荻上直子監督の前2作はお気に入りなので、3作目もと思って『トイレット』を見に銀座テアトルシネマに行ってきました。
(1)物語は、アメリカのある町の墓地における母親の葬儀の場面から始まります。日本人の母親が突然亡くなって、3人の兄妹が取り残されますが、もう一人、少し前に日本から引き取られた祖母(「ばーちゃん」)も同じ家に住むことになります。
この祖母(もたいまさこ)は、英語ができないこともあって、家の中で何一つ話をせずに、いつもジーッと自分の部屋の椅子に座っているだけです。
また、3人の兄妹のうち、長男のモーリーは、ピアノが得意にもかかわらず、パニック障害のため演奏会には出場できず、家に引きこもったままです。
それに、次男のレイは、研究所に勤務する研究員。暮らしていたアパートが火事になって、この家に戻ってきました。ただし、人と余り話をせず、一人でガンダムなどのプラモデルをいじくるのが趣味なのです。
最後は長女のリサ。やや男勝りで元気がよい大学生、ただ口が酷く悪いのです(彼女も、人とうまくコミュニケーションが取れないところがあります)。
こうした人たちが、一つ屋根の下で一緒に暮らすわけです。3人の兄妹は、以前と同じような生活を継続しようとします。しかしながら、それぞれ問題を抱えていて、お互いにうまく馴染めません。
なにより問題なのが祖母の存在です。
例えば、朝忙しい時に長い時間トイレを使い、挙句に出てくると深いため息をつくのですから、神経質なレイは参ってしまいます。
ですが、モーリーが引っ張り出してきたミシンを、祖母がうまく直したところあたりから、事態はいい方向に動き出し、最後は3兄妹でこの祖母の葬儀まで行って物語は終わります。
葬儀の模様が冒頭と末尾に描かれますが、それも含めて、全体として派手派手しいことが何一つ起こらず、静けさが隅々まで行きわたっている映画です。
コンクールに出場したもののパニック障害に襲われてピアノが弾けなくなりかかったモーリーに対して、会場にいた祖母が、親指を立てながら一言「クール」と叫ぶ場面が象徴的でした。
ただ、その言葉を聞いたモーリーが、落ち着きを取り戻して弾いたリストの曲は、残念ながら次第に高揚する騒々しいものでしたが(注1)!
そうした静かなうちにも、一番コミュニケーションを取るのが難しいと思われた祖母を起点にして、4人のつながりが次第に形成されていく展開が見事だと思いました。
特に、派手な会話はないのですが、4人でギョーザを作って、庭で一緒に食べるシーンは出色です。こうして家の中でうまくコミュニケーションが取れてくると、外部との交流も回転し出します。
モーリーは、コンクールに出場すると言い出しますし、レイも職場の同僚のインド人との関係がうまくいくようになります(注2)。リサは、エアギターをもっとやりたいとのこと。
3人をつなぎとめていた祖母が亡くなっても、3人はなんとかうまくやっていくことでしょう。
激しい音響とともに派手に展開する映画が多い中で、やはりこうした静かな作品には深い味わいがあって、却って楽しめるものだなとつくづく思いました。
(注1)こうした技巧的で見栄えのする曲を力強く弾けば、ピアノの腕前の凄さが素人にも理解できるのでしょうが、むしろもっと地味な曲を至極静かに弾いて感銘を与える方が、音楽的とも言えるのではないでしょうか?
なお、このサイトの情報によれば、リストのこの曲は、漫画版『のだめカンタービレ』第15巻(Lesson86)にも登場するとのこと!やっぱり。
(注2)同僚は、レイに、日本のウォシュレットのことを教えてくれます。レイは、大昔、日本のトランジスターラジオを知った西欧人のような感じを持ったのではないでしょうか。
(2)この映画は全体的に、荻上監督の前2作と類似する雰囲気を持っています。 さらに具体的なところでは、たとえば、この映画におけるエアギターへの拘り(エンドクレジットでは、3兄妹がそれぞれエアギターを演奏する様子が映し出されます)は、世界選手権が開催されるフィンランド(注)を舞台にした『かもめ食堂』からのものでしょう。
ただ、作品全体の感じからは、なんだか『プール』の雰囲気を濃密に引き継いでいるのではと思えてしまいます。といっても、『プール』は大森美香監督の作品であって荻上直子氏が制作したものではありません。それでも、大森氏は、萩上氏の前2作のプロデュサーを務めているのです!
ですから、タイ・チェンマイにあるゲストハウスのオーナーのもたいまさこは、癌で余命半年といわれ(実際には、宣告されてから3年も経過しているとされていますが)、プールのそばにあるデッキチェアなどに横たわって小林聡美や加瀬亮らが働く様子を見守っているだけですが、これは、『トイレット』で、もたいまさこが一言も話さないでじっと椅子に座って、窓から外の様子をうかがっている姿を彷彿とさせます(あるいは、その様子は、『めがね』の「たそがれ」ている感じと共通しているのかもしれませんが)。
(注)『かもめ食堂』がきっかけで、エアギター世界選手権大会がフィンランドで開催されていることや、金剛地武志(2004、5年に連続4位)とかダイノジ大地(2006、7年と2連覇)の名前を知りました。
(3)映画評論家は総じてこの作品に好意的と思われます。
渡まち子氏は、「異国の地で暮らす異邦人のばーちゃんは、劇中でたった1回しか言葉を発しない。そのひと言こそ、3兄妹とばーちゃんが血のつながりを超えた本当の家族としてスタートする高らかなファンファーレだ。ただそこにいるだけの猫に心が和むように、ときおり無言で微笑むばーちゃんの存在に癒されるように、この作品の無愛想な空気が心地よい」として70点を、
町田敦夫氏も、「書きたい物語を書いたら、たまたま登場人物が外国人でしたという感覚か。もたいまさこが出ていなければ、日本人の監督・脚本で作られたことさえつい忘れてしまいそうだ。そのもたいは本作でも存在感抜群」であり、「それぞれに変人だが、善良でもある3人の兄妹の人物造形も好感度大。そんな4人を自在に動かし、荻上は血のつながりの温かさを、さらには血縁を超越した家族の情を描いてみせた」として70点を、
福本次郎氏は、「映画は、家族という社会の最小単位ですらお互いが努力しなければそのつながりが維持できない現実を描くとともに、かけがえのない絆が血縁を超えた結びつきを生む幸福も教えてくれる」として60点を
前田有一氏だけは、「とっぴなキャラクターの「秘密」が次々と提示されるものの、だから何?、の世界。しかるべき伏線もなければ魅力的な人間描写のエピソードも少ない。私の場合は、ついぞ彼らの誰一人に対しても共感を抱けなかった。それだけで判断するのもなんだが、これは相当見る人を選ぶだろう」と頗る批判的ながら55点を
それぞれ与えています。
★★★★☆
象のロケット:トイレット
(1)物語は、アメリカのある町の墓地における母親の葬儀の場面から始まります。日本人の母親が突然亡くなって、3人の兄妹が取り残されますが、もう一人、少し前に日本から引き取られた祖母(「ばーちゃん」)も同じ家に住むことになります。
この祖母(もたいまさこ)は、英語ができないこともあって、家の中で何一つ話をせずに、いつもジーッと自分の部屋の椅子に座っているだけです。
また、3人の兄妹のうち、長男のモーリーは、ピアノが得意にもかかわらず、パニック障害のため演奏会には出場できず、家に引きこもったままです。
それに、次男のレイは、研究所に勤務する研究員。暮らしていたアパートが火事になって、この家に戻ってきました。ただし、人と余り話をせず、一人でガンダムなどのプラモデルをいじくるのが趣味なのです。
最後は長女のリサ。やや男勝りで元気がよい大学生、ただ口が酷く悪いのです(彼女も、人とうまくコミュニケーションが取れないところがあります)。
こうした人たちが、一つ屋根の下で一緒に暮らすわけです。3人の兄妹は、以前と同じような生活を継続しようとします。しかしながら、それぞれ問題を抱えていて、お互いにうまく馴染めません。
なにより問題なのが祖母の存在です。
例えば、朝忙しい時に長い時間トイレを使い、挙句に出てくると深いため息をつくのですから、神経質なレイは参ってしまいます。
ですが、モーリーが引っ張り出してきたミシンを、祖母がうまく直したところあたりから、事態はいい方向に動き出し、最後は3兄妹でこの祖母の葬儀まで行って物語は終わります。
葬儀の模様が冒頭と末尾に描かれますが、それも含めて、全体として派手派手しいことが何一つ起こらず、静けさが隅々まで行きわたっている映画です。
コンクールに出場したもののパニック障害に襲われてピアノが弾けなくなりかかったモーリーに対して、会場にいた祖母が、親指を立てながら一言「クール」と叫ぶ場面が象徴的でした。
ただ、その言葉を聞いたモーリーが、落ち着きを取り戻して弾いたリストの曲は、残念ながら次第に高揚する騒々しいものでしたが(注1)!
そうした静かなうちにも、一番コミュニケーションを取るのが難しいと思われた祖母を起点にして、4人のつながりが次第に形成されていく展開が見事だと思いました。
特に、派手な会話はないのですが、4人でギョーザを作って、庭で一緒に食べるシーンは出色です。こうして家の中でうまくコミュニケーションが取れてくると、外部との交流も回転し出します。
モーリーは、コンクールに出場すると言い出しますし、レイも職場の同僚のインド人との関係がうまくいくようになります(注2)。リサは、エアギターをもっとやりたいとのこと。
3人をつなぎとめていた祖母が亡くなっても、3人はなんとかうまくやっていくことでしょう。
激しい音響とともに派手に展開する映画が多い中で、やはりこうした静かな作品には深い味わいがあって、却って楽しめるものだなとつくづく思いました。
(注1)こうした技巧的で見栄えのする曲を力強く弾けば、ピアノの腕前の凄さが素人にも理解できるのでしょうが、むしろもっと地味な曲を至極静かに弾いて感銘を与える方が、音楽的とも言えるのではないでしょうか?
なお、このサイトの情報によれば、リストのこの曲は、漫画版『のだめカンタービレ』第15巻(Lesson86)にも登場するとのこと!やっぱり。
(注2)同僚は、レイに、日本のウォシュレットのことを教えてくれます。レイは、大昔、日本のトランジスターラジオを知った西欧人のような感じを持ったのではないでしょうか。
(2)この映画は全体的に、荻上監督の前2作と類似する雰囲気を持っています。 さらに具体的なところでは、たとえば、この映画におけるエアギターへの拘り(エンドクレジットでは、3兄妹がそれぞれエアギターを演奏する様子が映し出されます)は、世界選手権が開催されるフィンランド(注)を舞台にした『かもめ食堂』からのものでしょう。
ただ、作品全体の感じからは、なんだか『プール』の雰囲気を濃密に引き継いでいるのではと思えてしまいます。といっても、『プール』は大森美香監督の作品であって荻上直子氏が制作したものではありません。それでも、大森氏は、萩上氏の前2作のプロデュサーを務めているのです!
ですから、タイ・チェンマイにあるゲストハウスのオーナーのもたいまさこは、癌で余命半年といわれ(実際には、宣告されてから3年も経過しているとされていますが)、プールのそばにあるデッキチェアなどに横たわって小林聡美や加瀬亮らが働く様子を見守っているだけですが、これは、『トイレット』で、もたいまさこが一言も話さないでじっと椅子に座って、窓から外の様子をうかがっている姿を彷彿とさせます(あるいは、その様子は、『めがね』の「たそがれ」ている感じと共通しているのかもしれませんが)。
(注)『かもめ食堂』がきっかけで、エアギター世界選手権大会がフィンランドで開催されていることや、金剛地武志(2004、5年に連続4位)とかダイノジ大地(2006、7年と2連覇)の名前を知りました。
(3)映画評論家は総じてこの作品に好意的と思われます。
渡まち子氏は、「異国の地で暮らす異邦人のばーちゃんは、劇中でたった1回しか言葉を発しない。そのひと言こそ、3兄妹とばーちゃんが血のつながりを超えた本当の家族としてスタートする高らかなファンファーレだ。ただそこにいるだけの猫に心が和むように、ときおり無言で微笑むばーちゃんの存在に癒されるように、この作品の無愛想な空気が心地よい」として70点を、
町田敦夫氏も、「書きたい物語を書いたら、たまたま登場人物が外国人でしたという感覚か。もたいまさこが出ていなければ、日本人の監督・脚本で作られたことさえつい忘れてしまいそうだ。そのもたいは本作でも存在感抜群」であり、「それぞれに変人だが、善良でもある3人の兄妹の人物造形も好感度大。そんな4人を自在に動かし、荻上は血のつながりの温かさを、さらには血縁を超越した家族の情を描いてみせた」として70点を、
福本次郎氏は、「映画は、家族という社会の最小単位ですらお互いが努力しなければそのつながりが維持できない現実を描くとともに、かけがえのない絆が血縁を超えた結びつきを生む幸福も教えてくれる」として60点を
前田有一氏だけは、「とっぴなキャラクターの「秘密」が次々と提示されるものの、だから何?、の世界。しかるべき伏線もなければ魅力的な人間描写のエピソードも少ない。私の場合は、ついぞ彼らの誰一人に対しても共感を抱けなかった。それだけで判断するのもなんだが、これは相当見る人を選ぶだろう」と頗る批判的ながら55点を
それぞれ与えています。
★★★★☆
象のロケット:トイレット