豊臣秀吉は、現在でも依然として話題性に事欠きません。
最近でも、秀吉の軍師とされる黒田官兵衛の物語がNHK大河ドラマになって放映中ですし、また、「豊臣秀吉が太閤検地の実施以前に、大名らに土地の面積や石高を自己申告させた「指出検地」の具体的な内容を記した文書」が見つかったとの報道が新聞を賑わせています。
そんななか、系図学の第一人者たる宝賀寿男氏が、秀吉を巡る系図をメインテーマにしつつ系図学のあらましを述べた著書を発刊しました(注1)。
『豊臣秀吉の系図学』(桃山堂、2014年7月10日)です。
本書を読んで直ぐに目につくのは、全体が「です・ます調」とされているなど、誰にとっても実に読みやすく書かれていることで、特に、系図などの原典に当たることが少ない読者の便宜を考えて、インターネットとの連携が実に巧みに図られているのです。
例えば、本書の14ページに概要が記載されている方法に従ってみましょう。最初に、普通のネット検索によって「東京大学史料編纂所」のウェブサイトを探し出し、「データベース検索」→「データベース選択画面」→冒頭にある「史料の所在」の「所蔵史料目録データベース」→「キーワード」の欄に「美濃国諸家系譜」とインプットし「検索」→「全表示」→第6冊目の「イメージ」→左側の欄にある「0400.tif」をそれぞれクリックすると、たやすく「竹中家譜一傳」に辿り着けます。
また、本書の24ページにある渡辺世祐氏の「『豊太閤と其家族』〔国立国会111コマ〕」についても、「国立国会図書館」のウェブサイト→左欄の「デジタルコレクション」→検索欄に「豊太閤と其家族」をインプットして「検索」→黄色の網掛け→「コマ番号」の「111」を選択、という手順で、該当の引用句に出会えます(注2)。
そればかりか、こうした方法によってアクセス出来ない史料に関しては、本書の出版元の桃山堂のウェブサイト「豊臣秀吉の電子書籍」を開けば、右欄下に「『豊臣秀吉の系図学』で紹介している系図」というコーナーが設けられていて、例えば「『諸系譜』秀吉母方系図」をクリックすると、幕末生まれの鈴木真年(注3)という国学者の手になる系図を見ることが出来ます。
こんな系図など初めてのクマネズミにとり、大変興味深い史料にいろいろ出会えたわけで、あたかも研究者の一員になりおおせたような気分です。
さらには、パソコンのディスプレイ上ながらも、これらの系図等に実際に目で触れると、なるほど著者の宝賀氏はこうしたものを見ながら研究しているのだなと、楽屋裏を垣間見たような感じになります。
さて、様々の史料を目の前にしながら本書を読み進めると、今度は、瞠目すべき著者の見解に色々と出会えます。
その内容については、上記の桃山堂のウェブサイトに記載されている紹介文に簡潔にまとめられているのでそちらに譲りましょう。
付け加えるとしたら、本書の210ページに掲載されている地図こそが、本書の核心的なところを鮮明にかつ具体的に表しているのではないかと思いました。なにしろ、秀吉に関係する者の居住地とか伝承が伝わる地区とかが、鉄鉱石鉱山の「金生山」(岐阜県大垣市赤坂)の周辺に集まっているというのですから(「もつれ乱れた種々の系図や所伝の結節点が赤坂エリア」本書P.208)!
また、この拙エントリの最初のところで「生まれ故郷に近い滋賀県の彦根や長浜」と申し上げたクマネズミからすると、本書の「近江の丁野(秀吉父方のルーツ?)と美濃の杉原(おねのルーツ?)は、国境で隔てられてはいるものの、一日で歩ける距離だ」との記述(P.190)には随分と心がときめきます。というのも、丁野は滋賀県東浅井郡(現在は長浜市)にあり、少し離れたところではクマネズミの母方の親類縁者が住んでいるのです。
色々申し上げましたが、皆さんも、関連する系図等をパソコンのディスプレイ上に見ながら、本書を読み進めるという無類の楽しみを味わってみてはどうでしょうか(注4)?
(注1)本ブログにおいては、宝賀寿男氏による既刊書について、不十分な取り上げ方とはいえ、その大部分を取り上げてきました。
すなわち、この拙エントリでは、その(3)で『神功皇后と天日矛の伝承』(法令出版2008年)に、同エントリの「注13」で『古代氏族の研究② 葛城氏―武内宿祢後裔の宗族』(青垣出版、2012年)に、引き続く「注14」で『古代氏族の研究④ 大伴氏―列島原住民の流れを汲む名流武門』(青垣出版、2013年)に、それぞれ触れています。
また、この拙エントリの①で『「神武東征服」の原像』(青垣出版、2006年)を、この拙エントリの③で『越と出雲の夜明け―日本海沿岸地域の創世史―』(法令出版、2009年)を、それぞれ取り上げています。
さらに、この拙エントリで『巨大古墳と古代王統譜』(青垣出版、2005年)を取り上げています。
(注2)また、例えば、本書50ページにある「秀吉父方系図」については、「国文学研究資料館」のウェブサイト→左欄の「電子資料館」→「所蔵和古書・マイクロ/デジタル目録データベース」→「書名一覧」→“尊卑分脈”をインプット→「書誌詳細」の「200000669」→「画像データ」の「13冊」→「全57コマ」の「37」をそれぞれクリックすると、目的のものを見ることが出来ます。
(注3)鈴木真年については、本書でも1章が設けられて記述されていますが(「第九章鈴木真年と秀吉 知られざる学統」)、宝賀氏の『古代氏族系譜集成』(古代氏族研究会、1986年)では、第一部「古代氏族系譜についての基礎的考察」の第一編が「鈴木眞年について」と題されて、様々な検討がなされています(なお、Wikipediaの「鈴木真年」の項を参照)。
(注4)本書を読む楽しさは、なんといっても著者の斬新な見解に接することにありますが、そればかりではありません。
例えば、「太閤母公系」において秀吉の母方の遠い先祖が佐波多村主とされている点を検討するに際しては、「村主はいまでも苗字として残っており、女子フィギュアスケートの村主章枝さんはそのひとり」といった記述(本書P.40)に出会います。
また、本書の第七章では、映画『のぼうの城』に登場する「甲斐姫」(映画では榮倉奈々が演じました)が触れられています〔「慶長3年(1598年)3月15日、秀吉は、京都の醍醐寺を舞台に空前絶後の壮麗なる花見を催してい」るが、「この席に甲斐姫という人がいた可能性がある」(P.158)など〕!
最近でも、秀吉の軍師とされる黒田官兵衛の物語がNHK大河ドラマになって放映中ですし、また、「豊臣秀吉が太閤検地の実施以前に、大名らに土地の面積や石高を自己申告させた「指出検地」の具体的な内容を記した文書」が見つかったとの報道が新聞を賑わせています。
そんななか、系図学の第一人者たる宝賀寿男氏が、秀吉を巡る系図をメインテーマにしつつ系図学のあらましを述べた著書を発刊しました(注1)。
『豊臣秀吉の系図学』(桃山堂、2014年7月10日)です。
本書を読んで直ぐに目につくのは、全体が「です・ます調」とされているなど、誰にとっても実に読みやすく書かれていることで、特に、系図などの原典に当たることが少ない読者の便宜を考えて、インターネットとの連携が実に巧みに図られているのです。
例えば、本書の14ページに概要が記載されている方法に従ってみましょう。最初に、普通のネット検索によって「東京大学史料編纂所」のウェブサイトを探し出し、「データベース検索」→「データベース選択画面」→冒頭にある「史料の所在」の「所蔵史料目録データベース」→「キーワード」の欄に「美濃国諸家系譜」とインプットし「検索」→「全表示」→第6冊目の「イメージ」→左側の欄にある「0400.tif」をそれぞれクリックすると、たやすく「竹中家譜一傳」に辿り着けます。
また、本書の24ページにある渡辺世祐氏の「『豊太閤と其家族』〔国立国会111コマ〕」についても、「国立国会図書館」のウェブサイト→左欄の「デジタルコレクション」→検索欄に「豊太閤と其家族」をインプットして「検索」→黄色の網掛け→「コマ番号」の「111」を選択、という手順で、該当の引用句に出会えます(注2)。
そればかりか、こうした方法によってアクセス出来ない史料に関しては、本書の出版元の桃山堂のウェブサイト「豊臣秀吉の電子書籍」を開けば、右欄下に「『豊臣秀吉の系図学』で紹介している系図」というコーナーが設けられていて、例えば「『諸系譜』秀吉母方系図」をクリックすると、幕末生まれの鈴木真年(注3)という国学者の手になる系図を見ることが出来ます。
こんな系図など初めてのクマネズミにとり、大変興味深い史料にいろいろ出会えたわけで、あたかも研究者の一員になりおおせたような気分です。
さらには、パソコンのディスプレイ上ながらも、これらの系図等に実際に目で触れると、なるほど著者の宝賀氏はこうしたものを見ながら研究しているのだなと、楽屋裏を垣間見たような感じになります。
さて、様々の史料を目の前にしながら本書を読み進めると、今度は、瞠目すべき著者の見解に色々と出会えます。
その内容については、上記の桃山堂のウェブサイトに記載されている紹介文に簡潔にまとめられているのでそちらに譲りましょう。
付け加えるとしたら、本書の210ページに掲載されている地図こそが、本書の核心的なところを鮮明にかつ具体的に表しているのではないかと思いました。なにしろ、秀吉に関係する者の居住地とか伝承が伝わる地区とかが、鉄鉱石鉱山の「金生山」(岐阜県大垣市赤坂)の周辺に集まっているというのですから(「もつれ乱れた種々の系図や所伝の結節点が赤坂エリア」本書P.208)!
また、この拙エントリの最初のところで「生まれ故郷に近い滋賀県の彦根や長浜」と申し上げたクマネズミからすると、本書の「近江の丁野(秀吉父方のルーツ?)と美濃の杉原(おねのルーツ?)は、国境で隔てられてはいるものの、一日で歩ける距離だ」との記述(P.190)には随分と心がときめきます。というのも、丁野は滋賀県東浅井郡(現在は長浜市)にあり、少し離れたところではクマネズミの母方の親類縁者が住んでいるのです。
色々申し上げましたが、皆さんも、関連する系図等をパソコンのディスプレイ上に見ながら、本書を読み進めるという無類の楽しみを味わってみてはどうでしょうか(注4)?
(注1)本ブログにおいては、宝賀寿男氏による既刊書について、不十分な取り上げ方とはいえ、その大部分を取り上げてきました。
すなわち、この拙エントリでは、その(3)で『神功皇后と天日矛の伝承』(法令出版2008年)に、同エントリの「注13」で『古代氏族の研究② 葛城氏―武内宿祢後裔の宗族』(青垣出版、2012年)に、引き続く「注14」で『古代氏族の研究④ 大伴氏―列島原住民の流れを汲む名流武門』(青垣出版、2013年)に、それぞれ触れています。
また、この拙エントリの①で『「神武東征服」の原像』(青垣出版、2006年)を、この拙エントリの③で『越と出雲の夜明け―日本海沿岸地域の創世史―』(法令出版、2009年)を、それぞれ取り上げています。
さらに、この拙エントリで『巨大古墳と古代王統譜』(青垣出版、2005年)を取り上げています。
(注2)また、例えば、本書50ページにある「秀吉父方系図」については、「国文学研究資料館」のウェブサイト→左欄の「電子資料館」→「所蔵和古書・マイクロ/デジタル目録データベース」→「書名一覧」→“尊卑分脈”をインプット→「書誌詳細」の「200000669」→「画像データ」の「13冊」→「全57コマ」の「37」をそれぞれクリックすると、目的のものを見ることが出来ます。
(注3)鈴木真年については、本書でも1章が設けられて記述されていますが(「第九章鈴木真年と秀吉 知られざる学統」)、宝賀氏の『古代氏族系譜集成』(古代氏族研究会、1986年)では、第一部「古代氏族系譜についての基礎的考察」の第一編が「鈴木眞年について」と題されて、様々な検討がなされています(なお、Wikipediaの「鈴木真年」の項を参照)。
(注4)本書を読む楽しさは、なんといっても著者の斬新な見解に接することにありますが、そればかりではありません。
例えば、「太閤母公系」において秀吉の母方の遠い先祖が佐波多村主とされている点を検討するに際しては、「村主はいまでも苗字として残っており、女子フィギュアスケートの村主章枝さんはそのひとり」といった記述(本書P.40)に出会います。
また、本書の第七章では、映画『のぼうの城』に登場する「甲斐姫」(映画では榮倉奈々が演じました)が触れられています〔「慶長3年(1598年)3月15日、秀吉は、京都の醍醐寺を舞台に空前絶後の壮麗なる花見を催してい」るが、「この席に甲斐姫という人がいた可能性がある」(P.158)など〕!