『吉祥寺の朝日奈くん』を吉祥寺バウスシアターで見ました。
(1)この映画こそは吉祥寺の1館のみの上映と思っていましたら、どうやらアチコチの映画館で上映されているようなので、意外な感じがしました。
というのも、事前に何の情報もなく、タイトルから、我が家の近くのこと、それも毎週最低1回は出かけるところが舞台となっているのではという期待だけで見に行ったわけで、まして、映画の中でもバウスシアターが登場しますから、他の映画館は手をひいてしまうのではと思った次第です。
マア、吉祥寺がうまく紹介されていればいいかな、ストーリーは期待しない方がいいのでは、と思っていましたら、意外としっかりした物語が描かれているので、正直言って驚きました。
主人公の朝日奈くん(桐山漣)は、25歳ながら定職もなくアルバイトでしのいでいる有様(その仕事も、アルバイト先が潰れてしまったため、目下のところ失業中というわけです)。
その彼が、吉祥寺のある喫茶店に通いつめています。どうも、そこで働く山田さん(星野真里)に気があるようなのです。
ただ、なかなか話すきっかけが掴めないでいたところ、突然、若い男女がその喫茶店に入ってきて喧嘩をし出し、あろうことか女が投げた椅子で、朝日奈くんは顔面に傷を負ってしまったことから、山田さんと話すようになります。
メルアドを教えてもらったりして、なんとなく付き合い出しますが、彼女はすでに結婚していて幼い娘までいることは、最初から明らかにされています。
にもかかわらず、朝日奈くんは山田さんとの付き合いをやめようとはしません(注1)。
2人が出歩く場所は、それこそ吉祥寺駅周辺のよく知られたところばかりながら(注2)、実にさりげなく画像の中に収められているな、このくらいならギリギリのところでいわゆるご当地物にはならないのではないのか、などと思いました(注3)。
物語は、そこから朝日奈君の先輩(要潤)をも巻き込んで、実に意外な展開をし出しますが(注4)、結局はそうなるだろうな、という結末を迎えます。
「思ったよりよかったじゃん!」という感じで、映画館を後にすることができました。
この映画は、タイトルからすれば、桐山漣が演じる朝日奈くんが主役なのでしょうが、山田さんを演じる星野真里になんともいえない魅力があってこその映画ではないかと思いました。と言って、クマネズミには、彼女の出演作品は全く記憶がありません。これからはよくフォローしてみようと思っています。
(2)この映画には、映画と同じタイトルの原作があります。中田永一著『吉祥寺の朝日奈くん』(祥伝社、2009.12)(注5)。
原作では、映画を見ながら変な感じがした点が、納得がいくように書かれているところがいくつも見受けられます(注6)。
でもそれらは些細な事柄でしょうし、元々原作と映画は違う作品ですから当然のことともいえるでしょう。
逆に、映画を見てから原作を読むと、原作に対して大きな違和感を持ってしまいます。というのも、原作小説が、朝日奈くんが「僕」として物語る第一人称小説の形式を取っているからなのですが。
ネタバレになり過ぎてしまうので本文には書かずに「注4」に記載しましたが、そこに記載したことは、第3者の視点から描かれる映画においては、“実は”として極く自然に受け容れ可能です。ですが、朝日奈くんが物語っている原作においても、映画とマッタク同じ構成になっているのですから、それなら原作の読者に対する作者の大きな裏切り行為ともいえるのではないか、と思えてきます。
というのも、例えば、原作では、山田さんが“朝日奈くんの舞台姿を見たことがある”と言うと、「奇跡、と心の中でつぶやく。はたして、そのようなものが、そうかんたんにおこるだろうか」と、朝日奈くんの心の中が書き込まれています(P.266)。
でも、これはその時に朝日奈くんの心の中でリアルに思われたことなのだろうか、との疑問がスグサマ湧いてきてしまいます(注7)。
この点、映画の観客は、朝日奈くんを演じる桐山漣の表情から、そんな心の中まで読み取る事は出来ませんから、何の問題もなく話は進行します。
要すれば、原作の方が、全体としては映画的に作られているといえるのかもしれません(注8)!
(注1)たまたま、吉祥寺駅前の献血ルームで「成分献血」を一緒にやったこともあって、より一層2人の関係は接近します。
(注2)吉祥寺駅前のハモニカ横丁のみならず、メンチカツを求めていつも長い行列ができている「ミートショップ・サトウ」とか、焼き鳥の「いせや」などなど。
そうした名物店だけでなく、井の頭公園の井戸を源流とする神田川の川岸に作られた遊歩道を三鷹台から久我山方面まで歩くシーンが挿入されてもいたりして、全体として実に好ましい仕上がりになっています。
(注3)クマネズミは、小学校の遠足の際に入ったきりのため知らなかったのですが、井の頭公園に設けられている動物園ではアジアゾウが飼育されていました(山田さんは、「すぐそばの家で暮らしている人は、こんなところに象がいることをどう思っているだろう」などと言います)!
(注4)実は、山田さんは先輩の奥さんで、朝日奈くんは、先輩の要請で奥さんと不倫関係をもつべく努めていたわけなのです(先輩は、奥さんと別れたがっていただけでなく、その際に、慰謝料をもまき上げようとも企んでいました)。でも、よくある話ながら、朝日奈くんは、山田さんに恋心を抱いてしまうのです。その結果、……。
(注5)同書は短編集で、原作の他に4作が掲載されています。
(注6)例えば、映画では、山田さんとその娘が高知の実家へ帰る日に、彼女らが乗るタクシーが、井の頭公園を西端を横切る道路を歩く朝日奈くんと遭遇します。ですが、いくら何でもそんな偶然が起きる確率はごく小さいでしょう(それに、歩道が設けられておらず、車が頻繁に通るあの道路を歩く人など、滅多におりません)。
この点、原作では、彼女らは朝日奈くんのアパートにやってきて別れの挨拶をするのです。これなら十分に受け容れ可能です。
映画の改変は、井の頭公園を別れの場としたいためなのでしょうが、いささかやり過ぎではと思いました。
それに、映画のラストでは、朝日奈くんが役者の道に戻ったことを明らかにするために、台本を覚えている彼の姿を映し出し、また、高知の山田さんとの関係が途切れていないことを示すためでしょう、山田さんから送られてきた手紙(娘が書いた象の絵まで添えられて)を公園の池の端で彼が幸福そうに読むシーンまで描き出されます。
むろん、原作には、そんな陳腐な場面など書き込まれてはいません!
(注7)原作では、朝日奈くんが、“先輩の部屋に居候していたときに、舞台のチラシをそこに置いていったことがあって、それを山田さんが見て劇場に行ったのでは”、と山田さんに話します(P.304:映画でも同じ説明をします)。要すれば、山田さんとの出会いは、朝日奈くんにとっては「奇跡」でも何でもない事柄のはずです。
(注8)いくらでも例示することが出来ますが、もう一つ例を挙げれば、映画の初めの方で、若い男女が山田さんのいる喫茶店に入ってきて喧嘩をし出し、女が投げた椅子で、朝日奈くんは顔面に傷を負うというシーンがあります。
同じ場面は、原作の冒頭でも描かれているところ、そのカップルの男について、「大学生くらい」とか「普通の風貌」と、いかにも朝日奈くんは何も知らなかったように書かれていますが(P.233)、実はよく知る劇団の後輩なわけで(そのことは、ラスト近くで明らかにされます:P.296)、そうだとすれば、朝日奈くんが話している物語においてこんなソッケナイ書き方は出来ないのでは、と思われます。
★★★★☆
〔追記:2011.12.12〕本作の主題曲『空に星が綺麗~悲しい吉祥寺~』〔アルバム『FIRE DOG』(1996年)収録曲〕を歌っている斉藤和義が、『ナニワ・サリバン・ショー』に出演しています。
(1)この映画こそは吉祥寺の1館のみの上映と思っていましたら、どうやらアチコチの映画館で上映されているようなので、意外な感じがしました。
というのも、事前に何の情報もなく、タイトルから、我が家の近くのこと、それも毎週最低1回は出かけるところが舞台となっているのではという期待だけで見に行ったわけで、まして、映画の中でもバウスシアターが登場しますから、他の映画館は手をひいてしまうのではと思った次第です。
マア、吉祥寺がうまく紹介されていればいいかな、ストーリーは期待しない方がいいのでは、と思っていましたら、意外としっかりした物語が描かれているので、正直言って驚きました。
主人公の朝日奈くん(桐山漣)は、25歳ながら定職もなくアルバイトでしのいでいる有様(その仕事も、アルバイト先が潰れてしまったため、目下のところ失業中というわけです)。
その彼が、吉祥寺のある喫茶店に通いつめています。どうも、そこで働く山田さん(星野真里)に気があるようなのです。
ただ、なかなか話すきっかけが掴めないでいたところ、突然、若い男女がその喫茶店に入ってきて喧嘩をし出し、あろうことか女が投げた椅子で、朝日奈くんは顔面に傷を負ってしまったことから、山田さんと話すようになります。
メルアドを教えてもらったりして、なんとなく付き合い出しますが、彼女はすでに結婚していて幼い娘までいることは、最初から明らかにされています。
にもかかわらず、朝日奈くんは山田さんとの付き合いをやめようとはしません(注1)。
2人が出歩く場所は、それこそ吉祥寺駅周辺のよく知られたところばかりながら(注2)、実にさりげなく画像の中に収められているな、このくらいならギリギリのところでいわゆるご当地物にはならないのではないのか、などと思いました(注3)。
物語は、そこから朝日奈君の先輩(要潤)をも巻き込んで、実に意外な展開をし出しますが(注4)、結局はそうなるだろうな、という結末を迎えます。
「思ったよりよかったじゃん!」という感じで、映画館を後にすることができました。
この映画は、タイトルからすれば、桐山漣が演じる朝日奈くんが主役なのでしょうが、山田さんを演じる星野真里になんともいえない魅力があってこその映画ではないかと思いました。と言って、クマネズミには、彼女の出演作品は全く記憶がありません。これからはよくフォローしてみようと思っています。
(2)この映画には、映画と同じタイトルの原作があります。中田永一著『吉祥寺の朝日奈くん』(祥伝社、2009.12)(注5)。
原作では、映画を見ながら変な感じがした点が、納得がいくように書かれているところがいくつも見受けられます(注6)。
でもそれらは些細な事柄でしょうし、元々原作と映画は違う作品ですから当然のことともいえるでしょう。
逆に、映画を見てから原作を読むと、原作に対して大きな違和感を持ってしまいます。というのも、原作小説が、朝日奈くんが「僕」として物語る第一人称小説の形式を取っているからなのですが。
ネタバレになり過ぎてしまうので本文には書かずに「注4」に記載しましたが、そこに記載したことは、第3者の視点から描かれる映画においては、“実は”として極く自然に受け容れ可能です。ですが、朝日奈くんが物語っている原作においても、映画とマッタク同じ構成になっているのですから、それなら原作の読者に対する作者の大きな裏切り行為ともいえるのではないか、と思えてきます。
というのも、例えば、原作では、山田さんが“朝日奈くんの舞台姿を見たことがある”と言うと、「奇跡、と心の中でつぶやく。はたして、そのようなものが、そうかんたんにおこるだろうか」と、朝日奈くんの心の中が書き込まれています(P.266)。
でも、これはその時に朝日奈くんの心の中でリアルに思われたことなのだろうか、との疑問がスグサマ湧いてきてしまいます(注7)。
この点、映画の観客は、朝日奈くんを演じる桐山漣の表情から、そんな心の中まで読み取る事は出来ませんから、何の問題もなく話は進行します。
要すれば、原作の方が、全体としては映画的に作られているといえるのかもしれません(注8)!
(注1)たまたま、吉祥寺駅前の献血ルームで「成分献血」を一緒にやったこともあって、より一層2人の関係は接近します。
(注2)吉祥寺駅前のハモニカ横丁のみならず、メンチカツを求めていつも長い行列ができている「ミートショップ・サトウ」とか、焼き鳥の「いせや」などなど。
そうした名物店だけでなく、井の頭公園の井戸を源流とする神田川の川岸に作られた遊歩道を三鷹台から久我山方面まで歩くシーンが挿入されてもいたりして、全体として実に好ましい仕上がりになっています。
(注3)クマネズミは、小学校の遠足の際に入ったきりのため知らなかったのですが、井の頭公園に設けられている動物園ではアジアゾウが飼育されていました(山田さんは、「すぐそばの家で暮らしている人は、こんなところに象がいることをどう思っているだろう」などと言います)!
(注4)実は、山田さんは先輩の奥さんで、朝日奈くんは、先輩の要請で奥さんと不倫関係をもつべく努めていたわけなのです(先輩は、奥さんと別れたがっていただけでなく、その際に、慰謝料をもまき上げようとも企んでいました)。でも、よくある話ながら、朝日奈くんは、山田さんに恋心を抱いてしまうのです。その結果、……。
(注5)同書は短編集で、原作の他に4作が掲載されています。
(注6)例えば、映画では、山田さんとその娘が高知の実家へ帰る日に、彼女らが乗るタクシーが、井の頭公園を西端を横切る道路を歩く朝日奈くんと遭遇します。ですが、いくら何でもそんな偶然が起きる確率はごく小さいでしょう(それに、歩道が設けられておらず、車が頻繁に通るあの道路を歩く人など、滅多におりません)。
この点、原作では、彼女らは朝日奈くんのアパートにやってきて別れの挨拶をするのです。これなら十分に受け容れ可能です。
映画の改変は、井の頭公園を別れの場としたいためなのでしょうが、いささかやり過ぎではと思いました。
それに、映画のラストでは、朝日奈くんが役者の道に戻ったことを明らかにするために、台本を覚えている彼の姿を映し出し、また、高知の山田さんとの関係が途切れていないことを示すためでしょう、山田さんから送られてきた手紙(娘が書いた象の絵まで添えられて)を公園の池の端で彼が幸福そうに読むシーンまで描き出されます。
むろん、原作には、そんな陳腐な場面など書き込まれてはいません!
(注7)原作では、朝日奈くんが、“先輩の部屋に居候していたときに、舞台のチラシをそこに置いていったことがあって、それを山田さんが見て劇場に行ったのでは”、と山田さんに話します(P.304:映画でも同じ説明をします)。要すれば、山田さんとの出会いは、朝日奈くんにとっては「奇跡」でも何でもない事柄のはずです。
(注8)いくらでも例示することが出来ますが、もう一つ例を挙げれば、映画の初めの方で、若い男女が山田さんのいる喫茶店に入ってきて喧嘩をし出し、女が投げた椅子で、朝日奈くんは顔面に傷を負うというシーンがあります。
同じ場面は、原作の冒頭でも描かれているところ、そのカップルの男について、「大学生くらい」とか「普通の風貌」と、いかにも朝日奈くんは何も知らなかったように書かれていますが(P.233)、実はよく知る劇団の後輩なわけで(そのことは、ラスト近くで明らかにされます:P.296)、そうだとすれば、朝日奈くんが話している物語においてこんなソッケナイ書き方は出来ないのでは、と思われます。
★★★★☆
〔追記:2011.12.12〕本作の主題曲『空に星が綺麗~悲しい吉祥寺~』〔アルバム『FIRE DOG』(1996年)収録曲〕を歌っている斉藤和義が、『ナニワ・サリバン・ショー』に出演しています。