『火花』を吉祥寺オデヲンで見ました。
(1)芥川賞受賞作の映画化ということで映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、漫才をやっている声がします。
「山下、起きてるか?」「うん」「昨日の漫才バトル、見たか?」「見たよ」「◯◯が一番面白かったな」「俺、漫才で天下取ってフェラーリ買いたい。もう一つは、……」「何や、忘れたのか?」「うん」「お前、やっぱアホやな」。
画面では花火が2つ上空に上がっていきます。
次の画面は、熱海の砂浜。神谷(桐谷健太)が、体を地面に埋め、頭だけを出して、口にはタバコを咥えています。
神谷が首を動かし周りを見ていると、子供が寄ってきて、「大丈夫ですか?」「何やってるんですか?」「なぜタバコを?」などと尋ねます。
そのそばには、神谷の衣服などがキチンと並べて置いてあります。
場面は変わって、熱海の商店街。人々が歩いていて、その奥に舞台が設けられていて、漫才コンビ「スパークス」の徳永(菅田将暉)と山下(川谷修二)がネタをやっています。
「僕、徳永です」「僕、山下です」「覚えて帰ってください」「ペット、飼いたい」「インコがいいよ」「どんなことするの?」「ちょっとずつでも年金払っときや」。
そこへバイクに乗った若者たちが、爆音を立てて舞台の近くにやってきます。
スパークスは漫才を止めます。
すると、バイクの若者が「なんか面白いことやれよ」と怒鳴ります。
徳永は山下に「悔しくはないか」と言い、「インコは貴様だ」と言い放つと、山下は「どうもありがとうございました」と収め、舞台を降ります。
次に出る「あほんだら」の神谷が「仇とったるわ」と徳永に言って、大林(三浦誠己)とともに舞台に上がり、ネタを披露します。
「今日は、花火大会やな」(花火がドーンと打ち上げられます)「お客さん、キョトンとしてはる」。
「花火は、音を楽しむものやない」。
そして、神谷はバイクの若者たちを指して、「地獄」「なんや、罪人ばっか」と言います。
大林は若者らと喧嘩になりますが、他方で、神谷は聴衆を指差しながら「地獄、地獄、地獄」と言い続け、聴衆の中に若い女性と子供の二人連れを見つけると、「楽しい地獄」と言います。
こんな光景を徳永は見守り続けます。
主催者は、神谷らに対し、「君たち、地方の興行を舐めているんじゃないか」「地獄、地獄って、何が面白いのか」「ともかく、二度と呼ばないから」と怒ります。
神谷は、「お疲れ様でした」と言って、その場を立ち去ります。
次いで、徳永は神谷と居酒屋で酒を酌み交わして弟子にしてもらいます。
ここらあたりが本作の始めの方ですが、さあこれから物語はどのように展開するのでしょうか、………?
本作は、お笑タレントの又吉直樹氏の芥川受賞作を、これまたお笑いタレントの板尾創路監督のもとで映画化したもの。コンビを組んでデビューしたもののさっぱり売れないお笑い芸人が、先輩芸人の漫才を見て弟子入りして後を付いていくというお話。お笑いを題材にしているからといってコメディ作品ではなく、お笑いとは何かを巡るむしろ観念的な映画というべきでしょうか。原作に書き込まれている頭でっかちな部分をもっと削っても良かったのではとも思いました。
(2)漫才を描いている映画作品としては、『漫才ギャング』とか『エミアビのはじまりとはじまり』がクマネズミには想起されますが、前者では、佐藤隆太と上地雄輔とのコンビ、後者では前野朋哉と森岡龍のコンビが、皆俳優でありながら本職さながらの達者な芸を披露します。
これに対し、本作の漫才コンビは、「スパークス」にしても、「あほんだら」にしても、一人は現職のお笑いコンビの一方だったり、元芸人だったりします。
確かに、本職となると、自ずと俳優が演技で演るものとは違ってくるとはいえ、本作における菅田将暉にしても桐谷健太にしても、本当によく演っていると思いました。
そうした二人の頑張りが、2時間の本作を最後まで引っ張っていっているのでしょう(注2)。
さて、本作では、徳永が神谷に心酔して、弟子入りを申し込みますが、受け入れるにあたって神谷は、「俺の伝記を作って欲しい」「お前の言葉で、俺について、今日見たものを、生きているうちに書いてほしい」という条件をつけます(注3)。
徳永は、熱心に徳永の行動や言ったことをノートに付け、そうしたノートが何冊もたまります。
ところで、先般の日曜日(12月3日)の夜にテレビ朝日から放映された「M1グランプリ」を見ました。全国の予選などを勝ち抜いてきた10組が、最終的に競い、優勝者には賞金1000万円が与えられるとのこと。
お笑い番組を余り見るわけではないので、登場した10組は初めてのコンビばかりでしたが、どのコンビもなかなかレベルが高いなと驚きました。
結局、結成15年目の「とろサーモン」が優勝しました。
ただ、アレっと思ったのは、5番目にネタを披露したマヂカルラブリーと10番目にやったジャルジャルです(注4)。
マヂカルラブリーのネタは、ボケの野田が「野田ミュージカル開催中!」と言って動き回るので、ツッコミの村上が歌を聞けると思っていたら、単にミュージカルを見ている観客を演じているというもの。
また、ジャルジャルのネタは、福徳が「今から変な校内放送をやる」「ピン、ポン、パン、ポーンのへんなやつやるから盛り上げてほしい」と言って、後藤が「うん」と頷くと、あとは「ピン、ポン、パン、ポーン」の様々に変形したものが福徳から繰り出されます。
マヂカルラブリーのネタについては、審査員の上沼恵美子が酷評したこともあり、順位は10番目となり、ジャルジャルのネタについても、審査員の松本人志は最高店の95点をつけたものの、6位に終わりました。
ここでこの2組に触れたのは、彼らのやったネタは、クマネズミには、本作で神谷が言っているネタになんだか近いものではないのかと思えたからです。
特に、ジャルジャルが何度も繰り返す校内放送の「ピン、ポン、パン、ポーン」は、神谷が、熱海の舞台で披露した「地獄、地獄、地獄」に似通っているのではないか、またマヂカルラブリーの野田が一人で演じているミュージカルは、神谷がその後で演じているものに、ある程度類似しているのでは、と思えました。
クマネズミには、本作で神谷が笑いについて述べていることや(注5)、さらには舞台で演っていることは(注6)、どうも頭でっかちで、現実の漫才では見かけることができないものでは、と思っていたのですが、もしかしたら、実際の漫才界でも、神谷が言っていることをある程度実践しているコンビがいるのかもしれないと思って驚いた次第です(注7)。
そんなことはともかく、本作は、全体としてはなかなか興味深い作品ながらも、本作の構成としては、スパークスの最後の漫才で盛り上がったところでジ・エンドにすることもありうるのではないか(注8)、その後の神谷の話などはかなり抽象的なものでなくもがなではないのか、などと思ったりしました(注9)。
また、本作では、神谷を一つの手がかりとして徳永の青春時代を描いているわけながら、神谷や、徳永の相方の山下には女性が添えられているにもかかわらず、徳永には女性の気配が殆どないのはどうしたことなのかな(注10)、とも思いました。
(3)渡まち子氏は、「漫才界から多くの人材が参加し、大御所のビートたけし(主題歌の作詞・作曲)まで動員した本作は、お笑いの世界に生きるすべての人々に向けた、ほろ苦くも切ない応援歌なのである」として65点を付けています。
宇田川幸洋氏は、「エンディングで主演2人がうたう、ビートたけしの「浅草キッド」がそうであるように、これはすぐれた青春映画であると同時に、すべてのお笑い芸人たちにささげる歌でもあるだろう」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
森直人氏は、「まっすぐに役者の芝居をとらえ、自己実現に向けての模索の軌跡をフィクションとして紡いでいく。その愚直な演出が、登場人物たちの不器用な生き方と相まって、言わば男料理の優しい味。表現の微熱に浮かされた人間の宿業が、愛おしさと共によく伝わってくる」と述べています。
毎日新聞の細谷美香氏は、「夢と現実、売れることと売れないこと、才能の有無といった普遍的なテーマに、監督、俳優ともに正面から誠実に向き合った青春映画だ」と述べています。
(注1)監督は、『板尾創路の脱獄王』や『月光ノ仮面』の板尾創路。
脚本は、『I’M FLASH!』の豊田利晃と板尾創路。
原作は、又吉直樹著『火花』(文春文庫)。
なお、出演者の内、最近では、菅田将暉は『銀魂』、桐谷健太は『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』、木村文乃は『追憶』で、それぞれ見ました。
(注2)とはいえ、『漫才ギャング』は前篇漫才が溢れかえっていますし、また『』はかなりファンタジーの色合いが濃い作品になっています。これに対し、本作は、コミカルなところがないわけではないながらも、全体のトーンは至極地味なものとなっています。
(注3)徳永が書き留めた何冊ものノート(「神谷日記」)は、実際には、神谷の単なる行動記録でしかなく、それだけでは「伝記」のごく一部にしかならないように思われます(伝記となれば肝心の、父母を始めとする家族状況とか、小さいときからこれまでの神谷の履歴などには何も触れられていないのです)。
(注4)それぞれのネタは、下記で見ることができます。
マヂカルラブリーのネタ
ジャルジャルのネタ
(注5)実際には、神谷は、余りまとまったことを言っていませんが、例えば、「いつでも思いついたことをやっていい」と言ったりします。
また、徳永は、「神谷さんの相手は世間じゃない。むしろ、世間を振り向かせようとしていた」と語りで言いますが、それは神谷の姿勢を的確に言い表わしているのでしょう。
さらに、スパークスが最後のネタで、「世界の常識をくつがえすような漫才を演る」と言って「思っていることと逆のことを全力で言う」という喋りをし、「どうかみなさまも適当に死ね」「死ね、死ね、死ね」と叫んだりするのは、神谷の精神の表れではないかと思われます。
(注6)例えば、「あほんだら」は、ある漫才コンクールの決勝戦で、予選で演ったネタを録音したものをスピーカーから流しながら、実際にはクチパクめいたことをするという常識破りのことをします(芸人らや観客などには受けましたが、審査員は酷評します)。
また、相方の大林が喋っている間、神谷は喋らずに、いろいろのポーズを決めて立っているだけというのもあります。
(注7)もちろん、神谷の演っていることは荒削りすぎ、「M1グランプリ」の決勝戦に勝ち残るものは遥かに洗練されていて、比較すること自体無意味なのかもしれませんが。
(注8)無論、熱海の花火で幕が上がる本作が、熱海の花火で幕が下りるのは、全体の構成の調和が取れて格好がいいのですが、何もそんな格好にとらわれなくともかまわないのではないでしょうか?
(注9)神谷は、芸人をやめて不動産会社のサラリーマンになっている徳永に、「芸人は引退などない」「徳永は、ずっと劇場で人を笑わせてきたわけだが、それは特殊能力を身につけたということ」「それは、ボクサーのパンチと一緒。ただし、芸人のパンチはボクサーと違って、人を殺さずに人を幸せにする」とか、「漫才は2人だけではできない」「周りに漫才師がいっぱいるからできる」「大会で優勝するコンビだけだったら、面白くないだろう。負けたコンビがいて初めてそいつらがいるんだ」などと喋りますが、至極抽象的な話ではと思います。
徳永が言う引退というのは、お笑いを生活の糧にすることをやめるという至極現実的なことのはずなのに、神谷は、頭で考えたお笑いというものを問題にしているのではないでしょうか。
(注10)徳永は、神谷と一緒に暮らしている真樹(木村文乃)を憧れの目で見ていますが、自分からアプローチすることはありません(なお、真樹は、神谷の愛人というよりも、神谷の方が真樹の間借り人にすぎなかったようですが)。
★★★☆☆☆
象のロケット:火花
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(1)芥川賞受賞作の映画化ということで映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭では、漫才をやっている声がします。
「山下、起きてるか?」「うん」「昨日の漫才バトル、見たか?」「見たよ」「◯◯が一番面白かったな」「俺、漫才で天下取ってフェラーリ買いたい。もう一つは、……」「何や、忘れたのか?」「うん」「お前、やっぱアホやな」。
画面では花火が2つ上空に上がっていきます。
次の画面は、熱海の砂浜。神谷(桐谷健太)が、体を地面に埋め、頭だけを出して、口にはタバコを咥えています。
神谷が首を動かし周りを見ていると、子供が寄ってきて、「大丈夫ですか?」「何やってるんですか?」「なぜタバコを?」などと尋ねます。
そのそばには、神谷の衣服などがキチンと並べて置いてあります。
場面は変わって、熱海の商店街。人々が歩いていて、その奥に舞台が設けられていて、漫才コンビ「スパークス」の徳永(菅田将暉)と山下(川谷修二)がネタをやっています。
「僕、徳永です」「僕、山下です」「覚えて帰ってください」「ペット、飼いたい」「インコがいいよ」「どんなことするの?」「ちょっとずつでも年金払っときや」。
そこへバイクに乗った若者たちが、爆音を立てて舞台の近くにやってきます。
スパークスは漫才を止めます。
すると、バイクの若者が「なんか面白いことやれよ」と怒鳴ります。
徳永は山下に「悔しくはないか」と言い、「インコは貴様だ」と言い放つと、山下は「どうもありがとうございました」と収め、舞台を降ります。
次に出る「あほんだら」の神谷が「仇とったるわ」と徳永に言って、大林(三浦誠己)とともに舞台に上がり、ネタを披露します。
「今日は、花火大会やな」(花火がドーンと打ち上げられます)「お客さん、キョトンとしてはる」。
「花火は、音を楽しむものやない」。
そして、神谷はバイクの若者たちを指して、「地獄」「なんや、罪人ばっか」と言います。
大林は若者らと喧嘩になりますが、他方で、神谷は聴衆を指差しながら「地獄、地獄、地獄」と言い続け、聴衆の中に若い女性と子供の二人連れを見つけると、「楽しい地獄」と言います。
こんな光景を徳永は見守り続けます。
主催者は、神谷らに対し、「君たち、地方の興行を舐めているんじゃないか」「地獄、地獄って、何が面白いのか」「ともかく、二度と呼ばないから」と怒ります。
神谷は、「お疲れ様でした」と言って、その場を立ち去ります。
次いで、徳永は神谷と居酒屋で酒を酌み交わして弟子にしてもらいます。
ここらあたりが本作の始めの方ですが、さあこれから物語はどのように展開するのでしょうか、………?
本作は、お笑タレントの又吉直樹氏の芥川受賞作を、これまたお笑いタレントの板尾創路監督のもとで映画化したもの。コンビを組んでデビューしたもののさっぱり売れないお笑い芸人が、先輩芸人の漫才を見て弟子入りして後を付いていくというお話。お笑いを題材にしているからといってコメディ作品ではなく、お笑いとは何かを巡るむしろ観念的な映画というべきでしょうか。原作に書き込まれている頭でっかちな部分をもっと削っても良かったのではとも思いました。
(2)漫才を描いている映画作品としては、『漫才ギャング』とか『エミアビのはじまりとはじまり』がクマネズミには想起されますが、前者では、佐藤隆太と上地雄輔とのコンビ、後者では前野朋哉と森岡龍のコンビが、皆俳優でありながら本職さながらの達者な芸を披露します。
これに対し、本作の漫才コンビは、「スパークス」にしても、「あほんだら」にしても、一人は現職のお笑いコンビの一方だったり、元芸人だったりします。
確かに、本職となると、自ずと俳優が演技で演るものとは違ってくるとはいえ、本作における菅田将暉にしても桐谷健太にしても、本当によく演っていると思いました。
そうした二人の頑張りが、2時間の本作を最後まで引っ張っていっているのでしょう(注2)。
さて、本作では、徳永が神谷に心酔して、弟子入りを申し込みますが、受け入れるにあたって神谷は、「俺の伝記を作って欲しい」「お前の言葉で、俺について、今日見たものを、生きているうちに書いてほしい」という条件をつけます(注3)。
徳永は、熱心に徳永の行動や言ったことをノートに付け、そうしたノートが何冊もたまります。
ところで、先般の日曜日(12月3日)の夜にテレビ朝日から放映された「M1グランプリ」を見ました。全国の予選などを勝ち抜いてきた10組が、最終的に競い、優勝者には賞金1000万円が与えられるとのこと。
お笑い番組を余り見るわけではないので、登場した10組は初めてのコンビばかりでしたが、どのコンビもなかなかレベルが高いなと驚きました。
結局、結成15年目の「とろサーモン」が優勝しました。
ただ、アレっと思ったのは、5番目にネタを披露したマヂカルラブリーと10番目にやったジャルジャルです(注4)。
マヂカルラブリーのネタは、ボケの野田が「野田ミュージカル開催中!」と言って動き回るので、ツッコミの村上が歌を聞けると思っていたら、単にミュージカルを見ている観客を演じているというもの。
また、ジャルジャルのネタは、福徳が「今から変な校内放送をやる」「ピン、ポン、パン、ポーンのへんなやつやるから盛り上げてほしい」と言って、後藤が「うん」と頷くと、あとは「ピン、ポン、パン、ポーン」の様々に変形したものが福徳から繰り出されます。
マヂカルラブリーのネタについては、審査員の上沼恵美子が酷評したこともあり、順位は10番目となり、ジャルジャルのネタについても、審査員の松本人志は最高店の95点をつけたものの、6位に終わりました。
ここでこの2組に触れたのは、彼らのやったネタは、クマネズミには、本作で神谷が言っているネタになんだか近いものではないのかと思えたからです。
特に、ジャルジャルが何度も繰り返す校内放送の「ピン、ポン、パン、ポーン」は、神谷が、熱海の舞台で披露した「地獄、地獄、地獄」に似通っているのではないか、またマヂカルラブリーの野田が一人で演じているミュージカルは、神谷がその後で演じているものに、ある程度類似しているのでは、と思えました。
クマネズミには、本作で神谷が笑いについて述べていることや(注5)、さらには舞台で演っていることは(注6)、どうも頭でっかちで、現実の漫才では見かけることができないものでは、と思っていたのですが、もしかしたら、実際の漫才界でも、神谷が言っていることをある程度実践しているコンビがいるのかもしれないと思って驚いた次第です(注7)。
そんなことはともかく、本作は、全体としてはなかなか興味深い作品ながらも、本作の構成としては、スパークスの最後の漫才で盛り上がったところでジ・エンドにすることもありうるのではないか(注8)、その後の神谷の話などはかなり抽象的なものでなくもがなではないのか、などと思ったりしました(注9)。
また、本作では、神谷を一つの手がかりとして徳永の青春時代を描いているわけながら、神谷や、徳永の相方の山下には女性が添えられているにもかかわらず、徳永には女性の気配が殆どないのはどうしたことなのかな(注10)、とも思いました。
(3)渡まち子氏は、「漫才界から多くの人材が参加し、大御所のビートたけし(主題歌の作詞・作曲)まで動員した本作は、お笑いの世界に生きるすべての人々に向けた、ほろ苦くも切ない応援歌なのである」として65点を付けています。
宇田川幸洋氏は、「エンディングで主演2人がうたう、ビートたけしの「浅草キッド」がそうであるように、これはすぐれた青春映画であると同時に、すべてのお笑い芸人たちにささげる歌でもあるだろう」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
森直人氏は、「まっすぐに役者の芝居をとらえ、自己実現に向けての模索の軌跡をフィクションとして紡いでいく。その愚直な演出が、登場人物たちの不器用な生き方と相まって、言わば男料理の優しい味。表現の微熱に浮かされた人間の宿業が、愛おしさと共によく伝わってくる」と述べています。
毎日新聞の細谷美香氏は、「夢と現実、売れることと売れないこと、才能の有無といった普遍的なテーマに、監督、俳優ともに正面から誠実に向き合った青春映画だ」と述べています。
(注1)監督は、『板尾創路の脱獄王』や『月光ノ仮面』の板尾創路。
脚本は、『I’M FLASH!』の豊田利晃と板尾創路。
原作は、又吉直樹著『火花』(文春文庫)。
なお、出演者の内、最近では、菅田将暉は『銀魂』、桐谷健太は『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』、木村文乃は『追憶』で、それぞれ見ました。
(注2)とはいえ、『漫才ギャング』は前篇漫才が溢れかえっていますし、また『』はかなりファンタジーの色合いが濃い作品になっています。これに対し、本作は、コミカルなところがないわけではないながらも、全体のトーンは至極地味なものとなっています。
(注3)徳永が書き留めた何冊ものノート(「神谷日記」)は、実際には、神谷の単なる行動記録でしかなく、それだけでは「伝記」のごく一部にしかならないように思われます(伝記となれば肝心の、父母を始めとする家族状況とか、小さいときからこれまでの神谷の履歴などには何も触れられていないのです)。
(注4)それぞれのネタは、下記で見ることができます。
マヂカルラブリーのネタ
ジャルジャルのネタ
(注5)実際には、神谷は、余りまとまったことを言っていませんが、例えば、「いつでも思いついたことをやっていい」と言ったりします。
また、徳永は、「神谷さんの相手は世間じゃない。むしろ、世間を振り向かせようとしていた」と語りで言いますが、それは神谷の姿勢を的確に言い表わしているのでしょう。
さらに、スパークスが最後のネタで、「世界の常識をくつがえすような漫才を演る」と言って「思っていることと逆のことを全力で言う」という喋りをし、「どうかみなさまも適当に死ね」「死ね、死ね、死ね」と叫んだりするのは、神谷の精神の表れではないかと思われます。
(注6)例えば、「あほんだら」は、ある漫才コンクールの決勝戦で、予選で演ったネタを録音したものをスピーカーから流しながら、実際にはクチパクめいたことをするという常識破りのことをします(芸人らや観客などには受けましたが、審査員は酷評します)。
また、相方の大林が喋っている間、神谷は喋らずに、いろいろのポーズを決めて立っているだけというのもあります。
(注7)もちろん、神谷の演っていることは荒削りすぎ、「M1グランプリ」の決勝戦に勝ち残るものは遥かに洗練されていて、比較すること自体無意味なのかもしれませんが。
(注8)無論、熱海の花火で幕が上がる本作が、熱海の花火で幕が下りるのは、全体の構成の調和が取れて格好がいいのですが、何もそんな格好にとらわれなくともかまわないのではないでしょうか?
(注9)神谷は、芸人をやめて不動産会社のサラリーマンになっている徳永に、「芸人は引退などない」「徳永は、ずっと劇場で人を笑わせてきたわけだが、それは特殊能力を身につけたということ」「それは、ボクサーのパンチと一緒。ただし、芸人のパンチはボクサーと違って、人を殺さずに人を幸せにする」とか、「漫才は2人だけではできない」「周りに漫才師がいっぱいるからできる」「大会で優勝するコンビだけだったら、面白くないだろう。負けたコンビがいて初めてそいつらがいるんだ」などと喋りますが、至極抽象的な話ではと思います。
徳永が言う引退というのは、お笑いを生活の糧にすることをやめるという至極現実的なことのはずなのに、神谷は、頭で考えたお笑いというものを問題にしているのではないでしょうか。
(注10)徳永は、神谷と一緒に暮らしている真樹(木村文乃)を憧れの目で見ていますが、自分からアプローチすることはありません(なお、真樹は、神谷の愛人というよりも、神谷の方が真樹の間借り人にすぎなかったようですが)。
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