
『ヒッチコック』をTOHOシネマズ六本木ヒルズで見ました。
(1)本作は、60歳のヒッチコック監督が『サイコ』を制作した際の経緯を描き出しています。
映画では、まず、映画『サイコ』の原作小説の素材となった殺人事件が再現されます。
そこに、ヒッチコック(アンソニー・ホプキンス)が登場して、「ごきげんよう、撲殺された兄も驚いたことでしょう、石に頭をぶつけたんだという弟の話を警察が信じたのですから」などと、紅茶のカップを手にしながら、いつもの調子で話します。
そして、タイトル・クレジットが流れ、『北北西に進路を取れ』が上映される映画館にヒッチコックらが入って行く場面に。
ただ、「60歳だともう引き時では?」などという声がかけられ、また新聞に掲載された批評でも、「クライマックスが退屈」と書かれる始末。
これに対して、ヒッチコックは、皆の鼻を明かすべく新企画用の素材を必死で探します。
そんな中で、誰もが対象となり得ないとした長編小説『サイコ』を、ヒッチコックの嗅覚が探り当てます。
さあ、新企画の映画はうまく制作されてヒット作となるのでしょうか、……?
本作の主役はヒッチコックとなっているものの、実質的な主役は彼の妻アルマ(ヘレン・ミレン)でしょう。なにしろ彼女は映画『サイコ』のキャスティングに関与し、「女優は最初の30分のうちに殺すことよ!」と言ったり、ラストの場面は脚本家でもある彼女の手にかかるもので、また観客に衝撃を与える映画の作りも彼女の編集の才能によるところが大きかったように、映画の中で描かれているのですから。
それに、本作では、妻アルマが、夫ヒッチコックが映画に出演する女優に色目を使うのを苦々しく思っていたところ(注1)、脚本家のウィットフィールド(ダニー・ヒューストン)と親しくなって、ヒッチコックに強い嫉妬心を抱かせたりもするのです(注2)。
まあ要すれば、大ヒットした映画の背景にはヒッチコック夫妻の強い絆があったというところなのでしょう。
ただ、せっかく映画『サイコ』を持ち出すのですから、本作自体のラストにも観客をアッと驚かす仕掛けがあったらなと無い物ねだりをしたくなってしまいます。
ヒッチコックに扮しているのがアンソニー・ホプキンスだということは見る前に知っていましたが、その妻アルマを演じるのがヘレン・ミレンで、さらには映画『サイコ』にマリオン役で出演するジャネット・リーに扮するのがスカーレット・ヨハンソンだとは知らずにいたので驚き、本作を見るのが俄然楽しくなりました。
アンソニー・ホプキンスは、既に76歳ながら相変わらず達者な演技で、もともとそんなにソックリさんになる必要はないことながら、メイクもよくできており、ヒッチコックになりきっている感じです(注3)。

ヘレン・ミレンは吉永小百合と同じ年ですが、本作でも水着姿でプールに飛び込むなど頑張っています(注4)。

こうした二人を見ると、洋画では年配の俳優が主役級でかなり活躍しているのに(注5)、邦画ではあまり見かけないなという印象を持ってしまいます(注6)。
なお、スカーレット・ヨハンソンは、このところ『幸せへのキセキ』を除いてあまり目立たない感じでしたが、本作ではその魅力を十分に振りまいています。

(2)ところで、本作は、映画『サイコ』の舞台裏を探究したスティーヴン・レベロ著『ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ』(岡山徹訳、白夜書房、2013年3月)(注7)に基づいて制作されています。
ただ、メイキング物としたら通常はドキュメンターとなるところ、本作では、原作本に存在しない「脚本家ウィットフィールド」が登場することからも分かるように、かなりの脚色がなされていて、それ自体が劇映画となっているのです(冗談ながら、本作のメイキングすらも考えられるところです)(注8)。
確かに、映画『サイコ』はヒッチコック監督の最大ヒット作ですから(注9)、どんな経過で制作されたのかは大層興味深い点です。
とはいえ、それをわざわざ劇映画で描くというのはどうでしょうか(スティーヴン・レベロ氏の本で十分では)(注10)?
でも、映画制作者はそうは考えなかったのでしょう。
あるいは、その映画に盛り込まれている様々の斬新なアイデアがどんなところからやってきたのか(創造の秘密!)、という点に興味があったのかもしれません。
というのも、一つは、映画『サイコ』の原作小説の素材となった殺人事件の犯人エド・ゲインの映像が何度も本作では映し出されるからですが。あるいは、ヒッチコックの夢の中に、エド・ゲインが何度も現れたのかもしれません。
でも、そんなことは原作本には書かれていないことです。
加えて、ヒッチコックの夢については、『定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー』(晶文社、1981年)のなかで、彼自身が、「あまり夢はみないな。……ときどきだね……それも、ちゃんと筋のとおった、まともな夢しか見ない」と言い(邦訳本P.269)、インタビュアーのトリュフォーも「あなたの作品には夢の影響が強くあるのではないかと思って質問してみたのですが、この夢談義からは、率直に言って、期待した成果が得られないことがよくわかりました」と匙を投げています(邦訳本P.270)。
また、本作においては、上でも書きましたように、映画『サイコ』を巡る重要な事柄には妻アルマの役割が大であったとされています(注)。
でも、この点もまた、ざっと読んだにすぎませんが、原作本ではそのように書かれてはおりませんし、仮にそうであれば、今度は妻アルマのことをもっと仔細に描き出さなくてはいけなくなるだけのことでしょう。
それに元々、そんな天才的なアイデアがどうやってもたらされたのかなど、本人以外にはうかがい知れないものではないでしょうか(あるいは、本人でも分からないことかもしれません)?
これまでも、例えば、『マーラー 君に捧げるアダージョ』では、マーラーの音楽的才能の因って来るところが、また『これでいいのだ!!』では赤塚不二夫のギャグ漫画の素晴らしさの背景が描かれたりしているものの、その創造の秘密に分け入ることはできなかったのではないでしょうか?
ということから、本作の見所は、ヒッチコックとアルマとの愛情関係ということになりそうですが、それがごく他愛のないものとなると、本作に対するクマネズミの評価も大したものにはなり得ないところです。
(3)渡まち子氏は、「描かれるのは、コンプレックスや嫉妬心、殺人や倒錯を嗜好する異常性。さらに、公私ともに強い絆で結ばれた夫婦の葛藤を浮き彫りにするアプローチが新鮮だ」などとして65点をつけています。
他方、前田有一氏は、「自分を日陰者と感じている主婦とか、あるいはいわゆるフェミ的な思想を持って男社会に不満をもっている女性とか、そういう人にはぴったりだ」が、他方「映画ファンにとっては再現された未公開の「サイコ」撮影セットをみて、有名な殺害場面の撮影風景について想像を膨らませたり、レーティングや製作費における対立で監督自ら相手方とやりあう様子を楽しんだり、相変わらず唯我独尊の役作りで、本人とは似ても似つかないけれどそれなりに魅せてしまうアンソニー・ホプキンスの演技に注目するといいだろう」などとして40点をつけています。
(注1)映画『サイコ』にマリオンの妹役で出演するヴェラ・マイルズ(ジェシカ・ビール)について、本作のヒッチコックは、「『めまい』の主役に抜擢したのに、妊娠したと言われた。なぜ、私を裏切るのだ!スターにしたかったのに、主婦になったのだ」とジャネット・リーに話します。
さらにヴェラに対しても、ヒッチコックは「グレース・ケリーのようなスターにしたかったのに」と言いますが、彼女は「あなたのブロンドの大スターは幻想よ」と答えます。
下記の「注7」で触れる『ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ(改訂新装版)』では、「マイルズは、「『めまい』でスターダムにのし上がるチャンスをうしなったことを達観してこう語っている。「ヒッチコックは自分の映画を生んで、わたしは自分の子供を生んだのです」」と述べられています(邦訳書P.120)。
(注2)二人は、海辺に設けられているウィットフィールドの秘密の別荘に行ったりしますが、ウィットフィールドが期待しているのが、自分の手掛けている脚本の手直しとヒッチコックへの売り込みに過ぎないことが分かると、アルマの熱も一遍に冷めてしまいます。
(注3)本作の前には、『恋のロンドン狂騒曲』に出演しているのを見ました。
(注4)『RED/レッド』や『終着駅―トルストイ最後の旅』など、着実に映画に出演してきている感じです。
(注5)女優で言えば、他にも、『007 スカイフォール』に出演したジュディ・デンチ(78歳)とか、これから公開される『カルテット!人生のオペラハウス』に出演したマギー・スミス(78歳)など、偉い人たちだなと思います。
(注6)女優で言えば、樹木希林(70歳)とか吉永小百合(68歳)くらいではないでしょうか?
(注7)原書は1990年に出版され、その邦訳本も『ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ』として同じ年に出されています。ただ、今書店で並んでいる邦訳本は、原書が、著者の新しい序文入りで本年再刊されたのに合わせて、『ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ(改訂新装版)』として発刊されたものです。
(注8)メイキングを劇映画にしたものとして最近作としては、例えば『マリリン』が挙げられるでしょう。その映画では、映画『王子と踊り子』の制作状況が描かれており、なおかつ監督・主演のローレンス・オリヴィエも登場しますが、あくまでも焦点はミシェル・ウィリアムズが扮するマリリン・モンローに当てられているので、本作とはかなり性格の違った作品と言えるでしょう。
(注9)このサイトの記事を見ると、なるほど『サイコ』の興業収入が他のヒッチコック作品を圧倒していることが分かります。
(注10)スティーヴン・レベロ氏の本が1990年に出版され、その後2004年に2人のプロデューサー(2人は本作の「製作」にも名を連ねています)から映画化の話が持ち込まれたようですが(上記「注7」で触れるスティーヴン・レベロ氏の本の2012年の「序文」によります)、それからおよそ10年経過し、本作まで実現することはありませんでした。
★★★☆☆
象のロケット:ヒッチコック
(1)本作は、60歳のヒッチコック監督が『サイコ』を制作した際の経緯を描き出しています。
映画では、まず、映画『サイコ』の原作小説の素材となった殺人事件が再現されます。
そこに、ヒッチコック(アンソニー・ホプキンス)が登場して、「ごきげんよう、撲殺された兄も驚いたことでしょう、石に頭をぶつけたんだという弟の話を警察が信じたのですから」などと、紅茶のカップを手にしながら、いつもの調子で話します。
そして、タイトル・クレジットが流れ、『北北西に進路を取れ』が上映される映画館にヒッチコックらが入って行く場面に。
ただ、「60歳だともう引き時では?」などという声がかけられ、また新聞に掲載された批評でも、「クライマックスが退屈」と書かれる始末。
これに対して、ヒッチコックは、皆の鼻を明かすべく新企画用の素材を必死で探します。
そんな中で、誰もが対象となり得ないとした長編小説『サイコ』を、ヒッチコックの嗅覚が探り当てます。
さあ、新企画の映画はうまく制作されてヒット作となるのでしょうか、……?
本作の主役はヒッチコックとなっているものの、実質的な主役は彼の妻アルマ(ヘレン・ミレン)でしょう。なにしろ彼女は映画『サイコ』のキャスティングに関与し、「女優は最初の30分のうちに殺すことよ!」と言ったり、ラストの場面は脚本家でもある彼女の手にかかるもので、また観客に衝撃を与える映画の作りも彼女の編集の才能によるところが大きかったように、映画の中で描かれているのですから。
それに、本作では、妻アルマが、夫ヒッチコックが映画に出演する女優に色目を使うのを苦々しく思っていたところ(注1)、脚本家のウィットフィールド(ダニー・ヒューストン)と親しくなって、ヒッチコックに強い嫉妬心を抱かせたりもするのです(注2)。
まあ要すれば、大ヒットした映画の背景にはヒッチコック夫妻の強い絆があったというところなのでしょう。
ただ、せっかく映画『サイコ』を持ち出すのですから、本作自体のラストにも観客をアッと驚かす仕掛けがあったらなと無い物ねだりをしたくなってしまいます。
ヒッチコックに扮しているのがアンソニー・ホプキンスだということは見る前に知っていましたが、その妻アルマを演じるのがヘレン・ミレンで、さらには映画『サイコ』にマリオン役で出演するジャネット・リーに扮するのがスカーレット・ヨハンソンだとは知らずにいたので驚き、本作を見るのが俄然楽しくなりました。
アンソニー・ホプキンスは、既に76歳ながら相変わらず達者な演技で、もともとそんなにソックリさんになる必要はないことながら、メイクもよくできており、ヒッチコックになりきっている感じです(注3)。

ヘレン・ミレンは吉永小百合と同じ年ですが、本作でも水着姿でプールに飛び込むなど頑張っています(注4)。

こうした二人を見ると、洋画では年配の俳優が主役級でかなり活躍しているのに(注5)、邦画ではあまり見かけないなという印象を持ってしまいます(注6)。
なお、スカーレット・ヨハンソンは、このところ『幸せへのキセキ』を除いてあまり目立たない感じでしたが、本作ではその魅力を十分に振りまいています。

(2)ところで、本作は、映画『サイコ』の舞台裏を探究したスティーヴン・レベロ著『ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ』(岡山徹訳、白夜書房、2013年3月)(注7)に基づいて制作されています。
ただ、メイキング物としたら通常はドキュメンターとなるところ、本作では、原作本に存在しない「脚本家ウィットフィールド」が登場することからも分かるように、かなりの脚色がなされていて、それ自体が劇映画となっているのです(冗談ながら、本作のメイキングすらも考えられるところです)(注8)。
確かに、映画『サイコ』はヒッチコック監督の最大ヒット作ですから(注9)、どんな経過で制作されたのかは大層興味深い点です。
とはいえ、それをわざわざ劇映画で描くというのはどうでしょうか(スティーヴン・レベロ氏の本で十分では)(注10)?
でも、映画制作者はそうは考えなかったのでしょう。
あるいは、その映画に盛り込まれている様々の斬新なアイデアがどんなところからやってきたのか(創造の秘密!)、という点に興味があったのかもしれません。
というのも、一つは、映画『サイコ』の原作小説の素材となった殺人事件の犯人エド・ゲインの映像が何度も本作では映し出されるからですが。あるいは、ヒッチコックの夢の中に、エド・ゲインが何度も現れたのかもしれません。
でも、そんなことは原作本には書かれていないことです。
加えて、ヒッチコックの夢については、『定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー』(晶文社、1981年)のなかで、彼自身が、「あまり夢はみないな。……ときどきだね……それも、ちゃんと筋のとおった、まともな夢しか見ない」と言い(邦訳本P.269)、インタビュアーのトリュフォーも「あなたの作品には夢の影響が強くあるのではないかと思って質問してみたのですが、この夢談義からは、率直に言って、期待した成果が得られないことがよくわかりました」と匙を投げています(邦訳本P.270)。
また、本作においては、上でも書きましたように、映画『サイコ』を巡る重要な事柄には妻アルマの役割が大であったとされています(注)。
でも、この点もまた、ざっと読んだにすぎませんが、原作本ではそのように書かれてはおりませんし、仮にそうであれば、今度は妻アルマのことをもっと仔細に描き出さなくてはいけなくなるだけのことでしょう。
それに元々、そんな天才的なアイデアがどうやってもたらされたのかなど、本人以外にはうかがい知れないものではないでしょうか(あるいは、本人でも分からないことかもしれません)?
これまでも、例えば、『マーラー 君に捧げるアダージョ』では、マーラーの音楽的才能の因って来るところが、また『これでいいのだ!!』では赤塚不二夫のギャグ漫画の素晴らしさの背景が描かれたりしているものの、その創造の秘密に分け入ることはできなかったのではないでしょうか?
ということから、本作の見所は、ヒッチコックとアルマとの愛情関係ということになりそうですが、それがごく他愛のないものとなると、本作に対するクマネズミの評価も大したものにはなり得ないところです。
(3)渡まち子氏は、「描かれるのは、コンプレックスや嫉妬心、殺人や倒錯を嗜好する異常性。さらに、公私ともに強い絆で結ばれた夫婦の葛藤を浮き彫りにするアプローチが新鮮だ」などとして65点をつけています。
他方、前田有一氏は、「自分を日陰者と感じている主婦とか、あるいはいわゆるフェミ的な思想を持って男社会に不満をもっている女性とか、そういう人にはぴったりだ」が、他方「映画ファンにとっては再現された未公開の「サイコ」撮影セットをみて、有名な殺害場面の撮影風景について想像を膨らませたり、レーティングや製作費における対立で監督自ら相手方とやりあう様子を楽しんだり、相変わらず唯我独尊の役作りで、本人とは似ても似つかないけれどそれなりに魅せてしまうアンソニー・ホプキンスの演技に注目するといいだろう」などとして40点をつけています。
(注1)映画『サイコ』にマリオンの妹役で出演するヴェラ・マイルズ(ジェシカ・ビール)について、本作のヒッチコックは、「『めまい』の主役に抜擢したのに、妊娠したと言われた。なぜ、私を裏切るのだ!スターにしたかったのに、主婦になったのだ」とジャネット・リーに話します。
さらにヴェラに対しても、ヒッチコックは「グレース・ケリーのようなスターにしたかったのに」と言いますが、彼女は「あなたのブロンドの大スターは幻想よ」と答えます。
下記の「注7」で触れる『ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ(改訂新装版)』では、「マイルズは、「『めまい』でスターダムにのし上がるチャンスをうしなったことを達観してこう語っている。「ヒッチコックは自分の映画を生んで、わたしは自分の子供を生んだのです」」と述べられています(邦訳書P.120)。
(注2)二人は、海辺に設けられているウィットフィールドの秘密の別荘に行ったりしますが、ウィットフィールドが期待しているのが、自分の手掛けている脚本の手直しとヒッチコックへの売り込みに過ぎないことが分かると、アルマの熱も一遍に冷めてしまいます。
(注3)本作の前には、『恋のロンドン狂騒曲』に出演しているのを見ました。
(注4)『RED/レッド』や『終着駅―トルストイ最後の旅』など、着実に映画に出演してきている感じです。
(注5)女優で言えば、他にも、『007 スカイフォール』に出演したジュディ・デンチ(78歳)とか、これから公開される『カルテット!人生のオペラハウス』に出演したマギー・スミス(78歳)など、偉い人たちだなと思います。
(注6)女優で言えば、樹木希林(70歳)とか吉永小百合(68歳)くらいではないでしょうか?
(注7)原書は1990年に出版され、その邦訳本も『ヒッチコック&ザ・メイキング・オブ・サイコ』として同じ年に出されています。ただ、今書店で並んでいる邦訳本は、原書が、著者の新しい序文入りで本年再刊されたのに合わせて、『ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ(改訂新装版)』として発刊されたものです。
(注8)メイキングを劇映画にしたものとして最近作としては、例えば『マリリン』が挙げられるでしょう。その映画では、映画『王子と踊り子』の制作状況が描かれており、なおかつ監督・主演のローレンス・オリヴィエも登場しますが、あくまでも焦点はミシェル・ウィリアムズが扮するマリリン・モンローに当てられているので、本作とはかなり性格の違った作品と言えるでしょう。
(注9)このサイトの記事を見ると、なるほど『サイコ』の興業収入が他のヒッチコック作品を圧倒していることが分かります。
(注10)スティーヴン・レベロ氏の本が1990年に出版され、その後2004年に2人のプロデューサー(2人は本作の「製作」にも名を連ねています)から映画化の話が持ち込まれたようですが(上記「注7」で触れるスティーヴン・レベロ氏の本の2012年の「序文」によります)、それからおよそ10年経過し、本作まで実現することはありませんでした。
★★★☆☆
象のロケット:ヒッチコック
映画でも描かれたようにパラマウントは“配給”するだけで製作はヒッチの会社シャムリー・プロが担当し最初からTV並みの短期間低予算(30日80万ドル)で作ることを目指し、音楽と編集以外はTVの“ヒッチコック劇場”のスタッフを使いユニバーサルのスタジオで撮影されている。だから映画の最初はパラマウントのマークなのに“Paramout Release”という珍しいマークになっている。
あとは“せっかく映画『サイコ』を持ち出すのですから”“世界一有名な”シャワーシーンだけでなく、当時の技術では実現できなかったトップシーンの“昼下がりの情事”のヘリコプターショットから室内までワンカットで撮ろうとした苦労(ガス・ヴァン・サントのリメイクで実現)や(台詞では触れたが)アルボガストが階段を落ちるシーンなどヒッチがこだわった場面も再現して欲しかった。
関係ないが見ていて、いまさらながら気づいたのは“アルフレッド・ヒッチコック”なら普通は愛称は“アル”とか“フレッド”だろうに“ヒッチ”と姓の頭を短縮する。そのような例は多くはないと思うが映画でも確かに“ヒッチ”と呼んでいた。
巨匠と呼ばれた人でさえも抱える苦悩や、
作品作りに懸ける情熱や駆け引き等を
夫婦愛を基調に描いてあって、物作りっていいなぁ☆と思わせてもらいました。
私にとっては、秀逸な教科書のイメージです(^^)。
「音楽と編集以外はTVの“ヒッチコック劇場”のスタッフを使いユニバーサルのスタジオで撮影されている」ことに関連して、劇場用パンフレットに掲載されている鷲巣嘉明氏の「Making of Psycho」には、ヒッチコックは、「62年にユニバーサルとの契約の一部として、「サイコ」と「ヒッチコック劇場」の全ての権利と引き替えに、親会社であるMCAの役15万株を取得し、同社の3番目に大きな株主になった」などと述べられています。
なお、『サイコ』にまつわる話しをもっと映画に取り入れたらということですが、クマネズミには、この映画は『サイコ』は単なるダシ・舞台装置であって、主な焦点はヒッチコック夫妻の愛情関係の方に置かれているために、せいぜいこの程度なのかなと思いました。
おっしゃるように、本作では、「巨匠と呼ばれた人でさえも抱える苦悩や、作品作りに懸ける情熱や駆け引き等を夫婦愛を基調に描いてあ」ると思いました。
ただ、それは「今ほど技術力の発展していない時代」だけのお話ではなく、現在のような技術力の発展した時代であっても、「苦悩」や「情熱や駆け引き」等は変わらなく存在するように思いますが。
漢字の成り立ちについては、諸説あることを例をひいて説明いただきました。 m(_ _)m 礼
人は、おのずと公私が混然としています。だからといってこのことを指して「公私混同」といったのではニュアンスが微妙に異なる如くであります。
ヒッチコックは、映画監督という立場は「公」であったかかと思いますが、クマネズミさんとこうして「公私」について、公然と格子戸を立てないで論じられたことがTBの効果でした。
クマネズミさんの記事を拝読して、「ヒッチコック」を見たいと思うな至りました。
吉永小百合さんには機銃操作するような役を是非ともやってもらいたいですね。水着とかは特にいいから。
確かに、現在のメイクの技術をもってすれば、アンソニー・ホプキンスでできたのですから、「ウィリスのヒッチコックとか、ジョン・マルコビッチのヒッチコックとかもやればできたんじゃないか」と思われます。特に、ブルース・ウィリスは、『ムーンライズ・キングダム』では、機関銃をぶっ放したりしない優しい保安官を演じたりしているのですから。
それに反し、吉永小百合は、なかなかこれまでの枠を抜け出すことは難しそうに思えるところ、ヘレン・ミレンができて彼女が出来ないことはないとも思えます。以前、『天国の大罪』で麻薬シンジケートと対決する女性検事の役を演じていますし。