『マダム・フローレンス!夢見るふたり』を吉祥寺プラザで見ました。
(1)メリル・ストリープの主演作というので、映画館に行きました。
本作(注1)の冒頭は、「based on true stories」の字幕が出て、1944年のニューヨーク。
シンクレア(ヒュー・グラント)が、舞台の幕の前でハムレットの一節(注2)を朗唱した後、皆の拍手に対して、「ありがとうございます」、「次は、1850年のアラバマ州に遡りましょう」、「偉大な作曲家フォスターは、スランプでどん底状態にあります」と言います。
幕が引き上げられた舞台(背景として木々の茂る邸宅が描かれています)の上では、憔悴したフォスターがピアノを前に座っています。
そこに、舞台の上方から宙吊りの天使〔実は、フローレンス(メリル・ストリープ)〕が舞い降りてきてフォスターの頭を撫でます。
すると、ひらめきを得たフォスターは「Oh! Susanna」を演奏し出し、幕が下ります。
楽屋では、フローレンスが「霊感を吹き込むような演技ではなかった」と言うと、シンクレアは「いや、素晴らしかった」と応じます。
次いで、舞台の上でシンクレアが「今夜のフィナーレです」、「ヴェルディ・クラブ(注3)がおくるワルキューレの騎行です」と言うと、舞台の前のオーケストラがワーグナーの音楽を演奏し、幕が上がると、岩山を背景に槍を持つフローレンスを中心にしてワルキューレたちの姿が浮かび上がります。
舞台が終わってパーテーが催され、フローレンスには記念品として時計が手渡されます。
フローレンスは、「皆さんに感謝します。このクラブを作った時は、こうなるとは思いませんでした。25年間支えてくれた夫のおかげです。音楽は私の人生そのものです。今は世界大戦の最中、こうしたことが今まで以上に重要になっています。ニューヨークの音楽活動をこれからも支援いたします」と挨拶します。
住まいにしている高級ホテルの部屋に戻って、フローレンスはベッドに横になります。
シンクレアが「おやすみ」と言って、シェイクスピアのソネット(注4)の一部を朗唱すると、フローレンスは眠りに落ちます。
シンクレアは、フローレンスの頭からかつらを外し、坊主頭にナイトキャップをかぶせ、脈拍を測りノートに記入すると、キスをして部屋から出ていきます。
シンクレアはホテルを出て外を歩いて、自分の家に戻ります。
家に着くと、愛人のキャサリン(レベッカ・ファーガソン)が「お帰りなさい」と出迎え、彼女が「フローレンスは?」と尋ねると、シンクレアは「上々だ」と答えます。
こんなところが本作の始まりですが、さあ、これから物語はどのように展開するのでしょうか、………?
本作は実話に基づいているとされ、類稀なる音痴の富豪の女性と、彼女をマネージャーとして支え続けた夫(事実上の)の姿を描き出します。なにしろ、最後にはあのカーネギーホールを観客で一杯にしてリサイタルを開催してしまうのですから、主人公の情熱はものすごいものがあると同時に、夫の献身ぶりも並大抵のものではなく、さらにまた専属の伴奏者の協力ぶりも特筆モノで、本作では、それらがなかなか巧みに描かれていて、まずまずの出来栄えでした。
(2)クマネズミは、本作を見るまでは、主役のフローレンスについて何の情報も持っておらず(注5)、とりわけ、カーネギーホールでリサイタルをやり、さらには「今もカーネギーホールのアーカイブの1番人気」であり、「アルバムは、デヴィッド・ボウイの“生涯愛した名盤”(注6)」となっていること(注7)など全然知りませんでした。
それで、本作でフローレンスがものすごい調子で歌を歌いだすと、おかしいことはおかしいものの、本当に笑っていいものかどうか気になってしまい、かなり違和感を覚えてしまいました。
音痴の人が一生懸命になって歌うのを笑ってはいけないと、言われてきましたし、特に彼女のように酷い音痴は、本人にどうすることもできないのでしょうから(注8)。
それに、この映画を見ている観客のクマネズミだって、陰で何を言われているかわからないのですから!
といっても、フローレンスを見事に演じるメリル・ストリープには驚いてしまいます。
なにしろ、『イントゥ・ザ・ウッズ』や『マンマ・ミーア!』とかで、圧倒的な歌唱力を見せつけているのですから(注9)。そして、その彼女が本作では実に無様な歌い方をするのですから(彼女が歌うモーツアルトの「夜の女王」の歌は、とてもその歌だとはわからないくらいです)!
また、本作は、むしろ、事実上の夫であるシンクレアの献身的な努力がきめ細かく描かれており、それで見る方も何とかバランスがとれる感じです。
シンクレアは、フローレンスが亡くなるまで35年間も事実婚状態でありながら、他方でキャサリンとの生活も営んでいました。
こうしたところから、シンクレアは、フローレンスの財力を目当てに離れずにいたのだとも考えられます。でも、例えば、キャサリンから「そんなことをしたらお別れよ」と厳しく言われても、シンクレアは、フローレンスの歌を馬鹿にする若者に注意しに行くのですから、決してそうとばかりも言えないでしょう。
むしろ、こうした場面を見ると、シンクレアはフローレンスをこよなく愛していたとも考えられるところです(注10)。それでも、シンクレアは、キャサリンも愛していて、キャサリンの不満が募ってくると(注11)、例えば、忙しいさなかに泊りがけでゴルフ旅行に行ったりします。
常識的には理解するのがなかなか難しい人物であり、下手をすると悪者に見えかねない役柄を演じるヒュー・グラントは、むしろ愛すべき人間に見えるよう巧みな演技を披露します。
更に、本作に欠かせないのは、フローレンスが歌う歌を伴奏するピアニストのコズメ・マクムーンでしょう。
彼は、当初は伴奏を嫌がっていましたが(注12)、シンクレアの説得によって踏み止まります。
それでも、フローレンスが狭いサークルで歌っている分にはかまわないにせよ、カーネギーホールという一般客が大勢入る著名な場所でフローレンスの伴奏をすれば、自分のキャリアに傷がつきかねません。ですが、最後には彼女の伴奏を進んで引き受けるのです。
それを演じるサイモン・ヘルバーグも、映画では自分で演奏しているようで、なかなか頑張っています。
(3)渡まち子氏は、「劇中の登場人物がいつのまにかフローレンスを愛してしまったように、観客もまた、この奇妙な歌姫に魅了されるはずだ」として80点を付けています。
渡辺祥子氏は、「音楽家の夢の殿堂、ニューヨークのカーネギーホールでコンサートを開く夢に向かって突き進んだ超絶オンチ歌姫、フローレンス・フォスター・ジェンキンス(1868~1944年)の奔放な世界を覗き見る」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
藤原帰一氏は、「山場を活(い)かすように、カメラも音楽も最初は控えめ、それが山場になるとケレン味たっぷりの映画づくり。おかげで薄手の人情話で終わるはずの映画に思いがけない奥行きが出ました。やっぱり映画は観ないと分かりませんね」と述べています。
(注1)監督は、『あなたを抱きしめる日まで』のスティーヴン・フリアーズ。
脚本はニコラス・マーティン。
原題は『FLORENCE FOSTER JENKINS』。
なお、出演者の内、最近では、メリル・ストリープは『イントゥ・ザ・ウッズ』、ヒュー・グラントは『噂のモーガン夫妻』で、それぞれ見ました。
(注2)「Swounds I should take it, for it cannot be but I am pigeon-livered and lack gall to make oppression bitter」〔このサイトの訳によれば、「畜生、おれはその通りだ。 おれは鳩のようにおとなしく、抑圧を跳ね返すだけの意地がない」云々(第2幕第2場604行目以降)〕。
(注3)このサイトの記事によれば、ヴェルディ・クラブは、1917年にフローレンスが設立したもので、400人を超える会員がいたとのこと。
なお、同記事には、本作に登場する人物の顔写真が、それを演じる俳優の顔写真と対比して掲載されています。
(注4)「Let me not to the marriage of true minds Admit impediments. Love is not love」(ソネット116:このソネットについては、このサイトの記事をご覧ください)。
(注5)本作の主人公をモデルにして作られたフランス映画『偉大なるマルグリット』も見てはおりません。
(注6)この記事に、デヴィッド・ボウイの「お気に入りのアルバム 25選」が掲載されており、その一番末尾に「THE GLORY (????) OF THE HUMAN VOICE / FLORENCE FOSTER JENKINS (1962, RCA)」が記載されています(収録曲はこちら。声はこちらで聴くことができます)。
(注7)劇場用パンフレットの「INTRODUCTION」より。
(注8)Wikipediaのこの記事には、「彼女の演奏したレコードを聴くと、ジェンキンスは音程とリズムに関する感性がほとんどなく、極めて限られた声域しか持たず、一音たりとも持続的に発声できないこと、伴奏者が彼女の歌うテンポの変化と拍節の間違いを補って追随しているのがわかる」とあります。
本作によれば、フローレンスは、メトロポリタン歌劇場の副指揮者・カルロ(デイビット・ハイ)のレッスンを受けたりしますが、音痴のままです。
(注9)前者については、例えばこちらをご覧ください。
(注10)フローレンスは勿論シンクレアが大好きだったでしょう。ある時、フローレンスはシンクレアに、「あなたの子供が欲しかった」と言うくらいです。
おそらく、フローレンスは、前の夫から梅毒をうつされ(17歳の時)、生涯それで苦しみましたから(本作に登場する医師は、「梅毒で50年生き続けたのは初めてだ」と言います。また、フローレンスが実際には坊主頭なのも、治療薬の副作用によるものでしょう)、シンクレアとは夜の営みができなかったのでしょう。
(注11)ある時、突然、フローレンスがシンクレアの家にやってきたことがありました。キャサリンは姿を隠さねばならず、「自分の家なのに、どうして隠れなくてはいけないの?こんな生活に耐えられない」とシンクレアを責めます。
(注12)マクムーンはシンクレアに、「奥様は音程が外れています。何しろ、声帯が普通じゃありません」と言いますが、報酬のこともあり(フローレンスが「150ドル以上は支払えない」と言うと、マクムーンは「月にですか?」と訊き直し、彼女は「週よ」と付け加えます)、結局は引き受けることになります。
★★★☆☆☆
象のロケット:マダム・フローレンス!夢見るふたり
(1)メリル・ストリープの主演作というので、映画館に行きました。
本作(注1)の冒頭は、「based on true stories」の字幕が出て、1944年のニューヨーク。
シンクレア(ヒュー・グラント)が、舞台の幕の前でハムレットの一節(注2)を朗唱した後、皆の拍手に対して、「ありがとうございます」、「次は、1850年のアラバマ州に遡りましょう」、「偉大な作曲家フォスターは、スランプでどん底状態にあります」と言います。
幕が引き上げられた舞台(背景として木々の茂る邸宅が描かれています)の上では、憔悴したフォスターがピアノを前に座っています。
そこに、舞台の上方から宙吊りの天使〔実は、フローレンス(メリル・ストリープ)〕が舞い降りてきてフォスターの頭を撫でます。
すると、ひらめきを得たフォスターは「Oh! Susanna」を演奏し出し、幕が下ります。
楽屋では、フローレンスが「霊感を吹き込むような演技ではなかった」と言うと、シンクレアは「いや、素晴らしかった」と応じます。
次いで、舞台の上でシンクレアが「今夜のフィナーレです」、「ヴェルディ・クラブ(注3)がおくるワルキューレの騎行です」と言うと、舞台の前のオーケストラがワーグナーの音楽を演奏し、幕が上がると、岩山を背景に槍を持つフローレンスを中心にしてワルキューレたちの姿が浮かび上がります。
舞台が終わってパーテーが催され、フローレンスには記念品として時計が手渡されます。
フローレンスは、「皆さんに感謝します。このクラブを作った時は、こうなるとは思いませんでした。25年間支えてくれた夫のおかげです。音楽は私の人生そのものです。今は世界大戦の最中、こうしたことが今まで以上に重要になっています。ニューヨークの音楽活動をこれからも支援いたします」と挨拶します。
住まいにしている高級ホテルの部屋に戻って、フローレンスはベッドに横になります。
シンクレアが「おやすみ」と言って、シェイクスピアのソネット(注4)の一部を朗唱すると、フローレンスは眠りに落ちます。
シンクレアは、フローレンスの頭からかつらを外し、坊主頭にナイトキャップをかぶせ、脈拍を測りノートに記入すると、キスをして部屋から出ていきます。
シンクレアはホテルを出て外を歩いて、自分の家に戻ります。
家に着くと、愛人のキャサリン(レベッカ・ファーガソン)が「お帰りなさい」と出迎え、彼女が「フローレンスは?」と尋ねると、シンクレアは「上々だ」と答えます。
こんなところが本作の始まりですが、さあ、これから物語はどのように展開するのでしょうか、………?
本作は実話に基づいているとされ、類稀なる音痴の富豪の女性と、彼女をマネージャーとして支え続けた夫(事実上の)の姿を描き出します。なにしろ、最後にはあのカーネギーホールを観客で一杯にしてリサイタルを開催してしまうのですから、主人公の情熱はものすごいものがあると同時に、夫の献身ぶりも並大抵のものではなく、さらにまた専属の伴奏者の協力ぶりも特筆モノで、本作では、それらがなかなか巧みに描かれていて、まずまずの出来栄えでした。
(2)クマネズミは、本作を見るまでは、主役のフローレンスについて何の情報も持っておらず(注5)、とりわけ、カーネギーホールでリサイタルをやり、さらには「今もカーネギーホールのアーカイブの1番人気」であり、「アルバムは、デヴィッド・ボウイの“生涯愛した名盤”(注6)」となっていること(注7)など全然知りませんでした。
それで、本作でフローレンスがものすごい調子で歌を歌いだすと、おかしいことはおかしいものの、本当に笑っていいものかどうか気になってしまい、かなり違和感を覚えてしまいました。
音痴の人が一生懸命になって歌うのを笑ってはいけないと、言われてきましたし、特に彼女のように酷い音痴は、本人にどうすることもできないのでしょうから(注8)。
それに、この映画を見ている観客のクマネズミだって、陰で何を言われているかわからないのですから!
といっても、フローレンスを見事に演じるメリル・ストリープには驚いてしまいます。
なにしろ、『イントゥ・ザ・ウッズ』や『マンマ・ミーア!』とかで、圧倒的な歌唱力を見せつけているのですから(注9)。そして、その彼女が本作では実に無様な歌い方をするのですから(彼女が歌うモーツアルトの「夜の女王」の歌は、とてもその歌だとはわからないくらいです)!
また、本作は、むしろ、事実上の夫であるシンクレアの献身的な努力がきめ細かく描かれており、それで見る方も何とかバランスがとれる感じです。
シンクレアは、フローレンスが亡くなるまで35年間も事実婚状態でありながら、他方でキャサリンとの生活も営んでいました。
こうしたところから、シンクレアは、フローレンスの財力を目当てに離れずにいたのだとも考えられます。でも、例えば、キャサリンから「そんなことをしたらお別れよ」と厳しく言われても、シンクレアは、フローレンスの歌を馬鹿にする若者に注意しに行くのですから、決してそうとばかりも言えないでしょう。
むしろ、こうした場面を見ると、シンクレアはフローレンスをこよなく愛していたとも考えられるところです(注10)。それでも、シンクレアは、キャサリンも愛していて、キャサリンの不満が募ってくると(注11)、例えば、忙しいさなかに泊りがけでゴルフ旅行に行ったりします。
常識的には理解するのがなかなか難しい人物であり、下手をすると悪者に見えかねない役柄を演じるヒュー・グラントは、むしろ愛すべき人間に見えるよう巧みな演技を披露します。
更に、本作に欠かせないのは、フローレンスが歌う歌を伴奏するピアニストのコズメ・マクムーンでしょう。
彼は、当初は伴奏を嫌がっていましたが(注12)、シンクレアの説得によって踏み止まります。
それでも、フローレンスが狭いサークルで歌っている分にはかまわないにせよ、カーネギーホールという一般客が大勢入る著名な場所でフローレンスの伴奏をすれば、自分のキャリアに傷がつきかねません。ですが、最後には彼女の伴奏を進んで引き受けるのです。
それを演じるサイモン・ヘルバーグも、映画では自分で演奏しているようで、なかなか頑張っています。
(3)渡まち子氏は、「劇中の登場人物がいつのまにかフローレンスを愛してしまったように、観客もまた、この奇妙な歌姫に魅了されるはずだ」として80点を付けています。
渡辺祥子氏は、「音楽家の夢の殿堂、ニューヨークのカーネギーホールでコンサートを開く夢に向かって突き進んだ超絶オンチ歌姫、フローレンス・フォスター・ジェンキンス(1868~1944年)の奔放な世界を覗き見る」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
藤原帰一氏は、「山場を活(い)かすように、カメラも音楽も最初は控えめ、それが山場になるとケレン味たっぷりの映画づくり。おかげで薄手の人情話で終わるはずの映画に思いがけない奥行きが出ました。やっぱり映画は観ないと分かりませんね」と述べています。
(注1)監督は、『あなたを抱きしめる日まで』のスティーヴン・フリアーズ。
脚本はニコラス・マーティン。
原題は『FLORENCE FOSTER JENKINS』。
なお、出演者の内、最近では、メリル・ストリープは『イントゥ・ザ・ウッズ』、ヒュー・グラントは『噂のモーガン夫妻』で、それぞれ見ました。
(注2)「Swounds I should take it, for it cannot be but I am pigeon-livered and lack gall to make oppression bitter」〔このサイトの訳によれば、「畜生、おれはその通りだ。 おれは鳩のようにおとなしく、抑圧を跳ね返すだけの意地がない」云々(第2幕第2場604行目以降)〕。
(注3)このサイトの記事によれば、ヴェルディ・クラブは、1917年にフローレンスが設立したもので、400人を超える会員がいたとのこと。
なお、同記事には、本作に登場する人物の顔写真が、それを演じる俳優の顔写真と対比して掲載されています。
(注4)「Let me not to the marriage of true minds Admit impediments. Love is not love」(ソネット116:このソネットについては、このサイトの記事をご覧ください)。
(注5)本作の主人公をモデルにして作られたフランス映画『偉大なるマルグリット』も見てはおりません。
(注6)この記事に、デヴィッド・ボウイの「お気に入りのアルバム 25選」が掲載されており、その一番末尾に「THE GLORY (????) OF THE HUMAN VOICE / FLORENCE FOSTER JENKINS (1962, RCA)」が記載されています(収録曲はこちら。声はこちらで聴くことができます)。
(注7)劇場用パンフレットの「INTRODUCTION」より。
(注8)Wikipediaのこの記事には、「彼女の演奏したレコードを聴くと、ジェンキンスは音程とリズムに関する感性がほとんどなく、極めて限られた声域しか持たず、一音たりとも持続的に発声できないこと、伴奏者が彼女の歌うテンポの変化と拍節の間違いを補って追随しているのがわかる」とあります。
本作によれば、フローレンスは、メトロポリタン歌劇場の副指揮者・カルロ(デイビット・ハイ)のレッスンを受けたりしますが、音痴のままです。
(注9)前者については、例えばこちらをご覧ください。
(注10)フローレンスは勿論シンクレアが大好きだったでしょう。ある時、フローレンスはシンクレアに、「あなたの子供が欲しかった」と言うくらいです。
おそらく、フローレンスは、前の夫から梅毒をうつされ(17歳の時)、生涯それで苦しみましたから(本作に登場する医師は、「梅毒で50年生き続けたのは初めてだ」と言います。また、フローレンスが実際には坊主頭なのも、治療薬の副作用によるものでしょう)、シンクレアとは夜の営みができなかったのでしょう。
(注11)ある時、突然、フローレンスがシンクレアの家にやってきたことがありました。キャサリンは姿を隠さねばならず、「自分の家なのに、どうして隠れなくてはいけないの?こんな生活に耐えられない」とシンクレアを責めます。
(注12)マクムーンはシンクレアに、「奥様は音程が外れています。何しろ、声帯が普通じゃありません」と言いますが、報酬のこともあり(フローレンスが「150ドル以上は支払えない」と言うと、マクムーンは「月にですか?」と訊き直し、彼女は「週よ」と付け加えます)、結局は引き受けることになります。
★★★☆☆☆
象のロケット:マダム・フローレンス!夢見るふたり