映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

七夜待

2008年12月10日 | 08年映画
 河瀬直美監督の「七夜待」を渋谷シネマライズで見ました。

 河瀬監督の作品は、「萌えの朱雀」以降気になる作品が多く、DVDも含めてかなりの数を見ているので、かつまた現在政情不安が伝えられるタイを舞台とする映画でもあるところから、この映画は時間があればと狙っていたところです。

 さて、「七夜待」について、「映画ジャッジ」というサイトで三人の評論家の評を読むことができます。福本次郎氏は、「意味不明のストーリーと共感できない登場人物、そして雑な撮影と脈絡のないエピソードの連続」というところから30点を、渡まち子氏も、「映画はいったい何が言いたいのかサッパリ伝わらず、異言語のコミュニケーションの行き違いも作品を混迷させるだけ。癒し系の映画のように見えるが頭を混乱させられてはたまらない」で゛30点を、ところが前田有一氏は、「映画の中身は相変わらずの無説明&非論理的ストーリー展開。芸術的理不尽=河瀬ワールド全開」としながらも、「長谷川京子の独身最後のナイスバディを堪能」できるといういつもの視点から70点、を与えています。

 前田氏と他の二人とは評点に大きな差があるものの、いずれの評論家も、この作品の意図するところがわからない点を指摘しています。ですが、この映画は、例えば最近見た「天国はまだ遠く」において、加藤ローザに代えて長谷川京子を、そして舞台を京都宮津の山奥からタイの貧しい農村に移し代えたものだと考えれば理解可能な作品ではないか、と思いました。
 さらには、“性的に淡泊”という点でも、二つの映画は共通しています。この映画では、日本で愛人との関係で問題があった長谷川京子が、一人日本を逃げ出して迷い込んだタイの農家に格好のフランス青年が住み着いているにもかかわらず、その彼がゲイだという設定ですから、結局何事も二人の間で起こるはずもなく映画は終わってしまいます。

 要すれば、二つの映画は“癒し系”映画なのでしょう。ただ、前者は、ヨク知る日本の原風景ですから、映画の登場人物のみならず観客も癒されるかもしれませんが、後者は熱帯雨林の中で展開されるため、いくら周囲の自然の風景が描写されていても簡単には親近感を持てず(ブラジルのアマゾンの風景に類似しているものの)、主演の長谷川京子ほどは観客が癒されることはないのではと思われます。

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天国はまだ遠く

2008年12月07日 | 08年映画
 「天国はまだ遠く」を渋谷セゾンで見てきました。

 この映画は、樺沢紫苑氏の11月27日付けメルマガ「映画の精神医学」において、「こんな素晴らしい作品を見逃さずに、スクリーンで見られて本当によかったと心から思」ったと評されていたので、そこまで言うのであればと見に行ってきました。

 確かに、描かれているのが、「好き嫌いという恋愛関係ではなく、癒し癒される。お互いのことを気遣いながら人間関係が深まっていく、そんな微妙な人間関係」であって、お笑いコンビの「チュートリアル」の徳井義実氏は、「ルックスだけではなく、しっかりとした演技を見せてくれ」るし、「ヒロインの加藤ローサが、実にチャーミング」なこともあって、マズマズの出来栄えといえるでしょう。

 特に、加藤ローザが、宮津の山奥にある徳井の家の近所を散歩するシーンが何度かあるのですが、そのたびに周囲の美しい風景がジックリと映し出され、ソレだけでも一見の価値がある映画だと思われます。マア、樺沢氏ならずとも、「「生きる喜び」を実感させてくれる。真の癒し系映画」といいたくなってきます。

 ただ、ソウ見てしまうだけではお人好しが過ぎるというものでしょう。
 いくら「民宿の主人と客という関係だったからこそ、適度な人間的距離間が維持され、非常に良い「寄り添い」が実現した」ように思われるとはいえ、徳井氏と加藤ローザとの二人だけが、暫くの期間一つ屋根の下で生活して、性的に何事も起こらないというのでは、“おままごと映画”、“子供向き映画”といわれても仕方がないかもしれません〔この間見た映画「秋深き」でもソウですが、このところの邦画(勿論、ピンク系は別です)では、性的な事柄が非常に淡白にしか描かれてはいないように思われます。この点は、ハリウッド映画の方がズット大人の関係がキチンと描かれているのではと思えます〕。

 要すれば、“癒し系”映画とは、男女がいても、その性的関係を度外視して、共同体の暖かい関係に嵌る様子を描くものではないか、と思えてしまいます〔それは、結局幼児に戻ることでしかないのではないでしょうか?〕。

 なお、TVをよく見る人にとっては、徳井氏が登場すると、どうしても「チュートリアル」のイメージが重なってしまい、本人が真面目な演技をすればするほど、そのアトでスグにズッコケるのではないかと思えてしまい、余り映画の中に入り込めない、といった問題もあるようです〔特に、タクシー運転手に宮川大助・花子の大助が扮し、刑事役にチャンバラトリオの南方英二がなったりするので、一層その感が強まるようです〕。
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トウキョウソナタ

2008年10月19日 | 08年映画
 黒沢清監督の「トウキョウソナタ」を恵比寿のガーデンシネマで見ました。

 この作品は、このところ「loft」とか「叫び」などホラー映画を撮り続けている黒沢監督が始めて取り組んだ“家族映画”、という触れ込みです。

 とはいえ、会社の総務課長だった香川照之が突然リストラされたり、長男が突然米軍に志願して中東に派遣されたりする映画ですから、なるほどラストシーンはこれまでの黒沢映画には見られない雰囲気を持つとはいえ、やはりホラー映画ともいえるかもしれません。
 それぞれの話は、分離して個別に扱えばどこにでも転がっているもので、ことさらな感じは何もしません。ですが、1つの家族の中で続けて異変が起きるとなると、否応なく特異な雰囲気が醸し出されてきます。

 加えて、この映画の元の脚本はオーストラリア出身者が書いたということもあって、日本を良く知る人とのことですが、違和感を感じざるを得ないシーンがいくつかあります。特に、長男の米軍志願などは、今の日本では到底考えられないことです〔ただ、「傭兵」と言うことであれば可能なようですし、またNGOの一員としてアフガニスタンに行くことなどを象徴していると考えれば、十分に現実的でしょう〕。

 ですが、そんなことを論うよりも、現実の日本についてこうした捉え方もあるのだ、というところからこの映画を味わってみたら、随分と面白いのではないかと思います。むしろ、そういった違和感を随所で感じるからこそ、通り一遍の“家族映画”ではないこの映画の格別な存在感があるのでしょう。

 そうした設定の中で、小泉今日子を含め、役所広司など芸達者な俳優が演技するわけで、大層興味深く面白い映画に仕上がっているなと思いました。

 なお、主人公の家は、井の頭線の「駒場東大前」駅から、その南側にある東大前商店街を抜けて松涛に向かう道の途中にあります(ウォーキングでよく通るコースです)。スグソバを走る井の頭線の騒音が非常にうるさく、今にも不均衡に陥ってしまう感じが家の中に濃厚に漂っている様がよく出ていると思いました。

〔Yahooには、「トウキョウソナタと言うからには東京を舞台にしているのかなと思いましたが、東京ではない別の場所、トウキョウが舞台になっているようです。その街では総務課長までなった人が、解雇予告もなくある日突然(引継ぎも無く)職場を追い出されるし、晩秋でも陽が差してるうちに父親が家に帰ってきても不審がられない。ホームレスのための炊き出しに奇麗な身なりのサラリーマンが並んでも咎められないし、ハローワークは番号札があるのに長蛇の列に並び、スーパーの清掃員は店内で生着替え。どうもおかしいと思ったら外国の方の脚本をそのまま使ったんですね」という分かったような評がありますが、こういった見方だけはしないようにしようと思います!と言うのも、そんな分かりきったことを監督やスタッフが知らないはずもなく、むしろ意識的にそのような場面を描いたと考えるべきでしょうから〕。
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落下の王国

2008年10月12日 | 08年映画
 『落下の王国』をシネスイッチ銀座で見ました。

 確かに、画面に映し出される映像がすごくきれいなことは認めますが、今となっては、TVのハイビジョン映像でこうしたきれいな画像はふんだんに見ることができますから(たとえば、世界遺産特集など)、それほど驚かなくなっているのではないでしょうか?

 そこでストーリーの方になるのですが、この映画では、ファンタジーの世界が、はじめからお話、あるいは絵本の世界とわかってしまっています。
 他方、似たように少女が中心的な役割を演じるファンタジー映画『パンズ・ラビリンス』では、むしろスペイン戦争の最中という現実のなかで少女がファンタジーの世界に入ったり出たりします。
 すなわち、『落下の世界』では、ファンタジーの世界は現実の場所(タージマハールなど)を背景にして描かれますが、もう一方の『パンズ・ラビリンス』ではすべてCGで描かれるわけです。

 また、本作は、少女とスタントマンとの交流がメインのお話で、もう一つは戦争の真っただ中での継父との争いが中心的というように、描かれる現実世界の重みもかなり違っています。

 ただ、こうして両者を比べてみたりすると、勿論『パンス・ラビリンス』は良かったのですが、この映画も捨てたものではないのでは、と思えてきます。特に、この映画の少女を演じたカティンカ・アンタルーは、『パンス・ラビリンス』のイヴァナ・バケロと比べたら月とスッポンながら、逆にそこが良くて、印象に残るのはむしろこちらの方なのではないかと思いました。

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イントゥ・ザ・ワイルド

2008年09月27日 | 08年映画
 『イントゥ・ザ・ワイルド』を、新宿のテアトル・タイムズスクエアで見てきました。

 実話に基づいたノンフィクションを、俳優のショーン・ペンが監督・脚本を手がけて制作した作品です。
 主人公の青年(エミール・ハーシュ)は、大学を卒業した時点で、親の手を完全に離れて、自分自身の手で一から生活してみたいと強く望み、自分の名義になっていた貯金を全額施設に寄付し、手持ちの車や現金も棄て、アルバイトをしながら生活資金を貯め、ソレが貯まると装備を整えて、共同体からは遠くはなれて西部を通って北に向かって一人で歩き出します。

 こうしたストーリーは、下手をすると、いわゆる「自分探しの旅」に出る若者についてのどこにでも転がっているお話になってしまいかねません。もっと言えば、なぜ大学を卒業するまでそういう気が起こらず、卒業した途端にそんな気になるのか、自分の手で生活することを望んでも、やはり一定の装備は必要で(猟銃を持っていきます)、であればやはり社会からは離れられないのではないのか、一人で真実の自由な生活をするとしても程度問題ではないのか、などなど様々な疑問も湧いてきます。

 としても、アメリカのアチコチの非常に雄大な景色が何度も画面一杯に映し出されると、この青年の何とか自分ひとりで生活して、自然と一体になりながら北に向かって歩いていきたいというヒリヒリするような欲望は、分からないでもないという気がしてきます。

 要すれば、こうした素晴らしい広大な映像を見せられて、どこまで観客が説得されるかではないか、と思えます。アンナ素晴らしい自然があるのならこういう生き方でも仕方がないではないか、と十分説得されましたが、他方で、いい気なものではないか、人生を甘く考えているだけではないのか、と非難する人も大勢出てくる映画ではないかとも思われます。
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スカイ・クロラ

2008年08月24日 | 08年映画
 押井守監督のアニメ「スカイ・クロラ」を渋谷東急で見てきました。

 それほどアニメを見ているわけではありませんし、これまでも「攻殻機動隊」や「パトレーバー」を見ただけで、決して押井ファンではないのですが、4年振りの作品なので見てみようと思った次第です。

 この映画について、前田有一氏は、「機銃の直撃を受けキャノピー内に飛び散る血しぶきや、サブ燃料タンクを緊急投下する描写など細部にこだわるマニアックな演出と、3DCGを効果的に使用した飛行時の戦闘機アニメーションは、ハリウッド実写作品顔負けの物凄い迫力」と述べています。
 確かに、戦闘機の戦闘場面はすごい出来栄えだなと思いました。

 ただ、登場する戦闘機や爆撃機がジェット機ではなく、どれも皆プロペラ機なのです。いったいこの作品はいつの時代を想定しているのかと不思議に思いました。

 他にも疑問点が出てきます。主人公たちがいる基地は欧州に設置されていると考えられるところ、関係者が皆日本語を話すのです(主な登場人物は、全て日本人です)。また、主人公たちがチョット街に出ると、周りは英語の看板だらけです。この作品を海外に売りに出す場合には、こうした設定はメリットになるものの、押井氏は一体誰に向かってこの作品を発信しているのか疑問に思いました。

 ですが、見ているうちに、この映画は例の「可能的世界」(パラレルワールド)を取り扱っているのではないか、ジェット機が開発されずプロペラ機の段階でストップしているような世界、企業が委任を受けて戦争を継続しているような別の世界を取り扱っているのではないか、と思えるようになり、そうだとすればどんなことでも何でもありですから、疑問を持つ必要もないことになります。

 おそらく、押井監督が描きたいと思ったのは、ジェット戦闘機からボタン一つで発射されるミサイルが飛び交う無機質的なシーンではなく、プロペラ機による手作り感のある戦闘場面(機銃の世界)なのでしょう。それで、現在に基づいて推測される何年か後の予想世界ではなく、単なるもう一つ全く別の可能的世界を描き出すことにしたのでしょう。

 また、“キルドレ”という子供(一定の年齢で成長が止まったままの人間)が操縦士になるというような世界に拵えて、若者に伝えたいメッセージを明確にしようと考えたのではないか、と思われます。

 ただ、それだけで観客に向かって映画を投げ出してしまうと、現在の世界とは無関係のおとぎ話と受け止められ、自分が伝えたいことも無視されてしまいかねません。
 実に様々のメディアに監督自身が登場し、こうしたアニメを制作するに至ったその真意を繰り返し言葉で伝えようとしています。
 例えば、『アニメはいかに夢を見るか』(押井守編著、岩波書店、2008.8)では、「同じ日々の繰り返しでも、見える風景は違う。そのことを大事にして、過酷な現代を生きてゆこう」というのがこの作品のテーマだとしています。

 ですが、映画の製作者がこうした発言をあからさまにしたら、映画の意味が半減してしまうのではないでしょうか?映画を見るにあたって、この映画はこういう観点から見るべきだなどと制作者によって枠をはめられたら、わざわざ時間を潰して映画館に行くまでもありません。そうしたメッセージを文字で読みさえすれば十分なのですから。

 とはいえ、やはりさすが押井監督だけあって、最後まで人を引き付ける面白いアニメに仕上がっていると思います(これまでの作品のように難解なところはあまりなく、ある意味でとてもストレートな感じが漂っていると思いました)。

 それにしても、このアニメに関する本(それに押井氏の本)が、実に沢山書店に並べられているのには驚きです(絵コンテ集などを購入する人がそれほどいるとは思えませんから!)。
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ジャージの二人

2008年08月13日 | 08年映画
 「ジャージの二人」を恵比寿ガーデンシネマで見ました。

 「アヒルと鴨のコインロッカー」―DVDで見ましたが、大変優れた映画だと思いました―の中村義洋監督の作品であり、また今売り出し中の堺雅人が出演するというので見に行ったわけです。

 総じて言えば、「走っても、走っても」に繋がるような、格別大したことが何も起こらない映画で(さらに言えば、「純喫茶磯辺」にしても「100万円と苦虫女」でも特段の事件は何も起こらず、あるいは、このところの邦画の傾向―勿論私が見たわずかの作品からの推測に過ぎませんが―といえるかもしれません)、個別的にもそれほど悪くない雰囲気のシーンがいくつかあり、全体としてもマズマズの出来だなと思いました。

 簡単に言うと、仕事を辞めたばかりの息子(堺雅人)―32歳という設定―と、グラビアカメラマンをしている父親(鮎川誠)―54歳という設定―とが、ある夏、北軽井沢の別荘へやってきて、古着のジャージを着ながらグタグタそこで何日か過ごします。
 ただ、二人ともそれぞれ問題を抱えており、二人は次の年の夏も同じ別荘でやはりのんびりと過ごしますが、グータラな生活を通じ、なんとか問題を乗り切れそうな手掛かりが掴めたようなのです。

 こうしたはっきりとしないストーリーながら、堺雅人の持ち味が十分に発揮されており、また、鮎川誠も、本職はロックバンドのギタリストですが飄々とした感じに好感を持てます。さらに、携帯電話の電波が届く圏内かどうかという点を巡る場面など大層印象的なシーンがいくつか設けられています。

 この親子の関係は、以前の「たみおのしあわせ」同様、自分に引き付けて見ることも出来そうです。とはいえ、実際ならば、このような愚図愚図した息子に対しては、私だったら強い態度に出てしまうな、しかしそんなことをすると反抗的な態度に出られて関係が破綻してしまうだろうな、といっても、元々二人だけで何日も泊まりに行くなどという状況は考えられないな、などイロイロ考えさせられました。
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ビルと動物園

2008年08月10日 | 08年映画
 「ビルと動物園」を渋谷ユーロスペースで見ました。

 30歳になろうかという坂井真紀を、アルバイトでビルの窓拭きをしていた大学生が一目ぼれをしてしまうというだけのストーリーで、これまた邦画の最近の傾向に沿ったもの(たいした事件は何も起きない)といえそうです。

 とはいえ、この映画は評価できないなと思いました。
 問題は、この映画を製作した監督がまだ若すぎて(33歳)、脚本を映画学校などで教わったとおりに作っているのではないかと思えてしまう点です。
 
 例えば、できるだけ余計な台詞を省いてしまおうとして、喫茶店で二人が動物の写真を見ている場面から、イキナリ動物園が舞台のシーンに切り替わってしまうのです。
 一般の映画であれば、この間に、「次の日曜日はどうしましょうか?」「動物園でも行こうか?」「それなら、お弁当を作ってきましょう」「じゃー9時に駅で待ち合わせよう」などといった他愛もない会話が考えられるところです。
 ですが、不必要といえば不必要で取るに足りない会話だからといって、そんなものでも省略されることが数回続くと、見ている方は落ち着かなくなってきます。
 さらに、そんなに急くのであれば、さぞかし後半部分においては大事な会話のシーンが待っているのかなと期待すると、アニはからんや格別なことは何も起こりません。

 それに、坂井真紀の方は、会社の上司と不倫関係にありながらこのところはソレがうまくいかなくなっているとか、地方にいる父が都市に出てきて見合いを迫るとか、それらしい現実が付加されていきます。ところが、相手の大学生は21歳の音大生となっているだけで、リアリティが殆どありません。例えば、教員資格を得るために故郷の小学校で教育実習をしますが、音楽の先生は懐かしがってくれるものの、そのほかの人たちは一切誰も現れません。ですから、この大学生の家族がどうなっているのかなど現実的なことは何も分からないままなのです。

 何も起こらない日常生活を重視するというのであれば、主な登場人物の姿くらいはくっきりとわかるように描き出さなくては、全体が茫漠となりただ霞んでしまうだけの映画になってしまうのではないでしょうか。
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たみおのしあわせ

2008年08月03日 | 08年映画
 銀座シネ・スイッチで「たみおのしあわせ」を見てきました。

 自分の一人息子が結婚して一年も経っていないという主観的・私的事情が影響しているのでしょうか、この映画の基本的シチュエーションにいたく共感、最初から最後まで大いに面白さを感じてしまいました。
 特に、前半部分における原田芳雄の父親とオダギリジョーの息子との掛け合いは、ソウだソウかも知れないと台詞の一々を受け止めることが出来ました。

 ソレが、突如として「屋根裏の散歩者」的な画面になったと思ったら、「休暇」で好演していた小林薫の登場で、局面がガラリと変わりアレッと驚かされます。
 その線で突っ走るのかなと思いきや、大竹しのぶと原田芳雄との密会を小林薫が天井から覗くという設定では、これはエロチックなシーンを求めても無理だなと思っていたら、案の定、ほんの入り口でオシマイです。

 ですが、小林薫は、“洋行”帰りのオカシナ服をまといつつ、一方で大正時代の「相対会」めいたグループを密かに結成しながら、他方で原田芳雄から大竹しのぶを奪い取るという離れ業をやってのけます。小林薫は、「休暇」の時とはまた全然異なる実に味のある演技をしていると思いました。

 また、原田芳雄は、大竹しのぶとの関係が冷え込んでいく中で打つ手がなく困っているうちに、息子の結婚式を迎えることになりますが、そこに大竹しのぶより前の愛人である石田えりも招待しています。いくらなんでもソコまでは、と観客に意外に思わせるところが、監督・脚本の岩松了氏の腕のサエでしょう。

 それに、ウダツの上がらない父親役を原田芳雄は実にうまく演じています(前作の「歩いても歩いても」では、実年齢よりも10歳くらい上の役柄で、チョットそぐわないところもありましたが、この作品ではピッタリです)。
 ラストで、原田芳雄は、息子の結婚相手に交通事故で亡くした自分の妻の面影を見出して惹かれてしまうという困難な事情にあるところ、映画「卒業」のダスティン・ホフマンばりな荒業でその状況を切り抜け、ついには、映画「フィールド・オブ・ドリーム」的に、妻(母親)を追いかけて民雄と一緒になって草むらの中に入っていくわけですが、この幕切れも、トテモよく出来ていると思いました。

 麻生久美子は、「純喫茶磯辺」のウエイトレスと同じように、余り捉えどころがない役ながら、ヨク演じていると思います。なにしろ、今時、こんな美人がお見合いの席に登場するなど普通は考えられないでしょうし(裏の事情があるらしいことは、ごく簡単に触れられています)、まして婚約者の父親に自分のネームが入ったネクタイを送ることなど、どうかしています。

 そういったことで言えば、民雄についても、なぜいつまでも父親の下で燻って地方で生活しているのかわかりませんし、大体どこでどんな風に働いているのか良く分かりません、それにこの若さで数多くのお見合いをこなしているというのもよく分からないことです。

 こうした性格のはっきりしない役、父親を疎ましく思いながらも些細なことまで気を使う今時の青年の役を、オダギリジョーは、非常にうまく演じていると思いました。

 全体として、プティいい加減でどうしようもない人物ばかり登場するわけで、私はだからこそ面白いと思ったのですが、逆に「巧映画批評」の渡まち子氏になると、「これほどの豪華キャストなのに、作品にまったく好感が持てないのは、登場人物全員がイヤな奴だからか」と述べて20点しか与えません。そんなに真剣に受け止めなくともと思いますが、マア人により、好き嫌いはあるのでしょう!

 こうして、今や脂の乗り切っている俳優・原田芳雄を基点にすると、是枝監督の「歩いても歩いても」とこの映画とを比較でき、前者が大層まじめな映画なら(原田芳雄―阿部寛―YOU)、こちらはそのおふざけ版とも言えるでしょうか(原田芳雄―オダギリジョー―麻生久美子)。ベクトルの方向は反対に向いているにしても、いずれも非常によくできた面白い映画だなと思った次第です。
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ザ・マジックアワー

2008年07月20日 | 08年映画
「ザ・マジックアワー」を近くの吉祥寺で見てきました。

 前作の「有頂天ホテル」のような作品に過ぎないのでは、とあまり期待せずに見たところ、今回の作品は、前作よりもズット面白く出来上がっているように思いました(素直に笑える場面が多かったと思います)。

 粉川哲夫氏が、従前の三谷作品は、「ある意味で「演劇的」なのだが、もっと正確に言えば、演劇の舞台を中継放送しているのを見る感じ」だったが、「今回は、そういう薄膜をさっぱり剥ぎ取り、演技や演出のプロセスのなかに観客を引き込む」、と高く評価していますが、まずそんなところかな、と思いました。

 とはいえ、随分とお金をかけたコメディだな、コメディだったらそんなにお金をかけない方がコメディらしいのでは、と思ったりしました。

 配役は、亡くなった市川崑監督とか柳沢真一(JAZZシンガー)などを含め実に錚々たるメンバーを揃えていますし(「僕の彼女はサイボーグ」の綾瀬はるかも、重要な役どころで出演しています)、また、セットも凝りに凝っています〔「セット」が凝っているといっても、「セット」らしく凝っているということで、だからこそ、主人公(大根役者という設定)は映画の撮影と思い込んで、役者ではないやくざの親分と渡り合ったり出来るのでしょう!〕。
 ですが、やっていることがいい加減だったら、俳優陣もセットもいい加減の方がピッたる来るのではないでしょうか?それを、お金をかけることによって、過去の映画とか監督に対するオマージュだとかなんとか至極真面目な要素をちりばめるものですから、笑いにもブレーキがかかるというものです。

 としても、主演の佐藤浩市は、それまでの血気盛んな若者というイメージをかなぐり捨ててコメディに取り組んでいますし(昔はそうは思いませんでしたが、お父さんの三国連太郎と顔つきが実によく似ています)、妻夫木聡も、「演技や演出のプロセスのなかに観客を引き込む」上で重要な役柄をうまくこなしています。

 といったようなことで、総合すれば、マア合格点なのかな、と思いました。
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