押井守監督のアニメ「スカイ・クロラ」を渋谷東急で見てきました。
それほどアニメを見ているわけではありませんし、これまでも「攻殻機動隊」や「パトレーバー」を見ただけで、決して押井ファンではないのですが、4年振りの作品なので見てみようと思った次第です。
この映画について、前田有一氏は、「機銃の直撃を受けキャノピー内に飛び散る血しぶきや、サブ燃料タンクを緊急投下する描写など細部にこだわるマニアックな演出と、3DCGを効果的に使用した飛行時の戦闘機アニメーションは、ハリウッド実写作品顔負けの物凄い迫力」と述べています。
確かに、戦闘機の戦闘場面はすごい出来栄えだなと思いました。
ただ、登場する戦闘機や爆撃機がジェット機ではなく、どれも皆プロペラ機なのです。いったいこの作品はいつの時代を想定しているのかと不思議に思いました。
他にも疑問点が出てきます。主人公たちがいる基地は欧州に設置されていると考えられるところ、関係者が皆日本語を話すのです(主な登場人物は、全て日本人です)。また、主人公たちがチョット街に出ると、周りは英語の看板だらけです。この作品を海外に売りに出す場合には、こうした設定はメリットになるものの、押井氏は一体誰に向かってこの作品を発信しているのか疑問に思いました。
ですが、見ているうちに、この映画は例の「可能的世界」(パラレルワールド)を取り扱っているのではないか、ジェット機が開発されずプロペラ機の段階でストップしているような世界、企業が委任を受けて戦争を継続しているような別の世界を取り扱っているのではないか、と思えるようになり、そうだとすればどんなことでも何でもありですから、疑問を持つ必要もないことになります。
おそらく、押井監督が描きたいと思ったのは、ジェット戦闘機からボタン一つで発射されるミサイルが飛び交う無機質的なシーンではなく、プロペラ機による手作り感のある戦闘場面(機銃の世界)なのでしょう。それで、現在に基づいて推測される何年か後の予想世界ではなく、単なるもう一つ全く別の可能的世界を描き出すことにしたのでしょう。
また、“キルドレ”という子供(一定の年齢で成長が止まったままの人間)が操縦士になるというような世界に拵えて、若者に伝えたいメッセージを明確にしようと考えたのではないか、と思われます。
ただ、それだけで観客に向かって映画を投げ出してしまうと、現在の世界とは無関係のおとぎ話と受け止められ、自分が伝えたいことも無視されてしまいかねません。
実に様々のメディアに監督自身が登場し、こうしたアニメを制作するに至ったその真意を繰り返し言葉で伝えようとしています。
例えば、『アニメはいかに夢を見るか』(押井守編著、岩波書店、2008.8)では、「同じ日々の繰り返しでも、見える風景は違う。そのことを大事にして、過酷な現代を生きてゆこう」というのがこの作品のテーマだとしています。
ですが、映画の製作者がこうした発言をあからさまにしたら、映画の意味が半減してしまうのではないでしょうか?映画を見るにあたって、この映画はこういう観点から見るべきだなどと制作者によって枠をはめられたら、わざわざ時間を潰して映画館に行くまでもありません。そうしたメッセージを文字で読みさえすれば十分なのですから。
とはいえ、やはりさすが押井監督だけあって、最後まで人を引き付ける面白いアニメに仕上がっていると思います(これまでの作品のように難解なところはあまりなく、ある意味でとてもストレートな感じが漂っていると思いました)。
それにしても、このアニメに関する本(それに押井氏の本)が、実に沢山書店に並べられているのには驚きです(絵コンテ集などを購入する人がそれほどいるとは思えませんから!)。
それほどアニメを見ているわけではありませんし、これまでも「攻殻機動隊」や「パトレーバー」を見ただけで、決して押井ファンではないのですが、4年振りの作品なので見てみようと思った次第です。
この映画について、前田有一氏は、「機銃の直撃を受けキャノピー内に飛び散る血しぶきや、サブ燃料タンクを緊急投下する描写など細部にこだわるマニアックな演出と、3DCGを効果的に使用した飛行時の戦闘機アニメーションは、ハリウッド実写作品顔負けの物凄い迫力」と述べています。
確かに、戦闘機の戦闘場面はすごい出来栄えだなと思いました。
ただ、登場する戦闘機や爆撃機がジェット機ではなく、どれも皆プロペラ機なのです。いったいこの作品はいつの時代を想定しているのかと不思議に思いました。
他にも疑問点が出てきます。主人公たちがいる基地は欧州に設置されていると考えられるところ、関係者が皆日本語を話すのです(主な登場人物は、全て日本人です)。また、主人公たちがチョット街に出ると、周りは英語の看板だらけです。この作品を海外に売りに出す場合には、こうした設定はメリットになるものの、押井氏は一体誰に向かってこの作品を発信しているのか疑問に思いました。
ですが、見ているうちに、この映画は例の「可能的世界」(パラレルワールド)を取り扱っているのではないか、ジェット機が開発されずプロペラ機の段階でストップしているような世界、企業が委任を受けて戦争を継続しているような別の世界を取り扱っているのではないか、と思えるようになり、そうだとすればどんなことでも何でもありですから、疑問を持つ必要もないことになります。
おそらく、押井監督が描きたいと思ったのは、ジェット戦闘機からボタン一つで発射されるミサイルが飛び交う無機質的なシーンではなく、プロペラ機による手作り感のある戦闘場面(機銃の世界)なのでしょう。それで、現在に基づいて推測される何年か後の予想世界ではなく、単なるもう一つ全く別の可能的世界を描き出すことにしたのでしょう。
また、“キルドレ”という子供(一定の年齢で成長が止まったままの人間)が操縦士になるというような世界に拵えて、若者に伝えたいメッセージを明確にしようと考えたのではないか、と思われます。
ただ、それだけで観客に向かって映画を投げ出してしまうと、現在の世界とは無関係のおとぎ話と受け止められ、自分が伝えたいことも無視されてしまいかねません。
実に様々のメディアに監督自身が登場し、こうしたアニメを制作するに至ったその真意を繰り返し言葉で伝えようとしています。
例えば、『アニメはいかに夢を見るか』(押井守編著、岩波書店、2008.8)では、「同じ日々の繰り返しでも、見える風景は違う。そのことを大事にして、過酷な現代を生きてゆこう」というのがこの作品のテーマだとしています。
ですが、映画の製作者がこうした発言をあからさまにしたら、映画の意味が半減してしまうのではないでしょうか?映画を見るにあたって、この映画はこういう観点から見るべきだなどと制作者によって枠をはめられたら、わざわざ時間を潰して映画館に行くまでもありません。そうしたメッセージを文字で読みさえすれば十分なのですから。
とはいえ、やはりさすが押井監督だけあって、最後まで人を引き付ける面白いアニメに仕上がっていると思います(これまでの作品のように難解なところはあまりなく、ある意味でとてもストレートな感じが漂っていると思いました)。
それにしても、このアニメに関する本(それに押井氏の本)が、実に沢山書店に並べられているのには驚きです(絵コンテ集などを購入する人がそれほどいるとは思えませんから!)。