映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

フランシス・ベーコン展

2013年04月15日 | 美術(13年)
 東京国立近代美術館で開催されている『フランシス・ベーコン展』を見てきました。
 クマネズミは、これまでフランシス・ベーコンの絵はわずか1点しか見ておりませんから(注1)、今回のように30数点をまとめて見られるというのは実に幸運なことでした。

 本展で展示されるベーコンの絵については、一方で、朝日新聞編集委員・大西若人氏が、この4月10日の夕刊紙上で、「ベーコンが描く衝撃的な人物像は、現代の自画像ではないか」、「そのリアルさゆえに、見る者に深く浸透してくる」などと述べているように、高く評価する向きがあります(注2)。
 また、他方で、「僕は『フランシス・ベーコン展』を見て三度笑った」と豪語する評論家もいます。

 実のところ、画集などでベーコンの絵にはこれまで随分と触れているところ、展覧会で実際の絵を見たら果たしてどんな感じになるのかな、ということもあって美術館に出向いた次第です(注3)。

(1)実際に見てみると、例えば、1952年の『叫ぶ教皇の頭部のための習作』などを見ると、なかなかの迫力であり、なんの先入観なしに見た当時の人たちはかなりの衝撃を受けたのではないかと想像されます。



 また、今回の展覧会では、第3章「物語らない身体 1970s-1992」において、「三幅対(トリプティック)」(一つの作品が3枚の絵から構成されています)が4点も展示されています。印刷物ではある程度知っていたものの、実際に見るとこんなに大きなものなのかと驚きました(注4)。

 なお、ベーコンは、絵と見る者の間にガラス板を置くことによって、両者の間に距離をとろうとしたようで、ガラス板と金縁という額装がなされている絵がかなり展示されています。これは、明るい色調の絵の場合はそれほど問題ありませんが、暗い色調の絵の場合、照明が反射したり見る者が写ったりして、かなり見づらくなってしまいます。そんなことも、実際に展覧会に出かけなければ分からなかったことでしょう。

(2)全体としてなかなか面白い展覧会だと思いましたが(酷く貧弱な感想しか持てませんでしたが)、あえて文句を言うとしたら、展示されている絵画に付された解説のひとつに不満を持ちました。
 1983年の作品『人体による習作』に関するものです。



 この絵について、「この身体に頭が見当たらないのは、特定の個人ではなく、あらゆる人間に共通する死をこそ描こうとしているためでしょう。だからこそ、私たちは本作をとおして自らの死を思うのみならず、親しい人たちの死をも考えることになるのです」と、『展覧会カタログ』のP.92には書かれています(注5)。

 その際には、「扉のを回すというモチーフ」を、ベーコンの1967年の作品『イザベル・ロースソーンの三つの習作』(注6)や、1971年の『三幅対 ジョージ・ダイアを偲んで』の中央パネルに見出し、特に、後者については(本展覧会には出品されていませんが)、「ダイアは、おそらくベーコンのアトリエか、あるいは自死したホテルの部屋へと続くであろう扉の鍵穴に鍵を差し込んでいます。このダイアの右腕は本作においても反復されています。そこでは、死へと向いつつあるまさにその移行が扉と鍵穴に託されています」と述べられています。



 また、「のモチーフ」については、T.S.エリオットの『荒地』の一節(注7)がベーコンの念頭にあったことを語っているとして、「ベーコンが死を強く連想していたことが分かります」と述べられています(注8)。

 こうした説明は、この絵についての情報を増やすわけでもあり、それなりに意味があるのでしょう。
 でも、絵にまつわる単なる一つの物語に過ぎないのではないでしょうか?
 なにより、この絵は、本展覧会の第3章「物語らない身体 1970s-1992」のカテゴリーの中に収められているのです(注9)
 にもかかわらず、なぜ、この絵について「死をこそ描こうとしている」と予め決めつけ、それを他の絵を参照しながら物語ってしまうのでしょうか?
 この絵だけを見れば、ジョージ・ダイアのことなど思い浮かびませんし、また頭部がないことが普遍的な死を想起させるわけでもないでしょう。
 この絵を見て、見る者に「死」のことしか思い浮かばせないのであれば、貧弱な連想しかもたらさないどうしようもない作品としか言えないのではないでしょうか(注10)?

 こうした一方的な解説が、公共的な美術館で展示される作品に付されることについては、かなり疑問を感じざるを得ないところです。




(注1)本ブログのこのエントリで申し上げたように、今回の展覧会でも展示されている『横たわる人物』(富山県立近代美術館)です。




(注2)例えば、著名なフランス哲学者ジル・ドゥルーズがベーコン論である『感覚の論理(1981年)』(山縣煕訳、法政大学出版局、2004年)を著わし、またフランスの作家のフィリップ・ソレルスも『フランシス・ベーコンのパッション(1996年)』(五十嵐賢一訳、三元社、1998年)でベーコンを論じたりしています。

(注3)というのは表向きのことであって、この展覧会へ行こうとする自分自身を振り返ってみると、ベーコンが描いた絵自体が本当に素晴らしいと思うからというのではなしに、むしろ、この画家にまつわって流されている様々な情報に突き動かされているな、自分はやっぱりミーハーにすぎないな、ということがよく分かります。
 もともと、作品を素の状態で鑑賞することなど、一般人にはとても出来そうもないのではないでしょうか?
 例えば、最近まで六本木の森美術館で開催されていた『会田誠展』にしても、かなりの評判でクマネズミも見に行きましたが、どうも、その前に会田誠氏についてのドキュメンタリー映画が公開されたり、彼の本も出版されたり、その特集記事が美術関係の雑誌に掲載されたりして、同展を見に行かなくてはという気にさせられてしまったのでは、と思わざるを得ないところです。

(注4)他に、小型の「三幅対」の絵が2点展示されています。その内の一つが、冒頭に掲げた『ジョージ・ダイアの三習作』(1969年)です。

(注5)豊田市美術館の学芸員・鈴木俊晴氏の担当部分。
 なお、この絵の右脇に張られているパネルにも同趣旨のことが書かれていました。

(注6)この作品は、今回の展覧会には出品されていません。



(注7)このサイトに記載されている翻訳では次のようになっています。
 「僕は鍵が 扉の中で回るのを一度聞いたことがある ただ一度だけ回るのを 僕たちは鍵のことを考える それぞれ牢獄の中で 鍵のことを考えて それぞれ牢獄を確かめる やっと夕暮れ時 あの世の噂が 滅びたコリオラヌスを 一瞬だけよみがえらせる」
 〔『荒れ地』(V. 雷の言葉(V. What the Thunder Said))から〕

(注8)ただ、上記「注2」で触れた『フランシス・ベーコンのパッション』において、ベーコンは当初、1978年の『ペインティング』という作品に「T・S・エリオットの名を結びつけようと考えた」が、最終的には「この対象関係を抹消することを選んだ」とフィリップ・ソレルスは述べています(邦訳P.121~P.122)。



 そうだとしたら、『展覧会カタログ』の解説のように、まともにエリオットを持ち出すのは如何かと思われるのですが!
 それに、同解説では、「このエリオットのフレーズには死者を想起する行(くだり)が続く」とあります。確かに、上記「注7」で引用したところからすると、古代ローマの伝説的将軍の「コリオラヌス(コリオレイナス)」が「死者」なのでしょう。でもエリオットの詩の場合、その死者を「よみがえらせる」のですから、はたして「私たちは本作をとおして自らの死を思うのみならず、親しい人たちの死をも考えることになる」のでしょうか?

(注9)『展覧会カタログ』の第3章についての解説(東京国立近代美術館学芸員・保坂健二朗氏が担当)では、例えば、「1970年以降のベーコンは、三幅対に積極的に取り組みました。しかも複数の空間と人物を描くにもかかわらずストーリーの発生を忌避していました」と述べられています。

(注10)この絵からは、早く扉の向こう側に入り込みたいとの願いから、頭部がドアの向こう側に入り込んでしまったとも受け取れますし、あるいは、頭部は下を向いているために隠れているのだとも受け取れるのではないでしょうか?
 さらにまた、ベーコンにおいて「」が描かれているのを見たら「死」を連想する必要もないことは、1978年の『ペインティング』に関し、上記「注8」に引き続く部分において、「この人物はドアを開けているのだとどうして言えるのだろう(ドアはドアではないかもしれないではないか)?この人物は、開いたドアを自分のほうに引っぱって遊んでいる、すなわち、閂の思いがけないヴァージョン、18世紀へのオマージュであるかもしれないではないか」などと、フィリップ・ソレルスが述べていることからも明らかでしょう(邦訳P.124)。
 〔なお、『感覚の論理』のなかでジル・ドゥルーズは、1978年の『ペインティング』で、扉の上に描かれている「金色がかった非常に美しいオレンジ色の円形の輪郭」に注目しています(邦訳P.14)〕
 そうです、1983年の『人体による習作』についても、そもそもそこに敷居と扉と鍵が描かれていると頭から決めつけてしまう必要もないのではないでしょうか?
 それに、「扉の」は、その部屋に入ろうとして使うばかりでなく、その部屋から人を導き出すためにも、その部屋に何かを隠すためにも、様々な用途に使われるものです。どうして、こちら側からあちら側への「移行」のためにものとしか考えないのでしょうか(こうした点は、映画で使われている「鍵」について触れている本ブログの例えばこのエントリの(2)を参照していただければと思います)?


会田誠展

2013年01月28日 | 美術(13年)
 六本木の森美術館で開催されている「会田誠展:天才でごめんなさい」に行ってきました。

(1)映画『駄作の中だけ俺がいる』についてのエントリの末尾で、「会田氏は、このあと現在に至るまでの2年間に、いったいどんな作品を発表してきたのでしょうか」と申し上げたように、『灰色の山』を描いた後現在までの2年間にどんな作品が生み出されたのか関心がありました。

 今回の展覧会からすると、例えば次の絵画がそれに該当します。

・『電信柱、カラス、その他』(未完)  



・『ニトログリセリンのシチュー


 (2点の内)

 相変わらず精力的に様々な作品を制作しています。

(2)こうした会田誠氏について、森美術館のチーフ・キュレーターである片岡真実氏は、本展のカタログに掲載された論考「混沌の日本の会田誠」において、「会田誠は混沌の男である」とし、「それはそのまま、日本社会や文化の複雑さ、多面性、矛盾、多義性のマイクロモデルのようにも見えてきはしないだろうか」として、「多面的な視点から会田の多面性の解釈を試み」ています。
 確かに、会田氏の実に幅広い活動実績を見ると、そうした捉え方しか出来ないようにも思えてきます。

 ですが、「混沌の男」である会田氏を、「混沌の日本社会や文化」を反映するものとして「混沌」のまま把握するのであれば、それは何も分析したことにならないのではないか、というようにも思えてくるところです(注1)。
 日本社会や文化については、その「混沌」した状況なんとか一定の分析視角から一定の論理で捉えようと、様々な学問分野で研究がなされているわけです。どうして、美術の分野において、そうしたことがなされないのでしょうか?

 無論、そうした作業がなされていないわけではありません。
 例えば、明治学院大学教授・山下裕二氏は、雑誌『美術手帖』の本年1月号に掲載されたエッセイ「「あのカラスの絵」の凄さ、でも美術館にきちんと収まっていいのか?」の中で、「私はこの絵(上記『電信柱、カラス、その他』)を見て、戦慄した。カラスが咥えているものにだけではなく、会田が長谷川等伯の〈松林図〉や〈烏鷺図〉から引用して、想念をめぐらせてできた末にできあがったその様式に戦慄した」とか、「「あのカラスの絵」は百年後に国宝になるだろう。もし、それまで日本という国家があって、国宝という制度が存続していたら」などと述べています(注2)。
 また、会田誠氏に関する拙エントリで触れたように、安積桂氏が、会田氏の『1+1=2』などをそのブログ「ART TOUCH」で論じているところです(注3)。

(3)今回のような回顧展以外の場所で会田氏の作品を見るとしたら、一つ一つの作品に鑑賞者は対峙するのですから、こうした論評は貴重でしょう。
 とはいえ、個別の作品についてのこうした指摘はそれぞれなかなか興味深いものの、なんといっても会田誠という一人の画家がすべてを制作しているわけで、それらを見渡せる何らかの統一した視角とか図式のようなものがあったらな、という気もします(注4)。
 
 美術評論家の椹木野衣氏が、雑誌『美術手帖』の本年1月号に掲載された「会田誠 ロングインタビュー」のなかで、「まず会田さんには「我」の時代があり、それが「我々」へ、「本質から表面へ」と移行することで「いろいろなデザイン」となった。基本的にはそれが今に至るまで芸術をめぐる様々なる意匠で変奏されている」が、「「我」は消えてしまったわけではなく、「駄作」を通じて「無我」「無為」といって回帰し続けている」とはいえ、「「我」でも「無我」でもな」く「いろいろなデザイン」でもないところにこそ「新しい展開があるのではないか」、それが「最後の最後にある段ボールによる共同制作〈モニュメント・フォー・ナッシングⅡ〉」ではないか、と述べている点が注目されます (同誌P.39)。




 ただ、「いろいろなデザイン」の最新版である上記の『電信柱、カラス、その他』や「駄作」かもしれない『ニトログリセリンのシチュー』などには瞠目すべきものが感じられ、共同制作〈モニュメント・フォー・ナッシングⅡ〉という「新しい展開」を前に切って捨てられるべきものとは思えず、そうした方向性からも何かしらの「新しい展開」が期待されるところです。
 やっぱりこれからも、会田誠氏の作品にしっかりと注目していかざるをえないのではないか、と思っているところです。



(注1)今回の展覧会カタログに掲載されているデヴィッド・エリオット氏の論考「ものごとの表面―会田誠のドン・キホーテ的世界」では、ときとして会田誠が「スペインの騎士ドン・キホーテのようになってしまう」などとされているところ、こうした見方も片岡真実氏の「混沌」と大同小異ではないかと思えます。

(注2)今回の展覧会カタログに掲載されている山下氏の論考「偽悪者・会田誠―日本美術史からの確信犯的引用について」においても、会田氏の『あぜ道』(1991年)と東山魁夷の『道』(1950年)、『群娘図’97』(1997年)と尾形光琳の『燕子花図』(18世紀)、そして『紐育空爆之図』(1996年)と狩野永徳『上杉本 洛中洛外図屏風』や加山又造『千羽鶴』(1970年)などとの密接な関係が指摘されています。

(注3)例えばこのエントリなどでは、「会田誠が個展「絵バカ」(ミヅマアートギャラリー)で発表した『1+1=2』が余り評価されていない。しかし、この作品は会田の画歴の中でも重要な作品である」ものの、「文字をデフォルメして抽象画の中に隠した絵画的イリュージョンを欠いた失敗作である。会田の文字を使った作品で一番面白いのは依然として『書道教室』ではないか」などと述べられています。

(注4)例えば、山下氏は会田氏の『1+1=2』という絵画については、どのような視角から議論するのでしょうか?