『あの日 あの時 愛の記憶』を銀座テアトルシネマで見ました。
(1)この映画館が来年の5月で閉館するとの報道があり(銀座シネパレスと合わせて、銀座から2館も消えてしまいます)、とても残念に思ったこともあって映画館に出向きましたが(注1)、この映画自体はなかなか感動的な作品でした(注2)。
映画の冒頭では、まず、スカーフをした若い女性がノートに何事か書いていますが、その場面はすぐに変わって、今度は中年過ぎの女性が机で何か手紙を書いています。それもすぐに変わって、収容所で金網の塀越しに何事か話す男女。
そして、時点は1976年とされて、ニューヨークのクリーニング店に入った先の中年過ぎの女性が、TVで放映されているトーク番組に出演している男性に見入ってしまいます。次いで、1944年のポーランドに設けられている収容所(アウシュヴィッツでしょう)の光景となります。
こんなふうにめまぐるしく場面が入れ替わりますが、どうやら、ニューヨークの中年過ぎの女性は、30年以上も前の若い時分、収容所に入れられていて、TVのトーク番組に出演している男性とそこで知り合ったのだという事情が次第に呑み込めてきます。
冒頭のノートや手紙を書く女は同一人物であり、その時の最愛の男に対する手紙を書いていたのです。
この女性は、ベルリン生まれのハンナ(ダグマー・マンツェル:若い時分はアリス・ドワイヤー)で、ユダヤ人のために収容所に入れられていたのでした。
他方、男性はポーランド人のトマシュ(マテウス・ダミエッキ)、反ナチスの抵抗運動に従事していたがために、政治犯として捕まって収容所に入っていました。
トマシュがハンナにパンを与えたことがきっかけになって2人の間に愛が芽生え〔トマシュは政治犯のせいでしょうか、デスクワークに就いており、かなり自由が利くようです(注3)〕、ついにはワルシャワにある抵抗組織の本部に写真のネガを届ける使命を帯びて(収容所の実態を世界に公表するため)、トマシュが収容所を脱走する際に、ハンナも一緒に連れて行くことにします。
犬を使った看守たちの捜索隊を何とか振り切って、2人はやっとの思いでトマシュの家にたどり着き、ハンナをそこに残して、トマシュは2日で戻ってくると言い残してワルシャワに向かいます。ですが、それで2人は生き別れてしまい(注4)、1976年となります。
TVのトーク番組を手掛かりにして、はたしてハンナはトマシュと再会できるでしょうか、……?
戦後、ハンナは、赤十字を通じてトマシュのことを調査したものの、生存が確認できず死んだはずと思っていたのですが(注5)、そのトマシュが生きていることがわかった時のハンナの衝撃、まさに命の恩人であり一番愛していた人ですから会いたい気持ちが高まります。他方で、ハンナは、現在一緒になっている夫や娘のことをも深く愛してもいます。さあどうしたらいいのか、夫の方もこうした妻にどう対応すべきなのか、ここら辺りの葛藤がこの映画ではなかなかうまく描かれていると思いました(注6)。
本作の出演者は皆初めて見る俳優ばかりながら、なかなか説得力ある演技を披露しているところ、特にトマシュの母親を演じたスザンヌ・ロタールは、出番はそれほど多くはありませんが印象的でした(注7)。
なお、本作は事実に基づいているとされているので、ハンナとトマシュの収容所脱出劇も実際にあったことなのでしょう。としても、ハンナはドイツ語しかできず、トマシュはポーランド語ですから、2人のコミュニケーションは随分ともどかしいものがあり、それで警戒厳重な収容所からヨク脱出できたと感心してしまいます(特に、トマシュの貧弱なドイツ語で、ドイツ人看守の関門を通過できたのは奇跡的といえるでしょう!)(注8)。
(2)本作は男女の愛を巡る物語と言えるでしょうが、『汚れた心』とか『かぞくのくに』を見たばかりのせいか、ポーランドという「国」のことを考えてしまいます。
というのも、ポーランドを占領していたドイツ軍が追い払われた後に、今度はソ連軍が入ってきて、ハンナが身を寄せたトマシュの兄夫婦がソ連軍に連行されるのです。
トマシュの兄が、反ソ的な「国内軍」に所属して反ナチス抵抗運動をしていたからというのでしょう(注9)。
その結果、ハンナとトマシュの母親(住んでいた家が今度はソ連軍に接収されたために、トマシュの兄チェスワフの家に移り住んでいました)の2人が後に取り残されることになったため、ハンナはその家をいづこともなく立ち去ります(注10)。
ポーランドは、Wikipediaの記事等によれば、14世紀から17世紀にかけて大王国を形成したものの、18世紀には3度にわたり国土が隣国に分割されて消滅、1918年に独立したところ、第二次世界大戦ではナチス・ドイツとソ連の侵略を受けて再び国土が分割され、戦後の1952年に統一労働者党による一党独裁体制の国となり、1989年に民主化を果たして共和国となる、という実に多難な経緯を辿っています。
特に戦後は、国の位置が西にかなり移動するなど、「国」の基本をなす領土に大きな変更が加えられたりしていて(注11)、ここでも「国」とは何なのかと考えてしまいます。
(3)映画評論家・土屋好生氏は、「ここで強調されるのは誰にも止められない残酷な時の流れであり、人間の尊厳を踏みにじる戦争の悲惨である。が、それでもなお人は生きていかねばならぬ」と述べています。
(注1)この映画館で昨年見た『蜂蜜』とか『サラの鍵』などが思い出されます。
(注2)原題は、ドイツ語で「Die VerloreneZeit(失われし時)」(英題はRemembrance)。邦題はやや長すぎるかもしれません。
(注3)トマシュは、事務室に誰もいなくなると、ハンナを密かに引き入れて愛しあったりします。さらには、どこから手に入れるのか、アルコールを別棟の看守に送り届けたりしています(事務室のドイツ兵は、トマシュからアルコールを受け取ると、気を利かしてトマシュを独りにする感じです)。
(注4)トマシュの家はドイツ軍によって接収されていましたから、2人は納屋に隠れていました。
ただその際、トマシュがハンナを母親に引き合わせたところ、母親は、ハンナがユダヤ人であることを知ると、トマシュに別れるよう強く迫ります(その理由として、劇場用パンフレット掲載のエッセイで、久山宏一氏は、カトリック教徒としてユダヤ人を嫌ったことと、ユダヤ人を匿うことの厳しいリスクとを挙げています)。
さらに母親は、隠れ住むハンナをSS将校に見つけ出させようと姑息な手を打つのですが、事前に察知したハンナが辛くも難を逃れることもありました。
そんなこんながあって、ハンナは、トマシュの兄の家に隠れ住むことになります。
(注5)トマシュの方も、しばらくして家に戻った際に母親からハンナの死を伝えられ、彼女はこの世にいないものと思っていました。
ただ、ハンナを深く愛しているにしては、トマシュは、いともあっさりとその死を受け入れてしまった感じです。あるいは、その墓はどこにあるのかなど追求したら、母親の嘘がばれたかも知れません〔ハンナが、映画の冒頭で書いていたトマシュ宛ての手紙(「辛いけど出ていきます。目指すはベルリン」などと書かれています)は、彼には届かなかったようです。おそらく、母親が処分してしまったのでしょう〕。
(注6)ハンナが、トーク番組のトマシュを見て赤十字に調査を依頼したのが、ちょうど研究者の夫の受賞祝賀パーティーの日でした。ハンナは、これは自分だけの問題だとして、夫や娘が心配するのをよそにパーティーが開かれている家を抜け出し、ブルックリン橋の下のベンチでどうしたらいいのか悩みます(その際には、これまで口にしたことがなかったタバコを吸ったりします)。
夫の方は、ハンナの問題は自分の問題だと言うにもかかわらずハンナが取り合わないために、怒りを覚えたりするものの、ハンナが密かに隠し持っていたトマシュに関する資料を既に読んでいたのでしょう、トマシュの生存が確認されると、「以前から探すべきだと思ってた。彼に会うのが一番いいんだ」とハンナに言ってやります。
夫の言葉に促されて、ハンナはポーランドに行ってトマシュと会うことになりますが、映画の冒頭でハンナが夫宛てに書いていた手紙には、「最愛の人はあなた、だから行くの、もう過去には囚われない」と書かれていました。
(注7)Wikipediaの「スザンネ・ロター」の項によれば、本年7月に51歳で亡くなったとのこと。
(注8)さらに、収容所でハンナに課せられる労働は、デスクワークのトマシュと違って随分と過酷なものであり、おまけにハンナは妊娠もしていたのです。
なお、この脱走に際しては、トマシュが使ったドイツ親衛隊将校の制服とか、収容所の入口の検問に際して差し出す偽の書類などを、収容所に収容されているレジスタンス仲間達が周到に準備しています。
上記「注4」で触れた久山宏一氏は、同じエッセイで、「ナチス・ドイツは、囚人が収容所から逃亡すると、同じ労働班に属する10~20名を射殺するという「共同責任」を適用」していたと述べていますが、トマシュ達の脱走によってさぞかし酷い仕返しがあったことでしょう!
(注9)トマシュの母親は、チェスワフの家でハンナを見つけると、「トマシュは無駄死をした。あなたが、トマシュを抵抗運動に走らせた。あなたが家族を壊したのだ」と酷く詰ります。
なお、家を出て吹雪の中で倒れてしまったハンナのところに、ちょうど赤十字の車が通りかかって、彼女は救助されます。
(注10)さらに、ハンナがトマシュに国際電話を入れた頃、トマシュの家では、ジャーナリストの娘が、教科書から「国内軍」の記述が削除されたことに怒って騒いでいました〔1976年では、ポーランドはまだ共産党(統一労働者党)の支配下でした〕。
なお、トマシュは英語の教師をしているために、今やハンナとスムースな会話ができるようになっています。
(注11)それにより“単一民族”になったとされていますが、その意味合いは何なのかいまいち理解が難しいように思われます。
★★★★☆
象のロケット:あの日 あの時 愛の記憶
(1)この映画館が来年の5月で閉館するとの報道があり(銀座シネパレスと合わせて、銀座から2館も消えてしまいます)、とても残念に思ったこともあって映画館に出向きましたが(注1)、この映画自体はなかなか感動的な作品でした(注2)。
映画の冒頭では、まず、スカーフをした若い女性がノートに何事か書いていますが、その場面はすぐに変わって、今度は中年過ぎの女性が机で何か手紙を書いています。それもすぐに変わって、収容所で金網の塀越しに何事か話す男女。
そして、時点は1976年とされて、ニューヨークのクリーニング店に入った先の中年過ぎの女性が、TVで放映されているトーク番組に出演している男性に見入ってしまいます。次いで、1944年のポーランドに設けられている収容所(アウシュヴィッツでしょう)の光景となります。
こんなふうにめまぐるしく場面が入れ替わりますが、どうやら、ニューヨークの中年過ぎの女性は、30年以上も前の若い時分、収容所に入れられていて、TVのトーク番組に出演している男性とそこで知り合ったのだという事情が次第に呑み込めてきます。
冒頭のノートや手紙を書く女は同一人物であり、その時の最愛の男に対する手紙を書いていたのです。
この女性は、ベルリン生まれのハンナ(ダグマー・マンツェル:若い時分はアリス・ドワイヤー)で、ユダヤ人のために収容所に入れられていたのでした。
他方、男性はポーランド人のトマシュ(マテウス・ダミエッキ)、反ナチスの抵抗運動に従事していたがために、政治犯として捕まって収容所に入っていました。
トマシュがハンナにパンを与えたことがきっかけになって2人の間に愛が芽生え〔トマシュは政治犯のせいでしょうか、デスクワークに就いており、かなり自由が利くようです(注3)〕、ついにはワルシャワにある抵抗組織の本部に写真のネガを届ける使命を帯びて(収容所の実態を世界に公表するため)、トマシュが収容所を脱走する際に、ハンナも一緒に連れて行くことにします。
犬を使った看守たちの捜索隊を何とか振り切って、2人はやっとの思いでトマシュの家にたどり着き、ハンナをそこに残して、トマシュは2日で戻ってくると言い残してワルシャワに向かいます。ですが、それで2人は生き別れてしまい(注4)、1976年となります。
TVのトーク番組を手掛かりにして、はたしてハンナはトマシュと再会できるでしょうか、……?
戦後、ハンナは、赤十字を通じてトマシュのことを調査したものの、生存が確認できず死んだはずと思っていたのですが(注5)、そのトマシュが生きていることがわかった時のハンナの衝撃、まさに命の恩人であり一番愛していた人ですから会いたい気持ちが高まります。他方で、ハンナは、現在一緒になっている夫や娘のことをも深く愛してもいます。さあどうしたらいいのか、夫の方もこうした妻にどう対応すべきなのか、ここら辺りの葛藤がこの映画ではなかなかうまく描かれていると思いました(注6)。
本作の出演者は皆初めて見る俳優ばかりながら、なかなか説得力ある演技を披露しているところ、特にトマシュの母親を演じたスザンヌ・ロタールは、出番はそれほど多くはありませんが印象的でした(注7)。
なお、本作は事実に基づいているとされているので、ハンナとトマシュの収容所脱出劇も実際にあったことなのでしょう。としても、ハンナはドイツ語しかできず、トマシュはポーランド語ですから、2人のコミュニケーションは随分ともどかしいものがあり、それで警戒厳重な収容所からヨク脱出できたと感心してしまいます(特に、トマシュの貧弱なドイツ語で、ドイツ人看守の関門を通過できたのは奇跡的といえるでしょう!)(注8)。
(2)本作は男女の愛を巡る物語と言えるでしょうが、『汚れた心』とか『かぞくのくに』を見たばかりのせいか、ポーランドという「国」のことを考えてしまいます。
というのも、ポーランドを占領していたドイツ軍が追い払われた後に、今度はソ連軍が入ってきて、ハンナが身を寄せたトマシュの兄夫婦がソ連軍に連行されるのです。
トマシュの兄が、反ソ的な「国内軍」に所属して反ナチス抵抗運動をしていたからというのでしょう(注9)。
その結果、ハンナとトマシュの母親(住んでいた家が今度はソ連軍に接収されたために、トマシュの兄チェスワフの家に移り住んでいました)の2人が後に取り残されることになったため、ハンナはその家をいづこともなく立ち去ります(注10)。
ポーランドは、Wikipediaの記事等によれば、14世紀から17世紀にかけて大王国を形成したものの、18世紀には3度にわたり国土が隣国に分割されて消滅、1918年に独立したところ、第二次世界大戦ではナチス・ドイツとソ連の侵略を受けて再び国土が分割され、戦後の1952年に統一労働者党による一党独裁体制の国となり、1989年に民主化を果たして共和国となる、という実に多難な経緯を辿っています。
特に戦後は、国の位置が西にかなり移動するなど、「国」の基本をなす領土に大きな変更が加えられたりしていて(注11)、ここでも「国」とは何なのかと考えてしまいます。
(3)映画評論家・土屋好生氏は、「ここで強調されるのは誰にも止められない残酷な時の流れであり、人間の尊厳を踏みにじる戦争の悲惨である。が、それでもなお人は生きていかねばならぬ」と述べています。
(注1)この映画館で昨年見た『蜂蜜』とか『サラの鍵』などが思い出されます。
(注2)原題は、ドイツ語で「Die VerloreneZeit(失われし時)」(英題はRemembrance)。邦題はやや長すぎるかもしれません。
(注3)トマシュは、事務室に誰もいなくなると、ハンナを密かに引き入れて愛しあったりします。さらには、どこから手に入れるのか、アルコールを別棟の看守に送り届けたりしています(事務室のドイツ兵は、トマシュからアルコールを受け取ると、気を利かしてトマシュを独りにする感じです)。
(注4)トマシュの家はドイツ軍によって接収されていましたから、2人は納屋に隠れていました。
ただその際、トマシュがハンナを母親に引き合わせたところ、母親は、ハンナがユダヤ人であることを知ると、トマシュに別れるよう強く迫ります(その理由として、劇場用パンフレット掲載のエッセイで、久山宏一氏は、カトリック教徒としてユダヤ人を嫌ったことと、ユダヤ人を匿うことの厳しいリスクとを挙げています)。
さらに母親は、隠れ住むハンナをSS将校に見つけ出させようと姑息な手を打つのですが、事前に察知したハンナが辛くも難を逃れることもありました。
そんなこんながあって、ハンナは、トマシュの兄の家に隠れ住むことになります。
(注5)トマシュの方も、しばらくして家に戻った際に母親からハンナの死を伝えられ、彼女はこの世にいないものと思っていました。
ただ、ハンナを深く愛しているにしては、トマシュは、いともあっさりとその死を受け入れてしまった感じです。あるいは、その墓はどこにあるのかなど追求したら、母親の嘘がばれたかも知れません〔ハンナが、映画の冒頭で書いていたトマシュ宛ての手紙(「辛いけど出ていきます。目指すはベルリン」などと書かれています)は、彼には届かなかったようです。おそらく、母親が処分してしまったのでしょう〕。
(注6)ハンナが、トーク番組のトマシュを見て赤十字に調査を依頼したのが、ちょうど研究者の夫の受賞祝賀パーティーの日でした。ハンナは、これは自分だけの問題だとして、夫や娘が心配するのをよそにパーティーが開かれている家を抜け出し、ブルックリン橋の下のベンチでどうしたらいいのか悩みます(その際には、これまで口にしたことがなかったタバコを吸ったりします)。
夫の方は、ハンナの問題は自分の問題だと言うにもかかわらずハンナが取り合わないために、怒りを覚えたりするものの、ハンナが密かに隠し持っていたトマシュに関する資料を既に読んでいたのでしょう、トマシュの生存が確認されると、「以前から探すべきだと思ってた。彼に会うのが一番いいんだ」とハンナに言ってやります。
夫の言葉に促されて、ハンナはポーランドに行ってトマシュと会うことになりますが、映画の冒頭でハンナが夫宛てに書いていた手紙には、「最愛の人はあなた、だから行くの、もう過去には囚われない」と書かれていました。
(注7)Wikipediaの「スザンネ・ロター」の項によれば、本年7月に51歳で亡くなったとのこと。
(注8)さらに、収容所でハンナに課せられる労働は、デスクワークのトマシュと違って随分と過酷なものであり、おまけにハンナは妊娠もしていたのです。
なお、この脱走に際しては、トマシュが使ったドイツ親衛隊将校の制服とか、収容所の入口の検問に際して差し出す偽の書類などを、収容所に収容されているレジスタンス仲間達が周到に準備しています。
上記「注4」で触れた久山宏一氏は、同じエッセイで、「ナチス・ドイツは、囚人が収容所から逃亡すると、同じ労働班に属する10~20名を射殺するという「共同責任」を適用」していたと述べていますが、トマシュ達の脱走によってさぞかし酷い仕返しがあったことでしょう!
(注9)トマシュの母親は、チェスワフの家でハンナを見つけると、「トマシュは無駄死をした。あなたが、トマシュを抵抗運動に走らせた。あなたが家族を壊したのだ」と酷く詰ります。
なお、家を出て吹雪の中で倒れてしまったハンナのところに、ちょうど赤十字の車が通りかかって、彼女は救助されます。
(注10)さらに、ハンナがトマシュに国際電話を入れた頃、トマシュの家では、ジャーナリストの娘が、教科書から「国内軍」の記述が削除されたことに怒って騒いでいました〔1976年では、ポーランドはまだ共産党(統一労働者党)の支配下でした〕。
なお、トマシュは英語の教師をしているために、今やハンナとスムースな会話ができるようになっています。
(注11)それにより“単一民族”になったとされていますが、その意味合いは何なのかいまいち理解が難しいように思われます。
★★★★☆
象のロケット:あの日 あの時 愛の記憶