『恋愛だけじゃダメかしら?』をヒューマントラストシネマ渋谷で見てきました。
(1)キャメロン・ディアス(注1)が出演するロマンティック・コメディということを聞き込んで、それだけの情報で映画館に行ったものの、これはダメでした!
映画の舞台は、ジョージア州アトランタ(注2)。
映画に登場するのは、5組のカップル。
すなわち、TVのダイエット番組でトレーナーをしているジュールズ(キャメロン・ディアス)とダンサーのエヴァン。
その番組に出演したことのある歯科医のゲイリーとベビー用品店のオーナーのウェンディ(エリザベス・バンクス)。
ゲイリーの父親ラムジーとその妻スカイラー(ブルックリン・デッカー)。
スカイラーの姪のロージー(アナ・ケンドリック)(注3)と高校同級生マルコ。
それにラムジー家の専属カメラマンになるホリー(ジェニファー・ロペス)(注4)と広告代理店勤務のアレックス。
このなんとなくつながりがありそうな5組のカップルが次々に映画に現れるばかりか、アレックスは、育児に専念する4人組の男性(さらには、もうすぐ子育てをしなければならなくなるスポーツマンのディヴィスとも)と公園で知り合いにもなるのです。
こんなにも大勢のカップルが登場するのですから、一つ一つのカップルを巡るお話は十分に掘り下げられることもなく(注5)、自ずと妊娠と出産の話ばかりとなり、その典型的なタイプがいくつも示されます。
すなわち、ジュールズの場合は仕事中(TV出演の最中)に陣痛が、ウェンディは帝王切開と出産直後の大量出血、スカイラーは双子の出産、ロージーは流産、そしてホリーは子供が産めないために養子をとることに。
ジュールズ、ウェンディそれにスカイラーは同じ頃同じ産院に来て産むことになるなど、制作者側は映画に統一感を与えようと工夫しているものの、女たちがわいわい騒ぎたてるだけの作品という印象は拭えず、これにイクメンの4人組まで加わり、最後に、“どんなことをやっても死んでしまえば皆おしまいだが、子供だけは後に残る”などといったつまらない教訓までラムジーが分かったように垂れたりもするのですから、見ていて退屈至極になってしまいます。
結局のところ、登場人物の多い群像劇仕立てながら、皆が出産・子育てに絡むだけで物語性が乏しく単調で、おまけに笑える場面が少ないときてますから救いようがありません(これも、子育てと全然関係のない男性というクマネズミの属性のしからしめるところかもしれませんが!)。
(2)出産シーンを描いている作品でしたら、最近見たものでは『ふがいない僕は空を見た』の方が優れた出来栄えではないかと思います。
なにしろ、その作品では、主人公の卓巳の母親が助産婦で助産院を営んでいて、卓巳も出産の手伝いまでさせられるのですから(注6)。
さらに、出産の素晴らしさを描くだけでなく、生まれてきた赤ん坊に対し、卓巳が「お前、やっかいなものをつけているな」と言ったり、あるいは卓巳の母親が「思っている以上に子供は死ぬんだ」と言ったりするように、本作のような手放しの礼賛ではありません。
(3)毎日新聞に掲載された記事では、「お気楽なラブコメ風と思いきや、親になることの不安や戸惑いを軽妙なタッチで描いた。妊娠にかかわるユーモアとリアルのさじ加減が絶妙だ」と述べられています。
(注1)キャメロン・ディアスは、2年ほど前に見た『運命のボタン』以来です。
(注2)この記事のpremiseによります(ちなみに、この場合のpremiseは、the fundamental concept that drives the plot)。
(注3)アナ・ケンドリックは、『50/50 フィフティ・フィフティ』や『マイレージ、マイライフ』で見ました。
(注4)ジェニファー・ロペスについては、『ザ・セル』(2000年)をDVDで見たくらいです(『ザ・セル』及びジェニファー・ロペスについては、このエントリの(2)及び「注4」で触れています)。
(注5)一応は、様々なエピソードがちりばめられていますが。
例えば、キャメロン・ディアスのジュールズが、TV番組で行われたダンス選手権で優勝するものの、受け取った優勝カップに吐いてしまいます。後からすれば、これは“つわり”だったのでしょう。また、歯科医のゲイリーとその父親ラムジーの折り合いは上手くいってはおらず、ゴルフカートの競争までする始末。などなど。
(注6)『ふがいない僕は空を見た』でも、自然分娩や帝王切開、さらには体外受精の話しまで出てきますが。
★★☆☆☆
(1)キャメロン・ディアス(注1)が出演するロマンティック・コメディということを聞き込んで、それだけの情報で映画館に行ったものの、これはダメでした!
映画の舞台は、ジョージア州アトランタ(注2)。
映画に登場するのは、5組のカップル。
すなわち、TVのダイエット番組でトレーナーをしているジュールズ(キャメロン・ディアス)とダンサーのエヴァン。
その番組に出演したことのある歯科医のゲイリーとベビー用品店のオーナーのウェンディ(エリザベス・バンクス)。
ゲイリーの父親ラムジーとその妻スカイラー(ブルックリン・デッカー)。
スカイラーの姪のロージー(アナ・ケンドリック)(注3)と高校同級生マルコ。
それにラムジー家の専属カメラマンになるホリー(ジェニファー・ロペス)(注4)と広告代理店勤務のアレックス。
このなんとなくつながりがありそうな5組のカップルが次々に映画に現れるばかりか、アレックスは、育児に専念する4人組の男性(さらには、もうすぐ子育てをしなければならなくなるスポーツマンのディヴィスとも)と公園で知り合いにもなるのです。
こんなにも大勢のカップルが登場するのですから、一つ一つのカップルを巡るお話は十分に掘り下げられることもなく(注5)、自ずと妊娠と出産の話ばかりとなり、その典型的なタイプがいくつも示されます。
すなわち、ジュールズの場合は仕事中(TV出演の最中)に陣痛が、ウェンディは帝王切開と出産直後の大量出血、スカイラーは双子の出産、ロージーは流産、そしてホリーは子供が産めないために養子をとることに。
ジュールズ、ウェンディそれにスカイラーは同じ頃同じ産院に来て産むことになるなど、制作者側は映画に統一感を与えようと工夫しているものの、女たちがわいわい騒ぎたてるだけの作品という印象は拭えず、これにイクメンの4人組まで加わり、最後に、“どんなことをやっても死んでしまえば皆おしまいだが、子供だけは後に残る”などといったつまらない教訓までラムジーが分かったように垂れたりもするのですから、見ていて退屈至極になってしまいます。
結局のところ、登場人物の多い群像劇仕立てながら、皆が出産・子育てに絡むだけで物語性が乏しく単調で、おまけに笑える場面が少ないときてますから救いようがありません(これも、子育てと全然関係のない男性というクマネズミの属性のしからしめるところかもしれませんが!)。
(2)出産シーンを描いている作品でしたら、最近見たものでは『ふがいない僕は空を見た』の方が優れた出来栄えではないかと思います。
なにしろ、その作品では、主人公の卓巳の母親が助産婦で助産院を営んでいて、卓巳も出産の手伝いまでさせられるのですから(注6)。
さらに、出産の素晴らしさを描くだけでなく、生まれてきた赤ん坊に対し、卓巳が「お前、やっかいなものをつけているな」と言ったり、あるいは卓巳の母親が「思っている以上に子供は死ぬんだ」と言ったりするように、本作のような手放しの礼賛ではありません。
(3)毎日新聞に掲載された記事では、「お気楽なラブコメ風と思いきや、親になることの不安や戸惑いを軽妙なタッチで描いた。妊娠にかかわるユーモアとリアルのさじ加減が絶妙だ」と述べられています。
(注1)キャメロン・ディアスは、2年ほど前に見た『運命のボタン』以来です。
(注2)この記事のpremiseによります(ちなみに、この場合のpremiseは、the fundamental concept that drives the plot)。
(注3)アナ・ケンドリックは、『50/50 フィフティ・フィフティ』や『マイレージ、マイライフ』で見ました。
(注4)ジェニファー・ロペスについては、『ザ・セル』(2000年)をDVDで見たくらいです(『ザ・セル』及びジェニファー・ロペスについては、このエントリの(2)及び「注4」で触れています)。
(注5)一応は、様々なエピソードがちりばめられていますが。
例えば、キャメロン・ディアスのジュールズが、TV番組で行われたダンス選手権で優勝するものの、受け取った優勝カップに吐いてしまいます。後からすれば、これは“つわり”だったのでしょう。また、歯科医のゲイリーとその父親ラムジーの折り合いは上手くいってはおらず、ゴルフカートの競争までする始末。などなど。
(注6)『ふがいない僕は空を見た』でも、自然分娩や帝王切開、さらには体外受精の話しまで出てきますが。
★★☆☆☆