『私の叔父さん』を新宿のK’s cinemaで見ました。
(1) K’s cinemaで見る映画は、クマネズミにとっては、時間の空きに入れる埋め草的なものですが、毎回、予想に反して良質のものにぶち当たります。
今回も100分程度の長さで、埋め草としては格好の作品でしたが、内容的にもマズマズの出来栄えでした。
物語の舞台は東京、主人公はプロ・カメラマンの構治(高橋克典)。親戚の娘・夕美子が、大学受験のために福岡から上京して、彼の家に暫く泊っているところ、彼女は構治に向って、「叔父さんは母さんのことが好きだったの?」と尋ねるのです。
暫くして夕美子は福岡に戻ってしまいますが、構治は18年前(1991年5月)のことを思い出します。その時は、突然、姉(松原智恵子)の娘・夕季子(寺島咲)が、カメラマンの見習いをしている構治の汚い住まいに現れ(注1)、暫く寝泊まりしていったのです。
夕季子は1週間ほどで戻りましたが、暫くしたらまた現れ、今度は1ヶ月ほど滞在していました。
夕季子と構治とは、幼いころから兄妹同様に育てられ、構治がカメラマンとなるべく上京すると、構治のことが忘れられない夕季子もその後を追ってきたようなのです。

ですが、2人は叔父と姪との関係で、一般には恋愛関係は許されません(注2)。ただ、夕季子は、構治に対して強い愛を感じており、当初のうちはあり得ないと否定していた構治も次第に夕季子を思うようになっていくようです(注3)。
それでも、1カ月したら夕季子は福岡に戻り、すぐに水道屋の布美雄(鶴見辰吾)と結婚し(注4)、夕美子を生んだものの、直後に交通事故で死んでしまいます。
それでこんどの夕美子の出現であり、そして冒頭の発言です。
そんなことをなぜ夕美子は言うのでしょうか、物語はその後どのように展開していくのでしょうか、……?
こうした設定は好まれるのでしょうか、例えば『森書店の日々』でも、神田神保町で古書店を営む叔父(内藤剛志)とデザイン系の会社に勤務する若い貴子(菊池亜希子)との淡い関係が描かれていました。
本作は、叔父・姪という何とも言えない距離にある2人の関係が、姪の子供が叔父に絡んでくるという思いがけない展開の中で再照射されるという、一段と凝った作りになっています。
その上、主演の高橋克典については、『誘拐ラプソディー』を以前見たくらいですが、その時の印象がまずまずだったので本作もと思っていたら、前作以上に好演していて、まさに拾い物でした。
(2)現在47歳の高橋克典は、本作の設定では45歳の構治に扮しているところ、夕季子と過ごした回想シーンでは27歳であり、その差20歳とは随分な開きですが、持ち前の若々しさから決しておかしな感じを受けません。

このところ平均寿命が大幅に伸びているせいなのか、年齢が進んでも若さを保ち続けている人が増えているような印象を受けます。
丁度、本作を見た夜(4月15日)に、「COMPLEX 東京ドームLIVE ~日本一心~ 拡大版」のリピート放送がWOWOWであり、46歳の吉川晃司と50歳の布袋寅泰とが、実に若々しい姿を披露していました。
そればかりか、プロ野球では、46歳になる中日ドラゴンズの山本昌投手が、同じ日の対阪神戦で勝利投手となり、セ・リーグ最年長勝利記録を更新しています!
なお、夕季子の結婚相手の布美雄(夕美子の父親)に扮する鶴見辰吾も、高橋克典と同年配の47歳ながら、こちらは夕季子と結婚したときは23歳とされ、現在は42歳ですから、年齢的には相応しています(注5)。
いずれにせよ、本作は、ある意味で40代後半をプレイアップする映画だと言ってもいいのかもしれません!
(3)渡まち子氏は、「なんだか納得できないことが多いドラマだが、これもまた純愛なのか」と、40点しか付けていません。
確かに、「夕季子がなぜにこれほどまでに構治を慕うのか」につき説得力がない点とか、「構治と夕季子の過去のシークエンスは、あまりにも古臭く垢抜けない」といった点(注6)を、渡氏同様感じないわけではないものの、一方でそうなのかなとも思います。ただ、それらの点は見解の相違で余り議論しても仕方がないでしょう。
しかしながら、「納得できないこと」として、渡氏が、「夕季子の娘の夕美子が、母と構治は実は深く愛し合っていたことを知り、唐突かつ過激な行動に出る」ことを挙げ、「夕季子(夕美子の誤りでしょう!)に対し、構治がある決心をするという流れも、愛や思いやり、けじめと呼ぶにはズレている気がしてならない」とし、さらに夕美子の「おなかの子供の父親が誰かという問題は、叔父と姪の禁忌の愛という本筋とは無関係。必要性が感じられないのだ」と述べていることにはやや異論があります(これも見解の相違と言われれば、その通りかもしれませんが)。
これらの点は、どれも夕美子のお腹の子供の父親が誰かという問題に帰着するとは思いますが、それは夕美子の本当の父親は誰かということの裏返しではないでしょうか?
すなわち、夕美子は、父親・布美雄(鶴見辰吾)が自分のことを、もしかしたら構治の子供ではないかと疑っているのではと思って(注7)、それを晴らすべく、自分のお腹の子供の父親は構治だと言い張るのではないでしょうか(注8)?
構治がそれを皆の前で認めるのであれば(注9)、布美雄が、自分を本当の子供だと心から信じるようになると考えて、夕美子はそのように言い続けるのではないでしょうか?
構治は、そうした事情がよくわかったのでしょう、布美雄に殴りつけられ馬乗りにされたときには、皆の前で「俺は死んだ夕季子を愛していた。だが、夕季子は俺のことなんか何も思っていなかった。あんたのことを、あんないい人はいないと言っていた。1年ちょっとの間だったけど、一生分の幸せを持って死んでいったんだ」と叫び(注10)、さらには「俺は夕美ちゃんの父親ではないぞ。自分の父親よりも歳上の男と結婚できるか?それでも良いなら、全部捨てて俺のところに来いよ」と言うのです。
こんなところから、構治は、夕季子が“借金のカタ”(注11)としてこの世に置いていった夕美子を、そのお腹の子供まで含めて(自分の子供ではないにもかかわらず)、丸ごと引き受けようとしているのではないかと思いました。
ですから、夕美子の「おなかの子供の父親が誰かという問題は、叔父と姪の禁忌の愛という本筋とは無関係」ということにはならないのではないか、夕美子の「おなかの子供の父親が誰かという問題は、「叔父と姪の禁忌の愛」を逆照射するものではないかと思っています。
(注1)海外赴任者の家で、物置同然となっていて、泥棒避けとして家賃はタダということで構治は住んでいます。
構治は、これに恐れをなして夕季子はスグサマ帰ると思ったところ、逆に彼女は、「兄ちゃんが可哀想、こんなゴミだらけのところに住んでいたんだ」と言う始末。
(注2)構治は、「世間の目が気になることもさることながら、将来に何の展望もない自分の人生に、夕季子を巻き込む勇気がなかった」など、とナレーションで述べています。
というのも、このとき構治は、カメラマン修行の師匠として使えていたプロカメラマン(長谷川初範)から、「出て行け、顔も見たくない」といわれた直後でしたから、将来に対し頗る悲観的だったのです(それが誤解だったことはスグに分かるのですが)。
(注3)夕季子と構治が、モーターボートレースに残りの金をつぎ込んでも全然駄目で、自転車に相乗りしながら家に帰って行くところは、なかなか良いシーンだなと思いました。
夕季子は、「どうして叔父と姪なのだろう、歳がこんなに近くて、どーして一緒に育ったのだろう」と言い、さらに「死のうよ、あのダンプに突っ込んで、死ぬしかないんだから」と言い、構治もダンプの正面に向かっていきますが、衝突寸前でブレーキをかけます。
(注4)福岡に帰り際に、夕季子は、「昨日の晩言ったこと(「お兄ちゃんが好きなの、一生一緒に暮らしたい」など)は全部嘘。私、他に好きな人がいて、もうすぐ結婚するから。先月プロポーズされた。卒業したらと答えてある」などと構治に話します。
構治が実家に戻ると、布美雄も同じ家にいますから婿養子に這入ったということでしょう。
(注5)ここらあたりは、原作〔連城三紀彦著『恋文・私の叔父さん』(新潮文庫)〕によっています。
更に、年齢に拘ると、構治の姉に扮する松原智恵子は、現在67歳であり、役の上でも62歳ですから問題はないでしょう(夕季子は42歳の時の子供ということになるでしょう)。
(注6)特に、夕季子の写真が、現在の構治の書棚にある『藤村詩集』の「高楼」のページに挟まれていたりもするのですから!
(注7)布美雄の話によれば、夕季子は、知り合った当初は東京の構治のことばかり話していたというのですから。
(注8)いくら構治が売れっ子カメラマンで女出入りがあるとしても、自分の子供のお腹に自分の子供を宿すような破廉恥な行為などしないでしょうから!
(注9)構治は、この騒動で福岡に戻った際に、姉の詰問に対し「今回は潔白。元々そんな対象として見たことがない。もう四十男なんだ」と答えて、姉も納得しています。
また、夕美子も、「私は、叔父さんが愛していた母さんの子供だから、お腹の子供が叔父さんとの間で出来たと言っても、叔父さんは絶対に怒らないと思っていた」などと言ったりします。
布美雄も「嘘だと思ってた」と皆が納得し、夕美子は「子供は堕ろす」とまで言います。
ところが、夕美子は再び、お腹の子供は叔父さんとの間で出来たのだと言い張るのです。
(注10)布美雄が構治に、「一度見てもらいたいと思っていた」と夕季子のアルバムを見せます。
構治はアルバムを見て、「優しく包み込むものを感じました。俺の知らない見たこともない夕季子です」、「俺もこんな顔をした夕美子ちゃんにしたいんです。結婚を認めて貰えませんか」と言います(姉も、構治と夕美子の「結婚に反対しないけど」と言っています)。
(注11)夕季子は、夫の布美雄が店を出す資金にが足りないと言って、赤ん坊の夕美子を抱いて、構治に30万円を借りに東京にまでやってくるのです。
なお、夕季子はトンボ返りをしますが、その2ヶ月後に交通事故に遭遇して死んでしまいます。
また、その時会った喫茶店で写した写真が、夕美子が、母親が叔父さんを愛していたに違いないとする根拠となっています。というのも、その5枚の写真に写っている夕季子の口の形が、「あ」「い」「し」「て」「る」と言っている様に見えるので。
★★★★☆
(1) K’s cinemaで見る映画は、クマネズミにとっては、時間の空きに入れる埋め草的なものですが、毎回、予想に反して良質のものにぶち当たります。
今回も100分程度の長さで、埋め草としては格好の作品でしたが、内容的にもマズマズの出来栄えでした。
物語の舞台は東京、主人公はプロ・カメラマンの構治(高橋克典)。親戚の娘・夕美子が、大学受験のために福岡から上京して、彼の家に暫く泊っているところ、彼女は構治に向って、「叔父さんは母さんのことが好きだったの?」と尋ねるのです。
暫くして夕美子は福岡に戻ってしまいますが、構治は18年前(1991年5月)のことを思い出します。その時は、突然、姉(松原智恵子)の娘・夕季子(寺島咲)が、カメラマンの見習いをしている構治の汚い住まいに現れ(注1)、暫く寝泊まりしていったのです。
夕季子は1週間ほどで戻りましたが、暫くしたらまた現れ、今度は1ヶ月ほど滞在していました。
夕季子と構治とは、幼いころから兄妹同様に育てられ、構治がカメラマンとなるべく上京すると、構治のことが忘れられない夕季子もその後を追ってきたようなのです。

ですが、2人は叔父と姪との関係で、一般には恋愛関係は許されません(注2)。ただ、夕季子は、構治に対して強い愛を感じており、当初のうちはあり得ないと否定していた構治も次第に夕季子を思うようになっていくようです(注3)。
それでも、1カ月したら夕季子は福岡に戻り、すぐに水道屋の布美雄(鶴見辰吾)と結婚し(注4)、夕美子を生んだものの、直後に交通事故で死んでしまいます。
それでこんどの夕美子の出現であり、そして冒頭の発言です。
そんなことをなぜ夕美子は言うのでしょうか、物語はその後どのように展開していくのでしょうか、……?
こうした設定は好まれるのでしょうか、例えば『森書店の日々』でも、神田神保町で古書店を営む叔父(内藤剛志)とデザイン系の会社に勤務する若い貴子(菊池亜希子)との淡い関係が描かれていました。
本作は、叔父・姪という何とも言えない距離にある2人の関係が、姪の子供が叔父に絡んでくるという思いがけない展開の中で再照射されるという、一段と凝った作りになっています。
その上、主演の高橋克典については、『誘拐ラプソディー』を以前見たくらいですが、その時の印象がまずまずだったので本作もと思っていたら、前作以上に好演していて、まさに拾い物でした。
(2)現在47歳の高橋克典は、本作の設定では45歳の構治に扮しているところ、夕季子と過ごした回想シーンでは27歳であり、その差20歳とは随分な開きですが、持ち前の若々しさから決しておかしな感じを受けません。

このところ平均寿命が大幅に伸びているせいなのか、年齢が進んでも若さを保ち続けている人が増えているような印象を受けます。
丁度、本作を見た夜(4月15日)に、「COMPLEX 東京ドームLIVE ~日本一心~ 拡大版」のリピート放送がWOWOWであり、46歳の吉川晃司と50歳の布袋寅泰とが、実に若々しい姿を披露していました。
そればかりか、プロ野球では、46歳になる中日ドラゴンズの山本昌投手が、同じ日の対阪神戦で勝利投手となり、セ・リーグ最年長勝利記録を更新しています!
なお、夕季子の結婚相手の布美雄(夕美子の父親)に扮する鶴見辰吾も、高橋克典と同年配の47歳ながら、こちらは夕季子と結婚したときは23歳とされ、現在は42歳ですから、年齢的には相応しています(注5)。
いずれにせよ、本作は、ある意味で40代後半をプレイアップする映画だと言ってもいいのかもしれません!
(3)渡まち子氏は、「なんだか納得できないことが多いドラマだが、これもまた純愛なのか」と、40点しか付けていません。
確かに、「夕季子がなぜにこれほどまでに構治を慕うのか」につき説得力がない点とか、「構治と夕季子の過去のシークエンスは、あまりにも古臭く垢抜けない」といった点(注6)を、渡氏同様感じないわけではないものの、一方でそうなのかなとも思います。ただ、それらの点は見解の相違で余り議論しても仕方がないでしょう。
しかしながら、「納得できないこと」として、渡氏が、「夕季子の娘の夕美子が、母と構治は実は深く愛し合っていたことを知り、唐突かつ過激な行動に出る」ことを挙げ、「夕季子(夕美子の誤りでしょう!)に対し、構治がある決心をするという流れも、愛や思いやり、けじめと呼ぶにはズレている気がしてならない」とし、さらに夕美子の「おなかの子供の父親が誰かという問題は、叔父と姪の禁忌の愛という本筋とは無関係。必要性が感じられないのだ」と述べていることにはやや異論があります(これも見解の相違と言われれば、その通りかもしれませんが)。
これらの点は、どれも夕美子のお腹の子供の父親が誰かという問題に帰着するとは思いますが、それは夕美子の本当の父親は誰かということの裏返しではないでしょうか?
すなわち、夕美子は、父親・布美雄(鶴見辰吾)が自分のことを、もしかしたら構治の子供ではないかと疑っているのではと思って(注7)、それを晴らすべく、自分のお腹の子供の父親は構治だと言い張るのではないでしょうか(注8)?
構治がそれを皆の前で認めるのであれば(注9)、布美雄が、自分を本当の子供だと心から信じるようになると考えて、夕美子はそのように言い続けるのではないでしょうか?
構治は、そうした事情がよくわかったのでしょう、布美雄に殴りつけられ馬乗りにされたときには、皆の前で「俺は死んだ夕季子を愛していた。だが、夕季子は俺のことなんか何も思っていなかった。あんたのことを、あんないい人はいないと言っていた。1年ちょっとの間だったけど、一生分の幸せを持って死んでいったんだ」と叫び(注10)、さらには「俺は夕美ちゃんの父親ではないぞ。自分の父親よりも歳上の男と結婚できるか?それでも良いなら、全部捨てて俺のところに来いよ」と言うのです。
こんなところから、構治は、夕季子が“借金のカタ”(注11)としてこの世に置いていった夕美子を、そのお腹の子供まで含めて(自分の子供ではないにもかかわらず)、丸ごと引き受けようとしているのではないかと思いました。
ですから、夕美子の「おなかの子供の父親が誰かという問題は、叔父と姪の禁忌の愛という本筋とは無関係」ということにはならないのではないか、夕美子の「おなかの子供の父親が誰かという問題は、「叔父と姪の禁忌の愛」を逆照射するものではないかと思っています。
(注1)海外赴任者の家で、物置同然となっていて、泥棒避けとして家賃はタダということで構治は住んでいます。
構治は、これに恐れをなして夕季子はスグサマ帰ると思ったところ、逆に彼女は、「兄ちゃんが可哀想、こんなゴミだらけのところに住んでいたんだ」と言う始末。
(注2)構治は、「世間の目が気になることもさることながら、将来に何の展望もない自分の人生に、夕季子を巻き込む勇気がなかった」など、とナレーションで述べています。
というのも、このとき構治は、カメラマン修行の師匠として使えていたプロカメラマン(長谷川初範)から、「出て行け、顔も見たくない」といわれた直後でしたから、将来に対し頗る悲観的だったのです(それが誤解だったことはスグに分かるのですが)。
(注3)夕季子と構治が、モーターボートレースに残りの金をつぎ込んでも全然駄目で、自転車に相乗りしながら家に帰って行くところは、なかなか良いシーンだなと思いました。
夕季子は、「どうして叔父と姪なのだろう、歳がこんなに近くて、どーして一緒に育ったのだろう」と言い、さらに「死のうよ、あのダンプに突っ込んで、死ぬしかないんだから」と言い、構治もダンプの正面に向かっていきますが、衝突寸前でブレーキをかけます。
(注4)福岡に帰り際に、夕季子は、「昨日の晩言ったこと(「お兄ちゃんが好きなの、一生一緒に暮らしたい」など)は全部嘘。私、他に好きな人がいて、もうすぐ結婚するから。先月プロポーズされた。卒業したらと答えてある」などと構治に話します。
構治が実家に戻ると、布美雄も同じ家にいますから婿養子に這入ったということでしょう。
(注5)ここらあたりは、原作〔連城三紀彦著『恋文・私の叔父さん』(新潮文庫)〕によっています。
更に、年齢に拘ると、構治の姉に扮する松原智恵子は、現在67歳であり、役の上でも62歳ですから問題はないでしょう(夕季子は42歳の時の子供ということになるでしょう)。
(注6)特に、夕季子の写真が、現在の構治の書棚にある『藤村詩集』の「高楼」のページに挟まれていたりもするのですから!
(注7)布美雄の話によれば、夕季子は、知り合った当初は東京の構治のことばかり話していたというのですから。
(注8)いくら構治が売れっ子カメラマンで女出入りがあるとしても、自分の子供のお腹に自分の子供を宿すような破廉恥な行為などしないでしょうから!
(注9)構治は、この騒動で福岡に戻った際に、姉の詰問に対し「今回は潔白。元々そんな対象として見たことがない。もう四十男なんだ」と答えて、姉も納得しています。
また、夕美子も、「私は、叔父さんが愛していた母さんの子供だから、お腹の子供が叔父さんとの間で出来たと言っても、叔父さんは絶対に怒らないと思っていた」などと言ったりします。
布美雄も「嘘だと思ってた」と皆が納得し、夕美子は「子供は堕ろす」とまで言います。
ところが、夕美子は再び、お腹の子供は叔父さんとの間で出来たのだと言い張るのです。
(注10)布美雄が構治に、「一度見てもらいたいと思っていた」と夕季子のアルバムを見せます。
構治はアルバムを見て、「優しく包み込むものを感じました。俺の知らない見たこともない夕季子です」、「俺もこんな顔をした夕美子ちゃんにしたいんです。結婚を認めて貰えませんか」と言います(姉も、構治と夕美子の「結婚に反対しないけど」と言っています)。
(注11)夕季子は、夫の布美雄が店を出す資金にが足りないと言って、赤ん坊の夕美子を抱いて、構治に30万円を借りに東京にまでやってくるのです。
なお、夕季子はトンボ返りをしますが、その2ヶ月後に交通事故に遭遇して死んでしまいます。
また、その時会った喫茶店で写した写真が、夕美子が、母親が叔父さんを愛していたに違いないとする根拠となっています。というのも、その5枚の写真に写っている夕季子の口の形が、「あ」「い」「し」「て」「る」と言っている様に見えるので。
★★★★☆