映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

大奥

2010年10月24日 | 邦画(10年)
 アイドルグループ・嵐の二宮和也が時代劇初挑戦ということで、『大奥』を渋谷シネパレスで見てきました。

(1)主役が、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』(2006年)で好演した二宮和也なのである程度期待したのですが、2時間近くの映画に出ずっぱりというのは、マア荷が重すぎたという感じです。
 といっても、映画館を満たしている女性ファンにとっては、彼がどんな演技をしようが何であろうが、そんなことはどうでもいいに違いありません。
 それに、元々この映画については、豪華絢爛たる絵巻物を気楽に見ればいいのであって、あまり茶々を入れても仕方がないでしょう。
 というのも、劇場用パンフレットの書き出しに「綿密な時代考証に基づ」くとありながら、映画の冒頭、スクリーンに麗々しく「正徳」と江戸時代の年号(1711年~1715年)が映し出される一方、それよりずっと以前の「明暦の大火」(1657年3月)で焼失して再建されなかったはずの江戸城天守閣が、立派にCGによって描き出されるのですから(注1)!

 こうなれば、次のようなことを言ってみてもマッタク詮のないことでしょう。
・「男だけを襲う謎の疫病により、男の人口が女の4分の1に激減した」という設定は、実にユニークで、何の問題もありません。そういう前提によるSFファンタジー時代劇とみなせばいいわけですから。
 ただ、江戸の巷で、女が男にとって代わり、大工になっていたり、重い大八車を引っ張っていたりするのであれば、侍身分も女が大量に占めているにちがいないと想像されるところ、剣道場には男しかおりません。なぜか、男は、“体は弱いものの、力だけは強い”とされているのです!
・元々、男の人口が女の4分の1に激減したことと、将軍が女であることや、それに仕える大奥に3,000人の男がいたこととは何の関係もないのではないでしょうか(こんなところに男を沢山無駄に置いておいたら、人口はますます減ってしまうことでしょう!)。ただ、この点は、この映画の基本的な設定ですから、受け入れざるを得ないところです。
・その関連で、吉原の花魁たちは全て男になっていますが、これもそうする必然性はないと思われます。逆に、貴重な存在である男を、そんな風に浪費してはもったいないのではないでしょうか?
・将軍家継の側用人・間部詮房(菊川怜)は描かれているものの、「正徳の治」の主役である新井白石はどこにいってしまったのでしょう(尤も、白石は、将軍に直接会うことが出来ない身分なので、これは仕方がないのかもしれません)。
・あれやこれやの問題があるとしても、大奥の中におけるドロドロした人間関係、派閥抗争とか「絵島生島事件」(ちょうど正徳4年のことです)のようなことが描かれたりすれば(注2)、話は俄然違ってきますが、この映画における大奥は、大奥総取締の藤波(佐々木蔵之介)の威令が行き届いているようで、御中臈の松島(玉木宏)も、藤波を追い落とすどころか、逆にいい仲になっているくらいですから、権謀術数の「け」の字も見当たりません。

 ですから、そんなどうでもいい詰らないことは頭から綺麗サッパリと追い払って、すんなり映画の流れをそのまま受け入れながら、様々の場面を楽しむしかありません。
 ひとたびそう開き直りさえすれば、スクリーンに映し出される様々の色彩豊かな衣装とか襖絵、豪華で重厚な作りの御殿(たとえば「御鈴廊下」)などに目が奪われます。

 また、出演者も凝った人選がされています。
 二宮和也扮する水野祐之進の相手方となる将軍吉宗は、『食堂かたつむり』で好演した柴咲コウが演じています。質素倹約という観点から大奥の改革に手をつけるという役柄だけに、地味な服装ながらも、将軍らしい威厳を辺りに漲らせています。
 さらに、水野の母親役には倍賞美津子が扮していますが、女が家長となる時代設定においては、まさにうってつけの女優といえるでしょう。
 その他の出演者の中では、『BECK』でドラマーを演じた中村蒼(水野のために裃をあつらえる役どころです)や『のだめカンタービレ』の玉木宏(大奥総取締に目を掛けられている御中臈役)などが印象に残りました。

 ということで、プラスマイナス合わせれば、まずまずの仕上がりと言えるのかもしれません。


(注1)尤も、劇場用パンフレットに掲載されている金子文紀監督インタビューには、「今回の吉宗の時代も天守閣はあってはならない。でも、原作にも描かれていたし、個人的にもリアルな天守閣が観たかったこともあり、再現することにしました」とありますが。
(注2)2006年公開の『大奥』は、大奥総取締の絵島役に仲間由紀恵が扮して、歌舞伎役者・生島(西島秀俊)との儚い恋物語を巡る事件を描いています。


(2)江戸城を巡っては、最近頗る興味深い本が出されました。
 黒田日出男氏による『江戸図屏風の謎を解く』(角川選書、2010.6)です。



 同書において黒田氏は、江戸というと人の関心は、明暦の大火(振袖火事)以降の江戸にいってしまうが、初期の江戸を軽視すべきではないのであって、魅力的な史料も残っている、として、特に『江戸天下祭図屏風』(個人蔵)の徹底的な読解を試みています。
 同書末尾の「大団円「江戸天下祭図屏風」は語る」では、その読解の成果が、たとえば次のように記されています。
・この屏風で「最初に見えてくるのは、明暦の大火以前の江戸城内を進んでいく山王祭礼の行列」である(これが、この屏風の第1の主題)。
・江戸城内にあった大名屋敷のうち、とりわけ巨大で「精細・精彩」に描写されているのが「紀伊徳川家の上屋敷」であり、その門前には、徳川頼宣夫妻の姿が見て取れる(この屏風の第2の主題)。
・潜在的には、「慶安事件(由井正雪の乱)の嫌疑」と「明暦大火の流言」(紀伊の仕業ではないか)という厳しい危機を切り抜けることができたという徳川頼宣の安堵の想いが込められている(第3の主題)。

 ところで、同書に掲載されている『江戸天下祭図屏風』を見ると、「左隻」の「第一扇」には、明暦の大火で焼失してしまった江戸城の天守閣が描かれているのです!



 これを見ると、広島大学の三浦正幸教授による「寛永度天守」の復元図とそっくりなことがわかります。



 ちなみに、同教授によれば、「天守台を除いた天守本体は高さ約45メートルあり、15階建てのマンションの高さに匹敵」し、「姫路城天守ですら、1階の面積は半分以下、高さは3分の2ほどで、体積では3分の1しかない」とのことです(雑誌『東京人』2010年9月号P.88)。

 この映画や原作の漫画に登場する江戸城天守閣は、この復元されたものとは違っているところ、何を元にしているのでしょうか?

(3)映画評論家はこの映画に対して辛目です。
 渡まち子氏は、「カラフルな衣装や、大奥ならではの権力争いに愛憎バトル、あやしいラブシーンなども盛り込んで、サービスに抜かりはない。大奥の仕組みや役割などを説明するパートも、和風のアニメを使ったり、新人の水野に御中臈の松島や先輩の杉下がしきたりを語るなど自然にストーリーに溶け込んで、簡潔で分かりやすい。だが肝心の物語は、男女逆転ならではのユニークな側面を大奥という組織の中で展開しきれていない」として50点を与えています。
 前田有一氏は、「男女逆転により、革命的な変化が起きる痛快歴史シミュレーションをやるならば、やはり「大奥」後こそがもっとも描くべきところだ。そこを一切描かず、観客に想像させて終わりというのはあまりに不親切。作り手が必死に考えた「もう一つの日本」を描いてみろと私は思う。それが、現在の日本より魅力的なそれならば、テーマも明確になったはずだ」が、「残念ながら現状では、イケメン受難の大奥にヤリチン天国の江戸市中、キワモノ映画の域を出ていない。高いポテンシャルを感じる作品だけに、残念至極である」として40点を与えています。



★★★☆☆


象のロケット:大奥


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3 コメント

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Unknown (ふじき78)
2010-10-24 20:35:59
相変わらず調べこんでますね。

という事に反して徒手空拳でコメント書きに来ちゃうズボラもんの私なんですが。

侍はまだ男がいそう、ってのは多分、江戸は百姓と町人が大多数で侍はそんなに人数多くなかった筈だから成り立つんじゃないでしょうか? 無為に暮らす浪人は減るにしても江戸詰めの侍は各藩、無理してもメンツもあって男を出すでしょ。この辺、原作がどうなってるか分からないですけど。剣法は花婿修行の為のお花とか踊りレベルの習い事だったんじゃなかったかな。

花魁は男、遊戯所としてではなく、市井に男がいなくなった事による私設の種付け施設だとしたらありえそうですけどね。男がバカバカ病死していくので、ててなし子(私生児)が目立たないという隠れ蓑もある事ですし。
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女侍と男花魁 (クマネズミ)
2010-10-25 07:04:34
「ふじき78」さん、貴重なコメントをいつもありがとうございます。

さて、この映画についてはそんなことを言ってみても「詮のないこと」と申し上げたのですが、「剣道場に男しかいないのは変だ」とクマネズミが書いたことに対して、わざわざ「ふじき78」さんは、元々「江戸は百姓と町人が大多数で侍はそんなに人数多くなかった筈」だから、女を取り込まずともそれで道場経営はなりたっているはずで、変なことではないのではないかとおっしゃいます。
ただ、
a.男を女の4分の1に激減させた疫病は、元々少ない筈の“男の侍”にも及び、その数をも一層減らした筈ですから、“男の侍”だけで道場を維持するのは難しかったのではないでしょうか?
b.それに、江戸城というのは日本軍の大本営であり、なにしろそのトップの最高司令官である将軍が当時は女なのですから、そこに詰めている軍人(侍)も、大部分は女ではなかったでしょうか?としたら、軍人が日頃の鍛錬を行う剣道場でも、当然女が大部分ではなかったか、と推測されるのですが?
c.なにしろ、江戸時代にあっては軍人のトップが女なのですから、各藩は、「江戸詰めの侍」として「無理してもメンツもあって男を出す」わけではなく、「メンツ」という点からしてむしろ軍人として優秀な女をこぞって江戸に派遣したのではないでしょうか?
d.ということもあって、「剣法は花婿修行の為のお花とか踊りレベルの習い事」というよりも、むしろその当時は、「剣法は花嫁修行の為の習い事」であり、もしかしたら「お花とか踊り」が「花婿修行の為の習い事」だったのではないでしょうか?
e.なお、Wikiで「江戸」の項を見ると、「武士の人口は、参勤交代に伴う地方からの単身赴任者など、流動的な部分が非常に多く、その推定は20万人程度から100万人程度までとかなりの幅があり、最盛期の江戸の総人口も68万人から200万人まで様々な推定値が出されている」とあります。
さらに同項には、「明治2年に施行された江戸市街調査によると江戸は町地15.8%、寺社地15.6%、武家地 68.6%より構成されていた」とあります(概略)。
これらのことによれば、実際のところはよく分からないものの、一概に「「江戸は百姓と町人が大多数で侍はそんなに人数多くなかった筈」とまでは言えないのではないかと思われるのですが?

また、「吉原の花魁たちは全て男になっているが、これもそうする必然性はない」とクマネズミが書いたことに対しても、「ふじき78」さんは、「花魁は男、遊戯所としてではなく、市井に男がいなくなった事による私設の種付け施設だとしたらありえそう」とおっしゃっています。
原作の漫画の第1巻P.14でも、「ふじき78」さんがおっしゃるようなことが述べられています。
確かに、「種付け施設」としてならありうるかもしれません。
ただ、漫画のその場面で男たちは、映画のように花魁の格好はしていないようです。なにしろ「貴重な存在である男」たちなのですから、「吉原」のように、女の目を惹くように派手に着飾る必要などないと思われますし、わざわざ物理的な囲いを作り借金で縛ったりして、隔離された遊郭の中に閉じ込めておく必要もなかったことと思われます。

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弄ばれに来ました (ふじき78)
2010-10-27 01:44:06
そうかあ。為政者はちょっとだけみたいな話をどこかで耳にした気がしてましたが、江戸というより日本全体の話だったのかもしれません。

さて、私は原作を2巻まで読んでますが、その巻まででは老中職のような要職は女性に牛耳られていますが、末端はそんなに描かれていないので分からない。でもまあ、トップが女性なら下まで女性なんだろうなあ。

吉宗の時代なら天下泰平になってからかなり経ってるので、軍人としての武士は形骸化しているので、それが出世とかに関わらないなら、女性は道場にまで行ってそんなに鍛錬しなくてもいいのでは。気性が荒そうな吉宗でさえ、二本刺しではなかったですし。

吉原は箱物になってた方が客が来やすい。後、着飾るのはイケメンブーム同様、その方がお金をより多く取れるからでしょう。
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