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DESTINY鎌倉ものがたり

2017年12月20日 | 邦画(17年)
 『DESTINY鎌倉ものがたり』を吉祥寺オデヲンで見ました。

(1)予告編を見て面白いと思い映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、新婚旅行からの帰りなのでしょう、主人公の一色正和堺雅人)とその妻の亜紀子高畑充希)がクラシックなベンツに乗っています。
 亜紀子が窓の外をボーッと見ているので、正和が「どうした?」と尋ねると、亜紀子は「できますかねー、作家の奥さん」「まさか、先生と結婚するなんて」と答え、それに対し正和は「僕は、信じられないくらい幸せだ」と応じます。

 正和が運転する車は、大仏のそばの路を通り、片瀬海岸から江ノ電の踏切を渡り、坂道を上っていきます。
 漸く家に着き、2人は車を降ります。
 亜紀子が「これからは、先生と腕を組んで歩かなきゃ」「この街は、なんだかゆっくりしているわ」などと言うと、正和は「東京とは時間の進み方が違う」と応じます。



 ここでタイトルが流れ、場面は正和の書斎。
 正和は、原稿にペンを走らすも、クシャクシャにしてしまいます。
 その時、雑誌編集者の本田堤真一)が玄関先に現れます。
 亜紀子は「困ります」と言って、書斎に行こうとする本田を阻もうとしますが、本田は「先生、仕上げてもらわないと」と大声で言いながら、上がり込んで廊下を進みます。
そして、亜紀子が「どうですか?」と書斎に顔を出すと、正和は「見ればわかるでしょ」「作家に向いてないんじゃないかな」と苛々します。
 正和が「お酒を飲ませて眠らせてしまおう」と言うと、亜紀子は「二日酔いだそうです」と答えます。すると、正和は「亜紀子が冷たいから書けないんだ」となおも八つ当たりします。

 応接室で待つ本田に対し、亜紀子は「もうすぐですから」と告げて、もう一度書斎に戻ると、正和は鉄道模型を動かしています。
 それを覗き見した本田が「先生、もうすぐですね」と言うと、正和は「本田さん、分かってますね」と応じます。



 本田は「玉稿を受け取ります」と、正和から原稿を受け取ると、「あんな歳の離れた中村君と結婚するとは」などと呟きながら帰っていきます。
 本田を門の先まで出て見送ったミ正和と亜紀子が玄関に向かうと、2人の前をカッパが通り過ぎます。
 亜紀子が、思わず「今のはなんですか?」と尋ねると、正和は「カッパだろ。ここは鎌倉、夜になると妖気が貯まるんだ」と答えます。
 でも、亜紀子は「そういうの信じられない」と言います。

 こんなところが、本作のほんの始めの方です。さあ、これからどのような物語が展開するのでしょうか、………?

 本作は、ベストセラーの漫画を実写化したものですが、ファンタジー物としてなかなか良くできていると思いました。特に、主人公の作家先生(堺雅人)が黄泉の国に乗り込む途中の景色や、乗り込んでから天頭鬼などと戦うシーンのVFXはよくできているなと思いました。ただ、鎌倉を舞台にして妖怪や怪物などを登場させるのであれば、滅びた北条氏関係の物があってもおかしくないのではないかと思い、総じて江ノ電以外の鎌倉的なものが本作にはあまり取り入れられていないような感じがしたところです。

(2)本作は、天頭鬼(注2)にさらわれて黄泉の国に行ってしまった亜紀子を、夫の正和が取り戻しに行って現世に連れ戻すという冒険ファンタジーであり、他愛ないお話しながらも、「現世」の駅からタンコロ(注3)に乗って「黄泉」の駅まで行くときの周りの景色は、VFXがなかなか良くできていて見入ってしまいます(注4)。
 また、天頭鬼やその部下と正和との戦いも、VFXを使ってなかなか見事に描かれていると思いました。

 さらには、亜紀子を演じる高畑充希は、まさにうってつけの役柄であり、その魅力を存分に発揮している感じですし、夫の正和に扮する堺雅人も、久しぶりの映画出演ながらさすがの演技を披露しています。
 また、死神役の安藤サクラも、地味ながら着実に演じています。
 


 ただ、次のような点があるように思いました。
 タイトルが『鎌倉ものがたり』となっているわりには、鎌倉的なものがあまり映し出されていない感じがしました。
 確かに、江ノ電とか鎌倉大仏は登場します。
 でも、鎌倉と言ったらすぐに思い出されるのが、鶴岡八幡宮でしょうし、江ノ島とか小町通りなどでしょうが、そういった名所的なものはほとんど本作には登場しません。

 それならば、本作で数多く登場する魔物とか妖怪・怪物の中に鎌倉的なものがあるのかと見ていても、そうしたものはあまり登場しないように思われます。
 正和が対決することになる天頭鬼や豚頭鬼・象頭鬼などの外観は、むしろ中国的な感じがします(注5)。
 夜の鎌倉を徘徊する魔物であるのなら、公暁に殺された源実朝とか、新田義貞に滅ぼされた北条高時以下の北条一門に関連するものがあってもおかしくはないように思うのですが。

 他方で、江ノ電が黄泉の国と現世とを往復するのを見ると、本作で言われている「現世」とか「黄泉の国」と言っても、普通名詞のそれらではなく、鎌倉に限定されたもののようにしか思えません。
 なにしろ、「現世」の駅から乗る人達は、正和の隣近所の者のようですし、「黄泉」の駅で彼らを出迎える者たちも、彼らの知り合いたちばかりなのでしょう(外国人など全く見かけません)。

 要すれば、登場する魔物たちは国籍不明で地域の特定が難しいものの、舞台とされている「現世」「黄泉」は鎌倉限定版と言ったところでしょう。
 それはなんだかおかしな感じがしますから、このファンタジーはすべて、おかしなキノコを食べた亜紀子のおかしな夢物語といえるのかもしれません。

 それにしても、黄泉の国の木造家屋が岩山に沿って幾層にも立ち並ぶ様子は、なんだかブラジルのファベーラ(注6)を思い起こさせてしまいました!
 理想郷であるはずの黄泉の国(注7)の外観が、極貧層が住む貧民窟と類似してしまうというのは何とも皮肉な感じですが、こんなところも、おかしな夢物語の特徴が現れているようにも思います。

(3)渡まち子氏は、「見終われば、壮大なラブ・ストーリーだったが、レトロ・モダンなファンタジーとして楽しんでもらいたい作品だ」として65点を付けています。
 北小路隆志氏は、「山崎貴の映画にあって時間旅行は、過去・現在・未来の区別を超えて、すぐ横に広がる隣町めいた異世界への空間上の横滑りとしてあり、もちろんそれに伴うのは、目くるめく視覚的冒険である」と述べています。



(注1)監督・脚本は、『海賊とよばれた男』の山崎貴
 原作は、西岸良平著『鎌倉ものがたり』(双葉社)。

 なお、出演者の内、堺雅人は『その夜の侍』、高畑充希は『アズミ・ハルコは行方不明』、堤真一は『本能寺ホテル』、安藤サクラは『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』、田中泯は『無限の住人』、市川実日子橋爪功は『三度目の殺人』、ムロツヨシは『斉木楠雄のΨ難』、要潤は『ブルーハーツが聴こえる』、大倉孝二は『秘密 THE TOP SECRET』、國村隼は『哭声/コクソン』、鶴田真由は『64 ロクヨン 前編』、薬師丸ひろ子は『ハナミズキ』、吉行和子は『亜人』、三浦友和は『葛城事件』、さらに天頭鬼の声を担当する古田新太は『土竜の唄 香港狂騒曲』で、それぞれ最近見ました。

(注2)公式サイトの「相関図」において、「天頭鬼」と記されています。ですが、どうして「天燈鬼」と書かないのでしょう?
 あるいは、「豚頭鬼」とか「象頭鬼」に倣って「天燈鬼」を「天頭鬼」としたのかもしれません。でも、その風貌は、興福寺にある康弁作の「天燈鬼」そっくりです。
 それに、「天」は「豚」とか「象」とかと同じレベルの概念でしょうか?

(注3)劇場用パンフレット掲載の「PRODUCTION NOTE」によれば、「昭和初期から約50年間運行していた江ノ島電鉄の旧車両で、1両の単車だったことから「通称タンコロ」と呼ばれている」とのこと。

(注4)黄泉の国は、劇場用パンフレットに掲載の山崎貴監督の解説(「CONCEPT ART」)によれば、中国の湖南省にある武陵源を参考にしているようですが、その景色は既に『アバター』にも取り入れられているところです。

(注5)豚頭鬼は、『西遊記』に登場する猪八戒に似ている感じがします。

(注6)劇場用パンフレットに掲載の山崎貴監督の解説(「CONCEPT ART」)によれば、中国の鳳凰古城を参考にしているようですが。
 なお、ファベーラ(あるいはファベイラ)については、『ワイルド・スピ-ド MEGA MAX』についての拙エントリの「(2)」とか、ある写真展についての拙エントリの中、『バケモノの子』についての拙エントリの「(2)」などで触れています。

(注7)劇場用パンフレット掲載の「DIRECTOR INTERVIEW」の中で、山崎貴監督は、黄泉の国について、「僕が理想とする、自分が行ってみたい死後の世界」であり、「亡くなった友人たちとこういうところで再会っできたらいいなという世界を作りたかったんです」などと語っています。ただ、あるいは、黄泉の国は「天国」といったものではなく、単に死者が暮らすところにすぎないのかもしれませんが(天頭鬼のような鬼もいるところでしょうし)。



★★★☆☆☆



象のロケット:DESTINY鎌倉ものがたり


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12 コメント

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コメントありがとうございます (KGR)
2017-12-20 21:49:42
gooブログがTBを止めてしまったのが残念です。

単行本の「立ち読み」でざっくり見た感じでは、映画のキャッチコピーの「時空を超えた冒険ファンタジー」というよりも「妖怪/魔物絡みのミステリー物」で、正和が心霊捜査課に協力して殺人事件を解決する物語のようでした。

拙ブログ記事:http://blog.goo.ne.jp/thiroi/e/968c3a6e9d8f14d681ae9b93dffa2e16
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Unknown (クマネズミ)
2017-12-21 05:37:22
「KGR」さん、コメントをありがとうございます。
なるほど、本作は、原作漫画とは異なるところに力点を置いたものに仕上がっているのですね。本作でも、警察署長役に國村隼を当てたりしているのですから、「正和が心霊捜査課に協力して殺人事件を解決する物語」にしても面白かったのかもしれません。
貴重な情報に感謝いたします。
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全く同感! (エイプリル)
2017-12-23 18:01:09
楽しかった映画でした。堺 雅人も よさが活きていてよかったし、肝心たる夫妻ぶり その絆ぶり?も 微笑ましく かつ強さも伝わり、黄泉の国等々の映像美・迫力も見応えありましたしね。
ただ、そう、本当に! 鎌倉度合いが足りないのでは〜?と思ったのです。
もっと鎌倉あちこち、見せて教えて欲しかった、大スクリーンで。クマさん仰るとおりです全く!
「鎌倉ものがたり」に どうしても期待してしまった一人なもので、、
実際に鎌倉行きを時々エンジョイしますが、有名地に隠れ名所に、いくらでも どのようにでも できたのに? もったいないなぁ とまで。
田中 泯の面白さ拝めたのは自分にはサプライズ嬉しかったです。恩返し今でしょ‼︎ 的中も(笑)。
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Unknown (クマネズミ)
2017-12-23 21:14:55
「エイプリル」さん、コメントをありがとうございます。
鎌倉時代よりもっと遡って日本の「古層」くらいに到達するのであればまだしも、本作に登場するいろいろなものが中国的異臭を強く放っている感じなので、アレっと思ったのですが。特に、江ノ島の先にありそうに思える黄泉の国の景観を描くのに、中国の自然の景色とか町並みを参考にしているようなのには、やや違和感を覚えたところです。
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続 同感。あと音楽 (エイプリル)
2017-12-23 23:15:31
中国的異臭、まさに。
私は 孫悟空 思い浮かびましたし、また 天頭鬼? は (ディズニー アニメの)美女と野獣 の野獣時の王子も髣髴だったり、、まあ そのては大体共通なんですかね〜

一つ言い忘れあり。
音楽が、わりと全編バックに流れてたのは買いました。 場面に相応しいはむろん、気づかぬほどさりげなかったり もしてましたが、 結構そのせいで、オーバーに言うと ある種の気品、風格めいたもの無意識に感じられたかも。
ファンタジーからコミカル調含む要素ある作品と当初受け取っていた私は そうしたのは敬遠してたのですが、実際 観た時、現世の部分のストーリーで特に なかなかなBGM効果 歓迎しました。 クラシックの何か?と思しきもありましたが、既存曲ではなく これ専用のようですね。
最後に流れる主題歌?に、私は特段 好感まではないですが 悪くはなく、宇多田ヒカルのヴォーカル、成長したなぁ とは感じました( 偉そうにスミマセン、、老害 お赦しを)。
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Unknown (クマネズミ)
2017-12-24 18:50:32
「エイプリル」さん、再度のコメントをありがとうございます。
音楽についてのご指摘はまさにそのとおりだと思います。
特に、「宇多田ヒカルのヴォーカル」は、TVでもよく流れていることもあり、なかなか良かったと思います〔3月の「大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち」のテーマソングになった「人魚」も良かったですが〕。
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Unknown (ふじき78)
2018-01-15 11:33:39
わかった。
PART2では「今度は戦争だ」のコピーで黄泉の国から鎌倉の武士たちがわらわらと……。

黄泉の国の描写については堺雅人の目を借りて観客は見てるので、ああなっていると。代々民族学者だった家の倉庫に色々なものが置いてあり、天頭鬼に関する資料もあるようでした。あの辺の資料に中国産の物が多かったのかもしれません。

しかし、俺が先生なら黄泉の国の高畑充希の衣装を視線一つでミニにしてやるんだぜ。

あと、黄泉の国、外観はともかく霞とか食ってお金を使わずに暮らしていけたりするんじゃないですかねえ。
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Unknown (クマネズミ)
2018-01-15 21:47:47
「ふじき78」さん、コメントをありがとうございます。
おっしゃるように、一色正和(堺雅人)の家に中国関係のものが多いせいで、正和が見るものに、中国的なものが多くなってしまうのかもしれません。それにしても、鎌倉の駅から出発する電車で行ける黄泉の国が中国的な雰囲気にあふれているというのは、どうも違和感が残ります。
なお、黄泉の国の住人は、「霞とか“食って”お金を使わずに暮らして」いるにしても、死後もとにかく何かを“食べ”なくてはいけないのでしょうか?
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Unknown (ふじき78)
2018-01-16 22:25:20
何も食べなくてもいいけれど、食べる事って楽しいから死後も残っていてほしい。食べるにせよ食べないにせよ、価格が無償なら現世のような争いが置きづらいのではないか? そんな風に思って書きました。
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Unknown (クマネズミ)
2018-01-17 05:42:57
「ふじき78」さん、再度のコメントをありがとうございます。
「死後」も食べたいということは、「死後」も“生きる”っていうことでしょうか?「死後」も“生きる”のであれば、「現世のような争い」が起こることもありえて、そんな“争い”が起きないようにするにはどうしたらいいのか(タダの“霞”を流通させることなど)を考えてもおかしくはありませんが。
でも、もしかしたら、「死後」は霊魂しか残らないのであって(その場合には“食べる”必要はないでしょう)、本作の「黄泉の国」のように、生前の姿のままで暮らしている(あるいは、“生きている”)わけではないのかもしれません。
本作の「黄泉の国」は、どうも中途半端な感じが否めないところです。
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