『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。
(1)原作漫画が大人気と聞いて映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、「100年以上前に、巨人たちが現れ、人間を食べ、文明は崩壊した。その侵攻を防ぐために、人は巨大な壁(注2)を3重に築いた。しかし、100年間壊されなかったといえども、今壊されないとは言い切れない」とのナレーションが入ります。
そして、画面は、3つ構築されている壁のうち一番外側の壁の近くに設けられている市場。
貧しい店が連なる商店街にある燃料屋の店番をしていたアルミン(本郷奏多)は、親友のエレンが仕事を辞めたと聞くと、店の外に飛び出し、染物屋の娘のミカサ(水原希子)を連れて草地を走ります。
不発弾が埋まっている丘に行くと、エレン(三浦春馬)が不発弾の上に立っています。
エレンは「(不発弾が)爆発すればいい」などとつぶやきます。
それを無視して、アルミンが「またクビだって?」と尋ね、ミカサが「どうして長続きできないの?」と聞くと、エレンは、「壁の外に行ってみたくはないか?壁の中で生まれて死んで、それでいいのか?俺は嫌だ」と答えます。
そして、不発弾に付着している土を剥がしてみると、ビキニ姿の女と海の絵が現れます。
アルミンが「この青いのは海だよ。実際に在ったのかな?」と言い、ミカサも「本当に壁の向こうにあるの?あの空の鳥、海を見たことがあるのかな?」と言います。
その後、3人は巨大な壁の近くまで行きます。
ミカサは、「こんなに間近に壁を見るのは初めて」と言い。アルミンも、「壁に登ったりしたら死刑だよ」と言いますが、エレンは、「巨人なんて本当に信じているの?この百年、巨人を見た者はいないのに」と応じます。
3人は警備兵に捕まりますが、3人をよく知るソウダ(ピエール瀧)にとりなしてもらいます。
ソウダは、「近々、壁外調査のために調査隊が結成される。エレン、お前どうだ。新しい土地が見つかれば、どこに住もうが自由だ」とエレンに言いますが、その時、近くの壁が崩れ、大きな音とともに超大型巨人が壁の向こう側に出現します。
さあ、この先一体どうなるのでしょうか、………?
本作は、2部作の前篇であり、いろいろな謎は後編で解明されるのでしょうから、短兵急に感想を述べるべきではないでしょうが、映画化のために改変されている点を含めて、全体的な評価は、後編の出来栄え如何にかかっているでしょう(注3)。
(2)本作について言えば、映画の最初の方で壁の向こう側に出現する超大型巨人は、それこそものすごく巨大であり、かつまた筋肉組織がむき出しに描かれていて、確かにずいぶん迫力があります。
また、原作漫画には存在しないシキシマ(長谷川博己)が、立体機動装置(注4)を使って縦横に空中を飛び回って巨人をなぎ倒すシーンはなかなか面白いと思いました。
また、兵器班長のハンジ(石原ひとみ)も、特異な性格付けがなされていて興味深いものがあります(注5)。また、エレンに対する対抗心をむき出しにするジャン(三浦貴大)の存在も、注目されます。
とはいえ、登場人物が「人類が滅びる」などといって事態の重大さを訴えますが、登場する巨人やそれに抵抗する部隊の規模がひどく小さなもので(注6)、全体としてチャチな感じがつきまといます(注7)。
それと、巨人たちの侵入を防ぐための壁を破壊する超大型巨人と、壁に開けられた穴から現れる巨人たち(単に生殖器のない裸の大きな人間に過ぎません)との外見のあまりの違いには戸惑ってしまいます。
そこには、ラストに描かれる不可思議なシーン(注8)とも相まって、きっとなにか大きな秘密が隠されているのでしょう!
なお、原作の本のはじめの方しか読んだことがないクマネズミにしても、本作は、原作にずいぶんと改変が加えられている感じがします。
例えば、原作漫画の第1巻第1話で早速巨人が登場し、第2話ではエレンの母親カルラが巨人に食べられてしまいます。そして、それがきっかけとなって、エレンは巨人をなんとしても駆逐しようとするのです。
これに対して、本作では、上記(1)に書いたように、主人公のエレンは、両親はいないものの、巨人を目の当たりにしたことはなく、その存在を信じていなかったのです。壁の外に行きたいというのも、巨人を倒すというより、むしろ、見知らぬ世界を見てみたいという欲求が強かったからだと思われます。
他にも、様々な改変点があるものと思います。
ですが、そうだからといって本作の出来栄えが低下するものでもないでしょう。漫画は漫画の世界であり、映画は映画の世界であって、それぞれはあくまでも別のものとして受け止める必要があるように思います。
(3)このところ、2部作物をいろいろ見てきました。
その中で、特に『ソロモンの偽証』の前編は後編への期待を盛り上がらせました。でも、後編では新しい事柄が殆ど付加されず、なんだかはぐらかされた感じを持ってしまいました。
他方、『るろうに剣心』(注9)は、前編に登場するトップ同士(佐藤健演じる緋村剣心と藤原竜也演じる志々雄)の頂上決戦を後編に持ってきたこともあって、前編での盛り上がりを後編まで維持し続け、見終わった後も満足感の残る仕上がりとなっているように思いました〔これは『寄生獣』の前編と後編との関係についても言えるでしょう(10注)〕。
本作の場合、面白いことは面白いにしても、『るろうに剣心』や『寄生獣』、『ソロモンの偽証』ほど前編が盛り上がりを見せているわけでもなく、ただ疑問に思える点がいろいろ投げ出されているようにみえることから、後編でよほど頑張ってもらわないと高い評価は得られないと思えるのですが、はたしてどんなことになるのでしょう?
なお、人間が人間以外のものによって捕食(注11)されるという点で、本作は『寄生獣』に類似しているように見えます。ただ、『寄生獣』の場合は、人間に寄生する生物が外形だけは人間の姿になって人間を捕食するという点で不気味であったのに対して、本作の巨人は、人間の外形をしているために、裸の姿で人間を丸ごと貪り食う様は一層グロテスクな感じがしてしまいます(注12)。
また、「進撃の巨人」というタイトルの意味合いが、前編だけではイマイチよくわかりません。
前編からすれば、人類を襲う巨人に対する人類側の攻撃ということで、副題の「ATTACK ON TITAN」は理解できますが、それなら「巨人への進撃」あたりでかまわない気がします(実際のタイトルとしてはおかしなものながら)。
でも、「進撃の巨人」とすると、“進撃する”巨人という感じになってしまい、主たる視点が人類から巨人側に移ってしまうのではないでしょうか?
尤も、このサイトの記事が言うように、原作漫画の展開に連れてその意味合い・解釈が変化してきているとする見解もあるようですが(注13)。
(4)渡まち子氏は、「前篇では、巨人との戦いの行く末やエレンの過酷な運命の全貌は見えてこなかった。巨人が人間を喰うという圧倒的な理不尽と絶望に、後篇でどう落とし前を付けるのかを、見守りたい。後篇に期待大!である」として60点をつけています。
前田有一氏は、「なにしろ巨人の登場シーンは大迫力だし、スパイダーマンを彷彿とさせる立体機動の表現も頑張っている。人間を食らうシーンはあえて嘘っぽい絵づくりにして残酷度を抑えた配慮も好感が持てる。ただ、そうしたルックスの良さが、演出、演技、シナリオに足を引っ張られてしまい、恐怖や驚きも半減してしまったというだけだ。だから、本作にはまだまだ挽回の目はあると見る。頑張ってほしい」として40点をつけています。
(注1)監督は、『のぼうの城』の樋口真嗣。
脚本は、渡辺雄介と町山智浩。
原作は、諫山創著『進撃の巨人』。
(注2)「巨大な壁」で思い出されるのは、例えば、『パシフィック・リム』で描かれる「命の壁」と称される防護壁とか、『ワールド・ウォーZ』で映しだされる巨大な壁です(ここらあたりについては、この拙エントリの「ロ」や関連の注記をご覧ください)。
(注3)出演者のうち、最近では、三浦春馬は『永遠の0』、長谷川博己は『この国の空』、水原希子は『トリック劇場版 ラストステージ』、三浦貴大は『リトル・フォレスト』、桜庭ななみは『謎解きはディナーのあとで』を、國村隼は『寄生獣』、石原さとみは『幕末高校生』、ピエール瀧は『寄生獣』で、それぞれ見ました。
(注4)このサイトの記事が参考になります。
(注5)ハンジは、巨人の急所(後頭部の下部)を調査団にレクチャーする一方で、「巨人に性器はない」とか「巨人が欲しい、やりたい!」などと言ったりするのです!
(注6)なんだか、人類側を統率している者が、クバル(國村隼)一人しかいないような印象を受けてしまいます(クバルは、憲兵団の主管にすぎないのでしょうが、他の政府要人が登場しないので)。
(注7)この点は、観客の方で想像力を働かせて、これはあちこちで出現しているはずの事態のほんの一部を描いているのだとみなすこととすれば、補えるものと思いますが。
また、出演者が日本人俳優だけながら、エレンとかアルミンなどという名前が付けられていますから、描かれているのは、特殊日本の出来事ではないと想像する必要もあるでしょう。
(注8)エレンと思しき人物がジロッと目を開けます。
(注9)実際には、『京都大火編』と『伝説の最期編』の2部作の前に、『るろうに剣心』が作られていますが。
(注10)染谷将太扮する新一と、浅野忠信扮する後藤との対決。
(注11)人間が食べられるという点については、『鈴木先生』についての拙エントリの「注7」で触れた武田泰淳の『ひかりごけ』や、最近の『野火』でも取り上げられていますが、それらは戦争中の極限状態で起きたこととして描かれていて、本作や『寄生獣』のようなSFファンタジーの世界とはずいぶんと異なっています。
(注12)その他にもいろいろ相違点があるでしょうが、例えば、『寄生獣』に登場する寄生獣は、人間を凌駕する知性の持ち主ですが、本作の巨人はただ人間を捕食することしか興味がない酷く愚鈍な生き物のように描かれています。
(注13)その記事によれば、大体のところ、「進撃の巨人=超大型巨人」(第1巻)→「進撃の巨人=エレン」(第2巻)→「エレンが巨人達を進撃させる=進撃の巨人」(50話以降)という具合に解釈が変化してきているとのことです。
★★★☆☆☆
象のロケット:進撃の巨人 ATTACK ON TITAN
(1)原作漫画が大人気と聞いて映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、「100年以上前に、巨人たちが現れ、人間を食べ、文明は崩壊した。その侵攻を防ぐために、人は巨大な壁(注2)を3重に築いた。しかし、100年間壊されなかったといえども、今壊されないとは言い切れない」とのナレーションが入ります。
そして、画面は、3つ構築されている壁のうち一番外側の壁の近くに設けられている市場。
貧しい店が連なる商店街にある燃料屋の店番をしていたアルミン(本郷奏多)は、親友のエレンが仕事を辞めたと聞くと、店の外に飛び出し、染物屋の娘のミカサ(水原希子)を連れて草地を走ります。
不発弾が埋まっている丘に行くと、エレン(三浦春馬)が不発弾の上に立っています。
エレンは「(不発弾が)爆発すればいい」などとつぶやきます。
それを無視して、アルミンが「またクビだって?」と尋ね、ミカサが「どうして長続きできないの?」と聞くと、エレンは、「壁の外に行ってみたくはないか?壁の中で生まれて死んで、それでいいのか?俺は嫌だ」と答えます。
そして、不発弾に付着している土を剥がしてみると、ビキニ姿の女と海の絵が現れます。
アルミンが「この青いのは海だよ。実際に在ったのかな?」と言い、ミカサも「本当に壁の向こうにあるの?あの空の鳥、海を見たことがあるのかな?」と言います。
その後、3人は巨大な壁の近くまで行きます。
ミカサは、「こんなに間近に壁を見るのは初めて」と言い。アルミンも、「壁に登ったりしたら死刑だよ」と言いますが、エレンは、「巨人なんて本当に信じているの?この百年、巨人を見た者はいないのに」と応じます。
3人は警備兵に捕まりますが、3人をよく知るソウダ(ピエール瀧)にとりなしてもらいます。
ソウダは、「近々、壁外調査のために調査隊が結成される。エレン、お前どうだ。新しい土地が見つかれば、どこに住もうが自由だ」とエレンに言いますが、その時、近くの壁が崩れ、大きな音とともに超大型巨人が壁の向こう側に出現します。
さあ、この先一体どうなるのでしょうか、………?
本作は、2部作の前篇であり、いろいろな謎は後編で解明されるのでしょうから、短兵急に感想を述べるべきではないでしょうが、映画化のために改変されている点を含めて、全体的な評価は、後編の出来栄え如何にかかっているでしょう(注3)。
(2)本作について言えば、映画の最初の方で壁の向こう側に出現する超大型巨人は、それこそものすごく巨大であり、かつまた筋肉組織がむき出しに描かれていて、確かにずいぶん迫力があります。
また、原作漫画には存在しないシキシマ(長谷川博己)が、立体機動装置(注4)を使って縦横に空中を飛び回って巨人をなぎ倒すシーンはなかなか面白いと思いました。
また、兵器班長のハンジ(石原ひとみ)も、特異な性格付けがなされていて興味深いものがあります(注5)。また、エレンに対する対抗心をむき出しにするジャン(三浦貴大)の存在も、注目されます。
とはいえ、登場人物が「人類が滅びる」などといって事態の重大さを訴えますが、登場する巨人やそれに抵抗する部隊の規模がひどく小さなもので(注6)、全体としてチャチな感じがつきまといます(注7)。
それと、巨人たちの侵入を防ぐための壁を破壊する超大型巨人と、壁に開けられた穴から現れる巨人たち(単に生殖器のない裸の大きな人間に過ぎません)との外見のあまりの違いには戸惑ってしまいます。
そこには、ラストに描かれる不可思議なシーン(注8)とも相まって、きっとなにか大きな秘密が隠されているのでしょう!
なお、原作の本のはじめの方しか読んだことがないクマネズミにしても、本作は、原作にずいぶんと改変が加えられている感じがします。
例えば、原作漫画の第1巻第1話で早速巨人が登場し、第2話ではエレンの母親カルラが巨人に食べられてしまいます。そして、それがきっかけとなって、エレンは巨人をなんとしても駆逐しようとするのです。
これに対して、本作では、上記(1)に書いたように、主人公のエレンは、両親はいないものの、巨人を目の当たりにしたことはなく、その存在を信じていなかったのです。壁の外に行きたいというのも、巨人を倒すというより、むしろ、見知らぬ世界を見てみたいという欲求が強かったからだと思われます。
他にも、様々な改変点があるものと思います。
ですが、そうだからといって本作の出来栄えが低下するものでもないでしょう。漫画は漫画の世界であり、映画は映画の世界であって、それぞれはあくまでも別のものとして受け止める必要があるように思います。
(3)このところ、2部作物をいろいろ見てきました。
その中で、特に『ソロモンの偽証』の前編は後編への期待を盛り上がらせました。でも、後編では新しい事柄が殆ど付加されず、なんだかはぐらかされた感じを持ってしまいました。
他方、『るろうに剣心』(注9)は、前編に登場するトップ同士(佐藤健演じる緋村剣心と藤原竜也演じる志々雄)の頂上決戦を後編に持ってきたこともあって、前編での盛り上がりを後編まで維持し続け、見終わった後も満足感の残る仕上がりとなっているように思いました〔これは『寄生獣』の前編と後編との関係についても言えるでしょう(10注)〕。
本作の場合、面白いことは面白いにしても、『るろうに剣心』や『寄生獣』、『ソロモンの偽証』ほど前編が盛り上がりを見せているわけでもなく、ただ疑問に思える点がいろいろ投げ出されているようにみえることから、後編でよほど頑張ってもらわないと高い評価は得られないと思えるのですが、はたしてどんなことになるのでしょう?
なお、人間が人間以外のものによって捕食(注11)されるという点で、本作は『寄生獣』に類似しているように見えます。ただ、『寄生獣』の場合は、人間に寄生する生物が外形だけは人間の姿になって人間を捕食するという点で不気味であったのに対して、本作の巨人は、人間の外形をしているために、裸の姿で人間を丸ごと貪り食う様は一層グロテスクな感じがしてしまいます(注12)。
また、「進撃の巨人」というタイトルの意味合いが、前編だけではイマイチよくわかりません。
前編からすれば、人類を襲う巨人に対する人類側の攻撃ということで、副題の「ATTACK ON TITAN」は理解できますが、それなら「巨人への進撃」あたりでかまわない気がします(実際のタイトルとしてはおかしなものながら)。
でも、「進撃の巨人」とすると、“進撃する”巨人という感じになってしまい、主たる視点が人類から巨人側に移ってしまうのではないでしょうか?
尤も、このサイトの記事が言うように、原作漫画の展開に連れてその意味合い・解釈が変化してきているとする見解もあるようですが(注13)。
(4)渡まち子氏は、「前篇では、巨人との戦いの行く末やエレンの過酷な運命の全貌は見えてこなかった。巨人が人間を喰うという圧倒的な理不尽と絶望に、後篇でどう落とし前を付けるのかを、見守りたい。後篇に期待大!である」として60点をつけています。
前田有一氏は、「なにしろ巨人の登場シーンは大迫力だし、スパイダーマンを彷彿とさせる立体機動の表現も頑張っている。人間を食らうシーンはあえて嘘っぽい絵づくりにして残酷度を抑えた配慮も好感が持てる。ただ、そうしたルックスの良さが、演出、演技、シナリオに足を引っ張られてしまい、恐怖や驚きも半減してしまったというだけだ。だから、本作にはまだまだ挽回の目はあると見る。頑張ってほしい」として40点をつけています。
(注1)監督は、『のぼうの城』の樋口真嗣。
脚本は、渡辺雄介と町山智浩。
原作は、諫山創著『進撃の巨人』。
(注2)「巨大な壁」で思い出されるのは、例えば、『パシフィック・リム』で描かれる「命の壁」と称される防護壁とか、『ワールド・ウォーZ』で映しだされる巨大な壁です(ここらあたりについては、この拙エントリの「ロ」や関連の注記をご覧ください)。
(注3)出演者のうち、最近では、三浦春馬は『永遠の0』、長谷川博己は『この国の空』、水原希子は『トリック劇場版 ラストステージ』、三浦貴大は『リトル・フォレスト』、桜庭ななみは『謎解きはディナーのあとで』を、國村隼は『寄生獣』、石原さとみは『幕末高校生』、ピエール瀧は『寄生獣』で、それぞれ見ました。
(注4)このサイトの記事が参考になります。
(注5)ハンジは、巨人の急所(後頭部の下部)を調査団にレクチャーする一方で、「巨人に性器はない」とか「巨人が欲しい、やりたい!」などと言ったりするのです!
(注6)なんだか、人類側を統率している者が、クバル(國村隼)一人しかいないような印象を受けてしまいます(クバルは、憲兵団の主管にすぎないのでしょうが、他の政府要人が登場しないので)。
(注7)この点は、観客の方で想像力を働かせて、これはあちこちで出現しているはずの事態のほんの一部を描いているのだとみなすこととすれば、補えるものと思いますが。
また、出演者が日本人俳優だけながら、エレンとかアルミンなどという名前が付けられていますから、描かれているのは、特殊日本の出来事ではないと想像する必要もあるでしょう。
(注8)エレンと思しき人物がジロッと目を開けます。
(注9)実際には、『京都大火編』と『伝説の最期編』の2部作の前に、『るろうに剣心』が作られていますが。
(注10)染谷将太扮する新一と、浅野忠信扮する後藤との対決。
(注11)人間が食べられるという点については、『鈴木先生』についての拙エントリの「注7」で触れた武田泰淳の『ひかりごけ』や、最近の『野火』でも取り上げられていますが、それらは戦争中の極限状態で起きたこととして描かれていて、本作や『寄生獣』のようなSFファンタジーの世界とはずいぶんと異なっています。
(注12)その他にもいろいろ相違点があるでしょうが、例えば、『寄生獣』に登場する寄生獣は、人間を凌駕する知性の持ち主ですが、本作の巨人はただ人間を捕食することしか興味がない酷く愚鈍な生き物のように描かれています。
(注13)その記事によれば、大体のところ、「進撃の巨人=超大型巨人」(第1巻)→「進撃の巨人=エレン」(第2巻)→「エレンが巨人達を進撃させる=進撃の巨人」(50話以降)という具合に解釈が変化してきているとのことです。
★★★☆☆☆
象のロケット:進撃の巨人 ATTACK ON TITAN