにやってきて、彼とキスをしたり、彼に「見ている人がいるから、どんどん喋って」と要求したりします。

(注9)劇場用パンフレット掲載の監督インタビューの中で、ゼメキス監督は、「モロッコの風景については、私は、『カサブランカ』(42)を讃えたいと考えていた。当時のハリウッドでは想像もつかなかったような視覚効果を駆使しているとはいえ、この映画は私たちが古典的名作ですでに知っているカサブランカの街を思い起こさせるものにしたかったんだ」、「今や私たちはVFXでなんでもできる時代にいる。1940年台のヨーロッパや北アフリカの都市を再想像することができたよ」などと述べています。
(注10)本文の(3)で触れる前田有一氏は、「この青臭いストーリーとキャラ設定には、どう考えてもブラピ(63年生まれ)はおっさんすぎるし、マリオン(75年生まれ)はおばちゃんすぎる」と述べています。
★★★☆☆☆
象のロケット:マリアンヌ