『中学生円山』をTOHOシネマズ渋谷で見ました。
(1)本作は、中学生の話だというので躊躇したものの、『少年メリケンサック』以来の宮藤官九郎氏の監督・脚本作品ですから、やっぱり映画館を覗いてみたくなりました。
舞台は、『みなさん、さようなら』で描かれたような大きな団地。
そこに住む円山家には、中学生・克也(平岡拓真)のほかに、父親・克之(仲村トオル)、母親・ミズキ(坂井真紀)、小学生の妹・あかね(鍋本凪々美)がいます(注1)。

克之は平凡そのものの父親ですし、ミズキは韓流ドラマに熱中し、あかねは友達に触発されて彼氏を欲しがっています。
一方、克也は、エッチな目的を達成するため、体を柔軟にしようと毎日自主トレに励んでいたところ、団地の上の階に住む下井(草剛)と接触を持ちます。

そんなときに、団地の近くの河原で殺された男の死体が発見されますが、克也は、下井が「子連れ狼」の殺し屋ではないかと妄想してしまいます。
ここから話がいろいろと展開しますが、それは見てのお楽しみ、……?
本作は、中学生が抱く「特大妄想」を映画化したものという謳い文句ながら、その実、彼の妄想自体はストーリー性がありそんなに奇矯なものではありません。むしろ、SMAPの草剛とか、監督・俳優であるヤン・イクチュン(注2)、ギタリストの遠藤賢司など、多彩な出演者の顔触れに圧倒されます。本作におけるその人たちの出方などを見ると、本作自体が、監督・脚本の宮藤官九郎氏の「特大妄想」のような気がしてきます。
(2)とはいえ、そんなものでは、こんなに妄想がいっぱい詰まった面白い映画を観た感想としてはつまりません。ここは、ひとつ妄想に妄想で対決してみたらどうでしょうか?
例えば、このお話は、すべて父親・克之の妄想であったと妄想してみては(注3)?
だって、雑誌ぐらいしかなかった昔と違い、様々の情報機器を持っている今時の中学生ならば、もっと物凄い妄想を抱いてもおかしくはないのではないでしょうか(R-18でも上映できないくらいの!)?
最初に、幼い頃の克也の妄想が描き出されますが、空からぷるぷるしたものが降ってきたり、家族がスパイになったり宇宙人になったりする他愛ないもの。ですが、その後の克也の妄想にしても、五十歩百歩ではないかと思います(注4)。
また、ヤン・イクチュンが演じる新任の電気屋は、母親・ミズキの妄想の中で、韓流の俳優が身をやつした姿となっていますが(注5)、それではつまらないのではと思います。

さらに、徘徊老人を彼氏にする妹・あかねの妄想にしても、あかねの年齢ではその老人の正体である遠藤賢司自体を知らないのではないでしょうか(注6)?

そんなことから、克也の妄想とされているものも、実は父親・克之が、中学生くらいだったらこんな妄想を抱くだろうなと考えてのものではないのか(自分が中学生だった昔のことを思い出して)(注7)、母親・ミズキの妄想も、余りに韓流ドラマにのめり込んでいるミズキの姿から、実は克之が妄想したものではないのか(妻の浮気をも推測して)、妹・あかねの妄想も、ギタリストの遠藤賢司を知っている克之が抱いたものではないのか、と思えてきます。
むろん、やくざ相手に活躍する「子連れ狼」の平井についても、配布された「アダルト」と表示のあるDVDを見て克之が妄想したのではないでしょうか(注8)?
そして、キャプテン・フルーツに変身する克之自身ですが、彼は、まわりからは謹厳実直で無味乾燥な人と思われているものの、実は一番こうした格好に憧れているのであり、あの狭い書斎(?!)に閉じこもり、コンピュータを前にして、いつもそれを妄想しているのではないでしょうか?
(3)渡まち子氏は、「クドカン流妄想系青春アクション映画「中学生丸山」。おバカな妄想シーンに気合が入りすぎだが、キャスティングはセンスがある」として55点を付けています。
(注1)仲村トオルは『行きずりの街』、坂井真紀は『スープ・オペラ』が印象的です。
(注2)ヤン・イクチュンは、特に、『かぞくのくに』と『息もできない』での演技が素晴らしいと思いました。
(注3)劇場用パンフレットに挟み込まれている「シナリオ載録」では、妄想の部分は《妄想》と記載されていて、いわゆる「現実」(映画の中でのリアル)ときちんと分けて書かれていますが、この際そんな区別は無視してみようということです。
(注4)せいぜいが、克也に梨を食べさせてくれる美女が現れたり、下着姿の「ゆず香」(克也が憧れているクラスメイト:刈谷友衣子)とプールの中で戯れたりするくらいです。

(注5)「現実」を描いていると理解することもできますが。
(注6)むろん、「現実」を描いているとしてもかまいませんが、少なくとも、彼氏を欲しがっているあかねの妄想として見た方が面白いのではないでしょうか?
(注7)克也のノートには彼の妄想が漫画で書かれているところ、「処刑人プルコギ」にはハングルが、「認知症のデスペラード」にはスペイン語が付けられていますが、常識的には、中学生の克也には無理なのではないでしょうか?
(注8)常識的には、中学生の克也には、漫画や動画で『子連れ狼』に接する機会があったように思えないのですが。
★★★☆☆
象のロケット:中学生円山
(1)本作は、中学生の話だというので躊躇したものの、『少年メリケンサック』以来の宮藤官九郎氏の監督・脚本作品ですから、やっぱり映画館を覗いてみたくなりました。
舞台は、『みなさん、さようなら』で描かれたような大きな団地。
そこに住む円山家には、中学生・克也(平岡拓真)のほかに、父親・克之(仲村トオル)、母親・ミズキ(坂井真紀)、小学生の妹・あかね(鍋本凪々美)がいます(注1)。

克之は平凡そのものの父親ですし、ミズキは韓流ドラマに熱中し、あかねは友達に触発されて彼氏を欲しがっています。
一方、克也は、エッチな目的を達成するため、体を柔軟にしようと毎日自主トレに励んでいたところ、団地の上の階に住む下井(草剛)と接触を持ちます。

そんなときに、団地の近くの河原で殺された男の死体が発見されますが、克也は、下井が「子連れ狼」の殺し屋ではないかと妄想してしまいます。
ここから話がいろいろと展開しますが、それは見てのお楽しみ、……?
本作は、中学生が抱く「特大妄想」を映画化したものという謳い文句ながら、その実、彼の妄想自体はストーリー性がありそんなに奇矯なものではありません。むしろ、SMAPの草剛とか、監督・俳優であるヤン・イクチュン(注2)、ギタリストの遠藤賢司など、多彩な出演者の顔触れに圧倒されます。本作におけるその人たちの出方などを見ると、本作自体が、監督・脚本の宮藤官九郎氏の「特大妄想」のような気がしてきます。
(2)とはいえ、そんなものでは、こんなに妄想がいっぱい詰まった面白い映画を観た感想としてはつまりません。ここは、ひとつ妄想に妄想で対決してみたらどうでしょうか?
例えば、このお話は、すべて父親・克之の妄想であったと妄想してみては(注3)?
だって、雑誌ぐらいしかなかった昔と違い、様々の情報機器を持っている今時の中学生ならば、もっと物凄い妄想を抱いてもおかしくはないのではないでしょうか(R-18でも上映できないくらいの!)?
最初に、幼い頃の克也の妄想が描き出されますが、空からぷるぷるしたものが降ってきたり、家族がスパイになったり宇宙人になったりする他愛ないもの。ですが、その後の克也の妄想にしても、五十歩百歩ではないかと思います(注4)。
また、ヤン・イクチュンが演じる新任の電気屋は、母親・ミズキの妄想の中で、韓流の俳優が身をやつした姿となっていますが(注5)、それではつまらないのではと思います。

さらに、徘徊老人を彼氏にする妹・あかねの妄想にしても、あかねの年齢ではその老人の正体である遠藤賢司自体を知らないのではないでしょうか(注6)?

そんなことから、克也の妄想とされているものも、実は父親・克之が、中学生くらいだったらこんな妄想を抱くだろうなと考えてのものではないのか(自分が中学生だった昔のことを思い出して)(注7)、母親・ミズキの妄想も、余りに韓流ドラマにのめり込んでいるミズキの姿から、実は克之が妄想したものではないのか(妻の浮気をも推測して)、妹・あかねの妄想も、ギタリストの遠藤賢司を知っている克之が抱いたものではないのか、と思えてきます。
むろん、やくざ相手に活躍する「子連れ狼」の平井についても、配布された「アダルト」と表示のあるDVDを見て克之が妄想したのではないでしょうか(注8)?
そして、キャプテン・フルーツに変身する克之自身ですが、彼は、まわりからは謹厳実直で無味乾燥な人と思われているものの、実は一番こうした格好に憧れているのであり、あの狭い書斎(?!)に閉じこもり、コンピュータを前にして、いつもそれを妄想しているのではないでしょうか?
(3)渡まち子氏は、「クドカン流妄想系青春アクション映画「中学生丸山」。おバカな妄想シーンに気合が入りすぎだが、キャスティングはセンスがある」として55点を付けています。
(注1)仲村トオルは『行きずりの街』、坂井真紀は『スープ・オペラ』が印象的です。
(注2)ヤン・イクチュンは、特に、『かぞくのくに』と『息もできない』での演技が素晴らしいと思いました。
(注3)劇場用パンフレットに挟み込まれている「シナリオ載録」では、妄想の部分は《妄想》と記載されていて、いわゆる「現実」(映画の中でのリアル)ときちんと分けて書かれていますが、この際そんな区別は無視してみようということです。
(注4)せいぜいが、克也に梨を食べさせてくれる美女が現れたり、下着姿の「ゆず香」(克也が憧れているクラスメイト:刈谷友衣子)とプールの中で戯れたりするくらいです。

(注5)「現実」を描いていると理解することもできますが。
(注6)むろん、「現実」を描いているとしてもかまいませんが、少なくとも、彼氏を欲しがっているあかねの妄想として見た方が面白いのではないでしょうか?
(注7)克也のノートには彼の妄想が漫画で書かれているところ、「処刑人プルコギ」にはハングルが、「認知症のデスペラード」にはスペイン語が付けられていますが、常識的には、中学生の克也には無理なのではないでしょうか?
(注8)常識的には、中学生の克也には、漫画や動画で『子連れ狼』に接する機会があったように思えないのですが。
★★★☆☆
象のロケット:中学生円山