
『希望のかなた』を渋谷ユーロスペースで見てきました。
(1)カウリスマキ監督の作品ということで映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭は、フィンランドのヘルシンキ。
夜になって、貨物船の船倉に積み込まれた石炭の中から、真っ黒になった男(カーリド:シェルワン・ハジ)が顔を出します。
カーリドは、船倉から階段を上ってデッキに向かいます。船室では、船員がテレビを見ています。カーリドは気付かれないように傍を通り過ぎ、船に取り付けられているタラップを降りて、港に降り立ち、あたりを見回します。
場面は変わって、1軒の住宅の中。時刻は夜中の12時。
その家の主人のヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)は、鏡の前に立ちネクタイを締めています。
それから、上着を着て、トランクを持ちます。
妻(カイヤ・バカリネン)は、椅子に座ってタバコをくゆらせながら、夫の行動を見守っています。

ヴィクストロムは、黙ったまま家の鍵と結婚指輪を机の上に置いて、その家を出ていきます。
妻は、置かれた指輪を灰皿の中に入れ、空になったコップに酒をつぎ、飲み干します。
ヴィクストロムは、駐車場に置かれている車の中に荷物やトランクを積み込み、エンジンを掛けて出発します。
その前を、カーリドが歩いて横切ります。
次の場面では、ストリート・ミュージシャンがギターを弾きながら、「あゝ母さん ランプを明るくして もうすぐこの世を去る俺に ………冷たい土の下で眠りにつく俺に」と歌います。
ヴィクストロムは、簡易宿泊所に泊まります。
街中を歩いていたカーリドは、ギターを弾いて歌う男を見ると、その前の箱にお金を入れ、「シャワー?」と尋ねます。すると、ギターを引く男は、カーリドを駅のシャワー室に連れて行きます。
カーリドがシャワーを浴びると、下から黒い水が流れ出てきます。
カーリドは洗面所で身だしなみを整えて、警察署に赴きます。
受付で、「難民認定の申請をします」と言うと、受付は「ようこそ、こちらへ」と言って、事務室に連れていきます。
カーリドは写真を撮られ、また身体測定をされ(注2)、両手の指紋もとられます。
その上でカーリドは、収容施設に入れられます。

こんなところが本作の始めの方ですが、さあここからどのような物語が展開するのでしょうか、………?
本作は、フィンランドのカウリスマキ監督の作品で、シリアからの難民の青年をめぐるお話。同青年は、はぐれてしまった妹を探すうちにフィンランドに入りこんだわけですが、難民申請を出すも当局から却下されたりする一方で、レストラン経営者に助けられたりもします。難民について様々な角度から光を当てている作品ながら、ただ本作では一人の難民に焦点を合わせているために、欧州が直面している問題の大きさを理解できない憾みがあるような気もします。
(2)主人公のカーリドは、内戦の続くアレッポからヨーロッパへ脱出してきたシリア人として描かれていて(注3)、上記(1)に記したように、正規の窓口に出向いて難民申請をするのですが、却下されてしまいます(注4)。
確かに、昨年3月のこの記事を見ても、アレッポにおける戦闘は終結しているようですから、フィンランド当局が、カーリドの送還を決めても仕方がないのかもしれません。
ですが、アレッポの現状は、とても人が住めないほど破壊しつくされている上に、カーリドは、はぐれてしまった妹・ミリアム(ニロズ・ハジ)をなんとか探し出したいという強い願いがあるのです。
そこで、カーリドは収容施設を脱走します。
その際、出会って手を差し伸べてくれたのがヴィクストロム(注5)。
ヴィクストロムは、それまでは、本作の主な流れとは全く別の物語の中にいました(注6)。
いかついた年寄りくさい顔をして、余り話をしないところから、ヴィクストロムがそんな行動に出ると、奇異な感じを受けてしまいます。
でも、ラストの方では、従業員と一緒になってレストランの業績を回復させようとしたり(注7)、別れた妻に手を差し伸べたりするところなどを見ると(注8)、本当は人情家なのかもしれません。
それはともかく、ヴィクストロムは、ひとたびカーリドを自分のレストランに雇い入れると、当局の調査に際しても、積極的に擁護しようとします(注9)。
それで、カーリドは、はぐれてしまった妹・ミリアムに出会えることにもなります(注10)。
本作は、ヨーロッパが直面している難民問題を、かなり特異な視覚から捉えていて(注11)、たいへん興味を惹かれます。
ただ、前作『ル・アーヴルの靴みがき』では、ル・アーヴルの人達の善意に支えられて、アフリカから流れてきたイドリッサ少年は、無事に目的地のロンドンに行くことになりますが、本作では、ヴィクストロムらの善意が描かれている一方で、当局の係官の厳しい姿勢とか、難民を敵視するネオナチも描かれていて(注12)、世の中が善意でばかり成り立っているものでもない状況がわかります。
それと、カーリドは、ヘルシンキに着くと、警察に自ら出向き、正規の手続きによって難民申請をしますが(注13)、中東の人々の矜持を描き出そうとしているのでしょう。
とはいえ、ヨーロッパにおける難民問題は、その数の膨大さが一番の難題のはずながら、本作では、カーリドとその周辺にしか焦点が当てられていないのでは、と思えてしまいます。
無論、本作で描かれるカーリドは、前作『ル・アーヴルの靴みがき』のイドリッサ少年と同様に、数多い難民の一人だとみなせばいいのでしょう。
でも、『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』で描き出されている大量の難民の姿は、数として描き出さないとなかなか伝わってこないようにも思えるところです。
(3)渡まち子氏は、「カウリスマキは、差別や偏見にNOと叫び、つつましく生きる市井の人々の優しさにYESと言っている。私たち観客は、誰かを助けるその勇気に感動する。物語の余韻はビターなものだが、その先にはきっと希望があると信じたくなる作品だ」として75点をつけています。
村山匡一郎氏は、「今日の難民問題を真正面から取り上げ、監督独特のスタイルでアイロニーを込めて描いている」として★5つ(「今年有数の傑作」)を付けています。
藤原帰一氏は、「ひょっとしたら人情って、人がお互いに共有する夢なのかもしれない。その夢を共有するからこそ、生きる意味があるのかもしれない。このおかしくてやさしい映画を観て、多くの感想を刺激されました」と述べています。
(注1)監督・脚本は、『ル・アーヴルの靴みがき』のアキ・カウリスマキ。
(注2)身長は171cm、体重は71kg。
(注3)カーリドは、当局の係官に、「アレッポの修理工場で働いていた」「ある日、家に戻ると、粉々に破壊されていた」「誰のミサイルによるものかはわからない」「瓦礫を取り除いて死体を見つけた」「ボスに6000ドル支払って埋葬した」「それから、3000ドルを密航業者に支払ってギリシアに行った」「ハンガリーで混乱に巻き込まれて、妹とはぐれてしまった」「ハンガリーやスロベニア、セルビアなどで妹を探したが、見つからなかった」「国境を超えるのは簡単だ、誰も僕らを気にかけないから」などと事情を説明します。
(注4)当局の係官は、「今やアレッポでは戦闘は行われていない」「重大な害といえる危険は起きていない」「保護の必要性は認められない」として、カーリドをトルコに送還する決定を下します。
(注5)あるいは、フィンランド人より相当安い賃金で雇い入れることができるという利点がヴィクストロムには魅力だったのかもしれません。
(注6)ヴィクストロムは、それまでやっていた事業(衣類販売)を売却し、それで得たお金をポーカーに注ぎ込み、勝負に勝って大金を手にします。そのお金で、売りに出ていたレストランを購入し、経営者として立て直しを図ります。
(注7)従業員の提案で「寿司」を出すことになりますが、フィンランドで手に入る日本関係の書籍を読んで作っただけのシロモノで、ニシンの酢漬けに山盛りの辛子が添えられたものが出されると、入ってきた日本人の団体客は逃げ出してしまいます〔それでも、日本的なものが壁に飾られていたり、日本の曲(「竹田の子守唄」など)が流れたりするのですが。なお、前作『ル・アーヴルの靴みがき』でも、主人公・マルセルの家の食卓の上には日本の「お猪口」が置かれていたりします〕。

(注8)ヴィクストロムは、妻が働いている店に行き、「帰りは送っていくよ」と言って彼女を車に乗せます。車の中でヴィクストロムが、「どうしてた?」と尋ねると、妻は「少し寂しかった」と答え、今度は妻が「あなたは?」と尋ねると、彼は「今、レストランをやっている」「フロアー長が必要なんだ」と答えます。
(注9)皆でカーリドをトイレに匿ったりします。
(注10)フィンランドで知り合ったマズダック(サイモン・フセイン・アルバズーン)が、ミリアムがリトアニアの難民施設にいるとの情報を、カーリドに持ってきます。そして、リトアニアからやってきたトラックの荷物室の中から妹が出てきたのです(これには、ヴィクストロムが尽力しました)。
(注11)以前見た『ル・アーヴルの靴みがき』と同様に、カウリスマキ流と言ったらいいのでしょうか。
(注12)「フィンランド解放軍」と書かれた革ジャンを着た連中が、ヘルシンキの町を闊歩していますが、カーリドは、その中の一人に付け狙われます。ただ、スキンヘッドの男が、カーリドを刺した後、「警告しただろ、ユダヤ野郎!」と言うのですが、カーリドはもちろんユダヤ人ではありませんから、この集団の意識の低さが伺われるところです。
(注13)さらに、ヘルシンキに着いた妹のミリアムも、偽の身分証を作ってあげようとする兄に、「自分は、自分の名前を大切にしたい」「ちゃんと難民申請したい」と言って、警察に出向きます。
★★★☆☆☆
象のロケット:希望のかなた
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(1)カウリスマキ監督の作品ということで映画館に行ってきました。
本作(注1)の冒頭は、フィンランドのヘルシンキ。
夜になって、貨物船の船倉に積み込まれた石炭の中から、真っ黒になった男(カーリド:シェルワン・ハジ)が顔を出します。
カーリドは、船倉から階段を上ってデッキに向かいます。船室では、船員がテレビを見ています。カーリドは気付かれないように傍を通り過ぎ、船に取り付けられているタラップを降りて、港に降り立ち、あたりを見回します。
場面は変わって、1軒の住宅の中。時刻は夜中の12時。
その家の主人のヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)は、鏡の前に立ちネクタイを締めています。
それから、上着を着て、トランクを持ちます。
妻(カイヤ・バカリネン)は、椅子に座ってタバコをくゆらせながら、夫の行動を見守っています。

ヴィクストロムは、黙ったまま家の鍵と結婚指輪を机の上に置いて、その家を出ていきます。
妻は、置かれた指輪を灰皿の中に入れ、空になったコップに酒をつぎ、飲み干します。
ヴィクストロムは、駐車場に置かれている車の中に荷物やトランクを積み込み、エンジンを掛けて出発します。
その前を、カーリドが歩いて横切ります。
次の場面では、ストリート・ミュージシャンがギターを弾きながら、「あゝ母さん ランプを明るくして もうすぐこの世を去る俺に ………冷たい土の下で眠りにつく俺に」と歌います。
ヴィクストロムは、簡易宿泊所に泊まります。
街中を歩いていたカーリドは、ギターを弾いて歌う男を見ると、その前の箱にお金を入れ、「シャワー?」と尋ねます。すると、ギターを引く男は、カーリドを駅のシャワー室に連れて行きます。
カーリドがシャワーを浴びると、下から黒い水が流れ出てきます。
カーリドは洗面所で身だしなみを整えて、警察署に赴きます。
受付で、「難民認定の申請をします」と言うと、受付は「ようこそ、こちらへ」と言って、事務室に連れていきます。
カーリドは写真を撮られ、また身体測定をされ(注2)、両手の指紋もとられます。
その上でカーリドは、収容施設に入れられます。

こんなところが本作の始めの方ですが、さあここからどのような物語が展開するのでしょうか、………?
本作は、フィンランドのカウリスマキ監督の作品で、シリアからの難民の青年をめぐるお話。同青年は、はぐれてしまった妹を探すうちにフィンランドに入りこんだわけですが、難民申請を出すも当局から却下されたりする一方で、レストラン経営者に助けられたりもします。難民について様々な角度から光を当てている作品ながら、ただ本作では一人の難民に焦点を合わせているために、欧州が直面している問題の大きさを理解できない憾みがあるような気もします。
(2)主人公のカーリドは、内戦の続くアレッポからヨーロッパへ脱出してきたシリア人として描かれていて(注3)、上記(1)に記したように、正規の窓口に出向いて難民申請をするのですが、却下されてしまいます(注4)。
確かに、昨年3月のこの記事を見ても、アレッポにおける戦闘は終結しているようですから、フィンランド当局が、カーリドの送還を決めても仕方がないのかもしれません。
ですが、アレッポの現状は、とても人が住めないほど破壊しつくされている上に、カーリドは、はぐれてしまった妹・ミリアム(ニロズ・ハジ)をなんとか探し出したいという強い願いがあるのです。
そこで、カーリドは収容施設を脱走します。
その際、出会って手を差し伸べてくれたのがヴィクストロム(注5)。
ヴィクストロムは、それまでは、本作の主な流れとは全く別の物語の中にいました(注6)。
いかついた年寄りくさい顔をして、余り話をしないところから、ヴィクストロムがそんな行動に出ると、奇異な感じを受けてしまいます。
でも、ラストの方では、従業員と一緒になってレストランの業績を回復させようとしたり(注7)、別れた妻に手を差し伸べたりするところなどを見ると(注8)、本当は人情家なのかもしれません。
それはともかく、ヴィクストロムは、ひとたびカーリドを自分のレストランに雇い入れると、当局の調査に際しても、積極的に擁護しようとします(注9)。
それで、カーリドは、はぐれてしまった妹・ミリアムに出会えることにもなります(注10)。
本作は、ヨーロッパが直面している難民問題を、かなり特異な視覚から捉えていて(注11)、たいへん興味を惹かれます。
ただ、前作『ル・アーヴルの靴みがき』では、ル・アーヴルの人達の善意に支えられて、アフリカから流れてきたイドリッサ少年は、無事に目的地のロンドンに行くことになりますが、本作では、ヴィクストロムらの善意が描かれている一方で、当局の係官の厳しい姿勢とか、難民を敵視するネオナチも描かれていて(注12)、世の中が善意でばかり成り立っているものでもない状況がわかります。
それと、カーリドは、ヘルシンキに着くと、警察に自ら出向き、正規の手続きによって難民申請をしますが(注13)、中東の人々の矜持を描き出そうとしているのでしょう。
とはいえ、ヨーロッパにおける難民問題は、その数の膨大さが一番の難題のはずながら、本作では、カーリドとその周辺にしか焦点が当てられていないのでは、と思えてしまいます。
無論、本作で描かれるカーリドは、前作『ル・アーヴルの靴みがき』のイドリッサ少年と同様に、数多い難民の一人だとみなせばいいのでしょう。
でも、『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』で描き出されている大量の難民の姿は、数として描き出さないとなかなか伝わってこないようにも思えるところです。
(3)渡まち子氏は、「カウリスマキは、差別や偏見にNOと叫び、つつましく生きる市井の人々の優しさにYESと言っている。私たち観客は、誰かを助けるその勇気に感動する。物語の余韻はビターなものだが、その先にはきっと希望があると信じたくなる作品だ」として75点をつけています。
村山匡一郎氏は、「今日の難民問題を真正面から取り上げ、監督独特のスタイルでアイロニーを込めて描いている」として★5つ(「今年有数の傑作」)を付けています。
藤原帰一氏は、「ひょっとしたら人情って、人がお互いに共有する夢なのかもしれない。その夢を共有するからこそ、生きる意味があるのかもしれない。このおかしくてやさしい映画を観て、多くの感想を刺激されました」と述べています。
(注1)監督・脚本は、『ル・アーヴルの靴みがき』のアキ・カウリスマキ。
(注2)身長は171cm、体重は71kg。
(注3)カーリドは、当局の係官に、「アレッポの修理工場で働いていた」「ある日、家に戻ると、粉々に破壊されていた」「誰のミサイルによるものかはわからない」「瓦礫を取り除いて死体を見つけた」「ボスに6000ドル支払って埋葬した」「それから、3000ドルを密航業者に支払ってギリシアに行った」「ハンガリーで混乱に巻き込まれて、妹とはぐれてしまった」「ハンガリーやスロベニア、セルビアなどで妹を探したが、見つからなかった」「国境を超えるのは簡単だ、誰も僕らを気にかけないから」などと事情を説明します。
(注4)当局の係官は、「今やアレッポでは戦闘は行われていない」「重大な害といえる危険は起きていない」「保護の必要性は認められない」として、カーリドをトルコに送還する決定を下します。
(注5)あるいは、フィンランド人より相当安い賃金で雇い入れることができるという利点がヴィクストロムには魅力だったのかもしれません。
(注6)ヴィクストロムは、それまでやっていた事業(衣類販売)を売却し、それで得たお金をポーカーに注ぎ込み、勝負に勝って大金を手にします。そのお金で、売りに出ていたレストランを購入し、経営者として立て直しを図ります。
(注7)従業員の提案で「寿司」を出すことになりますが、フィンランドで手に入る日本関係の書籍を読んで作っただけのシロモノで、ニシンの酢漬けに山盛りの辛子が添えられたものが出されると、入ってきた日本人の団体客は逃げ出してしまいます〔それでも、日本的なものが壁に飾られていたり、日本の曲(「竹田の子守唄」など)が流れたりするのですが。なお、前作『ル・アーヴルの靴みがき』でも、主人公・マルセルの家の食卓の上には日本の「お猪口」が置かれていたりします〕。

(注8)ヴィクストロムは、妻が働いている店に行き、「帰りは送っていくよ」と言って彼女を車に乗せます。車の中でヴィクストロムが、「どうしてた?」と尋ねると、妻は「少し寂しかった」と答え、今度は妻が「あなたは?」と尋ねると、彼は「今、レストランをやっている」「フロアー長が必要なんだ」と答えます。
(注9)皆でカーリドをトイレに匿ったりします。
(注10)フィンランドで知り合ったマズダック(サイモン・フセイン・アルバズーン)が、ミリアムがリトアニアの難民施設にいるとの情報を、カーリドに持ってきます。そして、リトアニアからやってきたトラックの荷物室の中から妹が出てきたのです(これには、ヴィクストロムが尽力しました)。
(注11)以前見た『ル・アーヴルの靴みがき』と同様に、カウリスマキ流と言ったらいいのでしょうか。
(注12)「フィンランド解放軍」と書かれた革ジャンを着た連中が、ヘルシンキの町を闊歩していますが、カーリドは、その中の一人に付け狙われます。ただ、スキンヘッドの男が、カーリドを刺した後、「警告しただろ、ユダヤ野郎!」と言うのですが、カーリドはもちろんユダヤ人ではありませんから、この集団の意識の低さが伺われるところです。
(注13)さらに、ヘルシンキに着いた妹のミリアムも、偽の身分証を作ってあげようとする兄に、「自分は、自分の名前を大切にしたい」「ちゃんと難民申請したい」と言って、警察に出向きます。
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カウリスマキは、前作でアフリカの少年を、本作でシリアの青年を取り扱っていますが、次に制作されるであろう作品では、どんな難民を取り上げるのか、大層興味が持たれるところです。
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