映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

トウキョウソナタ

2008年10月19日 | 08年映画
 黒沢清監督の「トウキョウソナタ」を恵比寿のガーデンシネマで見ました。

 この作品は、このところ「loft」とか「叫び」などホラー映画を撮り続けている黒沢監督が始めて取り組んだ“家族映画”、という触れ込みです。

 とはいえ、会社の総務課長だった香川照之が突然リストラされたり、長男が突然米軍に志願して中東に派遣されたりする映画ですから、なるほどラストシーンはこれまでの黒沢映画には見られない雰囲気を持つとはいえ、やはりホラー映画ともいえるかもしれません。
 それぞれの話は、分離して個別に扱えばどこにでも転がっているもので、ことさらな感じは何もしません。ですが、1つの家族の中で続けて異変が起きるとなると、否応なく特異な雰囲気が醸し出されてきます。

 加えて、この映画の元の脚本はオーストラリア出身者が書いたということもあって、日本を良く知る人とのことですが、違和感を感じざるを得ないシーンがいくつかあります。特に、長男の米軍志願などは、今の日本では到底考えられないことです〔ただ、「傭兵」と言うことであれば可能なようですし、またNGOの一員としてアフガニスタンに行くことなどを象徴していると考えれば、十分に現実的でしょう〕。

 ですが、そんなことを論うよりも、現実の日本についてこうした捉え方もあるのだ、というところからこの映画を味わってみたら、随分と面白いのではないかと思います。むしろ、そういった違和感を随所で感じるからこそ、通り一遍の“家族映画”ではないこの映画の格別な存在感があるのでしょう。

 そうした設定の中で、小泉今日子を含め、役所広司など芸達者な俳優が演技するわけで、大層興味深く面白い映画に仕上がっているなと思いました。

 なお、主人公の家は、井の頭線の「駒場東大前」駅から、その南側にある東大前商店街を抜けて松涛に向かう道の途中にあります(ウォーキングでよく通るコースです)。スグソバを走る井の頭線の騒音が非常にうるさく、今にも不均衡に陥ってしまう感じが家の中に濃厚に漂っている様がよく出ていると思いました。

〔Yahooには、「トウキョウソナタと言うからには東京を舞台にしているのかなと思いましたが、東京ではない別の場所、トウキョウが舞台になっているようです。その街では総務課長までなった人が、解雇予告もなくある日突然(引継ぎも無く)職場を追い出されるし、晩秋でも陽が差してるうちに父親が家に帰ってきても不審がられない。ホームレスのための炊き出しに奇麗な身なりのサラリーマンが並んでも咎められないし、ハローワークは番号札があるのに長蛇の列に並び、スーパーの清掃員は店内で生着替え。どうもおかしいと思ったら外国の方の脚本をそのまま使ったんですね」という分かったような評がありますが、こういった見方だけはしないようにしようと思います!と言うのも、そんな分かりきったことを監督やスタッフが知らないはずもなく、むしろ意識的にそのような場面を描いたと考えるべきでしょうから〕。

落下の王国

2008年10月12日 | 08年映画
 『落下の王国』をシネスイッチ銀座で見ました。

 確かに、画面に映し出される映像がすごくきれいなことは認めますが、今となっては、TVのハイビジョン映像でこうしたきれいな画像はふんだんに見ることができますから(たとえば、世界遺産特集など)、それほど驚かなくなっているのではないでしょうか?

 そこでストーリーの方になるのですが、この映画では、ファンタジーの世界が、はじめからお話、あるいは絵本の世界とわかってしまっています。
 他方、似たように少女が中心的な役割を演じるファンタジー映画『パンズ・ラビリンス』では、むしろスペイン戦争の最中という現実のなかで少女がファンタジーの世界に入ったり出たりします。
 すなわち、『落下の世界』では、ファンタジーの世界は現実の場所(タージマハールなど)を背景にして描かれますが、もう一方の『パンズ・ラビリンス』ではすべてCGで描かれるわけです。

 また、本作は、少女とスタントマンとの交流がメインのお話で、もう一つは戦争の真っただ中での継父との争いが中心的というように、描かれる現実世界の重みもかなり違っています。

 ただ、こうして両者を比べてみたりすると、勿論『パンス・ラビリンス』は良かったのですが、この映画も捨てたものではないのでは、と思えてきます。特に、この映画の少女を演じたカティンカ・アンタルーは、『パンス・ラビリンス』のイヴァナ・バケロと比べたら月とスッポンながら、逆にそこが良くて、印象に残るのはむしろこちらの方なのではないかと思いました。