『愛しき人生のつくりかた』を渋谷ル・シネマで見ました。
(1)フランスで100万人動員したヒット作というので映画館に行きました。
本作(注1)の冒頭では、モンマルトル墓地における埋葬の儀式が描かれます。
亡くなったのは、マドレーヌ(アニー・コルディ)の夫。
儀式がどんどん進行する一方で、画面には道路をひたすら走る若者の姿も映し出されます。
走っているのは、マドレーヌの孫のロマン(マチュー・スピノジ)。
棺が埋葬されて儀式が終わったところにロマンが到着。
ロマンがマドレーヌに「墓地を間違えた」と言うと、彼女は「亡くなった夫は怒っていないわ」と答えます。
次の場面は、ロマンが、ホテルの主人フィリップ(ジャン=ポール・ルーヴ)とバイトの件で面接を受けています。履歴書からロマンが大学で文学を専攻していると分かり、フィリップは「書いている小説は進んでいるかね?」と尋ね、ロマンが「書いてません」と答えると、フィリップは「いや、書いている。顔にそう書いてある」などと冗談で応じます。
そこから戻ったロマンが、近所のマドレーヌのアパルトマンに行くと、彼女はアルバムを彼に見せて、親族についていろいろ説明します。中には、ロマンの父親ミシェル(ミシェル・ブラン)の洗礼式の写真まであります。ロマンが「人生はあっという間」と口を滑らすと、マドレーヌは少々嫌な顔をしますが、彼が「ホテルで夜勤のバイトをする」と言うと、機嫌を直して「お前らしい」と応じます。
場面は郵便局。ミシェルが定年を迎え、お別れ会が開かれています。局長でしょうか、ミシェルのこれまでについて紹介し、「今日で定年を迎え、新しい人生が始まります。記念に、チュニジア旅行のチケットのプレゼントがあります」と言います。
家に戻ると、ミシェルは妻のナタリー(シャンタル・ロビー)に「職場は飽き飽きした、チュニジアに行こう」と言います。彼女が「自分で手続きしたの?」と訊くので、彼は「そうだ」と答えますが、ナタリーは、「郵便局からどこが良いかと事前に尋ねられてチュニジアと答えた」と内幕を暴露したので、ミッシェルは「オレもバカだな」とつぶやきます。
そんなこんなの家族ですが、さあこれからどんな物語が描かれるのでしょうか、………?
本作は、予告編から予想される“おばあちゃん”物として片付けられる作品ではなく、おばあちゃんの話をエピソードとして含む恋愛物でもあり、さらには夫婦愛の物語とも言えて、なかなか凝った作りになっています。とはいっても、アチコチにユーモアが感じられ、全体としては良質のフレンチ・コメディーに仕上がっていて、見終わるとほのぼのとした感じになること請け合いです。
(2)本作については、その主人公が誰であるかの判断によって、見方が変わってくるかもしれません。クマネズミは、予告編から、てっきり85歳になる祖母のマドレーヌが主人公に違いないとして、最近の映画でよく取り扱われる高齢者の生き方が描かれている作品ではないだろうかと思い込んでいました(注2)。
確かに、夫に先立たれたマドレーヌが老人ホームに入れられるものの、そこから脱走してしまう話がかなりのウエイトを持って描かれています。
でも、例えば、『陽だまりハウスでマラソンを』のように、老人ホームでの生活ぶりが様々に描き出されているわけではありません。
それに、公式サイトや劇場用パンフレットにおいてキャストとして冒頭に掲載されるのは、マドレーヌ役のアニー・コルディではなく、ミシェル役のミシェル・ブランの方なのです(注3)。
考え直してみると、本作は、二人の関係がギクシャクし出してきたミシェルとナタリーが再び愛を取り戻す過程を描いた作品とも読み取れるかもしれません。
ですが、クマネズミが実際に見たところからすると、本作の主人公は、むしろマドレーヌの孫のロマンではないか、そして本作は、ロマンを主人公とする恋愛物ではないかと思いました。
なにしろ、映画の冒頭で長々と走る姿が映し出されるのはロマンなのです。
そして、ラストでも、まったく同じことをロマンの恋人・ルイーズ(フロール・ボナヴェンチュラ)が繰り返し、ついには二人がキスをするシーンで映画が閉じられるのです。
それに、マドレーヌに優しく寄り添うのもロマンであり、ノルマンディーに脱走したマドレーヌを探しだすのもロマン。ミシェルとナタリーの夫婦関係を気にかけて効果的なアドバイスするのもロマンです。
こんなことになるのは、本作の焦点がボケていることを意味するのか、逆に、様々な視点から見ることの出来る奥の深さを持っていると考えるべきなのか、未だ判断がつきかねているところです(注4)。
なお、本作には、少々おかしな人がいく人も登場します。
例えば、上記(1)で触れたように、ロマンのバイト先のホテルの主人は、「小説を書いているだろう」とロマンをからかいますし、「ロゼは酒じゃない」と言ってホテルのフロントで飲んだりします。
また、ノルマンディーにいく途中でロマンが立ち寄ったドライブインの店員は、唐突にロマンに2個入りのチョコバーを勧め、それで閃いたロマンが「どうすれば運命の女性と出会える?」と尋ねると「待つことなく念じれば24時間以内に会える」と託宣を垂れるのです(注5)。
さらには、何だか判別の付かない動物の絵を描く画家も登場します(注6)。
作品全体に暖かさがみなぎっていて、まずまずの仕上がりになっていると思いました。
(3)渡まち子氏は、「墓地ではじまり墓地で終わる本作は、普遍的な家族愛について語った前向きなドラマだ。ほろ苦くて優しくて繊細。見終わった後は、きっと心がじんわりと温まる」として65点をつけています。
(注1)監督・脚本はジャン=ポール・ルーヴ。
なお、同人は俳優でもあり、本作でもロマンが働くホテルの主人役として出演しています。
また、本作はダヴィド・フェンキノスの『Les Souvenirs』を原作としています(ダヴィド・フェンキノスは本作の脚本にも参加)。
原題は、原作と同一。
ところで、邦題の「愛しき人生のつくりかた」については、本作のどこを見ればそんなタイトルになるのかサッパリわかりません。『あの頃エッフェル塔の下で』もそうですが、最近、随分といい加減な邦題が目立つように思います。
そういえば、後者の原題にも「souvenirs」が入っていました!なるほど、本作に「思い出」というタイトルをつけたら、内容について全く想像がつかないでしょう。でも、見終わったらその意味合いがよく理解できることと思います(ちなみに、このインタビュー記事でジャン=ポール・ルーヴ監督は、「日本のみなさんに見ていただきたいところは「過去は未来を構築するためのものである」ということです」と述べています)。
(注2)劇場用パンフレット掲載のエッセイ「この憂き世に優しいフレンチ・コメディー」において、筆者のきさらぎ尚氏は「祖母マドレーヌを話しの中心に据えた」と述べていますし、「フランス式「家族の絆」とは」の冒頭でも、筆者の中条志穂氏は「本作の主人公マドレーヌには3人の息子がいる」と述べています。
(注3)劇場用パンフレット掲載の「インタビュー」においても、最初に掲載されているのはマドレーヌを演じたアニー・コルディではなく、ミシェル役のミシェル・ブランなのです。
(注4)尤も、本作は、マドレーヌ―ミシェルとナタリー―ロマンという3代に渡る家族の絆を描いたもの〔上記「注2」で触れたきさらぎ尚氏は「3世代の物語」と言っています〕であり、3人とも主人公なのだとしてしまえば、話は簡単でしょうが!
(注5)実際にも、ノルマンディーで恋人のルイーズに出会えたことに気を良くしたロマンは、父親のミッシェルにも、この店員に悩みをぶつけてみることを勧めます。
(注6)マドレーヌとロマンは、老人ホームの壁にかかっているその画家が書いた絵を見て感心し、画家の家を訪ねて絵が素晴らしいと褒めると、画家は感激して、手元に残っていた絵を譲ってくれます。その絵を見てマドレーヌが「牛でしょ」と言うと、画家は怒ったように「犬です」と答えます。
★★★☆☆☆
象のロケット:愛しき人生のつくりかた
(1)フランスで100万人動員したヒット作というので映画館に行きました。
本作(注1)の冒頭では、モンマルトル墓地における埋葬の儀式が描かれます。
亡くなったのは、マドレーヌ(アニー・コルディ)の夫。
儀式がどんどん進行する一方で、画面には道路をひたすら走る若者の姿も映し出されます。
走っているのは、マドレーヌの孫のロマン(マチュー・スピノジ)。
棺が埋葬されて儀式が終わったところにロマンが到着。
ロマンがマドレーヌに「墓地を間違えた」と言うと、彼女は「亡くなった夫は怒っていないわ」と答えます。
次の場面は、ロマンが、ホテルの主人フィリップ(ジャン=ポール・ルーヴ)とバイトの件で面接を受けています。履歴書からロマンが大学で文学を専攻していると分かり、フィリップは「書いている小説は進んでいるかね?」と尋ね、ロマンが「書いてません」と答えると、フィリップは「いや、書いている。顔にそう書いてある」などと冗談で応じます。
そこから戻ったロマンが、近所のマドレーヌのアパルトマンに行くと、彼女はアルバムを彼に見せて、親族についていろいろ説明します。中には、ロマンの父親ミシェル(ミシェル・ブラン)の洗礼式の写真まであります。ロマンが「人生はあっという間」と口を滑らすと、マドレーヌは少々嫌な顔をしますが、彼が「ホテルで夜勤のバイトをする」と言うと、機嫌を直して「お前らしい」と応じます。
場面は郵便局。ミシェルが定年を迎え、お別れ会が開かれています。局長でしょうか、ミシェルのこれまでについて紹介し、「今日で定年を迎え、新しい人生が始まります。記念に、チュニジア旅行のチケットのプレゼントがあります」と言います。
家に戻ると、ミシェルは妻のナタリー(シャンタル・ロビー)に「職場は飽き飽きした、チュニジアに行こう」と言います。彼女が「自分で手続きしたの?」と訊くので、彼は「そうだ」と答えますが、ナタリーは、「郵便局からどこが良いかと事前に尋ねられてチュニジアと答えた」と内幕を暴露したので、ミッシェルは「オレもバカだな」とつぶやきます。
そんなこんなの家族ですが、さあこれからどんな物語が描かれるのでしょうか、………?
本作は、予告編から予想される“おばあちゃん”物として片付けられる作品ではなく、おばあちゃんの話をエピソードとして含む恋愛物でもあり、さらには夫婦愛の物語とも言えて、なかなか凝った作りになっています。とはいっても、アチコチにユーモアが感じられ、全体としては良質のフレンチ・コメディーに仕上がっていて、見終わるとほのぼのとした感じになること請け合いです。
(2)本作については、その主人公が誰であるかの判断によって、見方が変わってくるかもしれません。クマネズミは、予告編から、てっきり85歳になる祖母のマドレーヌが主人公に違いないとして、最近の映画でよく取り扱われる高齢者の生き方が描かれている作品ではないだろうかと思い込んでいました(注2)。
確かに、夫に先立たれたマドレーヌが老人ホームに入れられるものの、そこから脱走してしまう話がかなりのウエイトを持って描かれています。
でも、例えば、『陽だまりハウスでマラソンを』のように、老人ホームでの生活ぶりが様々に描き出されているわけではありません。
それに、公式サイトや劇場用パンフレットにおいてキャストとして冒頭に掲載されるのは、マドレーヌ役のアニー・コルディではなく、ミシェル役のミシェル・ブランの方なのです(注3)。
考え直してみると、本作は、二人の関係がギクシャクし出してきたミシェルとナタリーが再び愛を取り戻す過程を描いた作品とも読み取れるかもしれません。
ですが、クマネズミが実際に見たところからすると、本作の主人公は、むしろマドレーヌの孫のロマンではないか、そして本作は、ロマンを主人公とする恋愛物ではないかと思いました。
なにしろ、映画の冒頭で長々と走る姿が映し出されるのはロマンなのです。
そして、ラストでも、まったく同じことをロマンの恋人・ルイーズ(フロール・ボナヴェンチュラ)が繰り返し、ついには二人がキスをするシーンで映画が閉じられるのです。
それに、マドレーヌに優しく寄り添うのもロマンであり、ノルマンディーに脱走したマドレーヌを探しだすのもロマン。ミシェルとナタリーの夫婦関係を気にかけて効果的なアドバイスするのもロマンです。
こんなことになるのは、本作の焦点がボケていることを意味するのか、逆に、様々な視点から見ることの出来る奥の深さを持っていると考えるべきなのか、未だ判断がつきかねているところです(注4)。
なお、本作には、少々おかしな人がいく人も登場します。
例えば、上記(1)で触れたように、ロマンのバイト先のホテルの主人は、「小説を書いているだろう」とロマンをからかいますし、「ロゼは酒じゃない」と言ってホテルのフロントで飲んだりします。
また、ノルマンディーにいく途中でロマンが立ち寄ったドライブインの店員は、唐突にロマンに2個入りのチョコバーを勧め、それで閃いたロマンが「どうすれば運命の女性と出会える?」と尋ねると「待つことなく念じれば24時間以内に会える」と託宣を垂れるのです(注5)。
さらには、何だか判別の付かない動物の絵を描く画家も登場します(注6)。
作品全体に暖かさがみなぎっていて、まずまずの仕上がりになっていると思いました。
(3)渡まち子氏は、「墓地ではじまり墓地で終わる本作は、普遍的な家族愛について語った前向きなドラマだ。ほろ苦くて優しくて繊細。見終わった後は、きっと心がじんわりと温まる」として65点をつけています。
(注1)監督・脚本はジャン=ポール・ルーヴ。
なお、同人は俳優でもあり、本作でもロマンが働くホテルの主人役として出演しています。
また、本作はダヴィド・フェンキノスの『Les Souvenirs』を原作としています(ダヴィド・フェンキノスは本作の脚本にも参加)。
原題は、原作と同一。
ところで、邦題の「愛しき人生のつくりかた」については、本作のどこを見ればそんなタイトルになるのかサッパリわかりません。『あの頃エッフェル塔の下で』もそうですが、最近、随分といい加減な邦題が目立つように思います。
そういえば、後者の原題にも「souvenirs」が入っていました!なるほど、本作に「思い出」というタイトルをつけたら、内容について全く想像がつかないでしょう。でも、見終わったらその意味合いがよく理解できることと思います(ちなみに、このインタビュー記事でジャン=ポール・ルーヴ監督は、「日本のみなさんに見ていただきたいところは「過去は未来を構築するためのものである」ということです」と述べています)。
(注2)劇場用パンフレット掲載のエッセイ「この憂き世に優しいフレンチ・コメディー」において、筆者のきさらぎ尚氏は「祖母マドレーヌを話しの中心に据えた」と述べていますし、「フランス式「家族の絆」とは」の冒頭でも、筆者の中条志穂氏は「本作の主人公マドレーヌには3人の息子がいる」と述べています。
(注3)劇場用パンフレット掲載の「インタビュー」においても、最初に掲載されているのはマドレーヌを演じたアニー・コルディではなく、ミシェル役のミシェル・ブランなのです。
(注4)尤も、本作は、マドレーヌ―ミシェルとナタリー―ロマンという3代に渡る家族の絆を描いたもの〔上記「注2」で触れたきさらぎ尚氏は「3世代の物語」と言っています〕であり、3人とも主人公なのだとしてしまえば、話は簡単でしょうが!
(注5)実際にも、ノルマンディーで恋人のルイーズに出会えたことに気を良くしたロマンは、父親のミッシェルにも、この店員に悩みをぶつけてみることを勧めます。
(注6)マドレーヌとロマンは、老人ホームの壁にかかっているその画家が書いた絵を見て感心し、画家の家を訪ねて絵が素晴らしいと褒めると、画家は感激して、手元に残っていた絵を譲ってくれます。その絵を見てマドレーヌが「牛でしょ」と言うと、画家は怒ったように「犬です」と答えます。
★★★☆☆☆
象のロケット:愛しき人生のつくりかた