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南瓜とマヨネーズ

2017年11月20日 | 邦画(17年)
 『南瓜とマヨネーズ』を新宿武蔵野館で見てきました。

(1)予告編を見て良さそうだなと思って映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、ライブハウスのコントロール室のようなところが映し出されたり、ドラムスとかギターなどや、シャワーを浴びている人の足元なども、映し出されたりします。
 そして、コントロール室では、主人公のツチダ臼田あさ美)が、PAミキサーを調整しています。
 さらには、演奏が終わった後の会場の後片付けを行ってもいます。

 次の場面は、キャバクラ。
 マネージャーの面接を受けていたのでしょう、ツチダは「来週から、水曜日と土曜日、よろしく」と言われ、さらに「歳はどうする?」と訊かれます。
 ツチダが「27です」と答えると、マネージャーは、「チョット、サバ読んどけば」と応じ、さらにツチダが「他の人はどのくらいにしています?」と尋ねるので、「5つくらい当たり前」と答えます。
 それでツチダは、「じゃあ23くらいにしてください」と言います。
 マネージャーは、他の女たちに、「この子、今度ここで働くことになった」と紹介すると、ツチダは「ツチダです」と自分の姓を言います。
 それに対しマネージャーが、「ツチダじゃあ、指名来ないよ」と言うので、ツチダは「ミホでいいです」と応じます。

 そして、翌週、ツチダは初めてキャバクラに出勤します。
 キャバクラ嬢の可奈子清水くるみ)が客の田島といる席に、ツチダが顔を出します。
 すると、田島が「誰?」と訊くので、ツチダは「ミホです」と答えますが、田島は「暗いね、大丈夫?」と行ってきます。可奈子が「そう絡まないで」「慣れないだけなの」と注意すると、田島は「早く慣れたほうがいいよ」「こういうことをする客もいるよ」と言って、ツチダの足に触ってきます。
 ツチダが驚いて立ち上がると、可奈子は「田島さん、そういうことしないでください」と怒ります。

 キャバクラの更衣室。
 ツチダが可奈子に「今日はごめん」「田島さんは可奈子ちゃんのお客なんでしょう」と言うと、可奈子は「別にかばったわけじゃない」「あんな男は普通だよ。歌舞伎町でボッタクられた人がこっちに流れてくる」「あんたも、どうせすぐにやめちゃうんでしょ」と応じます。
 これに対し、ツチダが「売れっ子って凄いんだね」「可奈子ちゃん、若いのに大人」と驚くと、可奈子は「それ皮肉?」と応じます。

 ツチダが深夜に「ただいまー」とアパートに戻ると、同棲しているセイイチ太賀)が「お帰り」と答え、「気がつかない?」と言うので、ツチダは、部屋の散らかった様子を見て「何か作ったの?」と尋ね、見回して「あっ、棚」と言います。
 セイイチは、なおも「これ、塗装の具合がいいんだよ」と説明しますが、ツチダがトイレに行こうとして戸を開けると、棚は下に落ちてしまいます。
 セイイチが「だめだなー」と気落ちするので、ツチダは「静かに開け閉めすれば大丈夫じゃない」と言います。ですが、セイイチは「やり直しだ」と応じます。

 こんなところが本作の始めの方ですが、さあこの後、物語はどのように展開するのでしょうか、………?

 本作は、魚喃キリコの漫画を映画化した作品で、同棲しているミュージシャンの生活を支えるためにキャバクラで働くことになった主人公の女が、昔別れた男と出会い再び関係を持ってしまって、云々というお話。特段の事件が起きるわけでもありませんが、だからこそ、二つの恋愛の中で揺れ動く主人公の気持ちが見る者に伝わってくる感じで、こういう作品もいいなと思いました。

(2)本作では、特段のことが起こるわけではなく、男女の入り乱れたどろどろした愛憎劇が描き出されているわけでもありません。
 本作の主人公のツチダは、同棲相手のセイイチが作曲して歌う歌を聞きたいがために、セイイチの生活をサポートします(注2)。



 セイイチも、以前一緒に演奏していたバンド仲間とは意見が合わず(注3)、何もせずに家でゴロゴロしているばかりです(注4)。
 そういう男女の間柄なら、これまでも何度も映画で描かれてきたように思います。

 ただ、本作の特徴的なところは、そんなツチダですが、多額のお金が得られるとなると、キャバクラで出会った見知らぬおじさんの安原光石研)と関係を持ちますし(注5)、さらには、昔別れたハギオオダギリジョー)に偶然出会うと、途端にヨリを戻してしまうのです(注6)。



 見ている方は、セイイチを愛しているんじゃなかったの、と思うのですが、ツチダにはそうすることにためらいも何もなさそうな感じなのです。
 他方で、そんな関係に気付いたセイイチにしても、ツチダを激しく怒ったりはせずに、黙って自分で働きに出るようになったりするだけで、一応のところ、同棲生活は続けるのです。

 あるいは、元の生活をそのまま継続することに何かしらの軋みを感じてきて(注7)、ツチダとセイイチは、時間をかけて次の新しいステージに軟着陸しようとしているのかもしれません。
 ツチダは、安原との愛人関係を継続しませんし、ハギオとも別れ(注8)、セイイチの方も、ツチダのアパートを出て、実家の方に移ることになります。
 こうして、ツチダは、また新しい生活を始めることになるのでしょう(注9)。

 本作は、すぐ前に見た『彼女がその名を知らない鳥たち』ほど特異な愛の形ではないにせよ、また現代ならありうるかもしれない愛の形が描かれているかもしれないと思ったところです。
 登場人物のそれぞれが自己主張をしているようでいて、にもかかわらず時の流れに流されていくようでもあり、理解が難しいなと感じさせるところがあります。

 なお、本作には、『エルネスト』で見たばかりのオダギリジョーが登場します。同作では、キューバで医師を目指す青年・フレディを実に清々しく演じていましたが、本作では、それとは打って変わって、女にとり憑くどうしようもない男を、これまた実に説得力ある演技で演じています。

 それにしても、タイトルの「南瓜とマヨネーズ」の意味合いは何なんでしょう(注10)?

(3)北小路隆志氏は、「登場人物は成熟や堕落を知らず、ただ崩壊するばかりで、そんな「崩壊」としてある「日常」を、安易な希望や絶望の介在抜きに単純な事実として肯定すること……。だからこそ本作は――ラスト近くでのツチダの台詞の盗用になるが――とても優しくて可愛く、そして尊い」と述べています。



(注1)監督・脚本は、『乱暴と待機』の冨永昌敬
 原作は、魚喃キリコの漫画『南瓜とマヨネーズ』(祥伝社)。

 なお、出演者の内、最近では、臼田あさ美は『愚行録』、太賀は『アズミ・ハルコは行方不明』、オダギリジョーは『エルネスト』、光石研は『アウトレイジ 最終章』で、それぞれ見ました。

(注2)例えば、ツチダは、「セイちゃんはミュージシャンなんだから、作曲とかライブとか、することあるでしょ」「ねえ、いつ聞けるの?」などとセイイチに言ったりします。
また、キャバクラで同僚の可奈子にも、「(自分の男は)音楽やっているから、いつも家にいる」と喋っています。

(注3)昔一緒にバンドを組んでいた仲間が、焼鳥屋に集って話すシーンがあります。
 寺尾若葉竜也)が「お前に戻ってきてほしい」「また一緒にやれないか」と言い、田中浅香航大)は「それを言い出したのはレコード会社」、川内大友律)も「(レコード会社に)搾取されるくらいに売れてみたい」と言うのですが、セイイチは、「レコード会社の戦略で売れても白々しいだけ」「売れたらなんでもいいというのが問題」などと、他の3人の考え方を強く批判します。
 要すれば、レコード会社の営業方針にどこまで自分を従わせるのかという点で、セイイチと他の3人とは大きな溝があるようです。

(注4)ツチダが家に戻ると、机の上に書きかけの楽譜が置いてあり、「何か曲が書けたの?」「すごいね」とツチダが喜ぶと、セイイチは「途中まで」「半分できている曲ならたくさんある」と答えます。要するに、セイイチは、昼間、家にいて作曲しているようでいながらも、実際のところは、出来上がった曲がまるでないのです。

(注5)安原に、「お金が稼げるもっと別の方法がある」「店長に言わないのなら教えてあげる」と言われて、ツチダはラブホテルに付いて行き、安原の話を聞きます(ツチダが、「これからすることって、援交になるのですか?」と訊くと、安原は「普通は「愛人」と呼ぶ」と答えます)。本作では、ツチダは「今日はお話だけで」と言っていて、その場面も描かれませんが、ツチダが多額のお金を手にしているところを見ると、関係を持ったものと考えられます。

(注6)ツチダは、ライブハウスの来場者のなかに、昔付き合っていたハギオを見つけます。そして、ライブハウスの屋上に2人で上がって話します。
 ハギオはツチダのことをなんとも思っておらず忘れていたようながら、ツチダの方はずっと思い続けていたようで、「人試飲したけど、ハギオのために堕ろした」などと言い、体を寄せ合います。

(注7)ツチダは、家でブラブラしているセイイチに、「今日、何してた?あたしのために、何してくれた」「あたしは働いていた」などと文句を言うようになります。

(注8)ツチダはハギオに、「ハギオに見透かされるのが怖い」「もう会わない」と言います〔でも、ハギオが「(何処かで出会った時に)隠れるなんてできないでしょう?」「また、ハギオって追いかけるんでしょう?」と言うと、ツチダも「うん」と頷いてしまうのですが〕。

(注9)ただ、原作の「最終話」のラストを見ると、ツチダとセイイチは再会し、ツチダが「髪、長くなったね」と言うと、セイイチは「また切ってよ」と答え、さらに、ツチダは「セイちゃん、おなかすいてない?」「うちに帰ったら、なんかあったかいの食べよ?」と言います。
 本作のラストと違って、原作においては、結局、元の生活に戻るのではないでしょうか(ラストでは、ツチダのアパートで、ちゃぶ台の前に座っている姿が描かれ、「わたしたちの生活 毎日 日常」「せいちゃんが笑っているということ あたしがわらっているということ」というモノローグが書き込まれています)?

(注10)劇場用パンフレット掲載の原作者・魚喃キリコ氏と冨永監督との対談で、魚喃キリコ氏は「『南瓜とマヨネーズ』っていう題名は、慎ましやかな生活を意味してるのね」と述べています。
 でも、本作で描き出されているツチダの生活は、果たして“慎ましやかな”ものでしょうか(確かに、生活レベルはかなり低く、食事なども“慎ましやかな”ものかもしれませんが、ハギオなどとの関係を見れば、そんなに“慎ましやかな”ものとも言えないような気もしますが)?



★★★★☆☆



象のロケット:南瓜とマヨネーズ


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4 コメント

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Unknown (ふじき78)
2018-03-10 00:42:08
> それにしても、タイトルの「南瓜とマヨネーズ」の意味合いは何なんでしょう

私は主人公二人の比喩なのかなと思いました。南瓜が太賀、マヨネーズが臼田あさ美。南瓜のようなゴツゴツした本質を持つシンガー太賀に対して、味付けをするように身の回りの世話をする臼田あさ美がマヨネーズ。ただ、マヨネーズでは南瓜の本質を引きだせない。
オダジョーは何だろう? ともかく何にでも馴染んでしまう食材でありそうだ。
Unknown (クマネズミ)
2018-03-10 05:48:57
「ふじき78」さん、わざわざコメントをありがとうございます。
なるほど、おっしゃるとおりかもしれません。
ただ、「味付けをするように身の回りの世話をする臼田あさ美がマヨネーズ」はよくわかるにしても、映画からは、「南瓜のようなゴツゴツした本質を持つシンガー太賀」という感じはあまりしませんでしたが。何しろ、大賀は、髪結いの亭主然としていて、作曲もせずに家でゴロゴロしているばかりなのですから。
Unknown (ふじき78)
2018-03-11 00:53:33
単純にマヨネーズに合わない野菜の代表選手がカボチャなのかもしれないなあ。
Unknown (クマネズミ)
2018-03-11 05:25:46
「ふじき78」さん、再度のコメントをありがとうございます。
そうですね、南瓜とマヨネーズは合わない感じがしますね(尤も、マヨネーズ愛好家によれば、蒸したカボチャにマヨネーズをかけて食すると美味とのことですが)。

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