映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ロスト・イン・パリ

2017年08月29日 | 洋画(17年)
 『ロスト・イン・パリ』を渋谷のユーロスペースで見ました。

(1)予告編で見て面白そうだなと思って映画館に行ってきました。

 本作(注1)の最初の方では、カナダの小さな村に雪が降っています。
 図書館司書のフィオナフィオナ・ゴードン)が机に向かってものを書いていると、突然ドアが開いて、吹雪とともに郵便配達が飛び込んできて、フィオナに手紙を手渡します(注2)。



 フィオナがハサミで開封した封筒の中には、「ゴミ箱でこの手紙を見つけました」という添え書きとともに、パリに住むマーサおばさん(エマニュエル・リヴァ)からの手紙が入っています。
 そこには、「48年住んでいるけど、今でもパリが好き」「でも、周りが老人ホームに入れという」「まだ88歳にすぎない」「フィオナ、助けてちょうだい」と書いてあります。
 それで、フィオナはパリに出発することになります。

 次の場面では、フィオナはパリの地下道(注3)を、カナダ国旗をつけたリュックを背負って歩いています。
 地下鉄に乗ろうとしますが、リュックが大きすぎてどうしても改札機を通ることが出来ません。
 通りかかった男の助けで、やっと通過することが出来ます。
 その男とエスカレーターで隣り合わせになったので、話をします。
 彼が「パリは初めて?」と尋ねると、フィオナは「フランス語は苦手」と答え、さらに男が「カナダから研修でこちらに来ている」と言うので、フィオナは親近感を覚え、彼の後をついていきます。
 でも、行き先を思い出し、慌てて元の場所に戻って、地下鉄のホームに出ます。
すると、反対側のホームにさっきの男が立っているので、フィオナは「ハーイ」と呼びかけます。

 目的の駅に着き、地上に出て、フィオナは歩いています。
 喉が渇いたのでしょう、通りにある小さな噴水の水を飲もうとしますが、なかなか口を近づけることが出来ません。

 フィオナは、やっとのことで、マーサおばさんの住むアパルトマンの前にたどり着きます。
 でも、入口のベルを押しても、何の反応もありません。
 携帯をかけてみますが、部屋でベルが鳴っているだけのようです。

 マーサおばさんを探そうとして、フィオナは橋(注4)の上に出ます。
 エッフェル塔の近くなので、それを背景にした写真を撮ってもらおうと、ジョギングをしている男に携帯を渡します。
 ですがフィオナは、男の言うままに後ずさりをして、橋の上から川に落ちてしまいます。

 川に落ちたフィオナは、水中を泳いで、やっとのことで遊覧船にすくい上げられます。
 他方、橋の上で携帯を手渡された男は、携帯をフィオナに返すべく、その遊覧船を追いかけます。

 こんなところが、本作の初めの方ですが、さあ、物語はどのように綴られていくのでしょうか、………?

 本作は、クマネズミは全く受け付けませんでした。ストーリーは、カナダの小さな村に住む女性の主人公が、パリで暮らすおばさんから助けを求める手紙を受け取ったので、彼女を探しにパリを訪れるというもの。主人公がパリに着くと、風変わりなホームレスの男に付きまとわれるのですが、主人公とこのホームレスに扮する俳優は、実生活でも夫婦で、なおかつ道化師でもあるとのこと(さらに、監督・脚本も担当)。道理で、本作でも、本業の道化師ばりの演技がアチコチで披露されます。おそらく、見る人が見れば楽しいドタバタコメディなのでしょう。ですが、その方面のセンスの持ち合わせのないクマネズミにとっては、全く面白みのない、退屈至極の映画となってしまいました。

(2)上記(1)に記したものからもある程度わかっていただけると思いますが、本作では最初の方から、実に様々な古典的なギャグが仕掛けられています。

 フィオナがパリに到着して以降も、例えば、ホームレスのドム(注5:ドミニク・アベル)がゴミ箱から拾った果物を焼いていると、思いがけずに飛んできた釣り糸の先端の釣り針にその果物が刺さって、持っていかれてしまう場面があります(注6)。

 さらに、ドムは、セーヌ川に浮かぶ船上レストランのマキシムに入りますが(注7)、彼の座った席はトイレのすぐ近く。ドアが開閉されるたびに、ドムにぶつかることになります。
 おまけに、レストランのスタッフが、スピーカーのコードを彼のテーブルの背後に通そうとして、彼に絡まってしまいます。
 そればかりか、スタッフが音楽をかけると、スピーカーの前の客が、低音がドンと鳴るたびに、椅子に座ったまま一斉に上下します。
 最後に、ドムは、このレストランにやって来たフィオナ(注8)と、レストランの端から端まで使ってタンゴを踊るのです。



 本作は、こうしたスラップスティックなギャグが、実のところ満載なのです(注9)。
 というか、本作においてストーリーは二の次であって、むしろ、そうしたギャグで出来上がっている作品と言った方が良いのかもしれません。
 ただ、こうしたギャグは、無声映画など古典的な映画の中で演じられる場合にはトテモ面白いと思うものの、本作のような現代物の映画の中でまともに演られると、酷くアナクロ的な感じがしてしまい、クマネズミは完全に引いてしまいます。

 それに、マーサとその友人のノーマン(注10:ピエール・リシャール)とが、墓地(注11)で、ベンチに座りながら足を使ってダンスを踊るシーンがあり、素敵だなと思うものの(注12)、どこかで見たことがあるかもしれないな、と思ったりしました。



 まあ、こうした作品は、つまらないことをぐたぐた言わずに、綺麗なパリの風景なども含めてサラッと見れば良いのでしょうが、最初のギャグの方で躓いてしまうと、あとの方はどうでも良くなっても仕舞います。

(3)中条省平氏は、「予期せぬ傑作、愛すべき映画である。ドタバタ喜劇の手法で大いに笑わせてくれるかと思えば、ほろ苦いユーモアで人生のままならぬ哀感を描き、しかし、生きる歓びをそっと謳いあげる。今夏、見逃せぬ一本だ」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
 伊藤恵里奈氏は、「「よく練られた深いユーモアの中にこそ、人生の真実が描ける」と語る2人。失業者や高齢者の自立の問題に触れながら、映像はカラフルで語り口は軽快だ」と述べています。



(注1)監督・脚本は、ドミニク・アベルとフィオナ・ゴードン
 原題は「Paris Piedes Nus」(パリを裸足で)。英題が 「Lost in Paris」(パリで迷子に)。

 なお、出演者の内、エマニュエル・リヴァは『愛、アムール』で見ました。

(注2)これと同じような場面は最後の方でもう一度繰り返されますが、その時は手紙ではなく、パリにいるフィオナからの電話です。

(注3)「シテ駅」に通じる地下道。

(注4)セーヌ川にかかるドゥビリ橋

(注5)ドムは、セーヌ川中洲のシーニュ島(例えばこの記事)の空地で、小さなテントを張って暮らすホームレスです。
 なお、上記の「注3」~この注、及び下記の「注11」は、公式サイト掲載の「STORY」によります。

(注6)ドムが、どんどん釣り糸を手繰っていくと、その先に、川の中に落ちた時に体から離れてしまったフィオナのリュックを見つけることになります。

(注7)上記「注6」で触れたリュックの中に入っていたバッグを開けると、中にはフィオナのお金が入っていました。ドムは、リュックの中に入っていたフィオナのセーターを着て、さらにフィオナのバッグを肩にかけ、そしてフィオナのお金を使ってレストラン・マキシムに入ります。

(注8)フィオナは、セーヌ川に落ちて持ち物をすべて失ってしまったために、在仏のカナダ大使館に行って事情を説明します。涙を流すフィオナに同情した大使館員は、彼女に食事券をわたします。フィオナはそれを使ってマキシムに入ることになります。

(注9)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事の中で、ドミニク・アベル監督は、「シンプルなアイデアを身体的な演技で埋めていくわけです。身体を通じて物語を見出していくのです。ですから私たちは、身体というのは頭よりも賢い場合がある、とよく言っているんです」と述べています。

(注10)どうやら老人ホームから彷徨いでてきた感じで、職員がノーマンを探しています。
なお、同じ老人ホームの介護士の女性が、マーサおばさんを探してもいます。

(注11)ペール・ラシューズ墓地

(注12)何しろ、本年1月に亡くなってしまうエマニュエル・リヴァが、画面では元気にマーサおばさんを演じてダンスを披露しているのですから。



★★☆☆☆☆



象のロケット:ロスト・イン・パリ

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ローサは密告された

2017年08月25日 | 洋画(17年)
 フィリピン映画『ローサは密告された』を渋谷のシアター・イメージフォーラムで見ました。

(1)主役の女優がカンヌ国際映画祭で女優賞を受賞したというので、フィリピン映画は初めてですが、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭は、スーパーで、自分の店用の商品を買っている主人公のローサジャクリン・ホセ)と次男のカーウィンジョマリ・アンヘレス)。
 ローサは支払いをしますが、店員が「釣り銭がない」「小銭を切らしてしまった」と言うので、「こんな大きな店なのに?」「困る」と言い返します。でも、店員が「すみません」と謝るので、仕方なく、代わりに飴を幾つかもらって店を出ます。
 ローサが「タクシーひろって」と言うので、大きな袋を手にしたカーウィンが、近くにいた少年のボンに頼むと、ボンはタクシーを導いてきます。
 カーウィンがチップとして飴をボンにやると、ボンは「くそったれ!」と呟きます。

 タクシーの中でローサはもらった飴を口にします。
 しばらくすると稲光がして、雨が激しく降り出します。
 ローサは、スラム街に入る路地の入口で、運転手に「そこを左に曲がって」と言いますが、運転手は「行き止まりだ」「歩いていくしかない」と応じ、ローサは「ここで降ろされても困る」と文句を言いながらも、料金の150ペソを支払って車を降ります。

 土砂降りの雨の中、ローサとカーウィンは、傘をさしつつ大きな荷物を抱えて歩き出します。
 カーウィンは「重くて歩けないよ」と訴え、またローサも「あの運転手のせいでズブ濡れだ」と悪態をつきます。
 途中にあった屋台に入って雨宿りをし、ビニール袋に入った冷たい水を飲んでいると、長男のジャクソンフェリックス・ロコ)がやって来ます。
 ジャクソンがローサの荷物を持ち、3人が雨の中を家に戻ります。
 ただ、ジャクソンは、途中で、カラオケ機を貸している店に用事があると言って、2人から離れます。

 それで、ローサとカーウィンは、ようやく「Sari-Sari Store ROSA」の大きな看板のある家にたどり着きます。



 次女のジリアンイナ・トゥアソン)が出てきて、ローサたちの買ってきたものを陳列用のビンの中に入れたりします。
 ローサが「店番は誰が?」と訊くと、ジリアンが「誰も」と答えるので、さらに「パパは?」と訊くと、ジリアンは「アイス」と言います。
 ローサが「父さんの誕生日なのに」などと呟きながら、カーウィンに手伝い賃を手渡します。カーウィンは、それを手にすると、上着を着替えて外に出ていきます。

 ローサが2階に上がっていくと、寝室のカーテンの奥で、夫のネストールフリオ・ディアス)がアイスを食べてボーッとしています(注2)。

 この後、覚醒剤の売人のジョマール(クリストファ・キング)が、集金にローサの店にやってくるのですが、さあ、物語はどのように展開していくのでしょうか、………?

 本作は、フィリピン映画で、首都マニラのスラム街でたくましく暮らす主役の女性とその家族の様子を描いています。彼女は雑貨屋を営む傍らほそぼそと麻薬を売っているところ、それが警察に密告され、夫ともども逮捕されてしまいますが、云々という物語。実に貧しい暮らしぶりであり、また麻薬を取り締まっているはずの警察の腐敗ぶりも信じられないレベルです。そんな中にあっても家族の絆は強く、もしかしたら明日が信じられるのかもしれないと、思わせます。

(2)本作の舞台となっているフィリピンの首都マニラのスラム街は、『スラムドッグ$ミリオネア』で描かれたムンバイのスラム街とか『ワイルド・スピ-ド MEGA MAX』で描かれたリオ・デ・ジャネイロのファベーラなどと同じように(注3)、酷く貧しいながらも、また一方で活気に溢れた町でもあるようです。
 本作は、そんな中で生き抜く、いわば“肝っ玉母さん”とも言うべき、4人の子持ちのローサが主人公。
 ただ、ローサは、スラム街で雑貨屋を営んでいて、様々の商品を取り扱っているのですが、その中に覚醒剤も含めていたところから、警察に踏み込まれて、夫のネストールともども逮捕されてしまいます。



 本作では、警察署でローサが見た警官たちの凄まじく酷い有様が中心的に描かれます。
 なにしろ、警官がローサの店に踏み込んだのは、麻薬密売を取り締まるためではなく、捕まえたローサとネストールの保釈に必要な金を巻き上げるためなのですから。
 2人は、誰かに密告されたがために捕まったのですが(注4)、保釈されるためには、自分たちもまた密売人を密告しなくてはなりません。
 そればかりか、今回の場合は、それでも足りないとして、さらに5万ペソを要求されてしまいます(注5)。

 「そんな大金は支払えない」とローサは抵抗しますが(注6)、警官らは聞く耳を持ちません。
 それで、心配して警察にやって来た子供たちと相談します。
 長男のジャクソンは「家を売ればいい」などと言いますが、ローサは「そんなことをしたら、どこで暮せばいいの?」と強く反対します。
 そこで、家族がそれぞれのやり方で金策に走りますが、その姿からもまた、このスラム街の現状が垣間見られることになります。



 先ず、長男ジャクソンは、持っていたTV受像機を知人に買い取ってもらおうとしますが、いい値ではなかなか売れません(注7)。
 次男カーウィンは、驚いたことに、金を持っていそうな男に身を売るのです(注8)。
 長女ラケルアンディ・アイゲンマン)は、ローサが酷く嫌っている親戚の家に行って借金を頼みます(注9)。
 それでもまだ足りないので、最後に、ローサ自身が、娘の携帯を売って残りの金額を賄おうとします(注10)。
 こうした家族の頑張りがあって、ローサとネストールは釈放され、雨が降る中で、ローサは涙を流しながら肉団子(注11)を口にすることになります。

 言ってみれば、本作は、警察の腐敗をメインにしながらも、合わせて家族の絆(注12)といったものを描いた作品と言え、それぞれは映画でよく見かける事柄にしても、本作のように、雨が絶えず降る暗いスラム街を背景にして合わさって描き出されると、また独特の雰囲気が醸し出され、それに主演のジャクリン・ホセの肩肘をはらないどこまでも自然な演技が、見る者に深い感銘を与えます。

(3)渡まち子氏は、「本作が優れているのは、社会派のテーマを内包しながらも、家族の絆を描くドラマが秀逸で胸を打つからだ。何が何でも家族を守ると決めたローサの生命力と家族愛は、堕落しきった警察の姿と対をなして、鮮烈に記憶に残る」として80点を付けています。
 宇田川幸洋氏は、「最後まで、まちの騒音と人いきれにみちたなかを駆けぬけていくようなエネルギッシュな映画だが、ふりかえると古典的な構成の美もあり、ふと、名作「自転車泥棒」(1948年)を思い出させたりもする」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
 藤原帰一氏は、「ドゥテルテ大統領を生み、ドゥテルテ自身がそれを体現している、出口のないフィリピン社会の姿が、皮膚感覚で感じられる作品」と述べています。



(注1)監督はブリランテ・メンドーサ
 脚本はトロイ・エスピリトゥ。
 原題は「Ma' Rosa」(この記事によれば、「Ma'」は「Mom.」ということで、「mother」の短縮形ということになります)。

(注2)アイスとは覚醒剤のこと(例えば、この記事)。

(注3)他に有名なスラム街としては、『ナイロビの蜂』でも描かれた、ケニアの首都ナイロビの郊外に広がるスラム街キベラがあるでしょう(例えば、この記事)。

(注4)上記(1)で触れているボン(皆からは「ボンボン」と言われています)という少年が、自分の兄の釈放と引き換えに密告したようです。あとで彼は、ジャクソンに遭遇し、ボコボコにされます。

(注5)当初の警察官の要求額は20万ペソ(1ペソ=2円とすると、およそ40万円)。
 ですが、ローサが密告したジョマールが捕まって10万ペソ持っているとわかり、さらにその妻が見逃し料5万ペソを支払ったために、ローサらは残りの5万ペソを支払えば保釈されることになります。

(注6)例えば、フィリピンの一人当たりGDPは、2017年に82千ペソほど(この記事)なのですから。

(注7)この記事によれば、ジャクソンは、最後に「バランガイキャプテン」と呼ばれる男(本作で見た感じでは、派出所の警察官といった風情の男ですが←その男がいる事務所の中に留置所が設けられています)にTVを高い値段で買ってもらいます。

(注8)どうやら、カーウィンはこれが初めてということではなさそうです。
 なお、カーウィンは、相手の男が「給料そっくり渡した」というお金をすぐには受け取らず、なんとか粘ってその増額を図ろうとし、相手の男をATMまで連れて行って、金を引き出させます。

(注9)親類の女は、「私達がマニラに引っ越して来た時に何をしてくれた」「自業自得だと伝えておくれ」などと酷い言葉をラケルに投げつけますが、最後には金を貸してくれます(無論、返済など期待していないでしょうが)。

(注10)相手が「偽物だから、そんな金は出せない」というところを、ローサはなんとか頼み込んで必要額を獲得することに成功します(ローサに金を与える男は、上記「注7」で触れている記事が言う「ブンバイ」でしょうか?)。

(注11)公式サイトの「キーワード」の「フィリピンの屋台フード」によれば、「ラストシーンでローサが食べるのはキキアム。果物や酢を使ったソースにつけて食べる」とのこと。ただし、本作の映像からするとフィッシュボールのような気もしますが。

(注12)公式サイトの「ブリランテ・メンドーサ監督の制作ノート」に掲載の「映画の意図」によれば、同監督は、「悪い事をしたせいで捕らえられた家族の一員を助けるためなら、何でもするのか。社会の基本的な価値観を犯してでも。強いものしか生き残れない、それがどうしようもない現実であるような社会の中で、家族は道徳を踏み外してしまう」ことを本作が描いているように述べています。
 ただ、ローサとネストールを助けるために家族がしたことは、決して「道徳を踏み外して」いるようには思えないところです。尤も、カーウィンは男娼まがいのことをしていますが、これとても、腐敗した警察官の行為に比べたらそんなに強く非難すべきこととは思えないのですが。



★★★★☆☆



象のロケット:ローサは密告された

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彼女の人生は間違いじゃない

2017年08月22日 | 邦画(17年)
 『彼女の人生は間違いじゃない』をヒューマントラストシネマ渋谷で見ました。

(1)『さよなら歌舞伎町』の廣木隆一監督の作品というので、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、両側に街路樹が植えられている通りが映し出されます。
 全体に靄がかかっているところ、ライトを付けた車が正面から道路の真ん中をこちらに向かって進んできます。しばらくしてその車は停まり、中から防護服を来た男たちが10人ほど降り、周囲の道路を清掃し始めます。

 次いで、海岸の近くに建てられた仮設住宅の家々。その向こうは海岸となっていて、丁度朝日が上ってきます。
 仮設住宅の一つで、主人公みゆき瀧内公美)が時計の音で飛び起きます。
 ドアを開けて台所に行き、水を飲み、冷蔵庫を開けて水の入ったペットボトルを出し、炊飯器のご飯が炊き上がっているか確かめます。
 みゆきは、茶碗にご飯をよそって、小さな箪笥の上に置かれた母親の遺影写真の前に置き、手を合わせます。
 みゆきは「行ってくる。ご飯はできてる」と、寝ていた父親の光石研)に言います。修は、「ああ」と言いながら起き出して、タバコを吸います。

 みゆきは外に出て、駐車場に置かれている軽自動車に乗って、勤務先の市役所に向かいます。
 市役所では、みゆきはコピーをとっています。
 また、別の部署では、職員の新田柄本時生)が、相談に来た女性写真家の山崎蓮佛美沙子)に対応しています。
 山崎は、「いわきの風景を撮影しているが、中に入れない場所がある」と言い、それに対して新田は「許可が降りたら連絡します」と答えます。

 修は、玄関から外に出ると、隣に住む主婦の時子安藤玉恵)がいたので、「お早うございます」と挨拶したところ、彼女は慌てて家の中に引っ込んでしまいます。修は不審に思って、ガラス戸越しに隣家の中を伺います。

 その後、修はパチンコ店にいます。
 そばの席の男が「勝っても大したことはない。漁に出ていた頃は、1日何十万も稼げていたのに」と言います。

 修は家で夕食をとっています。
 修は、「美味くないんだな、これ」「美味かったなー、母ちゃんの枝豆」「修学旅行で仙台に行った時に母ちゃんに出会った」「同じテーブルになってなかったら、津波にさらわれることなんかなかった」言います。
 それに対し、みゆきは、「その話、何十回も聞いた」「いつもいつも、お母ちゃんの話ばかり」「仕事は?」などと応じます。
 修はしばらく黙っていますが、「うちは農家。他の仕事なんか出来るか」と呟きます。

 こんなところが本作の始めの方ですが、さあこれからどのように物語は展開するのでしょうか、………?

 本作は、東日本大震災で母親を亡くした女性が、福島いわき市にある仮設住宅で父親と暮らしつつ市役所に勤務しながらも、週末になると東京に出てデリヘル嬢になるという生活を送っているのに焦点をあてています。ただ、それだけでなく、二人を取り巻く人々の姿をも捉えて、震災後の被災地の有様、ひいては今の日本を描き出そうとしています。制作意図はわからないでもありませんが、他方で、沢山のエピソードが平板に並べられているという印象も受けてしまいました。

(2)本作では、3.11の津波に襲われた福島の人々の様子が色々描き出されています。
 例えば、みゆきと同じように市役所に勤める新田は、「両親は健在ですが、父親が営んでいた工場が津波で流され、補償はしてもらったものの、父親はその金で遊ぶし、母親は宗教に入って、家族はバラバラ」などとカメラマンの山崎に語ります(注2)。



 また、みゆきの隣家に住む夫婦ですが、ある時、妻の時子が首を吊ろうとしているのを見て、修は慌てて家の中に入って、「奥さん、ダメだよ!」と言って助け出します(注3)。

 勿論、主人公のみゆきも、厳しい状況に置かれています。
 例えば、みゆきは、週末になると東京に出かけ、バスの中とかトイレで着替えてデリヘル嬢になります。みゆきは、平日は市役所に勤務していますから、修との二人暮らしはなんとかなると思われますから、お金目当てではないでしょう。



 逆に、リスクがかなりあるように思われます。お客に暴力的に関係を迫られたりもしますし、また役所に知られたら退職を余儀なくされることでしょう。
 あるいは、そうしたリスクがあるからこそ、みゆきには生きている実感を覚えることが出来るような感じがして、自ら進んでデリヘル嬢になっているようにも思われます(注4)。

 また、みゆきの父親の修も、自治体側からの説明会に顔を出したりするものの、前向きに生きようとする気力が失せてしまっていて、田んぼは放ったらかしであり、受け取った補償金はパチンコ代として消えてしまっています(注5)。



 実際にも、福島で避難生活を送っている人たちは、東京で暮らすクマネズミには想像もつかないほど、それぞれ実に大変な思いをしていることでしょう。
 ただ、本作のように、色々なエピソードをこれでもかと盛り沢山に詰め込まれると、逆に、それぞれの話が平板なもののように感じられもしてきてしまいます。
 ここは、3.11にまつわるエピソードをもう少し刈り込んで集中的に描きこんだ上で、みゆきと修との父娘関係により焦点を当ててみたら、より印象的な作品に仕上がったのでは、と密かに思いました。

 というのも、最近見た『ありがとう、トニ・エルドマン』において、特異ながらも随分と魅力的な父娘関係が描き出されていたからでもあります。
 同作では、グローバル企業に努め外国で働く娘のことを心配して、いろいろな手立てを通じて娘の傍にいようとする父親の姿は、幾分コミカルに描かれてはいるものの、娘のことを思う父親の気持ちがよく伝わってくる感じがします。

 他方、本作では、デリヘル嬢を勤めなど、娘・みゆきの方が特異な行動を取るものの、父親・修の方は、毎日をボケッーと漫然と過ごしている感じであり、娘のことをどう思っているのか、よくわからない感じがしてしまいます。
 デリヘル嬢として東京に行く際、みゆきは修に、英会話学校に行くと言っているようですが、果たして修はその説明を信じているのでしょうか?
 また、みゆきは、以前付き合っていた山本篠原篤)と再会しながらも別れてしまいますが(注6)、修は山本のことをどの程度知っているのでしょう?
 修にしてみれば、最愛の妻を津波で失ってからはもぬけの殻となって、みゆきのことなどかまっていられないのかもしれません。
 でも、年頃の娘のことについて心配しない親がいるとも思えないところです。
 みゆきは、修に対して、「父さん、田んぼは?」「仕事探した?」などと厳しいことを言いますが、修の方から、みゆきのことを心配する言葉が、本作には見られないように思われます(注7)。

 それに、みゆきには、山本以外にも交友関係があるはずです(注8)。また、修にだって友人関係や親族関係があるように思います。
 本作で描かれるみゆきと修の父娘関係は、世間から隔絶したところでごくひっそりと営まれているように見えながらも、お互いに突き放しているような雰囲気でもあり、どうも特異な感じがしてしまいます。

 ラストで、修は耕運機で田んぼを耕していますが、みゆきの方は、相変わらず上記(1)に記したように炊飯器でご飯を炊いています。はてさて、みゆきは今後どうなるのでしょうか(注9)?

(3)渡まち子氏は、「これは5年間の日常の絶望と希望が積み重なってできたストーリーなのだ」として75点を付けています。
 日本経済新聞の古賀重樹氏は、「虚脱感はこの国に満ちている。無人の街、壊れた原発、積み上がる除染廃棄物など、荒涼とした福島の光景は、まぎれもなく今のこの国の姿だ。この映画には等身大の被災者、そして等身大の日本が映っている」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
 秦早穂子氏は、「冷静で的確な人間描写の導入部に比べ、終盤、人生間違っていなかったと、なぜか性急に結論づけようとする。そこに、一方的な男の視線がちらつくのだ。震災以外にも、さまざまな理由で心の闇を封印し、辛うじて立ち続ける女たちがいる。みゆきは、もう、作者を離れ、ひとり歩み始めている。ここは、そっと見守ってほしかった」と述べています。
 毎日新聞の木村光則氏は、「東北の人々はあまり感情を露わにはしない。だからこそ心の奥深くに沈殿する悲しみや喪失感を俳優たちが情感豊かに表現し、廣木監督が映像と音楽ですくい取った。そして最後に、再生に向けた一筋の光が差し込んでくる」と述べています。



(注1)監督は、『さよなら歌舞伎町』や『娚の一生』などの廣木隆一
 脚本は、『エヴェレスト 神々の山嶺』などの加藤正人
 原作は、廣木隆一著『彼女の人生は間違いじゃない』(河出文庫)。

 なお、出演者の内、最近では、瀧内公美は『日本で一番悪い奴ら』、光石研は『海賊とよばれた男』、高良健吾は『シン・ゴジラ』、柄本時生は『超高速!参勤交代 リターンズ』、篠原篤は『恋人たち』、蓮佛美沙子は『白ゆき姫殺人事件』、安藤玉恵は『僕だけがいない街』、麿赤兒は『駆込み女と駆出し男』で、それぞれ見ました。

(注2)さらに、新田には幼い弟がいますが、その夕食は、行きつけのスナックのママに作ってもらったりしています(母親がほとんど家にいないため)。
 また、老夫婦に新しく出来た墓地を紹介しますが、その夫(麿赤兒)が「先祖の骨をここに移せるのか?」と尋ねると、「汚染されていますから、骨は無理です」と答えてしまい、酷く怒られます(ただ、その夫は、秘かに新田に「婆さんが、ガンで長くないので墓は必要なんだ」と告げ、新田の方も「骨の件は、役所に戻って検討します」と約束します)。
 ただ、新田には、色ロエピソードが割り当てられていますが、彼の交友関係とか女性関係といった個人的な側面は、ほとんど描かれていないように思われます。

(注3)修は、病院から、東電の職員らしい(はっきりとはわかりません)夫の政明戸田昌宏)に電話して、すぐに来るよう求めますが、政明は「だいぶ塞ぎ込んでいましたので、心配はしていました」「仕事の都合で、すぐにそちらに行けないんです」「どうかしばらく見ていてください」「頼める人がいないんです」と答えます。
 そして、しばらく時間を置いてやって来た政明は、修に、「汚染水の処理をしてから、風当たりが強くなって」「仕事で、月の半分以上家に居られなくて」「母親は施設に預けました」「身を削っても、働かなくてはいけないのです」「私、なにか悪いことをしたのでしょうか?」「どうして肩身の狭い思いをしなくてはならないんでしょう?」などと言います。

(注4)みゆきは、渋谷にあるデリヘルの事務所で出会った三浦(デリヘル嬢の送迎用の車を運転したり、用心棒だったりもします:高良健吾)に、「あんたには無理」と言われながらも、彼の前で全裸になって意気込みを示すことで、なんとか採用してもらいます。



(注5)さらに、修は、説明会で知り合った男・五十嵐波岡一喜)に、壺を売りつけられそうになったりします(修は、その場をなんとか切り抜けますが、あとで仮設住宅を五十嵐がうろついているのを見つけ、「ここはあんたが来るところじゃない」と言うと、キレた五十嵐に逆に、「補償金でパチンコしていながら!」と言い返され蹴り倒されてしまいます)。
また、修は、津波でさらわれた妻のことがどうしても忘れられず(遺体は見つかっていません)、帰宅困難地域内にある自宅に戻って、タンスから妻が来ていた洋服を何枚も取り出して紙袋に詰め、海に船を出してもらって、「母ちゃん、寒いだろー」と言いながら、その洋服を海に投げ捨てます。

(注6)みゆきと山本は、震災の時、「のんきにデートしていていいのかな?」と山本が言って別れましたが、山本が考えを改め、「好きな人とデートしている方が大事なんだ」と思うようになって、再度会うことになります。そして、デートした時に、みゆきは「以前と同じに出来たら付き合う」と言い、2人はホテルに行きますが、みゆきがデリヘル嬢をやっていると告白して(「黙っていようと思ったが、なかったコトにできない」「嫌でしょ、彼女がデリヘル嬢なんて」)、山本は「俺は平気だよ」と言うものの、結局2人は別れてしまいます。

(注7)尤も、修は、東北の人にありがちな寡黙な男であり、例え心で思っていても、口にできないタイプなのかもしれません。でも、それにしても、何か一言あってもしかるべきでは、と思うのですが。

(注8)それに、大部分の時間を過ごす市役所において、みゆきは、どんな仕事をどのようにしているのでしょうか?

(注9)みゆきは、劇団員としての三浦と話ができて吹っ切れた感じですが、それでもさしあたりは子犬を飼うようになったくらいであり、その他は何も変化がないように思われます。



★★★☆☆☆



象のロケット:彼女の人生は間違いじゃない

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ボン・ボヤージュ

2017年08月18日 | 洋画(17年)
 『ボン・ボヤージュ~家族旅行は大暴走~』をヒューマントラストシネマ渋谷で見ました。

(1)フランスのコメディ映画と聞いて、映画館に行ってみました。

 本作(注1)の冒頭は、夫婦の寝室の場面。
 突然、時計のベルが鳴り響き、慌てて飛び起きた夫のトム(美容整形外科医:ジョゼ・ガルシア:注2)が、ベッドから転がり落ちます。
 そして、目が覚めて、妻のジュリア(精神科医:カロリーヌ・ヴィニョ)に向かって、「お早う、夏休みだ、起きているかい?家族旅行だ!」と言います。
 ですが、3人目の子供を妊娠中でお腹の大きなジュリアは、寝惚けてトムの顔にパンチを入れてしまいます。トムは「運転できるかな?」と弱気になるものの、気を取り直して、「朝食食べたら出発だ」と子供たちを起こそうとします。
 でもなかなか起きてこないので、トムが「起きないやつは置いていく」と言うと、娘のリゾンジョゼフィーヌ・キャリーズ)が顔を出して、「嬉しい、独りになれる」と応じます。

 ジュリアが「5分後に出発」と言った途端に、玄関の呼び鈴が鳴ります。
 ジュリアがドアを開けると、トムの父親のベンアンドレ・デュソリエ)が立っています。
 ジュリアが「なぜ、お義父さまがここに?」と訝りますが、トムは「1週間だけ一緒に。この前話したろ?」と言います。すると、ジュリアは「聞いていたら忘れるはずがない」「よくも勝手に」「この前、お義父さまを助手として雇った時も、1週間だけと言ったことがある」と猛烈に怒ります。

 それでも、ベンを追い返すわけにもいかず、5人は荷物を車に乗せて出発しようとします。
 すると、一番小さなノエスティラノ・ルカイエ)が「水中銃を忘れた」と言い、ベンも「小便するのを忘れた」と言うので、トムは「わかった」と応じて車を停め、水中銃を探しに家に戻ります。
 ベンも家に戻ってトイレに入ります。
 ただ、誤ってトイレットペーパーのロールをいくつも便器の中に落としてしまいます。そのまま水を流そうとしたところ、水が止まらなくなってしまい、ベンは慌ててロールを取り出そうとしますが、上手くいきません(注3)。水中銃を探すトムが近づいて来そうだったので、ベンは便器の蓋を閉めてトイレから出て車に戻ります。トイレでは、便器から水が外に溢れ出しています。

 そんなこんなで、やっと車は出発し、高速道路を走ります。



 車の中では、皆で歌を歌ったりします。
 ベンがリゾンに「将来の夢は?」と訊くと、リゾンは「精神科医。だけど、ママとは違って刑務所の精神科医になりたい」と答えます。

 途中のガソリンスタンドで、置いてきぼりを食らった女・メロディーシャルロット・ガブリ)を、ベンは、トムやジュリアに相談せずに車の中に引き入れます。

 こんなところが本作の始めの方ですが、さあこれからどんな物語が展開するのでしょうか、………?

 本作は、新車を購入して家族旅行に出かけた一家が引き起こす大騒動を描いたコメディ作品。なにしろ、時速160キロで飛ばす車のコントロールが効かなくなってしまうのですから、大変です。通常なら、そんな暴走車に乗リ合わせたら、誰も青ざめて口もきけなくなるでしょうが、本作の一家は逆に超ハイテンションになるのですから、凄まじいものがあります。IT社会に対する批判もあるのかもしれませんが、なによりも、初めからおしまいまで笑って楽しめること請け合いの作品です。

(2)本作は、高速道路に入って、クルーズコントロールの機能を使って、当初時速130キロで走行していたところ、何らかの原因でその機能が故障してしまった車(注4)を巡るお話です。
 ブレーキを踏んでも減速できなくなったため(注5)、ベンが「逆のことをしてみたら」と提案します。それで、トムがアクセルを踏んで速度を上げてみると、なんと走行速度160キロにクルーズコントロールが設定されてしまい、そのまま停まらなくなってしまいます(注6)。
 車を購入した販売店のディーラーのダニエリジェローム・コマンドール)に連絡すると、「ブレーキを強く踏め」との指示だったので、トムとベンが一緒になってブレーキを強く踏むと、車が停まらないばかりか、ブレーキペダルが折れてしまうのです。

 こんなコントロールが効かない暴走車というと、最近作で思い出されるのが、自動車ではありませんが『アンストッパブル』でしょう(注7)。
 同作においては、危険物資を積載する39両もの貨物車を牽引する最新式ディゼル機関車が、運転手なしに暴走し続け、そのままだと脱線して町に突っ込み危険物資を周辺に撒き散らすおそれがあるために、なんとかストップさせるべく、後ろから旧式の機関車で主人公(デンゼル・ワシントン)と新米車掌が追いかけるというストーリーになっています。

 本作と同様に、同作はハラハラ・ドキドキの連続といえる作品ですが、両作の大きな違いは、本作がコメディ作品であるのに対し、同作はシリアスな作品だという点でしょう。

 なにしろ、本作の車が時速160キロで暴走しているにもかかわらず、その車内では次々におかしな騒動が起きるのですから。
 例えば、車に乗っている老夫婦からトムに電話が入ります。夫(フィリッペ・ローデンバッハ)が、「妻のサーシャベアトリス・コンスタンティーニ)が受けた昨日の注射について聞きたい」「顔が腫れ上がっている」「拒絶反応では?」と言います。これに対し、トムは「2日間ぐらいは、そうした反応が起こりえます」といい加減に答えます。でも本件にはベンが関係しているようなのです(注8)。



 また、ベンが「生まれてくる子供の名前を教えてくれ」と頼むと、トムは「秘密」と言って断りますが、更にベンが「アダムだろう?」と訊くと、トムは「ギャスパーだ」と答えてしまいます。このやり取りを聞いていたジュリアは、「秘密にしておくと約束したのに」と怒り、「パリに引き返して」と言い張ります。

 さらに、車内ばかりでなく、その外も、おかしな雰囲気が漂っています。
 例えば、本作の暴走車が、停車中のBMWの傍を通過する際に、開いていたフロントドアを壊してしまいますが、BMW命の男・ジャキーウラジミール・ホバート)が狂気にかられてしまい、執拗に暴走車を追いかけます(注9)。



 また、高速道路を監視している交通警察も、ずいぶんとのんびりしています(注10)。

 総じて、本作には、他愛ないエピソードが沢山詰め込まれている感じで、IT社会に対する警鐘という面もあるのでしょうが(注11)、笑って愉しめば十分というところでしょう。

(3)渡まち子氏は、「「世界の果てまでヒャッハー!」のニコラ・ブナム監督の作品にしては、やや消化不良。それでも家族の絆は強まったのだからヨシとしよう」として50点を付けています。



(注)監督はニコラ・ブナム
 脚本はフレデリック・ジョルダンら。
 原題は「À fond 」(英題は「Full Speed」)。

 なお、ベンを演じたアンドレ・デュソリエは『美女と野獣』(2014年)で見ました。

(注2)劇場用パンフレット掲載のコラムで杉山すぴ豊氏が指摘しているように、トムに扮するジョゼ・ガルシアは、実にロバート・ダウニー・Jrにそっくりなので驚きます。そして、同氏は、「明らかにこの映画は、『アイアンマン』のパロディになっている」とまで述べています。

(注3)常識的には、便器からロールを取り出すことなど簡単と思えるものの、この場合、ベンが大慌てだったので上手くいかなかったのでしょう。仕方なくベンは元栓を閉めようとしますが、元栓自体を壊してしまうのです。
 なお、後で、マンションの階下の住人(画家)が、ジュリアに水漏れを電話で知らせるのですが、それはそれで別の騒動を引き起こします。

(注4)車種は「メンドゥーサ」とされているところ、劇場用パンフレットに掲載された田中むねよし氏のコラム記事によれば、「わざわざ映画のために既存のクルマ(メルセデスVクラス)の顔付きを改造して変更している」とのこと。

(注5)Wikipediaの記事によれば、「一般にクルーズコントロールは、ドライバーがブレーキペダルかクラッチペダルを踏むことや、解除ボタンを押すことによって解除される」とのこと。

(注6)運の悪いことに、家族旅行するというので、事前にガソリンを満タンに入れてありました。

(注7)なお、劇場用パンフレット掲載の対談「轟夕起夫&平田真人の映画兄弟、暴走パニック映画トーク!」には、『スピード』とか『新幹線爆破』など類似の作品がたくさん挙げられています。
 ただ、『スピード』(1994年)にしても『新幹線爆破』(1976年)にしても、本作のように、ブレーキが効かなくなってとまらなくなって暴走するというわけではありません(どちらも、「走行速度が80km/hを下回ると爆発する」という設定がとられています)。

(注8)サーシャの腫れは治まるどころか、次第に酷いものになってしまいます。どうやら、ベンがトムに内緒で、安い中国製のボットックス注射液に代えたために(差額をベンは自分の懐に入れたのでしょう)、サーシャの顔が腫れ上がってしまったようなのです。

(注9)誤って、ベンの小便の入った袋を顔にぶつけられるなど、ジャッキーは散々な目に遭わされます。

(注10)交通警察の本部は、監視カメラを通して大変な状況を把握しているにもかかわらず、隊長のペトン(フローレンス・フォレスティ)は、卓球のことしか頭になく、いい加減な指示を与えたりします。
 また、後でこの暴走車に伴走することになる2台の白バイにまたがる男女の警察官は、暴走車が通過した時は、木の茂みでよろしくやっていた最中でした!

(注11)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事において、東京大学先端科学技術研究センター教授の稲見昌彦氏は、「この映画のようなAIのトラブルって、実際に起こり得るんでしょうか?」との質問に対し、「さすがにブレーキが効かなくなるというのは、ありえない(笑い)」と答えています。ですが、世の中、起こり得ないとされたことが実際には起きてしまうことがよくあるのではないでしょうか?そういう意味で、本作のような暴走車についても、簡単に笑って済ませないのではと思われますが。



★★★☆☆☆



象のロケット:ボン・ボヤージュ 家族旅行は大暴走

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夜明け告げるルーのうた

2017年08月16日 | 邦画(17年)
 少々前のことになりますが、『夜明け告げるルーのうた』をTOHOシネマズ新宿で見ました(注1)。

(1)フランスで開催されたアヌシー国際アニメーション映画祭で、クリスタル賞を受賞した作品だと聞いて、映画館に行ってきました。

 本作(注2)の舞台は、寂れた漁港の町の日無町(注3)。
 朝、本作の主人公の足元カイ(声:下田翔大)は、目を覚ましパソコンを開いて、自分がネットに投稿した音楽作品「assemble music」を再生しますが、コメント欄に「すげえじゃん、足元か?」などという書き込みがあるのを見つけます。

 それから、カイは階下に降りて、祖父(声:柄本明)や父親・照夫(声:鈴村健一)と朝食を食べます。
 照夫が「夏期講習申込んだのか?」と尋ねると、カイは「うん」と生返事をして、学校に行くために家を出ます。
 町内放送のスピーカーから、「皆様お早うございます。本日2時より公民館で3度目の“活きじめ”ワークショップを行います」などの声が流れます。

 しばらくすると、中学校のクラスメイトのユウホ(声:寿 美奈子)とクニオ(声:斉藤壮馬)が、カイに向かって「お早う」と言いながら集まってきます。



 ユウホが「今の放送は、伊佐木先輩。あたしも、この町出なきゃ」と言います。
 そして、ユウホが「足元君、バンドやろうよ」と言うと、クニオも「お前のテクニック知らなかった」「やっぱ東京生まれだからな」とユウホに同調すると、カイは「楽器できないよ」と答えます。
 それに対し、クニオが「打ち込みでいいから」と応じると、カイは「音楽は単に暇つぶし」「そんなに好きじゃないんだ」と難色を示します。
 それでも、ユウホは「秘密の島でこっそりやっているんだ」と、カイの参加を促します。

 教室では、担任が、進路についての調査票を生徒から回収します。
 ユウホがカイに「どこにした?」と訊くと、カイは「書いてない」「行きたい高校なんてない」と答えます。それを聞いたユウホは、「カッコいい!」「あたしもそうする」「あっ、ボールペンで書いたから消せない」と騒ぎます。

 カイは学校から帰宅します。
 家に入る際に、カイ宛の手紙(注4)をポストから抜き取り、舟屋の2階にある自分の部屋に持っていき、封は切らずに箱の中にしまい込み、自分で作曲した曲を再生します。
 その時、カイは海の中に人魚らしきものを見ます。
 カイは部屋にあった古い本を読みます。そこには、「古来、日無湾には人魚が出ると言われた」など、日無の人魚のことが書かれています。

 それからは、カイが音楽を部屋で聞いていると、海水の中から人魚(声:谷 花音)が現れ、自分のことは「ルー」だと言い、「みんな仲良し」と言って踊り出したりします。



 こんなところが本作の初めの方ですが、さあそれからどのような物語が綴られるのでしょうか、………?

 本作は、大層元気で活発で音楽好きな人魚の女の子のルーと、ふさぎがちながら豊かな音楽性を備えた少年カイとの出会いと別れを、素晴らしく斬新なアニメーションで描き出しています。流れてくる音楽に身を浸すのも良し、スクリーンに映し出される色彩に溢れた世界に見とれるも良し、なかなか良く出来たアニメではないかと思いました。

(2)本作については、いくつかの特色を挙げることが出来るでしょう。
イ)主人公のカイについては、比較的複雑な性格付けがされています。
 すなわち、カイは、もともとは東京生まれで東京で暮らしてきましたが、家庭の事情で日無町に移り住んできました。そのためもあって、周囲になじまず心を閉ざしていて(注5)、大部分の時間は部屋にこもっています。
 と言っても、上記(1)にあるように、完全な引きこもりというわけではなく、音楽には心を開いていて、作曲したものをネットに投稿しており、またユウホやクニオのバンドに、嫌々ながらも参加したりするようになります。

ロ)カイが動き回る環境は、大層しっかりと描きこまれています。
 例えば、カイが住んでいる家の母屋は木造の3階建で、1階は貸船屋「つり船 あしもと」であり、なおかつ傘も売っているようです。また、2階は居間で(カイと祖父と父親が食事をしたり、祖父が傘の内職をしたりします)、3階が寝室になっているのでしょう。
 さらに、母屋は傾斜地に建てられているので、2階に玄関が設けられています。
 そして、この母屋の狭い通りを挟んで向かい側に舟屋(1階部分に船が置かれていて、2階部分をカイが自分用に使っています)があります(注6)。

ハ)カイを取り巻く登場人物も、そんなに単純ではありません。
 カイの父親は、離婚して故郷の日無町に戻って、水産会社に勤めています。でも、全く向いていない仕事に就いているために、大変なようです(注7)。
 また、カイの祖父は、酷い頑固者(注8)で、貸船屋を営むだけでなく、母屋の2階の居間で内職の傘張りをします(注9)。
 ユウホは、町一番の水産会社(カイの父親が勤務)の社長(声:チョー)の一人娘。快活ながらも、いまいち自分に自信がない感じです(注10)。
 クニオは、町の神社の神主の息子。元気一杯ながらも、神主を継ぐことにプレッシャーを感じてもいるようです。

 こうしたことをバックに、もう一人の主人公のルーが登場します。



 ルーには、天真爛漫で可愛らしい女の子というような、むしろ単純な性格が与えられています。ですが、カイ及びその周囲が、ルーとは対比的にリアルに描かれていることもあり、ルーの持つ人魚であるというファンタジー性が一層増すように思えます。

 さらに、そのファンタジー性の増幅に寄与したのが、「フラッシュアニメ-ション」で全編が制作されている点ではないかと思われます。特に、最後の方の津波が日無町を襲う場面などで、その特色が生かされているように思います(注11)。

 ただ、全体として女性の登場が少ない感じもするところです。
 勿論、主人公のルーは人魚ながらも女の子ですし、またカイのクラスメイトのユウホも活躍はします(注12)。ですが、他方で、カイの家族には祖母はいませんし、母親とも離れています。それに、ルーのパパ(声:篠原信一)は登場しますが、ママは見当たりません(注13)。

 まあ、そんなところはどうでもよくて、本作で重要な位置を占める音楽については、ユウホらのバンド「セイレーン」が演奏する曲が、映画を見ている方までもワクワクするような躍動的なものですし、何回か本作の中で歌われる斉藤和義の「歌うたいのバラッド」もとても素晴らしい曲です。

(3)渡まち子氏は、「映画を難しく見る必要など、ないのだ。ボーイ・ミーツ・マーメイドの本作は、鬼才・湯浅政明の新境地に見えて、原点なのかもしれない」として70点を付けています。
 毎日新聞の最上聡氏は、「音楽が重要な位置を占め、絵柄はかわいく、物語は実に王道だ。では、どこかで見たかと問われれば何かひっかかる。登場人物の叫びに真実味がある」と述べています。



(注1)下書きを書いてしばらく放っておいたら、10月にはDVDが販売されるということなので(この記事)、不十分な内容ながらも、慌てて本ブログに掲上することといたしました。

(注2)監督は、『夜は短し歩けよ乙女』の湯浅政明
 脚本は、『聲の形』の吉田玲子と湯浅政明。
 英題は「Lu over the wall」。

(注3)劇場用パンフレット掲載の湯浅監督と脚本の吉田氏の対談記事において、吉田氏は、「湯浅さんの構想に、すごく大きな岩があって日が当たらないという設定があったので、名前もそのままわかりやすく「日が無い町」にしました」と述べています。

(注4)その手紙は、父親と離婚したカイの母親からのもの。
 母親は、ダンサーとして東京でなおもやっていこうとして、故郷に帰るという夫(カイの父親)と離婚したようです(「どうして母さんと別れたの?」と尋ねるカイに対し、照夫は「ここが好きなんだ」と答えます)。

(注5)上記「注3」で触れている対談記事において、湯浅監督は、「吉田さんが「これはカイくんが貝のように閉じて、それが開くお話ですよね」とおっしゃってくれたんです」と述べています。

(注6)上記「注3」で触れている対談記事において、湯浅監督は、「カイの部屋がある舟屋は「伊根の舟屋」という京都にある建物からとっている」と述べています。

(注7)カイが家に戻った時、父の照夫が「どこに行ってた?」と訊くものですから、カイは「クニオんち」と答え、さらに「父さんも、バンドやってたんだよね」と言います。こんなことからすると、照夫は、ミュージシャンを目指していたようです。でも、照夫は絵画音楽をやることに反対なようで、「勉強しないと、いい就職が出来ないぞ」と言います。

(注8)母親が人魚に噛まれて亡くなったとして人魚を酷く恐れています。
 カイにも、「絶対に海に近づいてはいけない」と口うるさく言います。

(注9)上記「注3」で言われているように、日無町が「すごく大きな岩があって日が当たらない」のであれば、祖父が傘を作っても売れないのではと思われるのですが。
 とはいえ、町の商店街の上空が傘で一杯になるシーンはトテモ綺麗でした!

(注10)ユウホの祖父は、人魚島に「人魚ランド」を作りますが、失敗しています。
 なお、その島で、ユウホとクニオとカイは、バンド「セイレーン」の練習をします。

(注11)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事において、「サイエンスSARU」に所属するアベル・ゴンゴラ氏(フラッシュアニメーター)は、フラッシュにある「シェイプトゥイーン」という機能を使って「ゆらめくような水の表現が多用できた」、「特にルーの髪がいつも水でゆらゆらしている描写には、ずっとこの機能を使っています」などと述べています。

(注12)さらには、タコ婆(声:青山穰)も登場しますが。
 なお、タコ婆の若い時分に恋人だった男が海で死んだのは人魚のせいだと思い込んで、人魚を酷く憎んでいます。

(注13)「ママは?」と尋ねるカイに、ルーは「食べられた」と答えます(それに対して、カイは「俺もママはいない。小さい時に出ていった」と応じます)。
 なお、ルーのパパは、外見がサメの人魚ながら、バリっとした背広を着て、日無町の住民にも受け入れられているようです。でも、日無町には、カイの祖父を始めとしてアンチ・人魚の住民がかなりいるはずで、どうして受け入れられているのかよくわからない感じもします。



★★★★☆☆



象のロケット:夜明け告げるルーのうた

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銀魂

2017年08月14日 | 邦画(17年)
 『銀魂』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)小栗旬の主演作であり評判も良さそうなので、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭の舞台は、江戸の町。ビルが立ち並び、宇宙船が飛んでいます。
 志村新八(注2:菅田将暉)のナレーションで、「侍の国。それは今は昔のこと」「20年前に、宇宙船がやってきた」「僕らは彼らを天人(アマント)と呼んだ」「かつて、天人を排除しようと攘夷戦争が勃発した」「だが攘夷の志士らは敗れた」「天人は廃刀令を出し、侍は衰退した」。

 次いで、場面はファミレス。
 新八はレジ打ちしていますが、うまく操作ができないので、店長(やべきょうすけ)が「だから違うんだよ」「レジ打ちは、チンパンジーでもできる」と怒ります。
 それに対し新八は、「剣術しか学んでこなかったもので」と言い訳しまが、店長はさらに怒って、「今の江戸じゃあ、剣は何の役にも立たないんだ」と新八を殴ります。
 客のチャトラン星人(注3)が「おやじ、ミルクを」と注文します。
 店長がミルクを2つ用意して、「チャトラン星人様にお持ちしろ」と言うと、新八はそれを持って客席へ。
 すると、近づいてきた新八を、チャトラン星人は足を出してつまずかせ、その拍子にミルクがチャトラン星人の服にかかってしまいます。
 店長は「とにかく謝れ」と新八に言いますが、怒ったチャトラン星人に新八は突き飛ばされてしまいます。

 そこに登場するのが本作の主人公の坂田銀時(注4:小栗旬)。
 新八を突き飛ばしたチャトラン星人に跳び蹴りを食らわせます。
 すると、銀時が腰に刀を差しているのを見た別のチャトラン星人が、「貴様、廃刀令違反だ」と叫びます。
 これに対し、銀時は「木刀ですよ」と答え、さらに「てめえラらが騒ぐからチョコレートパフェがこぼれちまった」「医者に血糖値高いと言われて、週一しか食えねえんだ」と木刀で殴りつけます。
 それから店長に「パフェだけど、コンフレークの割合が高すぎる」「クリームとアイスの割合を高くして」と言って、その場を立ち去ります(注5)。
銀時はスクーターで江戸の町を走ります。
 新八のナレーションが「坂田銀時と言われた男」。
 そして、各国語で表示された「坂田銀時:小栗旬」がテロップで流され、加えて小栗旬の歌までも。

 堪りかねた新八がCGキャラクターとして登場し、「何なんですか?このオープニングVTR。あんたしか出てこないんだ」と怒ると、銀時が「だって主役だから」と答えます。
そこに中国服の神楽(注6:橋本環奈)も登場し、「最後の方は読めなかった」と言うと、銀時は「ハングルとかアラビア文字」と答えます。

 こんなところが本作の初めの方ですが、さあこれからどんな物語が展開されるのでしょうか、………?

 本作は、「週刊少年ジャンプ」連載の空知英秋の漫画を実写化したもの。舞台は江戸幕府末期の江戸。近藤らの「真撰組」と、高杉らの「鬼兵隊」、それに桂や主人公の坂田銀時らが入り乱れて争います。とはいえ、なにしろプロローグ後の本編が、普通にカブトムシを獲りに来た主人公らと、逃げた将軍様のペットのカブトムシを追いかける真選組の連中とが遭遇するというところから始まるくらいですから、後は推して知るべし。まずまず面白いコメディに仕上がっているなと思いました。

(2)本作には、見ていて楽しい場面が色々含まれています。
 例えば、本作の本編が始まると、「カブト狩りじゃー!」と叫んで、銀時と新八と神楽が捕虫網を持って、一緒に森の中に入っていきます(注7)。



 すると、将軍が飼っていて逃げ出してしまったカブトムシの「瑠璃丸」を捜索している「真選組」に出くわしますが、その「真選組」の幹部の格好には呆気にとられてしまいます。
 なにしろ、局長の近藤勲(中村勘九郎)はハチミツでカブトムシを集める作戦をとり、副長の土方十四郎(柳楽優弥)は木にマヨネーズを塗ってカブトムシを呼び寄せようとし、沖田総悟(吉沢亮)はカブトムシの着ぐるみを身にまとってカブトムシを捕まえようとしているのですから!
 特に、褌一つでハチミツを全身に塗って樹木のように立っている中村勘九郎の役者魂には魂消ました。
 こうしたナンセンスなシーンは、原作を知らないクマネズミであっても、想像力で補ったりして随分と楽しめます。

 さらに、飛んでいる黄金のカブトムシ「瑠璃丸」を、銀時らの3人組と真選組が追いかけていると(注8)、桂小太郎(岡田将生)が登場し、何人もの真選組を打ち倒してしまいます。
 ですがその後(注9)、銀時と別れて一人で歩いて橋を渡っている時に、桂は、辻斬り(注10)にいともアッサリと切られてしまい行方不明になります。
 ここらあたりも、実にテンポよく話が進み、なかなか面白く見ることが出来ます。

 とは言え、例えば、上記(1)に記した冒頭部分のあらすじの中でも、最後の方で銀時や新八、神楽がCGキャラクターになって登場する場面になると、どうして面白いのかクマネズミにはよくわかりませんでした(注11)。

 全体的に、本作は、様々の面白い話が沢山盛り込まれている上に、話がポンポンとリズムよく進んでいき、なかなか楽しめる作品なのですが、他方で、なぜ周囲に座っている女の子たちが笑うのかよくわからず、取り残された感じがしてしまうことが何回となくありました(注12)。

 そうはいっても、本作は、ギャグ場面以外にも見どころはあります。
 例えば、銀時と似蔵との2度に渡る戦い(注13)は、どちらもなかなか力のこもった出来栄えではないかと思いました。



 でも、例えば、『るろうに剣心 伝説の最後編』の鋼鉄製軍艦「煉獄」における剣心(佐藤健)と志々雄(藤原竜也)の戦いなどに比べると、クマネズミにはイマイチの感がありました(注14)。

 まあ、あんなこんなながらも、本作は、出演者の張り切りが観客に伝わってくることもあり、総じてまずまず楽しめる作品に仕上がっていると思ったところです。

(3)渡まち子氏は、「名付けて、オールスターキャストの銀魂コスプレ大会。お祭り騒ぎを、つい堪能してしまった」として60点を付けています。
 前田有一氏は、「「これは「変態仮面」を撮った監督が、豪華キャストを使って最初っから無茶苦茶飛ばしまくるシュールギャグ映画なのだ」としっかり認識し、覚悟した上で鑑賞する。これが大事である」として80点を付けています。



(注1)監督と脚本は、『俺はまだ本気出してないだけ』や『HK/変態仮面』の福田雄一。
原作は、空知英秋著『銀魂』(集英社)。

 なお、出演者の内、最近では、小栗旬と長澤まさみと安田顕は『追憶』、菅田将暉は『帝一の國』、柳楽優弥は『許されざる者』、新井浩文は『ブルーハーツが聴こえる』、ムロツヨシは『疾風ロンド』、岡田将生は『秘密 THE TOP SECRET』、佐藤二朗は『幸福のアリバイ~Picture~』、菜々緒は『土竜の唄 香港狂騒曲』で、それぞれ見ました。

(注2)剣術道場・恒道館の跡取り息子。父亡きあと、姉の妙(長澤まさみ)と一緒に恒道館を守っています。本作冒頭のエピソードの後、銀時の「万事屋」に就職。

(注3)茶斗蘭星人。天人に所属。外見は豹。

(注4)「万事屋 銀ちゃん」の主で侍。
 さしずめ現代ならば、『まほろ駅前多田便利軒』に登場する便利屋の多田啓介(瑛太)か、あるいは、そこに転がり込んできた行天晴彦(松田龍平)といったところでしょうか。

(注5)ここまでは、原作漫画第1巻の冒頭部分をほぼなぞっています(電子版の試し読みで見ました)。

(注6)宇宙で最強とされている夜兎族(天人に所属)の少女。万事屋に住み込んで働いています。

(注7)最初の内、新八は「一人で行ってよ」と言い、銀時も「僕達大人なの。純真な心ないのよ」と拒否し、神楽が「いつまでも少年の心を持っているとモテる」とおだてても、「モテなくていい」と動こうとしませんでしたが、カブトムシを売れば相当儲かることがわかると、銀時と新八の態度が一変します。

 なお、“カブトムシ”となると「哀川翔」が思い出され、そうなると『昆虫探偵ヨシダヨシミ』に行き着いてしまいます。

(注8)途中で、新八の姉の妙を見つけると、近藤勲は、カブトムシの追跡から方向転換し、妙の方に向かいます。ですが、妙は竹箒をバットにして、近づく近藤を大空へ“打ち上げ”てしまいます。

 なお、近藤は、後半で宇宙船に乗り込む際に足を踏み外してしまい海中に“落下”します。
 また、大きなカブトムシの着ぐるみを着けている沖田総悟は、神楽に樹木を揺すられると、地面に“落下”します。
 さらに言えば、最後の方で宇宙船から脱出する際に、桂とエリザベス(桂のペット的な存在)と銀時はパラシュートを使って“落下”していきます。
 逆に、宇宙船に設けられた十字架に縛り付けられた神楽は、上空の更に“上方”に引き上げられていると言うべきかもしれません。
 こんなことから、本作は、上下の「垂直運動」の観点から捉えることが出来るかもしれません〔補注〕。ただ、それに対置すべき「水平運動」にめぼしいものが見当たらないため(せいぜい、銀時がスクーターに乗って江戸市中を走り回す姿くらいでしょうか)、いくらそのように把握してもあまり発展性がないようにも思えます。

(注9)銀時と桂が並んで町中を歩く際、銀時が「辻斬りに気をつけて。ズラは、後ろ姿が女みたいだから」と注意すると、桂は「ズラではない。カツラだ」と怒った上で、「辻斬りなんぞに殺られはしない」と答えます。

(注10)後から、岡田似蔵(新井浩文)だとわかります。
 なお、岡田似蔵は、高杉晋助(堂本剛)が復活させてリーダーとなっている「鬼兵隊」に所属し、盲目ながらも居合い斬りの達人。

(注11)特に、神楽がなぜ「これ絶対TBSに怒られる」と言うのか、特に、どうして“TBS”なのか、クマネズミにはわかりませんでした。ですが、ここらあたりがTBSTVの「CDTV」のパロディだとわかると、周囲の観客が笑っていた理由もいくぶんか判明します。

(注12)例えば、平賀源外(ムロツヨシ)が銀時に渡す「ゴムゴムの実」など、漫画『ONEPIECE』を知らないクマネズミには、意味が理解できませんでした。

(注13)最初、銀時は、似蔵が持つ妖剣「紅桜」〔刀匠・村田鉄矢(安田顕)が打った刀〕にやられて重傷を負いますが、2度目は、鉄矢の妹・鉄子(早見あかり)が打った刀で似蔵を倒します。

(注14)この他、高杉晋助が率いる「鬼兵隊」の一員である武市変平太(佐藤二朗)や来島また子(菜々緒)などは、とても愛すべきキャラクターです。



〔補注〕イタリア映画『甘き人生』では、「垂直落下運動」が見られました(同作についての拙エントリの「注19」を参照してください)。



★★★☆☆☆



象のロケット:銀魂

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ファウンダー

2017年08月11日 | 洋画(17年)
 『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』を渋谷シネパレスで見ました。

(1)予告編を見て面白そうだと思い映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、「真実に基づく物語」(Based on a true story)との字幕。
 時代は1954年。場所は、ミズーリ-州セントルイス。
 いきなり、本作の主人公のレイ・クロック(注2:マイケル・キートン)がカメラに向かって喋り出します(注3)。
 「あなたが何を考えているのかわかります。1本軸のミキサーを使っても売れないミルクセーキなのに、どうして5本軸のマルチミキサーなんて必要なんだ、とね。でもそれは間違っています。マルチミキサーを持っていないから、ミルクセーキが売れないのですよ」「プリンス・キャッスル社のマルチミキサーがあれば、素早くミルクセーキを作れます」「供給を増やせば、需要が付いてきます」「鶏が先か卵が先か、私の議論がわかります?」。
 レイが喋っていた相手は、Griffithという名のドライブイン・レストランのオーナー。
 レイが「さあ、どうします?」と促すと、オーナーは「結構だ」と言って引っ込んでしまいます。
 仕方なくレイは、重いマルチミキサーを担いで車に戻り、それをトランクにしまい込んで、運転席に座り、手帳をチェックして次のアポイントの場所に向かいます。

 次は、イリノイ州ベルビルにあるドライブイン・レストラン。
 オーナーに前と同じような説明をしますが、受け入れてもらえません。
 頭にきながらも、ついでに注文した料理が来るのを車の中で待ちます。ですが、なかなか来ない上に、ウエイトレスが持ってきたのは注文と違う料理。

 ホテルに入って、レイは「あちこちから引き合いが来ている」「信じてないな。まあ良い。明日また電話する」と、妻のエセルローラ・ダーン)に話します。
 からわらにあるレコードプレーヤーからは、ノーマン・ヴィンセント・ピールの「The Power of the Positive」の声(注4)が流れています。

 依然としてマルチミキサーは売れなかったところ、突然、会社のジューンケイティー・ニーランド)から、「6台の注文が入った」との連絡がレイの元に入ります。
 それで、レイが注文主に電話を入れると、「6台は間違いで、実際は8台欲しい」とのこと。
 半信半疑のレイは、どんな店が一度にそんなたくさんの注文をするのか自分で確かめてみようと、注文主のレストランがあるカリフォルニア州のサンバーナディーノに向かいます。

 レイは、「マクドナルド」という看板を掲げたドライブイン・レストランに到着し、他の店とは全く違った光景を車の中から見て呆気にとられています。
 そして、人々が店の前に行列を作っているので、レイも一緒に並ぶと、そばの女性が「すぐに進むわ」とレイに向かって言います。
 レイは、他の人と同じように「ハンバーガーとフライドポテト(french fries)とコカ・コーラ」を注文したところ、すぐに出来上がって「35セントです」と言われます。その速さに驚きながら、慣れていないレイは、「ナイフやフォークとか皿は?」「どこで食べたら良い?」と聞いてしまいます。すると、「包みから取り出して、そのまま食べます」「車の中とか自宅でも、お好きなところで」との答え。



 こうして、レイはマクドナルド兄弟に出会うことになりますが、さあここから物語はどのように展開するのでしょうか、………?

 本作は、世界最大のファーストフードチェーンを作り上げた実在の男レイ・クロックの半生を描いた作品。実際に、革新的なファーストフード店を創ったのはマクドナルド兄弟ながら、それを世界的な規模にまで拡大したのはレイ。レイが、どこまでも堅実にやっていこうとする兄弟と厳しく対立しつつも、ついにハンバーガー帝国を築きあげていくプロセスは、マクドナルドをほとんど利用しないクマネズミですが、まさにアメリカン・ドリームなのだなと、実に面白く感じました。

(2)マックジョン・キャロル・リンチ)とディックニック・オファーマン)のマクドナルド兄弟は、サンバーナディーノのレストランで、画期的に斬新で効率的なやり方でハンバーガーを客に提供していて、それに驚き感銘を受けたレイは、このシステムをフランチャイズ化して全米に拡大すれば大儲けできると閃きます。



 でも、簡単にはそちらの方向に進まず、色々紆余曲折があり、最終的には、ハリーB.J.ノヴァク)の意見を取り入れて(注5)、不動産を自分で所有するというビジネスモデルを打ち立てて(注6)、レイの会社は大きく飛躍することになります。



 本作では、こうした経緯が実に巧みに描かれていて、まさにアメリカン・ドリームの実現なんだなと納得できます。
 特に、レイは、マルチミキサーをレストラン経営者に売り込む際と同じように、マクドナルドのフランチャイジーになるよう人々に熱心に話を行いながらも、他方で、ついにはその厨房システムを創案したマクドナルド兄弟を経営から追い出してしまうのですが、こうしたレイを演じているマイケル・キートンは、まさにうってつけといえるでしょう。

 ただ、映画を見てよくわからなかったのは、原材料の調達とか、ハンバーグなどの食材の供給に(注7)、レイがどのように関わってきたのかという点です。というのも、これらの点は、マクドナルド兄弟が開発した厨房システムと並んで、効率よく低価格で商品を提供するために重要な点だと思えるからですが(注8)。

 さらに言うと、本作では、最近の映画の傾向とは違って、女性が活躍する場面があまりありません。
 主に登場する女性は、レイの最初の妻・エセル、レイの会社にいるジューン、それに3番目の妻・ジョアンリンダ・カーデリーニ)の3人。
 そのうち、ジューンは、レイとの連絡係に過ぎない感じですし(注9)、またレイとエセルとの関係はうまくいっていません。
 レイは、セールスマンとして全米を飛び歩いていて余り家に戻らず、妻のエセルにはそれが酷く不満で、「2人で散歩したりする生活がしたい」と言ったりします(注10)。逆に、野心家のレイにとっては、妻の内向きで消極的な性格が次第に耐えられなくなって、唐突に離婚話を切り出します。



 これに対し、ジョアンは、最初、レストラン経営者のロリーパトリック・ウィルソン)の妻としてレイと出会いますが、レイは一目惚れしてしまい、一緒にピアノを弾いて歌を歌ってしまうほどです(注11)。それでも、本作における出番はそれほど多いものではありません。
 すなわち、ジョアンは、その後2回ほど本作に登場します。最初は、マクドナルド店で働いていると、偶然店舗の見回りにやって来たレイと再会します(注12)。次は、本作のラストの方で、ビバリーヒルズにある豪勢な邸宅の部屋に設けられている鏡の前で挨拶の練習をする背後から、妻として現れます。

 ただ、どうしてレイは、1961年にエセルと離婚した後すぐにジョアンと再婚せずに別の女性と結婚しながらも、それが5年ほど続いた後、その女性と別れてジョアンと結婚するに至るのか(注13)、という点がクマネズミには不思議で、そこにはいろいろ想像力の働く余地があるのではないかと思えました。
 加えて、エセルとの間にはマリリンという娘がいたものの、本作には全く登場しません(注14)。

 こんなところから、レイの女性を巡る話にもう少し焦点を当ててみたら、本作はより一層面白くなったのでは、という気もしてきます。
 でも、余りいろいろな事柄を1本の映画の中に詰め込みすぎると、焦点がボケてしまいかねませんが。

(3)渡まち子氏は、「これがアメリカン・ドリーム、これが資本主義といわんばかりの辛辣な創業秘話に、思わずシェイクを飲む気持ちも萎えてしまいそうだ」などとして75点を付けています。
 前田有一氏は、「アメリカ社会、アメリカンドリーム、新自由主義、格差社会、そして未来について。「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」は、そうしたさまざまな事に思いを至らす社会派ドラマの傑作である」として85点を付けています。
 藤原帰一氏は、「アメリカの持つその天使と悪魔の二重性を、マイケル・キートンという善悪の彼岸にある俳優が文字通り体現した作品。アメリカを考える手がかりとして、ぜひご覧ください」と述べています。
 稲垣都々世氏は、「「創業者」という題名には皮肉も込められているようだが、反発と共感を混ぜるのがこの映画の味。ハンバーガー同様スピード感あふれるムダのない作りは口当たりがいいが、後味は油っぽい」と述べています。



(注1)監督は『ウォルト・ディズニーの約束』や『しあわせの隠れ場所』のジョン・リー・ハンコック
 脚本はロバート・シーゲル
 原題は「The Founder」。

 なお、出演者の内、最近では、マイケル・キートンは『スポットライト 世紀のスクープ』、ローラ・ダーンは『わたしに会うまでの1600キロ』、パトリック・ウィルソンは『ヤング≒アダルト』、B.J.ノヴァクは『ウォルト・ディズニーの約束』で、それぞれ見ました。

(注2)レイは、シカゴにプリンス・キャッスル社を立ち上げ、全国を股にかけてマルチミキサー(シェイク用のアイスクリームを作るミキサー)の販売を行っているセールスマン(52歳)。

(注3)実は、観客席側に、レイが話す相手(レイが、自分のマルチミキサーを売りたい相手)がいるのです。

(注4)「世の中に根気(persistence)にまさるものはない」「才能(talent)があっても成功しない者はゴロゴロいる」「根気と決断力(determination)があれば、鬼に金棒だ」「結果は必ずついてくる」「未来を拓くのは君だ」「人生は心の持ち方で変わるのだ」。

(注5)レイは、銀行の外で出会ったばかりのハリーに、出店のことについて、「フランチャイジーが土地を見つけてきて、彼が土地の所有者とリース契約(普通は20年の)を結び、そして彼が自分で店舗を建てる」と説明します。これに対し、ハリーは「そこには大きな問題があります」「あなたはハンバーガー・ビジネスをやるのではなく、不動産(real-estate)ビジネスをやるのです」「15セントのハンバーガーの1.4%の儲けでは帝国は築けません」「土地を所有することで帝国を築くのです」「まず土地を購入し、その土地をあなたがフランチャイジーにリースするのです」「それで確実な収入があなたに入ってきます」「その収入で更に土地を購入できます」「品質を保てないフランチャイジーについてはリースを打ち切れば済みます」などと言います。

(注6)ここらあたりのことは、この記事に書いてあるようなことではないかと思います。
 すなわち、「(ハリーは、)最初に土地を購入する資金を銀行に融資をしてもらえば、担保はその土地をあてがえばよいのだから、実質必要なくなる、というコペルニクス的発想の転換を提案」したが、「このアイデアの画期的なポイントは、その土地にレイ・クロック自身がマクドナルドを建設し、フランチャイジーにリースしろ」と言った点だ、とその記事は述べています。
 これが、Wikipediaのこの記事で述べられている「ほとんどのマクドナルド店舗は、店舗の不動産をマクドナルドコーポレーションが所有する。フランチャイズ会社は売り上げの一部を賃貸料としてマクドナルドコーポレーションに支払う」ということの意味合いなのでしょう。
 ただ、劇場用パンフレット掲載の「『ファウンダー』を知るための豆知識」の「ハリー・ソナボーン」の項には、「まずマクドナルド本社が出店場所を選定し、土地所有者と契約して店舗を建築した上で、加盟者に売上に応じた賃料で貸し付けるというビジネスモデル」とあり、これであれば、土地自体を購入せずに、利用権(借地権)を購入しただけではないかとも思えます。
 ですが、こうした理解の仕方は日本的なものかもしれません〔補注1〕。というのも、アメリカにおいては、日本と違って、土地と建物とは一体と考えられているようですから(例えばこの記事)。

(注7)例えば、Wikipediaの記事によれば、「マクドナルドのハンバーグや芋(ポテト)はセントラルキッチンと称する集中調理工場施設より成型済みで搬入され、厨房では焼いたり揚げたりするだけで細かい調理の必要がない」とのこと。

(注8)加えて言えば、品質を保てない店舗に対しては食材等の供給をストップするという措置を採れることによっても、フランチャイジーを本社がコントロールできるでしょう。
 なお、本作で原料や食材の供給面に触れられるのは、アイスクリームの冷凍代が嵩む問題を解決するために「インスタミックス」(クリーミングパウダー)がマクドナルドの店舗に導入されたことくらいでしょうか(ただ、これも、ある時に元に戻されます)。

(注9)ただし、劇場用パンフレット掲載の「年表」の1948年(46歳)のところに、「ジューン・マルティーノがビジネスパートナーになる」との記載があり、こちらの記事によれば、彼女は、最初は「bookkeeper」だったものの、最後には共同経営者的存在となったようです。

(注10)レイが久しぶりに家に戻って、妻のエセルに、「凄いレストランが見つかった」「ヘンリー・フォードが考えそうなシステムなんだ」「まさに革命的だ」と興奮して話すと、エセルは「また始まった」「すぐに新しいものに飛びつくんだから」「ここは、あなたはいないけど良い家」「もっと一緒に散歩したい」「もう良い年じゃない?」と応じますが、レイは「多分、一生そんなことはしない」「どうして引き止めるんだ」と嫌な顔をします。

(注11)上記「注9」で触れた劇場用パンフレット掲載の「年表」の1921年(19歳)のところに、「夜はアルバイトでピアノを弾いていた」とあります(この記事の「Birth of Ray」の章には「He took to the piano naturally, and so while still in his formative years, he learnt to play from his mother」と述べられています)。

(注12)ジョアンはレイと会った際に、上記「注8」で触れている「インスタミックス」を使ってみたらどうかと提案します(「うちの店で使ってみて、よければ全米で使ってみたら?」)。

(注13)上記「注11」で触れたこの記事の「New Horizons」の章によれば、レイとジョアンは、1957年頃出会っているようです。彼女は、ミネソタ州セント・ポール市にあるナイトクラブでオルガン奏者として働いていたところ〔補注2〕、レイはジョアンに一目惚れし、彼女の方も彼を好きになりました。でも、彼は結婚していましたし、彼女も海軍の退役軍人と結婚していたために、一緒になることは出来ませんでした。
 ジョアンは、レイが再婚したのを耳にした時、レイに電話を入れて「幸せ?」と尋ねたところ、レイは「そうだ」と答えましたが、そして、その後5年間2人は会いませんでしたが、2人の恋愛感情はずっと継続し、ついにそれぞれの結婚相手と分かれて、1969年に結婚することになります。

(注14)例えば、この記事を見ると、マリリンは1924年生まれですから、本作に主人公のレイが登場する1954年には既に30歳になっていて、結婚していて家を離れていた可能性があり、登場せずともかまわないのでしょう。
 でも、両親の離婚については、必ずや何らかの意見があったことでしょうし、また、幼い頃は、家に余りいない父親に対して、随分と反抗的な態度をとったのかもしれず(全くの想像に過ぎません)、仮にそうであれば、物語の中に取り入れやすいのでは、とも思えるところです。
 なお、同記事によれば、マリリンは2度結婚し、48歳で亡くなっています。

〔補注1〕この記事で知ったこの記事によれば、「日本マクドナルドホールディングスは店舗不動産の大量保有に乗り出す。現在は賃借が大半だが、数年かけて新店と既存店を合わせ200~300カ所の土地・建物を取得する。同社は業績は好調だが、米国本社など世界各国のマクドナルドに比べると日本の賃料負担が重いため、利益率は低い。地価が下落している郊外の店舗を自社物件に切り替えることでコスト削減を進める」とのこと。ただ、現在時点では、状況はどうなっているのでしょうか?

〔補注2〕ただし、劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事の中で、ハンコック監督は、「ジョアン・スミスは、レイと会った時、夫のステーキハウスで演奏したことは分かっている」と述べているのですが。



★★★★☆☆



象のロケット:ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ

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ザ・マミー

2017年08月08日 | 洋画(17年)
 『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)たまにはトム・クルーズも良いかなと思って映画館に出かけました。

 本作(注1)の冒頭では、「死は新しい生命への入口」という古代エジプトの言葉が字幕で。

 次いで、1127年のイングランド(注2)。
 十字軍の騎士らが松明を持って進み、手に赤い宝石を持った騎士の遺体が横たわる棺が閉じられます。

 そして、現代のイングランド。
 地下鉄の工事現場でしょうか、巨大なトンネル掘削機が羽を回転させながら進みます。
 突然、大きな空間が出現し、そこに人間の骨とか棺などがいくつも見つかり、作業員が「これは何だ!」と叫びます。
 TVのニュース番組では、「ロンドンのテムズ川の地下に十字軍騎士団の墓所が発見されました」などのニュースが流されます。

 発見された墓所に、一人の男(ヘンリー・ジギルラッセル・クロウ)に率いられた一隊が現れて、作業員たちに向かって「諸君、作業はここまで。ここは我々が管理する」と言います。
 作業員らは「何者だ?」と訝りますが、皆追い払われます。
 ヘンリーは、棺に近づき、刻まれているヒエログリフを読みます。

 そのヘンリーの声で、「過去を葬ることは出来ない」「私は、古代の謎を解いてきた」。
そして、彼が「アマネット王女(ソフィア・ブテラ)は、狡猾で冷酷」「エジプト王・メネプトレのただ一人の後継者」「生き神として崇められるはずだった」などと説明する一方で、画面は古代エジプトに変わり、引き続きの説明(注3)に合わせてアマネットの姿が描き出されます(注4)。

 次いで、画面はメソポタミア、現代のイラク。
 古代の彫像が急進派のイスラム兵士らによって壊されています。
 それを遠くから、ニック(注5:トム・クルーズ)が、考古学者のジェニー(アナベル・ウォーリス)から奪った地図を手にしながら、双眼鏡で見ています。そして、ニックが相棒のクリスジェイク・ジョンソン)に「行こう」と言いますが、クリスは恐ろしがって「嫌だ」と拒否します。すると、ニックは、クリスの水袋をナイフで切り裂いてしまい、単独で行動できないようにしてしまいます。

 2人は村に入り込みますが、イスラム兵士らに激しく銃撃されます。



 それで、クリスが無線で米軍の司令部にピンポイント空爆を要請。
 2人はなおも逃げ回りますが、空爆のおかげで、とうとうイスラム兵士は退散します。
 ですが、退避していた3階建てのビルが空爆の衝撃で崩壊して、2人は地下に開いた大きな穴に飲み込まれそうになります。

 こんなところが、本作の始めの方ですが、さあこれから物語はどのように展開していくのでしょうか、………?

 本作は、戦前のホラー映画『ミイラ再生』(1932年)のリブート作品。5000年の眠りから覚め人類に復讐し世界を支配しようとする古代エジプトの王女に対して、闘いを挑むのがトム・クルーズ扮するいかがわしい男と、女性考古学者。これに、秘密組織を率いる博士などが加わるだけでなく、王女の操るゾンビも襲いかかるのですから、描かれるアクションシーンはかなり派手派手しいものになります。ただ、秘密組織を率いる博士が絡む部分がどうもはっきりせず、トム・クルーズもいつものように活躍しますが、いつも以上を出ていない感じもしたところです。

(2)本作においても、ニックは、トム・クルーズが出演するこれまでの作品のように、何度もギリギリのところに追い込まれます。
 例えば、メソポタミアで見つかった王女アマネットの石棺を積んだ輸送機がカラスの大群に襲われて墜落する場面は、なかなかの見せ場となっています(注6)。



 また、ニックがジェニーと車で脱出しようとすると、アマネット王女やその部下がゾンビ状態となって襲いかかってきたり、水中に導かれてニックが長い時間泳ぎ回ったりするシーンも(注7)、随分とスリルがあります。

 さらに、ソフィア・ブテラが演じるアマネット王女の雰囲気もなかなかエキゾチックで興味を惹かれます。
 特に、アマネット王女が死の神セトと契約を結ぶ儀式を行うと、体中に文字が現れますが、ブログ「佐藤秀の徒然幻視録」のこのエントリが言うように、“耳なし芳一”のような感じがします(注8)。
 それから、蘇ったアマネット王女が、ロンドンの街中を周囲の建物を破壊し砂塵を巻き上げながら進むシーンは、9.11で世界貿易センタービルが崩壊して巨大な砂塵が巻き上がった映像と類似しているなと思いました。



 ですが、本作においてよくわからなかったのは、ラッセル・クロウが演じるヘンリー・ジギル氏の役割です(注9)。



 突然現れて、皆が不思議がっていることの背景をいろいろ説明するかと思うと、いきなりハイド氏になりニックに襲いかかったりもするのです。
 それに、ヘンリーとその部下らはなぜか強い力を持っていて、ロンドンの市街を破壊できるほど強大な力を持つアマネット王女を鎖に縛り付けたり、ニックらに襲いかかる王女の部下のゾンビらも撃退したりできるのです。
 ヘンリーはどういう人物なのか、いったい何をしようとしているのか、どうしてそんなことができる力があるのかなどと、見ていて疑問にとらわれてしまいます(注10)。

 さらに言えば、ニックは、輸送機とともに墜落して死んだはずながら、ジェニーが驚くように、無傷で生き返ります。また、ニックの相棒クリスも、ニックに銃で撃たれて死んだはずにもかかわらず、ゾンビのように生き返りますし、ジェニーは溺死したはずながら蘇ります。
 これらは、アマネット王女の呪いに関係するものと思われますが、なぜ皆生き返るのかどうもよくわかりません(注11)。

 さて、ラストに至ってもアマネットに呪いをかけられたままのニックは、この後どうなるのでしょうか?

 トム・クルーズというと、その大活躍によって最後はスカッとする作品が多いように思いますが、本作は、どうもそんな感じにはなりませんでした。

(3)渡まち子氏は、「正直、本作はトム・クルーズじゃなくても良さそうな“贅沢なB級大作”なのだが、大物俳優が揃うこの超大型企画ダーク・ユニバースは確かに楽しみだ」として60点を付けています。
 前田有一氏は、「見てみると、安パイならではの既視感たっぷりな展開、トガりのない演出など何もかも中途半端。これならハムナプトラの再上映でもやってりゃいいじゃない、といった印象である」として55点を付けています。
 渡辺祥子氏は、「莫大な製作費を投じてスケールを広げ、新シリーズの出発点にふさわしい大作に仕立てても、本来が安手の作りのB級ホラーだからA級の風格がでないのがご愛嬌。トム・クルーズがかつてない内なる悪と善との戦いに苦悶、最後に新境地開拓の成果をさりげなく見せて続編での登場を予告する」として★3つ(「見応えあり」)を付けています。



(注1)監督はアレックス・カーツマン
 脚本はデヴィッド・コープ他。
 原題は「The Mummy」。

 なお、出演者農地、最近では、トム・クルーズは『ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル』、ソフィア・ブテラは『キングスマン』、ラッセル・クロウは『ノア 約束の舟』で、それぞれ見ました。

(注2)十字軍についてのWikipediaの記事によれば、第1回十字軍は1096年~1099年、第2回十字軍は1147年~1148年であるために、映画の字幕が「1127年」とされているのはよくわかりません。あるいは1147年の誤りかも。

(注3)ヘンリーは、「だが、メネフトラ王に息子が誕生した」「王位を継ぐのはその子だ」「アマネットは、死の神セトと手を結んで位を奪おうとした」「アマネットはモンスターに変身した」「アマネットは、人類に復讐しようとしたが、生きたままミイラにされた」「ミイラはエジプト国外に運ばれ、暗黒の世界に落とされた」「だが、過去を葬り去ることは出来ない」などと説明します。

(注4)“死者の書”を読んでセトと契約を結び、瞳が4つになり、体中に楔形文字のような文字が現れ、父王など親族を殺したりするアマネット王女の姿が描かれます。

(注5)米軍の兵士ながら、戦闘地域で古代の遺物を探し出して売りさばいてもいます。

(注6)輸送機は一気に墜落するために、ニックとジェニーは、無重力状態の中でアチコチに振り回されますが、こうしたところは、劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」によれば、フランスの航空宇宙企業にでかけて、エアバスA310 が作り出す「放物線飛行」(例えば、この記事)の中で撮影が行われたようです。

 絶体絶命になったニックは、一つしかない落下傘をジェニーにあてがい脱出させ、自分は飛行機もろとも地上に落下していきますが、……。
 なお、このシーンはこちらで見ることが出来ます。

(注7)この記事によれば、トム・クルーズは、『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』において、「水中で6分間も息を止めて演技をしていた」とのこと。

(注8)ただ、本作の場合は、文字が体の中から浮かび上がってきますが、耳なし芳一の場合は、和尚と小僧が芳一の体の上に文字を書きます。

(注9)尤も、この記事によれば、「ユニバーサル・ピクチャーズは、古典的なモンスターキャラクターを新世代に復活させる一連の映画シリーズを「ダーク・ユニバース」(DARK UNIVERSE)と呼ぶことを発表」し、「「ダーク・ユニバース」シリーズにおける全作品をつなぐ糸として、ラッセル・クロウ演じるジキル博士が率いる、世界の怪異を研究する「プロディジウム」(Prodigium)という組織がすべての作品に登場する」とのこと。

(注10)上記「注9」で書いたようなことからすると、ヘンリーは、一方でシリーズ全体の狂言回しであり、他方で、それぞれの物語にもそれなりに絡んでくるという2重の役割が与えられているようで、従って、なかなかその真の姿は明かされないのでしょう。
 でも、本作だけを見る者にとっては、わざわざこうした人物を描く必要性があるのかと訝しく思えてしまいます。

(注11)ニックは、宝石の付いた刀で自分を刺しますが、その時に力を与えられて、ジェニーとかクリスを蘇らせることが出来るようになったのかもしれませんが。



★★★☆☆☆



象のロケット:ザ・マミー  呪われた砂漠の王女

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ライフ(2017)

2017年08月04日 | 洋画(17年)
 SFの『ライフ』を渋谷のシネパレスで見ました。

(1)予告編で見て面白そうだなと思って映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、星がたくさんある宇宙空間を小さなカプセル(注2:「ピルグリム7」)が飛行しています。沢山の隕石が飛んでいて、中には衝突するものも。

 次いで、「ピルグリム7計画/ISS 初日」の字幕。
 舞台は、地球上空の軌道にあるISS(国際宇宙ステーション)の中。
 検疫官としてISSに乗り込んでいるミランダ(イギリス:レベッカ・ファーガソン)が地球と交信しています。「こちらは、ミランダ・ノース。カプセルが火星から戻ってきます」「ピルグリムは損傷していて、軌道から離れています」「これからピルグリムを回収します」「作業はかなり危険です」。

 航空エンジニアのローリー(アメリカ:ライアン・レイノルズ)が船外活動を行って、ピルグリムを回収することに。
 ミランダや、医者のデビッド(アメリカ:ジェイク・ギレンホール)、システム・エンジニアのショウ(日本:真田広之)が集まって、ローリーの宇宙服着装を手伝ったりします。

 ショウは、司令官のキャット(ロシア:オルガ・ディホヴィチナヤ)のいるコントロール室に戻り、ピルグリムを回収できるようにISSの軌道の微調整を行い、ミランダは、デビッドや宇宙生物学者のヒュー(イギリス:アリヨン・バカレ)と一緒に、窓からローリーの船外活動を見守ります。

 すると、遠くの方からピルグリムが急接近してくるのが見えます。
 と思っている間もなく、衝撃がISS内に走ります。
 でも、ローリーから「カプセルを無事に回収した」「じゃあ、帰る」との連絡が。
 窓から、ISSから出ているアームの先にピルグリムが捕捉されているのが見えます。

 次いで、「ピルグリム7計画/ISS 2日目」の字幕。
 ヒューが、ISS内に設けられているラボのグローブボックスで、ピルグリムが持ち帰った土を分析しています。ピンセットで少量の土を掴み取っては、顕微鏡で調べます。
 そして、期待していた生命体(life)が見つかります。
 ヒューは、「地球の生物と同じだ」「細胞壁や核がある」「べん毛に近いものも」と言います。

 さらに、培養器の温度を、それまでのマイナス110℃からプラス20℃に上げてみますが、格別の反応はありません。
 そこで、原生代の環境にしようと、酸素を減らし炭酸ガスを増やしてみると、しばらくして動き出します。
 ヒューは、「初の地球外生命体を確認した」「素晴らしい!」と大興奮です。

 この情報は早速地上にもたらされ、子供からの質問が受け付けられます。
 「地球に連れてくるの?」という質問に対しては、ローリーが「ここで研究する」と答え、また「トイレはどうするの?」という質問に対しては、ショウがチューブを示しながら、「地球と同じだよ」と答えます。
 さらに、タイムズスクエア前での儀式において、この地球外生命体に対して、小学生が、自身の通っている学校名にちなんで「カルビン(Calvin)」と命名します。

 こんなところが、本作の初めの方ですが、さあ、ここからどのように物語は展開するのでしょう、………?

 本作は、無人探査機が火星から持ち帰った土の中にいた地球外生命体が次第に凶暴性を発揮して、国際宇宙ステーションに乗り込んでいた宇宙飛行士に次々に襲いかかって、云々というお話です。こういうSFはこれまでもよく見かけますが、本作からは荒唐無稽な印象は受け取れず、むしろ近未来的に十分にありうるのではと思わせる大層リアルな作りになっています。その意味でSFホラーとされているのもよくわかります。

(2)小惑星探査機はやぶさが小惑星イトカワから微粒子を地球に持って帰ることに成功したことや(2010年)、火星衛星サンプルリターン計画(注3:MMX)が日本で検討されていることもあって、本作で描かれていることは、とてもリアルに受け止めることが出来ます。

 また、本作で描かれるISS内の無重力の状況は、TVニュースなどで見る宇宙船内の状況に酷似していることも、本作のリアルさを増幅させていますし(注4)、ISSの窓の外に見る地球とか宇宙の光景も、今の時点を感じさせるものがあります。



 さらには、本作で描かれる宇宙飛行士のクルーですが、女性が2名入っているだけでなく(それも、一人は司令官ですし、もう一人は、本作で重要な役割を演じる検疫官なのです)、アメリカ以外の国(イギリス、日本、ロシア)が参加していることも、まさに現代を表しているでしょう。

 ただ、カルビンが、顕微鏡で捉えることが出来る小ささのうちはかまわないものの、それが短い期間のうちに大きくなって、次第に凶暴性を帯びてくるようになると、本作のリアルな雰囲気から怖さを感じるとはいえ、これまでのSF作品とあまり変わらないように思えてきてしまいます。

 一つは、その形態ですが、『メッセージ』に登場する異星人(ヘプタポッドと呼ばれています)の小型版のような印象を受けます(注5)。

 そして、宇宙飛行士を次々に倒すに至ると(注6)、カルビンも、これまで描かれてきた人類に敵対する異星人という相も変わらないキャラクターに見えてきてしまいます。

 それに、カルビンは真空の宇宙空間で生きることが出来るのでしょうか(注7)?宇宙空間でそのまま活動できるほど強靭な生物ならば、どうして、火星で環境が変わった時に土地の中に入って冬眠に入ってしまったのでしょうか(注8)?

 また、検疫官のミランダは、カルビンが地球に侵入しないようにと様々な手を尽くしますが、本作で描かれているのは1匹限りであり、仮に侵入したとしても繁殖できないでしょうから(注9)、それほど脅威にならないようにも思えるのですが(注10)?

 とは言え、それらのことはともかく、デビッドやショウには、特別な性格付けがされていて興味深いものがあり(注11)、特に真田広之はショウを随分と巧みに演じているように思いました(注12)。

(3)渡まち子氏は、「やはり本家の「エイリアン」は偉大なSF作品だったのだと改めて感じさせてくれる1本に仕上がっている」として55点を付けています。



(注1)監督は『デンジャラス・ラン』のダニエル・エスピノーサ
 脚本はレット・リースとポール・ワーニック。

 なお、出演者の内、最近では、ジェイク・ギレンホールは『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』、レベッカ・ファーガソンは『マダム・フローレンス!夢見るふたり』、ライアン・レイノルズは『黄金のアデーレ 名画の帰還』、真田広之は『レイルウェイ 運命の旅路』で、それぞれ見ています。

(注2)無人探査機で、火星で採取した土を持って地球に戻るところです。

(注3)この記事によれば、JAXAなどが2015年に検討を開始した計画であり、「火星の衛星(フォボスまたはデイモス)からサンプルを持ち帰るもの」であり、「持ち帰られたサンプルの分析により、火星の衛星の成り立ちや、火星そのものの物質などの解明(火星の衛星の表面には、火星からの物質が付着しているとも考えられています)などが期待されてい」て、「2020年代前半の打ち上げを目指してい」るとされています。

(注4)劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」によれば、「『ライフ』では『ゼロ・グラビティ』のさらに上をいくことができた」と、『ゼロ・グラビティ』にも携わったことがあるスタントコーディネーターのマーク・ヘンソンが言っているとのこと。

(注5)ただし、『メッセージ』のヘプタポッドは7本足とされていてタコのようですが、本作のカルビンはむしろヒトデのような感じです。

(注6)例えば、カルビンは、まずグローブボックスのグローブに絡みついて、ヒューの手首を破壊してしまいます(後で、ヒューの体内に侵入していることがわかります)。
 次いで、カルビンがグローブボックスからラボに脱出したので、ローリーがラボに入って焼却器の火炎を浴びせて焼き殺そうとしたところ、逆にカルビンは、ローリーの口からその体内に侵入して彼を殺してしまいます。

(注7)司令官のキャットが、故障した通信機器を修繕するために宇宙服を装着して船外に出たところ、通信機器内の冷却材を食べ尽くしたカルビンが取り付くのです(結果として、キャットは死ぬことになります)。劇場用パンフレット掲載の「STORY」の「カルビン成長の記録」の「STAGE3」には、「短い時間であれば、カルビンは真空・低温の宇宙空間での活動が可能だった」と記載されていますが、それは随分とご都合主義的な解釈ではないでしょうか?

(注8)ヒューの説明によれば、「数億年前に火星を支配していた生物で、環境の変化で冬眠に入った」とのこと。

(注9)劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」によれば、監督のエスピノーサ氏は、「粘菌独特の細胞構造がインスピレーションの元となった」と述べています。ただ、本作のカルビンは、沢山の胞子を含む袋状の「子実体」を持っておらず(粘菌についてのWikipediaの記事によります)、粘菌の変形体だけをモデルにして描かれているように思えます。これだと、カルビンは単体では繁殖出来ないのではないでしょうか?

(注10)ただし、ピルグリム7は、ある程度の量の火星の土を採取してきましたから、その中には複数のカルビンが生息していて、それらも地球に侵入すれば、繁殖する可能性はあるかもしれません。
 また、地球に侵入したカルビンは、たとえ1匹でも、地球にある酸素や炭酸ガス、それに水を摂取することによって異常に増殖することも考えられます。その場合には、もしかしたらゴジラの来襲といった事態になるかもしれません。

(注11)デビッドは、すでに473日間もISSに滞在していて、「宇宙生活が長すぎる。受けている放射線量も多くなっている」と言うキャット司令官に対し、「地上での争いに耐えられない。地球よりISSの空気が好きだ」と応じます。ラストの方では、ミランダに対し、「80億人のバカが居る地球には戻りたくない」とも言います。



 また、ショウは、真面目な技師の風情で、クルーで一番のベテランながら、妻カズミ森尚子)の出産にディスプレイを通じて立ち会います。生まれた赤ん坊の様子を皆に見せると、仲間から「誰が父親かわかんないぞ」などと冗談を言われてしまいます。



(注12)ミランダを演じたレベッカ・ファーガソンは、劇場用パンフレット掲載のインタービュー記事の中で「とにかくすごい俳優よ。存在感がものすごく強いわね」「彼の場合はオーラのようなものを感じるの」などと述べています。



★★★☆☆☆



象のロケット:ライフ

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甘き人生

2017年08月02日 | 洋画(17年)
 イタリア映画『甘き人生』を渋谷のユーロスペースで見ました。

(1)予告編で見て良さそうだと思って映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、字幕で「実話から生まれた物語」。
 舞台は1969年のイタリアのトリノ。

 幼いマッシモ(注2:ニコロ・カブラス)が本を読んでいると、若くて魅力的な母親(バルバラ・ロンキ)が現れ、マッシモの手を取って一緒にツイストを踊り始めます。



 それから、部屋を暗くして、2人でTVのスリラー映画を見ます。

 次いで、幼いマッシモと母親はトラムに乗っています。
 マッシモがキスをしている恋人同士をまじまじと見ていると、母親が「見てはダメよ」と注意します。マッシモが「恋人なの?」と訊くと、母親は「さあ」と曖昧に答えます。
 トラムが駅に着いて皆が降り、マッシモも「降りなきゃ」と注意しますが、母親は席に座ったまま。マッシモが「もう一回りするの?」と尋ねると、母親は、心ここにあらずといった感じで「そうね」と答えます。

 夜中、外は雪。
 母親が、マッシモの部屋に入りベッドに腰を下ろして、眠っているマッシモの顔をジッと見つめます。父親(注3:グイド・カプリーノ)も顔を出しますが、何も言わず引っ込みます。
 母親は、「楽しい夢を見てね(注4)」と言いながらマッシモを抱きしめ、それからドアを締めて出ていきます。

 翌朝、ドアの向こうでものすごい大きな声がしたので、マッシモは目を覚まし、起き出してドアを開けます。父親が数人の男たちと出ていくのをマッシモは見ます。
 マッシモは、そばにいた叔母さん(アリアンナ・スコメグナ)に「ママはどこ?」と訊くと、叔母さんは「病気なの」としか答えません。

 場面は変わって、1999年のトリノ。
 大人になったマッシモ(ヴァレリオ・マスタンドレア)が、幼いころに住んでいたアパートの部屋に入ってきます。
 どの家具の上にも白い布がかけられていて、誰も使ってはいないようです(注5)。

 また場面は変わって、マッシモは、父親や叔母さんと食事をしています。
 マッシモが「ママに会いたい」と言うと、父親は「ママは病院にいる。パパがついている」と答えます。それで、マッシモが「病院に行きたい」と頼むと、父親は「明日だ」と答えをはぐらかします。

 こんなところが本作に初めの方ですが、さあ、これからどのような物語が展開するのでしょうか、………?

 本作は、イタリアで大ベストセラーになった自伝小説を映画化した作品です。主人公は、幼い時に亡くなった母親のことがいつまでも忘れられず、今やジャーナリストとして地位を築いているにもかかわらず、いまいちしっくりしていないところ、ある女性と出会って、云々という物語。
 いわゆるマザコン男の半生記とも言えないわけではありませんが、1960年代後半以降のイタリアの社会的な変化が背景として取り入れられる中に、主人公の個人的な事情が巧みに描き出されていて、なかなか良くできた作品ではないかと思いました。

(2)本作で中心的に描かれるのは、主人公マッシモの母親に対する思いです(注6)。
 幼いころ突然亡くなった母親の死を上手く受け入れることが出来ないマッシモの姿が、本作では繰り返し描かれます(注7)。
 それも、マッシモが父親から聞いたのは「ママは、心臓麻痺で死んだ」という話(注8)。
 さらに、少年となったマッシモ(ダリオ・ダル・ベロ)は、母親はニューヨークに住んでいると周囲に言っています(注9)。

 そんなマッシモですから、大人になっても、潜在的に問題を抱え込んだままであり(注10)、挙句、叔母さんから送られてきたマッチ(注11)を見てパニック障害に襲われます。
それで出会ったのが医師のエリーザ(注12:ベレニス・ベジョ)。
 マッシモはエリーザに、父親から聞いた母親の死因のことなどを話しますが、エリーザは「ただのお話ね」と突き放し、再度発作に襲われたときの対処法を話します(注13)。
 これを機会に、マッシモは、一方で、母親の死因について自分から積極的に調べてみようとし(注14)、他方で、エリーザに恋心を抱くようになります(注15)。

 本作では、こうしたマッシモの半生が綴られていきますが、それは社会的な様々の動きの中で捉えられています(注16)。
 例えば、記者になったマッシモは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に派遣されて、1993年にはサラエボにいます(注17)。
 また、1995年にマッシモは20年ぶりに父親にトリノで会いますが、それは、「スペルガの悲劇」で亡くなった選手を顕彰する式典においてでした(注18)。

 こうして重層的に語られる本作ですが、最後の方でマッシモは、一方で、エリーゼから「もう、(お母さんに天国に)行かせてあげたら」と言われるものの、他方で、エリーゼがプールの高飛込台から飛び込む姿をジッと見ていますし(注19)、さらに言えば、本作のラストは、母親と2人で“隠れん坊”をして、最後に母親が隠れていた箱に2人で入って、母親が「このままここにいる?」とマッシモに言う回想の場面です。



 本作で描かれるマッシモは、エリーザに従っていくら断ち切ろうとしても、やはり母親の姿を追い求め、2人で一緒に過ごした頃がどうしても忘れられないのでしょう。

 もしかしたら、いつまでも娘のことを心配する父親の姿が描かれている『ありがとう、トニ・エルドマン』とは対照的に、本作は、いつまでも母親のことを思い続ける息子の姿を描く作品と言えるかもしれません。
 日本の親子関係について、いつまでも親離れ子離れができないとされ、他方で、西欧では自立した親子関係が確立しているとされてきましたが(注20)、それはそうであるにしても、本作とか『ありがとう、トニ・エルドマン』といった映画もまた制作されて評判を呼んでいるのも西欧だということは、大層興味深いなと思います。

(3)中条省平氏は、「素晴らしいのは、映像である。イタリア家屋の室内の構図とそこをみたす陰翳。窓外の雪、寺院の影、川の流れといった自然の風景。2度登場するダンス場面の強烈な迫力。単に美しいだけでない、ぴんと張りつめた緊張感に息を呑まされる。これぞ名匠の業である」として★5つ(「今年有数の傑作」)を付けています。
 佐藤忠男氏は、「母物なら日本が本場だと思っている日本人は少なくないと思うが、こんなに批評性に富んで、そのうえで母の追憶も美しく描けている映画はちょっとない」と述べています。
 毎日新聞の高橋諭治氏は、「多様なエピソードをひと目ですべてのみ込むのは容易でない。しかし撮影監督ダニエーレ・チプリの陰影豊かな映像美が圧巻。母親の死に際のイメージなどに異様な迫力をみなぎらせ、ミステリー仕立てのドラマを厳かに見せきる演出力はさすが」と述べています。



(注1)監督は、『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』のマルコ・ベロッキオ(脚本にも参加)。
 脚本はヴァリア・サンテッラ他。
 原作はマッシモ・グラメッリーニ著『Fai bei sogni』(英訳版「Sweet Dreams」)。
 原題は「Fai bei sogni」。
(邦題は、原題を英訳した「sweet dreams」の“sweet”に依っているのでしょうが、それが“人生”と結び付けられて「甘き人生」となると、本作の内容とは全くかけ離れたものになってしまいます!)

 出演者の内、最近では、ヴァレリオ・マスタンドレアは『おとなの事情』、ベレニス・ベジョは『あの日の声を探して』で、それぞれ見ました。

(注2)公式サイトの「STORY」では、9歳とされています。

(注3)劇場用パンフレット掲載の監督インタビューによれば、原作者の父親は「公務員」だったとのこと。

(注4)原題の「Fai bei sogni」が使われています。

(注5)父親が亡くなって、その住まいを処分するためにマッシモがやって来ました。
 おそらく、マッシモは40歳くらいだと思われます。

(注6)何しろ、原作者のマッシモ・グラメッリーニは、原作を母親に捧げているのですから(英訳版の冒頭には「To my mother, Giuseppina Pastore」と書かれています)。

(注7)自宅での葬儀に際し、棺を見てマッシモは、「ママはこの中に入っていない。開けてみればわかるんだ」と言ったり、「ママ、目を覚まして。運ばれちゃうよ!」「ママ、外に出て!」と叫んだりします(劇場用パンフレット掲載のエッセイ「変貌するイタリア社会の鏡として」において、伊藤武氏は、「当時「自殺」は社会的・宗教的にタブーで教会での葬儀が認められないことも珍しくありません」と述べています)。
 また、教会で、「ママは天使になった」「それはママの願いだ」と言う神父に対し、マッシモは、「なぜ、ママの願いを神父さんが知ってるの?そんなの嘘だ」「ママは、僕に黙って行ってしまうはずはない」と反論し、「ママ、独りで行かないで。僕を独りにしないで」と祈るほどです。



 さらに、少年になったマッシモは、天井に映る無数の星を見ながら宇宙について教える理科の教師(ロベルト・ヘルリッカ)に対し、「宇宙の始まりの前には何があったんですか?」と質問するだけでなく、夜、学校に付属する教会の蝋燭の明かりをすべて点けてしまいます。そこに現れた理科の教師(神父でもあります)が「なぜそんなことをするのか?」と尋ねると、マッシモは「神は光です。天国に近づくために明かりを点けました」と答えます。すると神父は、「ママに会いたいのだね。どうしてママは生きていると思うのだね?」と尋ねます。それに対して、マッシモが「霊魂は不滅です」と答えますが、神父は「ママの肉体は死んだのだ。そこからやり直しなさい」「勇気を出しなさい」と言います。

(注8)父親は、「ママが何故死んだのか知ってるの?」と訊くマッシモに、「あの晩、ママはお前の部屋に行った。そこで、ガウンを脱いだ」「気分が悪くなったが、誰も呼ばなかった」「ママは廊下に倒れていた」「心筋梗塞だった」「手術や治療で体が弱っていたんだ」と話します。

(注9)通っている私立学校で親しくなったエンリコの家(ものすごく豪奢な邸宅です)に行った時、エンリコの母親(エマニュエル・ドゥヴォス)から「いつママのところへ行くの?ニューヨークとはずいぶん遠いわね」と言われ、マッシモは「クリスマスに」と答えます。

(注10)マッシモは、新聞の読者からの投稿に対する回答を書いて掲載し、大評判になりますが、その回答の中で、「私は、9歳の頃母をなくした。母を失った私は、人を愛することを止めた」と書いています。

(注11)留守電に、叔母さんからの伝言「ママのマッチよ」が入っていて、マッチを封筒から取り出したマッシモは、母親の葬儀のことを思い出します。そして、突然、パニック障害に襲われます。

(注12)マッシモは、病院の医師に電話で、「死にそうだ。気分がものすごく悪い」「息ができない」「心臓が痛い」「頻脈だ」と訴えます。すると医師は、「鏡に向かって呼吸をしなさい」「鏡が曇るまで近づいて」とアドバイスします。

(注13)マッシモは、「僕を孤独や恐怖から守ってくれたのはベルファゴールだ」「ベルファゴールの命令にはなんでも従った」等と話します。これに対し、エリーザは、「発作が起きた時は慌てないで。ベルファゴールは不要だし、薬もいらない」「親しい人に電話して」と言います。

(注14)マッシモは、叔母さんを昔の家に呼び出して、「本当の死因は?」と尋ね、叔母は、父親が本の間に挟み込んでおいた新聞を取り出します。そこには、「5階から母親が投身自殺」「重病を苦にして、自宅の窓から身を投げた」と書かれています。マッシモが「なぜ黙っていた?」と訊くと、叔母は「知っているものと思ってた」と答えますが、マッシモは「僕に教えてくれる人はいなかった」「父は、死に際でも心筋梗塞だったと言っていた」「でも、僕が悪い。臆病で知ろうとしなかったのだから」「ママは僕のことなんかどうでも良かったんだ」「無駄な涙を流した」などと言います。これで、マッシモは吹っ切れることになるのでしょうか、…?

(注15)母親の影響で人を愛せなくなったと公言していたマッシモですが、エリーザの祖父母のダイアモンド婚のパーティーに招待されたマッシモは、エリーゼと抱き合います(精神分析でいう「転移」なのかもしれません)。

(注16)と言っても、イタリア事情に疎いクマネズミにはなかなか捉えがたいのですが。

(注17)大人になったマッシモは、ローマに移って、新聞の記者となります〔劇場用パンフレット掲載の廣瀬純氏のエッセイ「我々にはまだ、空虚に飛び込む勇気が欠けている。マルコ・ベロッキオ監督作品『甘き人生』について」によれば、原作者マッシモ・グラメッリーニは、著名な全国紙「La Stampa」(今年2月に他紙に移籍)のジャーナリストとのこと〕。
 そして、マッシモは、特派員として派遣された先で、撃たれて死んだ母親の遺体のそばで電子ゲームに夢中の子供という構図を、同行のカメラマンとともに撮影します。

(注18)マッシモが幼いころに住んでいたアパートの窓を開けると、すぐそばにサッカースタジアムが見えるのです。そして、母親の死後、マッシモは父親に連れられて、そのスタジアムでトリノFCの試合を見ます。「スペルガの悲劇」は、トリノFCにまつわる事件です(ここらあたりのことは、荻野洋一氏の本作に関する映画評論で触れられています)。

(注19)上記「注17」で触れている廣瀬純氏のエッセイにおいては、マッシモの母親の死因とこのエリーザの飛び込みとが、「垂直落下運動」という点で関連付けられています。

(注20)例えばこの記事。そこでは日本とアメリカが比較されていますが、「親子の自立関係」について、日本に関しては、「親は子供をいつまでも保護しようとし、子供はいつまでも親に保護を期待するという観念が一般的であり、年齢に関係なく、いつまでも親に対しては、精神的に自立していない子供が多い」などと述べられているのに対し、アメリカに関しては、「親の子供に対する責任は、できるだけ早く子供を自立させ、社会に貢献するよりよい社会人を育てることであり」、「子供も早くから自立したいと考え、それは早く大人になりたいという気持ちを子供の間に抱かせる」などと記載されています。
 なお、『ありがとう、トニ・エルドマン』についての拙エントリの「注14」もご覧ください。



★★★★☆☆

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