『美女と野獣』を吉祥寺オデヲンで見てきました。
(1)本作(注1)は、ディズニー・アニメなどで有名なフランスの物語を実写化したフランス映画。
大層裕福に暮らしていたベル(レア・セドゥ)の一家が、財宝を積んだ船を嵐のために失って破産してしまいます。
一家は、彼女の他に、父親(アンドレ・デュソリエ)と3人の兄、それに2人の姉がいましたが、片田舎に引っ込むことになります(注2)。
ある日、街から帰る途中、吹雪に遭遇した父親は、道に迷って見知らぬ古城にたどり着きます。城の中には、光り輝く宝石などの詰まった箱が置かれており、さらにベルが土産に望んでいた薔薇が咲いているではありませんか!
ですが、父親がその薔薇を摘んだ途端に野獣(ヴァンサン・カッセル)が現れ、「一番大切なものを盗んだな!」と怒り、「1日だけやる。ここに戻ってこなければ、家族を殺す。命が薔薇の代償だ」と父親に告げます。
家に戻った父親の話を聞いて、ベルは「私のせいでパパを失いたくない」と言って、父親の身代わりに野獣の住む城に行きます。
さあ、ベルの運命はどうなることでしょうか、………?
『アデル、ブルーは熱い色』での体当たりの演技が印象的なレア・セドゥと、『ブラック・スワン』でバレエ団の監督役を演じたヴァンサン・カッセルが、CGを駆使した画面で好演し、まずまず見応えがある作品だなと思いました(注3)。
(2)ところで、「美女と野獣」として一般に知られている物語は、1756年に出版されたボーモン夫人によるものであり(注4)、これまで作られた各種の作品もこれによっているようです。
ですが、本作の原作は、1740年にヴィルヌーヴ夫人によって書かれた物語(注5)とされています(注6)。
そして、劇場用パンフレットに掲載されている野崎歓氏のエッセイ「世代を超えて受け継がれてきた物語『美女と野獣』」では、「この映画に出てくる夢のシークエンスこそは、ヴィルヌーヴ夫人版の一大特徴だった」と述べられています(注7)。
さらに野崎氏に従えば、ガンズ監督は、「城にとらわれの身となったベルは、毎晩夢で、野獣とは似ても似つかぬ美貌の王子と出会い、激しく惹きつけられていく」というアイデアを汲み取りつつも、ヴィルヌーヴ夫人版ではなかなかベルが野獣の方に踏み出さないのに対して、ガンズ監督はそこのところはスッキリと整理しているようです。
いずれにしても、野獣の前身である王子とプリンセス(イボンヌ・カッターフェルト)との物語は、本作で重要な役割を与えられていると言っていいでしょう(注8)
ただそうだとしても、この関係では、本作につきいろいろな疑問が湧いてきます。
例えば、プリンセスは、王子がズッと仕留めようと狙っている黄金の雌鹿が変身した姿だとされています。でも、そうだとしたら、矢を射られて戻るのはプリンセスから元の雌鹿の方へではないでしょうか?
それに、雌鹿は既にプリンセスに変身しているのに、なぜこの時は雌鹿に戻っているのでしょうか(注9)?
さらに言えば、王子に見つかったとわかったら、すぐにプリンセスに変身できたのではないでしょうか(注10)?
また、野獣は、雌鹿を殺してしまったことにより「森の精」の罰を受けて姿を変えさせられてしまったわけです。にもかかわらず、その野獣がペルデュカス(エドゥアルド・ノリエガ)によってナイフで殺されると、どうして城全体とか巨人たちが崩壊してしまい、蔦が襲いかかってくるのでしょうか?一体この城は誰が作ったものなのでしょう(注11)?
とはいえ、こうしたことは、ベルが、「午後7時までに城に戻る」という野獣との約束を果たそうと一生懸命に馬を走らせたり、あるいはペルデュカスによって殺された王子を必死で城の中に運ぼうとしたりするのは何故なのか(注12)、という点をうまく説明できればどうでもいいことです。
でも、果たして映画の中で、その点につき上手く説明できているでしょうか(注13)?
(3)渡まち子氏は、「野獣とその館に囚われた美女の恋模様を描くファンタジー「美女と野獣」。フランス映画らしいロココ調美術が美しい」として65点を付けています。
(注1)監督はクリストフ・ガンズ。
(注2)母親は、ベルを産むとスグに亡くなってしまったようです。
(注3)最近では、レア・セドゥは『グランド・ブダペスト・ホテル』で、ヴァンサン・カッセルは『トランス』で、それぞれ見ました。
(注4)例えば、ここで読むことができます。
(注5)その概要については、このサイトの記事が参考になります。
(注6)劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」で、ガンズ監督は、「僕は、このヴィルヌーヴ夫人版をベースにし、偉大な神々の要素を物語に反映させながら、人間と自然の力とのつながりを描きたいと思った」と述べています。
(注7)このサイトの記事によれば、「野獣の城でベルが会うのは野獣一人ではない。夜毎の夢に美貌の貴公子が現れ、謎めいた言葉でベルに求愛する。それが野獣の分身と知らないベルは、醜く愚かな野獣より美しく才気ある貴公子に惹かれる気持ちに最後まで悩み続ける」とのこと(P.53)。
(注8)劇場用パンフレット掲載の秦早穂子氏のエッセイ「美女と野獣、今昔の夢物語」でも、「ガンズはマダム・ヴィルヌーヴの本を参考にして、今まで、あまり知られていなかった野獣の過去の謎を追う。ここが見所のひとつ」と述べられていますし、さらに山崎まどか氏のエッセイ「一輪の薔薇の花に隠された真実」もまた、「クリストフ・ガンズ監督の映画は、この物語の最大の秘密、野獣が呪いを受けた理由似大きな焦点が当てられている」と述べています。
ちなみに、山崎まどか氏によれば、「ボーモン夫人の版だと野獣の呪いは「仙女の気まぐれ」のせいであ」り〔上記「注4」で触れたサイトの物語では、「「あるいじわるな妖女が、わたしを苦しめるため、魔法で呪って、みにくいけものの姿にかえてしまったのです」と王子がベルに打ち明けます〕、またデズニー映画では「傲慢な王子が一夜の宿を求めた老婆をすげなく断ったせいで、実は魔女であった彼女に野獣の姿に変えられたという設定が追加されている」とのことです。
(注9)あるいは、雌鹿の姿とプリンセスの姿とを往復できるのかもしれません。そうだとしても、雌鹿の姿の時に矢を射られたのであれば、そのまま雌鹿のままなのではないのか、と思うのですが?
(注10)もっとつまらない点ですが、プリンセスが雌鹿の時に矢で射抜かれると、どうして裸の状態になるのでしょうか?雌鹿は厚い毛皮で覆われていますから、人間の裸の状態とは異なるように思われるのですが?
尤も、男性の観客にとってはこれでいいのかもしれません!
(注11)さらに言えば、ペルデュカスはなぜ死ぬ運命にあるのでしょう?
彼は、ベラの兄に、貸した金を踏み倒されたために、それを取り戻すべく野獣の城までやってきたに過ぎないのですから(尤も、貸金額以上の財宝を城から持ちだそうとしてしまったのは否めないところですが)。
(注12)さらには、魔法の泉に投げ込まれた野獣に向かって、どうしてベルは「愛している」と言えたのか、という点。
(注13)あるいはその点については、例えば、上記「注8」で触れた山崎まどか氏が、「ベルはどこに、野獣に潜む優しい心をみたのだろう?ヒントは恐らく、薔薇の花にある」と述べるように、この映画を見た者がそれぞれ考えるべき事柄なのかもしれません。
★★★☆☆☆
象のロケット:美女と野獣
(1)本作(注1)は、ディズニー・アニメなどで有名なフランスの物語を実写化したフランス映画。
大層裕福に暮らしていたベル(レア・セドゥ)の一家が、財宝を積んだ船を嵐のために失って破産してしまいます。
一家は、彼女の他に、父親(アンドレ・デュソリエ)と3人の兄、それに2人の姉がいましたが、片田舎に引っ込むことになります(注2)。
ある日、街から帰る途中、吹雪に遭遇した父親は、道に迷って見知らぬ古城にたどり着きます。城の中には、光り輝く宝石などの詰まった箱が置かれており、さらにベルが土産に望んでいた薔薇が咲いているではありませんか!
ですが、父親がその薔薇を摘んだ途端に野獣(ヴァンサン・カッセル)が現れ、「一番大切なものを盗んだな!」と怒り、「1日だけやる。ここに戻ってこなければ、家族を殺す。命が薔薇の代償だ」と父親に告げます。
家に戻った父親の話を聞いて、ベルは「私のせいでパパを失いたくない」と言って、父親の身代わりに野獣の住む城に行きます。
さあ、ベルの運命はどうなることでしょうか、………?
『アデル、ブルーは熱い色』での体当たりの演技が印象的なレア・セドゥと、『ブラック・スワン』でバレエ団の監督役を演じたヴァンサン・カッセルが、CGを駆使した画面で好演し、まずまず見応えがある作品だなと思いました(注3)。
(2)ところで、「美女と野獣」として一般に知られている物語は、1756年に出版されたボーモン夫人によるものであり(注4)、これまで作られた各種の作品もこれによっているようです。
ですが、本作の原作は、1740年にヴィルヌーヴ夫人によって書かれた物語(注5)とされています(注6)。
そして、劇場用パンフレットに掲載されている野崎歓氏のエッセイ「世代を超えて受け継がれてきた物語『美女と野獣』」では、「この映画に出てくる夢のシークエンスこそは、ヴィルヌーヴ夫人版の一大特徴だった」と述べられています(注7)。
さらに野崎氏に従えば、ガンズ監督は、「城にとらわれの身となったベルは、毎晩夢で、野獣とは似ても似つかぬ美貌の王子と出会い、激しく惹きつけられていく」というアイデアを汲み取りつつも、ヴィルヌーヴ夫人版ではなかなかベルが野獣の方に踏み出さないのに対して、ガンズ監督はそこのところはスッキリと整理しているようです。
いずれにしても、野獣の前身である王子とプリンセス(イボンヌ・カッターフェルト)との物語は、本作で重要な役割を与えられていると言っていいでしょう(注8)
ただそうだとしても、この関係では、本作につきいろいろな疑問が湧いてきます。
例えば、プリンセスは、王子がズッと仕留めようと狙っている黄金の雌鹿が変身した姿だとされています。でも、そうだとしたら、矢を射られて戻るのはプリンセスから元の雌鹿の方へではないでしょうか?
それに、雌鹿は既にプリンセスに変身しているのに、なぜこの時は雌鹿に戻っているのでしょうか(注9)?
さらに言えば、王子に見つかったとわかったら、すぐにプリンセスに変身できたのではないでしょうか(注10)?
また、野獣は、雌鹿を殺してしまったことにより「森の精」の罰を受けて姿を変えさせられてしまったわけです。にもかかわらず、その野獣がペルデュカス(エドゥアルド・ノリエガ)によってナイフで殺されると、どうして城全体とか巨人たちが崩壊してしまい、蔦が襲いかかってくるのでしょうか?一体この城は誰が作ったものなのでしょう(注11)?
とはいえ、こうしたことは、ベルが、「午後7時までに城に戻る」という野獣との約束を果たそうと一生懸命に馬を走らせたり、あるいはペルデュカスによって殺された王子を必死で城の中に運ぼうとしたりするのは何故なのか(注12)、という点をうまく説明できればどうでもいいことです。
でも、果たして映画の中で、その点につき上手く説明できているでしょうか(注13)?
(3)渡まち子氏は、「野獣とその館に囚われた美女の恋模様を描くファンタジー「美女と野獣」。フランス映画らしいロココ調美術が美しい」として65点を付けています。
(注1)監督はクリストフ・ガンズ。
(注2)母親は、ベルを産むとスグに亡くなってしまったようです。
(注3)最近では、レア・セドゥは『グランド・ブダペスト・ホテル』で、ヴァンサン・カッセルは『トランス』で、それぞれ見ました。
(注4)例えば、ここで読むことができます。
(注5)その概要については、このサイトの記事が参考になります。
(注6)劇場用パンフレット掲載の「Production Notes」で、ガンズ監督は、「僕は、このヴィルヌーヴ夫人版をベースにし、偉大な神々の要素を物語に反映させながら、人間と自然の力とのつながりを描きたいと思った」と述べています。
(注7)このサイトの記事によれば、「野獣の城でベルが会うのは野獣一人ではない。夜毎の夢に美貌の貴公子が現れ、謎めいた言葉でベルに求愛する。それが野獣の分身と知らないベルは、醜く愚かな野獣より美しく才気ある貴公子に惹かれる気持ちに最後まで悩み続ける」とのこと(P.53)。
(注8)劇場用パンフレット掲載の秦早穂子氏のエッセイ「美女と野獣、今昔の夢物語」でも、「ガンズはマダム・ヴィルヌーヴの本を参考にして、今まで、あまり知られていなかった野獣の過去の謎を追う。ここが見所のひとつ」と述べられていますし、さらに山崎まどか氏のエッセイ「一輪の薔薇の花に隠された真実」もまた、「クリストフ・ガンズ監督の映画は、この物語の最大の秘密、野獣が呪いを受けた理由似大きな焦点が当てられている」と述べています。
ちなみに、山崎まどか氏によれば、「ボーモン夫人の版だと野獣の呪いは「仙女の気まぐれ」のせいであ」り〔上記「注4」で触れたサイトの物語では、「「あるいじわるな妖女が、わたしを苦しめるため、魔法で呪って、みにくいけものの姿にかえてしまったのです」と王子がベルに打ち明けます〕、またデズニー映画では「傲慢な王子が一夜の宿を求めた老婆をすげなく断ったせいで、実は魔女であった彼女に野獣の姿に変えられたという設定が追加されている」とのことです。
(注9)あるいは、雌鹿の姿とプリンセスの姿とを往復できるのかもしれません。そうだとしても、雌鹿の姿の時に矢を射られたのであれば、そのまま雌鹿のままなのではないのか、と思うのですが?
(注10)もっとつまらない点ですが、プリンセスが雌鹿の時に矢で射抜かれると、どうして裸の状態になるのでしょうか?雌鹿は厚い毛皮で覆われていますから、人間の裸の状態とは異なるように思われるのですが?
尤も、男性の観客にとってはこれでいいのかもしれません!
(注11)さらに言えば、ペルデュカスはなぜ死ぬ運命にあるのでしょう?
彼は、ベラの兄に、貸した金を踏み倒されたために、それを取り戻すべく野獣の城までやってきたに過ぎないのですから(尤も、貸金額以上の財宝を城から持ちだそうとしてしまったのは否めないところですが)。
(注12)さらには、魔法の泉に投げ込まれた野獣に向かって、どうしてベルは「愛している」と言えたのか、という点。
(注13)あるいはその点については、例えば、上記「注8」で触れた山崎まどか氏が、「ベルはどこに、野獣に潜む優しい心をみたのだろう?ヒントは恐らく、薔薇の花にある」と述べるように、この映画を見た者がそれぞれ考えるべき事柄なのかもしれません。
★★★☆☆☆
象のロケット:美女と野獣