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羊の木

2018年02月16日 | 邦画(18年)
 『羊の木』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。

(1)予告編で見て面白そうだと思って映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭は、「その種子やがて芽吹き タタールの子羊となる 羊にして植物 その血 蜜のように甘く その肉 魚のように柔らかく 狼のみ それを食べる  「東タタール旅行記」より」の字幕。

 次いで、地方都市の魚深市の全景が映し出され、それからその市役所の内部。
 課長(鈴木晋介)が、机の上のパソコンの画面を見てから、部下で主人公の月末錦戸亮)を呼んで、「新規に6名の受入がある」「担当してくれ」と言いますが、月末は「えっ、6名も!」と驚きます。

 先ず新幹線の駅の改札口。
 月末が、「ようこそ魚深市ヘ 福元さん歓迎」のボードを手にして立っています。
 すると、3人の男が、プラットホームに通じる階段を降りてきて改札口に現れ、そのうちの一人が、切符を改札機に入れて出てきます。
 その男が福元水澤紳吾)で、車の中で月末が「今日はどちらから?」と尋ねると、福元は「結構遠かった」と答えます。
 さらに月末が「魚深市は初めてですか?」「結構良いところです、魚も美味しいし」と言うと、福元は「魚、結構苦手です」と応じます。
 途中で入った食堂で、福元は、味噌ラーメンやチャーハンを大慌てで口の中に放り込み、月末は驚いた様子でそれを見守ります。

 今度は飛行場。
 太田優香)を出迎えた月末は、「良いところですよ」「人も良いし、魚もうまいし」と言うと、太田は自分の来ている服の臭いを嗅いで、「服がカビ臭くて」「ずっと保管してもらってたから」と言います。
 そこで、月末が「そこらの店で服を買えば良いのでは?」とアドバイスすると、太田は服を着替えて、「お待たせしました」と言いながら現れます。

 さらに、在来線の駅に、「栗本さん 歓迎」のボードを持った月末がいます。
 月末は、栗本市川実日子)をアパートに連れて行きます。
 アパートでは、栗本が、段ボール箱に入った荷物から新聞紙に包まれた食器を取り出します。他方で月末は、掃除機を押入れの中に運び入れたりします。

 その他、月末は、大野田中泯)、杉山北村一輝)、それに宮腰松田龍平)を迎えに行くことになりますが、さあここからこの物語はどのように展開していくのでしょうか、………?

 本作は6人の仮釈放された元受刑者を受け入れることになったある地方都市でのお話。主人公はその受入を担当することになった市役所職員。彼を中心にして、6人と地方都市の住人等との関わりが形成されるとともに、その地方都市における伝統的なお祭りも絡んできて、物語は思いもよらない方向に展開していきます。なかなか興味深いストーリーとはいえ、タイトルの「羊の木」の意味合いを始めとして、よくわからない感じが絶えずつきまとってもきます。

(2)本作は、原作漫画とは大幅に異なるストーリーが描かれているようです。
 例えば、第1巻だけを見ても、原作漫画の主人公が、映画には登場しない魚深市の市長だったり、本作の主人公で若い市役所職員の月末一が、原作漫画では中年すぎの仏壇店の店主だったり、原作漫画で魚深市が受け入れる元受刑者の人数も11人だったり(その全てが、本作のように殺人犯というわけではありません)、という具合です。

 映画化に際してそんな大胆な書き換えをするのであれば、例えば、登場する元受刑者の人数も3人位に絞り込んで、それぞれが刑務所に入ることになった経緯を描き出すなど、もう少しきめ細かく人物造形をしてみたらよかったのでは、と思ったりしました(注2)。

 それに、本作にはよくわからない雰囲気が終始漂っている感じがします。

 中でもよくわからないのは、タイトルの「羊の木」の意味合いです。
 本作では、冒頭に、上記(1)で示したような字幕が映し出され(注3)、また、栗本が、浜辺を清掃中に「羊の木」が描かれた古い缶の蓋(注4)を見つけて、自分のアパートのドアにぶら下げます。
 でも、本作では、「羊の木」について何も説明されません。
 ただ、劇場用パンフレットの「Key Word」に「羊の木とは?」という項目(注5)があって、「中世の時代、ヨーロッパでは「東方には羊のなる木がある」と信じられていた」と述べられています。
 ですがそれだけでは、本作のタイトルになぜ「羊の木」が使われたのかはわかりません。
 そこで、原作漫画にあたってみると、第1巻だけに過ぎませんが、そのP.49では、額縁に入った「羊の木」の絵が市長室に掲げられていて、魚深市の島原市長が「コロンブスの時代にヨーロッパの人々は 綿を「羊のなる木」と思っていたとか」「まったくうらやましくなるぐらい単純な発想だよ」「今の世の中では通用しないぐらいにね」「うらやましい」と独り呟く場面が描かれています(注6)。
 これからすると、あるいは「羊の木」とは、複雑な現代社会とは対極的な正義が貫徹される単純な世界を表すものといえるのかもしれません(注7)。
 とはいえ、本作のストーリーにそのことがどのように絡んでくるのかは、どうもはっきりとはしません。

 それから、本作で描かれる「のろろ」祭りの意味合いです。
 魚深市の伝統行事「のろろ」が映画では描かれますが、なんだか本作の物語とは遊離している感じがしたところです。
 無論、舞台とされる魚深市は地方都市ですから、伝統的なお祭りがあって当然でしょう。
 でも、本作で描かれるのは、酷く不気味さを湛えたお祭りですし(注8)、海岸べりの崖の上に聳えるのろろ様の巨大像(注9)の首が落ちて、その直撃を受けた宮腰が死ぬというのも、ことさらに伝奇小説じみていて、映画の雰囲気から逸れている感じがしました(注10)。

 もっと言えば、月末と石田文木村文乃)と須藤松尾諭)とが結成しているバンドです。
 このバンドは、月末と石田、それに石田と宮腰との関係を作り出す上で必要な設定なのかもしれません。
 でも、何かに出場するアテもない感じで、ただ3人で同じような曲を繰り返し練習だけしている様子が本作では描かれているところ、なんだか取ってつけたような雰囲気がどうしてもしてしまいます(注11)。

 総じて言えば、本作については、描かれている様々のエピソードや出来事などが、個別の話としては大層興味深いものの、ツギハギで集められていて、全体的なまとまり感が欠けているのでは、という印象を拭い去ることができませんでした。

 とはいえ、それらのことはどうでもいいのかもしれません。
 刑務所の経費削減と地方の過疎対策を狙って、一定数の受刑者を仮釈放することとした場合(注12)、彼らを受け入れた地方自治体でどんなことが起こるのかを描くという本作の基本的なアイデア(注13)は、なかなか面白いと思います。
 特に、地元の魚深市の市民と深く結びついた3人の元受刑者の様子は、観る者に何かしらの光を与えてくれることでしょう(注14)。

 また、主演の錦戸亮や、最近あちこちの映画で見かける木村文乃とか、6人の受刑者を演じた俳優は、それぞれ個性的な演技を披露していて素晴らしいと思いました。
 特に、宮腰を演じる松田龍平は、酷く難しい役柄を持ち前の演技力でとても上手くこなしているように思いました。



(3)渡まち子氏は、「ユーモラスかつスリリングな演出、俳優たちの妙演のアンサンブル、そこに浮かび上がる人間の本性。なかなか奥深い群像劇だ」として70点を付けています。



(注1)監督は、『美しい星』などの吉田大八
 脚本は、『クヒオ大佐』などの香川まさひと
 原作は、山上たつひこいがらしみきおの漫画『羊の木』(講談社)。

 なお、出演者の内、錦戸亮は『抱きしめたい―真実の物語』、松田龍平安藤玉恵は『探偵はBARにいる3』、木村文乃は『火花』、北村一輝は『無限の住人』、優香は『ブルーハーツが聴こえる』、市川実日子田中泯は『DESTINY鎌倉ものがたり』、水澤紳吾は『幼な子われらに生まれ』、松尾諭は『後妻業の女』、山口美也子は『朱花の月』で、それぞれ最近見ました。

(注2)漁船を操縦する杉山は誰に雇われているのかはっきりしませんし、太田が月末の父親(北見敏之)にいきなり強く惹かれてしまうというのも酷く唐突な感じがします。



 また、大野のヤクザぶりは随分と定型的な感じがしてしまいます。
 それで、これら3人の受刑者は省略して、宮脇や栗本、そして福元の過去などをもう少しきめ細かく描いてみたら、もっと映画の中に観る者が入り込めるのではないか、と思ったところです(特に、宮脇についても、杉山同様、魚深市での雇い主が全く現れないのはどうしてなのかなという感じがしました)。

(注3)出典が「東タタール旅行記」とされていますが、ネットで調べても該当する著書は見当たりません。あるいは、映画を観る者を煙に巻こうとして、制作側が作り出した字句かもしれません。

(注4)その「羊の木」の絵には5頭の羊が描かれていますが、原作漫画(P.49とかP.175)や、下記「注5」で触れる澁澤龍彦の本『幻想博物誌』の中に出てくる挿絵(P.13)では、4頭の羊が描かれています。ということは、5頭ということにそれほどの意味合いがないのかもしれません。
 なお、栗本は、魚とか亀などの死骸を、自分が住んでいるアパートの近くの地面に埋めて土饅頭を作っていますが、その数は5を超えているように思います(亀を埋めた土饅頭の頂上からは芽が出てきますが、あるいは「羊の木」になるのでしょうか?!)。



(注5)その項目では、「作家・澁澤龍彦も「スキタイの羊」というエッセイで詳しく触れている(河出文庫「プリニウスと怪物たち」)」と書かれていますが、当該エッセイは、河出文庫・澁澤龍彦コレクション『幻想博物誌』の冒頭にも掲載されています。
 なお、当該エッセイの中に、「スキタイの羊(「韃靼の羊」とも呼ばれる)」とありますから、ここでは、スキタイ=韃靼=タタールとされているのでしょう。

(注6)原作漫画の第1巻のP.175~P.176にも、市長が「最近はあの蜃気楼の街にこそ 「羊の木」の世界があるように思える」と言うと、友人の大塚(和洋食器店の主人)が「キミの家に代々伝わるあの銅版画か」と受け、さらに市長が「はじめて綿というものを見て 羊のなる木を連想する それを信じて疑わない単純さ まったくうらやましくなる世界さ」と言うと、大塚が「確かに今じゃありえないぐらい 牧歌的な世界だね」と受け、市長も「政治の世界にいると さらにそういう世界がうらやましくなる」「人間は何百年もかけて 正しいことなんか絶対に行われないシステムを作り上げてしまったんじゃないかとさえ思うよ」と言う場面が描かれています。

(注7)あるいは、仮釈放で刑務所から出所した元受刑者はすでに罪を償ったのだから、仮に現代が単純な発想をする社会であるとしたら、彼らを普通人としてすんなり受け入れるはず、にもかかわらず様々の問題が起きてしまうのは、「羊の木」が描かれた大昔のヨーロッパと現代社会が違ってしまっているからだ、ということなのでしょうか?
 でも、単純な発想の絵を書いているからと言って、その社会の構成員が社会生活を送る時に単純な発想になるわけではない、というのは言うまでもないことではないでしょうか?

 なお、劇場用パンフレット掲載のエッセイ「羊の木―「不確実さ」を受け容れますか?」において、斎藤環氏は、「単純な因果律で考えるなら、「人を殺した人間」は服役後も危険人物のままであると考えるのが自然、ということになる」と述べています。
 確かに、そういう考え方もあるかもしれません。でも、そんな考えについて「そういう発想をする世界がうらやましくなる」と原作漫画の島原市長は述べるでしょうか、酷く疑問に思われます。
 また、劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事において、脚本の香川まさひと氏は、「植物というのは、土地に根付いて、再生を繰り返すものですよね。それと同じように人間も、10年、20年とかかっても新たな土壌に溶け込んだり、何度も生まれ変われる存在であってほしい。たとえそれが「木から羊が生える」くらい、ありそうもないイメージだとしても」と述べています。
 ただ、この見方では「羊の木」という具体的なイメージにまで、ちょっと結びつかないように思えますが。
 ともかく、同じ記事で香川氏が言うように、「観た人によっていろんな解釈ができるのが、「羊の木」という話の面白さ」といったところでしょう。

(注8)なにしろ、KKKのようなのろろ様の一行が練り歩くにしても、見てはいけないということで、人っ子一人歩いていない大通りを進むのですから、陰気なことこの上ありません!

(注9)巨大像は縄文時代の土偶にそっくりにもかかわらず、祭りに登場するのろろ役が被る被り物は魚の頭部を象っているのも変な感じがしました。
 それと、すでに指摘されている点ですが、漁港から離れた海岸べりの崖の上から落下したはずの巨大像の頭部が、漁港の海底から引き上げられるというのもわけがわからないところです(海に落ちてからそこまで海底を転がってきたというわけなのでしょうか)。

(注10)原作漫画における「のろろ祭り」の不気味さは、原作漫画全体が醸し出す不気味さにマッチしているように思われますが、本作の全体からは不気味さは立ち上ってきませんので、「のろろ祭り」が浮き上げっているような感じがします(原作漫画の不気味さは、登場人物の大半が中年過ぎで、その顔付きなども殊更歪んでいるところから来るように思われるのですが、これに対して本作の登場人物は、イケメンの若者・青年が多く、不気味な感じがしません)。

(注11)リードギター担当の石田が都会に出ていた間は休止していたはずのバンドが、石田が帰郷すると直ちに再開するというのも、唐突すぎる感じがするところです(その間、3人は心境の変化など何もなかったのでしょうか?)。

(注12)月末の上司の課長は、迎えた6人の様子がおかしいことから疑問をいだいた月末に対し、「このプロジェクトには日本の将来がかかっている」「刑務所に入っている者を仮釈放するには、身元引受人が必要だ。今回、地方自治体が彼らを引き受けることになった」「彼らは、刑期が大幅に短縮されて、仮釈放されることになった」「10年間、当地に定住することが条件になっている」「彼らの勤め先などには、個人情報保護の観点から、こういったことは伝えていない」などと説明します。
ただ、原作漫画のように元受刑者の受入人数が本作の倍近くの11名であっても、そのオーダーであれば、過疎対策としてはとても効果は期待できないでしょうが。

(注13)これは本作のフレームワークにすぎず、実際のところは、吉田監督は「この映画を“友情”(あるいは、「誰かを受け入れる感覚」とも言いかえられると監督は述べています)についての物語にしたいと思うようになった」と述べていますし、脚本の香川まさひと氏は「今回は謎と向き合った際の主人公の困惑や戸惑い、ざわついた皮膚感覚のようなものを、その瞬間ごとに観ている人が体感できる映画にしたかった」などと述べていたりします(いずれも、劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事から)。
 要すれば、本作は、様々の観点から議論できる作品となっているというわけでしょう。
 その点からしたら、本作は、月末と石田とのラブストーリーと把握することもできるかもしれません(とはいえ、ラストの方で、それまで月末を冷たくあしらっていたはずの石田が、海に落ちた月末に向かって大声で「月末―ッ」と叫ぶに至るのか、その経緯がよくわからないという問題があるように思いますが)。

(注14)逆に、本作では地元民の雇用主が明示的に描かれていない宮腰と杉山が死亡するというのも興味深い点です。そうだとすると、同じように、雇用主が明示されない栗本は、この先どうなってしまうのか、心配になるところです。



★★★☆☆☆



象のロケット;羊の木


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7 コメント

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オロロさま (まっつぁんこ)
2018-02-16 22:39:25
映画のような巨大なものなのかはわかりませんが何らかあるようですよ。富山のフォロワーさんが教えてくれました。行って確かめる気はしませんけど(笑)
「羊の木」は映画観ただけではチンプンカンプンだと思います。説明読んでもよくわかりません(>_<)
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Unknown (クマネズミ)
2018-02-17 06:07:14
「まっつぁんこ」さん、わざわざコメントをありがとうございます。
本作に登場する「のろろ」様の巨大像ですが、実際は小さなものを合成で大きく見せているだけと思われますから、あるいは何かしらそうしたものが現地(富山県魚津市?)にはあるのかもしれませんね。
また、本作自体は、おっしゃるようになかなか理解するのが難しい感じがするところです。
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こんにちは (ここなつ)
2018-03-02 12:39:10
こんにちは。
私は、「嘘を愛する女」の時には、どのみちフィクションならば細部はそれらしく見せて欲しい、というようなことを主張していたのですが、
本作については同じことを感じても良さそうですのに、クマネズミさんがご指摘されたようなことはあまり気にならなかったです。
元々、そもそも「山上たつひこ」の原作だ、と思っていたからだったのかもしれません。
それと、私はここに出てくる「都市計画」が結構気に入ってしまったからかもしれません。
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Unknown (クマネズミ)
2018-03-04 08:38:54
「ここなつ」さん、コメントをありがとうございます。
クマネズミも、上記本文の(2)に書きましたように、刑務所の経費削減と地方の過疎対策を狙って、一定数の受刑者を仮釈放する場合、受け入れた地方自治体でどんなことが起こるのかを描くという本作の基本的なアイデア自体は、なかなか面白いと思いました。
でも、原作漫画は、山上たつひこの原案のためでしょう、なかなか不気味なトーンで一貫している感じがするのに対し、本作は、原作より大幅に改変されていることもあって、余りそういう感じがせずに、色々なエピソード(それぞれは興味深いものの)が継ぎ接ぎされている感じがしてしまったところです。
まあ、見解の相違と言ったところかもしれません。
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Unknown (ふじき78)
2018-03-12 00:11:42
11人は多いわあ。
6人にしたのは正解。
これをもう少し削減するとしても市川実日子くらいじゃないでしょうか。彼女はそんなに一人として独立させなくても他の受刑者に吸収できる気がします。

今回の6人で確実に再犯性のない人間は田中泯だけなので、更正は難しいなと思いました。
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Unknown (クマネズミ)
2018-03-12 17:22:57
「ふじき78」さん、コメントをありがとうございます。
クマネズミも、11人では映画にする場合には多すぎると思います。それで、本作では6人に削減しているわけですが、クマネズミはそれでも多すぎる感じがし、本文の「注2」にも書きましたように、松田龍平、市川実日子、水澤紳吾の3人位に絞り込んでみたらどうかなと思いました(市川実日子は、「羊の木」の絵に絡んでくるので、意外に重要な役割を演じているように思いました)。
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