映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

カラスの親指

2012年12月26日 | 邦画(12年)
 『カラスの親指』を新宿武蔵野館で見ました。

(1)阿部寛がお笑いの村上ショージと共演するのが面白いと思い、映画館に出かけました。

 物語の冒頭では、競馬場で、どの馬券を買うべきか思案に暮れている男タケ阿部寛)が映し出されます。すると彼のそばに、いかにも訳知りの男テツ村上ショージ)が近づいてきて、自分は競馬場の獣医で秘密の情報を持っていると告げ、確実に入りそうな馬を教えます。
 その忠告に従って、タケが馬券を買うと、なんと当たってしまうのです。
 その一部始終を、別の男(ユースケ・サンタマリア)が見ていました。彼はタケに近づき、前日の分をも含めた当たり馬券を買い取ってくれます。
 ところが、実際には、タケとテツはつるんでいて、一緒になってユースケ・サンタマリアを騙したというわけです。彼が、当たりのはずの馬券を引換機に入れると、「読み取れません」という表示が出てしまうのですから。
 映画は、こうしたタケとテツとが一緒になって生活している家に、若い3人組が転がり込んでくるところから、新しい展開となり、皆でタケを脅かす闇金業者を、得意技の詐欺で騙してやっつけてやろうという話となっていきます。
 さあ、そんな危ない話はうまくいくのでしょうか、……?

 本作は、コンゲームに絡むお話ながら、手が込んでいる仕掛けが何重にも施されていて面白く(従って、さすがのこのレビュー記事でも余り多くを書けません)、実に楽しく見ることができました。
 さらに、お笑い芸人としての村上ショージは余り買いませんが、この映画における演技は絶妙で、彼なくしてこの映画の味は出てこなかったのでは、と思ったところです。



 肝心の阿部寛は、このくらいの役どころだと手慣れた感じで、無難にこなしています(注1)。



 さらに、タケとテツの家に転がり込む3人組のうちの2人は姉妹で、それを石原さとみと能年玲奈とが演じています。
 石原さとみは、『月光ノ仮面』などで見ましたが、本作の姉・やひろの役は、恋人(小柳友)と一緒ながらも妹におんぶにだっこという難しい役ながら、持ち前の演技力でうまくこなしています。



 また、能年玲奈は本作で初めて見ましたが(注2)、若いながらもなかなか頑張っているなと思いました。




(2)本作と同様にコンゲームを扱っている作品として、最近のものでは『夢売るふたり』があります(注3)。
 同作品では、確かにコンゲームが何件も取り扱われていますが、すべて妻の里子松たか子)の指示に基づいて夫の貫也阿部サダヲ)が実行する単純な結婚詐欺であり、本作のような大掛かりなものとは言えません。
 また、同作品では、2人が結婚詐欺というコンゲームをやるのは、焼けて失ってしまった自分たちの小料理店を再建するための資金を集めるためという目的が明確ですが、本作においては、むろんお金をせしめることが重要なのでしょうが、それよりなにより、皆でコンゲーム自体を楽しんでいます。
 そういうこともあってか、同作品では、資金集めという目的が薄れてくると、里子と貫也の関係にもヒビが入ってきてしまいますが(注4)、本作においては、自分たちのやっていることに対する反省は一切せずに(注5)、皆が新たな方向に向かって幸せに旅立つことになります。

 一年のうちのこうした対照的なコンゲーム物を2作品見ることができるというのも、なかなか面白いことだなと思っているところです。

(3)渡まち子氏は、「サギ師が仕掛ける一世一代の大芝居を描く「カラスの親指」。コンゲームの爽快さより人情噺のウェットさが勝っている」として60点をつけています。




(注1)阿部寛については、前作『麒麟の翼』で何もこの人が出演しなくともという感じがしましたが、世評が高いものの見逃してしまった『テルマエ・ロマエ』をDVDで見たところ、なかなかの演技で見直しました(なお、『テルマエ・ロマエ』について、原作にない役を演じている上戸彩がイマイチだとか、映画の後半部分は不要だとかの批判があるようですが、クマネズミは決してそのようには思いませんでした)。

(注2)能年玲奈は『告白』に出演していたようですが、印象に残ってはおりません。

(注3)『夢売るふたり』をクマネズミは映画館で見たものの、専らその怠慢のせいでレビューを書かなかったのですが、本年は、そうした作品が他にもたくさんあり、いたく反省しているところです。

(注4)『夢売るふたり』では、ちょっとした偶然で貫也が大金を手にし、それを店の再建に使おうとしたところ、里子は、その出所に気が付き夫を激しく責め立てながらも、ある計画(それが結婚詐欺)を思いつくところから、コンゲームが開始されます。
 ただ、里子が、貫也の最初の浮気を許したのかどうかはっきりしないうちに、貫也は様々の女に結婚詐欺を働くわけで、当然のことながら、騙した女と夫との肉体関係を里子は認めているのでしょう。ですが、里子と貫也との間には肉体関係がなくなってしまっているようなのです。
 そうこうするうちに、貫也は、ある女(木村多江)との関係にのめり込んでしまい、里子のもとを離れてしまうのですが、そこで事件が持ち上り、結局、当初の小料理屋再建計画も頓挫してしまいます。
 とはいえ、貫也が木村多江との関係にのめり込むのは、どうやら子供のせいなのですが、そのことを里子が知ってガーンときてしまうシーンが挿入されているのには、自分たちが夫婦生活を営んでいないのに、という感じがしてしまいました。
 それはともかく、『夢売るふたり』は、結婚詐欺というコンゲームを描いてはいながらも、専らの焦点は、里子と貫也の関係の微妙な変化(それも性的な)の方に当てられているように思われます。
 逆に、本作では、性的な要素は徹底的に排除されているといえそうです(やひろは恋人を連れ回しているものの)。

(注5)騙された人が、実際に損害をうけないようにいろいろ配慮されています。
 例えば、上記(1)の冒頭で最終的に騙されるユースケ・サンタマリアが受け取る馬券は2重貼りになっていて、表面の馬券はインチキなものにしても、その裏にもう一つの馬券が隠されていて、それは当たり馬券なのです。



★★★★☆



象のロケット:カラスの親指
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恋愛だけじゃダメかしら?

2012年12月24日 | 洋画(12年)
 『恋愛だけじゃダメかしら?』をヒューマントラストシネマ渋谷で見てきました。

(1)キャメロン・ディアス(注1)が出演するロマンティック・コメディということを聞き込んで、それだけの情報で映画館に行ったものの、これはダメでした!

 映画の舞台は、ジョージア州アトランタ(注2)。
 映画に登場するのは、5組のカップル。
 すなわち、TVのダイエット番組でトレーナーをしているジュールズキャメロン・ディアス)とダンサーのエヴァン



 その番組に出演したことのある歯科医のゲイリーとベビー用品店のオーナーのウェンディエリザベス・バンクス)。



 ゲイリーの父親ラムジーとその妻スカイラーブルックリン・デッカー)。



 スカイラーの姪のロージーアナ・ケンドリック)(注3)と高校同級生マルコ



 それにラムジー家の専属カメラマンになるホリージェニファー・ロペス)(注4)と広告代理店勤務のアレックス



 このなんとなくつながりがありそうな5組のカップルが次々に映画に現れるばかりか、アレックスは、育児に専念する4人組の男性(さらには、もうすぐ子育てをしなければならなくなるスポーツマンのディヴィスとも)と公園で知り合いにもなるのです。

 こんなにも大勢のカップルが登場するのですから、一つ一つのカップルを巡るお話は十分に掘り下げられることもなく(注5)、自ずと妊娠と出産の話ばかりとなり、その典型的なタイプがいくつも示されます。
 すなわち、ジュールズの場合は仕事中(TV出演の最中)に陣痛が、ウェンディは帝王切開と出産直後の大量出血、スカイラーは双子の出産、ロージーは流産、そしてホリーは子供が産めないために養子をとることに。

 ジュールズ、ウェンディそれにスカイラーは同じ頃同じ産院に来て産むことになるなど、制作者側は映画に統一感を与えようと工夫しているものの、女たちがわいわい騒ぎたてるだけの作品という印象は拭えず、これにイクメンの4人組まで加わり、最後に、“どんなことをやっても死んでしまえば皆おしまいだが、子供だけは後に残る”などといったつまらない教訓までラムジーが分かったように垂れたりもするのですから、見ていて退屈至極になってしまいます。

 結局のところ、登場人物の多い群像劇仕立てながら、皆が出産・子育てに絡むだけで物語性が乏しく単調で、おまけに笑える場面が少ないときてますから救いようがありません(これも、子育てと全然関係のない男性というクマネズミの属性のしからしめるところかもしれませんが!)。

(2)出産シーンを描いている作品でしたら、最近見たものでは『ふがいない僕は空を見た』の方が優れた出来栄えではないかと思います。
 なにしろ、その作品では、主人公の卓巳の母親が助産婦で助産院を営んでいて、卓巳も出産の手伝いまでさせられるのですから(注6)。
 さらに、出産の素晴らしさを描くだけでなく、生まれてきた赤ん坊に対し、卓巳が「お前、やっかいなものをつけているな」と言ったり、あるいは卓巳の母親が「思っている以上に子供は死ぬんだ」と言ったりするように、本作のような手放しの礼賛ではありません。

(3)毎日新聞に掲載された記事では、「お気楽なラブコメ風と思いきや、親になることの不安や戸惑いを軽妙なタッチで描いた。妊娠にかかわるユーモアとリアルのさじ加減が絶妙だ」と述べられています。




(注1)キャメロン・ディアスは、2年ほど前に見た『運命のボタン』以来です。

(注2)この記事のpremiseによります(ちなみに、この場合のpremiseは、the fundamental concept that drives the plot)。

(注3)アナ・ケンドリックは、『50/50 フィフティ・フィフティ』や『マイレージ、マイライフ』で見ました。

(注4)ジェニファー・ロペスについては、『ザ・セル』(2000年)をDVDで見たくらいです(『ザ・セル』及びジェニファー・ロペスについては、このエントリの(2)及び「注4」で触れています)。

(注5)一応は、様々なエピソードがちりばめられていますが。
 例えば、キャメロン・ディアスのジュールズが、TV番組で行われたダンス選手権で優勝するものの、受け取った優勝カップに吐いてしまいます。後からすれば、これは“つわり”だったのでしょう。また、歯科医のゲイリーとその父親ラムジーの折り合いは上手くいってはおらず、ゴルフカートの競争までする始末。などなど。

(注6)『ふがいない僕は空を見た』でも、自然分娩や帝王切開、さらには体外受精の話しまで出てきますが。



★★☆☆☆


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ボス

2012年12月21日 | 洋画(12年)
 インド映画『ボス その男シヴァージ』をシネマート新宿で見ました。

(1)インド映画は、半年前に『ロボット』を見て、その面白さに堪能したところ、今回の作品も前作同様にラジニカーントが主演ということなので、映画館に出向きました(注1)。

 映画は、やってきたパトカーを取り囲む大群衆の場面から始まります。
 パトカーの中では、警官が「あなたの手錠姿が公開されると大騒動になる」と言って、その男に覆面を被せ、車の外に出します。警官とその男が行く先は中央刑務所。

 その男について、様々な声が聞こえてきます。
 数千億ルピーの詐欺をしたらしい。否、貧しい者に教育と食糧を与えた。
 やつはペテン師だ。いや、やつは仕事をくれたし、国が10年でやるところを10日でやってしまった。

 独房に入ると、近くの房の囚人が「旦那、詐欺で?」と尋ね、その男は「いいや国の改革だ」と答えると、囚人は「そりゃあ重罪だ!」と応じます。

 ここで、場面が変わって、その男・シヴァージが米国から帰国した時の様子が映し出されます。
 母親たちが空港に出迎え、シヴァージは「困っている人を助けたい、財産は2千億」と言い、さらにその後開催されたパーティにおいても、彼は「米国留学で成功した。獲得したお金で貧困を一掃したいが、それには教育だ。私は大学を作るし、さらには総合病院も建設する」と話します。

 そしてシヴァージは、一方で結婚相手を探そうとします。
 でも、周りの者が用意する女性には目もくれません。彼の望みは“古風なタミル女性”(彼が「伝統的なタミルのダンスがいい」と言うと、いきなり画面一杯ダンスが繰り広げられます)。
 そんな彼が一目惚れしたのが、楽器店で働くタミルシュリヤー・サラン)。



 しかしながら、彼女はなかなか首を縦に振ろうとはしません。

 他方で、シヴァージは、大学や病院の建設をどんどん進めようとします。
 ですが、彼の計画を快く思っていない連中がいます。その中心は、悪徳企業家のアーディセーシャン。無料の学校や病院を作られると、法外な学費や治療費などで富を築いてきた彼は、もうけが減ってしまうのです。

 さあ、シヴァージはタミルと結婚できるでしょうか、そしてアーディセーシャンとの戦いに勝利を得ることは、……?

(2)この映画を見るに当たっては、一抹の不安がなかったわけではありません。
 シチュエーションは違うにしても、前作『ロボット』と似たような構成になるのではないか、なにしろ『ロボット』では呆れるほど何回も歌と踊りが繰り広げられたのですから、それ以上のパターンがあるように思えないところです。

 実際のところ、その不安は当たらないわけでもありません。
 主演のラジニカーントは、前作同様、絶世の美女(注2)と恋に陥るものの、障害がいくつもでてきてなかなか結婚に至りませんし(注3)、また前作同様、前半と後半で性格がガラッと入れ替わります(注4)。また、同じように、ラジニカーントに対し強敵が現れます(注5)。
 なにより、目ぼしい場面で、画面一杯に歌と踊りが展開されるのです(注6)。



 それに、上映時間は、前作同様3時間(注7)。

 とはいえ、『ロボット』が前作とされるのは日本での話であって、実際には本作の方が、『ロボット』(2010年)よりも先に制作され先に公開されて爆発的なヒットになっていたのです(2007年)。
 あるいは、そんな順番で日本でも公開されたのであれば、もっと本作を楽しめたかもしれません。

(3)誠につまらないことですが、本作でシヴァージは、インドから貧困を一層するための鍵として大学と総合病院の建設を訴え、それに向けて自分の莫大な資産を投じてしまうのです。
 ですが、解決策は、いわゆる“箱物”ではないはずです(建設労働者の働き口が増えるにしても)。いくら大学や病院をどんどん作っても、そこで教える教師や、治療に当たる医師を大量に確保しなくてはならず、そうなってくると、そうした者を養成する機関と時間が必要であり、ひいてはそこに入学する者もいなくてはなりません。そのためには、そうした者を幼いころからサポートできる一定程度の経済規模が必要だということになります(家が貧しければ、家計を支えるために小さいうちから働きに出なくてはならないでしょう←その解決策としては、奨学金制度の充実←そのためには一定規模の財政←そのためには?)。とどのつまりは、貧困を追放するために貧困でないことが必要だということになってしまいます。
 これがこの問題の難しさではないでしょうか?

 また、シヴァージ財団は、一定の貧困地域を近代化された街に作り変えようとして、その計画に反対する者をこっぴどい目に会わせます(注8)。でも、そんなことをしたら、財団に対する敵対者を生み出し、結局は世の中に一層の対立・憎悪をもたらしてしまうだけのことになってしまうのではないでしょうか(注9)

(4) とはいえ、あれこれ言ってはみたものの、そんなこんなは歌と踊りが一杯に詰まった極彩色の本作を見て楽しむ上ではどうでもいいことでしょうし、実際に見てみれば、実に愉快な気分となること請け合いです。
 この次のも制作・公開されるのであれば、内容がいくら似ているとしても、やっぱり見に行くことでしょう!




(注1)シネマート六本木で11月23日に公開された時は、この記事によれば、「音楽フェスのように騒いでOK、踊ってOK、歌ってOK、鳴り物OK、撮影OK、しゃべってOK、しかもインドビール飲み放題&カレー付き」だったそうです!
 クマネズミが12月になってシネマート新宿に出向いた時も、上映の冒頭に“何でもOK”の案内がスクリーンに映し出されたものの、観客10名くらいの侘しい場内は、とても踊り出す雰囲気ではありませんでした。それでも、チケット購入の際に、レトルトカレーのプレゼントがありましたが!

(注2)『ロボット』のヒロイン役のアイシュワリヤー・ラーイは、38歳で実績もありますが、本作のヒロイン役のシュリヤー・サランは、30歳(映画製作時は25歳くらい)でそれほどの実績がなかったにもかかわらず大抜擢されたようです。

(注3)シヴァージの家が大富豪でタミルの家が貧しいという大きな障害がありましたが、そこはなんとか乗り越え、タミルはシヴァージの熱愛を受け入れるものの、ただタミルが占ってもらった占い師が、結婚するとシヴァージが死ぬことになると強く言うものですから、なかなか結婚に踏み切れません。

(注4)シヴァージは、前半では正攻法で臨み、自分の全資産を大学や病院の建設に充てるものの、結局は一文無しになってしまいます。
 そこで、後半になると、搦め手から臨み、大富豪の裏金を奪い取り、それを米国で資金洗浄し(マネーロンダリング!)、インドに回送して財団を立ち上げて、大々的な建設を展開します(映画のラストでは、資金洗浄という罪を犯したということで、シヴァージは自首したとされています)。

(注5)悪徳企業家・アーディセーシャンとの戦いは、最初のうちは、アーディセーシャンが政治力を行使して、建設の妨害をするくらいですが、シヴァージが彼らの裏金を強奪するようになるとその牙を剥き出し、ラストは2人の壮絶な戦いとなります。

(注6)ただ、『ロボット』におけるマチュピチュとかブラジルでの踊りのような奇想天外なものは、本作にはなかった感じですが。

(注7)『ロボット』の完全版の上映時間が177分であるのに対して、本作は185分。

(注8)計画に反対する者をOffice Roomと称する小屋に入れて、そこで暴力的に賛成させるのです。

(注9)さらに、映画のラストでは、インドでは、マネーのカード化が進んだために裏金が一掃された次第がドキュメンタリー風に描き出されます。ですが、この記事に従えば、インドにおけるカード化の進展は微々たるもののようです。
 それに元々、裏金は、紙幣が一掃されたからといって一掃されるものでもないと思われます(悪の集団が裏資金をため込む手段などは、いくらでも考えつくことでしょう)。
 よくは分かりませんが、こうした場面は、おそらくはインドの願望・期待が描かれていると考えるべきものなのでしょう。




★★★★☆



象のロケット:ボス その男シヴァージ
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砂漠でサーモン・フィッシング

2012年12月19日 | 洋画(12年)
 『砂漠でサーモン・フィッシング』をTOHOシネマズシャンテで見てきました。

(1)ユアン・マクレガーが出演するならハズレはないだろうと思って出かけたところです。

 物語は、英国の漁業・農業省に勤務する水産学者・ジョーンズ博士(ユアン・マクレガー)のもとに、投資コンサルタント会社のハリエットエミリー・ブラント)から、メールが届くところから始まります。
 ただそのメールには、「イエメンに娯楽としての魚釣りを紹介したい、ついては、云々」とあったことから、ジョーンズは、たちどころに「実行不可能(fundamentally unfeasible)」との返事を出します。
 ところが、首相広報担当官のマクスウェルクリスティン・スコット・トーマス)は、「イエメンでサケを釣る」プロジェクトを、中東における英国のイメージアップに格好だと判断して、彼の上司サグデンを通じ、ジョンーズにハリエットと会うように命じます。
 ジョーンズと会ったハリエットは、本件が、その莫大な資産管理を引き受けているイエメンの大富豪・シャイフからの依頼であることを打ちあけます。



 ですがジョーンズは、サケがイエメンの環境のもとでは生きることができないなどと力説します(注1)。



 それでも彼は、しぶしぶながらもこのプロジェクトを引き受けることとなり(注2)、ハリエットとともに、シャイフが滞在するスコットランドの邸宅に向かいます。
 さあ、このプロジェクトはうまくいくでしょうか、ジョーンズとハリエットとの関係はどうなっていくのでしょうか、……?

 単純明快な筋立てながら、緑あふれるイギリスと砂漠のイエメン(実際のロケ地はモロッコ)との対比、そしてその荒涼たる土地に流れる川にサケを持ってくるという突飛な発想、さらには、ユアン・マクレガーとエミリー・ブラントという格好のコンビ、などといった要因から、大層面白い作品に仕上がっています。

 ユアン・マクレガーは、最近では『ゴーストライター』とか『人生はビギナーズ』で見ているところ(注3)、落ち着いた学者然としたところがありながらも、ひとたび取り組み出すと傾注してしまう性格のジョーンズ博士という役柄をうまく演じています(注4)。
 エミリー・ブラントは、昨年の『アジャストメント』で見ましたが、2人の男性(注5)の間で揺れ動くハリエットを魅力的に演じています。

 また、『サラの鍵』のクリスティン・スコット・トーマスが、首相広報担当官のマクスウェルを演じているのを見て、こんな役も上手く演じてしまうんだと驚きました。




(2)ところで、本作ではあまり問題とされていませんが、サケ(注6)は、一般に淡水→海水→淡水と回遊する魚であり、仮にイエメンの山岳地帯の川で放流されたサケが、本作のようにダムの方に向って遡上して産卵するにしても、そこで生まれた稚魚は成長した後、どこの海に回遊するのでしょうか?
 イエメン周辺の海(アラビア海など)は緯度がかなり低いところ、その海でサケは生息することが果たして可能なのでしょうか?
 ただし、Wikipediaの記述に従えば、サケの全部が全部海に下るわけでもないようですが(「多くの個体は銀化を経て海に下るが、中には銀化せずに川に留まる個体もいる。前者を降海型、後者を残留型と呼ぶ」)。
 それにしても、同じWikipediaの記事で、「魚種による差異はあるが、孵化浮上期は10℃程度、稚魚・成魚の生息には18℃以下の冷涼な水域が生存の必須条件」とされているところ(注7)、山岳地帯で20℃とされているイエメン(注8)で本当にサケは生息できるのでしょうか(注9)?
 などといった疑問がチラッと頭をよぎりましたが、そんなことは本作の出来栄えにとってどうでもいいことでしょう。

(3)渡まち子氏は、「途方もない夢が人生を輝かせる「砂漠でサーモン・フィッシング」。釣りの奥義が人生の奥義と重なる」として70点をつけています。



(注1)水の問題があるし、さらに北海でサケを1万匹捕まえ生きたままイエメンに運ばなくてはならず、まして全体の費用は5000万ポンドにも達するから、実現する可能性は人間が火星に行くよりも小さい、などとジョーンズは言います。
 こうしたことに対し、ハリエットは、イエメンでは雨期のある地域があり、山岳地帯では気温も20℃であり、さらに2年前にダムを建設したから、サケの住める環境だと言い、また費用の方もシャイフが面倒を見ることになります。
 くわえて、イエメンに運ぶサケに関しては、マクスウェルの命令で、上司サグデンの仕事となります(実際には、北海のではなく養殖のサケが運ばれることになりますが)。

(注2)何しろ、上司サグデンが、引き受ければ先方が2倍の給料を出すが、引き受けなければ解雇すると脅すものですから。

(注3)本作は、砂漠が舞台という点からすれば、その前に見た『ヤギと男と男と壁と』に近いのかもしれません。
 なお、ジョーンズ博士は、趣味として釣りをするだけでなく(ジョ-ンズの名前のついたフライを開発)、バロックの古楽器を演奏する音楽家でもあるようです。

(注4)ジョーンズは妻帯者ですが、妻は家庭よりも仕事が大事という人物で、ジョーンズに相談することなく、ジューネーヴへの単身赴任(6週間)を決めてきてしまいます。するとジョーンズは、家に帰って独りで池の鯉に餌をやるという生活はもう嫌だと言って、夫婦関係は危機的な状況にあります。
 妻は、ジョーンズがハリエットに心を惹かれていることも知っていて、「だけどあなたは私との生活の戻るDNAを持っている」などと言います。上記本文(2)の記述に従えば、彼女は、ジョーンズは「残留型」ではなく「降海型」なのだ、と言いたいのでしょうが、実のところは「残留型」だったようです!

(注5)実はハリエットには、付き合って3週間ながらロバートという軍人の恋人がいます。ただ、彼はアフガニスタンに派遣されて、行方不明になってしまいました。

(注6)本作で言われている“salmon”は、日本で見かけるシロザケではなく、むしろタイセイヨウサケではないかと思われます。

(注7)従って、サケが下って回遊する海域は、「日本海、オホーツク海、ベーリング海、北太平洋」とされています。

(注8)このサイトの記事によれば、「海岸部の平均最高気温は冬季(12~1月)でも32℃、夏季(7月)では40℃にもなる。標高2250メートルのサナアでは、平均最高気温は冬季25℃、夏季30℃程度。高原地帯では気温の日較差が激しく、サナアの平均最低気温は冬季で約0℃、夏季でも10℃位」とのこと。

(注9)サケと同じように淡水と海水を回遊するウナギ(産卵場所がサケと違って海ですが)の生態に関する実に興味深い記事が満載の『ウナギ 大回遊の謎』(塚本克己著:PHPサイエンス・ワールド新書、2012.6)を読みました。
 このブログで、管理者の小飼弾氏が、「ウナギが(食材として)嫌いな人は、(生物として)好きになる。ウナギが好きな人は、好きの意味が変わる」と大絶賛しているので手を出したのですが、確かに読み出したら、ニホンウナギの産卵場所の初めての特定に至るまでの過程が大層面白く、文字通りアッという間に読み終わりました。
 ただ、「稚アユが川を遡る回遊行動の尤も重要な部分は、この「動因」という、まだ現代生物学でも良く解明されていない、心理的な要因だった」とあり(P.26)、“魚の心理”って何だろう、と驚きます。
 また、肝心要の親ウナギの捕獲場所に調査船が赴いたことについて、「なぜこの地点なのか、理由はよく分からない」と書いてある点は(P.171)、やや拍子抜けしてしまいますが。




★★★★☆



象のロケット:砂漠でサーモン・フィッシング
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ミロクローゼ

2012年12月17日 | 邦画(12年)
 『ミロクローゼ』を渋谷のシネクイントで見ました。

(1)最近、『その夜の侍』で見たばかりの山田孝之が一人三役をこなすというので、映画館に足を運びました。

 映画の冒頭は、映画のラストの方で成人となって登場するオブレネリの子供の頃のお話。
 といっても、姿は子供ながら、朝は新聞を読み、電車で通勤もするのです。
 その彼が、公園で「偉大なミロクローゼ」(マイコ)と称する女性と出会い、直ちに好きになってしまい、家を買って一緒に暮らすことになるものの、ある時から彼女は家にやってこなくなります。



 そこで彼女の後を付けると、他の男と楽しそうに歩いたりするではありませんか。心に空洞のできたオブレネリは、再びつまらない日々を送るようになります(注1)。

 次いで、画面には、青春相談員の熊谷ベッソン山田孝之)が登場し、青春の悩みを持つ相談者からかかってくる電話を受けて、次々に過激なアドバイスを返していきます(注2)。
 どんどん彼の調子が上がって行き、果ては女を連れて車に乗り込んで走らすところ、とある道路で人を跳ね飛ばすことに。

 車が跳ね飛ばした男たちは、片目浪人の多聞山田孝之)が熱心に追い求めていたユリ石橋杏奈)の居場所を知る者どもでした。
 さあ、多聞は無事ユリと出会えるでしょうか、……?

 本作は、前に見た『チキンとプラム』のような恋を巡るおとぎ話と言えるでしょうが、そのテイストはまるで違っていて、見る者は、次々と繰り出される思いがけない場面の連続に呆気に取られてしまいます。それでも、恋する女性をどこまでも追い求める男の熱気が全編に漲っていて、不思議なことに混乱は起きないどころか、その面白さに目を奪われてしまいます。

 山田孝之は、途中から出ずっぱりで頑張っているところ、時代劇『のぼうの城』の大谷吉継といい、前作『その夜の侍』の木島といい、本作の三役といい、その演技の幅の広さ(ことに俊敏な動き)に驚いてしまいます。

 なお、ヒロインの「偉大なミロクローゼ」に扮しているマイコは、以前『カフーを待ちわびて』で見ましたが、その映画でも本作と同様に、主人公のもとから隠れてしまう女性を演じていました。

(2)本作には思いがけないところに思いがけない人が登場するので驚きます。
 その最たるものが、鈴木清順監督でしょう。



 多聞は、あちこちユリを探していると、蛾禅という刺青師が知っているという情報をつかみ、乗り込むと、その蛾禅に扮しているのが鈴木清順監督、なにやら呆けたようにTVのアニメを見ているのです(注3)。

 次いで登場するのが、最近見た『ふがいない僕は空を見た』で主人公・卓巳の母親を演じている原田美枝子
 多聞は、蛾禅の言った言葉に従って女郎を探すうちに、天拓楼という遊郭にユリがいることが分かります。ただ、登楼するための持ち合わせが少な過ぎるため、楼の中に設けられている賭場に入ったところ、そこで壺振り師として場を取り仕切っているのが、原田美代子扮するお竜です。



 前作と余りに違う役柄なこともあって、原田美枝子だとはなかなか気が付きませんでした。

 この天拓楼の場面は本作のクライマックス。登場人物だけでなく、威容を誇る天拓楼の外観、そこにいる女郎の扮装、玄関で多聞に対峙する案内人の雪音岩佐真悠子)の背景画などなどヴィジュアル的にも素晴らしく(注4)、さらには、多聞と楼の大勢の用心棒たちとの大立ち回りは、超スローモーションで描き出されますが、なかなかの見ものです(注5)。




(3)この作品を製作した石橋義正監督に関し、「ふじき78」さんが、「これ気にいった人は『オー! マイキー』より『狂わせたいの』を見た方がいいよ」と推薦されているので、前者についてはYouTubeで、後者はTSUTAYAでDVDを借りて見てみました。
 『オー! マイキー』は3分程度の話の集積で、現在まで100話以上制作されているようなので、ごく最初の方だけ見ましたが、日本に引っ越してきた外国人家族を巡るお話ながら、登場するのが全てマネキン人形だったり、最後に皆で大笑いしたりと、随分と毛色の変わった動画です(注6)。
 確かに『オー!マイキー』と本作との繋がりは薄そうな感じですが(注7)、他方、『狂わせたいの』は、本作と違ってモノクロで、全体が重苦しいトーンでありながらも、あっけにとられるような場面が薄いつながりで次々と繰り出されたり(注8)、歌(70年代昭和歌謡)と踊りがあったりと(注9)、本作に通じるものを持っているように思いました。

 なにはともあれ、こうした多方面にわたる特異な才能を持った石橋義正監督の存在を知ることができただけでも、本作はクマネズミにとり意義深い作品でした。



(注1)この話は、後半に再度登場し、そこでは大人の姿になったオブレネリを山田孝之が演じています。

(注2)新幹線の可愛い売り子に夢中だという青年からの電話相談に対しては、「天竜川の河川敷でコーヒーを作って、鉄橋を通過する新幹線に向かって捧げるポーズを取ってみたまえ、そうすれば、次回新幹線に乗ったら彼女は君に抱きついてくるだろう!」などと答えます。
 なお、新幹線の売り子役の佐藤めぐみは、ブログの映画レビューではほとんど取り上げられていない『あんてるさんの花』に出演していました!

(注3)多聞が蛾禅にユリの写真を見せると、「3年前にここに来たが元気だった」と応え、「うちに来るのは皆女郎だが、ここに女郎はごまんといる」と付け加えます。

(注4)天拓楼は、なんだか『千と千尋の神隠し』に登場するお湯屋「油屋」のような感じがしますし、楼の中に入ると蜷川実花監督の『さくらん』のような極彩色。さらに、雪音の背景画は、劇場用パンフレット掲載「Director’s Interview」によれば、弘前の「ねぷた」のようです。

(注5)多聞の話しの後は、もう一度最初のオブレネリの話の続きです。大人になったオブレネリが「偉大なミロクローゼ」を探してとある旅館に入ったところ、彼女はその旅館の若女将に就いていて、そばにいるのが旦那・なきゃむら奥田瑛二



 彼は、別に変わった格好をしているわけではないので驚きませんが、『汚れた心』や『るろうに剣心』とはまた全然違ったキャラクターを演じています。
 大人のオブレネリが、思い切って「偉大なミロクローゼ」に「もう一度帰っておいでよ」と言ったところ、なきゃむらに、「何なんだ、あんた!」と怒鳴られ殴られたあげく、旅館から追い出されます。

(注6)例えば、第1話「日本での生活がはじまる」(監督・脚本:石橋義正)は、歯磨きをしないと口が臭くなるといった会話、日曜日に学校に行ったら休みだったということ、マイキーが水まきの水をかぶってしまうことなどから構成されています。

(注7)『オー!マイキー』のアニメ的な雰囲気は、本作のオブレネリを巡る物語のそれに通じているのかもしれません。

(注8)『狂わせたいの』は、話の展開がループをなしていて、最後の場面が冒頭の場面につながっています。この点も、冒頭のオブレネリの話が最後に再度登場する本作と類似しているといえるでしょう。

(注9)がら空きの最終電車に乗り込んだサラリーマンの前の席に座る女は、男が「あのー」と声をかけると、やにわにブラウスを開きますが、その下は裸で、乳首には鈴が付けられ、おまけに緊縛状態。アレッと思う間もなくオープニング・クレジットが流れ、背後には「狂わせたいの」を歌う女が映し出されます。そして場面は、……。



★★★★☆


象のロケット:ミロクローゼ
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人生の特等席

2012年12月14日 | 洋画(12年)
 『人生の特等席』を渋谷Humaxで見ました。

(1)『グラン・トリノ』の後、これ以上もう映画に出演しないと公言していた御歳82歳になるクリント・イーストウッドですが、本作にはその彼が出ているということで映画館に足を運びました。

 彼の役どころは、プロ野球球団アトランタ・ブレーヴズに所属する名高いスカウトマンのガス。彼は、IT機器をかたくなに拒否し、これまで培ってきた経験と勘とであくまでもやっていこうとするところ、彼のことを快く思わない若手の同僚フィリップマシュー・リラード)もいます。
 球団との契約期間も残り3か月となり、次のノース・カロライナでの仕事がうまくいかないと、ガスは引退に追い込まれてしまうかもしれません。
 ガスは、早くに妻を亡くした後、弁護士の娘・ミッキーエイミー・アダムズ)とは疎遠で、長年独り暮らしを続けています。
 そんな彼のことを心配して、職場の同僚で30年来の友人ピートジョン・グッドマン)が、久しぶりにガスの家にやってきます。ですが、家の中が荒れた感じで(注1)、ガスの立ち居振る舞いにもおぼつかないものが感じられます。
 実は、ガスの視力がかなり落ちてしまっているのです(注2)。
 そこで、ピートは、ガスのノース・カロライナにおける仕事に、ミッキーを同伴させようとします。
 ミッキーは、職場の法律事務所における昇進がかかった訴訟を控えていて(注3)、それどころではなかったのですが、父親ガスとの関係が6歳を境にしてなぜ疎遠になったのかを糺したいとの思惑もあって(注4)、行くことに同意します。
 他方で、ガスの方も、自分の仕事に娘が介入することを拒みますが、やむを得ないということで受け入れます。



 有望な新人・ボーがいると聞きつけて、ノース・カロライナには各球団のスカウトマン達が集まってくるところ、その中には、かつてガスがスカウトしたことのあるジョニージャスティン・ティレンバーグ:今では、肩を壊してトレードされ、ブレーヴズのライバル球団に所属)も入っています(注5)。
 さあ、ガス、ミッキー、そしてジョニーの関係はどのように展開していくのでしょうか、……?

 今時どうしてこんなに典型的なハリウッド映画が製作されてしまうのかというくらいに、すべてが収まりのいいところに収まってしまいます(注6)。とはいえ、かえってその徹底ぶりが見事であり、見終わった後爽快な気分にさせられます。

 さらにイーストウッドは、とても80歳を超えているとは思えないほどしゃきっとした演技をして、映画俳優としてもまだまだ頑張れるのではと思いました。



 また、エイミー・アダムスは、『ジュリー&ジュリア』や『ザ・ファイター』などで見かけましたが、本作では、その魅力を最高に発揮しているように思いました。



 さらに、ジョニー役のジャスティン・ティレンバーグは以前『ソーシャル・ネットワーク』で見ましたし、ピート役のジョン・グッドマンは先般の『アルゴ』で見たばかり、また同僚のフィリップに扮するマシュー・リラードも『ファミリー・ツリー』に出演していました。

(2)本作においてクリント・イーストウッドが扮するガスは、『マネーボール』においてブラッド・ピットが扮するビリーとは違って、IT機器を一切受け付けません(「そんなものは野球を知らない奴が使うに過ぎない」と言い放ちます)。
 本作でビリーに近いのは、むしろガスの同僚フィリップの方でしょう。  ノース・カロライナの有望新人に関しても、自分は現地に出向かないで、ガスの見張り役兼情報収集係を派遣して、コンピュータに入っているデータと彼からの情報で判断しようとします。
 それでも、ビリーは、ガスの方に親近性があるような感じがしてしまいます。
 というのも、フィリップは、ガスを蹴落としてGMの地位まで狙おうとする野心家であり、名声を得るための手段としてしか野球をみていないように思えるからです。
 これに反して、ガスやビリーは、地位とか名声よりも、野球を心底愛し、どこまでも野球のことしか考えてはいません。
 そんなところが見て取れるために、この映画に爽やかさを感じると思われますが、それにしてもガスは目の手術をいったい何時受けるつもりなのでしょうか?

(3)渡まち子氏は、「ベテランの底力と親子の和解。手垢のついた物語なのだが、ウェルメイドな安心感がある。その最大の理由は、しわだらけの顔にしゃがれた声の老優イーストウッドの魅力につきる」として75点をつけています。
 また、前田有一氏も、「終盤、新人を見つける急展開は少々ご都合主義的な感もあるが、今より昔のアメリカ映画のほうがよかったと感じている人にとってこの映画は、久々に高揚感を与えてくれるはずだ。さすがはクリント・イーストウッドが惚れ込んだ物語というほかはない」として75点をつけています。



(注1)ピートが部屋に入って行くと、壊れたリビングテーブルが隅に片付けられています。実は、ガスがぶつかって壊したものです。

(注2)ガスが医者に行くと緑内障を疑われ、専門医での検査を勧められます。

(注3)ミッキーは、現在の法律事務所に7年勤務していて(35歳)、成績が良く、今携わっている訴訟に勝てば法律事務所のパートナーに昇進できるというのです(ただ、ライバルが一人いますが)。なお、現在ミッキーは、アソシエイトにすぎません。

(注4)実はガスは、娘ミッキーが6歳の時に母を亡くした後も、彼女とともに暮らしていたのです。ただ、その時にある事件がミッキーに起こり、それ以来親戚の家に彼女を預けることにしたのですが、そのことについてガスはミッキーにうまく話しておらず、ミッキーは、自分が父親に棄てられたと長い間思ってきたようです。その後電話すらもなく、寄宿舎に入れられたりもしたことから、大学の時からずっとセラピーに通っているともミッキーはガスに言います。

(注5)ミッキーとジョニーは、ノース・カロライナの酒場でクロッギング・ダンス(このサイトの記事によれば、「カナダのタップ・ダンス」とのこと)をしたり、また野球に関する蘊蓄を語ったりしたことから急接近します。

(注6)ノース・カロライナの有望新人・ボーの獲得については、各球団がスカウトを派遣してその獲得に熱心に乗り出しているところ、ドラフトでジョニーの所属する球団が獲得を放棄すると、どうしてガスの球団に獲得する権利がただちに回ってくるのでしょうか、ミッキーがモーテルの裏庭で見出すピッチャーの有望新人は、キャッチボールしかしたことがないように思えるところ、どうしていきなり球場で打者ボーを相手のピッチングができるのでしょうか、などの点が見受けられますが、この映画に対してそんなことを言うのは野暮の極みでしょう。



★★★☆☆



象のロケット:人生の特等席
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カミハテ商店

2012年12月12日 | 邦画(12年)
 『カミハテ商店』を渋谷のユーロスペースで見てきました。

(1)高橋恵子による久方ぶりの主演映画ということで映画館に出向きました。

 物語の舞台は、山陰の鄙びた港町(上終:カミハテ)(注1)にある小さな商店



 高橋恵子が演じる初老の千代は、その商店を長い間一人で営んできました。
 一応は雑貨店ながら、置いてある商品はわずかで、めぼしいものは千代が焼くコッペパンと毎朝届けられる牛乳くらい。
 ただそのコッペパンは、店の裏手にある崖で投身自殺をする者が、最後の食事としてその商店で牛乳と一緒に買っていくものなのです。
 千代は、自殺をすると分かっていても、それを止めるようなことはせずに、淡々と対応するだけでした。
 そうこうするうちに、コッペパンを巡る話がネットに流れて噂となり、果てはその噂を聞いて物見遊山で訪れる者まで出てくるようになりました。町役場の担当者は、町のイメージが悪くなるので、それらしい者を見かけたら通報してほしいと千代に言ってきます。
 としたところ、幼い子供を連れた女性が港町に現れます。
 その子供が、母親に言われて店に牛乳とコッペパンを買いにやってきたところ(注2)、千代は、母親の後を追い「待って」と言って止めるのですが、……。

 全体として随分と暗い話で、またその描き方もどんよりとしたものになっていて(例えば千代は、普段、暗い家の中でコタツに入ってじっとしているだけなのです)、かつテンポも酷くゆったりとしています(例えば、到着したバスから人が降りてくるのを調理場の窓越しに見る場面では、その人物が店に到着するまでの時間、千代の見守る姿だけを静かにゆっくりと映し続けます)。
 ただこれを救うのが、都会で働いているという千代の弟の良雄寺島進)のひょうきんさと(注3)、牛乳配達の奥田青年の無類の明るさ(注4)、そして、崖の外に広がる青々とした大海原でしょう。不思議なことに、作品の後味は決して悪くありません。

 高橋恵子は、『ちゃんと伝える』以来ですが、台詞の少ない難しい役柄を味のあるすぐれた演技力でこなしていると思いました。



 また、寺島進も、最近では『スマグラー』や『ヘルタースケルター』でチラッと見かけましたが、本作では、映画に奥行きを与える重要な役柄を味のある演技で演じています。




(2)この映画を見ていてアレッと驚いたのは、ラストで「上終」止まりのバスから降りてくる人物が、千代の弟・良雄の関係者であることです(注5)。
 それまでバラバラに進行しているように見えた千代の話と良雄の話とが、こんな風に絡んでくるなんて、という思いになりました。
 振り返ると、こんな場面もありました。その前に千代の店にやってきた若い女性にコッペパンと牛乳を売らなかったにもかかわらず(注6)、翌朝千代が起きて冷蔵庫の上を見ると、代金の180円が置いてあるではありませんか。一体誰が、……(注7)。
 この物語は、一見するとバラバラの感じを受けるものの、実は綿密に考え抜かれた相互関係が設えられているようです。
 そこまでいくと、千代の店に現れ牛乳とコッペパンを買っていった大男が、もしかしたら良雄の取引先でカネ詰まりのため代金を支払えなくなって自殺した経営者なのでは、と考えてみたくなってしまいます(むろん穿ち過ぎでしょうが)。

 この映画は、そうした様々の人間関係に絡め取られながらも、そしてコッペパンと牛乳を買って食べるという人間的行為(さらには、靴を脱いで揃えて置いておくという行為も)をして、人間界との繋がりをなんとか保持しようとしながらも、やっぱりそれを断ち切って自殺してしまう人間の様を描きながら、逆に、そうした細々とした繋がりをとっかかりにすれば、あるいはなんとか彼らをこちら側に引き戻せるのではないか、ということを暗に描いているようにも思えます。

 12月8日付朝日新聞記事には、「警察庁は7日、今年11月までの自殺者数が前年同期比9.8%減の2万5754人(速報値)だったと発表した。1ヵ月の自殺者数は2千人台で推移しており、1997年以来15年ぶりに年間3万人を切る可能性が高くなった」とあります。
 このように自殺者の減少が見られたのにはいろいろな要因があるでしょうが、自殺者を何とか減らそうとしている関係者たちの多大な努力も寄与していることと思います。
 でも、手を緩めるわけにはいかないでしょう。本作でも、千代が一度は助けた母娘連れが、すぐ後に列車に飛び込んで自殺してしまったとされています。
 本作にはわずかの光明が感じられるものの、この問題には、決して一筋縄ではいかない難しさが潜んでいるのではないかと思います(注8)。

(3)公式サイトに谷川俊太郎氏などのコメントが掲載されています。



(注1)ロケ地は隠岐の島海土町。

(注2)女の子が、「おばちゃん、パンちょうだい。ママと遊園地に行くの。ママは外で待っているって」といってパンを買いに来ます。
 千代は、自分の幼い頃、父親がここの崖から飛び降りて独り残されたことをその女の子の姿にダブらせたのかもしれません。映画の冒頭で、父親の靴を手にして崖からの道を降りてくる幼い千代の姿が映し出されます。

(注3)良雄は、都会(ロケ地は京都)で事務用品納入業を営んでいますが、資金繰りでいつも四苦八苦しています。あるときは、事務所が入っているビルの屋上に上って、そこから飛び降りるマネまでする始末です。
 そんなとき、スナックで余り客に相手にされない女・さわと知り合います。

(注4)でも奥田青年は、劇場用パンフレット掲載の「Story」では「自閉症」とされ、周囲の人たちとうまくコミュニケーションが出来ないところ、オートバイに跨って牛乳配達の仕事だけは、「毎度ありー」と言いながら続けています。ただ、集めたからの牛乳瓶を地面に並べるという行為を繰り返し行っているところは、自閉症に関するDDMの診断基準のうちの、例えば「特定の機能的でない習慣・儀式にかたくなにこだわる」に該当しているようです。

(注5)実は、バスから降りてきたのは、良雄が急接近し出した女・さわなのです(上終のことは、良雄が実家のことを話したので記憶にあったのでしょう)。
 良雄のいる都会の方では、彼がその女の家に行くと、女の娘から通帳と、「娘をよろしくお願いします」と書いてある紙を渡されます。

(注6)女がコッペパンと牛乳を求めると、千代は「悪いけど、店を閉めた」と言って売らなかったのです。女が、「聞いてない、勝手にやめないでよ」と言うのに対して、千代は「あんた崖に行くんでしょ。なんでここに立ち寄るの?止めてほしいから?行きなさいよ」と応じると、女は「そんなことあんたに関係ない」と言い、千代は「そうね、関係ないわ」と言って中に引っ込み、女も立ち去ります。
 ですが、翌日バスの運転手(あがた森魚)に聞くと、「昨日の女は、バスに戻ってきた」とのこと。さらに運転手は、「町まで帰るなんて、珍しいこともあるもんだ。乗せた人が戻らないのは寝覚めが悪いが、今朝はいい朝だった」と言い、さらにその女が「調子悪いから、パンぐらい焼け」って言っていたことを付け加えます。

(注7)千代が、慌てて裏手の崖に上って行くと、あろうことかそこに立っているのは牛乳配達の青年でした!前日、仕事ぶりのいい加減さを牛乳販売店の主人に酷く怒られたことを気にしてのことでしょう。千代は、必死になって「毎度あり」と叫び、体を投げ出して奥田青年を抱き留めます。

(注8)我が国の自殺者数とか自殺率に関しては、『スイッチを押すとき』についての拙エントリの(3)及び「注9」と「注10」を参照してください。



★★★★☆



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恋のロンドン狂騒曲

2012年12月10日 | 洋画(12年)
 『恋のロンドン狂騒曲』をTOHOシネマズシャンテで見ました。

(1)『映画と恋とウディ・アレン』のなかで紹介されていた本作が公開されたというので映画館に行ってきました。

 本作は、ウディ・アレン監督の最新作『ミッドナイト・イン・パリ』より一つ前の作品、邦題で「恋の狂騒曲」というように、何組ものカップルが出来上がったり壊れたりします。
 まずは、40年もの長い間連れ添ってきた夫婦が離婚し、夫のアルフィーアンソニー・ホプキンス)は、若さを取り戻すべく、めちゃくちゃに若い女性・シャーメインと再婚してしまいます(注1)。



 これを愚痴りに妻のヘレナジェマ・ジョーンズ)は娘のサリーナオミ・ワッツ)の家に行きますが、その家でも、夫婦の間がうまくいってません。
 妻のサリーは、行き詰った家計を立て直すべく(注2)、画廊で社長の秘書として働きだすところ、社長・グレッグアントニオ・バンデラス)のかっこよさにイカレテしまいます。



 他方、夫の全然売れない小説家のロイジョシュ・ブローリン)も、サリーやその母親に酷くなじられ、目の前のマンションに住む若いディアフリーダ・ピント)に惹かれてしまいます。



 サリーの母親ヘレナにしても、初めのうちは離婚に打ちのめされていましたが、カード占い師のもとに通ううちに精神世界に惹かれ出し、ついにはその方面の書籍を取り扱っている店の経営者・ジョナソンと急接近し出します。
 さあ、これらのカップルはどうなっていくのでしょうか、……(注3)?

 おなじみのウディ・アレン的世界が展開さるところ、劇場用パンフレットをみると、ウディ・アレン監督が、制作意図や登場人物などについて縦横に語っているところから(注4)、そんなことをあれこれ詮索することなどやめにして、あとはもう映画の中の会話などを楽しめばいいのではないでしょうか。

 本作に出演する主な俳優陣は、映画的蓄積の乏しいクマネズミにとっても様々の映画でお馴染みです。
 アンソニー・ホプキンスは『最終目的地』、ジェマ・ジョーンズは『善き人』、ナオミ・ワッツは『J・エドガー』や『愛する人』、ジョシュ・ブローリンは『トゥルー・グリット』、アントニオ・バンデラスは『私が、生きる肌』、そしてフリーダ・ピントは『インモータルズ』や『ミラル』、という具合に(注5)。

(2)本作については、他愛ないストーリーと言えばそれまでながら、フリーダ・ピントが扮するディアがクラシック・ギターを練習する光景が映し出され、それだけでクマネズミには儲けものでした。



 ことの次第は、書き上げた小説の出版に関する連絡をいらいらしながら待っているロイが、ふと部屋の窓から隣のマンションの窓に目をやると、ディアが窓辺でギターの練習をしているのです。窓越しにロイが「ボッケリーニはいいね」と言うと、ディアは「知っているのね!」と答えます(注6)。

 そのディアが弾いているのは、ボッケリーニ(1743年~1805年)の「Grave Assai」〔「ファンダンゴ」と呼ばれるギター五重奏曲第4番―他の弦楽五重奏曲から編曲したもの―の第3楽章(その後半、あるいは第4楽章がfandango)〕。映画では、元々の五重奏曲用の楽譜(注7)を、ソロ用に編曲したもの(あるいはソロ用パート)をディアが練習しているのでしょう(注8)。

 最近では『ツリー・オブ・ライフ』がありましたが〔拙エントリの(3)をご覧ください〕、クラシック・ギター自体が映画の中で映し出される例は数少ないと思われますから(BGMで使われるにしても)、本作は貴重な作品といえます。

(3)渡まち子氏は、「年甲斐もなく、恋に右往左往する、彼らのバイタリティーに感心しつつも、野心、成功、盗作、密通など、すべては、アレンに言わせれば、広大な宇宙の営みの塵に過ぎない。どうやらウディ・アレン御大、悟りの境地に達しているようだ」として55点をつけています。
また、読売新聞編集委員の福永聖二氏は、「作風は「夫たち、妻たち」など以前のアレン作品に戻ったよう。だが、老いが深刻な問題となり、ほろ苦さの比重が増した。それは、77歳になるアレン自身が老境に達していることと無関係ではあるまい」と述べています。



(注1)アルフィーは、シャーマインを、何本かTVに出たことがある女優だと家族に紹介しますが、コールガールであるとすぐに見破られてしまいます。

(注2)夫のロイは、医学部出身でありながら小説家に転向、でもデビュー作は売れたものの、その後はとんと芽が出ません。タクシーの運転手をするものの、事故を引き起こしたりして上手くいかず、住まいの家賃は母親に援助してもらっている有様。

(注3)といっても、アルフィーはバイアグラを使っていますし、ロイも、新しく書き上げた小説の出版が、新鮮味がないと出版社に断られてしまいますから、両者とも新しい恋愛相手との先行きが明るいはずはありません。
 なかでもかわいそうなのは、サリーです。グレッグにオペラ鑑賞(ドニゼッティ!)を誘われたりしたことから、彼も自分に気があるのではと思ったところが、宝石店で一緒に見立てた超豪華なイヤリングが、サリーがグレッグに紹介した女友達の耳に輝いているではありませんか!

(注4)なにしろ、掲載されている「Production Notes」において、ウディ・アレン監督は、登場人物それぞれについて、出演者とともにああでもないこうでもないと語っていますし、また、本作の冒頭に、シェイクスピアの『マクベス』からの引用「騒ぐ響きと怒りはすさまじいが、意味は何ひとつない」(字幕では、「人生は空騒ぎ、意味などない」だったように思います)を掲げた理由〔何百年後も先になったら「野心も憧れも盗作も密通も、かつて大変なことと思われていたものはすべて何の意味もなくなるだろう」云々〕まで述べているのですから!

(注5)アンソニー・ホプキンスは、『最終目的地』と比べると、ちょっとの間に随分と老けてしまったなあ、ジェマ・ジョーンズは、『善き人』で主人公ハルダーの認知症気味の母親の役を演じていますが、本作のヘレナも随分惚けた感じだなあ、ナオミ・ワッツは、『恋する人』では臨月を迎えた女の役を演じていたのに、本作では子供を欲しがる役を演じているのだなあ、それにしてもジョシュ・ブローリンは、顔つきも仕草も佐藤浩市そっくりだなあ、などと全く余計なことを考えながら見ていました。

(注6)さらに、「最近越してきたの?」とロイが尋ねると、ディアは、「夏の間だけいるの」と応じます。その後のランチ時の会話で、デイアが音楽学で博士号を取得しようとしていることが分かります。

(注7)このサイトの記事によれば、元の曲はギターと弦楽四重奏の曲ながら、ヴィオラに代えてチェロ2本の編成とされていたようです。
 なお、YouTubeギター五重奏曲を聴くことができますが、ギターの音量が小さいために、とてもギターが主役の曲とは思えないところです(ヴァイオリン1本に対しても、音量的にはとても敵いません!聴衆に聴いてもらうためには、他の楽器をかなり弱く弾いてもらうか、あるいはギターの音を増幅する機器を設ける必要があるでしょう)。

(注8)本作のサントラ盤から取り出したものをYouTubeで聴くことができます。



★★★☆☆


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その夜の侍

2012年12月07日 | 邦画(12年)
 『その夜の侍』を渋谷のユーロスペースで見ました。

(1)当代の人気俳優、堺雅人山田孝之が対決するというので見に行ってきました。

 物語の舞台は地方都市、山田孝之扮するトラック運転手・木島に妻を轢き殺された鉄工所経営者・中村堺雅人)が復讐を企てるというものながら、この2人が両極端に描かれていて、全体としてなかなか面白い仕上がりとなっています。
 中村の方は、経営者といっても真面目一方の技術者で、従業員ともまともに話せないほどの大人しい性格、5年前に妻(坂井真紀)を交通事故で失ってからは、時間があると鉄工所の裏の自宅の部屋に引きこもって、ちゃぶ台の上に置かれた遺骨箱(5年前からズッとそこに置かれているようです)を前にして、事故の直前に録音された妻からの留守電メッセージを繰り返し聴いている有様。



 他方で、木島は、轢き逃げということで2年間服役し、出所後は、事故を引き起こしたトラックの助手席にいた友人の小林綾野剛)の家に同居、自分の過去のことを言いふらしたとして職場の仲間の田口トモロヲ)を激しくいたぶったりします。



 こんな状況下で、中村は、事故から5年目の日に木島を殺して自分も死ぬというメッセージを、繰り返し木島に送りつけます。
 そんなことを止めさせようと、中村の亡妻の兄・青木新井浩文)が動き回るのですが、果たしてどうなることでしょうか?




 どの登場人物も、その行動の軸線が真ん中と思えるもの(常識でしょうか)からズレていて、そのためバラバラに孤立していながらも、やっぱりコミュニケーションを求めていて、でもその求め方も普通のものとはズレが出てきてしまう、そんな微妙なところが巧みに描かれているのではないかな、と思いました。

 堺雅人は、最近も『鍵泥棒のメソッド』で印象的な演技を披露していたところ、本作における偏執病的な人物の演技にも十分説得力がありました(『ツレがうつになりまして。』では“典型的なうつ病患者”の役を演じていたところです!)。

 山田孝之も、つい最近も時代物の『のぼうの城』で見たばかりながら、こうした現代物の方がやはり様になっているように思いました。

(2)上で、行動の軸線がズレていると申し上げましたが、本作では、そのズレ方がそれぞれ大変面白いな、と思いました。
 なにしろ、中村は、家に戻ると絶えず留守電の妻の声を聞いているのですが、その中で彼女が「プリンを食べるな」と言っているのに反して(注1)、そして自身糖尿病ながらも、いくつものプリンを頬張ってしまうのです。
 その中村に青木が紹介した教職員の女性(注2)は、中村が明確に断ったにもかかわらず(注3)、「他愛ない話をしたいんです」と言って再び中村の前に顔を出し、キャッチボールまでします。
 また、木島は木島で、職場の仲間の星とか亡妻の兄を激しく痛めつけるものの(注4)、ある時点でフッとそのことに無関心となってしまい(注5)、後事を別の人間に託してしまうのです。
 さらに、星は、木島に痛めつけられながらも、あろうことか木島にぴったりとくっついている始末(注6)。
 これは、中村の妻を木島の車が轢き殺した際に助手席に乗っていた小林も同じです(注7)。
 さらには、バイトで交通誘導員をしていた谷村美月)も、木島に大金を強奪された上に手籠めにまでされるものの、部屋に気安く入り込んできた木島にごく普通に対応しています(注8)。

 こうしたズレにズレた関係の縺れ合いがピークに達するのがラストのクライマックスではないか、と思いました(注9)。
 でも、様々なズレが描き出されながらも、それほど違和感を覚えずに本作を見終えることができるのは、それぞれのズレがなんとなく小さくなるような兆しが仄見えるからなのかもしれません(注10)。

(3)渡まち子氏は、「狂気と日常の狭間で葛藤する男を描く異色の人間ドラマ「その夜の侍」。堺雅人が今までにないしょぼくれた役を怪演している」として65点を付けています。



(注1)中村の亡き妻は、留守電で、「また隠れてプリン食べているんでしょ、聞いたんだから。いい加減にしないと死んじゃうから」と言っています。

(注2)ありていにいえば、青木は中村のために見合いの席を設けたわけです。「彼女は自分の同僚で、数学を教えていて、理屈っぽいが強く、バツイチだ」と青木は中村に告げます(なお、彼女に対して、青木は、「彼(中村)は一応社長だから玉の輿だ」と言っています)。

(注3)中村は、手に亡き妻のブラジャーを持ちながら、「私は、あなたと結婚できるような、そんな男ではありません。申し訳ありません」と言って頭を下げるのです。

(注4)木島は、自分の過去のことを職場で言いふらしたとして怒り、星に対し灯油をかけライターの火を近づけて焼き殺す寸前にまで至ります。また、青木に対しても、期日までに100万円の現金と中村の詫び状を持ってこなかったことから、公園で穴の中に生き埋めにしようとします。

(注5)木島は、星に対して、突然、「お前帰っていいよ。もう飽きた」と言いますし、青木についても「俺は疲れた、あとはお前(小林)に任せたよ」と言って、現場から立ち去ります。

(注6)星は、木島が青木を痛めつけている現場で、木島の友人の小林に対して「俺、なんでこんなところにいるのかわかんない、だけど特に趣味とかはないし、TVもつまらないし、一人はもう嫌だなあと思って」と言い、でも他方で谷村美月が扮する関には、「あいつ(木島)は最低の人間だ」と言うのですが。

(注7)一方で小林は、木島から「俺のことを警察にチクリやがって」となじられるものの、他方で星から、「なんで君は木島と一緒にいるの?」と尋ねられると、「あいつには俺が必要なんだ」と答えます。

(注8)関は、「なにかいいですね、人がいるのって」と木島に話します。また、出て行った木島に入れ替わって部屋に入ってきた星に対して、「なんか私、こういう雨の日は好きです」と言うと、星は「やっぱり黄色いソファーがあるといいね」と応じます(木島が関から巻き上げた大金は、関がこの黄色いソファーを買うために用意したものです。黄色いソファーが置いてあるということは、木島はその金を関に返したということでしょう)。

(注9)タイトルに「侍」とあり、中村が妻の復讐をしようとしていることから、このシーンは、あるいは宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘とか(漫画『バガボンド』第33巻―今秋刊行出た最新巻の一つ前―の巻頭には、「この島は後の世に「巌流島」とよばれることになる」とあります!)、もしくは江戸時代の仇討(『花のあと』!)とも比べることができるかもしれませんが、そのズレ方には甚だしいものがあります。
 なにしろ、相対峙すると、双方で「今晩は」と挨拶し合い、さらに中村は、「さっきカレー食べたのは失敗だった、こんな時に息がカレーカレー臭くてかなわない」などとしゃべり、木島が「どーすんだよ」と尋ねると、中村は「できることなら、昨日見たテレビのことなど他愛のない話がしたい」と応ずるのですから。
 さらに、中村は、持っていた包丁を放り出すと、「俺を殺せ、二人も殺せば死刑になるから」と言いながら、ナイフを持っている木島の手を取って自分を刺そうとするのです。
 そんなことにはならずに、二人は雨の中泥まみれになって“転げ”回ります。
 「転がる」?
 そういえば、本作では随分と人が“転がる”ことになります。
 自転車に乗っていた中村の妻は、木島の車と出会い頭に衝突し、地面に転がって動かなくなります。
 木島の職場仲間の星は、小林の部屋で畳の上に転がされて、あわや焼き殺されそうになります。
 さらに、中村の亡妻の兄の青木も、公園で木島に痛めつけられて地面に転がり、果ては掘られた穴の中に転がり落とされます。
 本作では、普通なら立っている人間の“転がって”いる姿が描かれている点が、あるいはズレの最たるものといえるのかもしれません!

(注10)たとえば、ラストで中村は、プリンを食べずに潰しながら、留守電に入っている亡妻の声を消去します。



★★★★☆


象のロケット:その夜の侍
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ふがいない僕は空を見た

2012年12月05日 | 邦画(12年)
 『ふがいない僕は空を見た』をテアトル新宿で見ました。

(1)評判を聞き込んで見に行ってきましたが、まずまずの出来栄えではないかと思いました。

 映画は、ある家に入ってきた制服姿の高校生が、コスプレ衣装に着替えて、これまたコスプレ姿の女とベッド・インするところから始まります。



 二人は、ノートに書いてあるシナリオに沿って話したりするところ、どうやら女はその家の主婦・里美田畑智子)で、夫がいない昼間にその高校生・斉藤卓巳永山絢斗)を引っ張り込んでいるようです(注1)。
 卓巳は、助産院を営む母親(原田美枝子)と暮らしているところ(注2)、学校では同級生の女生徒から告白されたりして、里美との関係を絶とうとしますが、なかなか断ち切れないでいます。



 この映画には、もう一人クローズアップされる人物が登場します。
 卓巳の親友である同級生・福田良太窪田正孝)で、母親は近くにいるものの義理の父親と一緒のため、痴呆症の祖母とともに別に暮らしています。



 両親の稼ぎが少なく援助など期待できないことから、良太は、コンビニでのアルバイトや新聞配達などをして、生活費や学費を稼いでいる始末です。
 こうした状況の中で、卓巳と里美の情事の画像があちこちにばらまかれてしまい、皆の知るところとなります。
 さあこれから物語はどのように展開されていくのでしょうか、……?

 卓巳と里美の話がメインで描かれると思って見ていたら、途中からまるで良太が主人公のようになって、二人が暫く画面から消えてしまうとか、コスプレ、痴呆老人、体外受精などなど、現代日本で見かける風俗や社会問題が次から次へと描き出されたりして、全体としてゴッタ煮のような印象を受けてしまいますが(従って、上映時間も142分!)、却って見る者に、人々の多様な生きる姿を生のまま突きつけてくれているようにも思いました。

 主演の永山絢斗は、『I’M FLASH!』で見かけましたが、多面性を持った卓巳役を実に上手くこなしていると思います。

 また、田畑智子は、一昨年の『さんかく』での演技がすごく印象的ですが、本作においては、さらに体当たりで頑張っていて感心しました。

 さらに、窪田正孝は、『はさみ』で、理容学校の先生・池脇千鶴の生徒役を演じていました。

(2)劇場用パンフレットに掲載されている「director’s interview」において、タナダユキ監督は、「卓巳と里美のラブストーリーであると同時に、群像劇にしたいという意識が最初からありました」と述べています(注3)。
 そんなところからなのでしょう、この映画に登場する主要な人物は、卓巳と里美のみならず皆、複雑な性格付けがなされています。

 良太は、祖母と一緒に暮らすためにいろいろアルバイトまでしていますが、最後にはアルバイト先のコンビニで、出しっ放しの店長の財布から金を盗み取ろうとして、クビになってしまいます。
 また、同じコンビニで働く先輩・田岡三浦貫太)は、こうした環境から抜け出すには勉強しなければだめだなどと言って様々のアドバイスをしていたものの、児童ポルノ撮影の咎で逮捕されます(注4)。
 里美の夫(山中崇)は、酷いマザコンで、里美が作ったものには手をつけずに、母親が作った朝食の方をおいしいと言って食べますが、他方で、里美の不倫が分かった後も、彼女とは絶対に別れないと言い張ります。

 男だけでなく女の方も、様々の問題を抱えています。
 里美の義理の母親は、孫の顔が見たいという執念に取り憑かれていて、子供が出来ない里美に向って、結婚前に病院で検査をしてもらえばよかったとまで言う始末です(母親の命で体外受精までしますが、上手くいきません)。
 また、良太の母親は、マチ金に借金があるらしく、携帯に電話がかかってきたりして、果ては、良太が米櫃の中に隠していた預金通帳からなけなしの金を引き出すことまでするのです。

 なかでは、助産婦の卓巳の母親だけが、比較的マシと思われます(注5)。
 この世の荒波にもまれて皆が皆おかしくなってしまうところ、赤ん坊の誕生の瞬間だけは真実の喜びが感じられるということなのでしょう。

 ただ、これだけ様々の性格付けをされた登場人物たちを映画の中で上手く描き出し、一本の作品にまとめ上げるには、製作者側によほどの力が必要なのかもしれません。本作の構成については、映画評論家がすでに指摘しているところながら、一考の余地があるのではないか、と思いました(注6)。

(3)映画評論家の宇田川幸洋氏は、「性と生、生まれることと生きていくことが、郊外の人間模様のリアルなスケッチの上に浮き彫りになる。それを見つめる監督の目はたしかで、信頼がおける。しかし、構成の技法には疑問を感じる」として★4つを付けています(☆5つのうち)。



(注1)里美は、夫に愛情を感じていないようですが、それでも精一杯尽くそうとはしています。
 なお、里美は、小遣いとして2万円を卓巳に手渡します。

(注2)卓巳は、家に戻って母親からお産の手伝いを求められると、嫌々ながらも慣れた手つきで対応します。

(注3)次の(3)でも触れる宇田川幸洋氏は、本作について「群像劇としても、余りに散漫だ」として、「原作を読んで、理由がわかった。小説は短篇連作形式で、5人の人物のかたりになっている。映画はこれをある程度なぞっているがうまくいっていないのだ」と述べています。
 確かにそうなのでしょうが、窪美澄氏の原作に基づく以上、「原作をある程度なぞ」るのは当然であって、問題はあくまでも脚本家と監督による「なぞり方」なのではないでしょうか?
 なお、この点については、映画評論家の小梶勝男氏も、「短編の連作を映画化したため、卓巳と、主婦と、貧困から抜け出そうと苦しむ卓巳の親友の物語が、バラバラに感じられる」と述べているところです。

(注4)さらに田岡は、以前は、有名予備校の人気講師だったところ、同じ犯罪でその職を追われてしまったとされています(父親は病院長で、金には困らないようです)。

(注5)ただ、自然分娩を推奨するものの、産院に救急車で運びこむ破目になったりもします。また、別れた夫から連絡があると、密かに金を手渡したりもしています。

(注6)雑誌『シナリオ』12月号掲載の「脚本家インタビュー」において、本作の脚本を書いた向井康介氏は、作品の構成につき、「大きく3回くらいバッサリ変わったんですかね」、「最初、卓巳から始まってたんです」、それを変えて、「卓巳・あんず(里美)VS福田で、最後母親が締める、みたいな分量がいちばんバランスがいいんじゃないかと思って、やってみたらまあ上手くいった。だから二人が最初に出てきて、窪田くん(福田良太役)、母親ってことになっていったんですけど」などと述べています(同誌P.73)。
ただ逆に、本作では、卓巳・あんずの話を最初にまとめて描いたために、次に良太が前面に出ると、彼らが画面から消えてしまうことになってしまったのでは、と思われます。
 そこを、向井氏が言う最初の案のように、「あんずだけ窪田くんの後に入ってきたりして、あえてゴチャッとまぜてみた」ら、どのような作品になったのでしょうか?
 こんなことを言うのも、向井氏が、「タナダさんとの相性もいいんで。あの人、すごくホンを尊重して撮ってくれる。セリフとかにしても」と述べているところから(同誌P.74)、作品の構成に関しては向井氏によるところが大きいと考えられるからですが。



★★★☆☆




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