映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

めがね

2007年10月21日 | 07年映画
 荻上直子監督の「めがね」を銀座テアトルシネマで見ました。

 前作「かもめ食堂」がひどく良かったので、ほぼ同じようなスタッフが製作したこの作品にも興味がありました。

 映画の雰囲気は、確かに、前作と同じようになっているように思われます。出演している小林聡美やもたいまさこなどが相変わらず独特の味を出していて、撮影場所の与論島の海の風景ともあいまって、いい作品に仕上がっていると思いました〔残念ながら、片桐はいりは今回出演しておりませんが〕。

 ただ、前作が醸し出していた「ほのぼの感」は、人為的に作り出そうとしてなかなかできるものではないのだな、という思いに囚われました。

 前作は、フィンランドのヘルシンキに小さなレストランを出すという一応のコンセプトがあって、初めは現地の人も中に入ろうとしなかったものの、レストランは次第に賑わってくるというかなり現実的なストーリーもありました。
 他方、今度の作品は、ほとんどストーリーらしきものはなく、人物の動きもかなり簡素化され、ただ「たそがれる」という言葉が映画の中で飛び交っています。

 都会の喧騒に疲れ果て、そこから脱出してこの島にやってくると、忘れかけていた「自由」の気分を取り戻し〔それが“たそがれる”ことの意味合いかもしれません〕、この島から離れ難くなるということなのでしょう。
 しかしそれでは、原始共産制は素晴らしいというのと余り変わりがないことになります。

 そんなことは現実にはありえず、実際には、大部分の人間が都市部での労働に携わるほかないと考えられ、誰もが、離島の海岸で氷を売って暮らすわけには行かないのは火を見るより明らかなことです〔もたいまさこの役は、毎年一定の時期になると、海岸で氷を売っているおばさんですが、それでは生計は立てられません〕。そんな離島で獲得される「自由」は、砂上の楼閣もいいところだと思われます。

 要すれば、なんとかして前作同様の「ほのぼの感」を出そうとしているのですが、それを意図してしまうと返ってそれから遠ざかってしまうのではないか、と思いました。