『スティーブ・ジョブズ』をTOHOシネマズ新宿で見ました。
(1)予告編で見て面白いと思い映画館に行ってみました。
本作(注1)の冒頭では、『2001年宇宙の旅』のアーサー・C・クラークが、巨大なコンピュータの側で子どもたちに向かって、「未来になれば、こんな大きなコンピュータを家に置く必要はなく、TV画面とキーボードから電話のようにコンピュータと話すことができて、日常生活に必要な様々の情報を得ることが出来るようになる」などと話しています。
子供の一人が「コンピュータ依存社会になるのでは」と質問すると、彼は「そうかもしれないが、コンピュータは我々の社会を豊かにしてくれる。コンピュータによって我々は、好きなところどこでも住むことが出来るし、ビジネスマンも地球上のどこでも仕事ができる。素晴らしいことだ。最早都市にしがみつくこともない」と答えます。
次いで、画面は、1984年のMacintosh発表会直前の舞台裏。
スティーブ・ジョブズ(マイケル・ファスベンダー)が「直せ(Just fix it)」と言うと、部下のアンディ(マイケル・スタールバーグ)が「できない(I can't.)」と答えます。
マーケティング担当のジョアンナ(ケイト・ウィンスレット)は、「2時間の発表の内の20秒間のものだからカットしよう」と言いますが、ジョブズは「そんなことは無理だ」、「会場を暗くしろ」、「音声デモを改良しろ」と言い張ります(注2)。

ジョアンナが「音声ソフトは事前に宣伝していないから、省いてもわからない」と言っても、ジョブズは「よし、音声デモは省こう。しかし、発表会は中止だ」と答える始末です。
さらに、そばにあったタイム誌を見て、「Macが表紙になっていないものをMacの発表会で配るとは!」と八つ当たりします。
また、ジョアンナが「90日で100万台など売れるわけがない(注3)。1500ドルなら戦えたのに」と言うと、ジョブズは「そのこだわりから2500ドルにしたんだ」と答えます。

こんな大騒ぎの最中に、ジョブズの元恋人のクリスアン(キャサリン・ウォーターストン)が娘のリサを連れて控室に現れます(注4)。
さあ、物語はどのように展開するのでしょうか、………?
本作は、IT界のカリスマ的存在だったスティーブ・ジョブズの伝記映画ながら、通常の伝記物とは違って、彼が行った3回の著名なプレゼンテーションを巡っての話が中心的に描き出されます(注5)。それも、肝心のプレゼンテーションの場面は映し出されずに、そこに至るまでのおよそ40分前からの慌ただしい様子が描かれるのです。関係者がのべつ幕なしに大声でしゃべっているので、見ている方は酷く疲れるとはいえ、斬新な製品を発表して皆を驚かせようとするジョブズの意気込みなどが見る者まで伝わってきて、映画を大層面白く味わうことが出来ます。
(2)本作は、スティーブ・ジョブズと、他の登場人物、特にジョアンナとの間の激しい口論がこれでもかというくらい詳細に描かれていて、それをフォローするのが大変ながらも、大層見応えがあって、どんどん画面の中に引き込まれてしまいます。
上記(1)からもある程度推測できるように、自己中心的ですべてを自分の思うとおりに取り仕切らなければ気がすまないジョブズですが(注6)、発表会を重ねるにつれて次第に変化していくのです。
特に、彼の娘とされるリサに対する態度がかなり変わる様子が本作で描かれているのに興味を惹かれました(注7)。

発表するコンピュータ製品に関する様々な術語が飛び交ったりする激しい議論が続く中にこうしたエピソードが挿入されているわけで、本作はその物語構成がとても巧みに作られていると思いました。
ところで、よく知られていることながら、本作と全く同じタイトルの作品(注8)が2013年に公開されているので、TSUTAYAからDVDを借りて見てみました。

同作では、2001年にジョブズが、アップル社のスタッフミーティングの場でi-Podを発表するのを導入部とし(注9)、1974年のリード大学に場面は変わって、そこから1997年にアップル社に暫定CEOとして復帰するまでが伝記物風に描かれています。
確かに、様々な人が言うように(例えばこの記事)、あれだけ創造性を強調するジョブズを取り上げている作品にしては、かなり凡庸で通俗的な内容となっているように思いました。ウォルター・アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』で述べられている様々なエピソードから鍵となるものを選び出して描いているものの、単にそれらを並べてつなぎあわせているだけのように思います。
映画作品としては、本作の方が遥かに出来が良いように思います。
それでも、本作においては、元アップル社CEOのジョン・スカリー(ジェフ・ダニエルズ)など、ジョブズを取り巻く人たちと彼との関係が理解しづらい恨みがあるところ、同作では、実家のガレージでアップル社を立ち上げてからの同社内でのジョブズの動きについてなかなか丁寧に描いていますから、人間関係などを手っ取り早く知るにはうってつけといえるのではないかと思いました。
ただ、本作で大活躍し、ジョブズに様々な影響を及ぼしているジョアンナは同作には登場しませんし、またリサは同作に登場するとはいえ、本作のような扱いは受けておりません(注10)。
なお、ジョブズはボブ・ディランの歌を愛好していたようで(注11)、本作のエンディングにはディランの「Shelter From The Storm」が使われていますが、なんと、この曲は、以前見た『ヴィンセントが教えてくれたこと』のエンドロールでも流れ、主演のビル・マーレイがヘッドフォンで聴きながら気持ち良さそうに口ずさんでいるのです!
クマネズミも、早速、持っているi-podにディランのその曲をインプットして、聴きながらウォーキングでもすることといたしましょう。
(3)渡まち子氏は、「ボイル監督が目指したのは、すでに世界中が知っているジョブズの偉大な功績やコンピューター誕生秘話ではなく、転機となる3度の瞬間に肉薄することで、革新者として、人間として、父親としてのジョブズの横顔を浮き彫りにすることだった」として75点をつけています。
渡辺祥子氏は、「ジョブズの言動から見えてくる彼の心情と、それによってジョブズ像が変化して見える面白さ」などとして★4つ(「見逃がせない」)をつけています。
柳下毅一郎氏は、「どこまでも人工的な物語と演技はすべてソーキンと監督ダニー・ボイルの創作である。にもかかわらず、そこにはまちがいなくスティーブ・ジョブズという人間の本質が描かれている」と述べています。
藤原帰一氏は、「言葉のやりとりで映画が進むので、映画というより舞台劇なんですが、その言葉がひとつひとつ観客に突き刺さるので息が抜けません。とても映画には思えない。それでも、最初から最後まで引き込まれる。とても不思議で、とても魅力的な作品です」と述べています。
読売新聞の恩田泰子氏は、「世界を変えたカリスマを単純化せず、大きくとらえて観客に差し出す。しかも、彼の内にある相反する性向を矛盾だと感じさせずに。それを演じたファスベンダーもさりげなく見事だ」と述べています。
(注1)監督は、『スラムドッグ$ミリオネア』や『127時間』のダニー・ボイル。
脚本は、『ソーシャル・ネットワーク』や『マネーボール』のアーロン・ソーキン。
原案は、ウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』(講談社+α文庫:以下の引用はこちらのKindle版から)。
原題は「steve jobs」。
なお、出演者の内、最近では、マイケル・ファスベンダーは『それでも夜は明ける』、ケイト・ウィンスレットは『とらわれて夏』、ジェフ・ダニエルズは『オデッセイ』、マイケル・スタールバーグは『ブルージャスミン』で、それぞれ見ています。
(注2)ここらあたりのことは、発表会の場で、新作のMacintoshに「Hello」と言わせる「voice demo」の動作に不具合が生じてしまい、修繕していると間に合わなくなってしまうという事態を指しています。
(注3)ジョブズは、「最初の90日で100万台、後は月9万台。大事なのはそれだけ」と豪語していましたが、実際には、「100万台が35千台、9万台が500台」だったようで、そのためもあって会社から追われてしまいます。
(注4)1984年の発表会の控室にリサを連れてやってきたクリスアンは、ジョブズに対して、「生活保護(on welfare)を受けているし、娘はパーカーで寝ている」、「あなたは441百万ドル儲かったのに対し、私は月に385ドルしかもらえなかった」と言ったり、タイム誌の記事を読んで、「(自分は)米国人男性の28パーセントと寝たと言われた」と激しく非難したりします。
最後の点については、ウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』(第7章の「妊娠とDNA鑑定」)によれば、当初ジョブズはリサを認知せず、タイム誌のマイケル・モリッツ記者に、「(統計的に分析すると)あの子の父親である可能性は米国人男性の28パーセントにある」と語り、それが同誌に掲載され、その記事を読んだクリスアンが誤解してジョブズを非難しているようです。
(注5)本作では、3つの発表会の舞台裏が中心に据えられているものの、それだけでなく、ウォズ(セス・ローゲン)と一緒に、ガレージでホームコンピュータを作っている時の様子とか、レストランを営む実の父親の様子なども、ごく簡単にですが描き出されます。
(注6)そんなことを指して、ジョブズの「現実歪曲空間」(reality distortion field)と言われたようです。
また、主演のファスベンダーは、このインタビュー記事において、「Macintoshのオリジナルのデザイン・チームの1人が、ジョブズは「現実歪曲フィールド」の中で動いてたって言った」と述べています。
(注7)1984年の発表会の控室にやってきたリサが、「私の名前をコンピュータに付けた」と言うのに対して、「それは偶然の一致であって、LisaというのはLocal Integrated Systems Architectureを表している」などと応じて、ジョブズは酷く冷淡に振る舞います。
ところが、3番目の1998年のi-Macの発表会の際には、会場のビルの屋上でリサに対して、「コンピュータのLisaは、もちろんお前の名前からとったものだ」、「Local Integrated System Architectureなんて何の意味もない」と言うのです。
なお、ウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』の第8章の「新しい赤ん坊」では、「本書を執筆するにあたってジョブズ本人に確認した結果は、「僕の娘にちなんだ名前に決まってるじゃないか」だった」と述べられています。
(注8)原題は「Jobs」。
(注9)上記「注7」で触れたように、本作のラストでの方でジョブズは、i-Mac発表会の会場の屋上でリサと会うのですが、その際、「もうレンガのようなウォークマンを運ばなくても済むように、1000曲くらいをポケットの中に入れられるようになる」とリサに言います。
それを実現したのが、映画『スティーブ・ジョブズ』(2013年)の冒頭で取り上げられたi-Podです。
(注10)ジョブズは1991年にローリーン・パウエルと結婚するところ、映画『スティーブ・ジョブズ』(2013年)の後半でその家庭生活ぶりが描かれています。そして、リサが一緒にそこで暮らしている様子が映し出されます。
ウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』(第20章の「リサを引き取る」)では、「(母娘のあいだに深刻な問題があると聞いた)ジョブズはリサと散歩しながら状況をたずね、自分のところに来ないかと提案する。リサは14歳になろうとするところでもう子どもではなく、2日間考えた上で承諾した」と述べられています。
(注11)劇場用パンフレット掲載の中川五郎氏のエッセイ「ジョブズの人生に寄り添い背中を押した、ボブ・ディランの音楽」によれば、「ジョブズが大のディラン好きで、彼のことを“人と違うように考える反逆者”、すなわち自分にとってのヒーローの一人と思っていたのは有名な話だ」とのこと。
また、同エッセイによれば、1984年のMacintoshの発表会のスピーチでは、ディランの「The Times They Are A-Changin’」の「2番の歌詞すべて」が使われたとのこと。
なお、映画『スティーブ・ジョブズ』(2013年)では、ウォズが「俺はビートルズだが、君はディランだ」と言うシーンがあります。
★★★★☆☆
象のロケット:スティーブ・ジョブズ
(1)予告編で見て面白いと思い映画館に行ってみました。
本作(注1)の冒頭では、『2001年宇宙の旅』のアーサー・C・クラークが、巨大なコンピュータの側で子どもたちに向かって、「未来になれば、こんな大きなコンピュータを家に置く必要はなく、TV画面とキーボードから電話のようにコンピュータと話すことができて、日常生活に必要な様々の情報を得ることが出来るようになる」などと話しています。
子供の一人が「コンピュータ依存社会になるのでは」と質問すると、彼は「そうかもしれないが、コンピュータは我々の社会を豊かにしてくれる。コンピュータによって我々は、好きなところどこでも住むことが出来るし、ビジネスマンも地球上のどこでも仕事ができる。素晴らしいことだ。最早都市にしがみつくこともない」と答えます。
次いで、画面は、1984年のMacintosh発表会直前の舞台裏。
スティーブ・ジョブズ(マイケル・ファスベンダー)が「直せ(Just fix it)」と言うと、部下のアンディ(マイケル・スタールバーグ)が「できない(I can't.)」と答えます。
マーケティング担当のジョアンナ(ケイト・ウィンスレット)は、「2時間の発表の内の20秒間のものだからカットしよう」と言いますが、ジョブズは「そんなことは無理だ」、「会場を暗くしろ」、「音声デモを改良しろ」と言い張ります(注2)。

ジョアンナが「音声ソフトは事前に宣伝していないから、省いてもわからない」と言っても、ジョブズは「よし、音声デモは省こう。しかし、発表会は中止だ」と答える始末です。
さらに、そばにあったタイム誌を見て、「Macが表紙になっていないものをMacの発表会で配るとは!」と八つ当たりします。
また、ジョアンナが「90日で100万台など売れるわけがない(注3)。1500ドルなら戦えたのに」と言うと、ジョブズは「そのこだわりから2500ドルにしたんだ」と答えます。

こんな大騒ぎの最中に、ジョブズの元恋人のクリスアン(キャサリン・ウォーターストン)が娘のリサを連れて控室に現れます(注4)。
さあ、物語はどのように展開するのでしょうか、………?
本作は、IT界のカリスマ的存在だったスティーブ・ジョブズの伝記映画ながら、通常の伝記物とは違って、彼が行った3回の著名なプレゼンテーションを巡っての話が中心的に描き出されます(注5)。それも、肝心のプレゼンテーションの場面は映し出されずに、そこに至るまでのおよそ40分前からの慌ただしい様子が描かれるのです。関係者がのべつ幕なしに大声でしゃべっているので、見ている方は酷く疲れるとはいえ、斬新な製品を発表して皆を驚かせようとするジョブズの意気込みなどが見る者まで伝わってきて、映画を大層面白く味わうことが出来ます。
(2)本作は、スティーブ・ジョブズと、他の登場人物、特にジョアンナとの間の激しい口論がこれでもかというくらい詳細に描かれていて、それをフォローするのが大変ながらも、大層見応えがあって、どんどん画面の中に引き込まれてしまいます。
上記(1)からもある程度推測できるように、自己中心的ですべてを自分の思うとおりに取り仕切らなければ気がすまないジョブズですが(注6)、発表会を重ねるにつれて次第に変化していくのです。
特に、彼の娘とされるリサに対する態度がかなり変わる様子が本作で描かれているのに興味を惹かれました(注7)。

発表するコンピュータ製品に関する様々な術語が飛び交ったりする激しい議論が続く中にこうしたエピソードが挿入されているわけで、本作はその物語構成がとても巧みに作られていると思いました。
ところで、よく知られていることながら、本作と全く同じタイトルの作品(注8)が2013年に公開されているので、TSUTAYAからDVDを借りて見てみました。

同作では、2001年にジョブズが、アップル社のスタッフミーティングの場でi-Podを発表するのを導入部とし(注9)、1974年のリード大学に場面は変わって、そこから1997年にアップル社に暫定CEOとして復帰するまでが伝記物風に描かれています。
確かに、様々な人が言うように(例えばこの記事)、あれだけ創造性を強調するジョブズを取り上げている作品にしては、かなり凡庸で通俗的な内容となっているように思いました。ウォルター・アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』で述べられている様々なエピソードから鍵となるものを選び出して描いているものの、単にそれらを並べてつなぎあわせているだけのように思います。
映画作品としては、本作の方が遥かに出来が良いように思います。
それでも、本作においては、元アップル社CEOのジョン・スカリー(ジェフ・ダニエルズ)など、ジョブズを取り巻く人たちと彼との関係が理解しづらい恨みがあるところ、同作では、実家のガレージでアップル社を立ち上げてからの同社内でのジョブズの動きについてなかなか丁寧に描いていますから、人間関係などを手っ取り早く知るにはうってつけといえるのではないかと思いました。
ただ、本作で大活躍し、ジョブズに様々な影響を及ぼしているジョアンナは同作には登場しませんし、またリサは同作に登場するとはいえ、本作のような扱いは受けておりません(注10)。
なお、ジョブズはボブ・ディランの歌を愛好していたようで(注11)、本作のエンディングにはディランの「Shelter From The Storm」が使われていますが、なんと、この曲は、以前見た『ヴィンセントが教えてくれたこと』のエンドロールでも流れ、主演のビル・マーレイがヘッドフォンで聴きながら気持ち良さそうに口ずさんでいるのです!
クマネズミも、早速、持っているi-podにディランのその曲をインプットして、聴きながらウォーキングでもすることといたしましょう。
(3)渡まち子氏は、「ボイル監督が目指したのは、すでに世界中が知っているジョブズの偉大な功績やコンピューター誕生秘話ではなく、転機となる3度の瞬間に肉薄することで、革新者として、人間として、父親としてのジョブズの横顔を浮き彫りにすることだった」として75点をつけています。
渡辺祥子氏は、「ジョブズの言動から見えてくる彼の心情と、それによってジョブズ像が変化して見える面白さ」などとして★4つ(「見逃がせない」)をつけています。
柳下毅一郎氏は、「どこまでも人工的な物語と演技はすべてソーキンと監督ダニー・ボイルの創作である。にもかかわらず、そこにはまちがいなくスティーブ・ジョブズという人間の本質が描かれている」と述べています。
藤原帰一氏は、「言葉のやりとりで映画が進むので、映画というより舞台劇なんですが、その言葉がひとつひとつ観客に突き刺さるので息が抜けません。とても映画には思えない。それでも、最初から最後まで引き込まれる。とても不思議で、とても魅力的な作品です」と述べています。
読売新聞の恩田泰子氏は、「世界を変えたカリスマを単純化せず、大きくとらえて観客に差し出す。しかも、彼の内にある相反する性向を矛盾だと感じさせずに。それを演じたファスベンダーもさりげなく見事だ」と述べています。
(注1)監督は、『スラムドッグ$ミリオネア』や『127時間』のダニー・ボイル。
脚本は、『ソーシャル・ネットワーク』や『マネーボール』のアーロン・ソーキン。
原案は、ウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』(講談社+α文庫:以下の引用はこちらのKindle版から)。
原題は「steve jobs」。
なお、出演者の内、最近では、マイケル・ファスベンダーは『それでも夜は明ける』、ケイト・ウィンスレットは『とらわれて夏』、ジェフ・ダニエルズは『オデッセイ』、マイケル・スタールバーグは『ブルージャスミン』で、それぞれ見ています。
(注2)ここらあたりのことは、発表会の場で、新作のMacintoshに「Hello」と言わせる「voice demo」の動作に不具合が生じてしまい、修繕していると間に合わなくなってしまうという事態を指しています。
(注3)ジョブズは、「最初の90日で100万台、後は月9万台。大事なのはそれだけ」と豪語していましたが、実際には、「100万台が35千台、9万台が500台」だったようで、そのためもあって会社から追われてしまいます。
(注4)1984年の発表会の控室にリサを連れてやってきたクリスアンは、ジョブズに対して、「生活保護(on welfare)を受けているし、娘はパーカーで寝ている」、「あなたは441百万ドル儲かったのに対し、私は月に385ドルしかもらえなかった」と言ったり、タイム誌の記事を読んで、「(自分は)米国人男性の28パーセントと寝たと言われた」と激しく非難したりします。
最後の点については、ウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』(第7章の「妊娠とDNA鑑定」)によれば、当初ジョブズはリサを認知せず、タイム誌のマイケル・モリッツ記者に、「(統計的に分析すると)あの子の父親である可能性は米国人男性の28パーセントにある」と語り、それが同誌に掲載され、その記事を読んだクリスアンが誤解してジョブズを非難しているようです。
(注5)本作では、3つの発表会の舞台裏が中心に据えられているものの、それだけでなく、ウォズ(セス・ローゲン)と一緒に、ガレージでホームコンピュータを作っている時の様子とか、レストランを営む実の父親の様子なども、ごく簡単にですが描き出されます。
(注6)そんなことを指して、ジョブズの「現実歪曲空間」(reality distortion field)と言われたようです。
また、主演のファスベンダーは、このインタビュー記事において、「Macintoshのオリジナルのデザイン・チームの1人が、ジョブズは「現実歪曲フィールド」の中で動いてたって言った」と述べています。
(注7)1984年の発表会の控室にやってきたリサが、「私の名前をコンピュータに付けた」と言うのに対して、「それは偶然の一致であって、LisaというのはLocal Integrated Systems Architectureを表している」などと応じて、ジョブズは酷く冷淡に振る舞います。
ところが、3番目の1998年のi-Macの発表会の際には、会場のビルの屋上でリサに対して、「コンピュータのLisaは、もちろんお前の名前からとったものだ」、「Local Integrated System Architectureなんて何の意味もない」と言うのです。
なお、ウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』の第8章の「新しい赤ん坊」では、「本書を執筆するにあたってジョブズ本人に確認した結果は、「僕の娘にちなんだ名前に決まってるじゃないか」だった」と述べられています。
(注8)原題は「Jobs」。
(注9)上記「注7」で触れたように、本作のラストでの方でジョブズは、i-Mac発表会の会場の屋上でリサと会うのですが、その際、「もうレンガのようなウォークマンを運ばなくても済むように、1000曲くらいをポケットの中に入れられるようになる」とリサに言います。
それを実現したのが、映画『スティーブ・ジョブズ』(2013年)の冒頭で取り上げられたi-Podです。
(注10)ジョブズは1991年にローリーン・パウエルと結婚するところ、映画『スティーブ・ジョブズ』(2013年)の後半でその家庭生活ぶりが描かれています。そして、リサが一緒にそこで暮らしている様子が映し出されます。
ウォルター・アイザックソン著『スティーブ・ジョブズ』(第20章の「リサを引き取る」)では、「(母娘のあいだに深刻な問題があると聞いた)ジョブズはリサと散歩しながら状況をたずね、自分のところに来ないかと提案する。リサは14歳になろうとするところでもう子どもではなく、2日間考えた上で承諾した」と述べられています。
(注11)劇場用パンフレット掲載の中川五郎氏のエッセイ「ジョブズの人生に寄り添い背中を押した、ボブ・ディランの音楽」によれば、「ジョブズが大のディラン好きで、彼のことを“人と違うように考える反逆者”、すなわち自分にとってのヒーローの一人と思っていたのは有名な話だ」とのこと。
また、同エッセイによれば、1984年のMacintoshの発表会のスピーチでは、ディランの「The Times They Are A-Changin’」の「2番の歌詞すべて」が使われたとのこと。
なお、映画『スティーブ・ジョブズ』(2013年)では、ウォズが「俺はビートルズだが、君はディランだ」と言うシーンがあります。
★★★★☆☆
象のロケット:スティーブ・ジョブズ