映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

脳内ニューヨーク

2009年12月07日 | 洋画(09年)
 「脳内ニューヨーク」をシネマライズで見てきました。

 「パイレーツ・ロック」でさすがと思わせる演技を披露していたフィリップ・シーモア・ホフマンをまたまた見ることができるというので、早速映画館に足を運んだ次第です。

 ですが、この映画は、これまで彼が出演した映画とか予告編から期待したのとは大違い、なんともかとも言い難い作品となっています。
 正直言ってほとんど何も理解できないものの、オシマイまで眠らずに見たのも事実です。強いてまとめようとすれば以下のようになるのでしょうか?

 映画の最初の方は、劇場でアーサー・ミラー作の「セールスマンの死」の制作にあたっている演出家・ケイデンを描いていて、その劇の方は、幕が開くと批評家の評判もよく成功します。ところが、フィリップ・シーモア・ホフマン扮する演出家が気を良くして家に帰ると、画家の妻との間がどうもうまくいっていないようで、突然、彼女が子供を連れてベルリンで開催される自分の個展の方に行ってしまいます。

 こうして主人公がニューヨークに一人取り残されるあたりから、様々な場面が入り乱れて、見ている方は途方にくれることになります。
 ケイデンは、突然、手がけてきた劇の上演が賞賛されて多額の賞金の付いた賞を受賞することとなり、それを資金として、自分が前からやってみたいと念願していた劇の制作に取り掛かります。
 ソレが途轍もない話で、マンハッタンにある巨大な倉庫を購入し、その中にニューヨークの街のセットを作り、そこで自分自身の真実の人生をありのままに描き出そうとするわけです。

 といっても、映画は、あっちへ行ったりこっちへ行ったりすること、一貫した筋立てを壊すことに興味を見出しているようですから、こんな風なまとめを続けてても何の意味もないでしょう。

 評論家の意見もまちまちです。
 渡まち子氏は、「内と外が曖昧になる世界観がある種の到達点に至った作品と言える。さっぱりワケがわからないが、いつしか独特のイマジネーションに絡みとられる」等として65点を与えていますが、岡本太陽氏は、「タイトルが指す様に『脳内ニューヨーク』は概念的な作品であり、それを描いた事によりまとめきれない混乱が生まれる。チャーリー・カウフマンは素晴らしい脚本家だ。しかしこの映画を観る限りでは、監督としては良いとは言えないのではなかろうか」と、随分と舌足らずな評価を下しています。
 他方、山口拓朗氏は、「この世のミクロからマクロまでを包み込むかのような不思議さをもつ、知的で野心的でイマジネーションに富んだ1本だ」として70点の高得点を付けています。

 福本次郎氏は、例によって「この映画を観終わっても長く退屈なイマジネーションのトンネルを抜けただけという印象はぬぐい切れなかった」と40点を与えるにすぎません。
 ただ、同氏が、「秋分の朝、奇妙な違和感で目覚めたケイデンは額に大けがをする。外科、眼科、神経科とかかるうちに世界が少しずつ歪んでいく。彼の幻覚はこの時点で始まったと解釈すべきだ。本物の彼はその怪我がもとで生死の境をさまよっていて、後の演出家としての行為や家族との別れなどはすべてケイデンの脳内現象」だとする見解は傾聴に値するのではと思います。

 朝、顔を洗っているときにケイデンの額に水道栓がブチ当たりますが、そこからはすべて彼の「脳内現象」だとすれば、あのぐちゃぐちゃの映像もわからないでもないな、という気がしてきます(なにしろ、額のケガの後に酷い痙攣を引き起こすのですから、無事でいるはずがありません!)。
 だいたい、17年たっても上演に至らない劇など考えられませんし、全身に刺青を彫られたわが娘を目の当たりにしたり、自分を演じていた俳優が飛び降り自殺をしてしまったりと、脈絡なしにめまぐるしく場面が変化しますが、「生死の境をさまよってい」る演出家の脳内で起きているイメージとすれば、筋を辿ることは一切放棄して、各場面ごとに読み取れるものだけを読み取っていけさえすればいいのではないか、と思えてきます。

 ここで一つ問題にしたらどうかと思っている点は、演出家ケイデンが、妄想の中にせよ、真の演劇は実生活そのものだ、と考えていることです。自分が制作している劇においてケイデン役を扮する俳優に対して、ケイデンが、そこは違う、そんなことは考えない、などと様々なダメ出しを行います。
 確かに、近代演劇は、リアルなことを宗として人間のありのままを描き出そうとするところから出発しているとされます。ですが、演劇にせよ、映画にせよ、役者(あるいは俳優)が演じるものですから、どんなにリアルにしてもその時点ですでに現実との乖離が始まっていると言えます。ですから、あとは程度問題となるわけで、リアルな世界から離れたファンタジックな内容であっても十分に受け入れ可能となります。
 とすると、ケイデンが映画の中で見せている演出方法は、そもそもの始めから成り立たないものなのです。原理的に出来そうもないことをやろうとするから17年もかかっているのであり、しかしそんな長期にわたる劇の制作など考えられないですから、すべて生死の境をさまよっているケイデンの脳内現象と見た方が良さそうに思えてきます。

 なにはともあれ、大変気になる映画なので、DVDが出たらもう一度じっくりと見直してみようと思っているところです。

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3 コメント

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頭の中はグールグル? (破裂カニミソ)
2009-12-07 21:12:29
  この映画は、よく分からないで観に行って、まったく分からないままで、帰ってきました。私のように、気楽にややいい加減に映画を観ている者にとって、とにかく分からない、脈絡あるストーリー展開とは思わないと感じた次第で、久しぶりにこうした映画に当たりました。おそらく、主人公の脳内で起きる思考の動きを描くのだから、見る人が分からなくてもよいくらいに作り手が思って、作った映画ではないかとも思われます。それにしては、結構お客が入っていましたから、彼らは作り手のファンか作り手に挑戦している人なのだと思われます。

  もう少し真面目に観ると、本作への理解度も含めて、違ってくる部分もあるのではないかとも思いますので、すべてを映画のほうにおっかぶせるつもりはありませんが。
ともあれ、分裂気味のようで、なにかちっとも楽しくないと感じるような映画は苦手です。この映画を観て、楽しめる人はなかなか得難いのではないかという気がします。
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理解不能 (クマネズミ)
2009-12-08 08:01:09
 「破裂カニミソ」さん、コメントありがとうございます。
 おっしゃるように「まったく分からない」映画ながら、こうした作品を見るとかえって闘志が湧いてくる人もいるようで、様々な謎を解いて悦ぶのでしょうが、そうやって解けるのであればどうして制作者は初めからわかりやすく作ってくれないのだ、と愚痴を言いたくもなってきます。謎を隠すことに何か意味があるのでしょうか、よくわからないところです。
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Unknown (mig)
2009-12-11 15:07:31
たくさんTBありがとうでした。
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