映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

あなたを抱きしめる日まで

2014年03月31日 | 洋画(14年)
 『あなたを抱きしめる日まで』を渋谷のル・シネマで見ました。

(1)今回のアカデミー賞の作品賞にノミネートされた作品(注1)というので、映画館に足を運びました。

 舞台は2002年のイギリス。
 ロンドン近郊に娘のジェーンアンナ・マックスウェル・マーティン)と暮らすフィロミナジュディ・デンチ)は、50年前にアイルランドで産んだ子供・アンソニーのことを思い出して涙に暮れています。実は当時未婚だったがために、修道院に入れられて(注2)、そこで出産したのですが、アンソニーが3歳になった時に密かに養子に出されてしまい、以来気がかりだったにもかかわらず、消息がわからないのです。
 娘・ジェーンが、パーティー会場で知り合った元ジャーナリストのマーティンスティーヴ・クーガン)にこのことを記事に書いてくれないかと話したところ、彼は一度断ったものの、定職がない身でもあり、ものになるかもと思い直して引き受けることに。
 さあ、フィロミナとマーティンのコンビは、子供を探し出すことができるでしょうか、………?

 本作で焦点が当てられる二人は、年齢も教育も関心事項も大きく異なるものの、アイルランドから、果てはアメリカにまでわたって子供を探していくうちに、お互いに対する見方が次第に変わっていくのですが、その過程がなかなか巧みに描かれていて、大層面白く見ることが出来ました。

 主演のジュディ・デンチは80歳ながら、本作でも元気ハツラツとした姿を見せており、その巧みな演技には舌を巻きます(注3)。



(2)本作を見ながら、DVDで見たことがある『オレンジと太陽』(2012年)を思い出しました。
 同作は、主人公の社会福祉士・マーガレットエミリー・ワトソン)が、児童養護施設にいた子供たちがオーストラリアに密かに送り込まれていたことを突き止めるという話です。
 どちらも実話に基づく作品であり、その話の出発点がイギリスであり、また子供の移送に教会が絡んでおり、さらには男女の二人組(注4)で調査を行いますし、構造的に様々の点で大変良く似ているなと思いました。

 とはいえ同作の場合、子供が移される場所が本作のようにアメリカではなくオーストラリアだったり、さらには、子供が、本作では養子としてアメリカの夫妻にもらわれていきますが、同作では、労働力要因としてオーストラリアに移送されたりと、本作と違うところがいろいろあります。
 特に、同作の主人公マーガレットは、本作のフィロミナのように自分の子供の消息を探すわけではないという点が大きく異なっています。
 むしろ同作の場合、オーストラリアに移送された子供たちのことが専ら取り上げられ、主人公はその子供たちの親を探し出すことに尽力するのです。

 これに対して、本作で、フィロミナの息子・アンソニーが描かれていないわけではないものの(注5)、『オレンジと太陽』と違って(注6)、中心は子供の親であるフィロミナとなります。
 これは、『オレンジと太陽』が、大勢の子供の海外移送という問題を映画で告発するという点に力点が置かれているように見えるのに対し、本作はむしろ、子供を探す過程におけるフィロミナとマーティンの関係の変化の方に関心が向けられている、という違いによるのではないかと思いました。

(3)そのフィロミナとマーティンの関係ですが、彼女は元看護婦でごく普通の老婦人ながら、彼はオックスフォード大卒の教養あふれる中年の元ジャーナリスト(注7)であり、彼女は敬虔なカトリック教徒ながら、彼は宗教を捨てています。
 言ってみれば、フィロミナは労働階級に属し、マーティンは中流階級に属しているわけですから、通常であれば余り接点がないところです。
 それがひょんなきっかけで、二人で車(注8)に乗ってアイルランドの修道院に行ったり、アメリカまで飛行機で出かけたりして、次第にそれぞれの考え方などが変わってくるのです。



 こんなところを見ると、本作は、つい最近見たばかりの『ネブラスカ』(父親と疎遠にしていた息子が、米国内を車で移動していく内に、父親のことを理解していくという話)のようなロードムービーではないかとも思えてきます(注9)。
 とはいえ、フィロミナがロマンス小説を愛好する性癖は、旅が終わっても何一つ変わらないのですが(注10)。

(4)渡まち子氏は、「悲しみに耐えてきた老婦人の強さを、告発調の社会派ドラマに傾くことなく、庶民目線の優しいまなざしで描いている点が素晴らしい」として75点をつけています。
 また相木悟氏は、「ライトな肌ざわりながら、ズシリと重いテーマが沈殿する新感触の社会派ドラマであった」と述べています。



(注1)原題は、ズバリ主人公の名前を持ってきて『Philomena』。

(注2)ここらあたりの事情は、『マグダレンの祈り』(2003年)と類似しているようですが、未見です。

(注3)ジュディ・デンチは、最近では『ジェーン・エア』とか『マリリン』などで見ました。
 なお、先月末のこの記事によれば、「(ジュディ・デンチは)視力をほぼ失い、台本も読めなくなっていることを「デイリー・メール」紙が報じた」とのことです。

(注4)『オレンジと太陽』では、マーガレットがオーストラリアの修道院を調査する際に、男性のレンデビッド・ウェナム)が同行します。

(注5)本作では、アンソニーがゲイであることが判明しますが、上記「注4」で触れたレンも実はゲイなのです。ただ、アンソニーの場合は個人的なこととして描かれるのに対し、レンの場合は、オーストラリアの修道院における特殊な生活(男性の修道僧の社会)が大きく影響しているような感じを映画からは受けます。

(注6)上記「注4」で触れたレンは、調査の過程で、自分を生んだ母親がイギリスの田舎にいることを知り、会いに行くことになりますが、同作においては、レンが母親の家に入るところまで描かれるものの、母親の姿は映し出されません。

(注7)マーティンは、BBCの記者から労働党政府の広報担当に就いていましたが、ちょっとしたことで詰め腹を切らされ辞任したばかりで、職を探していたところでした。
 ロシア史の本を書こうと考えていたり、T.S.エリオットの本から場に応じた一文〔『四つの四重奏』に含まれる『リトル・ギディング』―この作品については、長畑明利・名古屋大学教授による興味深い論考がネットに公開されています(当該一文は、この論考のページ番号64で触れられています)―より〕を引用したりするなど、中々の教養を身につけた人物とされています。

(注8)マーティンは、アイルランドに行くためにBMWの車を借りてきます。
 そういえば、『ネブラスカ』でも日本車(スバル)が登場しましたし、本作では、さらにマツダの車も登場します。尤も、同作では、ラストでスバルを売り払ってGMのピックアップが購入され、また本作でも、アメリカを移動するのに二人が使うのはフォードの車ですが。

(注9)現に、劇場用パンフレットに掲載されたインタビュー記事において、脚本をも担当したスティーブ・クーガンは、「全く違うふたりが旅を通じて、相手を受け入れ、自分の人生の見方を変えるようになるという、ある種のロードムービーだね」と述べています。

(注10)とはいえ、マーティンは、フィロミナが読んだロマンス小説のあらすじを細かく話すのに最初は閉口していたものの、旅の終わりには、受け入れるようになっていますが。



★★★★☆☆



象のロケット:あなたを抱きしめる日まで
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アナと雪の女王

2014年03月28日 | 洋画(14年)
 『アナと雪の女王』を吉祥寺プラザで見てきました。

(1)本作(注1)が今度のアカデミー賞の長編アニメ映画賞(注2)を獲得したというので映画館に行ってみたのですが、上映されているのが吹替版ということもあり、館内は小さな子供連れが目立ちました。でも、歌が多く挿入され、また雪だるま(オラフ)とか、トナカイ(スヴェン)、氷の怪物(マシュマロウ)などが登場することもあるのでしょう(注3)、子供たちも概しておとなしく画面に見入っていました。

 本作の冒頭では、空にオーロラがかかる中、男たちが川で氷を切り出してソリに積み込んで運ぶ様子が描かれます(注4)。
 そして場面が変わり、アレンデール王国の国王一家が暮らす城の中。
 長女のエルサと次女のアナの姉妹がふざけあって遊んでいます。
 エルサは、触れるものを凍らせたり雪を降らせたりする魔法の力を持っているので、床を凍らせたり、雪だるまや滑り台を作ったりしています。
 でも、ある時、その魔法の力を誤ってアナの頭に向けてしまい、アナは空中から落ちて意識を失ってしまいます。
 さあ、この事態にエルサはどう対処するでしょうか、アナは助かるのでしょうか、そして王国は、………?

 本作は、他愛のないラブストーリー物ながら(注5)、中で歌われる歌がどれも素晴らしく、また冒頭の雪の結晶が空を舞うシーンとか、氷の城や様々の雪景色など、どの映像を取ってもファンタジックで見応えがあります。

(2)それにしても、エルサが歌う主題歌「Let It Go」はいつまでも耳に残ります。



 クマネズミが見たのは吹替版で、そこでは松たか子が歌いますが(注6)、素人判断ながら、決して字幕版のイディナ・メンゼルに劣るものではないように感じたところです。

 ただ、松たか子が歌う日本語歌詞は、英語歌詞(取り敢えずここでは、PV動画に掲載の訳詞を記載します)と比べると、かなりソフトになっているのではと思いました。
 例えば、英語歌詞の「風がうなる 心の嵐のように/私の苦しみを 天だけが知っている」が、日本語歌詞では「風が心にささやくの/このままじゃだめなんだと」となっています。
 また、英語歌詞ではエルサが雪山にやってきた理由に触れていますが(注7)、日本語歌詞では略されています。
 総じて言えば、英語歌詞の方がよりドラマチックな感じがします(注8)。

 ここには、英語歌詞を日本語歌詞に移すことの難しさが現れているのでしょう(注9)。
 本作の全曲の訳詞を担当した高橋知伽江氏は、この記事によれば、「とりわけ難しいのは、英語をそのまま日本語に訳してしまうと文字数が多くなり、歌に入りきらない点」とし、さらには「映画の吹き替えでは役者(キャラクター)の口の動きに訳詞を合わせるという作業も加わる」ので難しさが増すようです。

 もっといえば、日本的なものの捉え方と西欧的なそれとの違いといったようなことにまで話を発展させることができるかもしれません(注10)。でも、風呂敷をあまり広げすぎない方が身のためでしょう!

(3)渡まち子氏は、「主題歌賞、長編アニメーション賞のオスカー2冠も納得のドラマチックな秀作ファンタジーだ」として75点をつけています。
 渡辺祥子氏は、「それが普通、という女性監督らしい率直な心情が出る話の展開は、白馬の王子の夢の代わりに誠実な若者と全8曲の歌が補い、ミュージカル形式の魅力が十分に発揮される」と述べて★4つ(「見逃せない」)をつけています。
 読売新聞編集委員の福永聖二氏は、「メンゼルらブロードウェイの実力者を集めた、ディズニーのミュージカル・アニメの金字塔だ」と述べています。



(注1)原題は『Frozen』。
 なお、同時上映されるアニメ『ミッキーのミニー救出大作戦』は、わずか6分間の短編ながら、製作者の才気がビンビン伝わってきて大層楽しめました。

(注2)合わせてアカデミー賞の主題歌賞も獲得しています。

(注3)雪だるまの「オラフ」が登場するところから、本作の原案作品としてアンデルセンの「雪だるま」をも挙げる向きがあるようです。



 なお、クリストフが普段から仲良しにしているのが「トロール」だということで、クマネズミは『トロールハンター』を思い出してしまいましたが、同作のトロールと本作のそれとは似ても似つきません!

(注4)後で本作において重要な働きをするクリストフがこの男たちの一員というところから、この場面に意味が与えられます。

(注5)劇場用パンフレットに掲載の「Production Notes」には、「本作の原案は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが1845年に発表した「雪の女王」」と述べられています。
 ただ、Wikipediaのあらすじや青空文庫の翻訳を読んでも、あまりピンときません。
 そんなこともあり、ネットでは、本作は『聖闘士星矢 アスガルド編』のパクリではないかとの意見が言われているようです。
 とはいえ、クマネズミは『聖闘士星矢』を見たことがないので深入りできませんが、この「1+1=2」さんの見解(「上っ面のストーリー、設定に共通点はありますが、出来上がった作品は全くの別物」)が妥当なところではないかと思っています。

(注6)エンドソングとしてはMay J.が歌っています。

(注7)英語歌詞では「秘密を 悟られないで/いつも 素直な娘で/感情を抑えて 隠さなければ/でも 知られてしまった(Well, now they know)」となっているところが、日本語歌詞では「戸惑い傷つき/誰にも打ち明けずに/それももう やめよう」とされています。すなわち、英語歌詞では、「これまで皆から隠し通してきた魔法を使うという秘密を、最早皆に知られてしまった」となっていますが、日本語歌詞では単に「秘密を隠すのはやめよう」とされています。

(注8)さらには、これから「氷の城」で暮らしていこうとするエルサについて、英語歌詞では「隔絶された王国 私はその女王」(A kingdom of isolation And it looks like I’m the Queen)とか「自分の道を行く ここは私の王国 嵐よ吹き荒れるがいい」(Here I stand And here I’ll stay Let the storm rage on)と歌われますが、日本語歌詞では、それぞれ「真っ白な世界に一人の私」、「ありのままで飛び出してみるわ」とされています。

(注9)クマネズミは、翻訳の適否を問題にするつもりはありません。

(注10)例えば、英語歌詞では「善悪やルールに縛られずに 私は自由よ」(No right, no wrong,/no rules for me/I’m free)とされているところが、日本語歌詞では「そうよ変わるのよ私」とされていますが、こんなところに西欧と日本の物事の捉え方の違いをみることができるのかもしれません。



★★★★☆☆



象のロケット:アナと雪の女王
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銀の匙

2014年03月25日 | 邦画(14年)
 『銀の匙 Silver Spoon』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)漫画が原作の映画ながら(注1)、このところ矢継ぎ早に映画が公開されている吉田恵輔監督の作品とのことで、映画館に行ってきました。

 本作の舞台は、北海道にある大蝦夷農業高校・酪農科学科の1年生のクラス。
 新学期になって、新入生たちが廊下を歩き階段を登り、そして次々に教室に入っていきます。
 担任の中島先生(中村獅童)は、「君たちは全員寮生活を送ることになる。特に酪農科学科は農場での実習が多いので、休みはない」などと話します。
 次いで生徒の自己紹介が始まりますが、主人公の八軒中島健人)は、父親(吹越満)から、「中学受験をした意味がない。なぜ、こんな高校へ行くのか?農作物や家畜に触れることに意味があるのか?あんなに勉強しても成績を上げられずにいたら、今度は逃げるのか?お前には何も期待しない」と言われたことを思い出します。
 周りの生徒が、「実家の酪農を継ぐつもり」とか「ニワトリ農家をやる」などと明確な将来目標や夢を話す中で、八軒は「新札幌中から来ました。よろしくお願いします。将来の目標は特にありません」と言うだけ。
 終わってトイレで隣に来たクラスメートから、「お前、なんで進学校から来たの?将来の目標がないというのはどういうこと?」と尋ねられても、八軒が「そんなものは特にない。ここは全寮制で、家を出れるから来たんだ」と答えたために、その生徒に「お前、酪農なめてるのか!」と怒鳴られてしまいます。
 さあ、こんな八軒ですが(注2)、これから新しい環境に上手く馴染めていけるのでしょうか、………?

 本作は、農業高校の生徒たちの青春を描きつつ、都会に住む者が普段目にしない様々の酪農作業(注3)を、北海道の大自然(注4)の中で実に興味深く描き出していて、その点ではなかなか貴重な作品だとは思うものの、ストーリーの方は、キャッチコピーにある「最強に理不尽な青春」が描かれているわけのものでもなく、またこれまでの吉田恵輔作品的な感じもせず(注5)、定石通りの青春ドラマ(注6)を見せられた感じでした(注7)。

(2)本作では“ばんえい競馬”が何度も取り上げられているために(注8)、以前DVDで見た『雪に願うこと』(2006年)を思い出しました。



 特に、同作に騎手の牧恵役で出演していた吹石一恵が、本作でも高校の教師役として出演しているところ、本作のヒロインのアキ広瀬アリス)が成人したら、あるいは牧恵のようになるのかもしれないと密かに想像してしまいました。



 さらには、本作の主人公の八軒が「逃げずに父親と向き合ってみる」とアキに決意を示すところは、同作の主人公・伊勢谷友介)が「俺、東京へ帰るよ」と兄・威夫佐藤浩市)に言うところとダブります(注9)。

 そんなあれこれから、本作と『雪に願うこと』とは、ばんえい競馬を巡って大人バージョンと青春バージョンの関係にあるようにも思えてしまいました(もちろん、本作ではばんえい競馬ばかりが描かれているわけではないのですが)。

(3)渡まち子氏は、「アイドル映画の枠組みではあるが、個性的なキャラクターと案外真面目なテーマで、ユニークな青春映画に仕上がっている」として65点をつけています。
 また、相木悟氏は、「叱咤され、励まされ、温かく包みこまれる。苦境に立ち向かう背中を押してくれる良作であった」と述べています。



(注1)原作は『銀の匙 Silver Spoon』(荒川弘著、小学館)。

(注2)さらに例えば、体育の授業のマラソンで高校の敷地を一周することになりますが、敷地面積が広大で1周が20kmと聞いて、早くも八軒は「こんな学校辞めたい」とつぶやいたりします。

(注3)豚舎における子豚の世話、豚の屠殺、搾乳、牛の出産などなど。
 特に、豚の屠殺のプロセスは、これまで見たことがありません。

(注4)本作は、帯広の帯広競馬場や帯広畜産大学などでロケが行われています。

(注5)本作では、吉田恵輔監督のこれまでの作品に見られた型破りの登場人物(『ばしゃ馬さんとビッグマウス』以降ウエイトが低下していましたが)がすっかり影を潜めてしまっている感じがしました。
 ここら辺りのことは、このエントリの「注2」やこのエントリの(2)をご覧ください。

(注6)本作の公式サイトに掲載の「Introduction」では、本作について、「個性豊かな登場人物で描かれる、仲間との友情、恋の行方、夢と現実の間での葛藤、そして命と真摯に向き合う姿」と述べられています。ですが、これらの事柄は、青春ドラマの定石と言える事柄ではないでしょうか?
 それよりなにより、「エゾノー祭」で、主人公ら馬術部の面々が「ばんば場」を作りレースの開催まで漕ぎ着けるというのは、例えば『リンダ・リンダ・リンダ』(2005年)の学園祭で主人公らがバンド演奏をする話と比べても、やっていること自体は大層違っているものの、若者たちが目標に向かって頑張っている様はそれほど違わないのかな、と思いました。

(注7)主演の中島健人、ヒロインのアキを演じる広瀬アリスの他に、黒木華南九条あやめに扮します)、哀川翔(アキの叔父)、竹内力(アキの父)、石橋蓮司(アキの祖父)、中村獅童吹越満吹石一恵(中島先生の同僚教師)などの俳優が脇を固めています。

(注8)例えば、休日に、アキと八軒と駒場(市川知宏)は連れ立って帯広競馬場に遊びに行きますし、高校の文化祭(「エゾノー祭」)では、学校の中にばんば場を作ってレースが行なわれ、ラストにもばんえい競馬場でのレースが映し出されます。
 また、アキと南九条あやめとのライバル関係もばんえい競馬を巡ってのものですし、アキは叔父さん(哀川翔)から騎乗の仕方を教えてもらったりします。

(注9)『雪に願うこと』において、弟・学は、東京で貿易商社を興すも失敗し、兄・威夫のもとに逃げ帰っていたのですが、牧恵が「ウンリュウ」に騎乗してばんえいレースに出場する日に、そのレースの結果を見ずに東京に戻ります。「東京でどうしていいかわかんないけど、とにかく頭を下げ、須藤(共同経営者)に謝ろうと思っている。兄さんが迷わないで生きているのを見ると羨ましい」と言って。



★★★☆☆☆



象のロケット:銀の匙
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それでも夜は明ける

2014年03月21日 | 洋画(14年)
 『それでも夜は明ける』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)本作は、今度のアカデミー賞で作品賞を獲得したというので映画館に行きました(注1)。

 映画の時点は1841年で、1863年の奴隷解放宣言よりも前のことです。
 場所は、ニューヨーク州のサラトガ。
 バイオリニストのソロモンキウェテル・イジョフォー)は、自由黒人で、妻のアンと2人の子どもと一緒に幸せな生活を送っていましたが、あるとき2人の興行師にワシントンで開催されるサーカスのショーで演奏してほしいと誘われてワシントンに出向いたところ、騙されて誘拐されてしまい、気がついたら地下室に鎖で繋がれて。
 自分が自由黒人であることは無視されたまま、ニューオーリンズに連れて行かれます。



 ここから、奴隷として過酷な生活が始まるのですが、果たして彼は生きてこの状態から脱出できるのでしょうか、………?

 本作は、実話に基づいており(注2)、ありえないような厳しい境遇に陥りながらも、自分を見失わず、家族のもとに戻るためになんとしてでも生き抜いてやるという主人公の強固な姿勢が、実に上手く描かれていると思いました。
 それにしても、描かれている時代は日本の江戸末期ぐらいながら、今でも自分の意志に反して自由を奪われている人たちが大勢いるのですから、けっして昔の出来事ではないのではという思いを強くしました(注3)。

(2)本作は、『大統領の執事の涙』の冒頭で描かれているエピソードの前史のような位置づけにあります。
 すなわち、同作の冒頭の出来事は1926年に起きたとされ、本作はそれより80年以上前の話ながら、同作の主人公・セシルの父親が、若主人にクレームをつけようとしたところ、いともあっさりと射殺されてしまうのと同じように、本作でも、ソロモンたちが連れて行かれる船の中で、白人の行為に非難がましい素振りを見せた黒人が、その白人によって簡単に刺殺されてしまいます。
 また、同作には、縛り首にされた黒人をセシルが目の当たりにする場面がありますが、本作でも、ソロモンが逃亡を企てて森の中を走りだしたところで、黒人奴隷を白人たちが縛り首にしているところにぶち当たります。

 セシルにせよソロモンにせよ、二人は、そうした場面に遭遇しながらも積極的なアクションをとらずに、冷静に受け止めようとします。でもそうだからこそ、セシルは大統領執事として長いこと勤めあげることが出来たのでしょうし、ソロモンにしたって、12年はかかりましたが自由黒人に戻れたのだと思われます。

 その自由黒人ですが(注4)、そういえば『ジャンゴ 繋がれざる者』の主人公ジャンゴジェレミー・フォックス)は、賞金稼ぎの歯科医(クリストフ・ヴァルツ)に買われ自由の身となります。ソロモンと同じように白人に救われるわけながら、ジャンゴの場合は、自分や愛する妻・ブルームヒルダを酷い目に合わせた白人に徹底的に復讐します。
 一方のソロモンも、自由黒人に戻った暁に、自分を奴隷の身分に陥れた興行師たちを訴えますが、上手く行かなかったようです(注5)。

 本作にはもう一人興味深い黒人が登場します。
 ソロモンがいる農園で働く女奴隷の中にパッツィールビタ・ニョンゴ)がいますが、彼女が日曜日に訪れる黒人のショー夫人(アルフレ・ウッダード)は、元々はパッツィーと同じ身分でありながら、今や白人の妻となって逆に奴隷を管理する側に身を置いているのです(注6)。そして、そういう立場から、いろいろパッツィーにアドバイスをします。

 本作を見ると、同じ黒人奴隷と言いながらも、いろいろな境遇があるのだなとわかってきます。
 それと同様に、奴隷を管理する側も様々な白人がいるように描かれています。
 
 典型的なのは、本作に登場するエップスマイケル・ファスベンダー)でしょうが、この男は、『ジャンゴ』でディカプリオが演じたカルヴィン・キャンディに通じるものがあります。なにしろ、エップスは、些細なことからバッツィーを酷く鞭打ったりしますが(注7)、キャンディの方は、黒人同士を死ぬまで戦わせたりするのですから。



 他方で、本作には、フォードベネディクト・カンバーバッチ)という、ソロモンに理解を示す農園主も登場します。映画の中でも、農園で働く黒人たちに対して聖書の言葉を説くシーンが映し出されますが(注8)、全体として温厚な紳士といった感じで、『ジャンゴ』の歯科医キング・シュルツに若干ながら通じるところがあるのかもしれません(注9)。



 こうした様々の登場人物を見ているうちに、果たしてアメリカの黒人奴隷制度は、経済的観点から見て効率のよいものだったのか疑問に思えてきます(注10)。そして、何かわかったつもりでいた黒人奴隷について、実のところ何も知らなかったのではという思いにとらわれてしまいました。

(3)渡まち子氏は、「物語は実話で、ソロモンが最後には救われることを知っていてもなお、この映画の圧倒的な衝撃は、観客を金縛りにしてしまう。いかにもアカデミー好みの社会派の良作だが、見る側に体力と気力を要求する作品であることは間違いない」として75点をつけています。
 相木悟氏は、「人心の暗部を容赦なくえぐる、重量級の逸品であった」と述べています。
 佐藤忠男氏は、「アメリカの奴隷を描いた映画はこれまでにたくさんあるが、この映画では、虐待する白人も、される黒人も、一人一人の人格が鋭く描き分けられている。そこがかつてなく本格的である。それで悲惨な日々の耐え方にも強い現実味と精神的な葛藤がともなって感じられる」と述べています。
 中条省平氏は、「民主国家アメリカの歴史的恥部である奴隷制度をこれほど生々しく、苦痛に満ちて描き出した映画は稀であろう。人間の尊厳を踏みにじる愚行を前にして、観客は怒りとともにこうした不正義を地上から駆逐したいと念ずるはずだ」と述べています。
 恩田泰子氏は、「終盤、「脱出」に必死のソロモンは決して後ろを振り向かない。他者が目に入らなくなる。その情景の苦さ、そしてリアルさは、いつまでも心に残る」と述べています。



(注1)今回のアカデミー賞では、作品賞のほかに、パッツィーに扮したルピタ・ニョンゴが助演女優賞を、脚本を書いたジョン・リドリーが脚色賞を受賞しました。
 なお、本作の監督は、『SHAME-シェイム-』のスティーヴ・マックィーン

(注2)本作は、本作の主人公のモデルとなったノーサップ・ソロモンが著した『12Years a Slave』(1853年)を映画化したもの。同著について、Wikipediaでは、「1968年発表のスー・イアキンとジョセフ・ログスドンの編集による初めてのノーサップの伝記の学術書によって、彼の伝記が驚くほど正確であると証明された」と述べられています。

(注3)本作に出演する俳優の内、主演のイウェテル・イジョフォーについては、なんといってもDVDで見たことがある『キンキーブーツ』(2005年)でしょう。また、マイケル・ファスベンダーは、『悪の法則』や『ジェーン・エア』で、ベネディクト・カンバーバッチは、『アメイジング・グレイス』や『戦火の馬』でそれぞれ見ています。
 更に本作は、ブラッド・ピット(最近では、『悪の法則』で見ました)製作にあたるだけでなく、奴隷制度に反対のカナダ人労働者・バスをも演じていますし、フォードの農園でソロモンに冷酷な振る舞いをするデイビッツポール・ダノ(最近では、『LOOPER/ルーパー』で見ました)が演じています。

(注4)自由黒人については、下記の「補注」をご覧ください。

 また、Wikipediaを参照。
 なお、この記事によれば、1850年における自由黒人の比率は11.9%とされています(およそ364万人の黒人のうち43万人が自由黒人)。 

(注5)本作のラストでクレジットによる説明がありますが、劇場用パンフレット掲載の歴史家デイヴィッド・フィスク氏のインタビュー記事には、「彼らが埋めた罰は、裁判を待っていたときから保釈されるまでの7ヵ月間の獄中生活だけでした」とあります。

(注6)奴隷のパッツィーが、日曜日にショー夫人の元を一応の身なりをして訪れて、そのベランダで一緒に紅茶を飲んでいるというのは、クマネズミにとってとても不思議な光景でした(そこに、ソロモンがやってきて、「ご主人様が呼んでいる」と伝えると、パッツィーが「今日は安息日だから、どこにいても自由なはず」と答えるのも)。
 なお、この記事には、「奴隷所有者の中には黒人や先祖が黒人である者がいた。1830年、南部には3,775人のそのような奴隷所有者がおり、その80%はルイジアナ州、サウスカロライナ州、バージニア州、およびメリーランド州にいた」とあります。

(注7)他方で、エップスはパッツィーを性的に弄んでもいるのです。

(注8)上記「注5」で触れたインタビュー記事によれば、「フォードはバプテスト派の高名な牧師」とのこと。

(注9)尤も、キング・シュルツはドイツ人であり、ジャンゴを自由奴隷にしたのも、自分の賞金稼ぎに役立ったせるためにすぎないのでしょうが。でも、キャンディを撃ち殺すことまでしでかすのですから、奴隷制を酷く嫌ってもいたのでしょう。

(注10)パッツィーが綿花を1日230kg摘むのに対し、いくら平均より少ないからといって鞭で叩かれようと1日80kgほどしか摘めないソロモン。インセンティブを持たない者に対しては、鞭による強制を加えても、労働効率は一向に上がらないように思われます。
 それに、奴隷の逃亡を防ぐための人件費などを考えると、かなり非効率的なシステムではなかったかと思われます。
 でも、だからといって、このサイトの記事が言うように、「(奴隷制は)非効率。そのまま行ってたら、経済がやばい。なのでリンカーンは連邦そのものを救うために、奴隷制度に反対しました」とまで言えるのかどうかは疑問ですが。


〔補注〕自由黒人について
 本田創造著『アメリカ黒人の歴史 新版』(岩波新書、1991)には、自由黒人になる方法として、「独立革命時にみられたように軍役に服すること」、「勤勉と貯えによって主人から「自由」を購入」すること、「なんらかの理由で奴隷所有者によって解放され」ること、「逃亡によって非合法的に「自由」を獲得」することが例示されています(P.80)。
 また、上杉忍著『アメリカ黒人の歴史 奴隷貿易からオバマ大統領まで』(中公新書、2013)によれば、「深南部では黒人の数は少なく、大半は奴隷主が奴隷に産ませた子供で、多くが都市に居住し、上南部では、農村で奴隷と隣接しながら暮らす黒人が多く、再奴隷化の危機に直面しつつ生活していた」が、北部では、「それなりの規模の自由黒人居住区ができていた」ようです(P.38~P.39)。

 本作やこうした記事からすると、自由黒人の大半が北部にいたような印象を受けがちのところ、このサイトの記事によれば、「(南北戦争)開戦前年の1860年に北部に住んでいたのは46%に過ぎず、過半の54%は南部に住んでいた」とのこと!
 驚きました。
 そこで、同サイトの記事の元になった記事(2013.7.8)を見てみると、その筆者は、自分の先祖が、南北戦争よりずっと以前に自由黒人であったにもかかわらず、南北戦争時にはヴァージニア州で暮らしていて、どうして北部に移動しなかったのかと疑問に思い、Ira Berlinの『Slaves Without Masters: The Free Negro in the Antebellum South』(1974)を読み直してみて、「自分の先祖が南部にいて、南北戦争時にもそこを離れなかったというのは、当時珍しいことではなかった」ということを知って驚いているのです(1860年当時、南部にいた自由黒人の方が北部よりも35,766人も多い!)。

 この記事の筆者はハーバード大学の著名なHenry Louis Gates Jr. 教授。彼はアメリカの黒人歴史学者のトップと言われていますが(誤認逮捕事件でも知られています)、そんな学者が基礎的と思える事実を最近になって知って驚いているくらいですから、自由黒人の実体はまだ余り分かっていないのではないでしょうか?
 (なお、本件についてヘンリー・ルイス・ゲイツ教授は、この記事において更に議論をしています)



★★★★☆☆



象のロケット:それでも夜は明ける
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MUD-マッド-

2014年03月18日 | 洋画(14年)
 『MUD-マッド-』を吉祥寺バウスシアターで見ました。

(1)今度のアカデミー賞で主演男優賞を獲得したマシュー・マコノヒーが、本作に出演しているというので、見に行ってきました。

 舞台は、アメリカ中部のアーカンソー州。
 ある日、ミシシッピ川に流れ込む川の岸辺に住む少年・エリスタイ・シェリダン)が、友達のネックと一緒に川の中の島に渡ったところ、そこで見知らぬ男・マッドマッシュー・マコノヒー)と出会います。
 マッドは、洪水で木の上に引っかかっているボートで暮らしているようですが、何かいわくありげの雰囲気。



 エリスはなんとなくその男に魅力を感じ、あまり乗り気ではないネックを誘って色々サポートします(注1)。



 少年たちはマッドと話す内に、彼が人を殺し、警察や殺された男の父親らに追われていること、そして恋人のジュニパーリース・ウィザースプーン)と会いたがっていることなどを聞き出します(注2)。



 しばらくすると、そのジュニパーが近くの町のモーテルに宿泊しており、そればかりかマッドを追いかけてきた者達もその町に来ていることがわかってきます。
さあ、マッドや、エリス、ネックは一体どうなるのでしょうか、………?

 様々の問題を抱える多感な少年と主人公との交流が、ミシシッピ川中流域を背景に濃密に描かれていて、合わせてミステリー的な要素も加わり、長尺ながら(130分)観る者を最後まで惹きつけます。
 アカデミー賞を獲った『ダラス・バイヤーズクラブ』の時とは打って変わって、マシュー・マコノヒーは野性味溢れる体つきをしており、ここでもその持ち味を遺憾なく発揮しています(注3)。

(2)本作の公式サイトの「Introduction」には、「現代版『スタンド・バイ・ミー』とも言われ」ているとあります。
 確かに、エリスは、ネックと一緒になってマッドに関わっていくうちに、精神的に成長していきますから、『スタンド・バイ・ミー』における4人の少年の物語に類似していると言えるかもしれません(注4)。

 とはいえ、映画『スタンド・バイ・ミー』では、専ら少年同士の関係が色濃く描かれているのに対し、本作では、少年と大人との関係の方に焦点が当てられているように思いました(注5)。

 それでむしろ、本作は、『ペーパーボーイ』との類似性があるように思われます。
 何しろ、同作にはマシュー・マコノヒーが、主人公ジャックの兄の役で出演していますし、映画の舞台が、本作と同じような雰囲気を持っているのです(本作ではミシシッピ川の流域が、『ペーパーボーイ』ではフロリダのスワンプという湿地帯が描かれています)(注6)。
 それに、同作では、主人公ジャックは、奔放なシャーロット(ニコール・キッドマン)と関わることによって、女性に対する姿勢が変わっていきますが、本作でも、エリスは、マッドの恋人ジュニパーと接することによって、男女の愛というものに目が開けていきます(注7)。

(3)相木悟氏は、「重くも温かい、深い余韻の残るヒューマン・ドラマであった」と述べています。
 また、稲垣都々世氏は、監督・脚本のジェフ・ニコルズが、「犯罪サスペンスに少年の冒険と成長、大人たちの優しさや男気など、盛りだくさんな要素をうまく絡ませ、一途で純粋な愛の物語をつづる」と述べています。
 なお、この記事によれば、映画『スタンド・バイ・ミー』の原作者であるスティーブン・キングが、2013年映画の第3位に挙げているようです。



(注1)最初のうちは食料などですが、ボートを修繕するのに必要な機材(最後にはエンジンまで)も、いろいろ2人はマッドのために運び込むことになります。

(注2)マッドの話によれば、幼なじみで愛するジュニパーを階段から突き落として流産させた悪党を射殺したところ、その男の父親が長男と共に人を雇ってマッドを追っているとのこと。
 マッドとしては、ジュニパーを連れて、修繕したボートでメキシコ湾に逃れ出たいと考えているようです。

(注3)本作では、エリスが住むボートハウスのある川岸の対岸に、“暗殺者”と言われるトム・ブランケンシップが独りで暮らしていますが、それをサム・シェパードが演じています。サム・シェパードは、最近では『デンジャラス・ラン』で見かけました。



(注4)特に、行方不明の少年の死体を探しに4人が探検する森の様子は、マッドが隠れている川の中の島の様子と雰囲気がかなり似ています。
 ただ、『スタンド・バイ・ミー』では、少年の死体を探すのが探検の目的ですが、本作では少年たちはマッドにすぐに出会ってしまいます。

(注5)少年たちとマッドらとの交流もさることながら、エリスには家族の問題があります。すなわち、エリスの父親は、川辺のボートハウスで暮らしながら、川で獲った魚を町で売ることによって生計を立てています。ですが、母親はこうした地味な生活が不満で、町で暮らす話を進めています。その場合には、二人は別れることになるでしょうが、川辺の生活を続けたいエリスはどうなるのでしょう(父親が面倒を見るわけにも行かないでしょうから)?
 なお、ネックの方は、両親はおらず、川に潜って貝を採っている叔父さんと暮らしています。

(注6)そんなところから、本作からは『ハッシュパピー』や『偽りの人生』にも通じるところがあるようにも思いますが、そこら辺については、このエントリの(2)を御覧ください(『ハッシュパピー』の舞台のルイジアナ州は、本作の舞台のアーカンソー州のすぐ南側に位置します)。
 なお、マーク・トウェイン作の『ハックルベリー・フィンの冒険』との関連性も指摘されているようですが、確かにミシシッピ川を舞台にしている点や、少年が登場する点などは類似するとはいえ、同作で注目される人種差別的な観点は、本作には見当たらないように思われます。

(注7)エリスは、マッドから、自分とジュニパーはお互いに愛し合っているのだと聞いています。にもかかわらず、ジュニパーは、ボートで一緒に逃げようとしてマッドが定めた時刻に姿を見せません。それで、少年たちが付近のバーに探しに行くと、彼女が他の男と親密にしている姿を見てしまいます。他方で、エリスは、マッドからの別れの手紙を読んだジュニパーが、ベッドに倒れ伏して泣いている姿をも見てしまいます。
 両親が言い争いをしているのを見て、「夫婦なのに愛し合っていないの?」と言ってしまうエリスには、とても受け入れがたい光景だったことと思います。
 なお、『ペーパーボーイ』のジャックは年上のシャーロットに惹かれますが、それと同じように、エリス(14歳)は年上のメイ(高校生)をgirlfriendにします。でもエリスは、メイの言葉を真に受けて、自分の権利を行使しようとしたら、メイにすげなく扱われてしまいます。



★★★★☆☆


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土竜の唄

2014年03月14日 | 邦画(14年)
 『土竜の唄 潜入捜査官Reiji』を渋谷シネクイントで見ました。

(1)本作は、脚本・宮藤官九郎+監督・三池崇史で漫画を映画化したものながら(注1)、映画評論家の評価はあまり高くなく、それなら自分で確かめてみようと映画館に行ってきました。

 確かに、本作は、『十三人の刺客』や『藁の楯』などの三池崇史監督らしく、酷くぶっ飛んだ作品となっています。ですが、クドカンらしくアチコチに笑いの要素が散りばめられてもいて、なかなか面白い映画に仕立てあげられているのではと思いました。
 なにしろ、『脳男』で一皮むけた感じのする生田斗真が、さらにその上をいく演技を披露し、『地獄でなぜ悪い』でヤクザを演じて観客を唸らせた堤真一がここでもヤクザになりきり、さらに『凶悪』の山田孝之などの豪華俳優陣がそれぞれ頑張っているのですから、面白くない訳がありません(注2)。



(2)とりわけ、映画の「序」に相当する部分が面白いと思いました。
 まず、谷袋警察署の酒見署長(吹越満)が、署員の菊川玲二生田斗真)に向かって、「善良な市民で市会議員の先生に銃を向けたから、クビ」と決めつけます。
 これに対し、玲二は「あいつはブタ野郎だ、お断りします」と反撃。
 すると、署長は「おめでとう、合格だ!俺はこういう男を探していた。今からお前を潜入捜査官に命じる」と言うのです。
 目を白黒させる玲二に対し、署長はさらに、「表向きはお前を懲戒免職にする。超極秘任務は、数寄矢会に潜入し会長の轟周宝岩城滉一)を挙げることだ」と言い、「具体的なことは一美教官が教える」と付け加えます。

 そこで、玲二は一美教官(遠藤憲一)のところに行くのですが、あれこれあった後、映画の冒頭場面(予告編でも)にあるような格好にさせられて、洗車機に突っ込まされます。
 洗車が終わって出てきた玲二が、一美教官に向かって「殺せ!忘れないぞ、そのツラ」と叫ぶと、教官は「合格だ、これまで全員泣きを入れた。だがお前には根性がある」と言い、彼をその格好のママ数寄矢会の黒檜組の前に置き去りにしてしまいます。

 玲二は組の事務所に連れて行かれ、組長から「組に入りたかったらここにいる潜入捜査官を撃ち殺せ」と強要されます。
 ですが玲二は、ぎりぎりのところで形勢を逆転し、組長の口の中に銃を突っ込んで「動くと撃つぞ」と叫びます。
 すると、酒見署長や一美教官が登場し「合格だ」と言い、組長を「厚労省の麻薬取締部の福澄課長(皆川猿時)だ」と紹介します。

 要すれば、玲二は潜入捜査官になるための試験を3度受け、その全てに合格したわけです(注3)。

 これを原作漫画で見ると、ここまで映画は原作漫画の第1巻をほぼ忠実になぞっていることがわかります。
 確かに、原作も面白さに溢れています。
 とはいえ、スピード感が漲る映像の中で、原作の登場人物を吹越満とか遠藤憲一などの芸達者な俳優が生田斗真を盛り立てながら巧みに演技するのを見ると、映画は映画なりの良さがあるなと感心してしまいます。

 おまけに、本作の場合、玲二の合格を祝うかのように「土竜の唄」なる歌(作詞が宮藤官九郎)を、酒見署長、一美教官と福澄課長が歌うので、一層楽しくなります!



 でも、本作に登場する女優の見せ場が余り多くないのは残念な気がしますし〔玲二の同僚警官の若木純奈仲里依紗)が、『地獄でなぜ悪い』のミツコ(二階堂ふみ)くらいに活躍してくれたらというのは望み過ぎでしょうか〕、また玲二の潜入目的である轟会長逮捕という目的が達成されていないのは、続編絡みのためなのでしょうか?

(3)渡まち子氏は、「ヤクザに潜入した警察官の奮闘を描くバイオレンス・コメディ「土竜の唄 潜入捜査官 REIJI」。テンション高すぎ!バカやりすぎ!」として50点をつけています。
 前田有一氏は、「「あまちゃん」大ヒットで絶好調の脚本家・宮藤官九郎が三池崇史監督とタッグを組んで送る新作アクションコメディということで期待半分、不安半分だったが、結果的には後者の予感が当たった形だ」、「ヤンキー枠の消費物映画だからといって、省エネがバレバレなつくりは個人的にはいただけない。映画というならば、どんな小さなものでもどこかしら少なくとも一点には妥協なしの本気を見たいものである」として20点しかつけていません。
 稲垣都々世氏は、「徹底したバカらしさで虚構を強調し、観客を映画の世界に引きずり込む。この衝撃に耐えると後は慣れ、こわばっていた顔がほころんで笑えるようになる(だろう)」と述べています。



(注1)高橋のぼる作(小学館)。ネットには、期間限定ながら無料で読めるサイトが設けられています。

(注2)この他、関東の数寄矢会と対立抗争する関西の蜂乃巣会に所属する猫沢に、ナイナイの岡村隆史が、またそのヒットマン・黒河上地雄輔が扮していますが、それぞれ持ち味をよく出していると思います。

(注3)映画では、いよいよここから、玲二が、ヤクザに潜入すべく、数寄矢会の阿湖義組の営む闇カジノに乗り込んでいきます。



★★★★☆☆



象のロケット:土竜の唄
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ネブラスカ

2014年03月12日 | 洋画(14年)
 『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』を吉祥寺バウスシアターで見ました。

(1)これも、アカデミー賞の作品賞などにノミネートされたことから見に行ってきました。

 本作は、老齢の父親が100万ドルの賞金に当たったと信じこんでいるために、その賞金の受け取りに、父親と一緒に息子が、モンタナ州のビリングスからネブラスカ州のリンカーンまで車で行く(注1)という物語です。

 本作の冒頭は、モンタナ州ビリングス。
 貨物列車が走る線路と大きな道路の間の道を一人の老人が歩いているところ、上り坂になっているところでパトカーが追いついて、中から出てきた警官がその老人に、「ちょっと待って。行き先は?なぜ、高速道路を?どこから?」と質問します。

 次のシーンは警察署。
 母親から連絡をもらった次男のデイビッドウィル・フォーテ)が、父親であるその老人・ウディブルース・ダーン)を引き取りに(注2)。
 デイビッドが「ネブラスカに何をしに行くの?」と尋ねると、ウディは「100万ドルを受け取りに」と言って、「当選者 モンタナ州ウッドロウ・T・グラント」と書かれている手紙を見せますが、それを見たデイビッドは、「父さん、これはインチキだよ、雑誌を売るためのもの。Eメールでチェックすると良い」と言います。

 更にその次のシーンは、ウディの自宅。
 ウディとデイビッドが警察署から戻ってきます。
 ウディの顔を見た母親・ケイトジューン・スキップ)が、「驚いた、心臓が止まるかと思った。まさか、100万ドルとは!」と言い、デイビッドが「100万ドル当たったらどうするの?」と尋ねると、ウディは「トラックを買う」と答えますが、ケイトは「100万ドルあれば、父さんを老人ホームに入れるよ」と口の悪いことを言います(注3)。

 こうした騒ぎが何回か起きた後、デイビッドは、母親の反対を他所に、父親の希望と叶えてやろうと、ウディを自分の車にのせてビリングスを出発し、手紙を出した雑誌社「CMP社」のあるネブラスカ州リンカーンに向かいます。



 さあ、彼らは無事にリンカーンまで行き着くでしょうか、そして父親と息子の関係はどうなるでしょうか、………?

 本作は、老人たちがたくさん登場し、シンプルで至極地味な作品ながら、ウディのボケ老人ぶりや、故郷で出会ったその親族たち(注4)との関係が大層面白く、また次第に父親のことが理解できるようになる息子・デイビッドの描き方にも興味深いものがあります。

 主演のブルース・ダーンは、これまで見たことがありませんが、80歳近い高齢でありながら、難しい老人役を実に巧みにこなしています(注5)。

(2)本作は、ロードムービーの典型とも言えるでしょう。
 そのジャンルの作品として、洋画では『リトル・ミス・サンシャイン』が挙げられることが多いようですが(注6)、最近の邦画だと、例えば、『ジ、エクストリーム、スキヤキ』があるいは該当するかもしれません(注7)。

 そんな中で、最近たまたまウェス・アンダーソン監督の『ダージリン急行』のDVDをTSUTAYAから借りてきて見たところ、映画の中で取り扱われるのが自動車ではなく鉄道ではあるにせよ、ロードムービー的なものと言えるのではないかと思いました。
 なにしろ、仲違いしている3兄弟が、長男の呼びかけでインドに集まりダージリン急行に乗り、母親を探したりしている内に仲違いが次第に解消されていくという話なのですから。
 おまけに、長男のフランシスは、インドに集まる前にオートバイ事故で怪我をして頭に包帯を巻いている姿で他の二人の前に現れますが、これは、本作において、ウディが途中のモーテルで転んで頭に怪我をして絆創膏を貼り付けている姿に類似しているのではないでしょうか?

 また、本作は、何度も映画で取り上げられている父と息子のギクシャクした関係(注8)とその改善(注9)を描いている作品とも言えます。
 例えば、最近では『大統領の執事の涙』におけるセシルとルイスとの関係がそうですし、『人生はビギナーズ』におけるハルとオリヴァーとの関係がそうだといえるでしょう(注10)。

 ある作品を見ながら、関連する過去の作品をいろいろ思い浮かべるのも、また楽しいことです。

(3)渡まち子氏は、「頑固で寡黙、それでいて心優しい主人公ウディをひょうひょうと演じるベテラン俳優ブルース・ダーンの演技が味わい深く、この作品の最大の魅力になっている」として85点をつけています。
 相木悟氏は、「ずっとこの世界観に浸っていたいと思わせる、珠玉の人情ロード・ムービーであった」と述べています。



(注1)デイビッドたちが、モンタナ州ビリングスからネブラスカ州のホーソーン(目的地リンカーンより手前の町で、父親の出身地;実際には存在しません)まで、1,200kmを車で12時間、2日もかけて走ってきたことを、ホーソーン在住のレイ叔父さんの息子たち(デイビッドの従兄弟たち)は酷く詰り、自分たちはダラスから1,300kmを8時間で走った、などと誇ります。
 その裏には、デイビッドが日本車のスバルに乗っていることに対する非難が込められているのかもしれません(劇場用パンフレット掲載の宇野維正氏のエッセイ「疲れ果てたアメリカに、静かに寄り添うロードムービー」が指摘するように)。

(注2)デイビッドは、音響器具を売っている店で働いていて、両親とは別に暮らしています。
 なお、2年間彼と同居していた恋人は、家を出て行ってしまいました(その恋人が、鞄を返しにやってくるのですが、デイビッドが「考え直して欲しい、戻ってきて欲しい」と言っても、先が見えないことに嫌気が差している彼女は出て行ってしまいます)。
 それにしても、デイビッドの元カノの肥え太っていること!

(注3)ホーソーンの病院に入院したウディとデイビッドを残してケイトとロスは先にモンタナに戻りますが、去り際にケイトはウディの額にキスをしていますから、普段から口汚く罵ってはいても、ケイトはウディを愛しているのではと思われるところです。



(注4)ウディが、100万ドルの賞金に当たったことを一人に喋ってしまうと、ホーソーン中の人々がその噂で持ちきりとなり、友人や親族のなかには、賞金を分けてくれと言い出す者が出てくる有り様。
 中には、ケイトの美容院の建設資金を出したと言う者がいたので、ケイトは怒り心頭に発して、「あれは私の親戚から集めたお金。Fuck yourself!」と叫ぶと、さすがの親類たちも黙ってしまいます。

(注5)ブルース・ダーンは1936年生まれですから、『ペコロスの母に会いに行く』で好演した1924年生まれの赤木春恵は、もっと賞賛されてしかるべきでしょう!

(注6)例えば、ブラジル映画『セントラルステーション』(1999年)は、主人公の女性が9歳の少年と一緒に父親探しのたびに出るというもので、ロードムービーでしょう。
 また、例えば『宇宙人ポール』(2012年)にしても、宇宙人ポールをトラックに乗せて宇宙船が不時着しているところまで行くという話ですから、ロードムービー的な作品と思われます。

(注7)他には、例えば『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(2010年)も、ケンタとジュンが奪ったトラックで東京から網走まで走るという物語で、ロードムービーでしょう。
 また、邦画の『はじまりのみち』(2013年)は、登場するのが車ではなくリヤカーながら、兄弟らが母親を目的地まで山を越えて一緒に運ぶ物語であり、ロードムービー的な雰囲気を持っているように思います。

(注8)大酒飲みで寡黙な父親ウディと二人の息子ロスとデイビッドの間には溝があったようで、二人とも両親とは一緒に暮らしていません(あるいは、口うるさい母親ケイトを避けていたのかもしれません)。ただ、よりクールな兄と比べて、弟のデイビッドはまだしも父親が置かれている位置に理解があるようなのです。
 最近TVキャスターになったという長男のロスボブ・オデンカーク)は、ケイト同様にウディを老人ホームに入れるべきだと考えているのに対し、デイビッドは、ウディがボケるのは生きがいがないからだと考えているようです。

(注9)地元の「ホーソーン共和新聞社」において、その発行人でウディの昔の恋人でもあるペグ(ケイトの恋敵!)から、ウディは朝鮮戦争時に戦闘機のパイロットであり、撃たれたことがあり、それ以来大酒飲みになったのだ、という話をデイビッドは聞き出したりして、父親の過去を次第に知るようになります。

(注10)邦画については、このエントリの「注9」を参考にして下さい。



★★★★☆☆



象のロケット:ネブラスカ

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ラッシュ

2014年03月10日 | 洋画(14年)
 『ラッシュ/プライドと友情』を吉祥寺オデヲンで見ました。

(1)随分と評判が良さそうなので、遅ればせながら映画館を覗いてみました。

 本作は、「プライドと友情」という副題からもわかるように、専ら1976年の出来事に焦点を当てながら、二人の天才的なF1レーサー(注1)の戦いと友情を、実話をもとにしながら描いています(注2)。

 本作の冒頭では、1976年8月1日のドイツGPの会場が映し出され、F1には毎年25人の選手が参加するが2人が死ぬ、などと説明されます。
 そして、ニキ・ラウダダニエル・ブリュール)が「自分とジェームス・ハントクリス・ヘムズワース)は長い間ライバル関係にあると考えられていた」と語り、チームのスタッフに「タイヤはウエット」と言います。
 そして、レースの開始。

 この年ニキは、ブラジルや、南アフリカ、モナコ、ベルギー、イギリスのGPに優勝し、前年にひき続いてF1を制覇すべく安定した走りを見せていました。



 それに対し、ハントは、スペインとフランスのGPにだけ優勝していました(途中リタイアも4回と多く、不安定な走りと言えそうです)。



 それで、ドイツGPですが、その会場のニュルブルリンクは、元々「墓場と呼ばれる世界一危険なサーキット」の上に、当日は悪天候で路面が濡れて危険な状態でした(注3)。
 レース前の集会で、ニキは、レースの中止を提案しますが、ハントは、「追い付くためのポイントが減るから、お前はいいだろう」と批判。それに対して、ニキは「このサーキとでは俺が誰よりも断然早いのだ、その俺が中止を提案している」と言うと、ハントは「それじゃあ勝負しよう」と挑戦的な態度に出、ほかのレーサーもハントに同調するものが多く、ニキの提案は退けられてしまいます。
 それで、レースは決行されます。
 さあ、レースの結果はどうなるでしょうか、ハントとニキとの関係はどうなるでしょうか、………?

 本作に登場するジェームズ・ハントはイギリス出身で、プレイボーイとして享楽的な生活を送り、レースでは感覚を重視して車を操縦しますが、他方のニキ・ラウダはオーストリア出身で、絶えず車や家族のことを考えている地味な人物であり、レースでもむしろ合理性をもって車を操縦するなどというように、随分と対照的に描かれています(注4)。
 ラストでは、日本の「富士スピードウェイ」での死闘が描かれるなど興味深いレースシーンが多々映し出されるとはいえ、実話に基づいている作品にしては、人物造形が単純なのではと思ってしまいました(注5)。

(2)本作では、個別のレースの勝ち負けもさることながら、むしろワールドチャンピオンにどちらがなるかということの方に関心が向けられています。
 なにしろ、1976年のシーズンの最終戦までの二人のポイントの差はわずか3点なのですから(注6)!

 ここで興味がわくのは、素人的にはF1のポイントシステムです。
 映画の中では詳しく触れられていませんが、劇場用パンフレットやネットの記事によれば、あらまし次のようです。
 本作が描かれている時点(1976年)においては、各レースにおいて、1位から6位までが入賞で、ポイントは10-6-4-3-2-1点(注7)。
 ただ、本年からは(注8)、1位から10位までが入賞で、ポイントは25-18-15-12-10-8-6-4-2-1点となり、かつ最終戦のみポイントが2倍になるとのこと(注9)。

 ところで、F1のように、ポイントシステムによって世界チャンピオンを決めるスポーツは様々なものがあります。

 例えば、プロテニス
 現在、ラファエル・ナダルが1位で、日本の錦織圭が21位の「男子ATPランキング」(3月3日現在)では、例えばウィンブルドン選手権などの4大大会(グランドスラム)で優勝すると2000点獲得できるなど(ATPエントリーランキングの場合)、大会ごと、順位ごとにポイントの配分が定められています。

 また、プロゴルフ。
 現在、タイガー・ウッズが1位のワールドランキング(松山英樹が22位、石川遼は83位)については、なかなか複雑でよくわかりませんが、この記事によれば、大会ごとにポイント(イベントレーティング)が与えられ、さらにその大会の順位によって配分されるポイントが決められる、ということになっているようです。

 それに、スキージャンプ・ワールドカップもあります。
 ただ、こうした報道の仕方だと、優勝回数の多さをもって高梨沙羅が総合優勝したような感じを受けますが、ここでもポイントシステムが導入されています。

 高梨選手は、ソチ五輪でメダルを取れなかったことが大きく言われていますが、そんな4年に1回の単発のものよりも、ワールドカップで2連覇を果たしたことの方が実に素晴らしいことではないでしょうか?
 また、ゴルフの場合は、ワールドランキングよりも獲得賞金額の順位の方に皆の関心が集まります。
 F1の場合、各レースの賞金額は明らかにされていませんし、ましたオリンピックのようなものはないのですから、ワールドランキングが果たす役割は大きいものがあるように思われます。

(3)渡まち子氏は、「F1で熾烈なライバル争いを繰り広げたラウダVSハントの戦いを描く「ラッシュ プライドと友情」。対照的な二人が互いに認め合う姿にグッとくる」として65点をつけています。
 前田有一氏は、「勝ち組負け組などと、勝敗を単純に決めつけようとする現在の風潮にアンチテーゼをぶつける、そこにこそ本作最大の価値がある。それを認識した上で、ぜひ見に行っていただきたい。そうすれば、めったにない男たちの奇跡的なドラマを味わうことができるだろう」として70点をつけています。
 相木悟氏は、「思わず胸がヒートアップする、痛快な疾走型ヒューマン・ドラマであった」と述べています。



(注1)優勝91回、ワールドチャンピオン7度などのF1記録を持つミハエル・シューマッハが、昨年末のスキー事故により生死の間を彷徨っているというのは(例えば、この記事)、とても残念なことです。

(注2)本作に出演する俳優の内、クリス・ヘムズワースは『キャビン』、ダニエル・ブリュールは『コッホ先生と僕らの革命』、オリヴィア・ワイルドは『スリーデイズ』、アレクサンドラ・マリア・ララは『最終目的地』で、それぞれ見ました。

(注3)ニュルブルリンクは、当初悪天候だったものの、次第に天候が回復。それで、タイヤをウエットから交換するため、ニキはピット・イン。後退した順位を挽回すべくスピードを上げていった時に、大トラブルに巻き込まれます(ハントも、ニキト同じようにウエット・タイヤを使用しますが、タイヤ交換したのは終り近くなってから)。

(注4)家族についても、ニキは、献身的に尽くしてくれるマルレーヌアレクサンドラ・マリア・ララ)と結婚するのに対し、ハントは、スーパーモデルのスージーオリヴィア・ワイルド)を妻にしますが、ハントの奔放な行動は少しも収まらないために不仲となり、スージーは俳優のリチャード・バートンに走ってしまいます。

(注5)ニキは、どこまでも冷静沈着で職人的な人間のように描かれますが、あくまでもF1レーサーなのですから、ハントと同様な勝負師の側面も合わせ持っていたことでしょう。
 ハントについては、レース前に嘔吐してしまったり、セキセイインコを飼っていたりと、本作では、奔放なだけでなく繊細な面も描かれますが、そればかりでなく各レースでは2時間近く超高速で車を走らせるわけですから、合理的なドライビングテクニックや、他に勝る忍耐心なども要求されるものと思われます。

(注6)1976年5月に行われたスペインGPで1位だったハントが、規則違反で失格扱いだったところ、2カ月後その処分は取り消され、ポイント10点が復活したことが大きいと思われます。

(注7)最終戦の「F1世界選手権イン・ジャパン」(映画の中では「Japanese Grand Prix」とされていますが、そう呼ばれるようになったのは翌年以降のようです)では、ニキが途中リタイアで0点だったのに対し、ハントは3位で4点を獲得したために、1点差でハントが1976年のワールドチャンピオンになります。

(注8)本年は、3月16日のオーストラリアGPから11月23日のアブダビGPまで19戦が戦われ、日本GPは10月5日に鈴鹿サーキットで開催されます。

(注9)このポイントシステムが、1976年当時導入されていれば、仮に最終戦までの得点差が3点である場合、ハントは9位入賞するだけでワールドチャンピオンになれたでしょう!



★★★☆☆☆



象のロケット:ラッシュ プライドと友情
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ニシノユキヒコの恋と冒険

2014年03月07日 | 邦画(14年)
 『ニシノユキヒコの恋と冒険』を渋谷Humaxシネマで見ました。

(1)本作は、そのタイトルからして、主人公が、 『源氏物語―千年の謎―』の光源氏のように、たくさんの女性との間で織り成す恋と冒険が描き出されているのかなと思って映画館に行きました。

 確かに、本作には、様々の女優が登場します(麻生久美子、尾野真千子、木村文乃、成海璃子、本田翼など、はては阿川佐和子まで)。
 でも、どこにも主人公・ニシノユキヒコ竹野内豊)の「恋」も「冒険」もありません。なんとなく色々な女性がニシノユキヒコに惹かれてしまい、一定期間付き合うものの、結局は関係がダメになってしまうということの繰り返しです。
 でも、それでいいのかもしれません。あくまでも、本作では、女性を主体にして、むしろ、女性たちのニシノユキヒコに対する「恋と冒険」が描かれているのでしょう(注1)。
 なにしろ、原作者が女流作家の川上弘美氏(注2)であり、監督以下女性がかなりの割合で映画制作に参加しているのですから(注3)!

(2)原作は連作短編で構成されており、短編ごとにニシノと付き合いがあった女性が語るという仕掛けです。ですが、そのまま映画にしたら作品としてのまとまりがつかなくなってしまうと考えたのでしょう、本作全体としては、ササキサユリ阿川佐和子)がニシノの女性遍歴を語り、それが回想的に映し出されるという構成をとっています。
 もっと言えば、映画の現在時点では、登場するとニシノは途端に交通事故で死んでしまい、その幽霊が、昔の恋人・夏美麻生久美子)の娘・みなみ中村ゆりか)のところに現れ、みなみが、幽霊と一緒にニシノの実家に行くと、そこではニシノの葬儀が行われていて、その参列者の中にササキサユリがいて、彼女がみなみに物語るというストーリーになっています(注4)。

 こういう構成をとることで、作品に統一性がもたらされることになるのは確かでしょう。
 でも、原作では女性たちの語りの中でしか存在しないニシノユキヒコ(まさに「幽霊」的な存在!)が、本作のように竹野内豊という俳優に実体化され、首尾一貫したものとしてリアルに描かれてしまうと、これでいいのかな、さらにはニシノユキヒコ自身が主体的行う「恋と冒険」はどこに行ってしまったのかな、などといった問題が生じてしまうのではないでしょうか?

(3)とはいえ、そんなにしゃっちょこばって考えることもないでしょうからサテおくとして、本作には、色々気になる小物が登場します。
 まずは、バナナパフェ
 本作の冒頭で、ニシノと夏美とがレストランで会って別れ話をしていますが、その間に座っているなつみには、ニシノがバナナパフェを注文します(注5)。



 そして、その10年後に学校から帰ったみなみが食べる大きなオニギリ
 みなみの母親・夏美は10年前に家を飛び出していて、その後は父親がみなみを育ててきたのでしょう、その大きなオニギリには具が入っていません。

 また、カエルのからくり時計
 これは、ビル街でニシノとマナミ尾野真千子)が待ち合わせをしている時に鳴り出します。
マナミが「なれるなら、あのカエルになりたい」と言うと、ニシノは「なんで、カエルに?」と聞き、マナミは「主役じゃないっていう感じ」と答えます(注6)。

 さらには、自宅でニシノが淹れるコーヒー
 ニシノは、クマネズミのようにコーヒーサイフォンを使うのではなく、ネル用コーヒーサーバーにコーヒーポッドのお湯を注ぐという本格的な淹れ方を披露します(注7)。



 そして、猫の「なう」。
 ニシノがコーヒーを淹れていると、隣に住むタマ木村文乃)がやってきて、「猫、お邪魔してませんか?」と尋ねます。ニシノは、心当りがないので「来てないみたい」と答えますが、部屋に戻ると猫を発見するのです(注8)。それから、この猫を介して、ニシノとタマと(タマと同居しています:成海璃子)との交流が始まります。

(4)また、よく知っている場所が画面の中に出てくると、その映画に親しみが持てます。
 まずは、江ノ電
 映画でなつみは、学校に行かずに電車に乗りますが、それが江ノ電で、幽霊のニシノも一緒に乗ってみなみの隣に座ります(注9)。
 車窓からは七里ヶ浜が見えます(例えば、このサイトの画像)。
 二人が電車に乗って行った先は、ニシノの実家。
 丁度そこでは、ニシノの葬儀が行われていて、ニシノが過去に知り合った女達が大勢集まっています。その中にササキサユリがいて、みなみにニシノの女遍歴を語ります。

 次いで、JR御茶ノ水駅の聖橋口そばの淡路坂(例えば、このサイトの画像)。
 神田・秋葉原の方から中央・総武線の線路に沿ったこの坂を登ってニシノとマナミが現れます。マナミは御茶ノ水駅から電車に乗って自宅へ帰りますが、ニシノのマンションはそこから見えるところにあるようです(注10)。

 さらには、本屋でニシノとマナミは待ち合わせますが、そこは新宿駅西口にあるブックファースト(90万冊の品揃えを誇る大型書店)。ニシノが映画評論家・山田宏一の本を読んでいるところを、マナミが近づいて二人で本屋を出て、ニシノのマンションに行きます。

 また、横浜の若葉町にある映画館の『ジャック&ベティ』(例えば、このサイトの画像)。
 この映画館へは、3年以上前に『うつし世の静寂(しじま)に』を見に行っただけながら(シネマ・ベティで上映されていました)、なかなか変わった作りで、その佇まいを今でもよく覚えています。
 本作では、エコ料理教室でお互いの顔を知っているニシノとササキサユリがそこで出逢い(注11)、喫茶店に行きます(注12)。

 それに伊香保温泉。別れているにもかかわらず、カナコ(本田翼)が電話で「温泉に行かない?」と尋ねるとニシノは「いいよ」と答え、ニシノはスポーツタイプのBMWでカナコの家まで出迎えに行き、そのまま伊香保温泉に行くのです(注13)。

(5)前田有一氏は、「多くの女たちから愛されては捨てられる男の女性遍歴を描いた「ニシノユキヒコの恋と冒険」は、そのタイトルとは裏腹に「女の子の、女の子のための、女の子が主役の映画」である」として30点をつけています。
 宇田川幸洋氏は、「この幽霊譚の枠組みは、うまく機能しているとは言いがたい。それぞれの恋愛エピソードのリアリズムに監督の本領がある」として★4つ(見逃せない)を与えています。
 萩野洋一氏は、「可愛らしくて可笑しくてせつない、そして残酷な映画」などと述べています。



(注1)最近では、竹野内豊は『謝罪の王様』、麻生久美子は『ばしゃ馬さんとビッグマウス』、尾野真千子も『謝罪の王様』、木村文乃は『小さいおうち』、成海璃子は『武士の献立』で、それぞれ見ています。

(注2)新潮文庫。原作は、10編の連作短編から構成されています。
 本作では、そのうちから5編〔「パフェー」(夏美とみなみ)、「おやすみ」(マナミ)、「ドキドキしちゃう」(カノコ)、「通天閣」(タマと昴)、「まりも」(ササキサユリ)〕が取り上げられています。

(注3)監督・脚本は、『人のセックスを笑うな』(2007年)の井口奈己。また、プロデューサーとして女性が3人参加しています。

(注4)映画で取り上げられている短編についても、原作に様々な変更が加えられています。
 例えば、映画の始めの方で、幽霊となったニシノがみなみのところに現れますが、短編「パフェー」でみなみは「25歳」とされているところ、本作では15歳の中学生とされています。また、同短編で夏美は夫とみなみと一緒に暮らしていますが(夏美は、夫の目を隠れて3年間ニシノと不倫関係にあったとされています)、本作で夏美は家出をしていて、みなみは父親(田中洋平)と二人で暮らしていることになっています。

(注5)ただ、パフェについては、本作のラストで、みなみが「パフェーなんか好きじゃなかった」と言うと、ニシノも「知ってた」と応じます。
 なお、原作の短編「パフェー」では、ニシノは「みなみが口を開く前にいちごパフェを頼み」、「いちごの季節でないときには、バナナパフェを頼んだ」とあります(P.13)。
 また、「パフェを「パフェー」とのばすように発音」するのはニシノの口癖とされています(P.14)。

(注6)場所は以前と同じながら別のシーンでは、ニシノが「なんでからくり人形になりたいの?」と尋ねると、マナミは「1日3回外に出てきて、また暗いところに戻る、それを繰り返す」などと答えます。

(注7)最初のコーヒーのシーンでは、まずカナコが忘れ物を取りに来たと言ってニシノのマンションに入り込んだところに、マナミもやってきます。

(注8)原作においては、猫の「ナウ」は、タマと昴を取り上げている短編「通天閣」ではなく、本作ではカットされているエリ子のことが書かれている短編「しんしん」に登場します。

(注9)本作におけるみなみは、鎌倉に住んでいるということでしょう(原作では、場所が特定されていません)。

(注10)付き合いの初めの頃は、ニシノが「僕のマンションに来ませんか?」と誘っても、マナミは「いいえ帰ります」と答えますが、しばらくするとマナミの方からやってくるようになります。



(注11)映画館の入口には、「社長太平記」とか「駅前旅館」などの看板(ポスター)が出ています。

(注12)喫茶店でササキサユリはニシノに対し、「『カサブランカ』で、ハンフリー・ボガードは最初からキャスティングされていたわけではありません。誰の名前が上がっていたでしょう?役者としてはそんなに有名じゃない人ですが、別の意味で有名な人」と質問しますが、彼が「わからない」と言うと、「レーガン大統領」と答えます(この記事の末尾の※参照)。



 なお、劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」によれば、この件はシナリオに記載されているものではなく、撮影の現場でなされていた二人の会話から生まれたようです

(注13)ここで、カノコが「ユキヒコのこと好きだよ」と言うと、ニシノは「僕も好きだよ、でももう終わったんだ」と答え、それに対してカノコが「そうか、私たち大馬鹿だったね」と言うと、ニシノは「今でも大馬鹿だ」と答えます。
 なお、原作の短編「ドキドキしちゃう」には、「食事を終えて、あたしと幸彦は海岸に出た」(P.106)とありますから、二人の宿泊先が群馬県の伊香保でないことは確かです。



★★★☆☆☆



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ダラス・バイヤーズクラブ

2014年03月05日 | 洋画(14年)
 『ダラス・バイヤーズクラブ』を新宿のシネマカリテで見ました。

(1)今度のアカデミー賞の作品賞などにノミネートされた作品というので見に行ってきました(注1)。

 本作の舞台は1985年のテキサス州ダラス。
 電気技師の主人公ロンマシュー・マコノヒー)は、ロデオ会場でギャンブルをやって金をせしめたりしています(注2)。



 そうした中、倒れて担ぎ込まれた病院で、HIVが陽性であと30日の余命だと医者・セバードデニス・オヘア)に告げられます。ロンは、同性愛者ではないことから、検査結果に疑いを持ちながらも、様々な症状が出てくるので、図書館などでHIVについて調べます(注3)。
 そして、AZTという新薬があることがわかるものの、病院の女医のイブジェニファー・ガーナー)からは治験中〔1987年にFDA(米国食品医薬品庁)が認可します〕なので処方できないと断られます。
 そこで、病院の用務員から少し横流ししてもらいますが、いつまでも続けられないと断られてしまい、代わりにメキシコの医者・バスを紹介されます。
 すぐさまロンはメキシコに渡りバスに会ったところ、彼は、「AZTは毒性が強いにもかかわらず効果がない」と言い、別の薬を推奨します。
 ロンは、それらの薬を大量に所持してダラスに戻り、会員組織の「ダラス・バイヤーズクラブ(DBC)」を作って売り捌こうとします(注4)。
 薬の売り捌きには、病院で隣同士になったトランスジェンダーのレイヨンジャレッド・レト)が協力します。



 また、女医・イブもロンに何かと力を貸してくれます。



 でも、こんなことをしてうまくいくのでしょうか、彼のHIVはどうなるのでしょうか、………?

 20年ほど前の実話(注5)をもとに映画が制作されていながらも、そして、日本では比較的関心が薄いように思われるHIVですが(注6)、生きるために、最後は政府を相手にしてまで必死に戦うロンの姿は、見る者を最後まで惹きつけます。
 と言って、ロンは、ロデオ大会で客の掛け金を掠め取ってしまうような男ですから、決して正義の味方というわけではありません。でも、儲け主義から始めたものの(会費を支払えない者は門前払いにします)、次第に態度が改まっていき、さらには眼中になかったレイヨンとも人間的な付き合いをするようになります。次第に変わっていくロンの姿は、この映画の見所といえるでしょう。

 主演のマシュー・マコノヒーについては、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』における精悍な証券会社トレーダーから著しく変貌し、本作の病に冒されて痩せ衰えたロンとしてスクリーンに登場した時は驚きました(注7)。『アメリカン・ハッスル』における肥え太った姿のクリスチャン・ベイルにも目を見張りましたが、アメリカには随分と根性が座っている俳優がいるなと思ったものです(注8)。

(2)主人公ロンは、煩雑にドラッグを使うものの、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』と同じようにそのこと自体は余り問題とされず、本作では、専ら抗HIVの薬の方に焦点が当てられます。
 すなわち、本作には、AZT、ペプチドT、DDC、インターフェロンα(注9)といった薬が登場します。
 ただ、本作においてAZTが、すっかり危険な薬扱いをされてしまっています。
 もとより、映画の中では、ロンの誤解によるともされていて、はっきりとは危険視されてはいないものの(注10)、まるでFDAや製薬会社や病院の医師・セバードが裏で手を結んで(注11)、毒性の高いAZTを広めようとしているかのように描かれてしまっています(注12)。
 ですが、AZTの有効性は広く認められているようであり(注13)、本作のような扱いが妥当なものかどうか疑問な感じがします。

 でもまあ、そんなことはどうでもいいことかもしれません。
 本作は、映画の冒頭とラストに出てくるロデオと同じように、暴れるおそれのある牛(HIV)をなんとかコントロールして、とにかく8秒間以上(ロンの場合7年間でしたが)牛の背にまたがっていられるように必死で頑張った男の物語(注14)の面白さを味わえばいいのではと思いますから。

(3)相木悟氏は、「とかく役者陣の迫真の演技に引き込まれる生命力溢れる一本であった」と述べています。
 森直人氏は、「面白いのは、最も保守的なアメリカ文化に染まった男が、結果的に反体制リベラルへと裏返ってしまうこと。そして後者も非常にアメリカ的なヒーロー像だ。この国の持つダブルイメージを魅力的に体現していることが、ロンという希代のキャラクターの肝ではないかと思う」と述べています。



(注1)第86回アカデミー賞では、本作の主演のマシュー・マコノヒーが主演男優賞に、そしてジャレッド・レトが助演男優賞に選ばれました(それに、メイクアップ&ヘアスタイリング賞も)。

(注2)本作の冒頭には、様々な要素がつめ込まれています。
 例えば、ロンは、一方で、ロデオ会場の柵で隠れたところで女とセックスするかと思えば(同性愛者ではないからHIVのはずがないというロンの思い込みに繋がります)、折角牛の乗り手を鼓舞したにもかかわらず簡単に落下してしまったために、掛け金を持ち逃げしてお客に追いかけられて逃げまわったりします。その際に、友人の警官タッカースティーヴ・ザーン)に助けられます(その後タッカーは、ロンがエイズであることがわかると、スーパーで出会っても握手をしなくなります)。

(注3)図書館で調べた結果、HIVは、同性愛者からだけでなく、静脈注射で薬物を摂取する者とのセックスによっても感染することがわかり、そういえばと思い出してロンは後悔に苛まれます。

(注4)DACをクラブ制にして、会費(月400ドル)を徴収して、薬を無料頒布します。というのも、それらの薬は政府によって承認されていないために、米国内での直接販売は違法行為になるからです

(注5)映画の主人公のロン・ウッドルーフは実在の人物。

(注6)このサイトの記事には、「昨年エイズで亡くなった方の数」は「160万人」で、「エイズという疾患で、いまでも世界中で100万人単位の方が命を落としている」が、にもかかわらず、「日本でエイズへの関心が薄らいだのは、国内の患者数が他国に比べて少ないことと、エイズウイルス(HIV)に効く抗ウイルス薬が数多く開発されて、病気を抑え込めるようになってきたことによる」と述べられています。特に、「感染者・患者はかつて、両手を広げないと持ちきれないほど多数の薬剤を1日に服用する必要があったが、今年から1日1回1錠で済むまでになった」そうなのです。

(注7)レイヨンに扮するジャレッド・レトも同じように減量しています。

(注8)勿論、日本の俳優にも、「老人役の役作りのため上下の歯を10本抜いたエピソード」のある三國連太郎などがいます!

(注9)ロンは、日本の「林原」まで飛んでインターフェロンαを入手しようとします(実際の「林原」は岡山にありますが、映画では渋谷の風景が映されています。なお「林原」は2011年に会社更生法を申請し、長瀬産業の完全子会社になっています)。

(注10)例えば、レイヨンは、ロンが薬品の買い付けに外国に行っている間に死んでしまい、それを知ったロンは、「レイヨンはAZTの副作用で死んだんだ」と憤激するものの、女医のイブは「レイヨンは、ドラッグを飲んでいた。死んだのはAZTためだけじゃない」と言います。

(注11)日本では、治験(あるいは臨床試験:その違いについては、この記事)に関し、昨年夏に、ノバルティスファーマの降圧剤「ディオバン」を巡って、臨床試験のデータに不正操作があったのではないか(既に退職しているノバルティスファーマ社の社員が研究や論文作成に直接関わっていたことから)との疑惑が持ち上がりました(例えば、この記事)。
 また、最近では、武田薬品工業(大阪市)が販売する降圧剤「ブロプレス」(一般名・カンデサルタン)の広告に、臨床研究の論文と異なるグラフが使われていた問題が持ち上がっています(例えば、この記事:なお、この件については、弁護士の郷原信郎氏が、この記事で鋭く切り込んでいます)。

(注12)ロンは、AZTに関するFDAの説明会に乗り込んでいって、「ペプチドTを承認せよ」とか「お前たちが承認している薬を飲んで人が死んでいるのだ」と叫んだりします。
 さらには、AZTに問題があることに気づいたイブは、医師・セバードに「患者へのAZTの投与は最低限にすべき」と進言したり、DACのPRビラを病院内で配ったりしたために、病院にいられなくなります。

(注13)例えば、この記事によれば、「1987年に米国食品医薬品庁(FDA)がZidovudine(AZT)を認可し、また比較試験によってこの薬剤の坑ウィルス薬としての有効性と患者の延命効果が追認された後、本薬投与はHIV/AIDSに対する一般的な治療法となった。最近では本薬を、HIVに感染しているがAIDSを発症していない患者、すなわちHIVに関連する症状を有する患者(症候性HIV陽性非AIDS患者)、ならびに無症候者(非症候性HIV陽性患者)にも投与するのが一般的となってきており、本薬は他の坑ウィルス薬と共に北米、欧州、Australiaで広く用いられている」とのこと。
 また、この記事によれば、「現在、エイズ治療に用いられている抗HIV薬は、プロテアーゼ阻害薬と逆転写酵素阻害薬(AZTやDDCなど)に大別される。in vitroで、プロテアーゼ阻害薬と逆転写酵素阻害薬には相加作用ないし相乗作用が確認されており、治療効果を高められると同時に、薬剤耐性ウィルスの出現を減らすことが出来る」そうです。

(注14)だから、ラストでは、ロン自身が牛にまたがるのでしょう!



★★★★☆☆



象のロケット:ダラス・バイヤーズクラブ
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